2005年10月
■lunes,31,octubre,2005
 10月もきょうで終わり。ハロウィンだ。朝の番組のキャスターたちも仮装している。夕方キング通りを散歩したら、下校途中の小学生たちと大勢すれ違った。仮装の具合は地域によって違うというのを聞いたことがある。ここではそれほど派手な仮装をしている子どもは多いわけではなかった。子どもたちは夕方から家々を回ってお菓子をもらって歩くわけだが、もちろん保護者同伴である。いったん帰宅してから着替えて出かける親子も多いのだろう。それぞれに個性的なコスチュームではあったが、中でもよく見かけたのは、男の子ではガイコツのスーツ。女の子ではお姫様の格好だった。 夜の天気予報を見たら、ハロルド・フセインまでヘンな頭巾をかぶって出ていた。まるでねずみ男だった。

■domingo,30,octubre,2005
 冬時間が始まった。きのうまで真っ暗だった午前7時が明るくなった。天気はよかったが、暗くなるまで部屋にいた。日暮れが早まったので、5時にはもう真っ暗だ。取り外すのを忘れていた看板があったことを思い出し、それから車を出した。夜かけたままにしておくと、いたずらで壊されたりなくされたりする心配があった。職場の駐車場に行ったらちゃんと看板がかかっていたのでほっとした。日曜日の夜の通りには、隙間なく路上駐車の車があった。それはおそらくレストランで食事をする人々の車だ。あすのハロウィンを前に、パーティーをする家庭も多いのだろうか。まっすぐ帰って、そばを茹でて喰った。

 カナダ人は世界一ドーナツを食べる国民らしい。ここ数日の間に何人かから同じ話を聞いたから、ニュースか何かでやっていたのだろうか。たしかにドーナツ屋は辻々にあって、どこもけっこう賑わっている。カナダでいちばん多いのはなんといってもTim Hortonsだろう。朝には通勤途中に昼食やらコーヒーやらを買う人の行列が見られる。朝食にコーヒーとドーナツというのも普通では、と思う。Tim Hortonsはどんな小さな町にもかならずあって、昼前に入るとお年寄りのグループがドーナツを頬張りながらおしゃべりしている光景をよく見かける。コーヒー屋としてならSecond CupStarbucksもあるが、ドーナツは置いていない。
 ところで、きのうイベントの昼の時間にドーナツを出そうということでTim Hortonsに手配をしていたのだが、2日前になって急にそれが難しいということになった。なんでも配送しているトラックの組合がストを起こしたのだそうだ。そのため店舗にドーナツが配達されず、当日必要な数のドーナツが確保できそうにないというのだ。電話でそれを聞いた担当者が血相を変えて「どうしましょう」と飛び込んできた。ほかに思い当たるドーナツ屋といえば、Coffee TimeCountry Style。ところがそれらはあまりうまくないのでやめようという意見が多く却下。Krispy Kremeはどうだろうという上司の声に一同賛成した。最近米国からカナダに進出してきたドーナツ屋で職場でも話題になったことがあった。舌の上で溶けるような食感がよいというので人気らしい。瞬く間に広がって、今ではあちこちのスーパーマーケットの一角にコーナーができている。担当が連絡を取ったら配達もしてくれるという。ちょっと慌てたがなんとか事なきを得た。

■sabado,29,octubre,2005
 天気にも恵まれ出足から好調。さまざまなことがあったが、なんとか臨機応変に対応できた。あとの1割もちゃんと埋めることができたと思う。だが、これで終わったと喜んでいてはいけないのであって、しっかりまとめをしておくことが大事。
 きょうで夏時間は終わり。日の出も日の入りも1時間早くなる。ラジオでは頻繁に、3分くらいおきに、お休み前には時計を1時間戻すのを忘れないでと連呼していた。来週は暖かさが戻るらしい。もうこないと思っていたインディアン・サマーがやってくる。

■viernes,28,octubre,2005
 とにかくやれるだけのことはやった。イベントが成功するかどうかは前日までに9割が決まる。そういう意味ではほぼ成功だ。とはいえ、実際に始まってから予期せぬことが起きるのが常である。臨機応変が明日のテーマになるだろう。
 きょうは思いのたけをぶちまけてしまった。引っ被ったことに対する不満ではない。自分の問題として捉えてほしいという願いだった。だけど、どれだけ伝わったかはわからない。組織の問題でもあるが、成員個々の人生の問題でもある。どういう人生を歩みたいか。依存しながら暮らすか。それとも、自立するか。いつでもその分岐点に立っている。

■jueves,27,octubre,2005
 昨夜はホワイトソックスの勝利を見届け、眠りに就いたのが12時過ぎ。ちょうどよかった。野球の世界も、1年の勝負だ。この1年をどう過ごしたかが最後の最後に結果として表れる。もう何年も同じチームに在籍している選手と、井口選手のように今年から入った選手が、同じように喜んでいる。だが、かれらがそれぞれスタート地点に立つまでにどんなことをしてきたかが大きいはず。それまでの努力や苦労がそのまま大きな事を成す準備になっていたのだ。優勝した人々の姿を見るたびに、自分もいつかなにかで優勝することがあるだろうかと思う。それなら、そうなるための準備を、いつからか、始めなければならない。まだスタート地点にさえ立っていないのだ。

 たとえば、今まで出会った中で最も大ばか者ではないかと思われる人物を前にする。私利私欲を最優先に考えるような愚かしい人間を前にする。自分自身に向かって言い聞かせる。おごってはいけない。責めてはいけない。この人よりもなんて思った時点で、自分も同じになってしまう。怒りや憎しみを感じても、それを吐き出してはいけない。自制する。自制する。だがほんとうに、それでいいのか。心の中で殴るのは、自分かそれとも相手か。
 もし自分が正しければ周りには仲間が集い、間違っていれば誰も近寄らなくなる。自分の信念に基づいて自分らしく生きることができれば、自ずと目の前から悪は追いやられるだろう。殴る前に見破ろう。嘘を見破る力を持って、胸を張って生きよう。誠に生きていこうとすればきっと変わる。それを信じたい自分と、信じられない自分がいる。

 9年前に参加した大きなプロジェクト。そのとき上司がつくったまとめの資料を、ここに持ってきているかどうか怪しかったが、押入れのダンボールを探したらあった。引越し荷物を選んだときの自分を大いに褒めたくなった。厚さ3センチはあるかと思っていたのだけれど、実際には1センチ程度の薄い冊子だった。そのページを捲ってみると、あれこれとそのときのことが蘇ってきた。当時僕は、上司が一人でこんなものをせっせと作って配った意味をまったく理解していなかった。自分が担当しているところこそがプロジェクトの主要な部分だと、何の根拠もなく漠然と感じていた。ところが、これを見て驚いた。全体の中で自分が担当させてもらっていた部分など、5%にも満たなかった。つまり、そんな狭い部分にも関わらず僕は四苦八苦し、周りがまったく見えていなかったのだ。そんなときにも冷静に全体を見つめていた目があり、微細な部分まで考え尽くす頭があった。僕は組織の御荷物であって、しかしそれを根気強くフォローしてくれていた人が何人もいたのだ。それなのに、僕は優しさや思いやりの意味をわかる素地さえできておらず、逆に周囲を恨めしくばかり思った。今この冊子を手にして、これを渡してくれたときの上司の気持ちが手に取るようにわかる。まだ道の途中、どれだけ力がついたかはわからないけれど、今度は自分がこれよりもっとマシなものを作ってやろうと考えている。

