2005年 6月
■キャンベルトン jueves,30,junio,2005
 ブロックビルの町に朝日が当たる。ここもロイヤリストの町らしい落ち着いた色彩を放っている。ゆったりした川面が光る。カヌーの人々がすべっていく。きょうも暑くなりそう。24時間営業のスーパーでパンと飲み物を買い、6時30分に出発。
 きょうはそこからモントリオール、ケベックシティを抜けて、ひたすら車を走らせた。3時過ぎには着くかなと思っていたら、いっこうに着かない。ケベック州を越えてニューブランズウィックの町、キャンベルトンに着いたのは7時ちょっと前だった。案内所で宿を紹介してもらっていたら、時計は大丈夫かといわれた。そうだ、1時間時差があるのだ。ということはもうすでに午後8時である。

■ブロックビル miercoles,29,junio,2005
 クロアチア出身の人ときのうきょうと昼食時間をともにした。クロアチアといえばサッカーしか思い浮かばなかったのだが、少しは身近になったかな。こうやって、出会った人たちや見聞きしたことがらをまとめていったら、自分なりの地球儀ができるだろうか。いつか、すべての人が、すべての国と関わりをもって、お互いのことを大切に思えるようになればいい。誰に対しても、敵だと感じることがすでに逃げなのだ。逃げずに生きていけたらいい。ことばの壁は厳然とあって、不思議なことに高くなる一方なのだけど、ことばの壁を越えることは、ことばによる関わりを避けることではない。ことばでなければ、その先に進めないともいえる。それと同時に、ことばではけしてつかめないこともあると思う。車の両輪のようになって、動いていくものなのかもしれない。

 仕事を終えてそのまま旅に出た。いまブロックビルという国境の町のモーテル。トロントから300キロも来たろうか。セントローレンス川をはさんで東はアメリカ。これからニューブランズウィックを目指す。おととし行ったアカディアンという人々の集落にもう一度行ってみたい。誇り高く暮らすということを、ちゃんと考えたい。自分たちの旗を掲げるということを、考えたい。どうして僕らにそれができないのか、考えたい。どうしたら僕らにもそんなふうにできるのか、考えたい。7月1日はカナダデイの祝日で、そのため金曜からの4連休になった。明日は年休を取って、5連休にした。時間を有効に使うために、前日の夕方に出発したというわけ。誰の金でも時間でもない。紛れもなく自分にしかできない旅をしてこようと思う。

■プラム martes,28,junio,2005
 争いに巻き込まれたくない。誰のためなのかわからない会議が増えている。ここの職場ではなく、ここの大陸で。これまでの経過に少しは関わってきたから、やることの意義も自分なりに理解して進めようとしてきたことだったのに、今度の変化がもっと発展的な変革だと思って期待していたのに、ふたを開けたらいったいなんなんだと呆れてものも言えなくて、ぽかんと開いた口に粉塵が入って喉頭癌になってしまう。これだと何も深まらない。一生懸命やっている人の助けにならない。これから何をどうするか。頭が痛い。
 どこかの国のショウチョウどうしの険悪な関係の中に、ぷかぷかと漂っている感じ。市民たちの命運なんて、ほんの一握りの人間によっていいように操られているのだ。一抜けた、したい気分。
 帰り道。蒸し暑さで気持ち悪くなる。それもそのはず気温は34度。体感気温が42度にもなった。その後、雷が鳴って少し雨が降ったけれど、それほど気温が下がったようには思えなかった。こんな日は、ざるしかない。スーパーで熟れたプラムを買ってきて食べたらうまかった。やった。さいこうさいこう。

