2005年 8月
■miercoles,31,agosto,2005
 午前6時45分。トロント・ピアソン空港、第1ターミナル、122番ゲート。ハリケーン・カトリーナの余波がこちらに来て、未明から雨。「アメリカの津波」という見出しの新聞が売店に並んでいる。セント・ジョンズとの時差は1時間半。それでいくと今はまだ5時15分。朝食を買おうかと思ったが、サンドイッチは高いのでやめた。着いてから何か食べよう。さっきから咳が。へんな菌を吸い込んでしまったかな。
 うがいをしてきた。ほんとうに初期ならこれで咳は止まるのだ。ニューファンドランドに行くというのは、自分らしい場所をと捻り出した結果だ。しかし、最大の目的はもう一つ別の国に行くということだ。振り返ってみると、そういう考えでいろいろな国に行くことが多かった。これこそ、自分らしいということになるのだろうか。
 ターミナル1には初めて入った。広々とした設計はこれからの時代に必要なものだろう。まだ広くなるというのだから、空港のゆとりがまだまだある。それに比べて日本の空港はどうなっているのか。
 コンコースを歩いているうちに考えついたこと。僕らは地球上のほとんどの場所に、安全に、快適に行くことができる。しかし、それはひとつの見方に過ぎない。その処断を利用できる人は限られている。飛行機に乗るなんて夢のまた夢という人々がたくさんいることを、絶対に忘れてはならない。
 こんな贅沢な夏はもう一生ないだろう。そして、こんな贅沢な夏を過ごせる人間はそんなにいないだろう。運がいいとか、恵まれているとかいう前に、自分がこうしている意味を考えなければならない。自分だけのためなんて、とても思えない。これから、何かを為さねばならない。自分以外の人々のために、やらなければならない。それはなんだろう。自分にならできること。自分にしかできないこと。それを見つけるとか見つめるとか言う前に、きっともうやり始めているんだ。この道を行けばいいんだ。
 セント・ジョンズの空港であれこれ情報を探したが、タクシーでフォーチュンに行くのはたいへんだという気がしてきた。いちばんいのはレンタカーを借りること。6日間で450ドルくらい。それもしかたない。飛行機を早めるように交渉しようと思っていたがやめた。それを判断するのはまだいい。
 車はポンティアックのGRANDだかという銀色の車。まだ2万キロも走っていない新しい車だ。運転席に座った感じはまったく違和感がない。そのままダウンタウンの郵便局前まで行って、路上に駐車。1時間半くらい歩く。
 腹が減ったので、レストランでハンバーガーとペプシ。その後、カボットタワー、シグナルヒルに登る。カナダ最東端、スピア岬。道がなかなか見つからず、2度も間違って、着いたのは5時半くらいになった。この先はヨーロッパかと思うとさすがに感慨深い。もう逃げ場がない。
 そして、トランス・カナダ・ハイウェイを西へ。途中で迷い、またハイウェイに乗る。寂しい風景。コンビニでコカ・コーラとドリトスと買う。雨が降り、霧で煙り、街灯も、町もない所をとにかく進む。9時近くになる。たどり着いたモーテルにとにかく駆け込む。下のレストランで、サンドイッチとプーティーンの食事。

