2005年 2月
■靴と犯罪と1ドルのラジオ。 lunes,28,febrero,2005 
 雪が解けたら履く靴を買いに行った。前の靴は手入れをすればずっともつと言われて、その道具をいっしょに買ったにも関わらず何もしなかったため、二年でぼろぼろになった。しかし、外側の皮の部分はそれほど傷んでおらず、むしろ内側の靴底の布がぼろぼろになって履き心地が悪くなった。気に入っていたので、また同じものを買った。今度はちゃんと手入れをしてもっと長くもたせよう。それから、できればあと何足か買って、代わるがわる履くようにしよう。

 何年か前に麻薬でつかまった歌手がテレビに出て歌っている。たいそうご立派な意味の歌詞だが、法律は守らなくてはいけない。法的に罪を償えばすっかり元に戻れるのかな。すべては赦されるのかな。こんなふうに当たり前にテレビに出てこれるというのは、犯罪者に甘いんじゃないかと思ったりするのは厳しすぎるか。
 誰だか知らないけれど、番組で窃盗の体験を面白おかしく話して謹慎になった若い芸能人がいるという。放送されて問題になる前にどうして防げなかったのか疑問。そんなものを黙って放送させてしまうような人間たちがテレビ番組をつくっているということか。

 全商品1ドルの店を見たら、FMラジオがあったので思わず買ってしまった。ステレオではないけれど、かなり実用的なレベル。音楽を聴きながらの散歩はしないが、ニュースを聞きながらの散歩だったら悪くないかもしれない。聞き取りの勉強にもなるし。
 2月もきょうで終わり。いろいろやってみたいことがある。仕事は仕事だけれど、それ以外にもたくさん。こうしてはおられない。

■“HOTEL RWANDA” domingo,27,febrero,2005
 午後からエグリントンの本屋へ。雑誌と小説と辞書を買った。レジの人は本を入れた袋をポンと投げてよこした。まるで読めないくせにこんなの買うなとでも言っているように思えて、腹が立つやら悔しいやら。その後CD屋でCDを買った。そこでもレジの人は目も見ずに袋をよこした。なんだかばかにされた気分。
 店員との短いやりとりがとてもうれしいときもあれば、きょうのようなときもある。人にもよるだろうし、そのときの自分の心理状態にもよるだろう。帰りはスーパーで少し食材を買った。
 
 アカデミー賞の授賞式が行われた。去年はいろいろと感激してみていたのだが、きょうはなんだかあまり見たくもなかった。録画をしたので、後で見たくなったら見よう。
 “HOTEL RWANDA”を観てきた。娯楽映画ではない。考えるための映画だ。1994年、アフリカのルワンダで行われた部族間の内戦、そして大量虐殺。ホテルのマネージャーをしているポールはホテルに1200名以上の人々を部族関係なしに保護する。公然と賄賂を求める警察。あまりに少数で力の弱い国連。無差別に殺戮される市民。明日をも知れぬ命。家族愛や生き生きとした子どもたちの姿を織り交ぜながらも、平和への途方もない道のりを思わせられる。この映画を通して、アフリカの現実を想像することができる。それにしても、こんなこと少しも知らなかった。知らないということは自分が思っている以上にたいへんな罪かもしれぬ。これはぜひ薦めたい。

■土曜深夜、ぐだぐだ。 sabado,26,febrero,2005
 きのうと同じように、知らない間に眠っていて目覚めると3時。きっとこのまま朝になる。見ようと思っていた番組もあったのに。缶ビール2つで酩酊状態だった。今も少し頭が痛い。

 意味を伝えるのは難しい。気分やら感情やらを伝えることもまた難しい。一方的に伝えるだけなんてありえない。相手があっての自分。難しいことだらけ。そう感じるのはいいことだろうか。簡単にできると思っている人がいて、実際簡単にできる人もいる。でも、自分では簡単と思っても、相手にしてみれば、話が伝わらないなあ、この人何言っているのかなあ、と思われている人がいるかもしれない。難しく考える必要はないという人もいる。シンプルなのがいちばんいい。でも、簡単と単純とは違う。一見難しく見えることでも、よく考えると単純なことだとわかることもある。簡単なことだと思って軽く受け流すよりは、困難だと思っても深く吟味するほうがいい。思考を止めてしまうのはいけない。
 ミスをする。あるいはどうしてもうまくいかないことがある。そんなとき、あまり落ち込んだりするのはよくないという。でも、あえて自ら自分を谷底に突き落とすことが必要だと思うときがある。今はそれほど落ち込むことなどないのだ。それはけしてなんでもうまくいっているというわけではない。自分を落とす人がほかにいないとしたら、自ら落ちるしかないということだ。ぬるま湯に浸かっているような状態では進歩しない。
 何度でも落ちて何度でも這い上がる。這い上がれなければそれは弱かったということで、そんな個体に未来はないのである。ほんとうに強い人たちが生き残っていけばいい。すべての子どもたちを強い人間に育てなければならない。…なんだか言っていることとやっていることが違う。こんなことを思うのは自分が弱いからなんだろうな。

■金曜深夜、NIGHT TRAIN HOME。 viernes,25,febrero,2005
 午後から降り出した雪。季節は一気に逆戻り。帰りの車に積もった雪が早くも凍りついていた。金曜日の交通渋滞。スーパーの惣菜屋でパスタと鶏肉のフライを買って夕食。ニュースなんか毎日録画して、後でなにか役に立つだろうか。21時を過ぎて急激に睡魔に襲われ、気がつくと夜中の2時。窓の外は雪明りでオレンジ色に輝いている。明朝のことを考えると、胃のあたりがおかしくなってくる。

