2005年 9月

■viernes,30,septiembre,2005
 9月もきょうで終わり。年度の半分が終わったということになる。そして、親父の日。きのうなど、不意にあれこれと考えが浮かんできて、思えばそうだったと気がついた。まるで、身体に刻み込まれていたリズムのように。あるいは、呼んでくれたのかもしれないと思った。それからきょうは、思いがけず生と死のことを語り合う時間をもつことができた。故人にまつわるエピソードはそれぞれにいくつも抱えていて、考え、語ることでまた、次を生きる糧にできる。

 一雨ごとに気温が下がり、木の葉が色づいていく。やがて木は枯れ、痩せてなお頑強な枝を晒すことになる。秋は、あのころから自分にとって大事な季節になったが、多くのこの地帯に住む人々にとっても、生と死について考えさせられるかけがえのない季節だといえるだろう。では、
常緑樹の国やツンドラの国、砂漠の国ではどうだろう。きっとそこにも生と死のシンボルがたくさんあるに違いない。誰しもが考え続けること。命でしか生きることができないからこそ、命とはありがたいもの。

■jueves,29,septiembre,2005
 未明に激しい風雨があった。木曜日はここらへんのゴミ回収日。道端のゴミ箱がひっくり返って、ゴミがあちこちに散乱していた。通勤途中、みるみる雲が追いやられていって、きれいな秋空になった。だけど、気温はぐんと下がって、半袖では寒いくらいになった。街頭にはもう、外套を纏った人、襟巻きを着けた人もいる。人によって感じ方はこんなにも違う。
 
 うまい洋ナシ。深い味わい。どれくらい深いかというと、一言では言い表すことができないほど深い。味覚の秋。でも、味覚は底なしではなくて、脳細胞の複雑さ以上には、うまく感じることはあり得ない。ラーメンでも、ハンバーガーでも、何でも。そう考えたら、悲しみの深さというものにも、限度がある。怒りでも、喜びでも、何でも。

 言葉でしか考えることができないのと同じように、人間は命でしか生きることができない。なんだかな。

■miercoles,28,septiembre,2005
 登校途中の子どもがストリートカーに小さなかばんを置いたまま降りてしまったらしい。それを届けるために思いっきり走って追いかけるおばさん。そして、それを待つ運転手さん。やっとのことで忘れ物を渡し、戻ってきたおばさんを迎える笑顔たち。それに、歩きながらそれを見ている僕も。

 校庭には朝のランニングの子どもたち。この子たちの素直で一生懸命な顔つきを見ると、かれらの存在がみな尊敬に値するように思われる。きっとそう。すべての子どもが走る朝。かれらが走るから、新しい一日が始まる。僕にとってのかれらは、すべての始まり。かれらが走らなければ、夜はいつまでたっても明けることはない。

 いつからか、人々の表情に関して、何の違和感ももたなくなった。挨拶を交わすとき、片言のコミュニケーションをとるとき、誰かとおしゃべりしているとき、大きな声で叫ぶとき、とつとつと何かを語るとき。みなの気持ちが手に取るように感じられ、しばらくは胸に少しの余韻を残す。愛すべき人々はいつから愛すべき人々だったのか。もちろん、これからもずっと愛すべき人々は、愛すべき人々のまま。

 これだけいろんな国々の話に囲まれているから、ひとつの国のことにばかり固執することもない。すべての国々について、意識的に関心をもてるようにしたい。誰だって、顔の見える相手、知っている人とは、争いたくないだろう。だから、知らない国、遠い国にも関心をもつようにする。そうしたら、これを読んだ人はもう無関心ではいられなくなる。そこの国とはよもや戦争しようとは思わなくなる。

 人々もそう。60億人それぞれ違うとはいえ、人間は誰も同じだ。気になる人を挙げたら、その人にも大事な人がいるし、愛する祖国や故郷があるわけだし、自分がそうであるように、その人々にとっても、そうなのだ。有名人には顔があるが、そうでない人にも顔がある。すべての人々の顔が、当たり前に笑顔になれるようにしたい。

■martes,27,septiembre,2005
 朝から元気。快晴の空は放射冷却。肌寒いながらも7月と同じ服装。まだ大丈夫そうだ。行き帰りともくねくねといろいろな道をすたすたと歩いて、うっすらと汗をかくほどだった。朝も夕方も、オレンジ色の光に包まれて、どうしようもなく、秋。

