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2006年  8月
■quinta-feira,31,agosto,2006
 きょうに限って快晴。初秋の太陽を浴びて気味悪いくらいに日に焼けた。
 旅先での夢をよく見る。どこか知らぬところに旅をしており、そこから世界を眺めるという夢だ。過去の話ではなく、先の話だと思いたいが、過去を懐かしく思う気持ちの表れなのかも知れぬ。いずれにせよ、それは現状への反発なのだろう。だれが悪いわけではないといいながら、自分以外に原因を押し付けようとしているのではないだろうか。他人の悪いところばかりが目に映るのは、きっと自分の悪い癖だ。

■quarta-feira,30,agosto,2006
 けして心は穏やかならず。それは、仕事に原因があるというわけでもないだろう。人の心とはわからない。もう少し安定的に物事を消化していければいいのに。これでは若いときと同じではないか。あるいは、これが代償なのか。あれだけの経験を生かすことなく埋もれてしまうなんて。

■terca-feira,29,agosto,2006
 急患窓口に連れて行く事態発生。幸い軽症で済み一安心。それにしてもこのばたばた感は何だろう。飽和状態というのだろうか。たくさんのことを同時に行うからか、一つ一つにエネルギーが集中できないような感じである。理想を言えば切りがない、とはいえ、このまま黙っていたら、この先どうなるのだろう。

■segunda-feira,28,agosto,2006
 流れに身を任せるだけの月曜日。考えるゆとりというものがない。ゆとりがないから、表情が硬くなる。表情が硬いと、口を開くことも億劫になってしまう。そして、日記を書くことすらどこかに忘れてしまうようになる。これは恐ろしいこと。

■domingo,27,agosto,2006
 朝早くに同僚から電話。緊急出動の兆し。関係のところにいくつか電話を入れて、9時過ぎには出勤となる。幸い問題の発見が早く、この日の昼過ぎには一応の解決をみたので、よかったといえばよかった。ただし、電話口の自分がえもいわれぬ複雑な顔をしていたのを感じ取っていた。人生思うようにはいかない。暴飲暴食気味の午後。何にもならない日曜日を送る。

■sabado,26,agosto,2006
 1時過ぎまで仕事をして、それから歯医者へ。本屋とCD屋をうろつくが特に何もなし。必要なのはぼーっとすることではないか。明日は久しぶりに丸一日休み。午前中からぼーっとして過ごそうと思う。

■sexta-feira,25,agosto,2006
 疲れがたまっていたのだろう。どうにも休みたい気持ちが先に来て、何もかもが面倒に思えてきて自分でも嫌になった。明日は明日で休めないし、せめて日曜日には無理を言って休ませてもらおうと思った。土日の振り替え休日をたしかもらっていたはずなのだが、いつだったかも忘れてしまった。平日に休むことになれば他の日にしわ寄せがいってしまうだけなのだ。

■quinta-feira,24,agosto,2006
 夏休みが終わってしまった感覚。というよりも、今年の夏はどこに行ってしまったのだろうという気分に近い。通常通りの仕事が始まり、5日も抜けた自分は完全に浦島太郎状態。お互い様とはいえ、いろいろと迷惑をかけてきたわけで、恐縮しつつもなんだかわけがわからない。その穴を埋めるべく、淡々と職務を遂行するのみである。

■quarta-feira,23,agosto,2006
 桂浜行きのバスで坂本龍馬記念館へ。ロッカーに荷物を預けてから、記念館見学。薩長同盟の立役者とはいえ、今ひとつ彼の功績についての知識に乏しかったのだが、少しは関心が向いたかもしれない。徒歩で数分の桂浜。海岸の小石は、以前は赤や緑の石が多く混じり、もっと美しかったのだそうだが、観光客が持ち去ってしまったため今ではそれらの石が少なくなってしまったそうだ。土佐名物アイスクリンの屋台がいくつか出ていた。食べたら秋田のと同じ味がした。秋田と高知の共通点は官軍の藩だったということだ。そう考えてみると、この古くて曲がりくねった道は、秋田の道に似ているような気がしないでもない。
 そして、龍馬の銅像。巨大な像は、地元の若者たちが募金を募って建てたものだという。記念館に戻り、館員の方と少し会話をして別れ、タクシーで空港へ。運転手さんは客を飽きさせない話術の持ち主。あっという間に楽しい時間は終わり。
 空港の食堂で、せっかくだからとかつお丼と食べる。ほかの皆はそれぞれ違う色のエスニックカレーだった。行きは名古屋だったが、帰りは大阪経由。4時過ぎには花巻に着いた。
 その場で解散し、職場に戻るつもりもないではなかったが電話をかけてそのまま帰宅。ちょうど9月に挙式を控えた東京の弟たちが来ており、夜には皆と会食し、早めに就寝した。