■miercoles,26,octubre,2005
 ロッテが日本シリーズを制した。リーグ第2位のチームが日本一になった。おかしくないか。いいのか。
 今夜はワールドシリーズの第4戦。昨夜はてっきりホワイトソックスが負けたと思っていたが、今朝のテレビで勝っていたことを知った。5時間41分の最長記録だったそうだ。試合終了は午前2時。長すぎる。今夜はあっという間に決着してほしい。試合が終わったらすぐに寝よう。

 ロッテ優勝を記念してというわけでもないが、コリアンBBQというフードコートの店でビビンバを食べた。味噌汁とキムチと、コリアンローヤルドリンクというのが付いていた。混ぜる、という行為がいい。銀の器に銀の匙。ぐるぐるかき混ぜる。愚痴や不満や恨みつらみも全部ぐちゃぐちゃに混ぜ合わせて、口の中に放り込む。うまい。なんというか、ビビンバ。素晴らしい料理だ。

 秋の日の釣る瓶落としとはよく言ったもので、外に出るとすっかり暗くなっていた。どこをどう間違えたのか、西行きの道路を進んでいるつもりが、実は南行きの道路だった。最近では珍しい体験。

■martes,25,octubre,2005
 仕事で使うハリガネを買いに、カナディアン・タイヤに寄った。ここはたとえばホーマックみたいなホームセンターで、店の作りは日本のホームセンターとほとんどいっしょだ。だが、どこを探してもハリガネが見つからない。隅から隅まで歩き回ったのに、ない。まさかハリガネがないわけはないのに。ハリガネ一巻き買うのに、いくらなんでも時間かけ過ぎ。だけど、店員に聞く勇気がない情けなさ。思い切って聞いた。「すみません。ハリガネどこですか」 すると若い男性の店員は、「84番の棚の右のほうだよ」と親切に教えてくれた。だが、どうも様子がおかしい。そこには掃除用具ばかり並んでいる。そして、謎が解けた。
 ハリガネを英語で何て言うのだろうと考えて、僕は「スティール・ワイヤー」と言ったのだ。ところが、そこにあったのはまさしく「スティール・ウール」だった。「ワイヤー」の発音が通じなかったのか。いやもしかすると、「スティール」が余計だったのではないか。こういうことがあると、がっくりくる。もう一度聞くのも嫌なので、是が非でも自力で見つけようと店内をくまなく探した。そしたら、ハリガネはあった。ネジ類の隣にあったのを見落としていたのだ。ふだんは何気なく生活しているのだが、ちょっと他人と関わりを持とうとするとすぐにぼろが出てしまう。

■lunes,24,octubre,2005
 早朝こそ青空がのぞいたが、すぐに雲が広がって、昼頃には雨がポツリポツリと落ちてきた。車を点検に出したら1時間半かかるというので、できるまで近くをぶらぶらと散歩した。エグリントン・ウエストの通りも街路樹が黄色くなって、風が吹けば葉っぱがパラパラと飛んでいくような感じだった。
 通りの番地は、片側が奇数、もう片側が偶数となっている。だから、たとえば100番地の隣は98番地と102番地ということになる。道路を挟んだ向かい側は99、101、103番地。車屋に戻る道の番地を見たら、1969だった。歩くに連れて、1971、1973、1975と数字が増えていく。くだらないことだが、年号を連想させる数字を追って歩いているうちに、未来に向かって歩いているような気になった。2005。生まれてからここまであっという間だ。2021、2023、2025…。20年後、何をしているか皆目見当がつかない。2051、2053…。いくら長生きしてもそこまでは生きないだろ。2067で100歳だ。で、その隣は墓場だった。墓場を過ぎるといきなり数字が2297、2299、2301…。300年後の世界か。何も残ってないんじゃないか。

■domingo,23,octubre,2005
 雨で気温の低い日曜日。人通りもなく、いつもよりひっそりとしていた。ハリケーンはまだまだ南だが、その影響か今週は雨が多くなりそうだ。月はじめは真夏のような天候だったのが、もう息が真っ白だ。市内の木々には木にくっついたまま茶色く腐っているような葉っぱが目立つ。何もしない日曜日。夕方、スーパーで買い物して、ついでにウェンディーズでハンバーガーだけ買った。期間限定のマッシュルームが入った何とかというハンバーガー。1個が5ドル以上したのでちょっと驚いた。高級志向の品物だったのか。ファースト・フードのハンバーガーにどれほどのものを期待しているわけではないし、味もどこが高級なのかよくわからなかった。なぜか、店員たちの愛想が珍しくよかったのが、却って気恥ずかしかった。ホワイトソックスの勢いは止まらない。このまま連勝してしまえばいいと思う。

■sabado,22,octubre,2005
 午前中から冷たい雨が降り出した上に暖房がまったく効かず、寒い一日になった。次から次へといろいろなことが発生した、密度の濃い一日。今まではなかったようなとんでもない出来事も発生した。腹を立てたり、焦ったり、がっかりしたり、呆れたり。ほとんどが不可抗力的で、個人の責任に関する部分で、こちらの所為ではまったくないのだけれど、そんなことでも、いつどんなふうに言いがかりをつけられてもおかしくない。と、疑い深く考えてしまうのが自分でも嫌だ。帰りの車の中ではあくびばかりが出た。道の途中で忘れ物に気づいて戻ったのは初めてだ。4日ぶりに開けた郵便受けには手紙類がたまっていた。オーナー宛の書類を間違って開けてしまった。風呂に入ってから、テレビをつけ、ワールドシリーズを見ながら、ビールを開け、2本目の半分くらいでもうろうとしてきた。途中でどうでもよくなって寝た。

■viernes,21,octubre,2005
 木曜、金曜は夜はだめだ。持ち帰ってきたものがあるけれど、とても手につかない。まずは寝る。そして明日の朝、早起きしよう。
 今朝もヘンな夢を見た。床屋に行った夢を見た。どこかの家のガレージで、黒人のおばさんが一人でやっている床屋。順番を待っているのだが、前の人がなかなか終わらない。なにやら英語で話しているのだが、相手には通じない。髪を切ってもらうことなく夢は途切れ、目が覚めた。部屋など片付けるより前に、床屋に行けばよかったかな。

■jueves,20,octubre,2005
 今朝は氷が張るほど冷え込んだ。初めて冬の匂いがした。匂いというのは比喩ではなく、たしかに何かの匂いなのだが、何の匂いかわからない。ボイラーから出る排ガスか、霜柱が押し上げた黒土か、葉っぱの離れていった後の樹木か、それともそれらの混じったものか。凛とした空気を胸いっぱいに吸い込んで臨むきょう。

 長い話し合いの末に、草臥れた。いつもより早く終わったというのに、どこにも寄る気もなく、家に着いてからはせっせと片づけをした。この間できなかった細かなところに手をつけて、要らないものは処分し、要るものは整理し、箱に詰めて、押入れに仕舞った。乱雑になっていた文庫本をきれいに並べ、絡まったコード類もゴムで束ね、ひじょうにすっきりとなった。仕事関係の本は少しずつ職場に持っていって、皆で読めるようにしよう。ウイスキー入りのコーヒーなんかを飲んで、テレビも消して、ゴスペルを聴いて、パソコンも閉じて、酔ったところでベッドに入った。

 だけど、そんなふうに片付けると思いもかけぬことが起きるという。たとえば、事故に遭うとか。だが、もしそうだとしても、片付いていない部屋を誰かに掃除させるのは嫌だと思う。死んだときには、部屋も財布もすっからかんでしたというのが理想的だな。事故に遭わないまでも、片付けることで片付ける必要がなくなるような事態が訪れるとか。僕ならどう転んでも構わないのです。