■lunes,26,septiembre,2005
 雨に煙った休日だけど、外に出なければならなかった。先月の水害の後、駐車場が埃だらけになったので、それを一日かけて洗い流すということだった。そこで、車をどこかに移動させなければならなかったのだ。ハリケーン崩れの低気圧の影響で、雨が降っている。こんな日に出かけるのも嫌だなあと思いつつ、近場の駐車場に入れるのも嫌なので、とりあえず進路を北にとった。ヤング通りをひたすら北へ。トロントを越え、ヨーク・リージョンに出ると青色で長い車体の見慣れないバスが走っている。今月になって走り出したYRTVIVAという新しいバスらしい。ところが、南行きの道は混雑していて、そのVIVAも身動きが取れなくなっていた。
 
 雨が小降りになり、前方にうっすらと見える虹を追いかけながら車を走らせる。どこ行く宛てもなかったが、意外と紅葉が進んでいるので、ムスコーカまで行ってみようという気になった。コテージ・カントリーと呼ばれるだけあって、無数の湖があり、森があり、都会の人々が休暇をのんびりと過ごすような地域。紅葉シーズンにはそこまで向かう高速が渋滞するくらい混雑する。だがきょうは雨の平日なので、ほとんど混んでいなかった。

 WEBERSという炭焼きハンバーガーの名物店で腹ごしらえ。敷地内に列車の車両が置いてあり、その中で食事ができる。きょうは初めて車内で食べた。休日にはすごい行列ができるらしいが、前回来たときも今回も雨だったので人はあまりいなかった。味は、かなりうまかった。近くに座っていた若者2人組が、ハンバーガーを頬張ってはウンウンうなりながらうまそうに食べる音が聞こえてきた。

 ドーセットというところには火の見やぐらというか、鉄筋製の高い塔があって、そこのてっぺんから見る紅葉は美しいのだそうだ。前に来たときには怖くて登れなかったのだが、もうここも最後だろうと思ったら、それほど怖さを感じずにいちばん上まで登ることができた。誰もいないと思っていたのが、頂上に登ると若い男女が座ってサンドイッチを食べていた。「上まで来れました」と言ったら、「やったね!」と言って祝ってくれた。湖と森を遠くまで見渡せる眺めは素晴らしかった。インフォメーションセンターの人も同じように喜んでくれた。2週間後のサンクスギビングデーあたりが見ごろだと言っていたけれど、その頃にはもう遅いんじゃないかというくらいすでに紅葉していた。

 一日で何人もの人と会話やあいさつを交わして、とても気分がよくなった。こちらから声をかけると、皆とても朗らかな笑顔になった。土産屋で絵葉書と水を買って、そのまままっすぐに帰宅した。往復550キロほどのドライブ。日帰りコースとしてはちょうどよい距離。

■domingo,25,septiembre,2005
 雨に煙った休日だから、外に出ることなく終わった。ボーっとしていたら昼になり、夜になった。考える力なし。

■sabado,24,septiembre,2005
 幼稚園の子どもたちとバスで1時間の農場へ。しばしの気分転換。でかいトラクターの荷台に乗せられ、林檎畑の中へ。こちらの農場は、入場料は無料だし、いくらもいで食べたって自由。林檎と梨を持ち帰り用の袋に詰め、しめて3ドルくらい。一週間分はある。帰還後は通常通り。次から次へと会議、相談、会議、相談。現実問題として、自分の言葉はちゃんと通じているだろうか。意味がわかるような言葉遣いをしているだろうか。

■viernes,23,septiembre,2005
 心に小骨が突き刺さったような感じで週末を迎える。「慣れ」をグラフにしてみたら、どんな線を描くのか。きっと正比例なんかではなくて、上がったり下がったりしながら伸びていく線になるだろう。そして、それが上に上がっていくかというと、それはわからない。この小骨が抜けて楽になるなんてことがあるだろうか。

 話が人の問題になると、全部ややこしい。同じ字面の言葉でも、人によって意味が異なる。言葉を頼りに意思疎通を図ろうとするのだから、ややこしくないわけがない。だからこそ、我々は言葉でなんとかしようと、努力する。1+1が2になるのは数学上の話で、世の中にはほかに有効な答えが無数にあるに違いない。「押してもだめなら引いてみな」。これは口を閉ざせというのとは違う。0か1かではなく、全体のバランスを問うているのだ。ひとつのタイルの色をいちいち議論していたら、いつまでたっても壁画は完成しない。何を描きたいかからの発想が大事ではないか。

■jueves,22,septiembre,2005
 すでに日本は秋分の日。三連休初日の朝のNHK。トップはアメリカのニュース。どれだけの人々が見て、そのうち奇異に感じた人はどれくらいいただろうか。これを何の疑問もなく受け入れられるとしたら、どうかしている。ニュースがないわけじゃないんだから、まずは自分の国じゃないのか。あまりに露骨なごまかし。憲法調査委は?国民投票法は?道路公団は?在日米軍は?医療ミスは?日朝問題は?少数派の声はかき消され、日本を住み難くしてきた張本人たちも時に紛れて忘れ去られてしまう。それにこの分だと、憲法改正は時間の問題だ。この間の選挙みたいに、国民自身の賛成多数によって決まってしまうのだ。弱者を無視し、犯罪者をいとも簡単に許す。そんな体質が表れているんじゃないんですか。