 いろんな合併が行われているようで。中央アルプス市、南セントレア市、さくらの名所でさくら市、みどりが多いからみどり市。あっぷる市だって、呆れるね。本気で提案したり決めたりしている人たちはバカだ。こういうのを「文化程度が低い」というのだ。日本全国の自治体の議員さんたちにはそういうバカがいっぱいいるということだ。日本はバカ博覧会の会場になってしまったのか。恥ずかしい。これをバカと思わないとしたらバカだよ。あまりバカバカいうのはよくないが、それほどのバカ状況であることは間違いない。あるいはそう感じてしまうのは自分の感覚がずれてきている証拠だろうか。
 ひじょうに残念なことながら、わが岩手にもそういうバカ名称の自治体ができそうだ。奥州市なんて…。あんまりだ。故郷は遠くなりにけり。

 矢野顕子のアルバム「ホントのきもち」の“night train home”ばかり繰り返して聴いている。ピアノではないバージョン。日本語を理解できない人たちは、この曲をどう聴くのだろう。

■30000キロ、爽快。 jueves,24,febrero,2005
 車で出勤。帰り道、100キロくらいの遠回り。走行距離30000キロを突破。21か月でというのはそれほど早いペースではないだろう。
 エイジャックス、オシャワ、ウィットビー、ピッカリング。道は乾いていたので走りやすかった。冬場しばらく飛ばすことができなかったので爽快だった。休みの日の遠出もそろそろできるかも。

■バスとカレー、そして英語の文化。  miercoles,23,febrero,2005
 帰りはストリートカーがなかなか来なくて、駅で待っていたら替わりにバスが来た。たまに、バスのときがあると、ちょっとがっかりくる。ストリートカーのほうが座席が座りやすくてよい。バスだと狭い。 
 いつもとは逆方向の地下鉄に乗って3駅目。地下道をどんどん歩いて、そこで夕食を食べる。日本でよく食べるようなカレーライスだった。
 本屋に寄ったら、店の一角にステージができていて4,50人座れそうな椅子が用意されていた。7時から朗読会があるというので、それまでぶらぶらと立ち読み、ではなく、本の美しい装丁などを眺めて待つ。ステージには中年の女性たちが6、7名座っていた。そのうちの初めの2人の朗読を聴いた。英語の響きは美しい。言葉の輪郭はかなり聞き取ることができるのだが、意味はなんとなくしかわからない。
 こんなに多くの英語文化を少しも共有できない悲しみは大きい。しかし、悲しんでばかりいる必要はない。理解できるように、自分も加われるように、努力すればいいだけの話である、とも言われそうだ。

■もの忘れと。  martes,22,febrero,2005
 もの忘れが激しいというほどではないにしても、道の途中などで思い浮かんだことをすっかり忘れてしまうようになった。もっといいアイディアがずっと頭に残っていたものだが。なるほどメモが大事になってくるというわけか。メモ帳とペンはどう持とうとしてもかさばってしまうのが嫌いだ。
 カナダはアメリカのミサイルによる国土防衛案をきっぱりと拒否したらしい。NOといえるカナダ。
 料理番組で魚をさばいているところを見ていたら気持ち悪くなった。弱い。
 はあ、もっとおもしろいことを考えていたはずなのに出てこない。そう思うのは、ほんとうはおもしろいことなど考えていないというのと同じことだ。

■馬鹿。そして朗読など。 lunes,21,febrero,2005 
 夜通し雪が降り続いたようで、外がまた真っ白になっていた。きょうは車のステッカーの更新をしようと思った。今までやり方がよくわからないまま過ぎてしまっていたのだがいいかげんやらないわけにはいかないまたいつ停められるかと思うと怖くて乗れない。
 保険の証書とキロ数を確認し、隣駅のモールにあるサービス・オンタリオ・キオスクへ。州のサイトには、期限を過ぎてしまったら事務所まで行かなければできないと書かれていた。ダメでもともと。できたらめっけもん。そう思ってためしにやってみた。そしたらどうだろう。いとも簡単に更新が行われ、クレジットカードで支払いを済ませることができ、しかも、その場で新しいステッカーが交付された。
 出かけて30分後には、新しいステッカーを車に貼ることができたのだ。この2年間自分は何をやっていたのか。少しやってみればすぐわかることを、どうして先延ばしに先延ばしにして、罰金まで払わされて、それからようやく気がつくなんて。馬鹿だったわい。

 夜に向田邦子の「思い出トランプ」というドラマが放送されていた。ある女優の朗読とドラマが折り重なって展開される。1984年放送というから21年前か。印象としてはもっと大昔の感じ。その朗読が明らかに現代の日本語とは異なっている。これが正しい日本語の響きだったのか。しかし、聞いていたらどういうわけか気持ち悪くなってきた。気持ちが悪い。吐き気がする。なんでこんなに気持ち悪いんだろう。感情がまったく伝わってこない。声に表情がなさすぎる。そして、たんたかたんたかと速過ぎる。まるで機関銃のように言葉が矢継ぎ早に繰り出される。向田邦子の作品はたしかに淡々と綴られてはいる。文庫本の小さめの活字のように、一見読みづらく思うあの感じ。それに通じる聞きにくさだろうか。
 杉浦直樹が共演していた。彼の台詞にはあまり違和感はない。「あ・うん」 「阿修羅のごとく」 「父の詫び状」など、意外と好きだったんだよな。しかし、彼女の言葉は、ドラマの台詞の中でも気持ち悪く響いている。これはいったい。はっきり言って、あんな読み方は絶対にしたくないと思った。

 ところがである。次に始まったニュース解説番組で。女性キャスターのしゃべるのを聞いていたら、またしても気持ち悪くなってきた。なんだそりゃ? どういうこと。日本語の響きに違和感?? それはまずいって。もしや、単に体調が悪いのかな。そうかもしれぬ。もう寝よう。