■terca-feira,22,agosto,2006
 いよいよ試合当日。我が代表は初戦突破し、惜しくも二回戦で敗退。しかし、選手のすっきりと納得した顔を見て安心。東北大会の時に一日ぐじぐじしていたのとは対照的だった。とにかくこれで予定は終了した。昼食の弁当を取っ後、早めに帰ろうということになる。きのうと同じく、バスと路面電車と乗り継いで、のんびり揺られて帰る。それにしても、この遠征でありがたかったのはコーチが同行してくださったことである。子どもたちの気持ちをぐっとつかみ、同じ話題で盛り上がることができる。その点自分はまったく何の役にも立たなかった。ただいるだけの監督がこういうところに来てしまってよかったのだろうか。

■segunda-feira,21,agosto,2006
 きょうは計量。朝はタクシーで会場に向かう。平日なのでものすごい渋滞。時間もずいぶんかかる。田んぼの真ん中に、コンクリート製の黒くて巨大なかまくらのようなものが建っている。運転手さんによると、戦時中に使ったという飛行機の格納庫だそうだ。
 計量を終え、また練習会場に向かい、2時間ほど練習。帰りはバスでごめん町まで行き、路面電車で高知駅前まで。のんびりのんびりしている。そして夜にはまた一汁三菜食堂。いちばん受けがよかったのが、この夕食だったな。その後は土産屋で必要な土産を購入。

■domingo,20,agosto,2006
 会場を見学する。路面電車を乗り継ぎ、ごめん町というところまで行く。そこからバスに乗り換えて、またさらにバスに乗って、会場まで1時間半くらいかかった。非常に交通の便が悪いところ。道路も狭くてカーブが多い。すれ違うのが難しいくらいに入り組んでいる。とても懐かしい風情を感じた。しかし、時間がかかりすぎる。明日以降はタクシーを使ったほうがよさそうだ。田んぼの稲はほとんどがすでに刈り取られていた。極早稲という品種だそうだ。それだけ暖かい土地なのだ。それもそのはずここは南国市というところだ。
 試合会場から練習会場までシャトルで送ってもらい、そこで練習。バス停でしばらく待って、はりまや橋行きのバスで帰還。テレビで、甲子園の高校野球が再試合になったことを知る。夜には一汁三菜食堂というところで食べる。満足そうな顔。

■sabado,19,agosto,2006
 出張で高知4泊5日の4人旅。航空機を乗り継いで、2時過ぎには到着。心配していた台風も通り過ぎ、小雨が降ったり止んだり。高知城とはりまや橋を見学。山内一豊の大河ドラマにちなんだイベントが行われていた。千代というのはここでは相当な人気があるようだ。天守閣の展示室のジオラマの前で、3歳くらいの子が「あれ千代?あれ千代?」と叫んでいた。
 城から見る市内は山が多く、意外だった。タクシーの運転手さんから聞いたけれど、高知県というのは平地の少ないところなのだそうだ。いちばん広いのが、空港のあるあたりに広がる香長平野だという。
 市内のアーケード街を散策。ラーメン店で夕食。宿はビジネスホテルだったので、一人一部屋で非常に気楽であった。こんなことなら仕事道具を持ち込んでくるべきだった。

■sexta-feira,18,agosto,2006
 夏期休暇を終えてきょうから再スタート。最悪的に異常な蒸し暑さの中、ばたばたと走り回るうちに夜になる。明日からの出張のこともあって、気持ちは落ち着かなかったが、なんとかやるべきことをやり終える。台風の進路が気になる。こういう体験をさせていただくことに感謝したい。とにかくかれらのために有意義な旅にしなくてはならない。どことなく添乗員になったような気持ちである。

■quinta-feira,17,agosto,2006
 5日ぶりに職場に行く。14日には出張関係の書類が届いていなかったので電話をかけると、まだ送っていないという。午前いっぱい待ってやっと届いたファクスを見たら、金額がまったく異なっている。ことごとく約束と違っている。こういういいかげんな業者もあるのだと腹が立ったり呆れたり。百歩譲って、こちらにはわからないたいへんな事情があるのだろう、お互い様だと思ったり。