 ランチタイムの前、廊下に整列していた1年生の子どもたちが、元気よくカナダ国歌を歌っていた。みんなてんでばらばら、でもとても嬉しそうに。この歌は歌として素晴らしくよくできている。ほんとうにいい歌だと思う。日本の国歌ではこうはいかない。子どもたちがこれを歌って嬉しくなるかというと、そうはならない。逆に元気がなくなるような旋律、そして歌詞。この歌は歌として実におもしろくないつくりとなっている。国歌斉唱大賛成。だが、あの歌ではなあ。歌って気持ちのよい歌を新しくつくったらどうだろう。

■miercoles,21,septiembre,2005
 少し前まで日の出とともに目覚めていたのだが、きょうは日の出とともに家を出た。昨夜きれいな赤い月が上った東の地平線から、今朝はオレンジ色の太陽が現れた。冷凍庫からつながった食パンを出してはぱかぱかと引き剥がす。レタスとチーズを挟んでサンドイッチバッグに押し込み、弁当の完成。このパタンの昼食をすでに百食は続けているだろう。きょうは朝飯の時間はない。もうちょっと過ぎると、地下鉄に乗りたくなくなってしまう。
 
 サウスバウンド(南行き)の始発から2駅目。
まだ7時を少し回ったばかりだというのに、もう座る席がない。以前はもっと余裕があった。座れないことは、まずなかった。以前といっても、ほんの1年か2年くらい前の話。3年前には、ここにはいなかった。近所にはコンドミニアムがにょきにょきと建って、ビル一つにつき数百名の新たな住民が越してくる。そのうちの多くがダウンタウンへ通勤するとしたら、この混み具合も不思議ではない。それに、こういうところに越してくるのは若い世帯が多いから、当然子ども人口も多くなる。いちばん近くの小学校はもう空きがなく、しかたなく少し離れた学校へ通わせなければならなくなっているらしい。

 シェパード、ヨークミルズ、ローレンス、エグリントン。エグリントンを過ぎたところで車両が地上に出て、空が見える。進行方向に向かって右側は地下鉄の操車場。左側には線路と並行にヤング通り。その向こうにはマウント・プリーザント墓地の広大な緑地が広がる。地上駅デイヴィスヴィルを過ぎて再び地下に潜るとほどなくセントクレアに到着。ここでストリートカーに乗り換えるのが最短。だが、ここから職場まで3〜40分歩くととても清清しい。歩く回数がほかのどこの通りよりも多いからか、セントクレア沿いの雰囲気がいつの間にか好きになった。

 トロントの街は、碁盤の目のように南北に伸びる道路と東西に伸びる道路とから構成される。街の中心を南北に貫く世界一長いストリート、ヤング通りを中心にして、そこより東がイースト、西がウエストとなる。セントクレア通りの場合、ヤングを境にして東側はセントクレア・アヴェニュー・イースト、西側がセントクレア・アヴェニュー・ウエストというように呼ばれる。セントクレア・ウエストを走るストリートカーは現在一部区間が工事中で、バスの代行運転となっている。楽しさを式で表せば、地下鉄+徒歩≧地下鉄+ストリートカー、ストリートカー>バスとなり、したがって選択肢は徒歩となる。雨が降っていない場合しかもゆとりをもって家を出た日に限るけれども。ちなみに、雨が降っている場合やゆとりをもって家を出られなかった日には、車を出す。快適さを式で表せば、車>それ以外、となる。ただし、帰りには必ず渋滞に巻き込まれるというおまけつき。
 
 話はまだ通勤の途中だ。めずらしく長々と書いているのは、今朝この通りを歩き出したとたん、まるでスイッチがオンになったようにさまざまなイメージやことばが頭の中に浮かび出して、徒歩の「効能」をあらためて実感したからだ。乗り物の中ではほとんど何も浮かばない。目や耳や鼻や肌に飛び込んでくる情報量は、移動するスピードに反比例するのではないだろうか。その証拠に、今朝はあちこちに秋の欠片をいくつも見つけることができて、季節が思った以上に進んでいるのがわかった。

