2004年10月

■面の感覚 domingo,31,octubre,2004
 一歩も外に出ないうちに夜9時を過ぎた。きょうから冬時間になったので、朝は1時間遅く起きることができた。とはいえやはり眠りは浅く、2時間おきくらいに悪い夢で目が覚める。以前の知った顔が交代で出てくるような感じ。夢の中で自分は怒っていて、本気で怒鳴っている。ふだん我慢しているといえば我慢しているわけだが、それがそんな夢に出てしまうというのはまだまだだ。違う形に昇華させればいいのだ。

 テレビで「キル・ビル(Vol,1)」を見た。千葉真一がおもしろかった。しばらく口笛の音楽が頭の中で鳴っていて、何の曲だったか気になっていたのだが、解決した。この映画で使われていた曲だったのだ。
 20型のテレビで見る映画というのは、映画とは呼べないのではないか。少なくとも「観る」という字は当てはまらないような気がする。大型のプラズマテレビなんかだったら、映画を「観る」といえるだろうけれど。

 ドイチェ・ベレをつけたら、スペイン語のニュースが流れていた。数字や曜日くらいはなんとなく聞き取れる。なにより、音を聞いてスペイン語だと判別できるようになったのは大きな変化だ。ヨーロッパの言語(特にドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、英語)について、今までは一つ一つ別個のものでつながりがよくわからなかったのだけれど、今ではどれもなんとなく関連していると感じるようになった。これらはいずれもインド・ヨーロッパ語族から枝分かれしてきた言語であり、英語・ドイツ語。フランス語・スペイン語・イタリア語はそれぞれ兄弟の関係なのだそうだ。だから似ていないわけがないのだけれど、それが実感として感じられるというのはうれしい。
 いまだに英語もろくに話せない自分ではあるが、これまで点と点でしかとらえられていなかった外国語が、今では頭の中に自分なりの地球儀ができて、どれもひとつの面の上に少しずつ変化しながら散らばっていると感じられるようになった。他の文化、たとえば、音楽や踊り、建築、料理なども、言語と同じように広がっているのだと意識することができる。こんな感覚はありがたい。

■雨の土曜日 sabado,30,octubre,2004
 今年になって初めての雨の土曜日。一生懸命しゃべっているつもりが口先だけの話になっているようで、心を込めて書いているつもりが字面だけ立派なお題目になっているようで、厭だ。人に会うときの顔が歪んでいるのがわかる。こんな顔では、何を話したって通じないはずだ。その前に、これでは話すことがまとまるわけがない。気持ちも体調もあまりよくなかった。雨は夕方になって止んだけれど、ネクタイが一日中苦痛に感じた。

 夜。城之内ミサと二胡奏者のカレン・ハンのコンサートがロイ・トムソン・ホールであった。日加修好75周年記念企画の一つということで、入場無料だった。おかげで、今まで入ったことがないホールに初めて入ることができた。当初来る予定だった沖縄のグループが台風のためにキャンセルになったということで、全部で10曲、1時間少々のコンサートとなった。客席のスタンディング・オベイションに驚いて、涙を流していたのが印象的だった。癒し系とひとことで言ってしまえば簡単だが、作曲者の素直さが曲に反映されているのだと思った。
 カレン・ハンは4曲目から登場したのだが、演奏を聴いてハッと目が覚める思いだった。全身を揺らして演奏する姿、弦の上を滑らかに動く手、そしてまるで人の声のような表現力のある二胡の響きから、ものすごいパワーが伝わってくるのを感じた。僕にとっては、この人のパワーを感じたことがひじょうにありがたかった。

■ハロウィン・パーティー viernes,29,octubre,2004
 きょう現地校は二日早いハロウィンのパーティーで、子どもたちの多くはそれぞれに仮装して登校していた。各教室がお化け屋敷みたいになって、子どもたちがほかの部屋を訪ねては、盛り上がっているようだった。外では、住宅街にも商店街にも飾りが見られるが、去年よりもおとなしめに感じたのは慣れたからだろうか。日本から戻ってきた方に様子を聞くと、日本でもハロウィン用の商品がいろいろ売り出されていたそうだ。言い方は悪いが、何でも日本に渡ると心が殺ぎ落とされてしまう。この愛すべき祭りも、バレンタインみたいになってしまうのだろうか。
 アイルランドには妖精がいるという。そこで生まれたラフカディオ・ハーンが日本を気に入ったのも無理はない。だが、いまの日本に妖精は棲んでいるだろうか。代わりに違う悪霊が取り憑いているのではないか。トロントからダブリンへの直行便はなく、乗り換えて12時間ほどかかる。いまいちばん行ってみたい国に行く権利は、現在の自分にはない。
 夜は2時間おきに目が覚める。今までの「敵」がすべて夢に現れる。そのときの嫌な緊張がリアルに蘇る。すぐに夢の記憶は薄れ、何がどうだったのか、知らぬ間に敵は闇の彼方に帰っていく。安眠を妨害するのは、誰かの怨念だろう。僕も日本人だ。仕方がないと思う。

■CFL jueves,28,octubre,2004
 今まで見たことのなかったフットボールを観る。なるほど少しは面白いところもあるようだが、ラグビーと比べるとすぐゲームが止まってしまうのであまりスカッとしない。それに、選手が入れ替わったりするのがよくわからない。CFLのゲームでもアメリカンフットボールと呼んでいいのだろうか。 
 ぼーっとした夜を過ごす。いろいろなことがどんどん頭の上を通り過ぎていく。立ち止まって考える余裕もない。時間のあるなしではなく、泥濘に足を取られて動けないような感じ。

■セントルイス無念! miercoles,27,octubre,2004
 ワールドシリーズを見るなんてここ1、2年の話だから、それ以前のことはわからない。だけど、7回になると歌うあの歌は何なんだ。大リーグのゲームではセブンス・イニング・ストレッチというのがあって、"Take Me Out To The Ball Game"を歌ったり体操したりする。みんなで歌ったり身体を動かしたりするのは楽しいし、メジャーの雰囲気を感じることができるので好きだ。だが、あの"God Bless America"はどうも気に入らない。おそらく911以降のことではないだろうか。
 ブルージェイズが92年93年のワールドシリーズ連覇をしたニュースを見て、カナダにも大リーグのチームがあるんだと驚いたことを覚えている。それ以来、大リーグ機構というのは、国の枠を超えた地域の野球リーグというイメージをずっともっていて、それがとてもいいことだと感じていた。メキシコにもチームができるかもしれないなどというニュースを見ると、なんとなく心が躍ったものだ。「ワールドシリーズ」なんだから、いずれ日本がもっと強くなったら参加できるんじゃないかなんて、冗談ながら友達と話したりもした。そんな夢のワールドシリーズで、"God Bless America"が歌われることの違和感がどうしてもぬぐえない。試合前に国歌を歌うことは理解できる。また、有名な歌手が出てきて素晴らしい歌声を披露することにも反対ではない。しかし、あの場であの歌を歌うことはどうも腑に落ちないのである。
 しょうもねえことを書くなあ、などと思われるかもしれないけれど、アメリカの性質というか本質が、そこにちょっと現れているのではないかと思うのだ。思い出すのは、インデペンデンス・デイというSF映画。題名は米国の独立記念日のこと。たしか、宇宙人による地球侵略を阻止したのがくしくも7月4日。アメリカ大統領が「これが人類のインデペンデンス・デイだ!」などと演説するのだったが、ちょうどあれと同じようなダイナミックな勘違い、「アメリカ=世界」という図式が、このワールドシリーズにもあるのではないか。あの映画はアメリカでは大うけし、空前のヒットとなった。日本でもヒットしたけれど、内外の温度差というのはあったような気がする。この大リーグも日本人選手が出場する試合だからこそ日本人が見るのであって、そうでなければ今ほどの人気はないだろう。もっとも日本人選手のいないチームは中継されないだろうが。ワールドシリーズと言っていながら、あれはアメリカ国内のものなのだ。大リーグにはカナダも入っているのだけど、現状はアメリカのものなのだ。だからなおさら、カナダ唯一のチームとなるトロントの存在は大きいし、もっと強くなってほしいのだ。来季だれか日本人選手が来ないかな。