■“CONSTANTINE” domingo20,febrero,2005
 おととい封切られたばかりのキアヌ・リーブスの最新作。彼は生まれこそレバノンだが、少年期のほとんどをトロントで過ごし、ホッケーをし、芝居を学んだのだそうだ。サイトによってトロント出身とあったりベイルート出身とあったり。彼が画面に出ると喜ぶカナディアンは多いようだ。
 ところで、カナダ出身というと、夜のニュースで取り上げられていたのは、NBAのオールスターゲーム。フェニックス・サンズのスティーブ・ナッシュ選手は、ブリティッシュ・コロンビア州の出身で、現在アシスト・ランキングでは堂々1位の座についている。
 前回映画を観たのは9月以来だから、半年近く映画館から遠ざかっていた。これまでもそんな感じで、観始めると続けて観たくなり、観なくなるとずっと観なかったりの繰り返しで。日本でもDVDで観れるかなんて思ったら、気分が急に萎えてしまっていたのだ。このままだとまたきょうも一歩も外に出ない一日になってしまう。そう思って出かけた22時30分。フェイマスプレイヤーズ系のチケットは、オンタリオ州に限り3ドルも値下がりし、税金なしの9ドル95セント。史上最大の観客動員数とはいえ映画業界も苦戦しているらしい。
 キアヌ・リーブスはエクソシストといったような役柄だが、マトリクスの格好と似ていてイメージが重なる。悪魔が出てきたり、グロテスクな映像があったり。でも、怖くもなく気味悪くもなく、どちらかというと全体的にギャグなのだ。話のわりにさらっとして、ときどき笑いが漏れるという感じ。嫌いではないが。実はこれ、禁煙しようというのがテーマかもしれない。

■生まれ変わる。 sabado,19,febrero,2005
 35回目の土曜日を終える。緩慢ながらもやるべきことを終えて。ゴミとなるものとそうでないものを選り分ける。抱えている荷物を一つ一つ整理する。あまりに物がありすぎると、身動きが取れなくなる。取って置くのは大事なものだけにして、後は潔く捨ててしまおう。などとすっきりした気持ちで帰路に就く。

 1年目は慣れるので精一杯。2年目は自分で進められるようになる…。そんなの大嘘だ。あるいは、信じてはいけない言葉。1年目は1年目でやるべきことを必死に見つけてはやり切り、2年目は2年目で前には見えなかった領域でもがくもがく。毎年新しい自分。毎日が新しい自分。それに対峙する新しい人々。新しい人々に毎日向き合いながら、互いの関係が変わっていく。日常の生活が形作られていく。
 前の年と同じにいくことなどあり得ない。できると思ったらそれは目の前の人たちを粗末に扱うことなのだ。新しくなることはけして量の蓄積ではなく、異なった次元に生まれ変わること。自分自身を谷底に突き落とすこと。さて自分はいまどこにいる。

 思えば次々と人が入れ替わり立ち代わり。まるで代謝を繰り返すようにして組織は新しくなり続け。そうしながら、角質のように硬化した古い切片が、性質悪くこびりついているのを見。ひび割れたその塊りは叩いても何しても壊れることはなく、ある一撃によって弾け飛んでどこかに消え。腐臭を放つ前に姿をくらます彼らは、残された者たちを結果的には安堵させ。
 皮膚でも毛髪でも爪でもなく。骨でも肉の塊りでもなく。吐き出される空気でもなく、零れ落ちる涙でもなく。年老いる足腰でも、薄れていく記憶でもなく。鈍っていく思考でもなく、壊れていく表情でもなく。
 ほんとうに変わらないもの。ほんとうに伝えられていくもの。

■“PAT METHENY GROUP−The Way Up World Tour 2005” viernes,18,febrero,2005
 The Hummingbird Centre For The Performing Arts。二日連続のハミングバードセンター。翌日の準備を終えて向かったものの、金曜日の夜というのはさすがに眠かった。だけど、パット・メセニーのコンサート。一生に一度の機会だろうと思い、出かけた。
 午後8時、ジャズ専門放送局のアナウンサーがステージに登場。少々お待ちくださいというアナウンス。そして10分くらい遅れてパット・メセニー登場。いきなりすごい熱気。現れるだけで立って祝福する人たちも。アコースティックのギター演奏の間に、客席後方からメンバーが歩いて登壇。新しいアルバムは聴いていないけれど、どの曲からも同じ個性が伝わってくる。ドラムの細やかな刻みが見事。パットはギターを忙しそうにとっかえひっかえして弾いていた。すごいの一言。長い曲を3曲くらいやったところですでに会場全員スタンディングオベーション。ただ者ではない。目をつぶるといろいろと短い夢が出てきたり。しかし、演奏の迫力に魅せられ時を忘れた。
 華美なセットなどなく、超一流の演奏家たちが最高のパフォーマンスを聴かせるのみ。バックには何なのかわからないくらいの少し暗めで抽象的な映像が展開されていたが、あとでサイトをみて、この絵かというのがわかった。客にはパットのギターに合わせて首を激しく振っている人もいた。演奏が終わると全ての人々が立って拍手した。アンコールまで含めるといつの間にか10時40分。終了後は、移動しながら口笛を吹いている人が多かった。
 
