2006年  12月
■domingo,31,dezembro,2006
 大晦日の朝。これから旅に出る。気持ちはひじょうに軽いのだが、じゅうぶん気をつけて行ってこよう。激動の年だったと前にも書いたけれど、考えてみれば激動しない年というのはないのではないか。毎年いいこと悪いこといろいろなことがある。たくさんの身近な人たちが亡くなる。個人的にも社会的にも、辛い思い、悲しい思いをすることのなんと多いことか。それが一年というものだ。その中に、ほんのわずかでも黄金の輝きを見つけることができたなら、それはありがたいことだ。出会いと別れの交錯した一年ではあったが、一度出会った人は、もう僕の人生から消え去ることはない。誰もがかけがえのない人であって、誰一人欠けても今の自分はいなかったのだ。この奇跡。この出会いを力にして生きよう。来年もまた多くの人たちと出会って、共に幸せを築いていけるようであったなら。すべての人たちに幸せが訪れることを祈って、2006年を閉じることにする。

■sabado,30,dezembro,2006
 きょうも朝から掃除の続きをした。古い書類をかなり捨てて、押入れの中もすっきりした。こうやって、だんだん物が減っていくというのはいいことだ。少しずつ物を減らしていき、ほんとうに大事な物だけを、大事に使っていくようにしよう。そう考えると、まだまだ多すぎだ。
 月命日ということで、墓参をした。花を買うために立ち寄ったスーパーマーケットにはたくさんの客がいた。客の顔を見ていたら、ここはどこなんだという気になった。ここは日本なのか。これってどういうことだろう。このごろ、この「日本にいるのに日本にいる気がしない」という変な感覚に襲われることがある。
 墓所にはうっすら雪が積もっていた。昨年は墓石さえ雪に埋もれて場所がわからないほどだったというから、この程度の雪は降ったうちに入らない。水道は凍結防止のために蛇口が取り外されており、水を出すことができなかった。蝋燭と線香をつけて拝む。お蔭様で今年もこうやって無事に暮らすことができた。その後はコメリでいくつか必要な物を買って、たいやきを食べた。

■quarta-feira,29,dezembro,2006
 部屋の片づけを始めたが、いっこうに片づかない。3月に引っ越してから、まともに片づけることがなかったからな。徹底的にやるには明日までかかる。午後には少し買い物に出た。銀行にも行かなければならなかった。ほんとうは盛岡に行こうと思っていたのだが、雪が降ってきたのと、時間が遅くなったのとで断念した。通帳に記帳してもらったら、めでたくカナダからお金が送られていたことがわかった。約10か月。長かったけれど、年内に解決してよかった。

■quinta-feira,28,dezembro,2006
 昨夜9時に布団に入って、目覚めたら朝の7時だった。きょうはまだ休みではないのに、身体は一日早く休み仕様に変わってしまったのか。慌てて身支度を済ませ、普段どおりに出勤。新聞もテレビも見られなくなるけれど、急げば起きて30分で準備はできる。それを僕はいつも2時間から3時間かけて行っている。朝のゆとりは目には見えないが、この効果は大きいと最近とみに感じる。社会全体が夜型志向に向かっているとしたら、ますます朝型人間の価値は増していくのではないか。ラジオ深夜便だな。4時台はこころの時代だな。
 きょうも一日書類作り。その合間に、たくさんの人が訪ねてきた。できるだけかれらの学びとなるように、心を込めて話をしたり、文章を書いたりした。それからある人は電話で連絡を取った。何気なく聞き流せばどうということもないが、よく聞くと驚くべき言葉を発する人がいる。単なる連絡。しかし、平易な言葉で、優しい語りで、肌触りのよい音声で、それを心のメッセージとして伝えることができる人。ほんとうに素敵だ。きっとこれを聞いた子どもの胸には温かい思いが一生残るにちがいない。僕はいつでも人から学べる人間でありたいと思う。
 昼ごろ管理職がとんでもないことを言うので部署内皆でひっくり返った。すでにほとんど完成しているものに一からやり直しを命じるという理不尽極まりない指示。しかも、事前にサンプルを提示して、確認を取って始めたにも関わらずだ。暮れも正月もなく働けということか。これでリーダーシップを発揮しているつもりなのだろうか。
 ところが、そんなとき僕らには助け舟を出してくださる方がいる。一本の電話で一件落着、その後は皆で拍手喝采だった。定年後のあるべき姿を見せつけられる。現場に留まるのならこうでなければ。お蔭様で僕らはこの年末年始、無事ゆっくりと休めることと相成った。あの輝いた姿をいつまでも目に焼き付けておかなければならない。酷い見本と素晴らしいお手本を両方みることができた。さて、20年後我々がどういう生き方をしているかだ。
 今年の分は終わった。あとは来年に持ち越しだ。温かい思いのまま年末年始を過ごすことができそう。仕事からまったく離れて、好きなことだけをしたいものだ。