■miercoles,19,octubre,2005
 どんどん葉っぱが落ちてきて、一戸建てでは片づけがたいへんだという。集めても集めても葉っぱはどこからか飛んでくるから、きりがないそうだ。家によっては、エンジンつきでゴミを吹き飛ばす機械(ブロアというらしい)を使って飛ばしてしまうところもあって、そうすると吹き飛ばされたものは近所の敷地に行ってしまうわけだ。ゴミをせっせと拾い集める家があり、かたやぶーんと吹き飛ばす家があり、想像すると可笑しい。
 昨夜見た夢は、このアパートではなく別の地域に住んでいる夢だった。ゴミとゴミの間に市場があって、酷い臭いがしている。そこにバラックの食堂があって、食べたいものがないなあと探し回っている夢だった。
 もし一戸建てに住んでいたら、秋の風物詩をもうひとつは体験できただろう。だけど、葉っぱを拾い集めて捨てるなんて、面倒で馬鹿らしくて、やらずにいて近所から文句を言われるのがオチだな。

 冬は日本で買った外套で間に合わせてきた。厳寒期でも、薄くても乗り物に乗っていればそれほどは困らない。だが、欲を言えばもう少し厚手のものがほしいと思っていた。買い物に寄ったモールで、ちらっと目を引いた黒いハーフコート。こういうのは勢いだから、試着したら気に入ったので即買った。店の主人はロシア人の青年で、寒いときでも中に着れば大丈夫と言っていた。それから、シャツを1枚買った。そしたら、ネクタイをただでつけるというので、並んでいるネクタイを見ていたが、決めるのに時間がかかった。もうひとりの従業員のおばさんは中国から来たと言っていた。ロシア人と中国人と日本人で、英語は難しいという話になった。主人は、でも日本語ほどではないと言っていた。この人のおばがイスラエルの人で日本の大学で学んだことがあるそうだ。おばさんが、日本のどこと聞いて紙とペンをよこしたので、地名を書いた。友達が東京に行ったら何もかも高くて買えなかったという逸話を聞いた。キリル文字を使うロシア人も、漢字を使う中国人も、英語をこうも上手に使いこなす。きっと必死さが違うのだろうと思った。

■martes,18,octubre,2005
 家を出るときに見た満月が美しかった。夜明けをちょっと過ぎる頃まで快晴だった。校庭の柳が朝日を浴びてオレンジ色に輝いていた。少し強い風が吹くと、細長い葉っぱがばさばさと音を立てて落ちるようだった。
 快晴だったのはつかの間で、明るくなってからはみるみる曇り出し、きょうは一日中寒々とした曇り空だった。帰る頃には、葉っぱがずいぶんとなくなってしまって、校庭ががらんとしたような感じがした。日が暮れてからまた晴れ出して、朝に西の空に見えていた月が、今では東の窓に見えている。

 中国も日本も、嫌いなところもあれば好きなところもある。僕は日本人だからいくら自国を憂えても国を捨てようとまでは思わないし、だいいち、自国を憂えるのは誇りをもっているからにほかならない。それから、中国を興味深く思う部分は、国の政治体制などではなくて、人々の生きた姿のほうだ。しかも、昔の漢詩の世界ではなく現代の生活感あふれる市井の中国人たち。そのなんだかがちゃがちゃしたところがおもしろい。どこの都市を訪れても最も心躍るのはチャイナタウンで、それはトロントでも同じ。この地に赴任してよかったことのひとつは、中国人がたくさん住んでいて、その姿を至る所で見られるということだ。

 帰りには先月発見した中国系モール“First Markham Place”で初めて夕飯を食べた。西洋のモールにあるフードコートはもう飽きてしまって、どの店もたまにでいいやという感じになった。だが、中国系のフードコートに足を踏み入れると今でも胸がときめく。ここのフードコートはさっき数えたら25軒くらい店が集まっている。僕が知っている中では最多の店舗数だ。どこも同じような傾向だけど、ほとんどは中国(香港、台湾を含む)の店だが、片隅に韓国の店、ベトナムの店、日本の店などが1軒ずつくらいある。きょうは(きょうも)魚香茄子飯を食べた。それと豆乳。まだまだ食べたことのないメニューがたくさんあるのだが、注文しやすいものと思うとどうしても偏ってしまう。今度からは来るたびに違う物を頼むようにしよう。

 ところで、中国系に限らず、フードコートで割り箸をくれるところは多い。テリヤキの店はもちろん、ベトナムも、タイも、韓国も。見ていると中国人は麺を食べるときこそ箸を使うが、ご飯類を食べるときにはスプーンを使うようである。店の人も、僕が日本人だとわかると、チョップスティックは要るかと聞いてくる。ここトロントでは割り箸はとても身近な存在だ。しかし、その割り箸の袋に書かれている文字の意味を理解できるのは日本人だけだ。「御手茂登」つまり「おてもと」。この崩し字をまじまじと見つめる人もいないだろうが、これは日本が世界に誇る文化だといえるのではないか。ちなみに、割り箸は木を伐って作るから自然破壊につながるという人がいるが、それは誤解だ。たとえば木炭と同じように、広葉樹だったら一度伐っても数十年でまたもとの林が蘇るのだ。石油資源で作った使い捨てのスプーンやフォークとはわけが違う。

■lunes,17,octubre,2005
 きょうも暗くなるまで部屋にいた。午後から快晴となり散歩日和だったのだが、部屋の片づけをした。汚かったからというほかに、冬物を出さなければならないという理由もあった。押入れに入っている段ボール箱をひっくり返したら、引っ込みがつかなくなった。2年間着ないままのものもあり、中にはどう考えても今後着ることはないだろうというものもあったので、そういうのは思い切って処分した。
 おとといの晩に七面鳥はようやく食い終わった。それで、きのうの午前に骨を煮てスープを作った。きのうの遅い昼飯は、そのスープで作ったラーメンだった。具が何にもなかったけれど、うまい汁を味わった。きょうは、蕎麦を茹でて、そばつゆをスープで割ってネギもどっさり入れて、それを付け汁にして食った。最高だった。
 ちょっと気分を変えようと思って、机やテレビやテーブルを今までとは違う並び方にした。これまで縦長の部屋に対して横に置いていたものを、すべて斜めにした。少々使い勝手が悪くてもと試しにやってみたのだが、これがなかなかよい。無駄な空間ができるかと思ったが、意外と有効に利用できそうだ。今まではまっすぐ窓に向かっていたが、斜めだと壁の地図も見やすいし、テレビもいい具合に視界に入る。そして、足元のプリンタを除けたら机がひじょうに広くなった。2年半にして初、斜めの眺めは新鮮。
 