■“SOWETO GOSPEL CHOIR” jueves,17,febrero,2005
 The Hummingbird Centre For The Performing Arts。南アフリカのグループの公演。鮮やかな民族衣装をまとったメンバーは全部で26名。その中に太鼓を叩く人が2名。人によって服の色が違う。とても美しいし、かっこいい。アフリカ人としての誇りがそこに感じられた。
 休憩を挟んで全部で27、8曲の演奏。コーラス、ソロの歌、踊りながらなど、多様な演出で聞く者を飽きさせない工夫が感じられた。後半では、コンダクターが滑稽な踊りを見せて、大いに受けていた。
 多くはアフリカの言葉だったが、中にはなじみの英語の歌もあった。前半の終わりの方では「アメイジング・グレイス」を歌った。こちらの人はほんとにこの歌が好きなようで、前奏でそれだとわかると、“YES!”などと叫ぶ客がたくさんいた。
 2月は黒人歴史月間といって、黒人の歴史を学ぼうという月らしい。学校でもそういうポスターがたくさん貼られているし、考えてみれば先日のミュージカルも黒人に関するものだったし、毎年この時期には黒人文化にちなんだイベントが行われているようだ。
 カナダに来て日本にいるときより世界を身近に感じている。アフリカにも近いと感じているし、南米もそうだし、ヨーロッパもそうだし、アジアもそうだ。この感じを体験できるというのは、ほんとうにありがたいことだ。これをどうにかして多くの人に還元することが、自分の使命でもある。
 会場への入り口では、アフリカに関する本が売られていた。アフリカ系カナダ人の歴史についての本などがあった。また、旅行会社のパンフレットも配られていた。
 アンコールの前には、南アフリカ共和国の国歌を歌った。会場の全員が起立した。曲間の話にはネルソン・マンデラの名前が聞かれたし、民主化して10年ということが何度も繰り返して話された。そのたび会場からは熱い拍手が送られた。
 アフリカにも行ってみたい。けれど、学ばなければいけないのは、貧困とどうたたかっていくかということ。おそらくステージに立っていた若い歌手たちは、南アフリカの人々の中でも専門的に学習する機会に恵まれた人々に違いない。アフリカ行きツアーのパンフレットには、息を呑むほど美しい写真がいくつも掲載されていたが、実際に行ったら美しくない部分ばかり目に付くかもしれないと、そんなことを思った。
 
■いま感じていること。 miercoles,16,febrero,2005
  一日一日の貴重さをわかっていながら、後から思うと無為に過ごしてしまったことを悔やんだり。やらなければならないことが机の片隅に積み重なって埋もれていく。下のほうの封筒を取って中を見ると、期限の迫った請求書。どうして今まで黙っていたかと不思議に思う。もう少しなんとかならないものか。もう2月も後半。同じように、埋もれていく言葉。埋もれていく感情。気がつくともどかしさばかり。
 少し落ち着いて考えてみると、いろいろな思いが浮上してくる。その思いを整理して記しておくのがこの日記の目的のひとつだったのだが、最近ちょっと追いつかなくなっている。ボーっとする時間は、大切だ。

 何だと思われることかもしれない。感覚がずれてきていることを承知でいま感じていることを素直に書く。 眉毛を剃ったり、爪に色を塗ったり、ピアスをつけたり、髪を染めたり、パーマをかけたり、刺青を入れたりって、何がいけないのだろう。少なくとも学校で一括に禁止したり指導したりの対象にするのは、おかしな話ではないだろうか。多くの学校ではそれを当たり前と思ってやっている。親からもらった身体を傷つける行為をよしとしない価値観はすばらしいと思うし、自分もみたら話すだろう。校則できまっているからそれを守らせるというのもわかる。もしきまりがあるならそれを守らせる努力をするだろう。だが、大いに疑問が残る。
 新学期の初日や卒業式の前に、職員室の流しで茶色い髪を黒く染めさせるとか、ピアスをつけていたら教室に入れないとか。学校の中であくまで組織的にやってきたのだが、あれでよかったのだろうか。日本の学校はそれをする権利をもっているのだろうか。保護者から預かった子どもたちに、よかれと思いながら勝手なことをやってはいまいか。
 学校と保護者がもっと話をしなければならない。学校が責任をもつところ、家庭が責任をもつところをはっきりさせていく必要がある。考え方は人それぞれだろうが、社会的な共通認識を作っていかなければ、学校はおかしくなっていくだろう。日本の教員はほんとうに一生懸命やっていると思う。しかし、それが社会の要請の上に立ったものでなければ何の価値もない。そもそも社会が学校に何を求めているのか、はっきりしていないではないか。そして、それをはっきりさせるのは地域であり家庭であるはず。学校は地域や家庭の声を聞く耳なしに機能は果たせないのであって、教師と保護者や地域の人々が対等のテーブルについて話し合う機会がもっと必要だ。互いの思いを伝え合い、聞き合う。それをやることが大事ではないか。
 話し合いを続けることで、いろいろな線が定まってくるのではないだろうか。冒頭の問題についても、たとえばピアスはいけないけどパーマは構わないとか、単なる校則ではなく、社会的な規範が少しずつ固まってくるだろう。それにしたがった指導を、学校でもしていければいい。問題によっては、実態に応じて生徒がその話し合いに加わることもじゅうぶん考えられる。

 こちらの社会や学校との比較で日本のことを思うわけだが、どちらがいい悪いと論じるつもりはない。自分の感じる違和感を伝えることで、何かを感じてくれたらいい。そんなつもりで書いている。

 ピアスとかパーマとか書いたけれど、小さな頃から子どもにピアスをつけさせる慣習がある民族もあるし、生まれつき皆が縮れ毛の人種だってある。日本のように一概に「禁止」したり「指導」したりなんていうのはここでは意味がない。だが、日本でなら意味があることなのかどうか。それをすることがすでに差別ではないのか。
 実はいちばん感じているのは服装のことなんだ。異常に短すぎるスカートをはいた女子学生たち。あれほどまでいやらしい格好をしている人々の群れを、この街で見かけたことはない。たまに見かけるときがないではないが、けしてそれが一般的ではない。制服が定められていない学校のほうが多いはずだが、そういう学校の生徒がどんどん崩れた服装になっていくかというとそうではないように思う。ある程度のところで落ち着くのではないだろうか。そこが社会的な許容範囲とそうでない範囲との境界線になるかもしれない。欧米人の中には、日本であの姿を見て、日本の女子学生は皆売春してるのかと思う人も少なくないらしい。そう言われると、そうだろうなと納得できる。日本の電車の痴漢がものすごい数だというのはあまりに不名誉な事実。犯罪は断じて許せないが、そうなる理由は容易に察しがつく。2年離れているから、現在の様子をみているわけではないけれど。
 トロントの地下鉄では痴漢の心配などほとんどないだろう。それほどの超満員にならないことや、警報システムが整備されていることもあるが、大きな理由はそういう格好の人が少ないからではないかと思うのは偏った見方か。日本の都会の現状では女性専用車両も必要だろうが、根本的な解決にはならないだろう。
 学生たちを責めることはできない。自ら望んで着ているのだと言う人がいるかもしれないが、そうではない。日本の社会がそれを許しているということだ。社会は大人がつくる。ゆえに大人は社会人と呼ばれる。言ってみれば日本の大人たちが女子高生にああいう格好をさせている。学校の指導がとか、家庭のしつけがとかいう部分の話ではない。日本の社会全体でそれを認めている。あるいは、皆が見て見ぬふりをしている。そんな日本の側面を思うとさびしいし、哀しく切ない気持ちになる。
 そんな日本でいいのかどうか。それをきめるのはわれわれ日本の大人たち。そして、どんな日本にしていくのか自分たちできめていけるように子どもたちを育てるのが、今の大人たちの責任。学校も社会の一員として大人たちがいっしょになって考えていければいいと思う。
 