■quarta-feira,27,dezembro,2006
 冬には身体を冷やさないようにして、根菜類をしっかりとること。その土地でとれた果物を食べること。みかんなどはここではとれないから、そういうものはあまり食べないこと。食べていいのはりんごくらいかな。そうか、僕の場合かんきつ類を食べて足がつるのも納得。それから、毎日歩くこと。足腰を鍛えて、日々の生活を節制すれば健康は維持できる。生活全体のバランスがとれれば、特別なことをしなくてもちょうどいい体重になるし、病気も防ぐことができる。聞かせてくれた言葉たちが夜中じゅう頭の中を駆け巡る、鮮明な絵といっしょに。

■terca-feira,26,dezembro,2006
 冬の嵐、雨が降るという。普通なら雪という時期に、今年はまだまだ気温が高い。嫌になるくらいの豪雪だったという昨年とは両極端だ。逆にオンタリオでは昨年異常暖冬だったわけだが、今年も暖冬傾向で雪はまったくないそうだ。楽でいいね、などと言っているうちにどんどん温暖化が進んでいくのだろう。まるでゆで蛙のように、気がついたときには遅いということになりはしないか。
 きょうも一日書類を作っていた。その合間に、来訪者の応対をした。入れ替わり立ち代わりいろいろな人が来た。そして、電話もいくつかかけた。こんなに煩雑だったかなと思う。以前担当したのは9年も前のことだ。コンピュータの普及によってやり方が様変わりしたのはもちろんだが、質的にも異なってきている点が多い。仕事が複雑化してきて、そのために効率化が必要になってきた。その経緯の中で、何を大切にするかの重心がずれてきてはいないだろうか。

■segunda-feira,25,dezembro,2006
 今週も先週までと同様に仕事中心の生活となるだろう。いつもと変わりない。午前中いっぱいは面接官となって誠心誠意尽くした。そして、午後にはずっと書類を作成した。その合間に、机の片付けをしたり、隣の人と話をしたりした。そういえばきょうがクリスマスだったと言って笑った。
 電話で連絡を取らなければならないことが多くて、煩わしかった。部屋の中がうるさいと、電話がしにくい。受話器をあてる左耳は、プリンスのコンサートの後に何日か耳鳴りがしてその後回復した。普段はまったく困らないのだけど、電話のときに限ってはなんとなく聞き取りにくい感じが残っている。きょうためしに右耳で聞いてみたら、すっきり聞き取れた。