 プリンタのインクが切れたので、Future Shopに行った。レジの女性は中国系で、僕の前に並んでいた同じく中国系の青年に広東語で対応していた。僕には英語で「日本人ですか」と聞いてきた。「そうです」と答えると“I love Japan!”とちょっと声の調子が変わって、「日本のどちらのほう?東京?大阪?」と聞いてきた。「北のほう、岩手って知ってます?いなかです。」といつものように答えたが、やはり知らないようだった。彼女は日本でショッピングするのは楽しいというようなことを言っていた。最後に日本語で「アリガトゴザマシタ」と言ってくれた。こちらも「ありがとうサンキュー」と返してから、「サンキュー」は余計だったかなと思った。
 先日、2か月にも及ぶストが終わったCBCで、オーストラリアのABCと共同で製作している“HEMISPHERES”という番組を見た。中国の一人っ子政策に関するドキュメンタリーだった。(このページにリンクがあります) 農村では働き手になる男子のみを優遇し、女子なら中絶させられることも多い。祖父母がどうしても女児の出産を認めない例もある。2人目の子どもが生まれると処罰されたり、捨てられたりする。北京などの都会では、男であっても女であっても一粒種として大事に育てられるが、貧しい農村ではそうはいかない。人口を抑制しなければならないのはわかるが、これを政策として国民に強いている中国政府のやり方は、そうとうに酷いと思えてきた。自分の子どもを健全に育てる権利が与えられていない。これは人権蹂躙ではないか。そんな政策よりも前にやるべきことがあったのではないか。国内の貧困解消のために、いったい政府は何をしてきたのだろう。
 カナダには中国系移民が多い。その中には、本土からの移民もいれば香港からの移民も、台湾からの移民もいる。かれらの中には、中国政府に対する不安があってカナダへの移民を決意した人が多いに違いない。特に中国返還前になだれ込むようにしてカナダに来た人々が多いそうだが、そうせざるを得ない気持ちにさせるだけの絶大な力を、あの国はもっているのだろう。どちらが幸せかはわからない。だけど、中国では子どもを二人以上もてる自由がなく、カナダにはその自由があるということだ。
 小泉総理が靖国神社を参拝した。そのことを外国がとやかく言う筋合いはない。言い分はわかるが、その行為があったばかりに中国や韓国に住む邦人が危険にさらされるとすれば、一国の総理としてほんとうに適切な判断をしたといえるか大いに疑問だ。言い換えれば、小泉総理は在外邦人のことをこれっぽっちも考えていない。弱者に目を向けていない。そして、そのために日中関係や日韓関係はこじれ、せっかく盛り上がりを見せた民間の交流にも水を差すことになる。これが、果たして長い目で見ても日本の国益につながるのかどうか。そういう人間に日本人自らが未来を任せたのだ。
 中国や韓国の政府が、日本の動きをいちいちとらえて非難するのは、そういう政策をとっているからだ。これは、国民個々の問題ではなく、政治のあり方の問題ではないかと思う。報道や教育がどれだけ統制されているのかわからない。もしかすると、人民の意識がコントロールされているのかもしれない。反日デモも大使館への投石も、個人ではなく集団での所業だ。だから、日本人も冷静に受け止めたほうがいい。
 
国が感情に隔たりをつくる。別々の政府の下に人々が置かれているから、互いに通じ合うことを難しくさせられている。だけど、ここトロントに住む中国人や韓国人が、僕ら日本人に対してどんな嫌悪を抱いているというのか。僕ら日本人だってかれらと話すときにはアジア人ならではの感覚を共有できるし、クラスに入って中国や韓国の人がいるとほっとする感覚だってあるのだ。これだけたくさんの国の人々が同じ場所で暮らしたら、国家どうしのいがみ合いなんか関係なくなるような気がする。

■domingo,16,octubre,2005
 土曜の夜は、プレーオフの途中で眠りに就いた。ビールも飲まないうちに時間切れで終了となった。そしたら、夜中の2時前に目を覚ました。テレビをつけたら、パフィのアニメが放送されていた。宣伝は見たことがあったが、番組を見たのは初めてだった。寝ぼけ眼で見たせいか、面白くもなんともなかった。これが受けているとされる理由もよくわからなかった。いきなり「ナニコレー」と日本語の台詞が出てきたりした。
 
テレビのコマーシャルで日本語が出てくるものがこの頃ちょっと目に付くようになった。ひとつはシボレーだったかのコマーシャルで、車の走るのを見て日本人らしい女性が「スゴイネー」と声を上げるのだが、その声がどう聞いてもネイティヴの日本語ではない。もうひとつはスズキのコマーシャルだが、日本の静かなオフィスの様子が描かれ、そこに社内放送の日本語のアナウンスが流れるというもので、すごく奇妙。この奇妙なところがこちらの人には興味深いのかもしれない。

 落合監督がプレーオフに反対しているという記事を読んだ。たしかに、日本のプレーオフはヘンだと思う。MLBの場合は全部で30チームあり、2リーグがそれぞれ3地区に分かれているから、ワールドシリーズまでの道のりも遠い。トーナメントを組むにはワイルドカードも必要だ。今年のヤンキースとレッドソックスのように、同リーグ同地区の1位と2位のチームがプレーオフに出ることはあるが、3位のチームが優勝してしまうことはない。日本のプロ野球では、1リーグに6チームしかないところでその上位半分がプレーオフに参加できてしまう。これではペナントレースとのバランスがあまりに悪すぎる。136試合がいったい何だったのかということになるだろう。ロッテには日本シリーズに出てほしい気持ちもあるけれど、あくまでリーグの勝率1位のチームが優勝とするのが、誰もが納得できる方法だと思う。導入に至るまでにどこでどんな議論がなされたのかわからないけれど、肝心のファンはじゅうぶんに納得しているのだろうか。
 
 部屋から一歩も出ない日曜日というのがパタンになっている。きょうもそうだった。
 昼にはNHKのサンデースポーツを見た。大相撲ラスベガス公演の特集があった。集中して見ていたわけではないから感じたままの印象になるけれど、ちょっと感想。日本側アメリカ側双方の思惑があって、今までの先入観を払拭し、スポーツ興行としての可能性を広げたいということだった。会場の半分ほどを埋めた観客たちの姿は熱狂的で、相撲のスポーツとしての面白さが伝わったという評価がなされていたようだった。しかし、そこで行われていた取り組みの様子は、国内の地方巡業と同じような、わざとらしい、どう考えてもあらかじめ用意された筋書き通りに力士たちが演じているようにしかみえないものだった。その一番が全力を出し切った勝負なのかどうかは、テレビを通しても伝わる。相撲を紹介することには成功したかもしれないが、力と力がぶつかりあう本気の迫力をほんとうに伝えることができたのかは疑問だ。先日のニュースでは「素敵なショーだったわ」という訳つきだったファンの声が、きょうは違う訳になっていた。スポーツではなくショーとしてしか、見られなかったのではないか。なんだか協会全体が外国のリゾート会社の思惑に乗せられただけではないか。日本の国技というのに横綱は外国人。そしてこのラスベガス。今の日本相撲協会を象徴しているように思えた。

■sabado,15,octubre,2005
 金曜の夜はどうにも眠くて、土曜の朝には目が冴えて早起きになる。嫌な夢ばかり見るのは、それだけ頭が働いているということか。とにかく簡単に処理できないことが多い。コーヒーを飲みながら、しばらくボーっとする。
 きょうはいつもよりも緊張感があって、頭をころころ切り替えながら、一日が過ぎた。嬉しかったこともあったが、残念なこともたくさん目にし、耳にした。
 他者について考えるとき、その人と自分との関係の中でとらえようとすると、すべて自分に原因があると思えてくるときがある。ほんとうは考えられないほど複合的な要因があるはずなのに。そんなときには自分の至らなさをあらためて思い知らされる。
 落ちては上り落ちては上りで、そうやって進んでいくものだと思うから、まったく構わないけれど。
 やれることをやっていければいい。苛立ちや失望を感じるのは、やれることをやっていないのではないかという疑念を、抱いてしまったときだ。他者に対しても、自分に対しても。

 ここの陶芸家たちは日本に対して興味を持ち、敬意を払っており、かれらの作品にはどれも日本的な雰囲気があるというようなことをこの間書いた。ところが、日本に来た経験があるわけではなく、日本の焼き物は本で見ただけという人がほとんどだという話を聞いた。地元の土を使って、手作りの窯で、何とかという単純なやり方で焼くと、あのような焼き物になるらしい。つまり、そのような陶器の味わいとは、自然に忠実に向き合ったときに表れる味わいであり、カナダと日本の陶芸家には、そのような自然への姿勢が共通しているということなのではないか。自然とまっすぐに対峙したときに生み出されるのが、和風とよばれるあの色合いや手触りだ。陶芸だけでなく他のものにしても、作り手のそうした態度が作風に表れるのだろう。自分のもっていた「和風」の意味が大きく広げられたような気がした。