■国旗の日とカレー。 martes,15,febrero,2005
 カナダの国旗が制定されてちょうど40年の記念日だそうだ。学校で子どもたちから小さな旗をもらい、説明を受けた。テレビでもその話題。この日を祝日にという運動をしている人たちもいるらしい。国旗ができる前の古い街頭インタビューが放送されていた。どんなデザインがいいか。出てくる人々は口々にメイプルリーフと答えていた。それに続けて現代のインタビュー。老いも若きも、国旗を気に入っている人が多いようだった。まだ40年しかたっていない。歴史が浅い国旗にはそれほどの血も涙も染み付いていないということだろうか。いずれにせよ、自分の国の旗をあんなに素直に好きだと言えるのは素晴らしいことだ。ただ、自分の国の旗を誇りをもって掲げるのは当然のことだ。それができない国はおかしいのではないかと思った。

 カレーを作った。牛肉と、玉ねぎと、じゃがいも。にんじんは忘れた。ニンニクも入れるんだった。水の量などいいかげんだったから、ずいぶん水っぽくなってしまった。塩気はちょうどいいようだ。米はタイ米。炊き方さえうまくやれば、カレー等にはぴったり。料理で気分転換を図りたいと思っていたが、それにはあまりに簡単すぎた。10食分のカレー。食べたら皆きっとうまいと言うだろう。だが誰にも食べさせない。

■暗い休日とモールの散歩。 lunes,14,febrero,2005
 きれいな青空だったきのうはもうない。けさは細かい雹が降っていた。フリージングレインの警報が出て、暗くどんよりとした朝。一歩も外に出なかったきのうを少し悔やむ。そうこうしているうちに、昼になる。
 ぼうっとするだけの休日。遥か海の向こうの祖国では、また痛ましい殺人事件が起きた。遥かとはいえそれほどの遠さが感じられないほど、ニュースは繰り返される。どんどん新しいニュースに押し流されて、過去が遠ざかる。祖国との距離感が広がっているのは、むしろこの情報の流れのためだ。
 日が沈んでから外に出る。Vaughan Mills。去年の秋にできた大きなモールに行ったのは2度目。ただ一周するだけでも一時間くらいかかる。何か買おうと思ったら一日かかってしまうくらいの広さ。街を散歩する感覚で歩くとおもしろい。半分歩いてフードコートのピザ屋で晩飯を食べてもう半分歩いて帰った。バレンタインのハートの飾りがあちこちに目立っていたが、とても落ち着いていて居心地が悪くないのがよい。
 なんだかカレーが作りたくなって、閉店間際のT&Tに寄って材料を買ってきた。レジの人に広東語で何か聞かれたが、“NO!”と言ったら通じたようだ。きっと「細かいお金がないか」ということだったのだろう。カレーの材料は揃ったが、飯を食った後に取りかかれるわけがない。明日の夜まだその気があったらやってみよう。

■紅茶などと生き死に。 domingo,13,febrero,2005
 いただき物のセイロン紅茶をコーヒーメイカーを使って入れてみた。コーヒー豆を入れる要領でやったら異常に濃すぎるのができた。何度か試してみて、ほんの一さじでいいにおいの紅茶ができることがわかった。
 女子ゴルフのワールドカップは日本組が優勝した。ニュースでは例によって完全に映像が遮断された。ほかの人はなんとも思わないか。この放送権というやつの正体はなんなのか。莫迦にしている話だ。
 グラミー賞の放送が終わってから気がついた。録画しようなんて思っていながらすっかり忘れていた。
 
 なんとなく一日が過ぎていく。きょうのことばかり考えて、一生のことを後に回してしまう。人生のことを言い訳にして、きょう一日をやり過ごしてしまう。どちらも同じ、嫌なことはいつまでたってもやりたくない。
 のほほんと生きてはいるけれど、いつでも心の片隅には死がある。いつ死ぬかもしれない感覚の中で生きている。生きるか死ぬかの感覚は大切だと思う。たとえばほんとうは、急に心臓発作で倒れたとしても悔いがないくらいに、ピンと張りつめた時間を過ごしていたい。いつ死んでもいいくらいの気持ちで生き続けることができたらいい。

■生き続けること。 sabado,12,febrero,2005
 要求されていることの何パーセントを達成できているだろう。その比率がどんどん低くなっているような感。必要とされなくなった時には去らねばならない。人のことを言うより自分のことを心配しろということだ。ここでの価値はそれくらいのものだと判断して諦めるか、それとも、価値そのものを高める努力をするか。後者でなければ、生き続ける意味はない。