■qurta-feira,16,agosto,2006
 暑さ。夏とはこんなに暑いものだったか。高校野球を見ながら、訪ねてきた親戚たちと少し話をした。昨夜予定を繰り上げて帰ってきたというのに、結局何もしないで過ごした。何も考えないといいながら、どこか片隅で気にしている、その心のあり方が不幸だ。

■terca-feira,15,agosto,2006
 電車とバスを乗り継いで別の地域に行ってみた。ほんとうは一泊の予定で家を出たのだけれど、夜には野球も観る気でいたけれど、雑踏を歩いていたら気持ち悪くなってすぐに帰ってきてしまった。雨が降らないうちから、なんとなく嫌な気持ちをもやもやと感じていた。それが、霧雨と一緒に意識に上ってきた。あの街を歩いたときにはいつも、同じような気持ちになっていたかもしれない。嫌いな街ではないのだが、来る時はいつも気持ちが重い。おそらく街が悪いのではなく、自分の気持ちのほうが狭くなっているのだろう。残したままの宿題が重くなってきた。逃げ出したくても行くところはない。電気をつけ、服を着たままで眠ってしまった。

■segunda-feira,14,agosto,2006
 宿題を引きずったままだらだらと一日を過ごす。行ってみようかと頭に浮かぶ場所は、この国にはないところばかりだ。その土地に合った過ごし方で過ごせば、何も不満はないのかもしれぬ。心に蓋をしてさえいれば、何とかやっていけないことはないのだが、そうするつもりは毛頭ない。我慢しながら、我慢しない。不安定の中で、安定する。落ち着きの中で、落ち着かない。これは、しかたのないことだ。

■domingo,13,agosto,2006
 小本街道は北山あたり。墓参の車でひどく渋滞。寺の駐車場までの数十メートルでかなりの待ち時間。車の窓越しに通り過ぎる人々のなかで、特におとうさんたちの格好のだらしなさが目に付く。Tシャツに短パン、サンダル履きでお墓参りに来る感覚。それがもう普通になってしまっているのだった。でも、なかには子どもたちに制服を着せて墓参りに来る家庭もあり、それを見ると清清しい気持ちになった。
 春彼岸に参ったところのほかに、遠縁の親戚の墓所にも訪れた。しばらくぶりのお墓の前で声をかけられたが、誰かわからなかった。その遠縁の家族たちだった。わざわざ墓参りにカナダから来たのと言われてどきっとした。
 盆の入りの日曜は予報よりも気温が上がり、街では照り返しがきつかった。ホテルの料理屋でゆっくりと和食を食べてから、叔父の家に行く。叔父は先日釣ってきたというたくさんの鮎を、炭火で焼いているところだった。汗だくになって焼いてくれた鮎の塩焼きはほんとうにうまかった。夕方になって雷がなり、激しい雨が降り出した。少しずつ従兄弟たちの家族が集まり、賑やかになってきた。酒が入るとみな少し饒舌になった。山菜の話や仕事の話に盛り上がった。従兄弟の2歳になる娘は最初はご機嫌斜めだったが、少しずつ元気になって、おしゃべりしたりカメラにポーズを取ったりして人気者になった。叔父の顔がすっかりおじいちゃんの笑顔になっていたのが面白かった。

■sabado,12,agosto,2006
 朝には少し仕事をしたが、その後はまったく何もしなかった。お盆だし、土日だし。だけど、休みにさえいつも何かを抱えているという異常さ。それも当然と考えたら何も前に進まない。子どもたちに勉強しろと脅迫する日本の夏休み。受験生なら自分のことを考えたら勉強しないわけにはいかないが、たとえば小学生が夏休み中に勉強する必要がどこにあるだろうか。きょう辺りから帰省ラッシュが始まっているという。100キロの渋滞なんてところもある。日本中の社会人が一斉に、どこに行っても人ばかりの休日を過ごす。バカンスだからと一週間の海外旅行に出る。一週間でどこが休めるのだろう。疲れて帰ってきて翌日から仕事をする。なんて貧困な感覚。ああ、日本て。
 思い出のメロディーの番組を最初から最初まで見た。聴いたことのない歌もいくつかあったが、それらを含めていい歌がたくさん聴けた。時間が経つほどに、こうやっていい曲だけが残されていくのだと思った。ほんとうにいい曲は、誰が歌ったのかなんてどうでもよくなっていく。真髄だけが抽出され濃縮され、広まっていく。今の時代の歌で、後世に歌い継がれていく歌は何だろう。我々は日々慌しく過ごしていながら、その実とても薄っぺらな時代を生きているのではないか。
 太平洋戦争の頃の手記や手紙がたくさん紹介されていたのを聞いて、戦争によって国民の人生がすっかり狂わされたのだと感じた。外地に行った人々、そこから引き上げてきた人々、食べるものすらなかった時代、生き延びるしかなかった時代。僕の生まれたのはまだまだ誰もが戦争を引きずっていた頃だった。先の戦争というけれど、いちばん直近の有事について学校では何も教えてはいないのだ。この年になって、こんなふうに感じるなんて。