 きょうのキーワードは「お土産」。音楽や、絵画や、写真や、文学や、彫刻や、書や、ダンスなどと並列に存在する概念としてのお土産である。歩けば歩くほど、それが同列に思えてきておもしろかったのだ。もっともこの話には伏線があって、先日旅先で買った一枚の額絵のエピソードが発端となっている。形のある土産物をほとんど買うことのない自分が、どうしてもほしくなって衝動的に買ってしまったのが、その一枚の絵だった。海に浮かぶ島とヨット。ただそれだけの単純な絵。けして上手とはいえない。見れば見るほど素朴な図柄。ところが、これをつくった人は一生懸命心を込めてつくったのだろうとわかる代物なのだ。有り体にいえば、どうにもあったかいのである。どんな人がこれをつくったのかわからない。だけど、見ているとほんわかとあったかい気持ちにしてくれる。こんな「お土産」がかつてあったろうか。芸術の括りとすれば絵画だろうが、これは絵画であって絵画ではない。やっぱり「お土産」なんである。誰かが持ち帰ってくれたときにこんな気持ちにさせるものを、僕もつくれたらいいなあと。それは、音楽でも文学でもなくて、「お土産」なんだよなあと。こんなことも、ひとつの大切な出会いだなあなどと旅を抱きしめる心地で今朝は歩いたのだ。

 あとでちゃんと報告しようとは思っているけれど、ほんとうに小さな島なんだ。小さな集落があって、何百人かが住んでいるだけの。そこに住む人々の中のひとりが、せっせと描いた一枚の絵。お土産として売るために描いたこの絵は、世界に二枚とない。どう考えてもあり得ない。そういう手作りのお土産。こういうお土産こそが、いいお土産だ。

 この話にはまだ続きがある。買って、帰ってきてから気がついたのだけれど、この絵の色遣いが、僕のサイトとすっかり同じだったというわけ。土産物屋で見つけた時点で気づいてもよさそうなものなのに。それでますます、この絵の価値が自分の中で大きく膨らむこととなった。この人とだったら、ずっと友達でいられるような気がするというほどに。

 スタイルではない。訪ねてくれた人が持ち帰って気持ちをあったかくしてくれるような、「お土産」をつくれる人になれたらいいなあと思う。断っておくが、「お土産作家」とか「お土産アーチスト」とか、そんな言葉で括ろうとするのはぜんぜん違う。普通の人だし、何も上手じゃないし。でも僕は、この絵を描いた誰かのように、誰かのためのお土産をつくりたくなったのだ。

 と、今朝はそういうことを考えながら歩いていた。学校に着くと、校庭では女子サッカーのチームが練習していて、子どもたちや大人たちがそれを見ていた。学校版のテリー・フォックス・ランは月曜日に行われたらしいが、きのうもきょうも校庭をランニングする子どもたちがたくさんいた。公孫樹の葉っぱはまだ緑色で、銀杏は目立たない。これがばらばらと落ちるのはいつごろだったろうか。

 一日中晴れて暑かった。帰りの時間。朝のサッカーチームがどこかのチームと対外試合をしていた。たくさんの人々が声援を送っていた。青空の下。緑の芝生にオレンジの夕日があたる。美しい秋の日のひとこま。道路に出ると、ちょうどアイスクリーム屋のトラックがやってきた。運転手のおじさんがオルゴールのボリュームを上げて、出口の近くに横付けする。タリラリラリランララー ラリラリラーンの繰り返し。このメロディをいつまで覚えていられるだろうか。

 シアトル・マリナーズのゲームに行こうと思っていたが、それまでの元気はなくなった。せめて、いつもより長い距離を歩いて帰ろうと思った。果物屋の店先に、なんとサボテンの実があるのを発見。3個で1ドル49。先月のこと、サボテンの先端に付いていた赤い実がうまそうだなあと思って、素手でぎゅっとつかんだら、実の表面を覆っていた細かな棘が手のひらに無数に突き刺さり、それらを抜くのにたいへんな苦労をした。ばかだった。だが、あの実はうまそうだった。うまいから、身を守るために棘で身体を覆っているのだ。だから、いつか食べてみたいと思っていた。きょうのは棘がきれいにとられていて、つかんでも痛くなかった。レジのおばさんにもっていくと、「これはうまいよ」と言った。「酸っぱくないの?」と聞いたら、「酸っぱいのが好きなの?」とからかわれた。「とっても甘いよ」というので楽しみにして帰った。こんな些細なコミュニケーションで、心から嬉しくなるこの自分。何なんだろうね。

 セントクレア・ウエスト駅の南側から入る遊歩道。いつもの道と目と鼻の先なのに、今まで通ったことがなかった。街中とは思えないほど森林が繁り、日が翳って暗い。犬や犬を連れた人間と何人かすれ違ったが、ここで強盗にあったらと思ったら少し早足になった。