■混乱から martes,26,octubre,2004
 "interview"という言葉には就職の面接試験の意味がある。"inter"は「中、間、相互」という意味の接頭語。"view"は「見方、考え、意見」。つまり、その人がどう考えているのか、見方や考え方を聞いて明らかにするのがインタビューの意味だろう。だから、ただ単に困っている人にマイクを向けて何かを言わせるのはインタビューとは言わない。
 先日見たニュースは、自宅マンションの窓から誤って落ちて死んだ赤ちゃん。その母親へのインタビューだった。泣きながら叫びまくる母親の姿をカメラはなめるように映し出す。こんなのを放送して、テレビはいったい何をしたいんだろうと思った。マスコミにはそこまで人の気持ちを踏み荒らす権利があるのか。
 地震のことが大ニュースなのはわかる。だけど、ほんとうに知りたい情報ってそういうことかな。路頭に迷う人の"view"をむりやり聞き出すなんて、聞かれる側はたまらないし、伝える側が"view"をはっきりもっていなければ受け取る側も混乱する。
 情報を得ることによって、少しでも困難が回避できたり、不安が解消されたりしなければ意味がない。たとえ距離が遠くても、その問題を自分のこととして受け止め、お互いの生活の向上に役に立てるようでなくてはいけない。さて、送られ続ける断片から、何を汲み取ればいいのだろう。何をどのようにして新しく生み出そう。とにかくもうこちらが何か行動する番である。

■お知らせ lunes,25,octubre,2004
 日記才人のマイ日記に登録してくださっている方々、いつもありがとうございます。まことに勝手ではありますが、リンクから少し距離を置いてみることにしました。しばらく更新せずにいようと思います。
 でも、日記は書き続けますので、ここにブックマークをしてくださると引き続きお読みいただけます。お手数をおかけしますが、もしよろしかったらどうぞ。

 夏ごろ家のパソコンの1台がおかしくなりずっと放置していたのだが、このままだと補償期間が過ぎてしまうので、ようやくきょうの朝カスタマーサービスに電話した。当然向こうは英語なので、英語で状況を説明したりするのが億劫だったというのが本音。会社に電話をすると、担当者に直接話せるまでにはいくつもの関門を通らなければならない。まず最初は、「英語なら1、フランス語なら2を押してください。」という声。ここらへんは簡単。次には、部署や用件の選択。3つのうち1つを選ぶのだが、1回目に間違って別の部署につながってしまった。事情を説明したら、「それなら1、1,1と押して、コード番号を入力して、テクニカルサポートに話してください」と親切に教えてくれた。
 2回目には担当者と話すことができた。状況を説明したらすぐに返送先を教えてくれるものと思っていたが、そうではなかった。スイッチを入れても画面が真っ黒のままというのが問題だった。電話の向こうのテクニシャンは、さまざまな指令を送ってきた。「アダプタをつないで。スイッチを入れて。ランプの点灯は?音は?」とあれこれ聞いてくる。そのうち、「ドライバーを持ってきて」「バッテリーを外して」「ハードディスクドライブを外して…」という指令が。ここで直させようというのか。言葉も矢継ぎ早に言ってくるものだからついていけない。それほど癖がある英語でもなかったのだけれど、向こうがこちらの英語をわかろうとせず苛立っているような感じが伝わってきた。「ふだん使っている言語は?」日本語だ、文句あるか。「フランス語はしゃべれますか?」しゃべれたら苦労しないわい。「もっとゆっくりしゃべって」とお願いするのだけれど、かまわずどんどんしゃべってくる。もうたまらなくなって「また後でかけなおす」と言って電話を切った。もう腹が立つやら悔しいやら、しばらく嫌な気持ちだった。こちらの英語力がないのが悪いのだが、客に対してもう少し思いやりがあってもいいではないか。電話の直後は、もう修理もあきらめるかとさえ考えるほどだった。
 昼過ぎになって気持ちが落ち着き、やっぱり直してもらわないわけにはいかないと冷静になって考えた。そして、もう1回トライしてみることにした。電話が混んでいるらしく、10分以上待たされた後に担当者とつながった。こんどはさっきとは違う、優しそうな男性の声だった。「ファーストネームとラストネーム、どちらで呼べばいいですか」などと丁寧に聞いてきた。対応はさっきの人とはまったく違い、丁寧で、ゆっくりわかるようにしゃべってくれたし、自分の言葉をちゃんと聞いてくれようとしているのがよくわかった。ハードディスクを外せなどという指令もなく、無事にやりとりができ、無償で修理してもらえることとなった。電子メールで返送先が送られてきて、パソコンを近くの運送会社に持ち込んで手続きしてきた。
 とにかく何をするにも1回で用件が済むというjことがなく、おそろしく手間ひまがかかってしまう。それに、周囲からよく聞くのは、人によって対応が違うということ。悪い人に当たるとたいへんだというのだ。きょうは、午前午後と、合わせてかなり長い時間話をした。その結果、用件は済み、英語の訓練にもなった。考えようによっては、いい勉強である。

■休み domingo,24,octubre,2004
 日曜日の朝。きのう、冬時間はいつからという話になって、この日曜かそれとも来週かはっきりしなかった。でも、どうやらきょうからではないみたいだ。きょうもどんより曇り空。予報では雨が降りそう。ここしばらくほとんどこんな調子で、すっきりとしない日が続いている。それでなくても日曜には週の疲れが出てしまってだらだら過ごすことが多いのだけど、気の持ちようでゆっくりしながらでもやりたいことはできるだろう。休みつつ、楽しいことをしよう。
 何もしないことを天気のせいにするなら、これからの季節は何にもできなくなってしまう。晴れようが雨が降ろうが、いい時間にしよう。

 "Fillmore!"というアニメが放送されている。日本でもディズニーチャンネルで放送されているようだが、吹き替えられているのだろうか。X・ミドル・スクールという学校の生徒たちが校内パトロールをするという話。学校で起きた事件を生徒が捜査し、犯人を捕まえる。このパトロールの生徒たちはかなりの権限を持っており、その捜査権は許可書があれば校外にも及ぶ。生徒による学校警察という感じ。でも、いったいこれって何なんだろう。おもしろいんだけど、理解はしがたい。まったく架空の設定なのか、それともアメリカにはこういうシステムがあるのか。これを観ている他の日本の人たちはどう感じているのだろう。