■ブランプトン lunes,27,junio,2005
 ここのところ毎日だが、酷く暑い。遅く起きて、昼過ぎから外へ。暑すぎ。車でぷらっとブランプトンという町に行く。これまで通り過ぎたことしかなかった町の、小さな商店街をぐるっと歩く。噴き出す汗。インド系の人が多いところで、ふとどこかからカレーのにおいが漂ってくるような感じ。バス停の前で10セント玉を拾った。ラッキー・コイン。
 道の真ん中でオーバーヒートしている車。そこを過ぎたあたりで青年に声をかけられた。ガソリンを買うのにお金が足りない。何ドルかくれないかということだった。今4ドルしかない、あと7、8ドルあれば足りるんだけどとその人は言う。てっきりその車の持ち主かと思って、5ドルを財布から出して渡した。この車かいと聞くと、彼はいやあっちだと言って違う方を指差した。え。その後あの5ドルがどう使われたかは知らない。
 こうも暑いと車だけでなく頭もおかしくなってしまうのだ。それに付け込んで騙し取ろうという奴が出てきても不思議ではない。騙す方も騙す方なら、騙される方も騙される方だ。どちらもおかしくなっている。こういう場合に、人助けをしたとすっきりとした気持ちでいられるとしたら、その人はよほど純真な人だ。でも、もう考えないことにした。こういうひとときも、ラッキーだったということにしておこう。
 モールに入ったら、ターバンやサリーの人がたくさん。楽しい。カレーが喰いたくなって、店にふらっと入る。7ドル99のカレー喰い放題、いわゆるバッフェというやつ。店には客が誰もいない。それもそのはず平日のもう3時に近い。店内にはインドの音楽がずっと鳴っている。女性の甲高い歌声。映画のシーンが目に浮かぶようだ。店員はしきりに何か飲み物を勧めてくる。こちらは断固として、水だけ!と言い張る。カレーは7、8種類。緑色のもある。食べると豆腐のようなものが入っていた。それ以外にもなんだか珍しいものがたくさんあったが省略。胃痛にはならない。インドカレーは全然平気。たらふく喰ったので晩飯抜きとなった。

■BBQ domingo,26,junio,2005
 晴れの日曜にはぐだぐだ。結局はプライドパレードもやめて、テレビをだらだらと見ているうちに時間が経ってしまった。夕方から外出。バーベキューなんていうのは貴重な機会。しっかりいただいた。ご馳走様でした。掲示板で何度か意見交換をしていた方とお会いする。なるほどイメージとそれほど変わらなかった。いろいろ勉強になりました。

■源頼朝 sabado,25,junio,2005
 わかりやすかったとか、楽しかったとか、そんな言葉が何よりうれしい。それを聞くために、やっているのかもしれない。やったぶん自分の財産になるから、依頼をことわるのはもったいない話。
 源頼朝のことを調べていくうちに、彼への見方が変わっていった。義経も魅力的ではあるが、頼朝とは器が違う。いや、器というより、考えていたものが違っていたのだろう。
 それから、東北人の視点で日本の歴史を伝えることの貴重さ。少なくともここではこれは自分にしかできないことだ。そして、きょう伝えたかったテーマは地球上どこにでもある普遍的なこと。それが伝わったかどうかはわからないけれど。自分の歩みの中で、きょうの授業はかなり重要なものだったろう。

■イケアなど viernes,24,junio,2005
 仕事で必要な物を買いに、イケアに寄った。目当ての物はレジ側に近いからと思って、出口から入ろうと思ったら行けなかった。一つの物を購入するにも、店を一周しなくてはならない。近道もあるにはあるが、最近レイアウトを変更したらしく、迷う迷う。仕事と思うと他の商品はまったく目に入らず。
 食堂の一角で、スウェーデンの民族衣装を着た人たちが、ダンスを踊ったり、合唱をしたりしていた。買ってすぐに出ようと思っていたのだが、そこで思わずほっと一息。初老の男女たちのさわやかでいきいきとした笑顔が素敵だった。イケアはもともとスウェーデンだった。来年日本に出店するらしい。まず岩手にはできないだろうが、通販でもできたら楽しそうだ。
 暑さと湿度とスモッグ。午後には体感気温が43度までになった。このもわもわした感じは、相当なもの。日本の暑さと比べたら、別物だとは思うけれど。イケアのフローズン・ヨーグルトは1ドル。いわゆるソフトクリームとまったく変わらぬ味がする。ヨーグルトだから酸味があるかと思えばそうでない。この暑さだし、ちょっと喰おうと思ったが、あまりの行列を見て断念した。それにしても、こちらでは大人の男も実にうまそうにアイスを喰う。いいことではないかと思う。
 行列といえば、家の近くのデイリークイーンにも、暑い日には行列ができている。あそこのアイスクリームはおいしいと、僕の周囲では評判がよいから、いつか喰ってみたいと思っているのだが、まだだ。盛岡の駅前通にあったよなあ、デイリークイーン。今では日本から完全撤退してしまったらしい。開運橋のたもとの有線のスピーカーから流れていたデイリークイーンの歌は、今でも歌えるぜ。
 夕ご飯は魚香肉絲飯。また魚香だ。少し辛口のあつあつのところを、汗をかきかきかきこむ。夏の暑いときにこういうのもいいものだ。

