2005年1月

■月末 lunes,31,enero,2005
 きょうで1月も終わり。日が長くなってきたし、ここ数日は抜けるような青空が続いており、気温はまだまだ低いのだけど、どことなく春が近づいているような感じ。朝8時過ぎから、氷点下10度の中を南に1時間ほど散歩した。太陽が当たると暖かかく感じられる。

■大味 domingo,30,enero,2005
 トロントラプターズとフェニックスサンズのゲーム。AIR CANADA CENTRE。田臥勇太選手はいなくなったけれど、あまり関係がない。は嘘みたいな3階の立ち席だったけれど、今度はずっと下のほうで見た。臨場感はテレビとまったく違う。スポーツを生で見るのは楽しい。バスケットはそれほど好きなスポーツというわけではないけれど、年に1度くらいは足を運んでもいい。
 試合はどんどん差が開いていき、最終的にトロントは30点差くらいつけられて負けてしまった。だけど、タイムアウトやハーフタイムのおきまりの演出にお客さんは大喜び。目を引いたのは、シカゴから来たという黒人4人のパーカッション。ペンキか何かが入っていたような白いプラスチックのバケツを逆さにして、それを太鼓にして叩いていた。ドラム缶を叩いて作ったカリビアン・パンのことを思い出した。
 しかし、この北米大陸のプロスポーツというのはなんとなく大味だと感じることがある。もちろんスポーツとしてみると選手たちの実力は世界最高峰だから見事でおもしろい。けれど、それを取り巻く環境というか商品や企業の宣伝媒体として考えると、なんだかすごく大雑把な感じがする。帰りには、レンジで膨らむポップコーンを出口でもらってきた。

 「冬のソナタ」。2週間前の第1回は一瞬だけ見て止めた。先週の第2回は少し見てはスイッチを切り、また少し見てはスイッチを切り、それを何度も繰り返しながら、結局最後まで見た。そんな話をしたら「そんなことしないで見ればいいのに」と言われた。それはそうなんだけど…。この気持ちを理解できるだろうか。
 触れてはいけないような、甘美な夢の世界のお話のように思えた。きょうの第3回は最後まで見た。これからも見てしまうかもしれないな。
 多くの人はそこに自分の過去を見るのだろうか。僕には見えなかった。ほんとうは未来が見えてくればいいのに、それも見えてはこなかった。気持ちの微妙な揺れ動きが切ない。こういうきめ細かなつくりというのは、アジアの持ち味かもしれぬ。どうせハッピーエンドで終わるのかと思うと、現実感はない。


■酩酊 sabado,29,enero,2005
 怒りは怒りで必要なこともある。しかし、消耗はある。そして、残るのは自己嫌悪。それも夜には薄まる。帰るなりビールを開けた。「新撰組」の英語字幕版を視ながら、1本、2本、3本。きょうは龍馬が暗殺された場面だった。4本目に差しかかった頃には「どっちの料理ショー」。いつのまにかまた放送されるようになった。今夜はねぎ味噌ラーメンと塩バターラーメンの対決。見ていたらラーメンが食いたくなったが、家にはなかったから代わりに蕎麦をゆでて食った。テレビを見ながら騒いだり唄ったり。途中からなんだか訳がわからなくなり、いつの間にか布団に入っていた。

■憤怒 viernes,28,enero,2005
 たたかわなければならない相手が目の前に現れる。身体が縮み上がるような恐怖と、卓袱台をひっくり返しそうになるほどの怒りに襲われる。今まで人生は穏やか過ぎた。未来を守るためには、だまっていてはいけない。たたかいたいとか、たたかったほうがいいとか、そんな弱い決意ではだめだ。全霊でたたかわなければならないのだ。
 ある人とは電話で、受話器を持つ手が震えてしかたなかった。馬鹿野郎と言うかわりにありったけの優しさで噛み砕いていってきかせた。またある人とは面と向かって、相手を見つめて微笑みながら、怒りを堪えきれずに涙が零れそうになった。伝わったかわからないけれど、もし伝わっていないとしたらそれは自分がわるいのだ。
 そう考えてはいけないと言われた。精神衛生上よくないから。その通りとは思うけれど、相手が変わらない限り、変えられる可能性をもつのは自分だ。自分が変わることで、相手を変えようとするしかないではないか。
 思えばこんな気分の金曜日が多くなっていた。これも未来を守るためだ。未来とは、かれらの別名。僕がここにいる理由。

■差別 jueves,27,enero,2005
 ○○人は運転が荒いとか△△系はがめついとかそんな話を聞くことがある。なるほどそんな傾向もあるだろうかと、みょうに納得したり、その話で場が盛り上がったりする。しかし、人種や民族によって分ける考え方はどうなんだろう。運転の荒い人に遭遇したとき、運転の荒いことをその人の人種のせいにするのはナンセンスだ。
 □□教の人は嫌いと、はっきり言う人もいる。その宗教が嫌いな理由はわからないけれど、□□教だからといって嫌われるほうはかなわない。その人個人にはなんの責任もないし、どうしようもないことだ。
 アウシュビッツから60年だそうだ。テレビで盛んに放送されている。ユダヤ人排斥、ホロコーストの歴史は、人種差別のもたらした悲劇ではないか。そして、悲劇はまったくアウシュビッツだけではない。
 なんでもない日常の中に、差別の芽はある。日本のニュースをみているとぷんぷん臭ってくるようだ。ほんとに危険な状況だと感じる。国会もNHKも臭いが、東京都が関わった裁判のニュース。日本が望ましくない方向に進んでいる。どんどん孤立に向かっている。外国人を排斥することは国外に住む日本人の安全や安心が奪われることにも繋がると思う。真に受けてたらたいへんなことになる。
 平等や個人の尊重というのは、自然に備わっている意識ではなく、努力しなければもつことができないものである。カナダは移民で成り立っているからか、学校も社会もそういう意識を持たせるための教育がしつこいくらいに行われているような印象を受ける。日本の首都があれでは困る。それを支持する人が多いことは不思議でならない。
 だまっていると知らない間に差別主義に足を突っ込んでしまいかねない。頼ってたらだめだ。自分の目で見て、頭で考えていかないと。できることをしていかないと。

