2006年2月
■terca-feira,28,fevereiro,2006
 2月最後の日。今月はBlack History Monthとなっていて、学校でもそれにちなんださまざまな学習が行われている。きょうは、パンケーキ・チューズデーということで、向かいの教室は一日お祭り騒ぎだった。全校の子どもたちが入れかわり立ちかわり訪れて、パンケーキとジュースを食べていた。ひとり三ドルの会費を入り口のところで払っていた。パンケーキとブラック・ヒストリーがどういう関係なのかわからないけれど、この日はどこでもパンケーキを食べる日だったらしい。廊下では、ミスターKと呼ばれる担任の先生がトランペットを吹き、黒人の子が太鼓を叩いてアドリブで演奏していた。それに合わせて、海賊やらの変装をした子どもたちが踊っていた。僕らも招待を受けたので、中に入り、メイプルシロップがたっぷりかかったパンケーキをご馳走になった。パンケーキというのは、いわゆるホットケーキのことだ。テーブルの説明書きには、来年は2月20日がこの日だと書かれていた。ちょうど来ていた校長先生から、いつ帰るのかと聞かれた。現地校は11日からマーチブレイクに入るから、みんなと会えるのは来週いっぱいということになる。
 放課後にはいつもの何倍もゴミが出て、廊下じゅうが油くさくなっていた。ケアテイカーのエリスさんからも、いつ帰るのかと聞かれた。寂しくなるね。また来ればいい。そんなふうに言ってくれた。たくさんの人たちに世話になっていることをあらためて感じた。

■segunda-feira,27,fevereiro,2006
 6時過ぎに家を出た。行かないで後悔したくないから、きょうは何が何でもと決めていた。これで最後か、ナイアガラの滝。きのうは一日快晴だったけれど、今朝は雪が降ったり止んだりの天気だった。途中でガソリンスタンドに寄る。凍っているためか、レバーを押しても給油口がなかなか開かない。シビック・クーペはどこをとっても申し分ないのだが、ただ一つ難があるといえばこの給油口が開き難いことだ。僕の後ろで待っていたピックアップトラックのエンジンがかからず、立ち往生していた。Tim Hortonsでサンドイッチとコーヒーとドーナツの朝食。滝に着いたのが8時。駐車場もただで入れた。だが、カナダ滝のところはすでに日本人の団体が陣取っていた。さすがだ。飛沫が凍って、柵のところにつららがたくさんできていた。気がつくと、髪の毛もジャンパーも凍り付いていた。
 滝から川沿いを道なりに行く。ワインルートと呼ばれるこのあたりには、たくさんの果樹園があって、ワイナリーがある。Kurtz Orchardという農園の売店で、土産用に小さなジャムをいくつも買った。
 ナイアガラ・オン・ザ・レイクを通って、QEW(Queen Elizabeth Way)に乗る。バーリントンのモールで休憩。the Bayでオリンピックの公式グッズのコーナーを見る。よっぽど買おうかと思ったがやめる。ここでしか買えないものには違いないけれど、あまりいい買い物ではない気がした。大量に置かれている物たちを見ながら、こういうのを便乗商売というのだろうと思った。そんなふうに考えるのはひねくれているかな。でも、CANADAと書かれたTシャツを日本で着ようとは思わないからな。カナダはブランドではなくて国名だからな。かなり高めの値段設定だったが、もう少ししたら叩き売りになるんじゃないか。そうなったら考えないでもないかな。
 オークビルを過ぎ、ミシサガに入る。いつもの中国城で、上海湯麺の昼食。スープにはとろみがついていたけれど、日本のうどんとほとんど同じだった。体があったまった。
 夜にはテレビでEAST COAST MUSIC AWARDSを見た。英語やフランス語のいろいろな音楽をやっていた。ロックから民族音楽まで同じステージで繰り広げられる。なんて幅が広いんだろうと思った。なんて懐の深い国なんだろうと思った。イースト・コースト出身でもっとも成功したアーティストとしてサラ・マクラクランが紹介されていた。