■あの茄っ子 jueves,23,junio,2005
 きのう作った鍵でドアを開けようとしたが、開かなかった。3つ同じものを作ったのだがすべて開かない。まいった。コンピュータの調子が悪くて、午後はほとんどそれにかかりきりだった。窮地は脱したけれど、しばらく後を引きそう。こんなことに時間をもっていかれるなんて。で、鍵屋に持っていけばよかったのだが、後日ということにした。なんだか喉に小骨が引っかかるような思い。
 日本のアマゾンのサイトを見たら、キッチン用品なんて売っている。キッチンでなくて、台所用品でいいだろう。しかも、缶切りもばっちり売っているではないか。日本でもまだまだ缶切りは必要なのかな。あれで缶を開けると、缶の上の部分がまあるくきれいに切り取れる。それをベッタにして遊んだら、ちょっと面白いかもしれない。缶切り、缶オープナー、カンオープナーとさまざまな書き方がある。栓抜きだってそう。ボトルオープナーとか瓶オープナーとか書いてある。缶切り、栓抜きで何か不都合でもあるのか。
 目がちかちかして、鼻のあたりも気持ちが悪い。これはスモッグが出ているのかなと思ったらそのとおりだった。オンタリオ湖の上空は、アメリカの工場からの煤煙が溜まるところなのだそうだ。そして、気温が上がると化学反応を起こして、スモッグが発生するのだ。においも何もないけれど、かなり危険らしい。じゃ、どうすればいい。夜は魚香茄子飯を喰った。茄子はうまい。みんなでいっぱい茄子を喰おう。あの皮の部分が毒素を取り除いてくれるらしいぞ。いや、どうかな。

■夕方の話 miercoles,22,junio,2005 
 図書室のドアの合鍵を作るために、鍵屋に行った。ところが、鍵の種類が特別だというのでできないと断られた。駅周辺を歩いて回り、ようやく6軒目のところで作ってもらうことができた。靴の修理屋が合鍵も作っているというところが多かった。そして、店の主人は6軒中5軒が中国系と思われる人たちだった。
 帰りの電車は混んでいた。途中の駅で、人が降りやすいようにと一旦ホームに降りた。ところが、もたもたしていた若者たちが降りるのを待っていたら、僕が乗る前にドアを閉められた。かれらのために乗り損なったのはちょっと腹立たしかったが、そういう僕もかなりのうすのろだった。
 家に着いたのは8時近かったが、さわやかな晴れの日でしかも太陽がまだ高い。そこで、近所で飯を喰おうと荷物を置いて家を出た。ヤング通りを北に歩く。ちょっと見ない間に韓国系の店が多くなっている。この間まで果物屋だったところが、コンピュータ屋になっている。ハングルだけの看板がかかった料理屋も増えた。冷麺でもと思ったが、どこも混んでいるのでやめた。結局は、スーパーで買い物をして戻ってきた。
 こちらの缶切りは日本の缶切りとはまったく構造が異なる。ペンチのようなものの先に二つの丸い刃が付いている。それを缶の縁にがちっと噛ませ、くるくるとダイアルを回して一周させると面白いようにきれいに切れる。来た当初ちょっと奮発して買った缶切りは、デザインが美しくて気に入っていた。日本へのお土産にもちょうどいいのではと思っていた。しかし、日本の缶詰はワンタッチで開けられるから、缶切り不要だった。今宵は缶詰のスープにパックのカリフォルニア巻きで妥協した。缶切りをくるくる回していたら、丸い刃を固定している根元のところがぼきっと折れてしまった。半分だけ開いた缶詰はこれ以上開ける術がない。スプーンを突き刺して、てこの原理でくいくいと隙間を広げ、ゆっくり零れるどろどろのスープを皿にあける。なんだか、誰かにばかにされているような気になる。

■夏至 martes,21,junio,2005
 きのうが春の最後の日で、きょうは夏の最初の日。とても簡単で不変的な区切り方だ。この国での最後になるかもしれない夏至の太陽を見送った。これからは日が短くなるばかりだと思うとさびしいけれど、去年のさびしさに比べるとずいぶんあかるいさびしさだ。残り時間は、だれのためでもない自分のために使う。仕事もするし、遊びもする。だがそれらは仕事ともいえないし、遊びともいえない。それはすべてが自分の時間。おたがいが自分の時間を分け合いながら自分の時間を生きている。時間を遡ることはできないし、時間を追い越すこともできない。自分にしかできない過ごし方をする。一生に一度の夏を生きる。