 音楽にしても絵にしても、その人らしさというのはいったいどこに表れるんだろう。全然異なるものなのに、どの作品からもその人らしさが感じられるというのはどういうことだろう。世の中いろんなものがあるが、すべて人間のあり方が反映されていると思うとおもしろい。

 Toronto PhilharmoniaToronto Centre For The Arts・George Weston Recital Hallでの今シーズン5回目のコンサート。曲目にはどこかで聴いた曲が多く、客層はお年寄りが多め。どちらかというと、クラシック初心者向きという感じで自分にはちょうどいい。日本では生のオーケストラに親しむ機会がそれほどあるわけではなかったから。Mercureという人の“Kaleidoscope”から始まった。刺激的な音楽で眠気もすっかり吹っ飛んだ。
 演奏者一人一人の表情や動きを見ているのもおもしろい。いろいろなバックグラウンドをもつ人々が集まり、ここでひとつのハーモニーを奏でている。まるでこの街そのもののようだ。この中に、日系の人がいないのが少しさびしい。

■5周年と中島みゆき。 viernes,11,febrero,2005
 日本では三連休だったのか。建国記念の日か。なんだかすっかり忘れていた。こちらでも現地校はお休みで、昼間は校舎が静かだった。保護者との何か行事があったらしいがよくはわからない。
 5年前のきょう、このサイトをつくった。国がどうこういうよりも、自分自身の個人的な記念の日という思いが強い。振り返ってみればそのときからすでに、目指す方向は定まっていたのかもしれない。とにかく、国という枠組みを取っ払いたかった。そこを越えてみたかった。今はその枠組みのでかさを思い知らされることばかり多くて、何かをつかんだともみつけたともいえない。
 30年近く前の中島みゆきを聴いている。声がまったく変わっていないことに驚く。このころの曲はリアルタイムに聴いたことがなかったので、今初めて聴く曲ばかり。古い曲だが、古さを感じさせない。この人は、声だけでなく変わらないものをずっと持ち続けているのだろう。
 あと何年続くかわからないけれど、長く続けば続くほどその人の真髄が浮き彫りになってくるはず。願わくば死ぬまで続けたい。何事につけ、そう思うのはとても自然なことではないだろうか。

■コンビニとないがしろの話。 jueves,10,febrero,2005
 朝は途中で飯を買おうと思ってコンビニに寄ってみた。きょうの店は日本のコンビニに似ているきれいな店だった。しかし、そういう店は多くはない。町のあちこちにあるのはもっと小さな店だ。たいてい窓は犯罪防止のためにすべて鉄格子に囲まれている。日本では何を買う目的がなくとも立ち寄りたくなったものだが、ここではそういう気持ちにはならない。
 サンドイッチかなんかと思ったが、高すぎ。日本で200円くらいで買えそうなものが、4ドル5ドルする。ざっと倍くらい。しかもあまりうまくない。以前買ったときに懲りたはずが、すっかり忘れていた。甘いミルクセーキみたいなものだけ買って、それを朝飯代わりにした。

 NHLのホッケーは結局今シーズンは試合が行われないらしい。ファンにとってはまったくしらける季節になってしまった。選手がストしたわけでなく、経営者側が施設を封鎖した。経営者と選手の話し合いが決裂したようだ。年俸の高騰を抑えようという案をめぐっての労使の対立。客をないがしろにした結末。
 トロントや周辺の教育委員会に所属する教員たちのストライキが行われるかもしれない。ベースアップを要求してのことだそうだ。スト権があるのも驚きだ。くれぐれも子どもをないがしろにはしないでほしい。

■春節は一面の銀世界。 miercoles,9,febrero,2005
 春節を迎えたきょうは一日中雪が降り続いて、また一面の銀世界に戻った。中華街に行ってみたが、いつもより人通りは少なかった。やはり正月は家庭で過ごすものなのか。フードコートさえいつもより早かった。町を歩いているとクリスマスツリーを飾っているところも見かける。考えられないかもしれないけれど、そのほうが自然な気もする。
 コーヒー屋で年賀状の返事を書いていた。きょうになって「あけましておめでとう」は自然か。正月だからいいか。かかっているCDの音飛びが激しくておかしかった。あまりに限度を超えている。5枚書くまでと思ったが、2枚しかできなかった。あとは明日。もう今夜はダメだ。
 職場に荷物が届いた。仕事に関係ないものを職場に持ち込むのは大嫌いだが、この際仕方ない。扱いが酷かったのか、CDケースがずたずたにされていて、アーティスト達がかわいそうになった。
 そういえば、著作権侵害も甚だしいこの街の状況をかれらがみたらどう思うだろう。
 明日の朝のニュースは、サッカーの北朝鮮戦がトップだった。珍しく、サッカーなのに動く映像が見られた。よかったね。熱気がばんばん伝わってきた。来年のドイツ大会の頃には僕はどこにいるんだろう。

■へんなことばかり。 martes,8,febrero,2005
 いろいろと、追いつかない。あっという間に夜になってしまうのはいいことか。へんなことばかり考える。
 明日は春節、チャイニーズ・ニュー・イヤー。2月に国民の祝日がないというのはどうなのか。どうしてこの日が祝日ではないのかと、アナウンサーがしゃべっていた。たしかにそうだ。だけど、去年の春節は1月だったな。
 スーパーなどの店先に、もち米が大量に積まれている。お正月には、おこわかなんかを作ってたべるのだろうか。
 日本で暦が変わったときは、どんなだったんだろう。どんな行事も、ちゃんと移行できたのだろうか。人々は何も感じなかったのだろうか。
 中国や韓国では暦はどうだったのだろう。どちらか一方でやるより、どちらもうまく両立させるほうが楽しそうだ。世界中の暦で生活したら、毎日何かの祝日になるかもしれない。それもいいな。