 アヴェニュー・ロードを南下。だんだんにハイソサエティな雰囲気が増大してくる。ホール・フーズのマーケットを発見。だが、見るだけで通り過ぎる。ショー・ウインドーには悉くおしゃれなブランド品が。さらに、向こうからはセレブリティな婦人や紳士が。線みたいに細長い女の人とすれ違う。こんなに細い人もいるんだ。なんだか無機的だな。そして、窓に自分の姿が映る。有機物の塊り。へんなガスを放ちそうだ。同じ人間なのに、どうしてこうも違うのか。そうこうしているうちに、ブロアまで歩いてしまった。地下鉄でカレッジまで行き、フードコートでフォーを食べる。きのうはラーメン、きょうはフォー。塩味のスープが身体に沁みる。うまい。要するに、こういう汁なのだ。ちょっとスープ飲ませろと言いたくなる気持ちがわかるよ。

 帰宅後はナイトゲームを見る。ブルージェイズは負けてしまった。行かなかったから。サボテンの実を1個食べてみる。半分に割って、匙で一掬い。うまい!残りは冷やして後でいただこう。

■martes,20,septiembre,2005
 うまいラーメン屋ができたというので帰りに寄ってみた。味千というとんこつラーメンの店。本店は熊本だそう。場所はトロントの北、スティールス沿い。中国の店が並んでいる新しいプラザの一角。中に入ると「いらっしゃいませ」という従業員たちの元気な声が。しかし、訛っている。まるでルーシー・リューがしゃべっているみたいだった。ところでラーメンの味はというと、これがうまかった。麺もスープもよかった。まさしく日本のラーメンだった。こういう汁が飲みたかったんだ。前に行った店は一回でいいと思ったが、ここにはまた近いうちに来るだろう。

 こんなことで満ち足りた気持ちになるなんて。人の気持ちなんていいかげんなものだ。その足でふらふらと買い物に。1ドルショップはもうハロウィンの飾りがついていて、スーパーのお菓子売り場には、これもハロウィン用の小袋の詰め合わせが並んでいた。そして、文房具屋をのぞいてみたら、もう来年のカレンダーや手帳が売り出されていた。もう今年も終わりかよ。ちょっと早すぎねえか。

■lunes,19,septiembre,2005
 一歩も外に出ない休日。寝たり起きたりを繰り返し、何も意欲がわかないうちに夜中になった。先週もこんな感じだった。まずいな。

■domingo,18,septiembre,2005
 朝起きがけに豆乳を一口飲んだら、身体が拒絶反応を起こした。軽い嘔吐。胃がちょっと裏返るような感じ。バニラの香料のために変質していることに気がつかなかったのだろう。そういえばコップに注ぐとき、いつもよりどろどろしてたような。

 昼からロジャーズセンターに出かけた。ヤンキースの2勝で迎えた3戦目。日曜日のデーゲームは全開の屋根から青空とCNタワーが見えて気持ちがいい。マツイの応援というよりは、やっぱりブルージェイズのためにいっしょに戦ったような気持ちだった。明日からはマリナーズとの4連戦だ。

■sabado,17,septiembre,2005
 同じところを見ていても、人によって見えるものが違う。価値観は人それぞれだけど。いろいろな人がいるけれど。とんでもない人間というものもいる。著しく悪質。しかもそのことに気づかないまま半生を過ごしてきたという人もいるのだ。だが、自分もそうかもしれないし、今はそうでなくとも、いずれそうなるかもしれない。と、思うと恐ろしい。

 朝から汗をかきっぱなし。毎週のことだが、土曜日だけは額から滝のように流れ出てきて気持ちが悪い。懸案だったことはクリアできたが、先送りしたこともいくつかある。また来週やろう。
 

 今夜はおとといのメンバーでまた晩餐だった。グラナイト・ブリュワリーという地ビールの店だった。肉の塊を喰った。カナダに来てステーキを喰ったのは3度目。店で喰ったのは初めてだ。
 
■viernes,16,septiembre,2005
 朝から夕方まで雨。中止になったマラソン大会。校舎はひっそり閑。気の毒な子どもたちと先生たち。雲があるときとないときの明るさの違い。洗われた芝生。少しずつ病葉色に染まってきた街路樹。なんだかあまり金曜日の感じがしない金曜日。夜にはテレビをつけたままうとうと。トロントでは最後のヤンキース3連戦。日曜には見に行こう。