■賀状 miercoles,26,enero,2005
 実家に届いていた年賀状を転送してもらった。枚数は少なかったけれど、教え子からの葉書を読んだら励まされる思いがした。間違ったことをしているわけではないと、少しは自信につながると思った。名前を見ただけで記憶が鮮やかに蘇ってきて驚いた。ふだんはすっかり忘れているけれど、心にしっかりと刻まれていて、あの人たちのおかげで自分が生かされているのだなあと感じた。

■散髪 martes,25,enero,2005
 日中は氷点下10度を上回った。この頃にしてはだいぶ暖かいほうだ。暖房の調節が先週のままになっていたのだろう。仕事部屋の気温は暑すぎるくらいだった。あちこち行ったり来たりで集中できない一日。年度末が近づいてきて、こういう落ち着かない日が増えてきた。

 帰りは床屋に寄った。この前が感謝祭の連休前だったから、2か月半ぶり。すっかりぼうぼうになり、額にワカメのように髪がへばりついて気持ち悪かった。きょうのところで6軒目。すっきりした。どうして行く度店を変えるのかと聞かれたが、よくわからない。気に入っているのはItalo&Tonyという店だけど、休日が重なるのであまり行けない。一回で店を変える利点は、後腐れがなくていいということだ。

 アパートの入っているビルのモールの入り口に自動回転扉が作られてからしばらくたった。しかし、黄色いテープが張られており、まったく使われていない。回転扉はたくさんあるが、自動とつくものはここ以外見た記憶がない。おりしも日本で悲劇が起こったあとだっただけに、なんでこんなものを作るのか不思議でならなかった。もう少しタイミングが早ければ、工事は行われずに済んだろうに。安全性が確認できないとすれば、一度も使われぬまま取り壊されるかもしれない。

■音楽 lunes,24,enero,2005
 シャキーラのコンサートの記録。Toronto Centre For The Arts。シャキーラと聞いて思い浮かんだのは、南米はコロンビア出身の若い女性歌手。それでチケットを確保していたのだけれど、まったくの見当違いだったことが会場に来てわかった。つづりまでよく確かめなかったのだが、コロンビアのシャキーラは“SHAKIRA”で、今回のコンサートは“SHAKILA”だった。“R”と“L”を聞くのも話すのも区別できないことは日本人の特色の一つ。文字を見ても違いを意識しなかった。それがこんな予期せぬ結果をもたらした。会場に来ていた人々の姿は見るからに中東の人々のようで、ロビーの垂れ幕は一見してアラブ系の文字で書かれている。それもそのはず、“SHAKILA”はイラン出身の歌手であり、イランで話されているのはペルシア語“Farsi”だった。おそらく会場に詰めかけていた多くの人々はイラン系カナダ人たちだったのだ。
 中東の音楽にも興味がないではないので、気持ちを切り替えて楽しむことにした。吹雪のせいか、時間になっても席が半分くらい空いていた。最初にステージに上がったのはバンドのメンバー。キーボードが2人、ドラム、バイオリン、フルート、それに民族楽器らしい細長い弦楽器と打楽器だった。いきなり演奏が始まり、音楽の途中でシャキーラがステージに現れ、拍手喝采。そのまま歌いだすのかと思ったら音楽が止み、挨拶やメンバー紹介があった。英語はまったくなかったので、何を言っているのかちんぷんかんぷんであった。ペルシャ語はどこかフランス語のようでもあり、イタリア語のようでもあり、美しい響きをもつ言葉だと思った。会場全体が笑いに包まれたり皆で挙手をしたりしていたが意味はわからなかった。また、客席との掛け合いがあったりして、ひじょうにステージと客席が近い感じがした。会場をざっと見たところ、僕のほかに東洋人は一人もいないようだった。曲が終わるたびに大勢の人々が会場に入ってくる。いつの間にか客席は全部埋まっていた。
 音楽はというと、演歌と民謡とコーランが入り混じったようなたいへん異国情緒溢れる旋律で、とても不思議な感じがした。民族楽器もあったのだが、異国情緒を感じさせるのはむしろバイオリンやフルートの旋律のほうだった。歌の途中で、花かごの差し入れがあったり、自分が描いた絵なのか、少女の顔を描いた大きな絵を持って来て手渡す人がいたりした。一人のおじいさんがステージに上ったと思ったらキーボードを弾き始めて、それを伴奏に一曲歌っていた。あのおじいさんはいったい誰だったのだろう。デジカメを持った人が何人もステージの近くまで行って撮影をしていた。ビデオを撮っていた人もいた。構わないのかと思ったら、後半になってからは撮影を止めるようにスタッフが言っていたようだった。終わりっぽくないところで終わる歌もある。イランの人にはちゃんと終わりに聞こえるのだろうか。だが、歌はさすが上手で、皆が酔いしれていた。国の民謡なのかヒット曲なのか、会場全体で大合唱になった歌もいくつかあった。
 「音楽は世界の言葉」とよく言われるが、かなりの幅がある。西洋の人が日本の演歌を理解するのは難しいだろう。おなじように、イランの音楽を理解するのもなかなか難しいと感じたが、けして理解できないわけではなかった。歌がもつ情感というものは、異文化どうしでも共有できるのではないかと思った。
 “SHAKILA”のサイトにはダウンロードできる曲がたくさんあります。コンサートで歌った歌もいくつかあるようです。ぜひ聴いてみてください。