■domingo,24,dezembro,2006
 夜はあまり眠れなかった。きのうの会話や指先の記憶を頭の中で何度もたどった。きっとそれほど大切なときだったのだ。そして、3時過ぎには目が冴えてしまい、それからは一睡もしなかった。明け方から、コンピュータの設定を変えるのに少し苦労しながら、自宅のパソコンでも仕事ができることを確かめた。さっそく仕事に取りかかる。きょうはひとりで黙々と取り組む一日にするのだ。ところが、昼飯前に仕事は終わった。
 昼飯には蕎麦を食べた。親戚筋で作っている更科系の細くて上品な蕎麦。例年この季節には年越し用に買ってくるのだが、4年ぶりに食べた蕎麦の味は最高だった。
 窓の外はどんよりした雲り空。駅伝のテレビの映像を見ながらラジオで日曜喫茶室に耳を傾けていると、襲ってくる眠気。どこに出かける予定もない日。頼まれた食料を買いに車を走らせる。それからまたきょうも本屋に寄って、きのうと同じ作家の文庫本を求めた。素敵と思えることを少しでも共有できたら、それだけ距離を縮められる、そう思った。帰ってから寝転んで読み始めると、50ページを過ぎたところでうとうとして、物語から抜け出したような奇怪な夢にうなされた。10年前の自分にとっては単なる金縛りだったろうが、今の僕ならこれを合点のいく体験と捉えることができる。脳の細胞の一つ一つがものすごい勢いで入れ替わり、整えられていく感覚。こうやってなんども生まれ変われたらいい。

■sabado,23,dezembro,2006
 誕生日で祝日だった。早朝にひとり温泉に入り、飯を食った。皆はまだ寝ていたので、置手紙だけしてそのまま宿を出た。コンタクトを片目分しか持ってきていなかったことに気づき、不自由なまま運転してとりあえず家に戻った。雪で道路が見る見る白くなっていく。窓の外の光景はカナダと変わりないと思った。トロントを離れる数日前にミスターKと飲んだときのことが脈絡もなく蘇ってきた。
 10時前に職場に行き、しばらくは一人で仕事を進めた。昼になると何人かが来て、少しにぎやかになった。話をしていると、やるべき仕事はあまり進まない。だが、情報交換が日常的に不足しているから、こういうときにいろいろ出てくるのは当然だ。午前の流れをみて、明日までに終わる目処はたったので、こちらもゆったりした気持ちで会話に混ざった。いつの間にかあたりは暗くなり、ぐんぐん気温は下がっていった。僕らは火に当たりながら、とてもスピリチュアルなことを話した。生まれたての新しい太陽。これから少しずつ春に近づくはず。
 帰りには本屋に寄った。この冬にはできるだけたくさん本を読もう。きょうもあたたかく暮らせたことに感謝。

■sexta-feira,22,dezembro,2006
 節目の一日。きょうは冬至だった。ひとつの詩を書いてかれらに送った。ばたばたした夕方の情景。1時間ほど車を走らせて、忘年会の会場へ。今朝は何度も夢を見て起きて、3時過ぎから寝付けなかった。だから、会場に着いても、ソファに腰かけながら少しだけうとうとした。
 価値観が揺らぐ。というより、こんなふうに劇的に変化していく自分をみるのは初めてだ。戸惑いではなく、喜び。これまでの自分は何だったのか。きっとこれからもっと豊かに生きられる。楽観しないが、不安にはならない。すべては、なるようになる。
 夜にはこの3年間で間違いなくもっとも多量の酒を飲んだ。そのせいかどうか、自分でもわけのわからない行動をして大いに恥をかいた。夜は何時に眠ったかもわからないが、不思議と気持ち悪くはならなかった。

■quinta-feira,21,dezembro,2006
 朝に不意にかけられた言葉。鏡のように穏やかな湖の中心に落とされた一粒の雫。小さかった波紋が次第に大きくなって、やがて心全体を揺さぶるようになる。紅潮する頬。時は巻き戻すことができないから、昨夜決めたことはもう覆さない。だけど、きのうまでと変わらずに想っていていいのなら、それ以上の喜びはない。できるだけのことをしよう。毎日祈ろう。何をどのように見て、どのように考え、どのように動くのか。そしてすべてを僕自身のものにしていこう。

■quarta-feira,20,dezembro,2006
 盛岡のある私立の高校に行って、そこの校長先生の話をたっぷりと聞く機会があった。建学の精神と、そのどこまでもまっすぐな思いに感銘を受けた。私学は何よりそのまっすぐさに支えられているのだなあと、目からうろこが落ちる思いだった。これに対して公立の学校は何に支えられているのか。公務員という身分、そして、国庫や県費という後ろ盾を除いたら、何が残るのだろう。もちろんここにもひとりひとりの教育に対する思いはある。だがそれにせよ、私たちの仕事そのものに、実は構造的な甘さが内包されているのではないかと思った。