 このごろいろんな死に方がまざまざと思い浮かばれて、そのたび顔を青くしたり赤くしたりしている。どのような死に方をするにせよ、死ぬ間際の気持ちはきっと楽観的だろう。あれれ、もしかすると、やばい?てなもんだろう。そうして意識が遠のいていくだけ。大げさなことではないなあ。
 空と道の境目辺りを眺めていると、飛びたくなる。地上50センチも跳び上がれば、あとはそのままジェットの力で超高速で飛べそうな気になる。車に乗っているときにも、タイヤが車体に格納されていきなり浮上するような気になる。ばかな想像かもしれないが、空を飛びたくなる心理というのは、何かある。
 はっきりしているのは、死ぬと生きる、飛ぶと歩くは、ほぼ同義だということだ。突然ですが、「牽引」の対義語は何か。わくわくする。あいつが聞いたらなんて言うだろ。

■小さな旅 lunes,20,junio,2005
 こんなふうにさわやかな天気で、しかも朝から気分がのっている休日は貴重だ。きのうあまりにボーっとしすぎた反動か。10時半、昼寝もせずに車を出した。ここでしかできないこと、自分にしかできないこと、やっぱり旅に出ようということになるかも。
 オンタリオ湖沿いを東へ東へ。まだ行ったことのないところばかり。ポート・ホープを歩き、コボーグで自転車に乗り。ロイヤリストが拓いたという町町を通り過ぎる。そして、プリンス・エドワード・カントリーへ。PEIよりよっぽど素敵な何もない半島。坂の上から見る湖は、夏なら、きょうのような晴れの日なら、世界で一番美しい景色である。(追記…プリンス・エドワード・「カントリー」ではなく、「カウンティ」の誤り。つまり、「郡」ということ。)
 山の上の湖という名の小さな湖がある。オンタリオ湖のすぐ近くにありながら、標高が60メートルも高いところにあるという。実際に目にすると異様な高低差に驚く。その湖の下、グレノラから無料のフェリーに乗ってグレーター・ナパニーに渡る。ところがここで、見覚えのある景色に出会う。車を買いたての頃に一度ここら辺を通ったことがあったのだ。
 あの日から約2年、まだまだ初めてのところばかり。これで最後かもしれないと思いながら通るのだが、たまにこんなふうに期せずして記憶に結びつく懐かしい場所に来ることがある。
 これで最後かもしれないと言いつつ、また舞い戻っている。しかし、同じように見えて実は違っている。どこであっても、最後かもしれないと思ったときのあの場所ではありえない。その一瞬に、初めての場所を生きているというわけ。401号線に乗ってトロントに帰還。総走行距離ぴったり500キロの日帰り小旅行。

■日曜 domingo,19,junio,2005
 午後長い時間眠った。起きたら7時、そういう時もある。たまに時差が逆転するみたいになる。満月が近いからかな。関係ないな。時間の密度は一定でなくて、何もしたくないときには何もしたくない。こんな調子で何十年やってるのか。切ない残り時間。地球儀とか地図とか眺めているうちに夜が更けていく。

■悩み sabado,18,junio,2005
 悩みは尽きないか。そもそも悩みたくないというのは自分勝手な願いで、それを人に愚痴るのもつまらないことだ。悩ましい現実は誰の目の前にもある。人間は一生自分の悩みを引き受けて生きる。そのうち悩みを悩みとも思わなくなればいい。それをだらだらともらしたところで、何の解決もない。聞き手にまとまった答えを求められても困る。なぜなら、答えを出すのは悩んでいる自分自身なのだから。
 悩みを吐露するのは、自分自身が考えるため。自分の問題を他人に考えてもらおうとするな。いつも透明になろうとする。鏡になって相手を映そうとする。悩めることは贅沢。悩む時間さえなくなったら。そうして、悲しいひとつの選択肢をとらざるを得ないとしたら。悩める人はそれだけ幸福に近づいている、例外なく!

■眠気 viernes,17,junio,2005
 いま午後9時過ぎ。夏至が近いけれど、雲が多いので窓の外はもうかなり暗くなっている。きょうは涼しくてよかった。歩いていて心地よかった。金曜日にピークに達する緊張も、少しはほぐれるようだった。
 帰宅して、一息ついて、ここから眠りまでがあっという間なのだ。朝と夕方の通勤時間にあれこれ浮かぶことの1パーセントも残せないまま、意識が遠のいていく。