■神様 domingo,23,enero,2005
 先週の月曜日に郵便料金が値上げされた。国内の葉書や封書は49セントが50セントに、国際郵便は1ドル40セントが1ドル45セントになった。去年値上げしたばかりなのに。買い置きしていた切手といっしょに使えるように、1セントと5セントの切手を買おうと思って郵便局に行ったら、品切れの張り紙がしてあった。郵便局は混んでいた。日曜だったため開いている局が限られていたのだろう。幾つもある窓口のうちひとつしか開いておらず、長い列ができていた。50セントのを買っておこうかと思ってしばらく並んでいたが、あまりに待たされるので嫌になって帰ってきた。これだけ客が並んでいるのだから、もっと対応の仕方を考えてもいいんじゃないかと思った。
 郵便局のほかにも、客への配慮に欠けると感じてしまうところがたくさんある。ストリートカーやバスの運転手が停留所でもないところで停車して、コーヒーなんかを買いに行ってしまう場面に遭遇することがたまにある。運転手がものを買って車両に戻るまで、乗客は黙って待っている。文句を言う人もない。運転手も「お待たせしました」とか「すみません」とか一切言わない。日本では考えられない光景だ。先週、マイナス20度の寒い朝の乗り場での話。やっとストリートカーが来たと思ったら、運転手がドアに鍵をかけて出て行った。なんとマクドナルドで朝食とコーヒーを買ってきた。運転手が戻るまで客は寒い外で待っていなければならなかった。こんなことが許されるのか。人権尊重の意識が発達しているということなのか。勤務時間に客を待たせて飯を買うのも労働者の権利だというのか。
 「お客様は神様です」という三波春夫の言葉。けして客は神ではない。けれども、お客を一番大切に考えようという、接客業の基本姿勢を端的に表した言葉として、日本人の心にしみついているものではなかろうか。これは、客相手の商売に限らない。例えば、教師が生徒を第一に考える、医師が患者を第一に考える等、人相手の仕事、つまりサービス業全般について言えることだと思う。さらに言うと、人間に関わっていない仕事というものはない。三波さんのこの言葉から、商売の国日本が同時に相手への思いやりや心遣いを大事にする国であったことが感じられる。
 思いやりや心遣いを、相手の「権利」の尊重だとくくることもできるかもしれない。だが、運転手が食事する権利を守るために客が寒い思いを強いられ、しかも何の言葉もないなんて、思いやりの欠けらもないではないか。思い出すのはテレビジャパンの番組。どこかの放送権のためにスポーツニュースの映像が静止画像に差し替えられたり、著作権のために「その時歴史が動いた」が放映中止になったりという現状を前にすると、業界のシステムがそもそも視聴者第一ではないとわかる。「お客様は神様」というのは、権利よりももっと絶対的な対象という意識の表れだろう。乗る人がいるおかげで運転手の仕事が成り立つのだし、視聴者がいるから放送局も成り立つのだ。客を蔑ろにして権利も何もないだろうさと、日本人の僕は思うのである。

■大雪 sabado,22,enero,2005
 朝から雪が降り出して、風も強くて、気温も低くて、荒れ模様の一日となった。大雪の注意報が出て、スクールバスが出ないとか欠席者が多くなるとかの予想もしていたが、まったくそういうことはなかった。どうするかの判断は難しいけれど、できるだけのことをした上での決断だったら、皆が納得できるだろう。放課後の予定は変更になったが、今回の問題はうまく回避できたといっていい。相談やら後始末やらで帰りはいつもと同じ時間になった。
 部屋が寒いので、窓の隙間を新聞紙やダンボールで塞いでもらったらかなり暖かくなった。氷点下30度にもなる土地にしては、この校舎のつくりはあまりに隙間だらけ。集中暖房をがんがんかければそれも気にならないほど暖かいのだろうが、最近は予算が逼迫しているためか最低限の暖気しか来なくなってしまっている。それでも、岩手の冬の生活を考えたら何も言えない。
 大雪とはいっても、夕方までに15センチくらいの積雪。土曜日だからか、除雪はあまり徹底しておらず、高速では事故が多くなっているらしい。気をつけよう。

■商売 viernes,21,enero,2005
 日記は最終的には自分のためで、人のためのことなら別のところでやっている。反省材料はいろいろあるけれど、できることから改善していこう。きょうは字の大きさとフォントを変えてみた。自分でもよくわからないまま書いているからか、ときどき人に迷惑をかける。頭が明日の仕事モードになっているので、明日が終わったら考えようと思う。

 ある新年祝賀会に参加してきた。たくさんの日本人たちが集まり、にぎやかにやっていた。僕はこういう席が苦手で、テーブルの人ともなかなか話せない。社交的でないということになるのだろうが、それはそれでかまわないと思っている。話すべきときには話す。それでいいと思っているし、いつもそうしている。
 ゲストミュージシャンによるショウや豪華商品が当たる福引大会、それに企業の人々の名刺交換などする表情や立ち居振る舞いを眺めていると、日本って商業の国なんだと強く感じる。名誉顧問か何かになっている国の代表のひとの話はいつも「わが国の経済は…」で始まる。経済大国というのは、商売の国ということだ。日本人の得意とするところ。それならそれでいい。もっともっと自覚していいことだ。だけど、自分がきょうここにいるのはどう考えても場違い。別のところで生きているのだと思い知らされる。
 こんなところに来るたびに、何ができるのかと考える。この溢れる富の1パーセントでも、貧しい国の子どもたちにわけてあげることができたなら…。きょうたしかに思ったのは、貧困を解消したいということだった。そのためにできることをやっていけたらいいと思った。日本人でしかも金持ちでもなく商売とも縁がない人間にしかできないことがあるかもしれない。