■viernes,14,octubre,2005
 今週はずっと天気が悪かった。帰りに少しだけ太陽が見えた。久しぶりの夕日は巨大で、反対側に見えた月の5倍はでかく見えた。夕日が大きく見えるのは目の錯覚だと、科学の本には書いてある。錯覚かどうかは関係なくて、夕日がでかく見える事実は否定しようがないだろう。なんの解決にもなっていない。こんな太陽を見ると、いつも思う。

■jueves,13,octubre,2005
 ヨークデールのモールに寄ったら、人がたくさんいた。いろんなものが売っているにも関わらず、ほしいものなどひとつもなかった。ウインドーショッピングなど面白くもなんともない。面白いのは、人々のすがただ。思い起こせば、来た頃からそれは変わっていないのではないか。

 帰りのエレベータの中で、男の人から話しかけられた。「ベッドルームは1つか2つか」「オーナーなのか、借りているのか」「家賃は月々いくらか」。なんだか失礼な人だ。

■miercoles,12,octubre,2005
 5時に起きて、また寝て、起きたら7時45分だった。向かいの人と初めて会った。その隣の人とも初めて会った。3人でひとつのエレベータに乗った。向かいの人とその隣の人は顔見知りらしかったが、それは隣どうしだからだろう。僕と彼らは顔見知りではなかったが、それはたまたまだろう。

 電車は混んでいた。混んでいたが座れたので座った。新聞を珍しく取らなかったし、カバンにいつも入れている本も、今日に限っては入れ忘れていた。だから、ボーっと、あらぬ方向を見ていた。ある駅でたくさんの乗客が乗り込んできた。僕の前に、おじいさんが来た。顔は見上げなかった。その皺だらけの手の甲をじっと見つめていたら、隣の紳士がおじいさんに席を譲った。なんだか身体がカーッと熱くなった。僕が譲るべきではなかったのか。この黒いコートの紳士は、何を考えて立っていたのだろう。

 次の駅で僕も立った。でも降りる駅ではなかった。こんなに混んでいる電車には乗りたくなかったが、寝坊したから仕方がない。少しドアに近いところまで進んだ。手摺りにつかまりたかったが、なかった。どこにもつかまらずに乗るなんて。駅を出て、ポイントの切り替え。ガタンガタンと大きく揺れたとき、バランスを崩しそうになって、足を踏ん張ったときに隣の女の人の足を踏んでしまった。「失礼!」と謝ると、大丈夫と手で返事。ごめんなさい。思い切り踏んだから、痛かったはず。またガタンと揺れて、そのひょうしに別の女の人の足を踏んだ。角度が悪かったから謝ることもできずに電車を降りた。

 バスに乗ったらすぐに発車した。客は5人くらいしかいない。満員になるまで待っているときもあれば、あっという間に発車してしまうこともある。工事で道が混んでいるかと思ったら、そうでもなかった。いつもはこんな時間に通ることがなかったから、人々の動きがちょっと新鮮に感じられた。どこがと聞かれても困るが、1時間前に通る人々とは、顔も服装も持ち物も、何もかも違っているように見えた。人々の姿を見ていたら、どんな格好で歩こうが構わないところが、この街のいいところだと思った。人の目を気にする必要がまったくないところが好きだ。

 ストリートカーへの乗り換えには時間がかかった。なかなか車両が来なかった。さっきのバスの運転手と、別のバスの運転手がハイタッチして笑い合っていた。交通局の職員は何百人いるのだろう。職場の組織ってどうなっているのだろう。いつも同じ人と話すのだろうか。配置転換はどうなっているのだろうか。あのアズキ色のジャンパーはどこかで売っているのだろうか。しょうもない疑問。隣に座ったのはアジアの女の人だった。一口にアジアと言っても、いろんなアジアの人がいる。その人は、日本の人に似ていたけれど、きっと中国か韓国かの人だろう。もしも日本人だとしても、確かめることはできないだろう。僕が席を立つときにはエクスキューズミーと言って前を通らなくてはいけないだろう。よく見ると周囲には、たくさんのアジアの人が座っていた。ベトナムかな、フィリピンかな、タイかな、インドかな、イランかな、パキスタンかな。地球のどこかで何かが起きると、この街ではだれかが必ず心配したり悲しんだりする。どこでもだれかの大切な故郷。それを自分のこととして感じることができたらいいと思う。彼女は僕より先に降りてしまった。結局何人かはわからずじまい。

 雨が降ったり止んだりで、風も強い一日だった。色づき始めた街なかの木の葉も風で吹き飛んでいた。葉っぱが落ちたら、もう冬になってしまう。デンバーでは大雪が降ったという。昼休みには、スキーやスケートの話になった。スキーは楽しいけれど、寒いのが嫌だという人は多い。氷点下30度とか35度とかになったら、スキーは楽し、どころではない。帰国してからもスキーをすることがあるだろうかと真面目に言ったら、北国の人が何を言うかと言われた。本気でそんなことを考えていたのだが。もう10年以上も前、職場の仲間で行ったときはおもしろかった。滑るのもそこそこに、途中のスキーハウスでずっとビール飲んで騒いでいたっけ。それから温泉に入ったな。先輩たちが正月にスキーしにイタリアに行くと言ったとき、ぜんぜん意味がわからなかった。なんでまた。だけど来年にはそこで、オリンピックがあるという。実のところ、スキーのほんとうの楽しさを僕は知らない。

■martes,11,octubre,2005
 天気が悪く、気温も低い。この秋初めて長袖のシャツを着た。校舎には暖房が入って、連休の間に一気に季節が進んだようだ。この休みに紅葉を見に出かけた人々からは、今年の紅葉は色が悪いという声も聞いた。年によってきれいな年とそうでない年があるだろう。同じ年でも、場所や時期が違えば色づき具合も違う。だが、見る人の心の状態によってもきれいに見えたりすることもあるだろう。先週最高だったと話していたその人にとっては、きっと最高だったのだ。

 秋に紅葉するのは毎年同じこと。それなのに、紅葉を見に出かけようとか、写真におさめようとか、考える。何年も前からこの時期には、紅葉を見るために山に出かけ、何枚も写真を撮っている。この季節ならではの感動があって、それをどうにかして残したいとシャッターを切る。だが、撮った写真はどれも今ひとつで、しかも去年も一昨年も同じような写真でいつ撮ったのか区別がつかない。この目で見た時の感動まで封じ込めたものは一枚もない。カメラの腕が悪いのはたしかだが、それだけではなく、ひょっとするとものを見る感性が鈍いということなのではないか。これは写真に限ったことではない。日記にしても、どの年のを取ってみても、同じようなことが同じようにしか表現されていないのではないか。そう考えたら、ちょっと恐ろしい気がした。その時その場にしかないものを追いかける。たとえば木や空や雲も、ひとつとして同じものはありえない。それにも関わらず、いつも同じものとしてしかとらえていないではないか。

 同じような時期に、同じような花が咲き、同じように葉が色づいては枯れていく。同じと知りつつ、今年のものを見たくなる。きのうのでもあしたのでもなく、いちばんきれいであろうきょうの木を見たくなって出かけていく。その習性がおもしろい。ひと目見て同じだったと安心する人もいるだろうが、中にはどうせ同じなんだからと行くこと自体拒否する人もいるかもしれない。願わくば、同じものを見ても、その中に今までとは違うものが見出せるようでありたいと思う。だからこそ、年を重ねることの価値が深められるというものだ。