■martes,30,agosto,2005
 きのうまでの出張もまるで夢のようだが、きょう1日は普通に出勤し、明日からまた代休やら年休やらを使って旅に出る。

■lunes,29,agosto,2005
 ブルーグラスエアポートにて。12時50分、シンシナティ行きを待つ。雨の日。煙る高原。ハリケーン・カトリーナはいまニューオリンズで猛威を振るいながら北上している。レキシントンという、自分ではおそらく行こうとは思わないだろうところに来て、仕事だけではなく、しっかりと観光もして、ご馳走になって…。ほんとうにいろいろと世話になった。感謝感激でなんだか少し感傷的だが寂しい感じでもない。
 今朝考えたこと。僕らが思う以上に一期一会の出会いは多い。一生に一度の出会いが毎日あって、人に何かをもたらしたり、もたらされたりする。カートさんとももう会うことはないだろう。だけど、おととい少しの間言葉を交わし、気持ちが通じ合えた体験はもう消えることなく残るのだ。過去は遠ざかっていくが、もうけして消えない。
 この一期一会の出会いを自分はどれだけ踏みにじってきたろうか。その罪を背負って生きていかなければならないのか。昨夜のチャイニーズ・バフェのフォーチュン・クッキーにはこんな言葉が書かれていた。“Behind an ableman, there are always other ableman.” できる人のかげにはいつも別のできる人がいる。なるほど、御陰様ということか。
 いろいろと旅の話をした。これからは、いままでのように長い旅はできなくなるだろう。世界は遠くなってしまう。
 空港の待合室から外を眺めていたら、滑走路の向こうで何かが爆発したのが見えた。古いビルでも解体したのだろうか。ここにも少し振動が伝わってきたが、僕の他には誰も気づいていないようだ。
 シンシナティで乗り換え。空港内のマクドナルドでビッグマックミールの昼食。来るときには見えていなかったいろんな店を発見した。こんなところにマックがあったかな、というように。荷物は預けたので手ぶらというのは実に快適。あと50分。本まで預けてしまったから、ちょっと暇だが。

■domingo,28,agosto,2005
 マンモスケイヴ国立公園に連れて行ってもらう。車で2時間ちょっと。そこは同じケンタッキー州にも関わらずレキシントンとは1時間の時差がある。2時間の洞窟探検。見ごたえあり。その後、川くだりを1時間。野生の鹿と七面鳥を見る。
 レキシントンに帰ってきてからは、チャイニーズのバフェで夕食。たらふくご馳走になる。

■sabado,27,agosto,2005
 日中は仕事。カストゥーディアンのカートさんという黒人の青年と話をした。ほんの5分くらいのことだったけれど、コミュニケーションがとれたことがとても嬉しかった。
 夕方からバースタウンという町へ連れて行ってもらった。ここはデビッド・フォスターの生誕の地で、旧家なども残っていた。そこで行われるミュージカルを観たかったのだが、切符は売り切れ。しかも、お目当てのフォスターの劇は先週で終了し、この日行われるのは別のコンサートだった。
 しかたがないので、ウェンディーズで夕食。9時過ぎに帰宅。ビールをご馳走になる。

■viernes,26,agosto,2005
 ケンタッキー州、レキシントンへの出張。トロント・ピアソン空港。11時18分シンシナティ行きを待つ。8時前には着いていたから、3時間以上の待ち時間となる。ようやくあと1時間。しかし、待つ時間がこれほどまで苦にならないとは。朝食もしっかり食べてきたから、何も買う必要はない。喉が少し渇いたが、飛行機ではまた飲み物のサービスがあるだろうから、それまでは口にせずともいいだろう。航空会社によってそのサービスの質や程度はさまざまだろうが、だいたい似たようなものだと思っている。使い慣れている人にとっては、どこの機内食がうまいだとか、どこの乗務員は丁寧だとか、いろいろ判断がつくのかもしれないが、あの狭い空間で、出される機内食を両手を使って食べなくてはならないというのは、苦痛以外の何物でもない。いくらおいしい物が出されたとしてもゆっくり味わうゆとりはこちらにはないのだ。僕より身体の大きな人はたくさんいるはずだから、よくそれで誰も何とも言わないなあと感心する。思うのは、これが航空機のサービスの世界的な標準だ、という事実である。さらにいうと、このシートの狭さと、運ばなければならない乗客と、飛行機の大きさには相関関係があり、空港の広さ、航空業界の規模とも関わっているように思う。ピアソン空港は昨年3つのターミナルのうち1つが大きくなり、現在も第3ターミナルが工事中。2年後にさらに大きくなるという。これだけ国と国を行き来するようになると、空の玄関の整備は国にとっては大きな問題だ。成田空港は、羽田はどうだっけ? と思い出すのだが、日本の場合はとうの昔にもうその一歩から躓いてしまっているようだ。だいたい、東京の中心からさらに特急で一時間かけなければ空港にたどり着けないなんて。構想の段階でこの国は終わっている。終わっているといえばメキシコシティの空港だったが、出る客と来る客があれだけごちゃまぜになること、最初のゲートからいつのまにかゲートが変わっており、端まで急いで歩かされるというのはこれまた終わっている。それに、空港から市内へのアクセスは、治安が悪いからバスも地下鉄も乗るなというのだからひどい話だ。国の玄関として空港を見たとき、一流の国なのか二流の国なのかが判断できるような気がする。一流二流というのも嫌だけれど、やっぱりそういう格付けというのがあるんだと思う。そう考えると、USAというのはどうなんだろう。今朝は入管で待ち時間ゼロでちょっと拍子抜けしたのであるが、先週のアトランタでは焦った。もっとも、乗れなくとも仕方ないと覚悟を決めておいたから、気持ちはどうということもなかったのだけど。あれだけ窓口がずらっと並んでいるにも関わらず、一人にかける時間が長いのでたくさんの入国者をさばけない。乗り継ぎだけの乗客までいちいち入国出国荷物の検査指紋押捺顔写真撮影を強いられる。罪人でもないのに指紋を取られる不愉快さ。これにまで慣れてしまったらおしまいだ。こういう国が地球上で最も素晴らしい国であるはずはないのだ。
 だけど、今回の旅先もUSA。そこの人々とじゅうぶん交流してこれたらいいと思う。国と人とは別物だ。それを肝に銘じておかなければおかしなことになる。
 A1eゲートからは、ノースウェストのデトロイト行きが出発する。目の前には日本人の親子連れが何組もいて、日本語が飛び交っている。おそらくデトロイト経由で関西空港へ行く人だろう。
 この緑のパスポートは日本との往復は一度しか使えないのだそうだ。つまり任期終了まで我々は日本に帰国することができない。これがどういうことを表しているか。かなり有難い貴重な経験に、この赴任がなっているということである。
 デトロイト行きのアナウンスが始まった。この待合室の多くの客がおそらくぐっと減るだろう。日本でないところ、仕事場でないところで日本人がたくさんいる場所は、どうも居心地が悪い。