 きのうの行動について、後悔とも反省ともつかない気持ちを噛み締めていた。いつでもそうやって人を遠ざけてしまうのだ。言ってみれば、自業自得。欲に負けた姿が白日の下に曝されたようで、生きているのが恥ずかしくなった。それでも、人とはあたたかいもので、こんな人間に対しても変わらず言葉をかけてくれる。人はただなんとなく衝動で生きていく生き物ではない。意志をもって能動的に生きることができるのであり、その覚悟をもって生きている人こそが、多くの人々と関わって人々に力を与えることができる。
 僕の近くにはそんな人がいる。この人から自分がどれほどのことを学べるか。すべての欲は捨てよう。与えられるだけではいけない。寄りかかってもいけない。この人と関わり合いながら自分を変えていくのだ。そうでなければ出会った意味がない。この人に対して申し訳ない。
 煩悶してばかりの夜から少し抜け出せた。まだまだ登り口だけど、きのうに比べて少し高みに立てた気がする。

■terca-feira,19,dezembro,2006
 熱を出す人もいた。流行のノロウイルスではないけれど、体調を崩す人がちらほら出始めた。僕もきょうは加湿器を入れ忘れていて、喉が幾分変だった。この時期はいつもそう。寒くなるのと、疲れがたまるのとで、身体がまいっているのだろう。年末あるいは年度末におかしくなるのは恒例だ。思えば旅に向かう飛行機の中で大失態をやらかしたのは、ちょうど一年前のことだった。
 それとは別の話だが、きょうは朝から少し熱に浮かされたようになって、どうにでもなれとやけを起こしてやってしまったことがある。気持ちをコントロールするのはいくつになっても難しい。人と関わりをもとうとすればなおさらで、こんなときにはいつも相手への思いやりのなさが露呈する。人の気持ちを煩わせるようなことこそ避けなければいけないのに、我を通そうとして結果的に迷惑をかけてしまう。どういうふうに人との距離をとるか。それがなっていない。これでよくやっていられると思う、いろんな意味で。

■segunda-feira,18,dezembro,2006
 何の準備も無いまま新しい週に入ったという感じ。現実は厳しい。やることをやっていないからそう感じるのか。真っ当な生活人などと言いながら、何一つ真っ当にできていない自分。こんなふうに自分のことを卑下してばかり。多くの人々は、自分よりもっと多くのことを、日々出会う人や事物から学び、実践している。そう考えると、無駄にしてきた時間の重みにつぶされそうになる。
 あこがれは、遠くにあるものでも、遠ざかるものでもない。いつでも身近なところに待ち構えていて、自分がその気になりさえすれば受け入れてくれるものではないか。だが、気持ちが浮ついていたり、考えが定まらなかったりの状態では、とてもじゃないが門前払いということになってしまうのではないか。
 人と出会いながら成長していきたい。だけど、もっと成長しなければ、誰とも出会えない。こんな大いなる矛盾を打ち破る方法なんてあるのだろうか。自分自身の力で心をもっと育てなければならない。多くの人にとっては何でもないことなんだろうけれど。

■domingo,17,dezembro,2006
 朝から雨の、誰にも会わない休日。この頃ではラーメンよりうどんが食べたくなることのほうが多い。何か月か前に町内にできた讃岐うどんの店に行ってみた。かけうどんに、ごぼう天が名物だというので頼んだら、これがサルの頭ほどもあるでかい天ぷらで、ひじょうな食いごたえだった。うどんはうまかったが、あっさりというわけにはいかなかった。その後は、車の中で日曜喫茶室を聞きながらいつものコースを回る。すると途中で腹の調子に異変があらわれ少々焦った。油物の効果は覿面だった。
 雨は昼過ぎに雪へと変わったが、気温はそれほど低くないからおそらく積もることはないだろう。2時間ほどぶらぶらして、きょうは本屋にも寄らずに帰宅した。休みの日にこそ会って話せたら楽しいのに。なんだか眠くなったので、日暮れまでしばらく眠った。