 3年通ってとても気に入った場所のひとつに、あるアトリエの向かいに建っている教会がある。その三角屋根の建物の脇に立っている木の葉の赤や黄色や緑色が、茶色いレンガや青い空と調和してきれいだ。それで毎年その風景を写真に撮っていて、今年もやはりそこにカメラを向けたのだ。ところが、背景には建築中の新しい住宅があり、よく見ると教会の後ろ側の木は伐り倒され、角ばったアスファルトの道路ができ、「只今分譲中」の看板が掲げられているのだった。…話が逸れてしまった。ほんとうに見たいと思うものや年を重ねて見えてくるものは、目には見えないに違いない。もしかしたら、それを見たいがために、アーティストたちがこの土地に集うのかもしれない。カメラも絵筆も轆轤も彫刻刀も、きっとそのための道具なんだ。

■lunes,10,octubre,2005
 写真を変えた。体育の日だからというわけではないけれど、フットボールの練習風景。先週、通勤途中で撮影した。7時半頃。CNタワーの上のほうの丸い部分、スカイポッドに太陽の光がわずかに反射していた。この街のシンボルとしていつでも堂々とした姿を見せてくれる。

 3連休の最終日は雨で、どうにも眠い一日だった。15時間くらい眠ったんじゃないか。疲れが出たというより、気が抜けた感じだった。きょうは店も閉まっているし、テレビはつまらないし、夕方から夜9時頃にかけて眠って、起きたら野球を見て、ヤンキースが負けて、それから1時頃まで起きて、寝た。

 金曜日に七面鳥を焼いてからきょうまで7回は食っているがまだ半分くらいある。特に飽きることもないが、これはたいへんなことだ。一羽の鳥を残さずありがたくいただくことで、命への感謝を表すということなのだ。骨も取っておいて煮るといいスープになるそうだ。今週末にはこれでラーメンを作って食べよう。

■domingo,9,octubre,2005
 朝方冷え込んだせいか、嫌な夢を見た。どこかの学校で試験監督をしているのだが、生徒たちが騒ぐから注意する。それにも関わらず静かにならないので、「今度うるさくしたら試験は中止する」などと大声で宣言してしまう。当然一試験監督の分際でそんなことはできるわけがなく、本人も言ってしまってから、またうるさくなったらどうしようと心配している。そして、言わんこっちゃない、生徒たちはますます騒ぎ出し…というところで目が覚めた。この場合、できもしないことをすると言ってしまった自分が愚かである。この手の失敗をよく重ねてきたように思う。不誠実であることに自分自身が気づいていない。だから性質が悪い。そしてそのことを、生徒たちは完全に見透かしている。記憶の底に眠っていたことが、ひょんなことから出てきてしまったのだろう。

 普段の日曜日と同じように、午前をゆっくり過ごした。1泊でケベック方面へ行くつもりもあったけれど、疲れるのでやめた。5時間も6時間も運転すると翌日に堪えて、週明けの仕事がきつくなる。先週でちょっと懲りたというのが正直なところ。だが、日帰りでも充実した旅はじゅうぶんに可能なのだ。空は快晴。昼からバリー周辺のスタジオツアーに行ってきた。なるべく車の少ない道をと、404号を北上し、途中からヤング通りに入った。バリーのバスターミナルの隣のバーガーキングで昼飯を食ってから、辺りを散歩した。バリーはシムコー湖に面したきれいな街。岸から湖を眺めるとヨットの帆が左右に動いてきらきら光っていた。紅葉は、青空に映えてきれいに見えるときもあれば、そうでないときもあった。同じ楓でも、角度が変わるにつれてその色彩が刻々と変化していくし、きれいだと見ていても日が翳ればくすんだようになってしまう。それに、時期もある。きょう美しいと見えたものがあすも美しいとは限らない。雨風が吹けば、あっという間に葉が飛ばされてしまう。紅葉の美しさにはそういう不確かさがある。だから、カメラでそれを切り取ろうとするのは至難の業なのである。それでも写そうとするところがすごいのである。去年のこの時期と比べて、色付きが少し遅いような感じだった。

 スタジオツアーというのは、この周辺に住む芸術家たちのアトリエを開放して作品を展示即売するイベントで、今回で22回目だというから息が長い。カナダに来てから3年目の秋だが、思えば毎年足を運んでいることになる。去年はすべてのスタジオを訪問して、あまりに時間がかかりすぎた。スタジオによって作品の内容が異なっており、面白いところとそうでないところがある。同じ絵画でも、趣味が合わない画家もある。いちばん好きなのは焼き物の工房。多くはアーティストたちの自宅が公開されるので、どんなところに住んでいるかというのも興味深いのだが、どこも大自然の中に居を構えているのは変わりない。パンフレットを見ると、去年と同じところもあるが入れ替わりもあるようだ。スタジオどうしはかなり離れているが、黄色い看板を頼りに、紅葉を見ながら走ればすぐだ。今年は焼き物の工房を中心に回った。蕎麦茶碗にちょうどいい器、コーヒーカップやスープ皿など、予定外にずいぶん買ってしまった。日本の焼き物を研究しているアーティストが多いようで、どこの工房に行っても和食器のような器が多かった。まるで光原社である。不思議といえば不思議だが、景色を見ていればなんとなく納得できる。紅葉の様子は、日本の山郷とそっくりだ。こういうところでものをつくる人々の感性に、共通するものが芽生えてもおかしくないだろう。そして、それを受け止める一般の人々の感性だって同じこと。かれらが、日本の焼き物に敬意を抱いていることを、日本人としては嬉しく思う。岩手でもこんなツアーをしてみたいと思った。ちょっと宣伝をうまくやったら、たくさん人が訪れそうだ。

■sabado,8,octubre,2005
 きのうの雨で、また気温が下がったようだ。道はすでに乾いていたので、少し遠出をしようと思った。だが、まだちょっと酔っていたのだろう。9時に家を出るぞと準備して、着替えてベッドに横になったらそのまま2時間眠ってしまった。何をやっているのだろう。

 11時過ぎ。西へ向かって走りだす。高速はそれほど混んでいない。北の空は雲がなくなっている。クリスマス前最後の土曜休み。今まで行ったことのないイベントに出かけよう。ひとつは、キッチナー・ウォータールーのオクトーバーフェスト。キッチナーとウォータールーは隣接した都市で、ドイツ系移民が集中しているところ。本家ドイツでも有名なこの祭り、北米ではここが最大級なのだそうだ。キッチナーの目抜き通りに大きなテントができていて、その中はビア・ホールとなっていた。ドイツの民族衣装を着たブラスバンドが演奏していた。聴いたことがあるメロディばかりだった。それを聴きながら皆ビールを飲んだり、談笑したりしていた。色とりどりの羽の付いた帽子を被っている人が多い。すごくいい雰囲気。だが、座る席はどこにもなく、車だからビールも飲めず、ぐるっと一回りしただけで外に出た。外のステージではベルの演奏や曲芸が行われており、周囲にプレッツェルやソーセージの屋台、土産物店などがあった。せっかくなので、屋台でソーセージを買って、それを昼飯にした。ザワークラウトというキャベツの付け合わせとソーセージがホットドッグのようにパンにはさまっていた。トロントのホットドッグもでかいが、その2倍くらいでかくて、昼にはちょうどよかった。商店街をぐるっと散歩して、駐車場に戻った。天気はいつの間にか快晴になった。半袖にジャンパーを羽織っていったが、風が冷たかった。人々はすっかり晩秋のいでたちで、暖かそうなコートを着込んだ人も多かった。

