2005年 4月
■緊急出動 sabado,30,abril,2005
 せっかく出てきた木の芽がまた引っ込みそうなほど寒々とした小雨交じりの土曜日の午後。消防署見学に出かけた。これまで一度もみたことがなかったから興味深くて、英語の問いかけに元気よく受け答えする子どもたちの姿にも驚いて。ところがほどなくして突然緊急連絡が入り、消防士たちはそれまで説明してくれていた目の前の赤い車に乗って、瞬く間に出動してしまった。署員たちはすべていなくなってしまい、後には我々がぽつんと取り残されてしまった。がらんとしたガレージ。「もう終わり?」という声。結局中断。時間で交代するはずだった別のクラスは残念ながら見学できずそのまま帰校。これもいたしかたなし。それだけ頻繁に緊急出動が行われているということなのだ。

■乗り物 viernes,29,abril,2005
 いろいろ考えるからおもしろい。その考えが変わっていくからやめられない。変わること自体が生きることそのもの。超高速のその乗り物は誰の目にも見えないから。しっかりつかまってな。

■ゴールデンウイーク jueves,28,abril,2005
 4月も終わりか。長い長いと思っていたが、振り返るとあっという間だった。この年ここでのかけがえのない4月を、大事に過ごしてきたかどうか、楽しんでこれたかどうか。自分なりには、じゅうぶん楽しんでいるつもりだけれど。
 日本ではゴールデンウイークか。10連休というところもあるらしい。学校はどうなんだろう。2日と6日はやはり登校日なのか。もう休めるようになっているだろうか。こういうときに休みにしないどんな合理的な理由があるのだろう。10日間連休があったら、家族で楽しく過ごせるだろうに。学校があるからというのを理由にして、家族の貴重な時間が失われてしまうとしたら。学校とはいったい何様なのか。部活もあるのだろうか。3年前と同じであれば、きっと2つくらい大会が入って休みにしようにもできない状況だろう。地域の教育力云々と言われるけれど、学校こそが地域や家庭の教育力を奪ってきたのではないだろうか。どうしてそこに手をつけようとしないのだろうか。ゆとりとはそういうことではなかったのか。
 この件に関して、私はとても悲観的です。

■最高の季節 miercoles,27,abril,2005
 木の芽が吹き出してきた。町全体がどんどん黄緑に変わってきた。この季節だけの色。こげ茶色のレンガと青空とを背景にすると夢のようにきれいだ。ところが、きょうは青空が広がっていたのはほんの一瞬で、ほとんど重い曇り空だった。
 芽吹きの季節が最高だ。と、いまはいまをいちばんだと感じる。だが、夏には夏で、秋には秋で、それに、冬には冬でその季節がいちばんだと感じる。365日、毎日が最高。きょうがいちばんだ。などと感じることができる幸福。いつどこで突然終わってしまうか、わからないからね。

■歌いましょう! martes,26,abril,2005
 “Let's sing!”と題されたその講座は、2時間のうち1時間45分までが音楽理論の講義。楽譜上のさまざまな約束事を先生が説明し、生徒たちはそれを聞く。たしかに歌う上で大切なことかもしれないけれど、こういうのを「看板に偽りあり」というのではないか。いつか音楽のことについてちゃんと勉強してみたいと思っていたときもあったから、夢がかなったといえばかなったわけだ。でも、今となっては理論なんか関係なくて、音楽はただ楽しめればいいと思う。
 子どものとき楽譜やら音符やらのことにとらわれなかったおかげで、かえって音楽が身近な存在になっている。もし下手になにかやらされていたら、そのせいで音楽嫌いになっていたかもしれない。だから、いま目の前で先生が必死に説明していることがらの重要性がいまひとつぴんとこない。いくら西洋音楽の基礎がそこにあるとしても、音楽に対する創造的な気分が失われてしまうような気がして、学習に本気になれないのである。そもそも僕は歌いたいからここに来たのであり、いまさら楽譜の読み方を習いたいのではない。
 見方を変えると、こういう英語の学習法もある。英語を学ぶのではなく、英語でなにかを学ぶのだ。今のところ聞いてばかりではあるけれど。それにしても、興味あることを手軽に勉強できる環境がととのっているなあと思う。こういうコミュニティのプログラムが無数にあって、その気さえあればだれでもどんなことでも学べるのだ。日本で同じ内容の講座を受けようと思っても時間はないだろうし、お金も数倍かかるのではないだろうか。
 そろそろ終わりかなという時間になって、申し訳程度に2,3曲歌って終了。先生はいっしょうけんめいなのはよくわかるけれど、理論なんてちょっとでいいから、もっとたっぷり歌いたいなあ。