■domingo,26,fevereiro,2006
 またいつもと同じような日曜を過ごしてしまった。快晴の日。一歩もドアの外に出ない。ただ一度、マイナス10度のベランダに出て、日に照らされた街の様子を写真におさめただけだった。
 昼過ぎに一眠りしてからテレビをつけると、オリンピックの閉会式が放送されていた。パバロッティのオーカナダ。次の冬季オリンピックはカナダで行われるのだ。アヴリル・ラヴィーンが歌うのを見ていたら、そうかこの国で暮らしてきたのかと、不思議な気持ちになった。2010年までに、僕はもう一度この国に来ることがあるだろうか。
 土地や文化は消費するものではない。そこを誤解してはいけないと思った。暮らしの拠点が変わることでみえるものも変わるだろう。だけど、みえるものが変わっても大切なものは大切であり、必要なものは必要だ。ここで得たものをどこに行っても捨ててしまうわけにはいかない。
 過去の日記などのページがランダムに出てくるようにした。こんなことができたらおもしろいと思っていたことが、いとも簡単にできて驚いた。インターネットのおかげで、いろいろな可能性が広がった。あとは、その可能性をどう開かせるかが問題だ。

■sabado,25,fevereiro,2006
 欠勤の人の代わりに、急遽授業をした。この時期はもうないだろうと思っていたから、少し慌てた。同じ教室に4時間入った。低学年の児童を飽きさせないためには工夫が必要だった。自分の力のなさを感じて、反省すること頻りだった。時間を共有するのは楽しい。だが、それだけならいる理由がない。
 きょう気がついたこと。7、8歳の子どもにだって、人生について語ることができるということ。僕がこれまでに学んできた人間のありったけの真実をそのまま伝えることが可能だということ。かれらはすでにそれを受け止める用意ができている。言ってもわからないなんて我侭な人の言い分で、わかるように伝えればわかるのだ。
 午後にはさまざまな相談や報告があった。さすがに年度末だけのことはある。だけど、大勢にはあまり影響がなさそうだ。いよいよあとちょうど三週間。

■sexta-feira,24,fevereiro,2006
 帰ってからのことも少しは考えるけれど、具体的なイメージはあまり思い浮かばない。それよりも、帰国までにしなければならないことのほうが頭のほとんどを占めている。今年度をベストの形で締めくくり、来年度ベストの形でスタートができるように。それだけである。あたり前か。
 
個人的な生活のことはもう、すっかり片付いている。テレビと電子レンジとトースターは引き取り手が決まっている。机とイスはあとで一階のリサイクリングルームに運ぼうと思っている。こまごまとした食器類などは、箱に詰めて送ればいい。ベッドはアパートを出る日の朝に一階に運ぶつもり。あとは捨てるか、手荷物として持参するかになる。冷蔵庫の食料のうち、電子レンジで温めるものは少しずつ食べよう。
 どこに行こうとか何を食おうとか買おうとか、そういう気持ちはあまりない。出かけるチャンスはこの週末だけだが、はたしてどうなることか。行っていないところ、観ていないものはたくさんある。もっとできたこと、楽しめたことがあったかもしれない。でも、僕はトロントでの生活を自分なりにじゅうぶん味わった。そして何より、この3年間で学んだことは大きい。これまで抱えていた頭の中の曇りが、すっきりと晴れたような気がする。言葉にならなかったもやもやの原因が、いろいろとみえるようになった。そういう旅だったのだ。
 去る身はずいぶんと身軽である。失うものは何もないのだから。残されるほうがつらいにちがいない。僕はあまり感情に流されずにここを去ることができると思う。離れるのがつらいとか、別れるのがさびしいとか、そういう気持ちはもちろんあるけれど、それに引きずられることはないだろう。
 この選択をするときに、失うものが何もないからというのが決断の一つの理由になっていた。これから国に帰るときにも、それは同じことだ。いつでも旅の途中であって、それならいつも、失うものは何もない。