 ゲストルームのベッドにて。今風呂を浴びて一息ついたところ。久しぶりにてんぷらをご馳走になった。「長崎」という店。戻ってきてからビールをいただいた。

■jueves,25,agosto,2005
 何をしたのか思い出せない。記録もほとんど残っていない。上司が午後から休みを取ったので、声を出して心置きなく授業のリハーサルができた。これも実は配慮だったのかもしれない。
 一日でも記録が空いていると不安になる。一日働いて、帰ってから慌しく旅支度をして、翌日に備えて早く寝たのだろう。おそらくは最初で最後の海外出張。

■miercoles,24,agosto,2005
 先週の豪雨によるエレベータの被害は予想以上に大きいようで、今朝も何分か待ってようやく来たと思ったら満員で、こちらにはぎゅうぎゅうづめの満員電車もないから、みんなで息苦しい思いをして1階まで降りてきた。地下4階へ行くはずが勢いで降りてしまって、そのまま電車で通勤。8時過ぎはラッシュアワーだと思うのだが、それでも立っている乗客どうしが密着するほどには混んでいない。考えてみれば、日本の都心のような混み方があまりに異常なのだ。女性専用車両の導入もいたしかたなかろう。だけど、そういうものがあるのはとっても恥ずかしいことのように思う。

 一日中快晴だった。窓を開けていたら、心地よい風が吹き込んできて、本を開いたまま少しうとうとした。帰り道には、今まで通ったことのない道を通った。空が晴れ、空気も透明だったために、高台から青々とした湖の水平線を眺めることができた。抱きしめたくなるほど美しい街だ。それぞれの日常がある。いずれは去る身と思って、その日常に自分は身を置いていないのだという意識があったように思うが、きょう歩いていたら、これも自分の日常なのだと気づいた。美しい街を歩く。この庭も、この木々も、この花々も、他人の持ち物ではない。誰かの財産でもあり同時に、そこを通り過ぎる自分の財産でもあるのだ。この景色、この空気、身体に焼き付けておこう。

■martes,23,agosto,2005
 土曜日にはなんとアメリカに出張して授業をしてくることになっている。その資料作りをした。それにしても、波に乗ってきたときに限ってパソコンがおかしくなってしまうのはどうしてだろうか。エラーの報告なんてしてもあまり改善されてないのではないか。