■jueves,15,septiembre,2005
 きょうはたしか老人の日だ。敬老の日は19日だ。なんだ老人の日って。

 テリー・フォックスはカナダのヒーローだ。このところ毎朝、子どもたちが校庭を走って、明日のマラソン大会の練習をしている。Tシャツやらテリー・フォックス・モデルのシューズやら、いろんなものが売り出されて、その収益が寄付されるらしい。校舎内には、彼に関するさまざまな掲示や展示が行われている。今年の9月1日はちょうどテリーが倒れて25年の節目で、各地でイベントが盛んなようだ。そういえば去年も一昨年もそんなイベントがあったような気がするが、ここまで盛大ではなかった。秋のさわやかな青空の下。こんなに多様なランナーたちの一生懸命の姿を見ていたら、嬉しくなる。

 今まで行ったことのないチャイニーズ・モールのレストランで、学校に訪れた客人たちと夕食を共にした。こういう人数で食べるといろいろ種類が楽しめてよい。旅のあれこれについての会話も楽しかった。こういうことがあると、ここ数日の少し乾いた気持ちが潤いを得たようになってありがたい。うまい食事というのは、舌で味わうだけではないのだ。満足感は、一個の器官だけが感じるのではない。しかも、一人ではなく、他人と繋がっていないと得られないものなのだ。とはいえ、それは滅多にないからいいのであって、それがもしいつもそういうふうになったとしたら、きっと罰が当たる。

 再放送だらけのCBCで、「サン・ピエールの生命」というフランス映画が放送されている。ついこの間、もう再発売はされないだろうと言われた映画。後でじっくり鑑賞しようと思って録画中。僕にとっては最高に特別の映画であるはずだ。いま振り返っても、涙が出そうなくらいに、嬉しい気持ちになる。大好きな場所や大好きな人が増えるのは素晴らしいことだ。あの場所がいつまでも素敵なままでいますように、あの人たちがいつまでも穏やかに笑顔で暮らせますようにと、自然に願わずにおれないような体験だった。

 これまで撮りためた映像のいくつかを見られるようにしました。画が現れるまで時間がかかり、しかも粗いです。もし時間があったらどうぞご覧ください。

■miercoles,14,septiembre,2005
 やろうと思っていたことのうち、できなくなりそうなことがいくつもある。ところが、是が非でもなどとはあまり考えていない。できることをやるのは、なかなか難しい。諦めないけれど、諦めが肝心だということもよくわかる。いえるのは、人間はひとつのところには留まっていないということ。ある夢を描いていた自分は今はすでになく、もう違う夢を思い描いているのだった。そのことにすら気づかずに歳をとる者もいれば、百万の夢を描きながら、夢が果たせぬにも関わらず満足して死んでいく者もいる。中途半端でありながら完璧な人生。そんなものがある。

■martes,13,septiembre,2005
 明るくなる時刻が日に日に遅くなっている。それにつれて目覚める時刻も遅くなっている。夜寝る時刻も、やはり遅くなっている。しばらくだらだらしていてから、ようやく何かをやろうと思い立つ。だから、遅くなる。でも、布団に入って1分後には意識がない。

■lunes,12,septiembre,2005

 朝まだ暗いうちに出かけてきてから、あとはずっと部屋にいた。外は夏のような陽気で蒸し暑くなったようだ。窓の外に見える遠くの空も霞んでいた。こういう日に外に出ないというのはもったいない。とはいえ、ただ黙って休む日があってもいいだろう。出かけてばかりでもいけないし、閉じこもってばかりでもいけない。うまくバランスを取ろうとしているのかも。

 
岩手日報のサイトではいつのまにか事件の容疑者や事故の犠牲者、怪我人の氏名が××の伏字で出るようになってしまった。これでは意味がない。誰が逮捕されたのか、誰が死んだのかが重要なのだ。中央紙などではちゃんと出ているから、これはどういう基準なのだろう。事件や事故で氏名を伏せるのが個人情報の保護なら、子どもの顔写真や氏名をでかでかと載せるほうが何倍もまずいのではないか。

domingo,11,septiembre,2005
 テロから4年がたった。ずいぶん混沌とした世界になった。朝から選挙のニュースを見ていた。与党の大勝利。これほどまでとは思わなかった。正直、空気がまったくわからなくなってしまっている。どんなに望ましいと思われる方向でも、皆がこんなに集中してしまうのはどうかと思う。そういう空気の中で暮らしていくとしたら、息が詰まってしまいそうだ。