 火曜日以来のアップ。これも気まぐれで、これからのことはわからない。一週間くらいまとめての更新もいいかなという考えもある。日記のサイトの更新も、ずっとしないのは悪いという気持ちがある。せっかく読んでくれている人がいるのに、こちらから距離を遠ざける必要もないだろう。楽しみにしてくれているかどうかはわからないけれど、少しでも気にしてくれている人がいるなら、ありがたいことだ。それに、実際に何かを書く上で誰かが読んでいるという意識は大切だ。自分ひとりというのは、弱いものだから。とにかく、いろいろ試行錯誤をしながら続けていくのでよろしくお願いします。

■土曜日 sabado,23,octubre,2004
 努力した甲斐があった。ありがたいと言われるとありがたい。やってよかったと思う。楽しいことなんて一瞬だけど、それを味わうためには長い長い時間と苦労が要る。喜びと苦しみの振幅が大きければ大きいだけ、充実感が大きくなる。苦しいことを避けて楽ばかりしていたら、喜びを喜びと感じるこころが磨り減ってしまうだろう。

 朝のニュースで新潟の地震を知った。その後少しずつ明らかになる被害状況。被災した方にはお見舞い申し上げます。テレビからもパソコンからも情報が次々と入るのに、何をどうすることもできない。こういうとき逆に日本からの遠さを感じる。それにしても余震の強さと、その数の多さ。台風の後に地震。あんまりだ。あんまりだが、自然は容赦がない。
 日本全体が急激に変化しているように感じる。天変地異が直接の原因だとは思うが、それ以外にも社会的な要因はさまざまある。それらが積み重なって、国の疲弊が進んでいる感じがして、国民が放り出されたまんまになっているようなイメージが浮かんでくる。でも、日本ならこういうときに人々がまとまりやすいのではないかという気もする。相変わらず国のリーダーの顔は見えてこないけれど、一人一人の庶民の顔が浮き出てくるような感じもする。これは日本に対する自分の信頼感や希望かもしれない。いずれ、そんなことではへこたれない日本であってほしい。

 ワールドシリーズで田口選手ヒット!守備でもいいところを見せて存在をアピール!すごいです。やっぱり田口選手の目はすごいや。いや、大きいとかいうことではなくて、ものの見方や考え方がしっかりしているということだ。イチロー選手や松井選手の陰に隠れて、目立たぬ存在ではあるけれど、ほんとに確かな仕事をしていると感じる。もし彼がいなかったら、メジャーリーグの日本人選手への認識は今ほどにはならなかったのではないか。ぜひ優勝してほしいぜ。さあ、みんなで田口選手を応援しよう。

■金曜日 viernes,22,octubre,2004
 時間がどんどん過ぎていく。ある授業のことを思い出し、3月くらいのことだったっけかなんて思ったら、もう1年前ですよと言われて信じられなかった。任期はまだはっきりしていないのだが、かりに3年とするともう半分を過ぎたのだ。まったく去りたい気持ちにはなっていないし、後始末なんて考えたくもないのだが、周囲はそういう目で見てきているというのを感じる。
 
■木曜日 jueves,21,octubre,2004
 セントルイスがワールドシリーズへ。田口選手が日本人として唯一進出いうことになる。素晴らしい。ぜひ、優勝してほしい。

 台風の影響で、野菜が高騰。こういう形で食糧問題が出たか。

 いろいろなことを体験させていただいている。そのことに、感謝の気持ちを忘れてはいけない。が、どうやって返していけばよいのだろう。
 
■水曜日 miercoles,20,octubre,2004
 日本の台風は最悪の事態になっているようだ。これから先毎年こんなふうに台風の通り道になっていくとしたら、日本はいまよりずっと住みにくいところになってしまうだろうな。被害にあった方々には悪いけれど、いたるところで起こる土砂崩れ。山まで切り開いて宅地にしているんだから、当然といえば当然だ。
 熊の出没も今年のニュースのひとつだけど、これも人が山に進出していることが原因だろう。以前ある人から聞いた話。熊が出る出るって騒いでいるけれど、熊にとっては人のほうが熊の住むところに出ているんだ。山に食べ物がなかったら里に下りるのは当たり前のことで、別に人間を襲うつもりも何もないのだ。このまま「駆除」が進んだら、人間を襲う熊さえいなくなるのではないか。あと何年かで日本の熊は絶滅するだろう。人間の勝利である。

■火曜日 martes,19,octubre,2004
 もし山があったら雪が積もっただろうというくらい冷えた朝。それでもまだまだ冬の入り口にも立っていないのだけど。遅すぎた起床時間。昨夜あんなことを書いたので気になって眠れなかったのと、ラジオのタイマーが鳴らなかったことなんていうのは言い訳。伝えたいことを言葉に表そうとすると、苦しい。ああいうのは日記とはいわないか。思考の記録だから日記か。どちらでもかまわないか。

■月曜日 lunes,18,octubre,2004
 きょうも天気はよくなくて、最高気温も10度くらいだったようだ。夕方まで部屋にいて、それから学校に出かけた。帰ってくると10時。ヤンキースとレッドソックスは連日の延長戦で、テレビをつけたときはきのうの再放送かと思った。結局レッドソックスが連日のサヨナラ勝ちで、おもしろくなってきた。

 日記を書くことの第一義は、自分の行動や考えの記録だと思う。日記はもともと自分しか読者がいないものだった。それが、いつからかネットに日記を公開する人が増えてきた。今では自分もそれらのいくつかにアクセスする生活になっている。書き手にとっては記録であった日記が、同時に読み手にとっては読み物としての意味ももつようになった。
 仮に日記が記録なら、自分がわかればそれでいい。人に楽しんでもらおう、そのために文章を磨こうなどとは考える必要もないはずである。だが実際には、書く以上表現力の向上がおのずと求められるようになってくる。日記の第一の読者は書き手本人。日記をつけるもっとも大きな効果は、書き手が読み手となって自分の生活を振り返ることにあると思う。自分を客観的に反省し、これからの指標を定め、また次の日を生きる。日記をつけることによって、このプロセスを毎日の自分に明確に課すことができるのである。
 日記が生活の記録とすると、24時間は、実際に生活する時間と生活を記録する時間とに分けられる。すべての人は生活人だから、生活を記録する時間をそれほど長くは取れない。一日のうちのできるだけ短い時間に、しかも読んで納得できる文章を書いていく。その行為の継続から変化と成長が生まれる。本人が読んで納得できないものを、他人が読んでおもしろいわけがない。他人が読むことを意識した文章作りも、結局は自分が許せるかどうかが唯一の判断基準になる。
 
 日記を書くことでもっとも恩恵を受けるのは書いた本人のはず。そう思うと、ネットで他人が自分の日記を読むことが、自分の成長にどれだけつながるのか疑問である。日記に対する他人の評価が目に見える形で表れ、共感を得ているとしたらたしかにうれしいし、励みになる。そういう趣旨のサイトもたくさんあって、自分も以前はいくつかに登録していた。毎日更新すると、投票結果が気になってしかたがない。そんな日がしばらく続いた。でも、疑問はぬぐえなかった。ほんとうにそれは自分が成長しているということだろうか。見ず知らずの読者に甘えていることにはならないか。などと考えはじめるともう耐えられなくなってきた。
 自分のために書いて、自分で納得するものを作ってきたのではなかったのか。生活をよいものにするためだったはずの日記が、別の何かをねらったものになってしまっているのではないか。これでは成長ではなく、停滞だ。もっと命がけで日々を生きなければいいものを作れるはずがない。ちゃんと書こうと思ったら、もっと血を流さなくてはダメだ。
 それに正直な話をすると、他人の日記を読むことにも耐えられなくなった。その日記のリンクでは、日記だけでなくさまざまな文章を目にするけれど、自分の意志の感じられない文章、他人のせいにばかりしている文章、ただの愚痴でしかない文章を読むと反吐が出そうになった。そして、それを読んであれこれ思っている自分も愚かであると感じた。そんなことに時間を費やすなら、もっと違う書物を読んだほうがいい。玉石混交のネットの文章。たしかに素晴らしい書き手もたくさんいる。でも、探すだけで疲れてしまう。そんな労力をかけるなら本を読んだほうが早い。本になった文章はやっぱりさすがである。優れた表現を学びつつ、自分も磨いていけたらと思う。