■試験 lunes,25,abril,2005
 試験を受けてきた。TOEFLというやつだ。留学するわけでないし、何をどうするつもりもないのだが、ただの力試しと思って受けてみた。勉強しなかったのでしかたないけれど、自分の力の無さがはっきりしてしまった。これではどこの学校にも入れない。コンピュータ・ベースの試験だったから、作文の採点を除いては終了後すぐに点数を画面で確認できた。全部ダメだったのだが、特に構文のところはひどいものだった。ここで、○点でした!と恥を忍んで発表すれば、自信をもつ人やざまみろと思う人もいるだろうが、やめておく。いまにみてろよこの。

■日曜日 domingo,24,abril,2005
 日曜日の頭痛のパタン。起きぬけはいいのだが、だんだんに頭が重くなってくる。外はきょうも雨。両目の上あたりを押さえつけると鈍い痛み。前に借りていたビデオを見ているうちに昼になる。ちょっとだけと思って布団に入ったら、4時過ぎまでそのまま起きられなかった。
 雨が上がっていた。クリーニングを出しがてら家の近くを散歩する。隣のチャイニーズの老夫婦のドアの外側にマージャン仲間の靴が並んでいた。地下のクリーニング屋ではいつものコリアンのおばちゃんと娘さんなのか若い人と二人で店に出ていた。
 肌寒い空の下、公園のベンチに座って休む。雨がしみこんで、土がやわらかくなっている。木の芽が赤く膨らんで、潅木はすでに青青としている。色鮮やかな鳥の群れが外に出たミミズをついばむ。
 大勢の中国人と大勢の韓国人に囲まれたここの生活に特別な緊張感はない。いっしょに暮らせばいいじゃないかと思う。国の枠を取り払ってみれば、そこには一人一人の人がいるだけだ。
 日本で生活することを考えたら、中国と韓国には毎年でも行けるじゃないかと夢が膨らむ。「冬ソナ」のロケ地を巡る観光客のニュースをみたが、こんなときだからこそ閉じこもらずに日本からどんどん外に出て行けばいい。もっともっとどんどんお互いに行ったり来たりしながら、顔を合わせて行けばいい。
 18日の散歩のときの写真を掲載しました。よろしかったらどうぞ。

■雨 sabado,23,abril,2005
 久しぶりに後味の悪くない土曜日を過ごす。日中は雨が降り続けたが、恵みの雨という感じで、一日で木の芽の緑色が確実に増した。こういうのを滋雨というのだろうか。
 この一週間は体調がおかしくて酷かったのだが、たまにこういうことがあったほうがいいともいえる。そのほうが健康のありがたみがわかるというものだ。でも、風邪が治ったからといって健康に戻ったわけでもない。ほんとうの意味での健康にはまだほど遠い。

■肉 viernes,22,abril,2005
 まったく昨夜は参った。ずいぶん汗をかいて、2キロくらい体重も減った。去年買っていた咳止めシロップを飲んだら、すごく効き目があった。朝起きたらだいぶ楽になっていた。朝食をしっかりとって、早めに出勤。とりあえずやるべきことを片付ける。早く休めという声に甘えて、1時間ほど早く退勤。フレックスタイムと思えば、時間は同じか。
 肉が食いたくなって、スーパーで牛肉を買ってきて、ステーキにして食った。ビフテキを食ったのは、これがカナダに来て2度目。この満たされた感じはなんだろう。なんだか元気がついたみたいだ。身体が欲していたんだな。明日はたぶん大丈夫だろう。

■発熱 jueves,21,abril,2005
 午後からなんとなくまた調子が悪くなってきて、咳が止まらなくなった。そして、夕方からまた熱が出てきた。車の中でも寒くて寒くて。帰って測ると38度5分。すぐに布団に入り、飯も食わずに12時間眠った。