■lunes,22,agosto,2005
 月曜日だが出勤日。気候もすっかりさわやかになって、もう夏は終わってしまったような気になる。気持ちが入れ替わっている。たぶんもう3月まででこの生活は終わりです。具体的に、帰国の準備を始めなければならない。

■domingo,21,agosto,2005
 きのう一日ゆっくりしていたら疲れは取れたようだ。だが、気がつくともう夕方になっていた。買い物に出ようとエレベータを待っていたが、いつまで経っても来ないから、やめた。行ってみようと思っていたディスティラリーのお祭りも、行かないでしまったな。いつかの休みにきっと行こう。買っておきたいものがあるのだ。

■sabado,20,agosto,2005
 昨夜帰ったのは2時だった。エレベータあたりが雨漏りしていて、4つのうち1つだけしか動いていなかった。ニュースを見たら、午後に豪雨があったらしい。道路が激しく陥没している絵が出ていた。ここ2週間、日本のニュースにはほとんど触れていなかった。衆議院は解散し、来月には選挙なんだそうだ。

 2週間の歩数。282489歩。
 
■viernes,19,agosto,2005
 サンホセ−メキシコシティ メキシコシティ−アトランタ アトランタ−トロント 11665歩

■jueves,18,agosto,2005
 サンホセ、ボルケイノツアー    9910歩

■miercoles,17,agosto,2005
 サンホセ、アラフエラ。 24267歩

■martes,16,agosto,2005
 パナマ運河、旧市街。 サンホセへ。10450歩

■miercoles,15,agosto,2005
 バリャドリド−(バス)カンクン カンクン−パナマ

■domingo,14,agosto,2005
 メリダ−バリャドリド 
 チチェン・イツァ。

■sabado,13,agosto,2005
 ハバナ−(カンクン経由)メリダ 
 ウシュマル。

■viernes,12,agosto,2005
 ハバナ 17346歩

■jueves,11,agosto,2005
 ハバナ 24973歩

■miercoles,10,agosto,2005
 メキシコシティー−ハバナ 15320歩。

■martes,9,agosto,2005
 テオティワカン。トロツキー博物館。フリーダ・カーロ美術館。  33103歩。

■lunes,8,agosto,2005
 プエブラへ。      29162歩。
 
■domingo,7,agosto,2005
 メキシコシティ散歩。美術館めぐり。悪い奴に400ペソを脅し取られる。馬鹿な奴だ。コヨアカン地区周辺。 41727歩。

■sabado,6,agosto,2005
 きょうは2時起床。3時半に家を出、ヤングからバスでエグリントンに向かった。昨年はここでバスが来ず、やむなくタクシーに乗ったが、今回はサイトの時刻表を見ておいたので、4時12分発空港行きに、問題なく乗り込むことができた。5時前には空港に到着し、チェックイン。グリーンカードI-94Wもカウンターでもらった。イミグレーションも1回で通過。ニューヨークのときは靴まで脱がされたが、今回は時計もベルトもしたままで済んだ。トランジットだけだからということではなく、警戒はそれほど厳しくないのではと思う。A1ゲートにはバスで行くらしいので、その手前のだだっ広い待合室にいる。早朝なので、人は1人2人いるだけ。カフェは開いているが朝食にはまだ早い。8時29分、アトランタ行き。あと2時間こうやって時間をつぶさなければならない。
 トロント−アトランタ アトランタ−メキシコシティ 17381歩。

■viernes,5,agosto,2005
 以前、退職間近の同僚がヨーロッパに行ってきたとき、あれこれ話を聞いて楽しかった。自分もいずれは行きたいと思ったものだが、ある人は翳で、今度はヨーロッパか、金があるねえなどと、嫌味っぽく言っているのだった。それを聞くのは不快だった。

■jueves,4,agosto,2005
 夏休み中にやらなければならないことはだいたい終了し、ホームページの更新も何とか終わった。時間をかけてじっくり取り組めば、できなかったことも意外と簡単にできてしまう。余裕というのはとても大切だ。