■quinta-feira,23,fevereiro,2006
 あれだけ騒いだあとで、きょうはすべてが通常通り。なんとなく、仕事に行くのがだるい。もちろん閉鎖されなくてよかったことにはかわりないけれど。きのうせっせと運び出した荷物を、また部屋に戻す。きのうの時間を取り戻そうとするが、なかなか思うようには進まなかった。
 荒川静香選手が金メダルを取った演技を、夜のテレビで見ることができた。NBCが入っていたことをありがたく思った。国際映像と、また違った角度からの映像の両方を見ることができたから。値千金の金メダル。欧米以外ではオリンピックのフィギアスケートで初めての優勝ということらしい。以前テレビで見た数人のオリンピック選手たちのインタビューの中で、いちばん厳しく自分をみていると感じたのが荒川選手だった。凛とした姿が美しかった。テレビに吸い込まれるようにして見ていたよ。たぶんカナダの記憶と繋がる思い出の人のひとりになるだろう。

■quarta-feira,22,fevereiro,2006
 前にもらっていた咳止めの薬があったのを思い出し、お湯を注いで飲んでみた。そしたらよく効いた。それから、厚着をしていたこともあってか、きょう一日は咳であまり苦しまずに済んだ。
 公務員のストのため、明日から校舎が閉鎖されるというので、一日中てんてこまいだった。現地校の校長やチーフケアテイカーの話では、明日は閉鎖されてしまう可能性が大きい。そして、一度ストが始まるといつ終わるかわからないということだった。過去には16日間も続いたことがあり、場所を変えて授業したり、卒業式や入学式をしたこともあったそうである。最悪のケースを想定すれば、残りの日が全部校舎に入れず終わってしまう可能性もある。朝から対策について話し合ったり、関係するところに電話で連絡したりした。ケアテイカーの一人は、明日は閉まるけれど金曜にはたぶん開くだろうと言っていた。一日でストが終わるならいいけれど。パソコンやプリンタ、その他の道具や学年末に作成すべき書類のファイルをすべて車に積んで、もう見納めかも知れぬとさえ思って職場をあとにした。
 ストの理由の詳細はよくわからないが、消防署員と警察の退職年齢の引き下げの決定に対して、労働組合が抗議したということらしい。学校の校舎を管理するケアテイカーや保育所、ゴミ収集、除雪などの関係がストに入ると、トロント地区の学校の多くが木曜日には閉鎖になる。保育所も閉じられるというので、市民生活に大きな影響が出るということだった。脅迫まがいのこの違法なストを提示する組合幹部というのは、大ばか者ではないかと思った。市民の迷惑に思いがいたらないような組合は解体したほうがいいのではないかとさえ思った。
 ところが、帰りの車の中で聞いたラジオで、ストが回避されたことを知った。午後6時を過ぎてのことだったそうだ。ストがなくなったので、明日も通常通り学校は開く。ほっとしたのと、徒労感とが半々。いい経験をしたといえばそれまでだが、とばっちりを食うのはたくさんだ。

■terca-feira,21,fevereiro,2006
 一日中咳が止まらなくてだめだった。数年前にこじらせておかしくなって以来、風邪を引くといつも咳に悩まされる。3年前には効くと思ったシロップもあまり効かなかった。
 ダウンタウンのアパートに配達の約束をしていたのが7時半。それまでちょっと時間があるので、ミシサガに行って飯を食った。車の中では発作のように咳が止まらず最悪の状態だった。何というのか忘れたがエビと豚肉のあんかけご飯と海苔のスープ。熱いのを食ったからか、咳が不思議なくらいぴたっと止まった。
 配達先は繁華街のすぐそばなので、路上が混んでいて駐車もできなかった。同じところをぐるぐる回り、メールに書かれていた番号に電話をかけるがなぜか相手が出ず、留守電にメッセージを入れる。埒が明かないので有料駐車場に入れて、落ち着いて電話した。よくみたら、さっきかけた番号は間違いだったことがわかった。相手はすぐに出た。再び車を出して、言われたところを目指して走らせると、そこに彼はいた。本だなを降ろして、家に戻り、再度同じ場所を訪れ、CDラックとアイロンとアイロン台を渡す。片道約30分のところを2往復した。大きいものがずいぶん片付いた。