■もち米 miercoles,20,abril,2005
 米を買ってきて、炊いて、さあ食べようと思ったらもち米だった。袋に書かれたハングルが読めなかったというのは言い訳。袋から出したときにも、なんだか白いなと思ったものの、何の疑いもなく。常識知らず。
 風邪はいくらかよくなったが、ときどき咳が出る。異常に固まった痰が出る。なんだか顔の表面ががさがさになっている。日に焼けて皮がむけたというわけでもなさそう。どこがうまいわけでもない飯を食う。
 それにしても、不健康とか、非常識とかを晒す傾向というのは。
 
■風邪 martes,19,abril,2005
 今朝はヘンな夢を見て目覚めたら2時過ぎ、そのまま眠れず朝になった。10年前の教え子の家庭訪問。その家でなぜか三者面談。ところが、もってきていたはずの書類を忘れており、出直す。再びその家に来るもまた何かを忘れている。二度も出直し。しかも、どこか途中で飯を食っている始末。これでもかと大失態を演じる自分。不思議だ。何でかの父子が夢に出るか。
 きのう歩き過ぎたために足が痛くて困った。そして日焼けした顔が熱をもち、目の前がすっきりしない。さらに乾燥のため喉をやられ、唾を飲もうとしても飲めないほどだった。洗面器にタオルを浸して、湿度を保とうとするが、あまり効果がないようだ。水分を摂らなければと、冷たいお茶をがぶ飲みする。
 日中は喉の不調が徐々に鼻に移り、鼻詰まりと鼻水が酷くなった。しかも気温が急上昇し、夕方には28度という記録的な暑さになった。そのうえ熱が上がり、帰りには気持ち悪くなった。心臓がトカトカし、かといって寝ようにも目だけはさえて寝付けない。
 暗くなってからベランダに出ると、すっかり夏の夜の空気。風が気持ちよい。それでも今週末には10度を下回る予想が出ている。寒暖の差が激しい4月。風邪も引きやすい季節。週の頭からこれではいけない。

■湖畔 lunes,18,abril,2005
 昼飯はハンバーガーだった。歩いた。半そでこそ着なかったが、顔がやけて真っ赤になった。外では何も読まず、湖を見ながらボーっとしていた。静かな月曜の午後だった。
*Queen stn〜Queen‐Broadview Village〜Leslieville〜The Beaches

■孤独 domingo,17,abril,2005
 20度を越える陽気となった日曜日。珍しく朝から仕事の用事で、帰ってくると頭痛で起きられず、目覚めると夜になっていた。休日のたびに頭痛が続くのはなんなのだろうか。
 のんびりといこう。明日は早く起きて運動しよう。そして、ゆっくり朝食を食べてから、長い距離を散歩しよう。きょうくらい暖かくなったら、もう半袖シャツでいいかもしれない。昼飯はちょっと珍しいものにしよう。公園で食べるのもいい。外で英語の本を読もう。電子辞書を片手に。
 孤独という言葉とは無縁だと思っていたのだが、なにを隠そうこれこそが孤独というものだ。このことにようやく気がついた。ただありのままに孤独。この中にこそ自分の人生の喜びや楽しみがあり、寂しさや悲哀もある。そして、この外にこそ自分の人生の喜びや楽しみがあり、寂しさや悲哀もある。この世には、孤独な者と、孤独ではない者とがある。互いのこころは、けして相容れることはない。
 この日記は惰性で書くわけでないし、夢を実現させる方法だと今でも信じている。そろそろ次の夢の形を彫り出していきたい気分だ。

■愚か者 sabado,16,abril,2005
 問題が表面に表れるのは、隠れて鬱々としているよりずっといい。だが、そう考えていない人がいるとするとやりにくい。もっとどんどん言いたいことを言い合えた方がおもしろいし、うまくいくのではないかと思う。
 ふるさとのことを思い出す。といっても郷愁ではなく、それは、今までとは違った側面でのことだ。一人の人間、ひとつのものごとに対する見方も次々と変わっていく。見限るのではないけれど、盲信してきたことを捨てて違うものを信じることが必要なときもあるだろう。
 これはどうなんだろう。非はどちらにあるのだろうと考え続けて、過去の自分の境遇に一定の答えを出す。悪者はそこにはいないが、代わりに愚か者の影が見えてくる。自分は愚か者たちのためにいかに翻弄されてきたか。そして、自分もまた誰かにとってはひとりの愚か者なのだ。