■miercoles,3,agosto,2005
 朝、信号待ちしていると、道端を掃除している人がいた。そこの店の人が、自分の店の周りをきれいにしようということだろう。その人、筒の先から空気がものすごい勢いで出てくる機械を持っている。ごみを吸い取る掃除機とはちょうど反対の機能をもつ道具である。つまり、ぶんぶんごみを吹き飛ばすのだ。彼は、店の前に散らかったごみをぶんぶんとどこかに吹き飛ばし、掃除をしているのだった。こんなこと、珍しくもなんともないのだが、日本的な美徳とはまったくかけ離れた思考だなと思う。

 一日英語の文書を作っていた。とはいえ、作文することはできないので、既存の書類に少々手を加えて、それを打ち直しただけだ。それで感じたことは、キーボードは英文をタイプするのに適した配列になっているということだ。綴りさえわかっていれば、指を滑らかに動かすだけで単語が打ち込める。日本語入力に適したキーボードをつくるとすれば、キーの配列はまったく違ったものになるのではないか。そういえば、以前そんな変わったキーボードがあったな。今でもあるのだろうか。
 
 今夜はインターネットがなぜかダウンしている。それで、確認はできないが、日中は蒸し暑くて体感で42度の予報が出ていた。たしかにそれくらいはあったと思えるほどに蒸し暑かった。ペットボトルに水を入れておいて、それをこまめに飲むようにしたら、それほどのどの渇きを感じなくなった。
 
 帰りは駅に隣接しているモールの駐車場に停めて、そのまま地下鉄とストリートカーを乗り継いでダウンタウンのMECに行った。万歩計を買ってきた。小型で単純なやつだ。これをつけて旅に出ようと思っている。

 行きのストリートカーには日本人の若者が何人か乗っていた。意味がわかるからか、声が大きく感じて、それが耳に障る。きょうの人たちは、しきりに市内の交通のことばかり喋っていた。「チャイナタウン」とか「カレッジ」とか、やたら地名ばかり連発するので、聞いていておかしくなった。まあ他人がとやかく言うことではないのだけれど。意味がわからなくても、わかる人には日本語だとわかるから、日本人とはこういう喋り方をするのだと判断されてしまいかねない。いっしょにされたくないなあという思いがわく。ごめんなさい。
 
 もうちょっとゆっくり歩いてくればよかったのだが、車のトランクを開けっ放しで来たのではないかと思ったら気が気でなくなった。しっかり確認すれば、もっと散歩を楽しめたはずなのに。しかたなく、さっき来た道をとんぼがえり。キングの始発からストリートカーに乗る。。すでに電車はあるのに運転手が降りてチョコかなんかをむしゃむしゃ食べている。客が5、6人待っており、後続の電車も入ってきたというのに、運転手はむしゃむしゃやりながら、そこらへんを歩き回っている。大切な公共交通機関の運転手だから、休憩時間を保障しなければというのはわかるけれど、日本だったら誰かが「待ってるんだから早く乗せろよ」と文句を言うところだろう。
 
 ストリートカーを降りて、地下鉄に乗り換える。ホームへの階段を下り始めた頃に電車が滑り込んできた。ちょっと急げば間に合ったはずだったのだが、前にいた数人の若者が広がって歩いていたため、追い越すことができなかった。この人たちも、ちょっと急ぎ足になれば乗ることができたのに。だけど、3分も待てばまた次の電車が来るから、急ぐ必要もないのだろう。それはわかるけれど、道を塞いで後の人の妨げになっているのにも気づかないという神経は、理解ができない。こういう場合、後ろから来たものが、「通してください」と言うのがこちらの常識なのだろう。
 
 モールに帰ってきて、フードコートで飯を喰う。タイの店でカレー。野菜のカレーを頼むと、店員は怪訝そうに「野菜の?」と聞き返してきた。悪いかい。で、待っているときに気がついた。「本日の特別メニュー」はチキンカレーで、飲み物とのセットがかなりの割安になっていたのだった。野菜のカレーは、きょうは割高なメニューだったのだ。値段じゃない。喰いたいものを喰う。文句はなかろう。

 どうも他人や自分の嫌な面ばかり見えてしまう一日だった。明日はいい面ばかり見えるようであればいい。

■maetes,2,agosto,2005
 蒸し暑い一日。夕方から雷雨。ピアソン空港で事故。奇跡的に死者はなし。航空機の安全が危ぶまれているけれど、なるほどいつどこでどうなるかわからない。
 