 先日、最後に残っている日記のリンクの更新をためしに止めてみた。アドレスも変更して、わずかの人にしか知らせなかった。リンクの更新を止め、日記は毎日書き続ける。しばらくこういう形で、日記を書いていくつもりだ。

■日曜日 domingo,17,octubre,2004
 朝から雨。日中外には出ず部屋で休む休日。きょうはネットに旅の写真をアップして、読書して、だらだらして夜になりました。次のところをクリックすると、いきなりスライドショーが始まります。Carrusel de imagenes
 辞書片手で場所等の説明をつけました。ここでは空気が伝わればいいかなというつもりで、スペイン語だけで作っています。ヤフー・エスパニョールのフォトのページ、写真のサイズは小さいですがすっきりしていて好きです。ヤフー・ジャパンのがうるさいだけかな。旅の日記はいずれ別の機会に載せることにします。

 夜からエア・カナダ・センターへ。Sting,Annie Lennox "Sacred Love Tour"。開始時刻の7時近くになっても、まだ席が半分くらい埋まっていなかった。時間になると会場の明かりが落ちて、アナウンスがあった。オープニング・ショーで、ギターの男性がひとり、15分ほど演奏した。最後の1曲は誰かが出てきていっしょに歌った。その間に、客席がどんどん埋まっていった。なるほど、いわゆる前座の時間を見越して遅れてくる客がたくさんいるのだ。
 7時半頃からアニー・レノックスの演奏が始まった。彼女の歌もユーリズミックスもよく知らなかったのだけれど、曲はなかなかよかった。ステージはいたってシンプルで、余計な飾りがなかったのもよかった。演奏はちょうど1時間で終了。長い休憩に入った。ジョイント・コンサートというのがよくわからなかったのだけれど、いっしょにやるわけでなくて、前半・後半に完全に分けられているのだ。舞台装置もすっかり入れ替えて、スティング用に直していた。なんだかずいぶん大掛かり。やはりメインはスティングなんだ。プリンスのときに難聴になった反省から耳にティッシュを詰めていた。だが、三階席で曲も静かなものが多かったので、だいじょうぶだろうと途中で取った。
 後半、スティングのステージ。最初の3曲はジャガジャガとうるさい曲ばかりやったので、耳が心配になった。でも、その後はそうでもなくて安心した。正面に大小のスクリーンがおかれて、曲によってさまざまなイメージ映像が流されていたが、席が斜め上だったためよく見えなかった。ライティングもさっきとは違ってずいぶんビカビカとさまざまな色が派手に光っており、さすが大物は違うねという感じだった。しかし、いちばんすごかったのはその演奏で、一曲ごとにどんどん引き込まれていくようだった。ピアノの人の長いソロがあって、すごく興奮した。アニーは一曲だけ出てきていっしょに歌っただけだった。2度のアンコールがあって、終わってみれば11時。満足感の大きいコンサートだった。
 
 だけど、演奏の素晴らしさとは裏腹に、こういうコンサートではいつも観客の態度で目に付くことが多いのである。
 ひとつは、演奏の途中でも平気でビール等を買いに出る人の多いこと。野外ライブならわかるけれど、前後の座席の間が狭い会場では、その都度席を立たなければならないのでこちらも落ち着かない。中には、何度出れば気が済むのというくらい頻繁に席を立つ人もいる。
 その次に、後ろの人のことを考えずに立って踊っている人。たしかに踊りたくなる気持ちはわかるけれど、前が立ったら後ろの人が見えなくなることに、気がつかないのか気にしないのか気にならないのか。後ろにいる人たちが迷惑しているのが見えた。あの人たちはなんて言うだろう。「あなたたちも立てばいいじゃない」なんて言うかもしれないな。また、歌手といっしょに思いっきり大きな声で歌っている客。声がぴったりシンクロしているのを聞くと相当なファンなのだろう。歌いたくなるのも理解できるけれどそれも程度というものがある。「あんたの歌を聴きに来ているんじゃないよ!」と言いたいくらいだった。おまけに、後ろに「ホーーーー」とか「ヘロヘロヘロヘローーーー」とかいう声を出す人がいてうるさかった。隣の人がたまらず両耳をふさいだら、その後はちょっと静かになった。なるほど意思表示は大切だ。
 そうしてもっとも嫌なのは、まだ演奏しているにも関わらず帰ってしまう人の多いこと。三階にいたから特に感じたのかもしれないが、なんか失礼だよなと思った。僕もスティングのファンというわけではないし、今回もちょっと聴いてみたいなと軽い気持ちで出かけた。だけど、チケットを買って会場に足を運んだからには、たとえ演奏がおもしろくなかったとしても、最後まで聴くのが礼儀ではないだろうか。映画ならわかるけれど、まだステージで人が一生懸命演奏しているんだから。彼等のようなアーティストはほんとに心をこめてというか命かけてやっていると思うんだ。それを見届けるのは客の責任ではないのか。「金を払っているのはこっちなんだから、途中で帰っても自分が損するだけだから構わないじゃないか」と言われるかもしれないが、そういうものではないんじゃないかなと思う。
 こんなことを書いているうちに、去年のストーンズのコンサートのことを思い出した。あの時は自分も途中で帰ったっけ。45万人の大会場では考えもしなかった。アーティストと聴衆との距離が遠すぎるのかな。今夜の会場はキャパシティが2万人。スティングの顔なんて全然わからなかったよ。こういう場所では無理もないこと、なのか?

■まぼろし sabado,16,octubre,2004
 使っているコンピュータの調子がよくない。いろいろためこんでいるからか、反応が鈍くなっている。ちょうど飽和状態になって頭が回っていない人間と同じようなものか。不要なものは捨ててしまわないと新しいものが入らない、そんな感じか。

 昨夜のヤンキース対レッドソックスは雨で順延だったというのを、朝のニュースで聞いた。ところが、昨夜僕はテレビでたしかにヤンキース対レッドソックスのゲームを最後まで観ていたのだった。そのゲームでは、1対2でヤンキースが負けた。松井選手も調子がよくなかった。これで対戦成績2勝1敗でちょうどいいや、なんて思いつつ床に入ったのだった。
 いったいあれはなんだったんだろう。まぼろしをみていたのだろうか。なんて、きっと過去の映像を流していたのだろうが、それとライブとの区別がまったくつかなかったのはなんだか情けない。だけど、雨だからといっていつかの試合を一試合分丸ごと放送するというのも変な話だ。つながっているように見えた映像は、ひょっとすると編集された番組だったのではないか。それに自分が気づかずにいただけではないか。
 ところで、今夜の第3戦は松井選手の活躍もあり、ヤンキースの大勝。すごいや。松井選手のプレイオフの打率は6割だって。日本人選手の活躍は、見ていてほんと気持ちがいい。偏見かもしれないけれど、こっちの人々は、どこかの東洋人という目ではなく、はっきりと日本人として彼等を見ていると思う。サムライ、イチロー、マツイ、日本人というつながりでとらえられているような感じがする。その延長線上にワタシたちがいて、日本人全般への見方が変わっているなどと考えるのは考えすぎだろうか。
 きのうから"Shall We Dance?"のリメイク版が上映されている。元祖の日本映画はこっちでテレビで観た。今晩行こうかと思っていたが、そんな気力は残っていなかった。こんな日本映画の翻案がどんどん行われている状況もおもしろい。いくらハリウッドがネタ切れという理由があったとしても、日本人は胸を張っていいんじゃないかと思う。