 カナダの国営放送局(という表現が正しいのかわからないけれど)CBCは先月からストに入っており、テレビもラジオもレギュラープログラムが放送されない状態が続いている。特別編成の番組で、ニュースこそやるけれど、あとは再放送やイギリスBBCの番組などでつないでいるような感じだ。先日は放送局の前でプラカードを掲げて声を上げている人々を目にした。こちらのストライキはかなり過激だ。何か月か前に、エアカナダでもストがあり、空港の業務が停止して飛行機が飛ばず混乱したことがあったし、ゴミ収集車のドライバーがストをしたときには何日もゴミが運ばれずに住民が処理場まで捨てに行く車の長い列がテレビに出ていた。教員や校務員(ケアテイカー)もストをするときがあって、数年前にはそのために校舎が使えなくなり別の会場で入学式をしたことがあるという。NHLの公式戦が昨年1年間行われなかったのも、労働闘争のためだ。権利を主張して行動することは大事だとは思うが、住民や客の迷惑も顧みずにというのは、ちょっと首を傾げる。

 ところで、きのう聞いた話。こちらの先生方は、10年勤めると1年間のリフレッシュ休暇のようなものを得る権利が獲得できるらしい。僕とほぼ同い年と思われるC先生も、数年前にその権利を行使して、1年間職場を離れていたのだという。これを利用して旅をしたり、アルバイトをしたりする先生がずいぶんいるそうだ。10年なんて、あっという間じゃないか。定年までだったら、2、3回取れるじゃないか。10年で1年という頻度を聞いて、ひっくり返ってしまった。これも闘争の結果勝ち取った権利なのか。この違い…。

■sabado,10,septiembre,2005

 ケアテイカーがラスト・サマーと言っていたから去年の夏の話かと思ったら、つい先月のことだった。今はもう夏ではないのだった。きょうは窓を開けると気持ちのよい風が吹き込んできた。しかし、明日からの3日間は予想気温が30度以上で、しかも蒸し暑くなるらしい。

 あすはあまり人ごみの多いところには行かないように、という注意を聞いた。それとは関係なく、市内では毎日発砲事件があって、毎日撃たれて死んだり怪我をしたりする人が出ている。どこをどう歩いていて、凶弾に倒れるかわからない。もし流れ弾に当たったら、運が悪かったということになるのか。

■viernes,9,septiembre,2005
 思っていたこと以外のことが次から次に沸いてきて、不思議とそれらまでなんとかきょうのうちに片付いた。これで明日の準備は万端か。わからないけれど、明日になって不足が出てきたら、そのときはそのときでどうにかすればいいのだし。人間1日のキャパシティ、1週間のキャパシティ、1か月の、1年の。ある程度決まっているようだ。努力するしないも、それほどかけ離れているわけではない。
 
 あなたは運がいいと、ある人がある人に向かって言っていた。言われたほうは嬉しいかどうか。それは、あなたは幸せだと言われているようなもので、当人にとってはあまり意味がない。運がいいか、幸せかは、人が決められることではない。自分が自分を幸運だと思えるのなら、それがいちばんだ。人のことを羨んだり、妬んだりする暇があったら、自分は世界一の幸せ者だなあと、心から思えるようなしかけを、本気でつくってみたらどうだろう。

 自分の場合たまに、あなたは幸せそうに見えるとか、実にうまそうにモノを食べるとか、そんなことを言われることがある。それはそうだ。そんなふうに見せているのだから。

■jueves,8,septiembre,2005
 朝には雨が降っていた。7時を過ぎても真っ暗で、ときどき稲妻が光った。傘は差していたけれど雨の勢いが強くて少し濡れた。きょうはひどい天気だと、先を歩く人がドアを開けて待っていてくれた。午前中は会議で、いろいろな議論が巻き起こっていい雰囲気だった。こうやって皆で喧々囂々侃々諤々やりながら進んでいくのがいちばんいいのだと思う。そういえばさっき、喧々諤々って言ってしまったが、これは間違いだったか。しまった。昼頃にはすっかり晴れて、暖かくなった。仕事は進んだんだか進まなかったんだか。結局は明日1日の勝負となった。

 車にガソリンを入れた。おとといの日記で、1リットル130ドルと書いたが、それはとんでもない。1ドル30セントの誤り。満タンでいつもは20ドルちょっとのところが、きょうは40ドルもした。便乗値上げもひどいものだ。

 トロント国際映画祭が始まった。このために市内のホテルなどはすべて満室だということだ。きょうから10日間がもたらす経済効果は大きいようだ。明日はハリウッドの俳優たちがやってくるらしい。映画ファンにとっては嬉しいだろうが、逆にこんな人の多いときには映画など見たくないと思ってしまう。DVDも見ないままたまっているし。いま見てみたいのを強いてあげればThe MANという映画。ふざけた感じだな。

 淀川長治さんは生前、これまで嫌いな人に会ったことがないというようなことを言っていたそうだ。自分もついこの間までは同じようなことを考えていた。ところが自分の場合それは嘘で、やっぱり嫌いな人や苦手な人にはこれまで何人も会っているのだった。最近では過去に遡ってそういう人々の顔が頭に浮かんできて嫌な気持ちになることが多くなった。やっぱり精進が足りないのだ。