 この道をそのまま北に向かうと、すぐウォータールーの目抜き通りがある。きれいな町並みを素通りして、さらに北へ。セント・ジェイコブズのファーマーズ・マーケット。水曜と土曜には、メノナイトの人々が農産物や手作りのお菓子などを販売してたいへんな賑わいだ、というのでいつか来てみたいと思っていた。メノナイトはスイス発祥のキリスト教の一派で、もともとはアーミッシュとも一緒だったそうだ。メノナイトにもいくつか種類があって生活様式もそれぞれ異なるようだが、多くは今でも自動車は使わず馬車を使っている。店には、黒ずくめのメノナイトの衣装を着けた人々がたくさん出ていた。市場には、メノナイトのだけでなく近郊の農家の産物や生活用品を売るさまざまな店が出ていた。プルーンとリンゴとシナモンロール、それに、ハロウィン用の小さなトウモロコシの飾りを買った。

 メノナイトの農場を馬車で巡るツアーがあるというのでチケットを買った。12ドル50セント。3時45発で帰りは5時。店はもう少しずつ片付け始めている。買い物をして乗り場で待っていたら、お客さんたちを乗せた馬車が帰ってきた。足の太い農耕馬2頭で引く大きな馬車。20人くらい乗れるだろうか。さっきチケットを売ってくれたお兄さんがバケツで水を飲ませていた。馬車に乗り込んだのは全部で12人これでゆっくり馬車道を進んでいく。窓外の景色は見渡す限りの農場。4、5歳くらいの男の子が、最前席に座らせられ、嬉しそうに二カーッと笑って乗客たちを見渡した。両親の会話を聞いていたら、ロシア語のようだった。赤いトレーナーを着て、赤い羽根つきの帽子をつけた陽気なおじさんが案内役。明瞭な発音で説明してくれた。生の声で英語を聴くのも楽しい。こういうときは皆、説明する人のほうをまっすぐに見て、しっかり聴く。周りをきょろきょろしたり、写真を撮ったりする人はいない。道の途中に、6、7歳くらいの男の子2人が立っている。毛糸の帽子に、上下スキーウエアのようなものを着ている。馬車が止まって、2人が乗り込んできた。2人はこの農場の子どもで兄弟だそうだ。一言もしゃべらず、見るからに純朴な感じの子たちだった。メノナイトの子どもたちはプライベートスクールに通っているそうだ。14歳で学校を終えたら働くのだ、と言っていたように聞こえた。カナダは高校までは義務教育だったはずだが。馬車が着いたところは楓の林。ここで皆降りると、馬車はどこかへ行ってしまった。ここに生えている木を使って、メイプルシロップの採り方を説明してくれた。木には金属製のパイプがささっており、その下にバケツがぶら下がっている。樹液がそこに溜まる仕組み。今では、木々にチューブが付けられており、それを通って樹液が自動的に小屋まで流れてくるようになっているらしい。純度の高いシロップはマイナスの気温でも凍らない。おじさんの説明によると、メイプルシロップの保管場所は冷凍庫がいちばんいいそうだ。それからもうひとつ、おなかの中に入れる方法もあると言った。数々のジョークのうち、理解できたのはこれくらい。その後、実際に住んでいる家の中に通された。生活の様子を見せてくれるのかと思ったら、ひと部屋が土産物売り場になっていて、そこの若い奥さんと子どもたちが店番をしていた。なんとなく、雰囲気でメイプルシロップの小さな缶を一個買ってしまった。帰りの馬車が待っていたが、馬たちはおらず代わりにトラクターがつながっていた。あの馬たちは農家の馬で、この日の最後のツアーだったのですでに馬小屋に帰ってしまったというわけだ。市場の一角まで戻ってきてツアー終了。あのおじさんの話がこのツアーのメインという感じだったが、参加してよかったと思った。

■viernes,7,octubre,2005
 案の定気温の低い日になった。日中は13度までしか上がらなかったのだが、湿度は高く、寒さは感じない。雨が降ったり止んだり。3連休の前日だから、朝から皆ちょっとばかり興奮気味に、廊下で会うといつもよりも長めに話をした。THE SOLAR SYSTEMというのは太陽系のことで、THEが取れるといわゆる太陽熱利用システムになる。そんなことわからなかったので、廊下に看板だけついて惑星のモビールがまだ出来上がっていなかった時には、ソーラーカーか何かを作るのかななどと思っていた。英語では、日本人が考えるよりもずっと冠詞の存在は重要なようだ。こちらの人々の金曜のテンションが好きだ。休日の前の日には、もう朝からわくわく。だからといって仕事は適当というわけでもなく、でも励みにして一日前向いて労働する。素敵だ。

 体育の日というのもピンと来なくなった頃、奇しくも同じ日に連休である。月曜は、サンクスギビングデイ、つまり感謝祭。日本に置き換えるとさしずめ新嘗祭というところか。収穫の喜びを噛み締める日ということだろう。ここで、七面鳥の丸焼きを作って食すのが、こちらの慣わしだ。ところが、この七面鳥はクリスマスにも食べる。隣国アメリカ合衆国では、このサンクスギビングデイは11月の第4木曜日だそう。明日も天気が悪そうだ。せっかくの土曜休みの前夜にただゴロゴロしたくもないし。というので、思い立ったのが、この七面鳥を焼いてみようという企画である。黙っていたらほんとうに最後までありつけそうもないから、自分で買って焼いてみることにした。スーパーの精肉売り場の近くを見たら、ちゃんと売っていた。ちょっと小振りので25ドルほど。内臓がくり抜いてあって、そこにパンなんかで作った詰め物をして焼く。あらかじめ詰めてあるものを買ったほうがいいという忠告をいただいていたのだが、いざ買ってきてみると中が空洞だった。だから、再びスーパーに行って、詰め物の材料を買ってきた。説明書には、まず鳥を冷水でよく洗うと書いてある。手で洗っていると、なるほどこれは生き物だったことが、触覚から感じられるのだ。生き物の命をもらって人間が生きる。それを感謝するにはたしかに手ごろな食材かも知れぬ。と、鳥肌についた水分をタオルで拭き取る。今度はスタッフ(詰め物)作り。買ってきたスタッフの素をボールに開けて、水を加え、パンをちぎって入れてぐちゃぐちゃと混ぜ、それを鳥のおなかに詰めていく。後は、オーブンに入れて焼くだけだ。アパートに備え付けのオーブンは冷凍ピザを焼くときくらいしか使わないが、かなりの優れものではある。説明書によると、325度で3時間。あとは何もしない。これで料理といえるのかどうか。とにかく、細工は流々、仕上げをご覧じろ。

 で、いま、去年買ってからそのまま冷蔵庫に眠っていた赤ワインを飲み、チーズを齧り、ヤンキースの試合を見ながら、焼き上がりを待っているわけである。2時間を過ぎて、いいにおいがしてきた。松井がホームランを打った。ヤンキースの反撃はこれからだ。あともう少し、もう少し。メインディッシュを喰わぬうちに、酔いつぶれて眠ってしまったら、どうしよう。

 10時を過ぎて、見事な焼き色がついて、初めてのターキーが完成した。でかい。これを食べきるには何日かかるだろう。足のところをちょっと切って、缶詰のグレービーソースを温めたものをかけて一口。うまい。なるほど。もっとぱさぱさしているかと思ったら、そんなこともない。ワインを空けて、ヤンキースが負けて、なんだかわけがわからなくなって、そのまま眠りに就いた。