■頭痛と荷物の照会。 lunes,7,febrero,2005
 朝から頭が痛かった。昨夜は飲んでもいないし、血圧が高い感じでもないのに。もしかすると、この暖かさと湿度だろうか。重く雲が垂れ込めて、外は軽い雨が一日中降り続いた。こういう気圧が低くてじめじめした日に頭痛になることもあったか。あるいはちょっと風邪気味か。午前中はほとんど横になっていた。
 1月の初めに日本から発送されたはずの荷物が届かないので、問い合わせの電話をかけたのが一週間前。そのときはいくら待っても出なかったので諦めた。1週間たっても変化がないから、きょう2度目の電話をした。そしたらすぐにつながって照会ができた。住所のトラブルとか言っていたがなんだろう。アパートの玄関にいるセキュリティの人は、以前は不在の時には荷物を預かってくれたのに、最近は預かってくれなくなった。しかも、今回は不在の時の伝票すらなかった。荷物は職場に届けてもらうように手続きした。これからはそうしたほうがよさそうだ。

■“'DA KINK IN MY HAIR” domingo,6,febrero,2005
 The Princess of Wales Theatre。トロント市内に、カリブ系の黒人が多く住むエグリントン・ウエストというところがある。車で仕事場に行くときに通る道だが、とにかく床屋や美容室が多い。三軒並んで立っているところもあり、おしゃれな人たちが多いのだなと思っていた。きょうの芝居は、そのエグリントン・ウエストのある美容室が舞台だった。
 アフリカの民族衣装をまとった一人の女性が髪を結ってもらっている場面から始まる。女性は何か煙草のようなものを炊いていて、煙のにおいが客席にまで漂ってくる。中央に垂れ下がっている三本の反物のような極彩色の布を、女たちが音楽に合わせて踊りながらよじっている。古代のアフリカの森の中といった幻想的なイメージ。
 暗転。再び照明がつくと、それが現代の美容室に早変わりしている。そこを訪れる客と店主との軽快なやりとりをはさんで、客たちの独白が繰り広げられる。美容室というのは、コミュニティの社交場としての機能も果たしているわけだ。登場するのはすべて黒人の女たち。会場を爆笑の渦に巻き込むコメディが全編に散りばめられ、それと、力の入った語りと音楽にぐいぐいと引き込まれていった。さまざまな境遇の女たち、一人一人が心の中に“KINK”(ちぢれ・ねじれ)をもっており、この美容室でさらけ出される。全部で六人だったか、かなり長い時間の独白。スポットライトの中でみるみる変化する表情。笑いながら泣き叫びながら語られる身の上話。愛人のこと、家族のこと、仕事のこと…。中でも衝撃だったのは、駐車場で撃たれた子どもの話。200人の人々が周りにいたのにも関わらず、誰一人目撃証言をするものがない現状を、シスターの女性が涙ながらに訴えた。ついこの間も市内でそんな事件が起こったばかりだったのだ。
 いちばん受けていたのは、後半に登場した髪のない子ども役の語りだったが、訛っていたためかほとんど聞き取ることができなくて残念だった。それでも、物語全体はちゃんと伝わってきたし、言葉だけでなくて人間のエネルギーを感じ取ることができたので満足だった。それから、隣に座ったおばあさんが幕間にいろいろと話しかけてくれてありがたかった。帰りにはちゃんと挨拶してくれたし。
 マーレーという通りがエグリントン通りに交わっている。通りの名はレゲエの神様ボブ・マーレーから取ったのだろうか、そこかしこにボブ・マーレーのポスターが貼ってある。ここはカリブ系の中でもジャマイカの人たちが多く住む地域ではないだろうか。ジャマイカンの祖先の多くは、植民地時代に奴隷としてアフリカから連れてこられた人たちだという。さらにそこからカナダに移民してきた人々がここトロントにもコミュニティを形成している。
 店の主人が来た客に「あなたはわたしたちの誇りよ」というようなことを言っていた。縮れた毛髪、褐色の肌。これらは太古からの民族性の象徴でもあり、一人一人の個性の象徴でもある。自分らしさを誇りにして生きていくことは素晴らしい。しかし、そうしようとすればするほど風当たりは強くなる。
 たかだか芝居をひとつ観ただけで知った気になっているわけではないけれど、世界一のマルチカルチュラルシティであるこのトロントにも、人種や民族による差別があるのを感じている。人からずいぶんひどい話を聞くし、自分自身も「差別されたかな」ということがたまにある。
 この芝居には、自分らしく生きようとする人々の姿が生き生きと表現されていた。自分が自分らしく生きようとするとき、どうしても壁にぶちあたる。その苦しみを乗り越えて、闘わなければならないときもある。異文化どうしの関わり合いも、根本は個人と個人の関わり合い。自分を生かし、相手を生かすために、闘っていかなければならないものがある。と、そんなことを考えた。

■グランドホッグデイなど。 sabado,5,febrero,2005
 立春を過ぎて気温がさらに上昇。上着がなくてもさわやかな日中。雪がどんどん解ける。日曜はさらに暖かくなるらしい。今の時期にこれだけ暖かいのは珍しいと、皆がしゃべっている。暖かいだけでなぜか心もうきうきしてくる。
 2月2日は「グランドホッグ・デー」といって、冬眠していたグランドホッグという動物が目覚めて地上に現れ、春の訪れを占う日だそうだ。グランドホッグがもし自分の影を見たときは、もう一度土の中にもぐって冬眠するので、冬はあと6週間続く。影を見なかったら春はすぐ訪れる…という言い伝えがあるという。グランドホッグというのは猫ぐらいの大きさのリス科の動物らしい。そういう言い伝えがあるのか。啓蟄みたいなものか。と、頭では理解できるのだが、「自分の影を見た、見ない」などというのは、今ひとつピンとこない。こういうところが、文化の違いなのだろう。
 