■ミス viernes,15,abril,2005
 ちょっとしたことでミスをする。これだけやっていればミスがなくなるかと思ったらいつまでたっても相変わらずだ。これからもこの調子でいくのかと思うとおそろしくなる。ひとつのミスもおかさないという人もいるのだろうか。人間はミスをする動物だというのは忘れていないけれど、いつかは完璧になれるという希望も忘れてはいない。

■春の散歩 jueves,14,abril,2005
 新年度のペースをつかむにはもう少し時間がかかりそうだ。などと言っているうちにもう4月も半ば。この季節は2度と来ないのだと思うと、これまでのものとは別の感情が沸き起こる。想像していたほどの寂しさや焦りはまだなく、景色が一つ一つ網膜に焼き付いていくような感じがする。
 職場の裏手の坂を降りて少し歩いたところに、ポルトガルのパン屋があって、そこのパンがうまいというのが同僚の間で評判になっている。先日そこから買ってきたという白身魚のすり身をかためて揚げたコロッケのようなものをもらって食べたらうまかった。きょうも天気がよくて、帰りには学校があったので、そのパン屋経由で散歩しながら行くことにした。
 教えられたとおりに進むと、わかりやすいところにそのパン屋はあった。店の名前は「アルコア・ベーカリー」。もっと小さな薄汚いような感じの店だと思い込んでいたのだが、大きくてとてもきれいな、ケーキ屋と呼んだほうがいいような構えの店だった。だが、どこがポルトガルなのかわからなかった。レジのすぐ横にそのコロッケを見つけると、それともう1種類のコロッケを2つずつ、それから、菓子パンを1個買った。ほんとうは食パンがうまいと聞いていたのだが、1斤買って運ぶにはじゃまだった。
 オシントンの通りを南下するとほどなくブロア通りに出る。そこから東へ歩く。クリスティの公園の手前あたりからコリアンタウンの雰囲気が少しずつ濃くなっていくのだが、店の看板をよく見ると、アフリカ系の言語の文字が目立つ一角があることを発見した。テレビの記憶によるとたしかこれはエチオピアで使われている文字だ。なんでもアフリカ固有の言語の中でエチオピア文字が唯一の文字だそうである。エチオピアのほか、その北隣のエリトリアなどで、この文字を使った言語を5000万人が使っているそうだ。その地域から来た人々が、ここにコミュニティを形成しているのだろう。
 コリアンタウンは見事なものだ。ハングルだけが書かれた看板も数多いので、よく見なければ何屋なのかわからない店もある。韓国人には国の外に飛び出して何かを為そうというような強い勢いを感じる。ニューヨークの郊外にも同じような町を形成していたのを見て、ますますそう思うようになった。海を隔ててのお隣どうしではあるけれど、その点日本とはまったく状況が異なる。食堂の窓に料理の写真を貼りだしているところもあって、それを見たら無性に食べたくなったものがある。冷麺だ。岩手は知る人ぞ知る冷麺王国で、盛岡などには冷麺が食べられる店が多い。当然、食べる機会も多かったわけで、あのゴムのようになかなか噛み切れない麺や、辛いのに全部飲みたくなるスープを思い出した。店に入ると、大学生くらいの若者が6、7人、冷麺を食べていた。注文をとりに来た店員は終始韓国語で話しかけてきた。「ムルネンミョン」と言ったら通じたみたいだ。ただのネンミョンと頼むとスープの無いのが来ると、この間聞いていてよかった。
 出てきた冷麺は細くて色はそば粉が入っているような感じ。それを店員がハサミでばちばちと切ってくれた。キムチとカクテキが別皿で来た。醤油差しのようなものが2つあったのでなめて確かめた。一つはからし。もう一つはなんというのか水キムチの水のような味だった。箸も匙も器も銀色の金属製で、箸は少々持ちにくかったが、味はまったく違和感がなかった。本場の冷麺かどうかはわからないが、とにかく、岩手で食べる冷麺と同じ味がした。2年以上食べていなかったのだが、これならときどきでも来て食べよう。
 クリスティの公園のベンチで日向ぼっこしながら本を読む。芝生で遊んでいる人たちの向こうにでかい太陽が見える。こういうときに限ってカメラを持ってきていない。この光景は忘れたくないと思った。のんびりしていたら、教室に5分遅刻してしまった。いつもの窓際の一番前の席に座ると、「先生も今来たばかりだから、あんたは遅れていないわよ」と言ってくれた人がいた。生徒の気持ち。いま僕は正真正銘の生徒である。
*Ossington Ave〜Bloor St〜Christie Pits〜(Korean Town)〜Bathurst St