■segunda-feira,20,fevereiro,2006
 咳が酷くなってきた。この咳がいちばん嫌いだ。それから、痰と鼻水。鼻が乾いているのに鼻水が垂れる。天気はよかったのだけれど、運動しようとか、遠出をしようとか、考えていたことはできなかった。
 手放すつもりだったシンセだったが、気が変わって持ち帰ることにした。郵便局のサイトに、パソコン上で小包の配送票が作れるというのがあった。送り先、内容、重さ、大きさなどを打ち込んでクレジットカードで支払い、プリントアウトしたものを荷物に貼ってポストに入れれば終わり。さすがにポストには入らなかったので、下のモールのSTAPLESの中にある郵便局に持っていったら、何の手続きもなく引き取ってくれた。ここの郵便局は3月いっぱいで閉鎖になるそうだ。1セント切手を買おうと思って聞いたが、切手はもう置いていなかった。よく見るとここは郵便局ではなく、シッピングセンターという名前に変わっていた。
 この間から郵便料金がまた値上がりした。来たときには49セントだった国内郵便が、おととしだったかに50セントになり、新しい料金では51セント。1セント切手を買って貼り付けないと郵便が送れない。値上げといえば、地下鉄やバスなどのTTCも4月から25セント値上げして2ドル75セントになるそうだ。公共交通としてはかなり高い。パスを使っていたときには気軽に使ったが、今ではできるだけ使わないようにと考えてしまう。
 一駅先にある郵便局まで歩く。アパートを出る日からの郵便物の届け先を職場に移した。それから、切手を買った。
 帰りに韓国食料品店PATに寄って、キムチと納豆と豆腐と韓国海苔を買った。今まではあまり来ることがなかったのに、この頃になって頻度が増してきた。韓国や中国の店に行って、人々に会うと、ちょっとほっとする。キムチは小さいのを買おうと思っていたが、結局はでかいのを買った。
 午後にはテレビでオリンピックを見た。女子ホッケーの決勝でカナダが勝って金メダル。何でも喜ぶ姿というのはいいものだ。顔ぶれを見ていたら、ママさんホッケーの選手たちという感じがして、それがまたカナダらしくてよかった。
 明日の夜に配達する本だなとCDラックをばらして車に積もうと思ったが、一度に積むことはできなかった。夜になってから、車を少し走らせる。ヤング通りをひたすら北上。ヒルクレストのモールに入って、夕飯を食った。薬局に寄って、咳止めのシロップを買った。

■domingo,19,fevereiro,2006
 鼻づまりが鼻水になって、気味悪いくらい痰が出る。喉の痛みが取れたと思ったら、咳が出てきた。この咳が酷くなってくるのがパタンだ。なんだか一日ずっと熱っぽくて、だるい日曜日だった。
 今度は奥州市というのができるという。多くの市町村が合併して、自治体の数がずいぶん減った
。僕がこちらに来ている間に、岩手県からは26もの自治体名が消えた。実家のある町も隣の市に吸収された。八幡平市も、奥州市も、市の名称としてひじょうに大雑把でバランスが悪い印象を受ける。ふるさとの地図がすごくいびつになった。奥州市なんて、ほんとうにそんな名前をつけてしまう感覚が理解できない。これでよしと考えている人はそんなに多いのか。自分の感覚がずれているのだろうか。