■雑記 jueves,16,junio,2005
 哲学的な話を聞いた。そういう話は聞くのも話すのも好きだったけれど、この頃はあまりしていない。いいときと悪いときを繰り返すというけれど、今はどちらだろう。いずれにせよ、あまりそういうことを考えない時期なのだろう。悪いときがあったからこそ、いいときがある。以前あんなことがあったからこそ、今こんなことがある。後悔したくなるときもあるが、それは過去の自分の全否定につながってしまう。無理をしてでも、これでいいのだと叫ばなければならないときがある。これでいいのだと叫んだ瞬間に、それは無理なことではなく、人生のすべてに対する肯定に変わる。そうやって日々生き延びているといえなくもない。
 気温がぐっと下がったが、建物に熱がこもっているのと、湿度があるのとで、それほど涼しい感じはしなかった。雨も断続的に降ったり止んだりしたが、どうもすっきりしない。スモッグをきれいに洗い流すほど、どばっと降ってほしい。
 シエムリアプの学校で起きた事件では、ひとりの子どもが犠牲になった。テレビでは、救出劇とかその「瞬間」の映像が繰り返されていたけれど、死んでしまっては解決も何もない。気の毒な子ども。          あそこで過ごした半月のことを思い出す。アンコールワットはたしかにすばらしかったが、自分がそこの何に感動したかというと、そこにたくさんの人々が暮らしているということだった。大昔の遺跡がジャングルの中に突っ立っているだけでは、たいしておもしろくもない。遺跡がすばらしいのは、それを守ってきた人々がいるからこそ。矛盾するようだが、今生きる人たちに会うのが遺跡めぐりの愉しみではないだろうか。だが、今生きる人たちの中に、事件を起こす人もいる。そこまで苦しみ、足掻く人があると思うと残念だ。

■野球へ miercoles,15,junio,2005
 田口壮選手に会える最後のチャンスかもしれんと思い、ロジャーズセンターに出かけた。仕事を終えたその足で、てくてくとダウンタウンまで。途中、バサースト沿いで散髪。耳や背中がちくちくするのも慣れた。洗髪や顔剃りがないのも煩わしくなくてよい。20分もかからず終わってしまう簡単さ。
 駅近くで雨が落ちてきたので、乗り物に乗った。地下鉄とストリートカーを乗り継いでチャイナタウン。文華中心のフードコートで焼きそばを食べたが、まったくうまいと思わなかった。スープのにするんだった。
 雨は止み、風がさっきより涼しくなった。最上階は税込み11ドル。1塁側ダグアウトのはるか上方に陣取る。半分空いたドームの屋根から気持ちよい風。これまで感じたことのなかったほどの開放感。スクールトリップの小学生たちが派手に騒いでいたが、9時になったとたんに先生に連れられて帰っていった。屈託ない表情が子どもらしくてよかった。“Fort Frances”と書かれた手作りの横断幕を持っていたが、オンタリオの西のはずれ、スペリオール湖の畔。ミネソタ州との国境沿いの町からあの子達は来たのか。バスで1日では着かない距離だ。
 試合はブルージェイズが序盤から攻勢。最後まで安心して観ていられる展開。座席もゆとりがあって、風も気持ちよくて。しかし、途中から屋根がゆっくりと閉まり、風も止まってしまった。なんとなく閉塞したドームの中。やっぱり野球は、外でやるスポーツだなと感じた。田口選手は第4打席でヒットを打ち、その後の追い上げの足がかりとなる活躍をした。結局、カージナルスの追い上げは2点どまりだったが、そのときがいちばんの盛り上がりだったか。
 帰りの地下鉄の中で、ある父子といっしょになった。10歳くらいの男の子が隣に座り、見ると耳の後ろから血を流しているのだった。ティッシュを差し出しながら尋ねると、球場で誰かに引っ掻かれたらしい。男の子は、アンラッキーと言いながら血を拭き拭きしていた。お父さんはよくしゃべる人で、その息子にいろんなことを話して聞かせていた。僕に向かってもあれこれしゃべってくれたのだが、半分くらいしか聞き取れなかった。「こいつは地下鉄に乗るのが初めてなんだ」と言ったら、「2度目だよ」と息子が言った。息子は、駅から歩くのが嫌だと言ってすねていた。「何を言っているんだ。お前のために100ドルもするチケットを取ったんだぞ」「お釣りをくれるっていったのにくれないじゃない、うそつき!」「やるなんて言ってないぞ!」「いや、言った!」そんなやり取りが続く。会話の解釈には半ば想像が入っているけれど、親子漫才のようで可笑しかった。どういう話の流れか、ついに男の子は、チケットのお釣り7ドル50セントをもらえることになったようだった。「わかった、後でやるからな!」 別れ際お父さんが、明日は5歳になる2番目の息子の手術の日だから、朝早く起きなければならないと言っていた。