■sabado,16,dezembro,2006
 平日と同じ時刻に出勤した。首を絞められたり、向こう脛を蹴られたり、襟首を掴まれて投げ飛ばされたりした。この間のことがあったから、きょうはどうしたってそうされなければならなかった。今はわからないけれど成果はあるだろう。それはいずれわかるだろう。
 その後は部屋で仕事を進めた。というよりも、会話を楽しんだといったほうがいい。正直仕事なんてどうでもよかった。価値観に関わることをここまで聞いてもらえたのは初めてじゃないか。そして、僕もひとの価値観についてあんなに素直に耳を傾けたことはなかった。しかも、それらがお互い近いように思えて嬉しかった。理解し合うのはとても素敵なことだ。まるで10代の頃のように、心の高鳴りを感じた。

■sexta-feira,15,dezembro,2006
 まじめにやっている人が報われるような世の中でなければ。心からのその言葉がむなしく響くのはなぜか。楽しいひとときは実は楽しくない。どうしてこうなるのだろう。いま感じていることは、十何年も前に嫌気が差していた自分の思いと同じではないか。それは成長のなさからくることなのか。それとも、時代の違いからか。判断がつかないのは、誰もが自分の人生しか生きることができないからだ。
 この人の文章を読んではまた目の前の状況と重ねてみた。よく変わらないことの原因を他にばかり求めても、何も変わらないのだ。変えようとしなければ変わらない。だが、僕は何も変えることができないままここまで来てしまった。どこにいても、こんな自分が情けない。

■quinta-feira,14,dezembro,2006
 赤穂浪士の話題が出て、なぜ今赤穂浪士なのかと不思議に思ったのだが、本日は12月14日、まさに討ち入りの日ではないか。知らぬ間に年の瀬を迎えていたのだった。ちょっと前、今年一年を表した漢字や今年の流行語が発表されていたが、どうもピンとこないものもある。一年という周期が実生活と乖離してしまっているように思う。これは異常だ。
 それにしても江戸はますます遠くなり、子どもたちに忠臣蔵と言ってもわからないだろう。僕の子どもの頃もそうだったろうか。「峠の群像」など夢中になって見ていたものだ。だが、これからもドラマとして生き続けるかどうかはわからない。
 もしも東京が東京と呼ばれることなく江戸のままだったとしたら。そんなことを考えると面白い。

■quarta-feira,13,dezembro,2006
 13年前に買った温風ヒーターの調子がおかしくなり、今にも止まりそうな状態になった。そこで、何週間かぶりにATMが開いた時間に仕事を切り上げ、量販店で温風ヒーターを買ってきた。それと、きのうのスプレーも買ってきた。7時過ぎに帰宅して、ゆっくりテレビなどを見ていると眠くなった。そして、部屋の片付けでもしようかと思っているところに電話がかかってきた。今年一番の緊急事態に眠気が吹っ飛んだ。酒を飲んでいなくてよかった。急いで車を走らせ、帰宅したのは零時を回っていた。
 幸いなこと、初期対応が功を奏して事態は沈静化に向かった。教育は学校だけが担うものではない。家庭や社会全体で関わることが望まれるわけだが、その資格のない大人も大勢いる。何を大事にするか。それを取り違えると道を外してしまう。子どもたちを守るためにはすべて地域に任せるわけにはいかないということを学んだ。