■sabado,18,fevereiro,2006
 わかりやすく話したつもりが混乱を招く。これは酷い。原因はさまざまあると思うけれど、やればやるほどうまくいかなくなる。よくこれで毎日毎日人の前に立って話をしてきたものだ。毎週毎週自信を失って、はじめ100あったものがいまでは1くらいに減ってしまった。残りあと4回でそれが戻ることはあるまい。どうせなら0になって日本に帰りたい。プライドも自信もない。ダメなところからの再出発となる。しかも、体調管理すらできない。これだけ暖かい冬を与えてくれたことを無駄にしている。申し訳ない。と、なんか低調な記述。この週末はゆっくり休もう。

■sexta-feira,17,fevereiro,2006
 救急車の正面に書かれている“AMBULANCE”の文字が、なぜ鏡文字になっているのだろうと不思議に思っていたが、後ろから救急車が走ってくるのを見て、あっけなくその疑問が解けた。車のバックミラーに映ったときに認識しやすいようにということだったのだ。たしかにこれならミラーの中で鏡文字を読むより、少しは判読の速度は増すに違いない。とはいえ、あれだけビカビカと光を放ち、けたたましいホーンを鳴らして来るのだから、文字を読むより前に気づくはずだ。だから、あの鏡文字は実質的な意味でなく、人命優先のシンボルのようなものなのかもしれない。

 乾燥のためか、少し風邪の症状が表れてきた。鼻が詰まって、喉が痛くて、熱っぽい。明日は気温が下がって、マイナス18度になるという。しかし、おそらくそこまでは下がらないだろう。

■quinta-feira,16,fevereiro,2006
 2月も後半、なるほど逃げるように過ぎる月なり。昨夜野菜を食わなかったせいか、腹にガスが溜まってきた。まるで小人がせっせと空気入れで風船を膨らませているみたいな心地がした。しかも先日の続きの夜の会議は止め処なく続き、内容の難題さもさることながら、腹の苦しさに人知れず苦しむ夜だった。
 僕は週末から一気につくりあげた資料について、すべての感情を排除して説明した。どんなイメージからきたことか、何を意図したものか。心をさらにして伝えた。いい悪いはそのあとだった。さいわい筋が認められたので、胸を撫で下ろした。ところが、その後にまた攻防があった。どんな発言についてももう僕は感情的にはならなかった。いま上っていることのすべてが僕のいなくなった後のことだ。だから、感情を持つ必要などまったくなく、ただ完璧な機械を目指すのみである。
 僕の隣には、感情を抑えきれず目に涙を浮かべている人の姿がある。この情の深さによって、僕らの場所には光がもたらされた。この光を頼って、ここまで来ることができたんだ。そして、この人のもとをいよいよ離れる段になって、僕まで一緒に涙するわけにはいかない。この人が語れば語るほど、僕は黙らねばならぬ。この人が熱くなればなるほど、僕は冷たくならねばならぬ。
 いつも考えているのは、どう重心を取ろうかということばかり。ああ俺は、この国を去る最後の最後まで、こんなことばかり考えているのかもしれないな。

■quarta-feira,15,fevereiro,2006
 家に帰ると眠くてたまらず、9時には布団に入ってしまう。2時過ぎには目覚めてしまうので、朝が5時間くらいたっぷり使える。いいのか悪いのかよくわからないが、とにかく朝型人間には違いない。こういうのを自律神経が失調気味であるというのかもしれないが、あれこれと頭は働かせているのでしかたない。さいわいなことに、最近では金縛りにかかることもないし、睡眠を5時間以上は確保しているので、まあいいだろう。

 帰りは上司に車屋まで乗せてもらい、そこで降ろしてもらった。頼んでいた修理が終わったのだ。3日ぶりに見る我が愛車は、きれいに洗ってくれてあり、内も外もピカピカに輝いていた。後部のバンパーが全部交換となって、事故でへこんだところのみならず、以前からの傷も消えて、車全体が若返った。思えばこの車とともに3年間過ごしてきた。あとひと月たらずで手放すことになるけれど、その日まで大事に乗ろう。