■日記 jueves,20,enero,2005
 おとといほどではないにしても、きょうも一日寒かった。寒い土地で寒い寒い言っていてもしょうがないのだが。いま日本でいちばんの話題といえばやっぱりこれかな。それともこっちかな。あ、違った、こっちかな。もう終わったかな。
 テレビジャパンでは満を持して先週から放送が開始されたのだった。すごいよね。(何が?)
 ところで、この日記の読まれなさ具合ときたらない。とりわけ、日記才人経由のアクセスがほとんどないのは残念だ。いつからかこんなに寂れたサイトになってしまった。来てくれる方々には心から感謝します。よろしかったら今後も毎日来てください。
 どこに原因があるのだろう。第一は内容だ、というのは後回しにして、それ以外に考えられることもいろいろある。例えば、サイト名が悪い。だいたいにして読み難い。それから、日々の一行コメントもよくない。特に、今月は二文字と決めて書いているが、二文字では何も訴えるものがない。興味も関心もわかなければクリックする気は起こらない。さらに、投票ボタンを付けていないのもアクセスを遠ざける理由の一つだろう。なぜなら、投票できないサイトを見るのは、アクセスで自分の経験値を増やそうと考える人にとってはそれほどメリットがないことなのだ、おそらく。
 そして、はじめに戻る。やはり内容。文章に問題があると考えるのが自然だ。地域限定の話題が多く、しかもそれを共有できる人々がいない。文体が常体で書かれているので人を寄せ付けにくい。さらに、書き手の詳しい素性がわからないなど、サイト自体のつくりが親切でない。そんなもろもろが重なって、読みたくないサイトを作ってしまっているのかもしれない。
 なんて、本質的な問題には触れていなかった。文は人なりというように、書き手の人間性が文章に反映される。そう考えると、自分の人間性に問題があってそれが文章に表れているのか、あるいは、自分の文章表現力に問題があって人間性がじゅうぶんに表れていないのかのどちらかになってくる。ここまでくると崖っぷちに立たされている気分だ。
 もし前者だった場合、生まれてこの方三十何年かかって作り上げられてきた自分の人間性を、変えなさいと言われて簡単に変えられるわけがない。この人格が否定されるくらいなら、日記云々どころではない。日記を削除するか自分が死ぬかどちらかを迫られることになる。(ほんとにか?)
 だから、自分の表現力の問題と仮定して、それを高める努力がアクセスアップの近道と考えたほうがよさそうだ。
 いろいろもっともらしく書いたが、せっかく書いているのだからできるだけ多くの人に読まれたいというのが、書き手としての偽らざる願いだ。そのために努力できることはやっていこうと思う。というわけで、2月の日記は雰囲気を大幅に変えてみよう。変わることを自分に課すっていうのは素敵なことだよな。

■大事 miercoles,19,enero,2005
 きょうは朝から雪。車だと道が混むが、公共交通機関だといつもどおりに着くことができる。氷点下ではあるけれど、きのうより20度くらい温度が高い。足元は歩きづらい。けれど、歩くのは気持ちがいい。運動不足もあるか。
 カナダのポール・マーティン首相が訪日中で、小泉首相と会談したことが地元のテレビでは報道されていた。ところが、日本のニュースでは聞くことができなかった。カナダにとっては日本は大事な国の一つだが、日本にとってはどうなんだろう。
 時間ばかりかけてもいいものはできない。むしろいいものは時間のない世界でできる。量より質というけれど、質を高めるのは量を増やすことの何倍もむずかしい。質を高めるにはどうすればいいか。そこがいちばん大事。でも、そこまで話がたどり着かない。

■圧力 martes,18,enero,2005
 朝の気温は−23度、ウインドチル−35度だった。それでも、アパートから外に出ると1分くらいは気持ちよく感じた。そのあとはたまらずすぐ建物の中に戻った。エレベータで会った男性は、「きょうは寒いから地下鉄にするよ」と言っていた。ストリートカーを降りて学校までは2、3分。近くの交差点でエンジンが止まってしまった車を見た。だが、知らないふりをして歩いてきた。へたに関わったらこちらの身がもたないから。さっきの男性の言葉の意味がわかった。
 日中は暖房が効きすぎてむしろ暑く感じた。外は快晴で、一日中美しい青空だった。高層ビルのてっぺんからは、水蒸気がもうもうと上がっているのが見えた。帰りの頃にも、天気がよかったのでまだ明るかった。−15度の通りを歩く。寒いけれど、身が引き締まるような感じで気持ちがいい。
 途中からストリートカーに乗る。前の車両が、駅のちょっと手前で立ち往生しており、中途半端なところで降ろされた。エグリントンのモールを散歩して、フードコートでニンニクの効いたパンと山盛りのサラダを食った。外食中心のほうが自然に野菜がたっぷりとれるかもしれない。HMVでCDを見ていたらいい曲がかかったので聴いていた。そしたら、店員が何か話しかけてきたけれど、聞き取れなかった。それで「この曲は何?」と聞くと、探してきてくれたのでそれを買った。KEANEというグループだった。9ドル99。CDはたくさんあるけれど、選びようがない。それは日本と同じ。そのときかかっている曲を尋ねるのはいい方法だ。