■警報 martes,14,junio,2005
 夕方近郊の町町に竜巻の警報が出て、ラジオで物々しいアナウンスが繰り返されていた。こりゃたいへんだと、家路を急ぐ。雲の色がおかしくなって、でかい積乱雲が発生したかと思うと、稲光が走り、ラジオに雑音が混じった。また雷雨かと思ったが、それだけだった。ほどなく、竜巻警報も解除され、蒸し暑さもそのままだった。
 毎日書いているけれど、ひじょうに暑い。“extreme heat alert”というのが発令されていているが、それにしても数字以上に暑く感じるのは、スモッグがあるからではないか。ニュースによると、オンタリオの医療協会が、今年のこのスモッグによって1万7千人が病院に運ばれ、5千8百人もの人が死ぬと予想しているそうだ。スモッグで死ぬって、いったいどうなって死ぬんだ。危険なのだろうが、その危険さがよくわからない恐ろしさ。

■月よう lunes,13,junio,2005
 カウンタがおかしくなったので変えた。アクセス数はよくわからなくなったので適当な数字にした。それほどの意味もないような気がしてきたけれど、みてくれている人がいるとわかるほうがいいだろう。
 夕方になって雨が降り出した。雷が鳴って、窓の外が真っ白に煙るほどに雨が強くなった。これから野球に行こうかと思っていたが、やめた。カージナルスとの初戦はテレビだ。野球も長いと4時間を越えるから、そうなるとかなり堪えるのだ。シートの位置や値段に関係なく、野球観戦には力が要る。などと、言い訳がましく書いてしまう。それでも、田口壮選手を応援したい気持ちには変わりないからね。
 田口選手の日本のニュースでの扱われ方は不当だ。チームの中の役割の大きさをもっと伝えていい。ヒーローの活躍だけ見ていても、将来の選手は育たない。田口選手が何を考えてベンチに座っているかを、機会があったら子どもたちに話して聞かせよう。松井選手にしても、井口選手にしても、チームが負けたのに「打ってよかったです」と言わせてそこだけ映すような、ばかな作り方はやめてほしい。
 ニュースといえば、卓球の福原愛の映像はテレビジャパンではすべて静止画像にすり替わってしまう。中国との親善大使というつもりではないかもしれないけれど、若い福原が精一杯やっているのをとても健気に思う。政治家の人たちが足を引っ張らないでもらいたいものだ。

■ロシア、忘却 domingo,12,junio,2005
 メル・ラストマン・スクエアに行ったら、ロシアのフェスティバルが行われていた。民芸品やらCDやらの屋台が出ていた。池のほとりには飲食店ができていて、酒も飲めるようになっていた。例によって数人の警察官が見張っていた。パンを売っている店があったので、ピロシキはと聞いたら、これだというので2個買った。キャベツの入ったしょっぱいものと、ブルーベリーの入った甘いもの。揚げパンではなかったけれど、本場ではこれもピロシキと呼ぶのだろうか。ステージでは民族衣装を着た人が歌っていた。暑かったせいかあまり客の入りはよくなかったが、人々の姿は見るからにロシア系という感じで、会場は輝く光に包まれているようであった。でも、ロシアも多民族国家。系をつければいいというものではあるまいが。日本にいちばん近いヨーロッパ。いずれ近いうちに行ってみよう。
 美しい人ばかりの国は、美しいことがあたりまえなのだろうか。美しくない人を見たらどんな気持ちになるだろうか。見た目が美しいことばかりの世界では、美しくないものを見る目が厳しく育つだろうか。目に見えないものを見る力が強く育つだろうか。美しくない人間のひとりが、ばかなことを考える。
 ところで、僕は一日のことをすぐ忘れてしまう。覚えていたいことは、思い出せるようにして忘れてしまうし、忘れてしまいたいことは、いやな気分だけ取り払って記憶してしまう。これはすごくいい方法だと思っている。必要なときに必要なことを思い出せればいい。それに、もしも自分が覚えていなくても、近くの人が覚えていればじゅうぶんだ。実はこの日記自体、忘却のための装置ではないかとも思える。
 忘れるということと、覚えるということは矛盾していない。覚えることは、忘れることなしにはできない。ぜったいに忘れないと思う瞬間がいくつもあったけれど、それらが始終脳裏にこびりついているわけではない。覚えるの中に、忘れるも含まれているということ。これからも、積極的に忘れて、どんどん新しいことを入れていこう。必要なのは、すぐに思い出せるように目印を引き出しにつけておくことだ。記憶力は衰えていくかもしれないが、一度記憶したものを思い出す力は、きっとますます強くなるに違いない。