■ポスター miercoles,13,abril,2005
 トロントの交通局(TTC)が、創業以来地球の人口の約4倍(250億人)の人を運んだというので、250億人目になろうというキャンペーンをやっている。そのポスターが気に入った。

■自己投資 martes,12,abril,2005
 手当について以前学んだのは、自分のためのカネじゃないということだった。へき地手当というのがあって、それは教師自身の不便な生活に対するものだと思っていた。ところがそうではなく、へき地に暮らす子どもたちのために使われるべきカネだったのだ。つまり、仕事のために身銭を切ることの大切さを、僕らは教えられたのだ。だから、自分への投資に銭を惜しむ必要はまったくない。どんどんカネをかけてよい。今でもそう思っている。たとえ読まなくとも本を買うべきだ。借金してでも旅に出るべきだ。
 仕事というものを広義にとらえると、人間的な成長という意味に近づいてくる。すると、お金の使い道がおのずときまってくる。仕事のため=自分のため。自分の成長のためにはカネをつぎ込む。それが子どもたちのためになる。ひいては自分自身の人生につながってくる。そんなふうにお金を使いたいものだ。

■カレッジ・ストリート lunes,11,abril,2005
 昨夜はたまらず9時過ぎに就寝。おかげで今朝は4時起床。頭痛は治り、頭すっきり。やはり寝不足だったのか。
 きょうも一日気持ちのよい天気。午後から外へ出かけた。カレッジ駅で降りて、トロント大学前を抜け、中華街で昼飯。リトルイタリーと過ぎて、ハイパークまで。途中床屋に寄る。今回はイタリア系。おじさんが一人でやっているようだった。壁にサッカーのイタリアチームのポスターが何枚も貼られていた。髪の毛がむさ苦しいというのをジェスチャーで表現すると、“Big Hair!”と言っていたのはどういう意味か。久しぶりの散髪ですっきりした。ほんとうは年度末、年度始めの儀式の前に行けばいいのだが、それが済んでようやく行くのが自分の癖のようだ。
 床屋を出てちょっと行くと、女性に道を尋ねられた。間違って正反対の方向を言ったら、“I don't think so!”と返された。慌てて正しい道のりを説明した。「嘘つきました!」と言ったら、「嘘つかないで!」と笑われた。とにかく、その場で気がついてよかった。よく道を聞かれるわりにちゃんと答えることができない。両手を合わせて「ソーリー」なんて、誰が見ても日本人だったかな。
 リトルイタリーのイタリーたるを再確認。看板の言語にはやはりイタリア語らしきものが多い。雰囲気もどことなく欧州である。前に通ったときにはここまで区別できたろうか。少しは違いがわかるようになってきたろうか。西に進んでいくと、ポルトガルの国旗やブラジルの国旗もちらほら。ベトナムの店がちょっと続くところも。漢字の店はどこにいってもある。こういう住み分けというのは面白いものだ。きっとトロントだけでなく、多民族の都市はどこも同じような住み分けが行われるのではないだろうか。
 ハイパークで日向ぼっこしながら読書。風がちょっと寒くなってきて終了。
 きょう通った道はもう二度と通らないかもしれない。そう思いたくはないけれど。というわけで、しばらく散歩の記録をつけてみることにしよう。
*College St〜Spadina Rd(China Town)〜College St(Little Itary)〜Dundas St〜High Park