 言葉というのは恐ろしいもので、その字面がどうであれ本当のことが伝わってしまうものである。最近の日本から送られてくるニュース番組は不自然きわまりない。毎日毎日、どうしてこんなにいいわけばかり流すのか。調査結果だろうが、会見だろうが、こんなに聞かされると、ああほんとに圧力があったんだなあ。政治家もやりたいほうだいやってるんだなあ。ということを感じざるを得ない。こんなことで騙されるような国民ではない。
 日本のジャーナリズムも死んでしまった。なんて書くとまたいいかげんなことをと思われてしまうのだが、この日記文化を広げていくことが救いの道ではないか。一人一人が感じたことを、感じたままに書くこと。それを、流行ではなく、書き続けること。それが、正しさにつながっていくのではないか。ごく個人的なことだが、なおかつとても社会的で、世の中の流れを作る動きである。
 日本語の使い手の多くが、自分の思いを自由に文章にし、発表する。そういう文化が根付くとしたら、どこかの不当な圧力に屈することもなくなるだろうし、不本意に事実を捻じ曲げられることもなくなるだろう。そのための仕事をしなければならない。

■休日 lunes,17,enero,2005
 金刀比羅宮の境内のようなところで人々が餅を食っている夢を見た。久々に後味のいい夢だった。割と早くに行動開始。きょうの買い物の目的はティッシュペーパーと即席味噌汁とレタスを買うことだったが、いざ出てみるといろいろなところをはしごして帰ってきた。ラブローズウォルマートLCBOT&T。T&Tには日本食がたくさんある。それらを見ているととても不思議な気持ちになる。懐かしさと楽しさと寂しさが入り混じったような。味噌汁のパック、醤油の小瓶、豆腐一丁、納豆、海苔とここまではいつもの買い物なのだが、きょうはさんざん迷った挙句、「お〜いお茶」と「カルピスウォーター」(合わせて5ドル)を購入した。他にもレトルトのカレー、たらこスパゲッティの元、冷凍の今川焼き、寿司、日式鰻飯など、魅力的な品物がたくさんあったが我慢した。かなり割高とはいえ、誰に遠慮することもないのだし、食べたかったら我慢せず買えばいいことなのに。でも、なんだか試されているような気がして。きっとそうなんだよな。
 昼過ぎの気温は−10度。ウインドチルが−17度。これからどんどん下がって明日には−30度くらいになるらしい。ティモシーのコーヒーを買って飲みながら帰る。
 年が明けてから、どういうわけかケーブルテレビで視られるチャンネルが一挙に多くなった。いろいろなチャンネルがある。アメリカのものが多いのかと思ったらそうでもない。もっとも興味深かったのは、APTN(Aboriginal Peoples Television Network)という局だった。英語やフランス語だけでなく、先住民の言語でも放送されていた。世界はますますわからなくなってきているが、カナダの国内も未だにわからないことだらけだ。

■十年 domingo,16,enero,2005
 阪神・淡路大震災から明日でちょうど10年か。10年前のことは鮮やかに思い出される。直接経験ではないにしても、テレビを通して涙を流し、胸を打たれ、悩み、考え、行動してきたのは事実。でもこれまでを振り返ってみると、思い出せたり、思い出せなかったりの波を繰り返しながら、記憶はだんだん薄れているような気もする。きょう、テレビを視て蘇ってきた感覚も多いけれど、わからなくなっている感覚もある。以前には強く感じていた気持ちが弱くなってしまっている自分。違うところを見ている自分。大事なことを見失っているかもしれない自分。忘れてしまっているかもしれない自分。自分がいちばんよくわかっていない。なんだかわからない。
 何を学んできたのか。何をしなければならないのか。何をするために生かされているのか。その意味を問うていかなければならない。一人一人の思いを積み重ねて、透明なモニュメントを築いていく。それが残された我々の務めではないか。

■比較 sabado,15,enero,2005
 カナダのテレビとアメリカのテレビを比べてみると、アメリカのほうが聞き取りやすい感じがする。これはいったい。以前聞いていた話によると、アメリカ英語は単語が繋がっていて聞き取りにくく、イギリス英語は単語が一つ一つ区切って発音されるから聞き取りやすいということだった。カナダはイギリス英語の流れを汲んでいるから、発音もイギリスに近いのだという先入観をもっていた。
 ところが、CNNMSNBCをみていてCBCCityTvにチャンネルを変えると、しばらく頭が混乱して、耳を切り替えるまでに時間がかかることがある。しばらく前に、永住の方から「アメリカ英語のほうが聞きやすい」という話を聞いたことがあって、そのときにはほんとかなと疑っていたのだが、それがなんとなくわかるような気もする。他の人はどう感じているだろう。
 ところで、カナダのケーブルテレビにはアメリカの放送が入るが、アメリカのテレビでカナダの放送は視られるのだろうか。ニューヨークのホテルでは残念ながら視られなかった。もし視られないとしたら、一方的な文化の流入ということになるのだろうか。カナダの放送を視たいという人もいないのかもしれない。
 アメリカのテレビを視て興味深かったのはコマーシャルだった。こちらで視るアメリカの番組では、アメリカのコマーシャルがそのまま入ることもあるが、カナダのものに差し替えられることも多いようだ。コマーシャルを比較してみると、両国のリズムやスピードの違いをなんとなく感じる。のほほんとして、ゆったりした感じがカナダ。思わずぷーっと噴き出してしまうようなほのぼのギャグも意外と多い。日本のコマーシャルと比べるとつまらないという声を聞くけど、僕はけっこう好きだ。
 日本では考えられないことだけど、テレビに表示される時刻が放送局によって異なっていたりする。つまり、正確な時刻が表示されていないのである。NHKのように、全画面に時計が映し出されて時報が鳴ることもない。7時からの番組を録画予約して再生してみると、いつも番組の途中からの録画になっている。変だなと思ったら、番組の開始時刻自体が正確な時間とずれていた、そんなこともある。