■炎暑 sabado,11,junio,2005
 いやになるくらいの暑さ。午前は運動会。金曜の夜に飲んだ水分が、土曜の朝から噴き出す。それでも外は風があるからよい。室内は蒸し風呂状態で、これが7月まで続くかと思うとちょっとつらい。人間ひとりは百ワットの電球一個と同じ熱を出すという。20人の教室の熱のこもりようときたらない。
 帰って、風呂に入って、飲み物を飲んで、野球を見ているうちに眠くなり、目覚めると午前3時。気温はまだ25度ある。窓を開けると外は蒸し暑い熱帯夜。きょうの日中は31度で、feels like あるいはhumidex 41度。今年は暑いなと思っていたが、去年の記録をみると同じくらい暑い暑いと書いている。
 最近の日記はどうも楽しくない。なぜだろう。考えていることをあまり書かなくなったか。はたして考えが変わったり深まったりしているだろうか。考えていないのではなく、考えをここに書かないようになったのではないか。だとしたらそれは本意ではなかった。記録というのは精神生活の記録であるべきだ。事実のみの記述だとしても、読み返すたびに心が蘇るものでなくてはいけない。そういう意味では、淡々としたものでいっこうにかまわないのだけれど、できればもっとずばずばと書いたほうが楽しいのではないか。
 何をしたかを大事にしたいときと、何を感じたかを大事にしたいときがある。今の気分は、きっと後者だろう。そのとき大事にしたいものを大事にできればいい。と、そんなことを書いているうちに4時になる。もう一眠り。

■猛暑 viernes,10,junio,2005   
 うだるような暑さ。最高気温は31度。湿度がきのうにも増して高く、体感で40度。高温と多湿の注意報が出ていた。夏は暑いに限るが、これはかなり厳しい。今月に入ってから、スモッグの注意報も頻繁に出ており、トロントの大気汚染は北米でも屈指の酷さだそうだ。人によっては目がちかちかしたり、くしゃみが出たりするらしい。僕はときどき鼻の奥が痒くなることがあるが、それは鼻毛が伸び過ぎたからだろう。
 日本からの客人と昼食を共にした。職場近くのイタリアン・レストラン。世界の旅の話をたっぷりと伺うことができた。レストランはこういうふうに使うものなのだ。貴重な時間、そして、ごちそうさまでした。

■ファン・フェア jueves,9,junio,2005
 朝のうちは曇っていて涼しいが、すぐに暑くなる。きょうは湿度が高くて、体感温度は37度までになった。職場のある学校の敷地ではファン・フェアという催しがあって、放課後になったら、綿菓子やホットドッグなど、食べ物の屋台ができ、ビニールを膨らましてつくった巨大な滑り台や迷路が出現し、スチール・パンのバンド演奏があり、ボールなどを使うゲームがありで、子どもたちやコミュニティの人々が楽しんでいた。おそらく食べ物やゲームのチケットの売り上げが学校の運営費用になるのだろう。もう学年末、夏休み前のお楽しみ。いいなあとほのぼのと見ていると同時に、それだけでないどこか冷たい気持ちも感じた。

■雑記 miercoles,8,junio,2005
 ワールドカップ出場が決まった。来年にはまた熱い一か月がある思うと楽しみだ。あとはどこでそれを観戦できるかということ。ドイツでとはまさか考えないけれど。できれば時差が少ないところのほうがいい。
 不確定要素が人生をおもしろくする。思いどおりにならないところを含めて思いどおりに生きるのが、生きることの醍醐味。矛盾しているようだけれど、それがわからないようではだめです。
 かりゆしウエアというのはとてもよさそうと思っていたが、ほんとのところはどうなんだろう。ノーネクタイの機運は、どんな感じ。沖縄の通販サイトをいくつか巡ったが、どういうわけか調整中が多くてダメだった。せっかくの商売のチャンスがもったいない。いくら環境がどうの言っても、人々の気持ちがその気にならなければ変わらないだろう。汗かきながら文句言いながらも、変えようとしなければ何も変わらない。