■大逆転 domingo,10,abril,2005
 朝から晩まで頭が痛かった。寝不足というわけではなかったが、疲れたときにしっかり寝ないとこうなるのか。日中も少し眠ったが、頭痛は解消されず。しようと思っていたことはいくつもあるのに、まったく手につかない。外はきょうも春の日和で、窓から見ると昨日より心なしか木々の芽が膨らんだようだ。

 3時過ぎに地下鉄に乗って、エア・カナダ・センターへ。ラクロスを観戦するのは2度目。地元トロント・ロックとフィラデルフィア・ウイングス。頭痛にも構わずビールを買って飲んだ。ここは建物の中に醸造所があって、作りたてのビールが飲める。廊下を一周すると、いろんなバーがあったり店があったりで、それを見て回るのも楽しい。まだ始まらないうちにぐびぐび飲んでいたので、隣に座ったおじさんに「減りが早いな」と笑われた。
 スポーツチームの地元びいきというのは露骨だ。トロントの選手が入場するときは、会場が暗くなって眩いスポットライトが当たり、大歓声の中、一人一人チアガールたちに迎えられながら入ってくる。それに対して、敵チームではそれらが何もない。代わりに大ブーイング。笑ってしまう。
 何回か書いているけれど、北米プロスポーツのパタンというのはどれも同じだ。ハーフタイムやらタイムアウトやらの時間にもさまざまな趣向で客を飽きさせることがない。チアガールたちの踊りをはじめ、どうやって選ばれたのか一般の観客によるシュート競争、親子でのキックボードリレー、ピザの箱をたくさん抱えての競争などを、タイミングよく挟み込む。それがまた、会場に大いに受けるのである。きょうは動物のヘンな着ぐるみたちが間抜けなゲームを展開し、笑いを呼んでいた。すべてどこかの企業がスポンサーとなっていて、そこの製品が賞品として贈られる。このほか、大画面に映し出される競馬のレースや、ビンゴのようなゲームなどもあり、これで騒いでるの?と思うくらいに皆が夢中になる。
 ハーフタイムは15分くらいあって、この時間は売店が忙しい。ピザやらハンバーガーやら飲み物やらを買う列ができる。プロスポーツが、飲食業界やその他の大企業の広告塔の役割を果たしている。
 ゲームは第3クオーターまで押されっぱなしの展開で、気がつくと6対13と突き放されていた。ところが、第4クオーターからすさまじい追い上げ。シュートが次々と気持ちよく決まって、終了3分前には同点に。そして、残り2分を切ったところでついに逆転!会場は大興奮。皆立ち上がり、拍手の嵐。僕も思わず拳を振り上げ叫んでいた。14対13でトロントの逆転勝ち。この快感に、しばらく頭痛も忘れていたよ。

■不眠 sabado,9,abril,2005
 春らしく暖かくなり、人々が外に出はじめた。昼休みの校庭には100人以上の子どもたちがかけまわり、太陽と青空があるだけでみんな「いいねえ」という言葉にうなづいた。いいねえ。暖かくて、いいねえ。君たちのことを見ているだけで、温かい気持ちになる。君たちは、僕にないものをすべて持っているんだ。

 できることをすればいいという。これまでできることはしてきた。きっとこれからもそうするだろう。だが、できることをしているだけでは、どうしようもできないこともある。できることはなんだってする。これまでできることはしてきたし、きっとこれからもそうするだろう。

 そんな気持ちと裏腹に、土曜の夜は眠れなくなってしまう。いったい何をやってきたのだろうか。これからいったい何をすればいいというのか。一生偽りの笑顔を続けることと、無表情に暮らすこととどちらを選ぶ。まさか。僕あどちらも選ばない。さっきまで眠くてしかたなかったのに。もう眠れない。