■miercoles,7,septiembre,2005
 空は快晴。蒸し暑くなった。きょうは車ででかけたが、道路も空いているわけではなかった。昼には小さな会合に出た。日本食を食べながらの。いままでとあまり変わらない意見を少し喋った。考えれば考えるほど、問題の核心が個人のパーソナリティにあるような気がしてきた。多くの人がそれを感じているのではないだろうか。

 ハリケーンカトリーナを自然災害と呼ぶことに、どうも引っかかりを感じていたのだが。国土が広ければ広いほど、政治者の責任が重くなるのだと思った。人の上に立つ者には、皆を生かす人と殺す人がいる。今回上にいたのは、後者だったということか。死ななくてもいい人が死ぬ。見回してみれば、世の中そういうことばかりだ。

■martes,6,septiembre,2005
 現地校が始まった。校舎に元気な声が戻ってきた。2か月半ぶりに聞く「オーカナダ」は、テープがちょっとのびていた。見慣れない顔の先生に何人か出会った。こちらもなんだかすっかり気持ちが切り替わった。

 暑い一日。たくさんの人々とすれ違った。街にはいろんな人がいる。おもしろいものだ。だけど、人が多ければ多いほど、お互いに関わることは難しくなる。帰り。地下鉄がいつもより混雑していた。どうしても乗り込むことができずに、電車を見送った。8本もやり過ごしたのは初めてだった。
 
 ガソリンの高騰が激しい。1リットルで130ドルという信じられない値段。以前の倍くらいになっている。スタンドの掲示板には3桁表示ができずに下2桁だけ出ているところもある。地下鉄が満員になる原因はこれだったのか。明日はどうしようか。
 

■lunes,5,septiembre,2005
 一日中快晴。窓の外のさわやかな空を眺めてばかりの一日。ほんとうに夏が終わってしまうのだ。この夏を忘れてはいけないと思う。きっと大きな節目なんだろう。どんな夏だったのか。ここにはしばらくは書かない。簡単にだだだっと書いてしまうわけにはいかない。それほどの体験だったと思うのだ。

 でもそれをあえて一言でいうなら、僕は人間が好きになった。あるいは、人間が好きだった自分を少しは取り戻した。人間どうしの間にあるもやもやしたものがぱあっと晴れたような気になった。そんな感じだ。いずれそれがこれから少しずついろんなところに染み出てくることを願う。

 日本のラジオをリアルタイムで聴きたいと思ったのに、そういうところを見つけることができなかった。どんどんインターネットで視聴できるようにすればいいのに。iTinesの日本サイトを見たが、ダウンロードできる曲が意外と少なかったのでがっかりだった。古い歌をいくつか聴いた。ほかのサイトをたどったら買えるかと思ったら、国外からには対応していないと出た。話は変わるが、募金関係も日本のサイトからはなかなかやりにくい。なぜかクレジットカードが使えるところはあまりない。なにか面倒なことがあるのだろうか。

■domingo,4,septiembre,2005
 気がつけばもう9月も4日目。一日穏やかな日曜日。日差しは暑いが、気温は20度ちょっとで日陰に入ると涼しい。レイバーデイのロングウイークエンドの中日。あすのレイバーデイが過ぎると、新しい年度の始まり。毎年恒例のTHE EXが明日で終われば、子どもたちは「待望」の新学期を迎える。
ニュースでは、進学や就職などで親元を離れていく若者たちの様子が放送されていた。そういえば空港や波止場でもそれとわかる家族たちを見かけた。新しい生活のスタート。

 きょうで衆議院議員選挙の在外投票は終了。午後からダウンタウンの総領事館に行って無事投票を済ませてきた。ただし、比例区のみ。比例区にも選挙区があって、地区によって投票できる政党が違っているということを初めて知った。決めていた政党に投票できなかったのでちょっと残念だ。ここに来てからもう三度目の国政選挙になる。20歳から投票率100パーセント。当たり前のことだが。

 海外在住者が投票するには、選挙人登録をする必要がある。それが、在留届を出して三か月しなければ申請できないことになっている。この申請を行っていないために投票できない人がかなりの数に上るらしい。どうも海外からの投票には政府もあまり期待していないように思える。ほんとうに投票率を上げたいのなら、在留届を出すときに手続きが完了するような工夫をすればいい。

 ダウンタウンに来たついでに少し足を伸ばす。ディスティラリー・ディストリクトの一角では、カントリーの野外コンサートが行われていた。以前より観光客が多くなってしまった。きょうは買って来ようと思っていた街の遠景のモノクロ写真は見つけられなかった。