■サイト内検索 viernes,15,octubre,2004
 ためしにサイト内検索というのを付けてみた。たいして役に立つとは思えないのだけど。必要ないなと思ったら、即取り外そう。

 昨夜は2時過ぎまで眠れなかった。目覚めたら7時半。天気が悪いため、外も真っ暗。急いで支度して出かけたら、1時間後には職場に着いていた。いつもかなり余裕をもって動いているので、これぐらいの寝坊でもどうということはないわい。だが、土曜日の朝だけはそうはいかない。きょうはゆっくり寝て、明日は早く起きよう。

■秋の夜長のつれづれに jueves,14,octubre,2004
 どういうわけかきょうはすごく疲れた。帰宅してから睡魔に襲われ、朝かと思ったらまだ午後10時だった。すっかり熟睡してしまった。得したような、もったいないような、変な気分だ。

 市内の紅葉はもう少しで盛りというところ。ある方からトロントのいちばんいい季節ですねと言われた。秋もいいし、春もいいし、夏もいいし、冬もいい。二十四節気というのもあるし、一年は12か月だし、初秋、晩秋という言い方があるし、10月上旬、中旬、下旬と言ったりもする。一年をいくつかに区切るのは、人間の勝手な分け方であって、ほんとうは365日がすべて違っている。
 それと似ているかもしれない話。血液型とか、星占いとかも、ある型に当てはめては性格や運勢の違いを言い立てる。僕は特に性格判断や占いが嫌いというわけでもなく、好きというわけでもないのだが、今はあまりそういうものを目にしないし、目にしたとしても英語だから読む気が起こらない。まったくないわけではないけれど、けして目立ったところには出ていない。気にする人は気にするだろうが、気にしない人はたぶん一生気にしない。その程度の位置ではないかと感じる。たしかに毎朝テレビでやってたりすると気になる気持ちはよくわかる。
 でも、血液型を四つに分けるABO式は一つの分け方に過ぎなくて、RHもあれば、きっともっと異なる分け方もあるだろう。今やDNAまで調べることができるような時代だから、厳密にいうと血液なんて一人一人違うことになる。60何億の人々がみな違う血液をもっている。この認識って、一人一人の個性を尊重するところにつながっていかないだろうか。まあ、これも当たり前の話といえば当たり前の話なんだ。見る人が見たら、何を今さらといわれるような。自分にも以前からそういう考えはあった。でも、僕にとっては現在の関心事の一つであり、今までとは違う角度やレベルでたどり着いた「新発見」だ。
 で、ここからがいま頭の真ん中にあることなのだけれど、黒人、白人、黄色人種という分け方が、なあんの意味もない分け方だということが、ここで生活していると身にしみて感じられる。人種という概念も一つの類型化でしかない。これも突き詰めるとDNAのところまで分けられる。「人間には黒人、白人、そして私たち黄色人種の三つの人種があります。」等という教え方をするとしたら、それはもう犯罪的であるとさえ思う。
 「黒人の嫁だけはもらうな」とときどき母から言われる。完璧な差別だと思うのだけれど、そのココロは、日本に来たらかわいそうな思いをするからということだ。それは分かる。日本では難しい状況がある。もうそれは悲しいほどに。だけど、欧米にもそういう差別というのかステレオタイプ的な認識はやっぱりあって、例えばテレビドラマの役割分担だって、決まっているような感がある。なぜかいつも主役は白人の女の子だったりするのだ。生物学的なことはわからない。だが、それを詳しく分析してかりに民族の優位性を説いたとしても、さして意味のあることとは思えない。
 人間にはさまざまな人がいる。肌の色の違いはその中の一つの例であって、他にもそれを分ける観点はたくさんある。それらに優劣などないはずだ。そんなの当たり前のことだと言われそうだけれど、そんな今にしてなお、僕らの心は差別の気持ちが広がる危険をいつも抱えている。特に日本国の人々の集団は、ひとつにまとまりやすい集団ではないか。だからこそいつも危険と隣り合わせという感じがする。

 先日の写真をアップしました。「写真」の「オンタリオ〜ケベック2004秋」のところです。

■晩秋 miercoles,13,octubre,2004
 暗い色の服を着た人たちが、ストリートカーを降りて、地下鉄の階段を下がっていくのを後ろから眺めていたら、急におかしくなった。おかしいといっても、笑い出してしまうようなおかしさではなくて、みんな家路を急いでいるんだと思ったら、なんともいえない味わいを感じたのだ。

■火曜 martes,12,octubre,2004
 知識が乏しいままにあれこれ書いたので、あとで読み返したら恥ずかしくなった。これでは、住民としてじゅうぶんとはいえない。そこで、ネットでちょっと調べたら、簡単に資料が出てきた。読んでみるとさまざまなことがわかった。再確認できたり、まったく新しい事実がわかったりした。例えば、イギリス系のプロテスタントとフランス系のカトリックという視点、カナダの国の成立、アメリカ・イギリス・フランスとの関係、そして、アメリカ全体でいうとスペインも絡んでくる。さらに、先住民との関係など、興味深いことばかりである。それらのことをごちゃまぜに、整理がつかないまま目の当たりにしているのが、今ということになるのかもしれない。いくら恥ずかしい文章でも、そういうことをいくらでも書いておかなければ消え去ってしまう。カナダ、北米、中南米と拡大していくと、それが単なる一地域のことでなく、世界につながる扉だということがわかる。その扉を開かずにただ過ごすとしたら、それは犯罪とさえよべる。やっぱりどうしても考えていかなければならない。

■スタジオ・ツアー lunes,11,octubre,2004
  サンクス・ギビング・デイ。トロントの北にあるバリー地域とその周辺のスタジオ・ツアーに出かけてきた。できるだけたくさんのアーティストのスタジオを訪問しようと思った。すべての場所をまわり、その中のいくつかは実際にアーティストの方と片言だけど、話をすることができた。作品もおもしろかったけれど、実はそれぞれどういう場所で創作しているのか、その現場を目にしたいというのが大きい目的だった。湖と森ばかりの地域で、いわゆる田舎暮らしをしながら、好きなものを作る生活。こういう暮らしなら、いずれ岩手で実践することもできそうだ。