 何でも自分のこととして受け止めるような人は、悩むことも多いけれど、その分成長できる。この感受性は人間の基本的な要素であると思うから、子どもたちにはぜひとも身につけてほしい。学ぶ力というのは、そこではないかと思う。だから、ギリギリと、無理にでも、子どもには身につけさせなければならない。
 すべて人のせいにする癖がついてしまった大人は、もうなおらない。そう決めつけるのも悪いから、なおらない人が多そうだ、としておこう。人のせいにしてしまったら、そこで成長が止まってしまう。そういう人は、まわりに伸びる好機がごろごろ転がっているのに、みすみす逃してしまう。それでいて、文句ばかり言う。端から見ていて、もったいないなあと思う。そんなの人の勝手でしょという人がいるだろうが、そうではない。人のせいにする人は、人に迷惑をかけるんだ。しかも、本人は気づかない。そういう大人は、もう救いようがない。
 僕はそんな人に対して寛容になれない。のんびりしているように見えるけれど、意外とタンパラなんだ。

■terca-feira,14,fevereiro,2006
 セントバレンタインズデイ。あちこちの店にプレゼント用のバラの花束が並び、墓石にはさまざまな色のハート型の飾りが供えられている。家族への愛情を表現するというのが、この日の一般的な意味らしい。
 朝刊の記事。日本ではバレンタインデーに女性から男性へチョコレートを贈るという。そして、自分自身のために高級なチョコレートを買う女性たちもいる、とある。少々値が張っても、自分へのご褒美に買うのだという。ざっと目にしただけだけど、そこには異国のものめずらしい話題のにおいが漂っている。もともとの姿と乖離して、商売の国日本独自の事情が出来上がっている。
 義理チョコなんていう言葉が、今では死語のごとく響く。この言葉を連想してしまうがために、愛すべきこの菓子の名前を僕はけして短縮形では呼びたくない。義理とは何に立てる義理なのか。あげる理由のないものを人にあげることはない。もらう理由のないものを人からもらうこともない。自分自身はそんな習慣のあるところに身を置いたことはないけれど。いくらそれが企業の涙ぐましい努力の結果だとしても、ありがたみのない習慣など即刻やめたほうがいい。もともとの意味に立ち返るのがいちばんではないか。

■segunda-feira,13,fevereiro,2006
 世界が注目しているトリノオリンピック。だけど、世界ってどこだろう。ほんとうは行われていることすら知らない人のほうが多いのではないだろうか。冬季オリンピックなんていう存在も、なんだか偏っているような気もする。偏っているといえば、バチカン市国はあんなに小さくても独立国なんだよ。というのも、偏りの結果じゃないか。偏りの中で暮らしていると、そこが中心にみえてしまうことがあるだろう。トリノオリンピックも、鳥の目になってみてみるとおもしろい。競技のコーチやJOCの幹部の言葉をいくつか読んだ。明らかに状況判断を誤っていると思われるものもあり、個というものをまったく無視していると読めるものもあり。これでは選手たちが気の毒だと思った。

 朝一番で車を修理にもっていった。エグリントン・イーストから、道を斜めにたどって、ブロア・ヤングまで歩いた。氷点下7度の外気がとてもやわらかく感じた。知らない道をいくつも通った。見慣れた風景の中にも、まったく初めてみる景色がある。見慣れたことで、見逃してしまうことがいくつもありそうだ。初心忘るべからず。忘れるなとは難しい。忘れてもいいから、すぐにまた思い出せればいいとも思う。思い出したいときに、すぐ思い出せるためには、そんな装置を組み立てておくことが必要かもしれない。思い出作りという言葉は好きになれないけれど。

■domingo,12,fevereiro,2006
 アトランティック・カナダは大雪で、飛行機の欠航が相次いだらしい。ニューヨークの積雪が観測史上最高を記録したという。トロントはというと、道路の積雪はゼロである。きょう一日快晴で、気温は氷点下だったものの歩くのには気持ちがよかった。 