■sexta-feira,11,agosto,2006
 夕方、雷雲が発生し、局地的に大雨が降る。ワイパーを最大にしても視界がきかないほど。まさにバケツをひっくり返したような雨だった。だが、家に帰り着くと、さっきの大雨が嘘のように道が乾いており、静かだった。しばらくしたらこっちにも雨が来るだろう。少し期待していたが、とうとう雨も雷も来なかった。
 一日、ほとんど電話番のような感じで過ごす。電話を受けるときの緊張は嫌なものだったが、そこが大事な玄関口だということもあらためてわかった。玄関がどんなかたちをしているかで、その家に住む人々に対する印象まで変わってくる。当たり前のことだけれど、皆に損をさせるような対応はぜったいに避けたいものだと思った。

■quinta-feira,10,agosto,2006
 いつの間にか8月も10日となった。きょうは丸一日の休みだった。午前中は部屋でボーっとしていたが、ボーっとしながらいろいろと思い浮かべることができた。考えるのではなく、切にぼーっとする。いつもは遣り過ごしてしまうような小さい物語にもふと目が留まるような心地がした。休みは何日あっても多すぎることはない。かといってそれほど休みばかり欲しいわけでもないが。
 プラネット・アースという番組を見た。砂漠に住む生き物たちの特集だった。地球上には実にさまざまな生き物がおり、それぞれに必死で生き延びようとしているのだった。でも、それが美しいとは感じられず、むしろ少し気持ち悪かった。多様であることを受け入れるには、それだけの度量が求められる。まだまだということだ。そして、このひとたちに比べたら、生きる意欲のようなものが薄っぺらだということだ。
 
■quarta-feira,9,agosto,2006
 いつまでも続く試合を眺めながら考えていた。悪意のある人など、この世にいるだろうか。もし悪意のある人がひとりもいないとしたら、悪事は起きないだろうか。いや、むしろ世の中の悪事といわれるものは、すべて悪意のないところから生まれるのではないだろうか。学生のころ、歴史の先生が性善説と性悪説について話していたのを思い出した。このことを思い出すたびに、自分の立場はどちらだろうと考える。しかし、そのたびに善と悪というくくりがどうもしっくりこなくて先に進めなくなってしまう。悪意がないとすれば、善意はどうだろう。もともと人と人との間にそんなものがあるのだろうか。自己と他人との関係の中で、自分自身と向き合う中で、何が善で何が悪かが決まるのではないか。
 すべての審判は、不完全なものだ。いま進行中の戦争が、世間を騒がす不可解な事件が、後世にどのような評価を受けるのかはわからない。だが、殺し合ったり、傷つけ合ったりすることについて、善悪のフィルターを外して考えてみたら? なんだかいつまでも好きになれそうもない、人間の性根のようなものが、そこに暗然と横たわっているような気がしてならない。

■terca-feira,8,agosto,2006
 古い旅館。もう何十年も手直しされていないように見えたが、建物も庭も立派だった。部屋に鍵がかからないので驚いた。頑固そうな主人はいつもロビーの椅子でうたた寝していた。誰も見ていない大画面テレビには高校野球。
 布団を敷きに来たおばさんは、延々と自分の身の上話をする。からからとした、人のいいおばさんだ。彼女の口からはたくさんの固有名詞が出てきたが、当然誰一人として僕の知る名前はなかった。ここはうち一人でやっているからと話していたが、一部屋にこんなに時間をかけたら全部回るのに何時間かかるだろうと少し心配になった。
 