■停電・善意の人 viernes,8,abril.2005
 夕方突如仕事場が停電になった。一昨年の大停電を思い出して明日の行事を心配したが、どうやら停電はここ付近だけだという情報が入って胸をなでおろした。あと2時間くらいで復旧すると聞き、すでに6時近かったので帰途についた。
 通りでは当然信号機も止まっていて、交通が乱れているかと思いきや、ジーンズ姿の普通のおじさんが交差点でひとり果敢に交通整理をしているのだった。若い歩行者が彼に歩み寄り、握手を求めているのを見た。車の窓を開けてサンキューと叫ぶと、勇者はこちらを見てイェイと親指を突き出し、こくっと頷いた。彼を善意の人と呼ばずになんと呼ぼう。これこそが真のボランティア活動だと思った。
 どんな気持ちが彼をそうさせたのかはわからないが、自ら交通整理を買って出たということだけで尊敬に値する。2003年夏のブラックアウトを思い出す。あの時は辻辻にこのような普通の市民が立って、真夏の太陽の下で交通整理を行ったのだ。人々は彼らを拍手でたたえ、ボトルの水を差し入れたりしていた。さらに、長距離を歩かねばならなくなった人々のために、沿道には水を紙コップで振舞う人々が出て、まるでマラソンの給水地点のような場所が至るところに出現したのだった。
 たくさんのボランティア。だけど、簡単なことではないだろう。自分ならできるかと問われると恥ずかしい。きょうも、なぜ自分は出なかったのか。家路を急ぎたかった。それだけだ。自分のことしか考えていなかったのだ。世の中にはほんとうに人々のために立ち上がれる人と、立ち上がれない人がいる。後者である自分は生きているのが恥ずかしい。大げさな表現だが真実だ。前者でなければ生きていられないはずなのに。それでもこうしてのうのうと生きているのだから、こういう人間は救いようがない。

■教室で jueves,7,abril,2005
 耳と下唇にピアスをつけて髪を真っ赤に染めている女性が、斜め後ろの席になった。少女漫画に出てくるような少女の絵の刺青が施してある二の腕を見せてくれた。「まだ途中なの。これから桜の花びらを入れるの」。「痛くないの?」と聞いたら、「そりゃ痛いわよ!」と答えた。日本の刺青についてもよく学んでいるようだった。龍とか桜吹雪とか日本でよくある図柄も、公衆浴場では拒否されるらしいということも知っていた。以前は刺青をしていたというともっぱらヤクザだが、今では若者が普通にやっているなんていうことも話していた。いろいろ話しているうちに、日本のアニメの熱烈なファンだということがわかった。聞いたことのない英語のタイトルが次々飛び出したが、一つも聞いたことはなかった。宮崎駿をすばらしいクリエーターだと賞賛していた。そのほかにも作家の名前を聞いたけれど、わからなかった。
 いろんな言語を学ぶのが趣味らしい。なんだ自分と同じだ。最初は外見から正直ぎょっとしたのだけれど、ぎょっとする理由など何一つないことに気づいた。ピアスも染髪も刺青も、なんらおかしなことではない。そんな自由が認められる社会というのは、いいなあと思った。

■雑記 miercoles,6,abril,2005
 あ!前にもここに来ましたよね!と言われることがたまにある。きのうもそうだった。そういう顔をしているのだ。よくある顔なんだな。しっかし、日本でだけではないのだよ。これってどういうことか。

 夏時間に変わって、1時間のずれが身体に多少の時差ぼけをもたらすらしい。どうも調子がよくないという人が周りにも少なくない。僕は眠気と、背中辺りの筋肉痛がいけない。

 春の香り届けるカリフォルニア産のおばけいちごが安売りで1ドル99!思わず買って食べてみたが、あまり甘くない。いちごだけではなく、日本の果物ほど甘みの強いものはないだろう。

 竹島のことが火種になって、また争いが起きているそうだ。領土問題って突破口がない。どちらかのものと考えると解決しないが、双方の共有にすれば一挙解決!とはいかないか。国の仕組みの限界。

■棘棘しい martes,5,abril.2005
 ここに来て丸2年が経ったことになる。そのこともあって、少し棘棘しい気持ちが顔を出している。もしかしたら最後の1年かもしれない。このことが気持ちにもたらすのは愉快なことではない。これまでとは違った段階。どうにかして後始末をつけなければならない。焦っているわけも、不満を抱えているわけでもないつもりだけどそうでもないのかな。全体的に気分がさえない。筋肉痛やら何やらで身体の調子があまりよくないこともあるが、身体というより気持ちの問題なのだ。
 
 不思議なことに、敬体でものを書いているときにはそういう気持ちは影を潜める。でも、「です」「ます」ばかりだと、あ、俺嘘書いていると思うようになる。自分に向き合うときに敬体は不要だ。思いっきり暗く重い空気の中に自分を閉じ込め、息苦しくてもがいて扉を必死にばたばた叩く。そのうち酸素が脳に行かなくなって、気が遠くなるその前の一瞬。そこで浮かぶはっきりとした何か。