 毎日自分なりに課題をもって臨む。きょうも大きなハードルを越えるつもりで迎えたのだが、意外にそのハードルは低かったので肩透かし。こういうときもあれば逆のときもある。今までとは違う意味で荒海をひとりで航海しているような気分になっている。人と面と向かって話をすることの怖さ。人と話したあとには、こんなこと言っちゃったよ、よかったのかなどうだったかなといつも思う。
 仕事文を書くことにプレッシャーをますます感じるようになってきた。文字が先走りしてしまう感覚が恐ろしい。実感を実物大で描けなければ、嘘を語ってしまうことになる。そう考えると、文字で表現するのは相当に恐ろしい。例えば、ちょっとした会話で済めばいいところをメールなんかで伝え合おうとすると、話がずどんと重くなってしまうことがある。メールのいいところわるいところをよく考えて、使い分けないと。
 それに、電話で済ませようとするのも、相手の顔が見えない分いいかげんなことを口走ってしまいがちである。必要最低限のことでしか電話は使えない。電話相談などというのは、長くても30分とか制限時間を設けずにやってはいけない。だらだらなってしまって、長く話したからといって問題の解決には近づけない。
 いちばん大切なのは、人と向き合って話すとき。すべてをそこに集中したい。そのためにじゅうぶんな準備ができればいい。

■シャラポワは映らない。 viernes,4,febrero,2005
 放送権の都合で静止画像に切り替わってしまうというのは毎度のこと。それもあって、今ひとつ注目度がよくわからない。まあいいか。この名前があるだけで、アクセスが倍増するとみた。あはは。誰かの権利のために権利を奪われている者がいるのだ。これってどういうこと。不利益をこうむる少数の人々というのは、表にはあまり出ることはない。
 いつもと同じくらいお湯の蛇口をひねったら熱かった。なんだ熱いと驚いて手を引っ込めたが、それもそのはず、気温が高かったのだ。きょうはプラスですよ、プラス。こんなに暖かくてよいのか。空は春霞に煙ってたぞ。こんなに暖かだから、朝晩の道のりを歩いたよ。
 歩きながらカタカナ語について考えた。固有名詞はともかく、できるだけカタカナ語を使わないようにするべきだと、強く思うようになった。お役所が率先してわけのわからないカタカナ語を使うなんてもってのほかだ。じゃさ、リンクは、アクセスは、サイトは??って、矛盾か。
 
節分だ。明日は立春だ。 jueves,3,febrero,2005
 ずいぶん暖かい日。もう冬も終わりか。寒い日はあったけれど、雪もあまり降らなかったし。きょうは節分か。鬼は外だな。鬼は外、福は内。鬼と福って、対になってないじゃないか。鬼は自分の中にいて、いなければ内に福は訪れないだろう。すごい矛盾。年の数だけ豆を食うって。そんなに食いたくないや。
 NHKの受信料の不払いが39万件にのぼるという。払うのが馬鹿らしいような数字だ。そんなに払わずにすむものなら、払わないに越したことはない。そう考える人がもっと増えていくにちがいない。今は払う必要がないけれど、帰国したら僕もどうやって払わないかを考えるだろう。
 スカイドームがロジャーズセンターという名前になった。ネーミングライツとかいうやつだ。ロジャーズが命名する権利を買ったのだ。権利なんていって、ただの宣伝。いったいこれがみんなのためになることなのか。とても邪まな感じがする。
 カナダじゃ雪合戦は禁止です。雪玉が凶器となるからです。学校で雪合戦すると、厳罰に処されます。それから、はさみは学校に持ってきてはいけません。これも凶器となるからです。
 そんなことまで、日本が真似をする必要はない。

■何が面白いのか。日々。 
miercoles,2,febrero,2005
 9時過ぎた頃から眠くなって、10時過ぎには布団に入ってしまうという日が続いていた。毎年のことだが、2月になると、もう春かという気分になってしまう。誤解である。今夜はもう少し起きていたいと思っている現在午後10時半。
 朝は4時55分に目覚まし代わりのラジオが入る。不思議なことに、このとき寝床で聞くラジオの英語がいちばんよく理解できる感じがする。寝起きは頭がぼけているので、あくまでも感じがするだけかもしれないが。5時までの5分間でもぞもぞしながら起きてきてテレビのスイッチを入れると、NHKの7時のニュースが始まるのだ。ニュースを見ながら弁当を作り、ついでに朝飯を食い、ひとっ風呂浴びてヒゲを剃る。頭が乾くか乾かないかのところで出勤である。
 2月の表紙写真は、職場の近くの建物の壁面。今朝は、地下鉄を降りてからストリートカーに乗らずに40分くらい歩いた。気温は氷点下8度だった。一桁になると、ほんとに暖かく感じられるから不思議だ。やっぱり春なのだ。
 この壁画、僕が高校時代美術の時間に描いた絵と似ている。ちなみに、その絵の評価は、ABCDEの5段階のうち最低のEだった。提出期日を守らなかったわけでもないんだし、何ぼなんでもEはないだろう。どうしてEなのか未だに理解できない。Eを付けるくらいなら納得のいく説明をするべきである、と今の自分なら考えるのだが、20年前の高校の芸術科目の評価なんて、そんなものだったのかもしれない。
 きょうは帰りも徒歩で。駅の一ブロック手前で初めてのバスに乗った。時間はかかったが、二つ先の駅まで直行した。泥が跳ねて、バスの車体はとんでもなく汚れている。窓の外も見えないくらいだった。一年中でいちばん車が汚い時期だ。帰宅後に車でモールに行って夕飯。その帰りにガソリンスタンドで給油と洗車。ぴかぴかになったので気持ちがよくなった。そのままイケアに寄って、鍋のセットやら包丁やらを買った。もう少しちゃんと料理をしようという考え。これで、インスタントラーメンもタマゴ丼も作れる。なんだか夢が膨らむ。
 何が面白いのか。日々。

■眠気の中の二月 
martes,1,febrero,2005
 
天気は今日も晴れ。確実に春の光に近づいている。旧暦の正月ももう少し。