 会場の観客席に座っていたのは半分くらいなものだった。しかし、あとの半分の座席にはすべて靴やら鞄やらの荷物が置かれており、後から来た者たちが座ることはできなかった。早く来た者たちが場所取りをして、それらの席はいつ戻ってくるか知れぬ人々のために大人しく空けられているのであった。そのおかげで、宿から炎天下を歩いてきた僕らには、狭い通路の隅の空間しか残されていなかった。窓から海風が止め処なく吹き込んできたことが、立ち見の僕らにはありがたかった。
 役員も関係者も観客も、扇子やら団扇やらを片手にして、のべつ幕なしにぱたぱたと自らを仰いでいるのだった。とにかく、暑い暑いと言いながら、暑いことを理由にその手を休めることはないのであった。観客が仰ぐのは勝手だが、要職に当たるものが正面席で堂々と仰ぐのは見苦しいと思った。


 盗難に注意。申し訳程度に注意を喚起する張り紙があっただけ。セキュリティの意識の欠けらも感じられないのは、逆にいいことなのかもしれない。見る人が見たら泥棒天国だ。だけど、そう思う人も、そんなことを考える人もここにはいそうにない。見方によっては誇らしかったり、また情けなかったりする。僕はといえば鞄が心配で最後まで肌身離さず身に着けていた。場違いに過剰防衛、だったかも知れぬ。
 
■segunda-feira,7,agosto,2006
 禁じられていることがたくさんあるけれど、それは意識せずにしたいことはすればと思う。法律に触れるからとか、誰かの迷惑になるからとか、そういう自分以外の都合によって自分の願いがかなえられないとしたら、そのほうが悲しい。やりたいことは誰が何と言おうとやったほうがいい。我慢ばかりしている人生なんて、何の価値があるだろう。強いられる居心地の悪さに、自分を無理に納得させる必要などない。存在の形など、自分自身で好きなように決めればよい。当たり前の話だ。
 
 駅の建物に荷物を預けようとしたら、おばさんがあまりに暑そうだからとペットボトル入りの冷たい麦茶を一本くれた。2泊3日にしては少し荷物が多すぎたかもしれない。パソコンを積んだのは夜に仕事を進めようと思ったからだ。鉄道とバスを乗り継いで、先週も行った港町へ行く。バスは谷合と線路を縫って、北上山系を横断する。一度だけ見かけたディーゼルカーはたったの一両編成だった。
 暑さも食欲も感じない。ただ任務を遂行するのみ。時間になったら飯を食い、時間になったら眠りに就き、時間になったらまた目を覚ます。それだけ。

■domingo,6,agosto,2006
 広島の原爆忌。この夏に行こうと思っていたのだが、かなわなかった。平和ぼけの日本。この国の多くの人々が、いま世界は平和だと思いこんでいる。先の戦争の後一度も、平和など訪れていないというのに。唯一の被爆国がこんなにもぼけているのはなぜ。
 嘆きの元はどこにある。憎悪や怨恨の種はどこにある。困ったことが起きると、誰か他人の所為にする。でもほんとうは、困っている自分がいちばんの問題だったりする。根本を絶とうとすれば、どうしても自分に向き合わねばならぬ。ひょっとすると、自らの命を断ち切らねばならぬことに、なるかも知れぬ。
 それもいたしかたあるまい。大切なのは地球、それとも自分。いま進行中の作戦には、僕も加担しています。願いとうらはらとはいうけれど、知らないうちに悪いことを願っているのです。そして、願うだけでなく具体的に手を下しているのです。目を瞑ってみると、両手が血に染まっているのがわかります。それがいまの自分です。

■sabado,5,agosto,2006
 3月以来の墓参。墓石を水で洗った。お盆前の墓所を点検していた石材店の主人と会った。墓を建てたとき以来だから、もう8年ぶりになるか。新しく御墓を建てる人があったら紹介してほしいと言われたが、そういう人はなかなか見つかりそうにない。
 その足で寺に行き、和尚に会った。3年半ぶりだった。これから法事があるといって忙しそうにしていたので、簡単な挨拶と渡すものを渡すだけでお暇した。庭の沙羅双樹の黄色の花が、澄んだ青空に向かって真っ直ぐ立っていた。
 花の綺麗な季節である。けれど、綺麗な花を植えている庭は少ない。日本では、庭はその家に住む人のためにあり、通行人がそれを眺めることはそれほど想定されていない。公園と名のつくものも基本的には私の庭とか城跡とかだったところだから、どちらかというと閉じられた空間なんだ。それが無秩序な町並みを作っている理由の一つ。日本庭園と西洋の公園とは同じようなものにみえて実は対極に位置するものだ。我が国の場合、公園と名のつくものは、みんなのものである振りをして、実は誰かの私物なのだ。