■春の日 lunes,4,abril,2005
 一日中快晴で気温も上昇。窓を開けて風を入れると気持ちがよかった。部屋から見下ろせる高校に半旗が掲げられているのが見えた。朝早く起きたからか、春だからか、きのうは昼寝をせずに済んだがきょうはそうはいかなかった。

■夏時間のはじまり domingo,3,abril,2005
 きのうの午後、ローマ法王が亡くなった。テレビでもラジオでもたいへんな扱いである。CBCではとにかく一日中特別番組が放送されていた。宗教を越えて平和を訴えていた生前の功績の大きさを、今になって知る。世界中のカトリック信者が祈りを捧げていると報じられていた。だが、ローマ法王は宗教の枠を越えて重要な存在なのだということを知らねばならない。彼のような精神的な指導者の発言は、もっと大きく取り上げていいのではないか。

 きょうの午前2時に時計が一気に3時に変わり、夏時間が始まった。去年はいつ夏時間になるのかよくわからなかったのだが、今回は当然のように受け止めた。4月の第1日曜日には23時間しかなく、10月の第4日曜日には25時間ある。夏の間は日が暮れるのが遅いのだ。今となれば、この仕組みが人々にすっかり定着しているのだとわかる。

 ところが、きょうも朝から天気が悪く、吹雪になったり、雨が降ったりした。夜が1時間少なかったことに加えてそんな天候だったから、一日中眠くてしかたなかった。だけどそこを我慢して、昼寝をせずに身体を動かしたらすっきりした。

 きょうからメジャーリーグも開幕だ。やっぱり野球が始まると春になったという感じになるね。ヤンキースの松井選手はすごい活躍だ。ファインプレーに、タイムリーに、8回にはホームランまで。日本のスポーツ選手の勇姿ほど元気づけられるものはない。今年はトロントでも日本人選手の姿を見るチャンスが増えそうだ。松井選手やイチロー選手だけではない。田口選手のカージナルスも野茂選手のデビルレイズもやってくるのでとても楽しみだ。最後の夏かもしれないから、大切な試合は見逃すまい。 
 
 日記で書けることには限界がある。トロントでの生活で感じていることを、もう少しまとまった形で書いてみたいと考えていた。それで、新しいページを作ってみた。いろは順にモノについて取り上げていく予定。形あるモノについて書きながら、その精神について浮き彫りにできればいい。それと、復帰するためのリハビリという意味もある。

■自分探し sabado,2,abril,2005
 一日中大荒れで、雪も降った。一昨年があって、昨年があって、いよいよ今年が始まった。以前から思っていることだが、職に就いてからというもの、前の年より楽になることはない。ここでもそれは同じだ。1年目より2年目のほうが、そして、2年目より3年目のほうが、頭のいろんなところを使うことになる。

 なるほど自分探しに果てはないけれど、それはもともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。いえるのは、何もしなければ何も探し当てられないということだ。探そうとする意志があってこそ、探す当ての自分がつくられていくのだろう。その時間はたっぷりある。まだまだ未知の自分に巡りあうことができる。

■ポープ viernes,1,abril.2005
 今朝見たのはコロッケのような色をした巨大なアシカが雪穴の中で死にかけているという夢だった。

 ローマ法王の英語名はジョン・ポールU。ヨハネ・パウロ2世の容態が悪化し、CBCでは今特別番組を放送している。法王の半生を振り返る映像や宗教家などのインタビュー、各地の教会で祈る信者たちの様子が映し出されている。たいへんな人が亡くなるのだ。

 それにしても、亡くなる前からこういう特別番組を放送するのだ。ある宗教家は、金曜日に亡くなるということを意味づけして何か話していた。まだ亡くなっていないのに、金曜かどうかもわからないのに。

 ただ、神に召されるのであれば、それは悲しいことではない。回復を祈るよりは、安らかな最期を祈るほうがいいように思う。死ぬことのイメージを突き詰めていくと、それほどの抵抗も今は感じない。身近な先人たちが、教えてくれているから。