Alanis Morissette Martes,7,junio,2005
 鮮烈なデビューの頃から歌声が好きだった。驚くことにまだ30そこそこなのだった。なんだか苦悩の淵にいるというのが感じられた。いろんないきさつや赤裸々な歌詞のことを知って少し納得した。“Jagged Little Pill”って、そうだデビューアルバムの名前だった。アコースティックに作り直したものを10年ぶりに出すというところ、次のステップを見つけようと足掻いているように感じられる。でも、聴いていて曲の良さと歌のうまさがいっそう引き立つように感じられた。熱い声援を受けながらきっと新しいスタートを切ることができるだろう。ここで会ったが100年目、これからも応援していきたい。
 それと、オープニングアクトを務めたMr.A-Z(Jason Mraz)には大注目。すごく光ってた。

■夕涼み lunes,6,junio,2005
 30度を越えた。外は暑くて気持ち悪い。きょう動き出したのは5時過ぎ。まだ陽は高い。まだまだ夕涼みどころではない。窓全開100キロで高速道を飛ばす。
 本屋をはしごして、ガイドブックを探す。ぴったり来るのはなかなかないけれど、2冊ほど入手。こういうときネットの情報だけというのは不十分。それにしても、日本の印刷や製本の技術は世界一ではないだろうか。こちらの本はとにかく重くてでかい。こんなの旅先に持っていけない。しかも、ガイドブックなのに写真のないものが多い。どうしてロンリー・プラネットがいちばんといわれるのか理解に苦しむ。でも、旅に出る前に原色の景色を見てしまったら、行く必要なんてないかも。
 変なフォーを喰った。汁が濃過ぎて飲めなかった。この日の最後の客だった。フードコートの味はそれなりだが、それなりのところをそれなりにローテーションしていけば、なんとか間に合う。それに、毎食外食というわけでもないし。よほど気まぐれか思い切ってかでなければひとりでレストランなどには入らない。今までは、ひとりでもレストランで食事ができるようになろうと思っていたが、もうそういう考えはなくなった。レストランはひとりで入るところではない。レストランに限らず、この世にはそういう場所が意外と多い。
 夕涼みにちょうどいいのは9時過ぎ。裏通りに湧き出る薄暗いカップルたち。どういうわけかこの間の夕方、男がふざけて後ろから追いかけてきた。女がきゅるきゅる笑っていた。

■痛み domingo,5,junio,2005
 30度近くまで上がった。体感温度は36度だと。だが昼間は外に出なかった。午後8時過ぎに飯を喰いに。ミシサガで星州炒米。スーパーで買い物して帰宅。忘れた頃に胃痛。まったく莫迦にした話だ。きっと2時間くらい七転八倒することになるのだ。

■晩餐 sabado,4,junio,2005
 ちょっと茹で過ぎのスパゲティを喰う。当然、箸で喰う。缶ビールは一本でじゅうぶん。それよりオレンジジュース。いつまでも空にならない冷蔵庫。消費続ける毎日。そろそろ一週間の発条が切れる。
 これまででいちばん楽だった運動会。ここまでくるためにやってきたことの数々。皆がよかったと言うのを聞くのは不安。こういうのをあまのじゃくというのか。
 社会はふるさとの授業。イーハトーヴは世界。世界はイーハトーヴ。だれのふるさとも大事にしようと思えるなら夢ではない。安定も、平和も、幸福も。
 学校は個性を潰す仕組みにもできるし、個性を伸ばす仕組みにもできる。学校が悪いのではなく、やり方に問題があると悪いところにもなってしまうということ。学校それに授業って、個性が出せるところでなければ何にもならない。それを胸に刻まなければ。

■曇り viernes,3,junio,2005
 朝は曇り空のせいか眠かったし、一日少し頭が痛かったな。帰り道では解放感からかめちゃくちゃな車に多く出あった。いらいらしたな。
 スーパーでカリフォルニア巻き。最近頻度が上昇中。

■暑さ jueves,2,junio,2005
 きょうもすばらしい天気。毎日毎日暑い暑い。暑いのだが、うれしい。感傷的になんてなっていられないほど、季節がありがたい。
 これだけ暑いとざるそばが最高だ。思えば暑くなくても年中ざるそばだ。オレはざるそば協会の会員だったかもしれない。ネギと海苔だけでよし。おかずなんて不要。

■夏 miercoles,1,junio,2005
 すっかり真夏。すごいや。去年も一昨年もこんな感じだったとは思うけれど、今年になってこの時期の夏さ加減に感動している。朝や帰りに見上げる木々の葉の緑。奥の深い空の青。仕事じゃなんかぱっとしない一日だったが、今こういうところにいることのありがたさは何物にもかえられない。
 出前一丁に一工夫してアスパララーメンを作成。袋入りのインスタントラーメンもたまにはいい。

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