■ペンブローク〜オタワ domingo,10,octubre,2004
 朝起きると雲が厚くて、8時なのにまだ暗かった。パンフレットにあった町の散歩コースを一周するつもりだった。しかし、気温が低く、風も強い。市街地の温度のデジタル表示は3度となっていた。でも、そこほどまで低いような気はしなかった。宿近くのマクドナルドで朝食。やむを得ない。そこしか開いていなかった。
 宿を出て、オタワ川に面した中央公園に車を止めて川向こうを眺める。対岸はケベック州である。春先には西のアメリカ国境を見てきたことを思い出した。自分はどうも境界線に惹かれるらしい。幼い頃から県境を越えることにどきどきして、県が違うと何が違うんだろう、ということに興味があった。言葉の違いもおもしろかったし、建物の違いや植生の違いにも興味をそそられた。それが、国と国になっても同じことを考えている。英語圏のオンタリオとフランス語圏のケベックとの差異も当然大きな興味の対象である。できるなら何度でも足を運んでその違いを確かめてみたいと思っている。きょうは川の少し下流にある橋を渡り、ケベック州に入る。そして、ケベック側を縦断しながらオタワに入る予定だ。
 こんなに寒いところを歩いたら風邪を引いてしまう。というわけで、早々とペンブロークの町に別れを告げた。
 ケベックへの橋を渡って少し走ったところ、牧場の真ん中に一つの看板を見た。カナダ国旗とケベック州旗が並んで立っており、その下に英語と仏語で「カナダは分断されていない」というような言葉が書かれていた。仲良くしたいという意思表示なのか、それともポーズなのか、はじめはとても清清しげに感じられたが、だんだん意味深なメッセージにも見えてきた。
 行けども行けども牧場や森ばかりで人のいるところまでなかなかたどり着けない。たしかに紅葉は見ごろで、いくらメイプルが多いとはいえ葉の色はさまざまであり、多様な美しさがあるということを実感した。日本の紅葉のほうがきれいだという話を聞いたのだが、ほんとうにそうかと疑った。もちろん、日本の紅葉もカナダの紅葉も美しいには変わりない。「日本のほうが」という言葉に、そうかなと疑問が残ったのである。日本には日本のよさが、カナダにはカナダのよさがある。お互いの美しさを観に行ったり来たりする値打ちはじゅうぶんあると思う。
 街道沿いのいくつかの小さな町に足を踏み入れてみた。日本の国道のバイパスと同じように、少し曲がって細道に入らないと町の姿は見えてこない。ちょうど日曜日の午前中だったので、教会のミサがちょうど始まるところだったり、すでに始まっていたりした。教会によって始まる時間が違うらしく、ちょうど9時、10時、11時に人が集まるところを目にした。鐘が鳴り、教会の周りにはたくさんの車が止まっていた。
 教会といえば、ケベックとオンタリオとでは建物のつくりが違う。これまでのぼんやりとした認識では、オンタリオの教会はレンガ造りでとんがり屋根が多いが、ケベックの教会はレンガ造りではなく、屋根がとんがっているのは変わらないが、その色は銀色になっている。これがどういう理由なのか、何もわからない。ただ、実はきのうアルゴンキンからペンブロークに向かう山間の集落に、まるでケベック州の教会かと思われるような銀色屋根の教会を目にしたのだ。もしかしたら、雪が多く降るので建物を雪に耐える構造にしなければならないということかもしれない。あるいは、英語圏と仏語圏ではキリスト教の宗派も違っていて、それらが建物にも影響しているのかもしれない。教会だけでなく、町全体がレンガ造りで、オンタリオの町と変わらないという町もある。その反対に、レンガではなくケベック・シティで見たようなさまざまな色の外装を施したかわいらしい家ばかりの町もある。
 今回通った道の沿道には英語の地名がたくさんある。Waltham、Campbells Bay、Shawvilleなど、素人の自分が見てもこれは英語だろうと見当がつく。また、Portage-du-Fortなどといういかにもフランス語という地名もある。地図を見る限り、この周辺では英語地名の数のほうが勝っているようである。
 おもしろいことに、ケベック州旗を掲げているところ、カナダ国旗を掲げているところ、旗があまり目立たないところなど、集落によって旗の出し方が違っている。ニュー・ブランズウィック州のアカディアン・ヴィリッジを通ったときも感じたが、旗というのはそれを掲げる人々の思い、主張というものがそこに表れているのである。その家庭、集落、民族のアイデンティティを旗に示している。旗とは、そういうものらしいのだ。中には、あまり見ることのないデザインの旗が立っている家もある。学校には校旗らしい旗が立っている。旗の由来を聞けばおそらくそれぞれの物語が隠されているに違いない。
 感じたのは、今ある境界線は行政上の境界線であって、もっといろいろな意味の境界線が複雑に入り組んでいるのではないだろうかということだ。地図の上での境界線とは関係なく、住民の感情としての○人という意識のほうが、やっぱりどうしても大切に見える。今世界中に起きている戦乱は、そういう地図の境界と感情の境界のずれがもとになっているのではないだろうか。
 カナダに一つの旗が必要なことはわかる。190カ国というほとんどすべての国から人々が集まっているこの国をまとめるには、一つの旗の下で一つの歌を歌う必要がある。だけど、それと引き換えに、人々はなにものにも縛られない自由を手放しているのではないだろうか。組織を思い切り高度化させたものが国家だとすると、ほんとうに個人のためにある国家というのはどうものことなんだろうか。 自分もここに来て「組織的組織的」とよく言うようになったのだけれど、組織的であることの価値なんて、時代によって揺れ動くものではないか。
 なんだか話が飛んでしまった。とにかく、この州境が未来永劫穏やかであるよう、願わずにはいられない。
 オタワに着いたのが12時過ぎ。意外と早い。町中に車を止めて3時間くらいぶらぶらする。昼飯はリドー・センターでピザを食べた。秋の日の首都は今まで来たいつよりも美しく、街全体が紅葉色に染まっているようだった。国会議事堂など、国家機関のカナダ国旗はすべて半旗だった。数日前カナダ軍の潜水艦で一人が亡くなる事故が起きたためだろう。市場の近くのちょっとした路地裏に足を踏み入れてみると、落ち着いた空間があった。初めて通る道もいくつかあった。来るたびに好きになっていく街だ。その後は7号線を通って一気にトロントまで戻ってきた。