■terca-feira,12,dezembro,2006
 部屋の中は暖房で暖かいが、廊下を通るときは寒い。暖房についての考え方がカナダとはまったく違う。どこに行ってもセントラル・ヒーティングというのに慣れていたから、ここに帰ってからはとにかく寒い。おまけに、石油代を節約するためといって暖房に制限がつけられていることには違和感を覚える。環境に配慮する意味もあるのはわかるけれど、これほど寒い中で活動するときに、まったく暖房が使えないというのは。
 車の窓ガラスが凍り付いて、それを削り取るのが朝晩の日課になっている。これほどまでに凍るものだったか。岩手の冬を忘れていた自分に気づく。きょうも帰りがけカリカリカリカリと削っていたら、こんなものがあると同僚が教えてくれた。ひと吹きで氷が解けるスプレーだった。いつからこんなものがあったのか。僕が知らなかっただけか。

■segunda-feira,11,dezembro,2006
 心配事はひとつ除かれた。そしてまた別の心配事が浮上する。意識の中には無数の関係の糸があり、それを手繰り寄せたり、遊ばせておいたりと、たえず制御する。大切なのはバランス感覚だが、そればかり考えていてもいけない。糸と糸とが絡まることもあるし、一本の糸が千切れそうになることもある。そんなときには何をおいてもそこに集中しなくてはならない。
 命のことがある。家族のことがある。本来のあたたかい関係が家の中で築けるならば、現代の問題の大半はうまく解決に向かうだろう。だが、それが難しいというのは何が原因か。この国の政治はいま非常に不健全であり、そのために庶民が苦しんでいることは否めない事実。この国の人々がいとおしい。だけど、国家はうらめしい。自分のような一庶民にいったい何ができるのか。

■domingo,10,dezembro,2006
 仕事仕事で土日を送る。いろんな力が足りない。それもわかる。変わろうとしてここまできて、変わってきたところもあり、変わらずきたところもあり。四六時中努力を積んでいるわけではないから、それを責められると弱い。開き直ることもできようが、それほどの勇気もない。仕事も生活も、おなじ僕という存在が行っている。どれを取っても、僕が僕ではなくなってしまう。きょうは午後から長い話し合いをした。
 予断を許さぬ状況であることには変わりないが、問題は問題が明らかになってからは驚くほど早く収束し始めた。大切なことは、問題を見破ることだ。できるだけ早く、痛手を最小限に食い止めなければならない。感性の時代といわれるが果たしてそうか。見守り、気づき、動くことがこれほど難しい時代もない。自分ができることを、実際にできるようでなければ。

■sabado,9,dezembro,2006
 時間は急流のごとく過ぎていく。昨夜就寝中突然両太腿と両脹脛が一度に痙攣した。その理不尽な痛みに長い時間悶絶した。罰が当たったと声がする。いったい何の。自業自得だというのか。いったいどこが。これも復讐か。いったい俺は誰に何をしたというのか。

 駒沢俊器という人の文章に溜飲が下がった気がした。それとなく感じていたことが明快に解き明かされていた。恐ろしいのは、気をつけていないと知らず知らずのうちに巻き込まれてしまうといういことだ。ここに住む人はここのメディアによって価値観を刷り込まれている。もしその価値観が貧困であればなおさら悲しいことだ。メディアの影響は大きい。それなら触れずにいればいいかというとそうではない。無関心になってしまっては本も子もなくなってしまう。

■sexta-feira,8,dezembro,2006
 この一週間の感情の起伏を振り返ってみると、我ながら滑稽だ。なにごとも現を抜かすとろくなことにはならない。それでも、反省をすると同時に、それらの悪戯な感情の一つ一つを愛しく感じるのもまた正直な気持ちだ。泡沫の思いにすっかり身を任せて賑やかな街の表通りを歩くことができたらどんなに幸せだろう。あこがれは、少しずつ、だが確実に僕の現実から遠ざかっていく。そしてやがて、手の届かないところに去り、もう二度と戻ってくることはない。永久に手にすることができないから、あこがれなのだろうか。
 血生臭い肉体から無色透明な魂に変わっていく。そんな旅の途中ということだろうか。