 きょうは朝から、品物を取りに来る人がいて、大きなものがかなり減った。午後にもひとり。そして、夕方にはダウンタウンに自転車を届けてきた。こんなに知らない人に会う日曜日は珍しかった。

 地方紙のサイトの、合併の市町村特集のところを見て愕然とした。「○○市と○○村がきょう合併した」という記述があるものの、ページのどこを見ても日付が記されていない。これでは、いつ合併したかがわからない。新聞記事そのままの内容なのかもしれないが、これではまったく使い物にならない。こんなことじゃ、ばかにされてもしかたないと思った。

■sabado,11,fevereiro,2006
 きのう会議の流れで、たいへんなことを請け負うことになった。来週の木曜にはそれをたたき台にしてまた話し合いをもつことになっている。ほとんど一日パソコンに向かいながら、あれこれと思いを巡らしてみる。新しいことを一から始めるのだ。こういう悩みなら、苦にはならない。4月からの立ち上げにこういう形で関わることができるなら本望だ。

 いろんな側の事情というものがあって、お互いの事情を理解しあうことはなかなか難しい。あいつと自分は違うとか、何をいっても伝わらないとか言って諦めてしまう前に、みんな一本の線で繋がっていると思ってみてもいいのかもしれない。それぞれが自分なりの道の歩き方をしている。だが、歩いているのは同じ道。急ぐ人もいれば、休み休み行く人もいる。忘れ物を取りに戻ったり、途中のところに居座ったりする人もいる。人それぞれなのはわかるけれど、もし、歩けなくなっている人や道に迷っている人を見かけたら、黙って通り過ぎるわけにはいかないだろう。手を差し伸べるのではなく、自分自身の力で歩き出せるように、何か刺激できればいいんじゃないか。

■sexta-feira,10,fevereiro,2006
 会議時間の最長を記録した。目を見張る攻防。一人一人の言葉の筋道と、その背後にある思惑と。何を意図しているのか。何を言わんとしているのか。心の耳をそば立てる。何が聞こえるか。何を聞くか。こんなに貴重な勉強の機会はもうそれほどないだろう。だが、何のための勉強か。何をどう役立てればいいというのか。今の時点でその答えはまったくわからない。
 自分がやらなければならないのだということはわかる。何を、いつ、どこで、どのように…。それを見定めていくしかないのだな。

 毎晩品物を取りに来る人たちと会う状況が続く。メールを何往復かして、場所を待ち合わせて、そこで物とお金を交換し、ちょっとの言葉を交わす。あるいは、部屋に来てもらい、品定めして気に入れば買ってもらう。売り買いというその場限りの中だけど、いろいろな方たちと会うのはおもしろい体験だ。「わざわざすみません」 「ご出発はいつですか」 ただの物資のリサイクルではなくて、物を介して心も行き交う。そう信じてみる。
 あとのことはよろしくと、すべてを託す潔さ。一つ物がなくなるたびに、部屋が別のもので充たされていく。