■理由 viernes,14,enero,2005
 このごろ夢ばかり見て、夜中に2度3度目を覚ます。悩むほどのことがあるわけではないけれど、頭の中では思考があれこれ巡っていて、まあそのために、翌日はまたいつもどおりに家を出られるのだろうけど。
 一人一人の思惑があって、調整を図らなければいけない。午後の会議がのびて、気がつくと3時間くらい話し合いが続いていた。多くの人の考えにそれほどの差異はなく、話すことで距離がどんどん縮んでいく感覚がある。今できることに最大限力を尽くす。皆同じで、あとは推進していくだけ。
 その中で自分は、先見的な発想があるわけではなく、経営的な視点をもつわけでもない。ましてや自ら流れを決められるわけはなく、流れに乗って事を進めるのが精一杯の日々。なんだか、触媒みたいなものだ。影響力は微々たるもので、いてもいなくても、目指すべき方向に流れていくだろう。だが、その微々たるところが自分の存在価値であり、ここにいる理由である。

■戯言 jueves,13,enero,2005
 きょうの日中は18度まで上がったようである。昨日つるつるだった道路はすっかり解けて、今は雨が降っている。まるで5月くらいの陽気ではないか。ところがこれから気温は急激に下がり、明日には雪が積もるという。今週末は、氷点下10度以下になるそうだ。上がり下がりの差があまりに激しすぎる。

 マッキントッシュはすごい。新製品の広告を見て驚いてばかり。iPodの新しいのを思わず注文してしまった。まったくマックの創造力はたいしたものである。今でこそウインドウズを使っているが、これは仕事上止むを得ない代替措置であって、不満は多い。
 音楽がやりたくて内的にはエネルギーが充満しているのだが、パソコンとキーボードとの接続がうまくいかなくていらいらしている。たまにうまくつながるときもあるので、機械どうしの相性などの類の問題ではないだろうか。いいかげんいくらやってもだめだと、このうすらパソコンをパンチして壊したくなってしまうのである。帰国したら絶対にマックの最新モデルを買おう。マックだからといってうまくいくかどうかはわからないけれど。

 今テレビで“CANADA FOR ASIA”という津波の被災者支援のための番組が放送されている。CBCはカナダ国営放送局というから、昨日書いた民間主導というのはちょっと根拠が怪しい。だけど、お金を集めることはとても重要。こういう取り組み自体はいいことだと思う。遥か北米大陸でこうなんだから、アジアの雄日本では、新潟の地震と重なってさぞ支援の雰囲気が盛り上がっていることだろう。
 だけど、これだけではとても足りない。今回のスマトラ沖地震と津波では200万人の難民が出るという。その中の多くは身寄りを失った子どもたちだ。その子どもたちを救うにはどうすればいいのか。200万人の食料やら医療やら住居やら教育やらを、各国からの援助隊だけでカバーできるとは思えない。物も金も人も、送るだけではどうしたって限界がある。
 それで、あれこれ考えていたら、各国が難民を受け入れるべきではないかという考えが強くなってきた。きっと今後多くの国が難民を受け入れることになるだろう。それぞれ国の事情はあるだろうけれど、これだけの事態を前にして甘いことは言っていられない。アジアの一員としてその国力にみあった貢献というのは、こういうことではないか。たとえば、親を失った子どもを全国の各自治体で受け入れるようにする。ホームステイ先あるいは里親を大々的に募集する。山村留学などの制度があるが、それよりもはるかに多い子どもたちを日本各地で受け入れる。日本中の小学校が国際学級になる。子どもたちは日本の学校に一年も通えば日本語はじゅうぶん話せるようになる。将来的には本人が希望すれば日本への帰化も認めていく。
 実際にやるとなるとたいへんだ。反発も大いに予想される。だが、緊急事態である。被災者を救う方法がほかに見つからないとしたらどうだろうか。もし本気で推し進めるのであれば、これは素晴らしいことの始まりである。日本が国を外に開くチャンスになる。世界が日本を見る目は変わるだろうし、日本の国益にもつながるし、なにより被災した子どもたちの将来への希望も開ける。さまざまな問題が起こることは想定できるが、汗を流さなければならないのはどこの国も同じ。日本だけ避けては通れない。これを乗り越えてこそほんとうに国際社会の一員となれるのだ。

■暖冬 miercoles,12,enero,2005
 フリージングレインの警報が、去年と比べてずいぶん多い。気温が0度前後のときが危ないらしい。いつもの冬に比べると気温が高いということだろう。今朝は道に氷の膜が張ったようになって、まるでスケートリンクだった。
 アジアを救えというコンサートがカナダでもアメリカでも行われるらしい。この支援の盛り上がりはかなりのもの。ほとんど民間主導でやっていることがすごい。津波が多くの人命と引き換えに教えてくれようとしていることに、どれだけ気づけるか。ピンチはチャンスと解釈できるか。たとえば、日本を含めた先進国は、難民を受け入れる準備を急いだほうがいいのではないか。

■感情 martes,11,enero,2005
 CanStageの“The Glass Menagerie”という芝居を観る。BerkeleyTheatreはレンガ造りの建物を改造した劇場だった。舞台はほの暗い電気や蝋燭の照明だけで、幻想的な雰囲気に包まれていた。その最前列に座って、人物の表情の変化や涙が少しずつ湧き出てくるようなところまでみた。言葉は理解できなくても、感情が直接伝わってくる。喜怒哀楽は変わらないのだとあらためて思った。役者たちの心のこもった演技。主人公のローラがどんどん愛くるしくなっていった。途中、このままハッピーエンドで終わってくれればどんなにかいいだろうと思った。だが、重く大きな塊が残るような終わり方になった。
 言葉への不安があり、芝居からはしばらく遠ざかっていた。だけど、思い切って行ってよかった。舞台は言葉だけではない。むしろそれ以外のしめる割合のほうがずっと大きいのだ。いつまでも記憶の深いところに残りそうだ。