 シェパードの駅の床屋に入ったら、久しぶりに洗髪もあった。あっという間の仕上がりではあったが、後頭部がちょっとかっこ悪くなった。鏡に映すと、はっきりいって虎刈りである。値段は22ドルもしたから、値段と腕のよさとの相関関係はあまりなさそうだ。むしろ、値段は店の場所の利便性と関わっているのではないか。店の場所とかっこよさの関係はどうだろう。つまり、あそこの店で刈ったのだからかっこいい、というような結びつけかたもあるのではないだろうか。それもバカらしい話だ。

 旅で出かける場所は人によって違う。「お勧め」の場所というのを聞くけれど、自分には適していても、それを他人も同じように感じるかどうかはわからない。場所に関わらず、何についても言えることだが、胸を張って何かを人に勧めるというのはなかなかに難しい。どうしたって、「あなたがどう感じるかはわからないけれど、自分は好きだ」という慎重な言い方になってしまう。まあな。なるだろうな。だけど、それをもっと自信をもって勧めることができたら、それもハッピーなような気がする。

■lunes,1,agosto,2005
 シビックホリデイという国民の祝日。午前中は寝ていた。昼から起きて、2時頃外に出る。シビックの休みだから、というわけではないが、車はきょうは使わないことにする。地下鉄で南下する。ダンダス・スクエアに人だかり。露店やブレイクダンスのパフォーマンスが出ていた。なんとも西洋的な町並みだ。
 
 CD屋をのぞくも、ほしいものが見当たらない。ラジオのライブで聴いて気に入ったのがあるかと思ったのだが。インターネットで調べたら、この人まだCDは出していないのかな。市内のクラブで9月に演奏があるらしい。いろいろな国の音楽をじっくりと聴いてみたい。
 
 西洋と一くくりで言ってしまうのはよくないと思うのだが、いわゆる西洋文化一辺倒の人々というのがいる。その人は、たとえば音楽を聴くにも、西洋の音楽ばかりを聴くのだ。日本人の自分の場合。日本の音楽を聴いて、西洋の音楽も聴く。あるいはそれが、アジアや中東やアフリカの音楽にだって耳を傾ける。
 
 チャンネルが一つというのと、複数あるというのとでは、まったく生き方が違ってくるのではないか。言葉の場合だったらどうだろう。英語圏の人々は、他の言語を学ぶことなど考える必要もない。英語だけ話して一生を送ろうと思えばできるのだ。日本人も同じか。だけど、外国語の必要性を感じたり、話してみたいと思ったりした人は、学んでそれを使おうとする。つまり、チャンネルを増やす。単チャンネルよりも、複数のチャンネルをもっているほうが、いいなあと思う。
 
 ダンダスから、キングのMECまで歩くがきょうは休み。なんとなく街は空いている。のんびりした祝日だ。ストリートカーでハーバーフロントまで。ここでは夏の間は週末にいろいろなイベントが行われており、人がたくさんいた。辛いもの売り場があって、そこではカリブの音楽が演奏されていた。カリビアン・パンの調べの美しさ、そして、ギターと女の人が声を振り絞って歌っていた。しばらく聴き入っていた。アフリカやアジアの文物を売る屋台。そして、これもいろいろな国の料理を出す屋台。行列ができていたから、食べようとは思わなかったのだけれど。ビール会社が主催する料理教室か何か。先生が何か喋っている。その後ろで焼き鳥を焼くおじさん。いいにおいが流れてくる。ステージでは、アフリカのポエトリーリーディングが行われていた。真ん中には、太鼓を叩く人。両脇にいる男たちが交代で太鼓のリズムに合わせて喋る。こういう詩の喋り方は躍動感があっていい。桟橋を歩くと、さまざまな人種に出会う。これこそトロントのトロントらしきところだろう。人種という呼び方はすでに誤りであり、一人一人の人がいるということなのだ。この感じがみんなに伝わるだろうか。みんながみんな違っていて、それが当たり前という社会。一角では火をふく男のパフォーマンス。