■アルゴンキン〜ペンブローク sabado,9,octubre,2004
 土曜日は朝のうちはだらだら。これではいかんと昼前に家を出て、北方向の高速に乗った。ところが、出る時間が遅かったようで、たちまち大渋滞にはまってしまった。すぐに一般道に下り、バリー、オリリアと来たところで休憩。天気は全然よくない。いきなりの土砂降り、かと思えばぴたっと止むという不安定な天候。道路沿いにある名物店。いつもは長蛇の列ができるというハンバーガー屋にきょうは列ができていない。きっと直前に大雨が降ったのだろう。去年来たときには何事かと思うくらいの列だったので断念したのだが、せっかくだからときょうはそこで昼食。炭焼きというのを売りにした手作りバーガーの味は、なるほど悪くない。悪くないけれど、並んでまで食べるほどの価値があるかどうかはわからない。
 ムスコーカ地方のハンツビルという町から東へ。アルゴンキン州立公園を突っ切り、ひたすら東へ向かう。ほとんど湖と森しかないところをひたすら何百キロか進んだ。紅葉はちょうど見ごろできれいだった。ただ、空は灰色だった。霧雨が降ったり止んだりした。ところどころで車を降り、写真を撮りながら行った。岩手の山間を走っているときと、目に映る景色は変わりなかった。ところどころにある小さな村の佇まいにはレンガ造りが少なく、冬にはかなり雪が深く積もるところだと思われた。トロント周辺の村というより、ケベックの建物と似ているような印象を受けた。夕方遅くなって雲が取れ、青空が広がった。
 オタワ川がオンタリオ州とケベック州の境界になっている。川岸の町、ペンブロークに着いたのは7時を過ぎていた。まずは宿探し。最初に入ったモーテルは満席だった。トラベロッジ、コンフォート・イン、ベスト・ウェスタン…。ホテルはどこもたくさんのバスや車が止まっていて、賑わっているようだった。もちろんきょうはそういうチェーン店に泊まるつもりはない。結局町外れのモーテルに宿を取った。フロントのおばちゃんは名前の漢字を見て、「おもしろい文字ね。書くのが速いわね」というような反応を示した。いつもだいたいこんな感じだ。ペンブロークと聞いて壊れたペンかと思ったが、つづりが違った。森の木を切り出してオタワ川から船で運び出す、昔から舟運の基地だったらしい。
 部屋でちょっと休んでから晩飯を食いに出る。いわゆるファースト・フード・チェーンの店が一通りそろっている。マクドナルド、バーガーキング、ハーヴェイズ、タコベル、ケンタッキー、ウェンディーズ、それにティム・ホートン…。それでも構わないが、せっかくだからそこにしかないものを食いたいではないか。開いていたのは、キング・バーガーという店。ラーメンやとんかつ定食が出てきそうなほど日本の店と変わらない雰囲気。おじさんが一人カウンターでテレビドラマを見ながらビールを飲んでいる。家族連れがテーブルで賑やかに食事しているところで、店員がいっしょになって何かおしゃべりしている。窓際には中年の夫婦がぼそぼそ会話している。
 閉店間際らしく、黒板に書かれた「きょうのスペシャル」はもう終わりで、注文する前に「もうスープはないよ」と言われた。ハンバーガーぐらいしか頼めるものがない。店名と同じキングバーガーを食べる。手作りのハンバーガーという感じ。思えば昼もハンバーガーだった。ところ変われば品変わるで、それもまたよし。だが、こういうものばかり食っていると栄養が偏ってしまうのは明らかだ。

■インディアン・サマー viernes,8,octubre,2004
 あすから三連休というのは日本と同じ。ただし、カナダでは体育の日ではなく、月曜日が感謝祭の休日(サンクス・ギビング・デー)で、土・日・月とロングウイークエンドの休みなのだ。こういうときにはもちろん仕事も休み。土曜日のない一週間はぜんぜん気分が違う。なんか神様から特別にいただいた一週間というような感じで、得した気分。ちなみに、アメリカの感謝祭は11月らしい。なんでも、祝日が世界一多いのは日本だそうで、それに比べると休みの日数は多いようで実は少ない。この三連休が過ぎると、あとはクリスマスまで祝日はない。
 この連休を境にして、冬がやってくるのだという。だが、このところの天候は、朝こそ気温は下がるけれど、日中は25度以上になって暑い。半袖だってなんらおかしくはないほどだ。この時期をインディアン・サマーというんだっけと思い出した。三日間とも、天気はよさそうだ。
 さてこの休みに何しよう。いまだに何の考えもないのである。「北に行く」とだけは公言しているのだが、果たしてどうなることやら。

 帰りにチャイナタウンの床屋に行ってみた。シャンプー込みで12ドル。1000円ちょっとというところ。チップは2ドルにした。ほんとに久々に床屋で頭を洗ってもらった。頭皮のマッサージが気持ちよかった。チャイナタウンだからもちろん中国人で、店内には中国語が飛び交い、有線放送もテレサテン等がかかっていた。でも、サービスの内容は日本にやや近いものがあるようだ。やっぱり床屋はこうでなきゃな、と思った。

■野球は詳しくないけれど jueves,7,octubre,2004
 セントルイスの球場では観客の大半が赤いものを身につけているなあ。なんて見ているうちにうとうとして、気がつくとゲームは終盤だった。田口選手は出場したのかな。

 日本のプロ野球。きょうのニュースにはちょっと考えさせられた。ある球団の監督留任が決まり、その監督が「選手補強」についてなんやかや語ったというもの。選手補強というと、当事者たちは、新しい選手を入団させるという意味で言っているようなのだが、ほんとうにそれが補強だろうか。だとすれば、弱い選手をどこかへやる、あるいは退団させることになる。だが、このチームの場合、最高の選手ばかり集めているのに勝てず、これではだめだからと選手を入れ替えようとする。そういう考えはおかしいよなあと感じる。このチームではこれまでにも、用済みになった選手がどれだけ捨てられてきたことか。「たかが選手」だからね。
 その点落合監督は素晴らしい。今いる戦力をフルに活用して、全員が満足する形で優勝を果たしたのだから。就任したときには、「オレ流」を異端視する声が大半だったが、終わってみれば「オレ流」こそ選手を生かす野球だったということがわかる。落合さん、オレも「オレ流」でいくよ。見ててくれ。「もしもし、あ、オレオレ…」
 だからあのチームの敗因は選手じゃないよ。だからそれを使うほうがあまりに馬鹿なんだよ。だからあのチームの場合、選手の補強は「練習」ということになるんじゃないかな。だから金を使わずに頭を使えと言いたいわい。だからおまけに言うけど、メジャーリーグに広告出すくらいならもう日本球界から消えてほしいわい。…提訴されたら嫌なので、実名は伏せました。

■いちいち逃げ出すのもばからしい miercoles,6,octubre,2004
 日本からの客人を昼食に連れていくということだった。けっきょくはコリアンタウンの店になった。店の表に料理の写真がべたべたと貼ってある、大衆食堂の雰囲気漂うところだった。きのうアメリカから移動してきた一行は、ボリュームのあるものばかり食べていたので胃の調子をおかしくしていたらしい。プルコギやビビンバをみんなうまいうまいといって食べていた。キムチがあったのもよかったみたいだ。この旅でいちばんうまいものを食べた。誰かが来たらここに連れてくれば間違いない。そう言ってくれた。

 現在午前6時。大音響の緊急警報がアパートじゅうに鳴り響いている。消防車が何台かやってきた。「またか」という感じである。おおかみ少年ではないけれど、もうすっかりそういう感覚。朝っぱらからたまらない。もし本当の火事が起こったら、逃げ遅れて死ぬ人がたくさん出るだろう。もちろん自分も死んでしまうだろう。こんなにひんぱんに誤報が鳴ると(今鳴っているのが誤報かどうかもわからないが)、いちいち逃げ出すのもばからしい。それでも、命を大切にするというのならやっぱり急いで逃げるべきだろうか。

■一生懸命生きてますよ martes,5,octubre,2004
 4度くらいまで下がった朝。これくらいになると歩くのが気持ちよい。で調子に乗って朝晩1時間ほど歩いたら疲れてしまった。

 あらためて、どこかいいレストランはと聞かれてもたいへん困ってしまう。ぜんぜんイメージが浮かばないのは、レストランというところにあまり行ったことがないからだ。フードコートのある場所ならかなり詳しくなったんだけどね。