■配慮 lunes,10,enero,2005
 暖かい日が続く。寒の時期にこんなんでいいのか。温暖化はやっぱり進んでいるのだ。ずっとこの先も同じように続いていくなんて、なんとなく思っていた。けれどそれは幻想ではないか。千年先なんて人類がいるかどうかもわからない。百年先もわからない。10年先には自分が生きているかどうか。悲観するのではなくて、この先の1年とか5年とかをもっとよく考えたほうがいいかもしれない。

 上の階の人が替わったのか、えらく大きな音で音楽が響いてくることが多くなった。ダンスパーティでもしているのかと思うほどだ。ちょっと迷惑。これは同じ階の人は相当迷惑だろうなあ。なんてことから、繰り返しを含めて暮らしの中で思うこといくつか。
 ダストシュートにゴミを捨てるときは、必ずといっていいほど前の人のゴミ袋が途中に引っかかっている。きょうもそうだった。しかも、床にビールの段ボール箱が転がっている。ダンボールや燃えないゴミは1階に持って行くことになっているのだが、それを守ろうとしない人間がいるのだ。後から使う人がどういう思いをするかなんて、考えないのだろうな。
 エレベータに後から乗る人のために、先に乗っていた人たちがスペースを空けてくれるのは当然と思っている。しかし、現実はそうでもない。「少しは空けてくれてもいいんじゃない??」と思うこともしばしば。こんなときにも「失礼!」といって、こちらからお願いしなければならないなんて。ほんとに周囲への気遣いがない人間って多い。少しは気づけよって言いたくなる。
 車に乗って、信号待ちしているとする。青になってから先頭の車が動き出すまでの時間がかかりすぎ。大きな交差点の左折車線では、青信号が点滅し優先して曲がれるところが多いのだが、信号が変わったのに前の車がなかなか動き出さないといらいらする。これもこちらのペースなのだろう。たしかに、交通ルールを守らない人が多いので、青信号も信用できないという状況はあるけれど。自分のように気の長いと思っていた人間も、住む場所が変わればせっかちな部類に入ってしまうのか。
 エレベータの例は、後から乗る人が乗りやすいようにと配慮してくれるかどうかだと思う。青信号も、もし自分が先頭のときには、できるだけ多くの車が曲がれるようにと考えて、早く出ようとするだろう。早く曲がりたい心理は、単にせっかちということではなく、他人への心配りの一つの形ともとれるのではないか。
 あえて日本人とは言わないけれど、自分の育ってきた環境には他人を気遣う繊細な感覚があったのではないかと思う。じゅうぶんとはいえなくても、比較してみれば強く感じることだ。そういう気持ちは大事にしたいものだ。

■成人 domingo,9,enero,2004
 きょうはタマゴかけご飯を食べた。ご飯に味噌汁にキムチ。おかわりして納豆。うまかった。飼料にいろいろ入っているから生卵は食べないほうがいいと言われていたので今までは食べなかった。だが、完全な自然卵養鶏を行っている同僚のA氏から、きのう1ダース3ドルで頒けてもらったのだ。

 服喪と追悼は意味が違うか。どちらにせよいま生きている人がいちばん大事。残された者がどう生きるか。
 元服と成人は意味が違うか。日本のカレンダーがもう全然わからない。明日が成人の日で3連休になるのか。成人の日で大人になるなんて夢にも考えたことはなかった。ただ、考えていることは十代の頃となんら変わらないし、その頃に芽生えた夢の延長線上を歩いていることは同じだ。
 夢に向かって前進していることは大人の条件の一つではないか。はたして今の自分が前に進んでいるのかどうかは大いに疑わしいが。夢のない人間は、大人でもなんでもない。少なくとも、子どもの前に立つ資格はない。夢を育むのは十代の頃。自分には夢がないと思う人は自分が見えていないのだろう。立ち止まって自分を見つめ直すことが必要かもしれない。
 二十歳の頃なんて、自分の夢も何も考えたことはなかった。三十代も半ばになって、ようやく十代の自分を振り返られるようになってきた。そしたら、自分もちゃんと夢を育んでいたことがわかった。まわりの人たちは種を撒いてくれていたし、ずっと支えていてくれていた。この年になってでも、それに気づけたのはとてもありがたいことだった。

■服喪 sabado,8,enero,2005
 きょうカナダは“national day of mourning”で、犠牲者への追悼の一日だった。学校でも正午から黙祷をした。援助の波が広がっている。できることをしようという気持ちの連鎖が、大きな流れを生み出していることはたしか。
 戦争をやめてそこにかける力を復興に振り向けたらどんなにいいだろう。人々の意識がそちらに向くようになればいい。嫌なことだが、想像を絶する災害がこれからも続くだろう。それに立ち向かうには、戦争なんかしている場合ではなくなる。人類を救うか、大国の面子を守るか。無駄が本質だとすると、究極の無駄は軍事費で、自滅するのが人類の本質ということになるのだろうか。

■意味 viernes,7,enero,2005
 年が明けたのにまだ12月のような気がして、これからまた正月が来るかなんて。日本に帰っていた同僚達の話を聞いても、それほど遠い気がしなくて、懐かしいと思うほどにはまだ離れてもいないのだと。帰りに寄ったスーパーマーケット。すれ違う人々の話し声が、日本語に聞こえてくる。果物売り場の若い夫婦。お菓子売り場の親子連れ。意味はわからないが、意味がわかるかわからないかはあまり意味がない。その場から伝わる気は、言葉にも民族にも左右されない。人間は意味の中で暮らしているわけではないんだなとか。