■jueves,6,octubre,2005
 きょう聞いた話では、いま北のほうでは紅葉が美しいそうだ。なんでもここ数年で最高の色具合らしい。ちょうどこの週末が見ごろだというので、きっと混むだろうなあと思いつつ、行ってみたい気持ちも強くなった。一方、トロントはというときょうも蒸し暑い一日になった。気温が下がったのはこの間の何日かだけ。C先生はサングラスに半袖短パンで、「ビューティフル!」「グッデイ!」を連発していた。これではほんとうに7月と変わりない。だが、木々は確実に変化していて、校庭の柳の葉っぱも2、3日前より黄色くなっていた。そしたら、今週末は天気が崩れるということも聞いた。もし土曜の朝雨が降っていたら、3日間篭りっきりになる可能性もあるなあ。

 先日の中学生向けの文章を書いているとき、何が苦しかったかといえば、これで伝わるかどうかの距離感が測れなかったことだ。相手との関係が構築されていないにも関わらず、読んでくれたときの表情を想像しようと思ったからだ。それがまったく浮かばなかった。だから、書いて送信してからも心配だった。担任に読んでもらって、大丈夫と言ってもらって、やっと安心した。安心ばかりでなく、新しい力がわいた気がする。やっぱり、書いてみるもんである。顔の見える相手に向けて書くということをしていないと、こうもたいへんになってしまうのかと、そんなことも学んだ。

 返信には、「生徒は嘘を見抜く」と、書かれていた。正直な気持ちを書いているから、伝わるだろうという見定めだった。正直な気持ちを書いているか、つくろうとしているかは簡単にわかる。「見抜く」ことは、特別な能力をさす言葉ではなく、まっすぐな心で受け止めたときに自然に見えてくることなのではないか。だから、子どもは嘘を見抜く。それをわかっていたら、小手先だけで繕おうとしたり、もっともらしい表現でわざと煙に巻いたりなどはできないはずなのだ。それをやっている者が教壇に立つべきではない。子どもの心にかえってまっすぐにみたとき、嘘をついていることがわかったら、その人を許してはならない。見抜いた嘘を、暴く。と、場合によってはそんなことも必要だ。

■miercoles,5,octubre,2005
 蒸し暑い。体感で30度になったそうだ。夜も16度。これではきれいな紅葉は望めないだろう。寒いよりいい、かどうかはわからない。ディスプレイの秋色がどこか空々しい感じ。これでいて、急に冷え込んだりするのだろうか。こんな中、NHLのシーズン開始。昨年は一試合もやらなかったから、今年は2年ぶりの公式戦となる。ホッケーが帰ってきた。朝からこの話題でもちきり。680NEWSのアナウンサーも“GO LEAFS GO!”と叫んでいた。ちょっと笑いながら。カナダの人々にとっては、ひじょうに特別なことなのだ。野球の百倍も。
 
 だけど、自分にとってはMLBのプレーオフのほうが百倍興味深い。カージナルスとヤンキースがあたって、カージナルスが優勝するというのが、いちばんおもしろそうな筋書きだ。と言っていたら、井口選手が逆転ホームランを打った。普通に活躍しているところが誇らしい。ところで、日本のプロ野球では来季から原監督が復帰。原監督のためなら、あのチームを応援してみようという気にもなる。上に立つ者によってチームの色は決まる。

■martes,4,octubre,2005
 地下鉄の改札にパスを通したら、回るはずのバーが回らずに腰に当たった。もう10月なのに9月のパスを使おうとしたからだった。振り返ると、ここに来るまでいろいろなところにサインが出ていたのだが、そのときは気づかなかった。いくらサインがあっても、本人が気づかなければしかたない。だが、今求められていることは、もう気づくことではなく、見抜くことなのではないか。目の前に現れているのに、見抜けなければどうしようもない。パスを取りに部屋に戻って出直したら、出勤が遅くなった。バスが混んで、おまけに駅からしばらく渋滞で、車が古くて揺れるものだから立っているのが嫌だった。途中でバスを降りて歩く。蒸し暑い中急いだら、朝から汗をかいた。これでも10月か。

 帰りは本屋に立ち寄った。カナダやトロントの写真集をいくつか捲っていたら、見慣れた風景の美しい写真に心が惹かれた。こういうものを記念に買っておくのもいいかなと思った。そこでは何も買わず、シェパードの駅を降りてすぐのところの雑誌屋で、TORONTO LIFEを買った。この街に来てから続けていることといえば、この雑誌を買うことくらい。読むのは未だに困難だけど、以前よりは眺める時間が長くなってきたかな。これを三年分持ち帰ったとしても、何の価値もないような気がするが。同じ駅の中華の店に初めて入った。味が濃そうにみえて、そうでもなかった。日はとっぷりと暮れたが、まだ蒸し暑い。まるで7月の夜のよう。こんな日にしては珍しく行列がなかったので、デイリークイーンに初めて入って、バニラアイスを買って食べてみた。ミディアムという単語が出ずに、センターなどと言って注文したのは恥ずかしかった。別れを告げるようなつもりの日々でも、毎日のように初めてのことがある。街という入れ物を国や星に置き換えても同じことだ。

■lunes,3,octubre,2005
 日の出前に出て、日没後に帰ってきた。車を運転していたのが十時間で、滞在時間が二時間。目抜き通りをひととおり回って、あの街に別れを告げた。紅葉にはまだ少し早くて、一日中蒸し暑くて汗をかいた。市場でトマトとジャガイモとクロワッサンを買った。オレンジ色のカボチャやら唐きびの葉っぱやら、ハロウィン用の飾りが並べられていた。日本人の観光客が、メイプルシロップの売り場に群がってわいわいやっていた。よく見ると、店員も日本人だった。この人たちと同じに見られるのかなと思ったら、その場を離れたくなった。フランス語系の書店で2006年のダイアリーを買った。ボンジュールまではよかったが、金額を言われてもわけがわからず、20ドル札2枚を出したら、1枚返された。最後はメルシーと笑顔であいさつを交わした。州境の街は、言語の境の街でもある。英語が聞こえるかと思えば、フランス語が聞こえ、英語の看板があるかと思えば、隣の店はフランス語だったりする。この感覚がおもしろくて、僕は何度かこの街を訪れた。10月から博物館は月曜休館で、今回も残念ながら行けなかった。できれば、もう一度くらい機会があれば。車の中で繰り返し聴いたシェリル・クロウ。なんだか切なく響くようになった。

■domingo,2,octubre,2005
 天気も良さそうだし、二日がかりでオタワまで行こうかなんて思っていたのだけれど、気がつくと夜の11時を回っている。きょうも部屋から一歩も出ない日曜日になった。頼まれていた中学生向けの文章を、短時間で書くつもりがあれこれ考えて、捻りに捻った挙句にまた戻して、途中で昼寝をして、起きて一からやり直して、ようやく完成した。まったく。時間かかりすぎ。こんなんでいいのか。

 来週はサンクスギビングデイのロングウイークエンドで3連休。ここを逃したらもうオタワやケベックには行けないかもしれない。だけど、バリー周辺のスタジオツアーにも行きたい。こうやって時間が限られていってしまう。どうにかできないものだろうか。すべてばっちり解決するような、うまい考えはないだろうか。オタワ、日帰り、明日? 天気は晴れて暑くなりそう? そんなことができる元気は残っているかな。

■sabado,1,octubre,2005
 一日があっという間に終わった。予定通りのこともあり突発的なこともあった。充実した一日という言い方が前向きかな。でも、語り合えば語り合うほど問題の在り処が焦点化されてきて、それについて考えるとひじょうに胸糞悪い思いになる。笑顔がちょっと引きつりそうになるけれど。乗り越えるための新しい力が必要だ。