 一人で来ても、家族で来ても、それぞれいいことはあるし、たいへんなこともある。一人は気楽でいいとも言えるが、一人で来るなんて楽しくもなんともないという人だっているだろう。同じように、家族で来ることは大きな喜びだろうが、いろいろとたいへんなこと
も多いと思う。だが、どちらも個々の事情を抱えながらもそれをクリアしながら生活していることには変わりない。
 全部思ったようにことが運ぶものではない。むしろ多くの人の場合、希望がかなうことのほうが少ないのではないだろうか。ひとりひとり自分で決めたことと、たまたまそうなったことが、まるで縦糸と横糸のように織り交ぜられながらその人の人生が編み上げられていく。出来上がる模様はそれぞれだけど、他人がそれをとやかく言う筋合いではない。

■スカイキャプテンのことなど lunes,4,octubre,2004
 昨夜は日記を書いてからごそごそと出かけていちばん遅い時間の"Sky Captain And The World Of Tomorrow"を観てきた。2度目。2度観たのはラストサムライ以来。前回観てからというものどこかとりつかれたような感覚が続いていた。かなり毛色が変わった映画だとは思うけれど、どのシーンにも引き込まれるようだった。あれこれと内容を書きたくなってしまうのだが書くわけにはいかない。「おすすめ」なんていう言葉はふだん使うことはないが、この作品に限っては劇場で大画面で観る事を勧める。温故知新とでもいうべきか、古い質感を大事にしながらも、現代でなければ描けないような世界ができあがっている。最高に大好きな作品。

 天気もよくなかったので部屋で過ごす。朝から本を読んだり、ネットを見たりしていた。チケットマスターであれこれとチケットを取った。またそういう季節が近づいてきた。去年からの映画やステージの半券を整理していたら、頭に浮かんできたのは冬の景色。蘇ってきたのは街の空気のにおいだった。この冬もできるだけ数多くほんものに触れる機会を作りたい。モノは増やさないが、見えないものと時間には惜しまず金をかける。この冬も心を耕すつもりでダウンタウンにせっせと通うつもりだ。

 教室に5分前に着くと、めずらしくほとんどの人がすでに座っていた。どうしたんだろうと思ったら、きょうはテストがあるらしい。そういえば先生がそんなことを言っていたような気がする。最初の45分間を使って今までの総復習のテスト。しまった。だけど、解いてみると意外に出てくるものである。なんとか埋めて提出。
 その後は、日付の表し方の復習をした。"International Women's Day"はいつかと聞かれて答えることができなかった。周りの皆は当たり前のように、「3月8日だよ」と教えてくれた。そうだったのか。正直言って知らなかった。自分が個人的に、国際的な常識を知らないのか、それとも日本人にはあまり知られていないのか。いずれにせよ、恥ずかしい思いをした。

■ブルージェイズ今季最終戦 domingo,3,octubre,2004
 昼のスポーツニュースを見ていて、きょうはブルージェイズの最終戦だったことに気がついた。もしかしたら野球観戦も最後になるかもしれないし、途中からでも行ってみようかと重い腰を上げた。スカイドームに着いたのはゲームが始まって30分たったころ。スカイデッキという最上階はたった2ドル。天気がいいから天井も開いているだろう。上のほうで日向ぼっこでもするか。チケット売り場には誰も並んでいなかったが、しばらく待たされた。そして、戻ってきた受付の人は「券が一枚あるんだけど、ここでもいいですか?」と聞いてきた。「とってもいい席ですよ!」。見ると60ドルの内野席。「お金は要りません」だって。わお!もちろん即答。思いっきり得したぜ。最終戦だからと大盤振る舞いだったのかな。たしかにこの3連戦はずいぶん割引をしているみたいだったけれど、窓口でタダ券もらえるとは思わなかった。
 ヤンキース戦はトロントでも人気のカード。きょうはスカイデッキまで人が入っていて、最終の観客数は約5万人だった。松井選手の打席は1回だけ見ることができたが、アウトだった。その後ベンチに退いたので、残念ながら打率は3割には少し届かなかったようだ。空は晴れていたけれど、もう風が冷たくてシャツ1枚では寒かった。これで最上階だったら風邪引いていたかもしれない。ジェイズは2対3で負け、最終戦を飾ることはできなかった。それでもおらが町の球団。順位に関係なく声援を送る人々が大勢いるのだ。9回にスクリーンに出てくる言葉は"WE ARE TORONTO" これが出ると場内はすごい歓声につつまれた。もしチーム名が企業の名前だったら白けてしょうがないだろう。
 
 ゲーム後はハーバーフロント沿いを歩き、ストリートカーでチャイナタウンまで。遅い昼食に水餃麺を食べた。以前衛生上の理由で営業停止になっていたフードコートは1軒を除いて再開しており、賑わっていた。
 髪がすごいことになってきたので、そろそろ床屋に行きたい。チャイナタウンの床屋は値段が安い。看板ではカットだけで7ドル、洗髪を入れて12ドルというのが多い。店内をのぞくとそれほど混んではいない。けれど、結局行かないでしまった。

■道中珍道中 sabado,2,octubre,2004
 朝方は雨が降り、じめじめして気持ち悪かった。体調を崩した人も多くて、ベッドが足りなくなりそうだった。ところが昼過ぎからすっかり晴れて、これ以上ない晴天になった。快晴は"clear"。その言葉どおり空気がどこまでも透明で、高い空に吸い込まれるようだった。気温が下がり、木の葉も散り始めている。明日の朝には霜が降りるかもしれない。どんどん冬が近づいてくる。

 すごく野暮な想像なんだけれど、イチロー選手がもしはじめからメジャーリーグに入っていたらどうなっていたろう。もっとどんどん記録が塗り変わって、もっとすごいことになっていたかもしれない、なんて。いやどうかなあ。オリックスの時代があって、監督や選手たちとの出会いがあって。日本での経験があったからこそ、いまのイチローがあると考えるのがずっと自然だろう。無駄なことなど何一つなく、今を迎えるためにはすべて必要な出来事だった。
 紆余曲折を経るというけれど、実はそれらは一つの直線の上に並んでいて、これから先もどこかへ真っ直ぐ伸びていくに違いない。志をもっていれば、道はどこかに通じる。きょうもその過程に立っているのだ。
 とはいえ、翻ってみると、自分の道はなんだかくねくねと捻じ曲がって、いったいこの先どうなってしまうのか。志とか目標とかいうものが定まっていれば、きっとどこかいいところが見えてくるのだとは思うけれど、いったい自分は何がしたいのか。この人生なんだかかなりの珍道中だなあ。

■秋だ秋だ秋だ  viernes,1,octubre,2004
 特に三回連呼する必要もないのだが、とにかく秋が深まってきた。今朝は寒かったのでこの秋初めてジャケットを着て出かけた。それでも日中は気温が上がって、長袖シャツでは暑いほどだった。写真は学校の近くの民家の玄関先の飾り。ハロウィンまで一月を切り、こういった飾り付けがぼちぼち見られるようになってきた。これから気温が下がり、日の出も遅くなり、夕暮れが早くなってくると、感じるのは日本と同じ情感だ。

 イチロー選手が新記録を作った。やった。素晴らしい。セーフコ・フィールドの興奮。84年ぶりの記録更新が日本人選手の手によってなされたことは、ほんとうに誇らしい。同じ時代に生きていてほんとうによかったよ。臥薪嘗胆。イチロー選手はこれまで絶え間ない努力を続けてきたのだろう。イチローが日本人だという事実が、これから日本人の大きな力になるのではなかろうか。イチローと同じ国の人間だということを自信にして何かを成し遂げる人々がどんどん登場するのではなかろうかと、そんなことを感じた。


.