■平穏 jueves,6,enero,2005
 朝から雪が降り続く。冬の嵐の警報が出て、西ではスクールバスも止まったらしい。車の窓が凍りついて、昔の校舎のガラス窓のように景色が歪んでみえた。木曜日の会議が延びて、昼食を食べ終わったら2時半だった。以前は無駄と排除していたような事柄ばかりに、時間を費やすことが多い。否応なしに価値観の転換。無駄にみえることこそ本質だったりする。
 新年に合わせてというわけではなかったが、仕事場の机周りを大幅に模様替えした。誰が始めたか、誰か部屋に入っても自分の所在をすぐには確認できないような、閉鎖的な配置だった。四方を壁に囲まれた居心地のよさはわかる。秘密基地という言葉は大人の心にも甘く響く。だが、それがとても嫌だった。仕事場にそれは全く不要。
 サイトを見やすくしたつもりが、出てくるまでに時間がかかるようになってしまったようで。でも、時計も天気も欲しいのです。日本とは違う土地で暮らしている。そのことがもたらす誤解も疑念も怒りも呆れも、皆糧になると思うから。たとえこれまでの人間関係を葬ってさえも、力になると思うから。そうして、いずれ空は晴れると信じている。過去日記はイーハトーヴの中にあります。過去は旧き佳き日でもあり、恨めしき悪しき日でもある。その上にきょうの自分があって、一人抜かしても一日除いてもここにはたどり着けなかった。感謝の気持ちは簡単には表現できなくて、日々の泡沫の言葉では不可能。言葉に生命と同じだけの価値をもたせるには、死ぬまで書かなければならない。毎日書く。嵐の日もあり、凪の日もあり。これからも偽らずに書いていきます。

■肝炎 miercoles,5,enero,2005
 喉の痛みが激しくなり、鼻詰まりで呼吸も困難に。まわりが優しい顔をするのは、ほんとうは呆れ果てているのではなかろうか。そんなマイナスの気持ちで夜を迎える。思ったことを思ったままに書くなんて、人を傷つけてばかりではないか。自分のことしか頭にないのではないか。これに酒が入ったら、どうにかなってしまうかもしれない。テレビがやけにうるさい。それはスイッチを切れば済むこと。なんか顔がすごくむくんでいる。いずれちゃんと治療しなければならない。

■仕事 martes,4,enero,2005
 仕事始め。一気に仕事の頭に戻される。いろいろなことを考えると、重苦しい感じがする。これまでの日記を少し読み返す。何か月たったわけでもないのに、今までの自分がずいぶんふざけたことを書いていたように見える。これが傍からみたら、社会的に問題のある人間にしか見えないのではないだろうか。あっという間に一日が終わり。夕方から寒くなってきた。少し喉が痛い。最低の気持ちで布団に入る。2時間も眠れないうちに目が覚める。朝かと思うとまだ午前1時。眠りの浅い夜。

■失望 lunes,3,enero,2005
 「スマトラ沖大地震及びインド洋津波被害に関する総理コメント」を読んで、驚いた。というより、がっかりというか、やっぱりというか、なんだか失望した。同じアジアの国として責任に見合った最大限の支援をすることには賛成だ。また、その内容も、5億ドルという金額が少ないとは思わないし、これからのシステム開発や人的貢献に言及していることも評価できると思う。それに、総理の対応も特別遅いとは思わない。だけど、このコメントは所詮は外向けのアピールであって、内外の犠牲者に向けた内容がひとつも見られなかったことに、さびしさにも似た感情を覚える。
 外務省からのリンクだから、総理の発言すべてを掲載したものとは限らないし、コメントとしてわざわざ載せる必要もないくらい当然のことかもしれない。そこでいうのも見当違いかもしれないけれど、援助について語る前に、被害に遭った人々やその家族に対してかける言葉はなかったのだろうか。安否が未確認の人たちの家族や関係者へも呼びかけるべきことはなかったのだろうか。

■夢見 domingo,2,enero,2005
 朝から窓の外は真っ白にけむり、雨が降っていた。気温は高く、雪もだいぶ解けてなくなった。
 きょうは一日中眠くて、目を閉じるとすぐに夢を見た。いつものことだが、この旅の4日間でかなりの距離を歩いた。地下鉄やバスも駆使したが、とにかく歩いている時間が長かった。だいたいハーフ・マラソンくらいにはなったのではないか。その疲れが出たのだろうが、それだけではなかった。昨夜も早く寝たのだけれど、それでもまだ寝たりない。旅の体験は眠りを通して自分のものになっていく。見る夢はきまって、旅先の場面だった。ふと、もう自分は自宅に帰ってきていたのだと気づいたりした。不思議なことに、同じ英語圏でありながら、自分の住む街では意思疎通が円滑にできるような気がした。以前よりもさらに、この街を温かいイメージでとらえるようになっているのを感じた。

■元日 sabado,1,enero,2005
 新しい年が明けた。
 旅から帰り、実家への電話で母方の祖母が亡くなったことを知った。ほんとうに、大往生だった。
 これまでのことを振り返りながら、悲しい気持ちと、それを素直に受け止める気持ちを抱いていた。
 親戚や家族には、このたいへんなときに帰ることもできず、何もすることができないことをたいへん申し訳なく思う。
 小さい頃枕元で歌ってくれた汽車ぽっぽのうたを思い出す。自分は祖母から多くのことを教わってきた。三つ子の魂百までというけれど、三歳くらいまでは日中祖母に預けられて育った。だから、言葉になることならないことを含めて、祖母の生き方が自分に与えた影響は大きいはずなのだ。自分が自分らしさを大事にして生きていくことが、祖母への恩に報いることではないかと思う。