■quinta-feira,7,dezembro,2006
 洗礼を受けた気がした。事態は強烈だった。圧倒的な事実の前にどうしようもなく、目の前には壁が立ち塞がった。我に返って道を探した。できることをひとつずつやっていく。これが僕の仕事だ。技量の不足を問われても反論することなどできない。もうこうなった以上、全身全霊をかけて取り組むしかない。
 夜には、何も手につかない心地がして、ただ時間ばかりを費やした。頭の中で繰り広げられるシミュレーションはとてもおぼろげで、力の無さと、自分自身への情けなさばかり感じていた。

■quarta-feira,6,dezembro,2006
 人をみる目の鋭い人の前に出ると怯んでしまう。その顔の前にいつも落ち着きを失うのだ。心を見透かされるように感じるのは、何か疚しいところがあるのだろうか。この卑屈な感情。そこまで縮こまる必要がどこにあるというのか。もっと胸を張れや。「ほんとうならこの胸を叩き割って深紅の心臓を」というのはメロスの科白だったか。
 我々は本音を話すことを人に求める。そして、同じことを人からも求められる。だが、互いに受け入れるためには己の価値観に鍵をかけていてはいけない。相手によって変わることを許す態度でいなければ、対話は何の役にも立たない。受け入れてくれる人にしか、打ち明けないのは当たり前のことだ。求めるだけでは関係は成立せず、人の心が読めることと人を理解するということは違う。相手を理解しようとする気持ちこそが、相手に受け入れられるための根本だろうと思う。

■terca-feira,5,dezembro,2006
 揺れ動く自分の気持ちに嫌気が差して、仕舞いにはすべてを押し殺してしまう。そんなことばかり繰り返すから、何の成長もなくここまできたのだろうか。人によって、年の重ね方は一様ではない。着実に歩を進めてきた者はそれ相応の年のとり方をするものだろう。若さを保つなどという方向に目が行きがちだが、それはその人が前進しているからこそ考えることだと思う。それに比べると、僕はおかしい。こんなにも落ち着きがないのは、もはや恥ずかしいことでしかない。どうしたらいいのだろう。

■segunda-feira,4,dezembro,2006
 慌しい時間の中で、昨日までののぼせた気分は影を潜めた。無数の人と人を結ぶ関係の糸を、バランスをとりながら操る。まるでそれは川面に放った投網のように重たくて、一瞬でも気を抜いたら自分が舟から落ちてしまいそうに危うい。ところが、バランスだけを考えていると、今度は自分を見失ってしまいかねなくて、立ち位置を常に確認していないと、船べりから足を踏みはずしてしまう。

■domingo,3,dezembro,2006
 昨夜の楽しい時は過ぎて、またそれぞれ散り散りとなった。午後からはまた職場に戻り、昨日僕がへまをしたところを直さなければならない。そのためわざわざ仲間の時間を奪わなければならなかったことを、申し訳なく思った。こつこつと仕事を進めたが、案の定、僕らの担当がいちばん遅くなってしまった。僕らはあれこれ雑談しながら仕事を進めた。ただものでない人に出会ったと思った。お礼の気持ちとお詫びの気持ちと敬愛の気持ちを込めて、今度は僕のほうからささやかな贈り物をした。

■sabado,2,dezembro,2006
 朝から仕事で、職場には平日と同じように人がいた。みなそれぞれにやるべきことを進め、ときどき冗談を言い合っては笑いが起きた。日々苦労の多い中、明るさを失わない仲間たち。恵まれていると感じることができる幸せ。ささやかだけれど、こうでなければ仕事は辛い。そして、帰りがけ思いがけずいただいた贈り物を、僕は素敵な気持ちで受け取った。
 親戚たちとの集まりで、繋の温泉地まで雪降りの道を往った。車の中で少し切ない音楽をかけながら、熱い気持ちを抱きしめていた。

■sexta-feira,1,dezembro,2006
 以前から師走は詩人のものだという気がしていた。まるでクリスマスの電飾のように、言葉で町中を明るくできたなら。でもほんとうに照らしたいのは自分の心の中。愛がなければ自分の真の姿などみえやしない。目に見えるともしびというのはすべて、目に見えない愛の代わりなのかもしれない。

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