■sexta-feira,4,agosto,2006
 焼けた空気が鼻腔をかけ上ると少し目まいがした。何かの振り替え休日だったか年休だったかはっきりしないが、この夏初めての休暇だった。当たり前のように午前中は仕事だった。その後、机上と机下、それに戸棚の中を整理して、数か月溜め込んでいた書類を捨てた。
 夕方から映画を見に行った。何年かぶりに行った北上のシネコンは館内が狭く感じられた。ミッション・インポッシブルの最新作は痛快だったが、見終わった後には内容が頭からすっかり消え去っていた。けして悪くはないけれど、客に考えさせるような間がまったくない。
 いい映画にちゃんと向き合いたい。それを観ることによって生き方が否応なしに変わるような映画に、大きな劇場で。思えばカナダには大規模のシネマ・コンプレックスがたくさんあった。比較的小さな町にさえ10本以上観られるものがあったから、人口における映画館数の割合は日本と比べてずっと多い。ハリウッドものばかりなのは残念だけれど、映画の文化としての根付き方は、日本とまったく異なっているといっていい。
 帰りの本屋で、ガイドブックを手にとって眺めてみた。あの街には世界中のすべてがあると書いてあった。そうだったのだ。僕はすべてがあった街からここに帰ってきた。それ以来常に何かを探しながら生きている。だけど、ないものが多い土地に住みながら、ここにないものを求めて何になるだろう。いまないものを作り出せ、という話ではない。ある状態が当たり前なのではなく、いつでも何かが足りない状態が正常なのだ。

■quinta-feira,3,agosto,2006
 今年初めての真夏日、僕の身体は何度となく宙を舞った。蹴られた向こう脛が痛いのを我慢しながら、止め処なく流れる汗を袖口で拭った。窓の外の景色は、心なしか歪んで見えた。熱のためか何人かは頭痛を訴え、廊下の水飲み場では意外に冷たい水に歓声が飛んだ。
 誰のための夏なのか。誰かのための夏が始まり、すぐにまた終わるのだ。僕はそこで浮遊したり、飛び跳ねたり、ずっこけたり、するのみだ。昼下がり。冷房の効いた部屋での研修は人々の眠気を誘い、発表する僕はしどろもどろになってお茶を濁す。なんとなく、なんとなく過ぎていく夏休み。しなければならない仕事はさらに積み重なり、それをこなすだけの時間があるかと思えば、そうでもない。

■quarta-feira,2,agosto,2006
 梅雨が明けたらしい。この地方では、たいていの年は8月に入ってから梅雨が明ける。今年の場合、むしろ早いほうではなかろうか。カナダのラジオを聴いていたら、ヒューミデックスという懐かしい単語が飛び込んできた。夏場の湿度を加味した体感気温のこと。トロントの明日は42度だという。蒸し暑い夏が今年もあの州を支配するのか。
 カナダの記憶と、日本の記憶は、とうてい入り混じることはあるまいと考えてきた。ところが、最近ではどっちのことだったかわからなくなることがある。ベトナムのフォーが食いたくなったので、そうそうあの通りにうまい店があったっけなどと思い浮かべてみるが、そこは岩手ではなかったりするのだ。車で農道を走っているうちに、カナダに抜けてしまうかもなどとしょうもない想像をする。ここの景色もあそこの景色も、農という一点で共通する。紫波町の隣にはセント・ジェイコブズがある。などと、とても自然に思えてくるのが楽しい。

■terca-feira,1,agosto,2006
 
少し早く帰ってきたときには、夜の時間を有効に使いたい。そうは思うのだけれど、夕飯を食べて少し横になるつもりが目覚めると午前3時だった。そうやってゆっくりしっかり眠るというのも、この時期にしておきたいことの一つではあるけれど。もったいない気持ちもある。
 八月。誰かのための夏休みはあとまるまる一か月あるぞ。宿題よりなにより、誰が何と言おうと夏を満喫するのが君たちの一番大事な仕事。自転車でどこまでも行きなさい。夜になっても帰らずに、北の半島を目指してこぎ続けなさい。
 僕はもう、人の一生分の夏を過ごしてしまったから。そのことについて、まったく後悔はしていない。

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