■quinta-feira,9,fevereiro,2006
 朝の放送で流れる国歌のテープがおかしくなって久しい。以前は心地よく響いていた歌が、最近では音がざらついて耳障りになっていた。ところがここ数日はもうテープもかからず、なんと先生の誰かが独唱して聞かせるという事態に至っている。これもまた味があっていいのだが、学校としてはそこまでして国歌を歌わせねばならないということなのだろうか。実はそのわけはオリンピックにあった。今週に入ってからは、アナウンサーの係の子どもたちが、カナダチームを応援する一言を発表し“GO! CANADA GO!”と叫んでいる。先生からもオリンピックのことが話される。カナダにとって、冬季のオリンピックは国を挙げて応援する一大イベントだ。しかも、次のバンクーバーに向けて、トリノでも大いに盛り上げてぜひとも結果を出したいところなのだ。
 ちなみに、テレビジャパンではオリンピックの映像は放送権の都合で見ることができない。そのため、日本選手の活躍を見ることはあまり期待できない。テレビを見ていても、きっとカナダ選手ばかり映るだろうから、自然にカナダ選手を応援する感じになるのではないかと思う。当然どの国でもそうやって自国をクローズアップするから、自分の国はすごいということになる。みんなが自分の国に誇りをもてたらいい。そして、自分の国以外の国々の人々も自分たちと同じように自国を愛していることに思いが至ればいい。
 昼休みになると、子どもたちがラジカセを借りに来る。廊下でダンスの練習をするのだ。きのう昼飯を食べているとき、「私たちのダンスを見たい?」と言ってきた。きっと近いうちに発表会があるのだろう。小学生たちのダンスも見事なものだ。子どもたちは容赦なく話しかけてくるから、以前はかなり身構えていた。だけど、今では普通の感じで接することができる。会話ができるようになったのではなくて、日本人の子どもとなんら変わらないという感覚になったからだ。
 子どもたちの掲げる旗は真っ白で、どんな形も描かれていない。色をつけたり、模様を描いたりするのは、大人の役目だ。これから赤いメイプルリーフが描かれたり、日の丸が描かれたりする。それは素晴らしいことだ。
 だけど、それだけではたりない。どの子も同じ模様を描けばいいのか。あるいは、もう一つ別の旗を立てればいいのか。いや、キルトのように、一人一人の旗を縫い合わせて大きな旗にするのがいいんじゃないか。

■quarta-feira,8,fevereiro,2006
 人間を類型化して考えるのはどうかと思うが、渦中の人々を一人一人考えていると、皆に共通する要素が浮かび上がってくる。何でも他人のせいにしようとする人間。何をどうもっともらしく説明しても、しまいには自分を守るための言い訳になってしまう。そんな人間には何を言っても通じない。それだけの感受性が備わっていないのだ。今週はついに茨木のり子の詩を使ったよ。自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ。何百回唱えたことか。この言葉をいよいよかれらに向けて投げかける。すぐには絶対に理解できまい。だけど、何年か経ってわかればいい。
 自分をさらけ出す。さらけ出せば出すほど、生きる意味が見えてくる人間と、口を開けば開くほどぼろが出てしまう人間がいる。自分がどちらかはわからないけれど、他人だったらおもしろいくらいはっきりわかるよ。ほんとうに生きている人間は、死んでいたって他人を生かす。生きながらにして死んでいる人間は、通った傍から他人を殺していく。すごいものである。

■terca-feira,7,fevereiro,2006
 ミュージカルを観に行く機会もあとわずか。きょうはTHE BOY FRIENDというのを観てきた。ジュリー・アンドリュースが監督したということだったが、監督というのがどういうことなのかよくわからない。そもそもジュリー・アンドリュースのことをほとんど知らない。サウンド・オブ・ミュージックに出ていることは知っているが、観たことがない。あの映画を観なければだめだと言われて、DVDを買ったのだが、封も開けぬまま箱に詰めて送ってしまった。
 でも、今まで観たミュージカルの中でもっとも英語がわかりやすかった。それはそうか。実は、このところ聞き取り能力が飛躍的に伸びている実感がある。来た頃を1とすれば、今の力は100くらいあるだろう。しかし、日本語の聞き取りを100とすれば、まだまだ英語は1くらいなものだろう。そんな低レベルではあるが、とにかくミュージカルを言葉の面からも楽しめたのは大きい。まだまだ伸びる可能性はありそうだ。
 話は単純なリゾート地での恋愛模様なのだが、アコースティックの演奏と歌とダンスがとてもよかった。古き良き正統派ミュージカルという感じがした。

■segunda-feira,6,fevereiro,2006
 日本人コミュニティのBitsというサイトに掲載したら、すごい勢いでメールが入ってきた。きょうのうちに、3分の1くらいは買い手が付いた。正直嬉しいかどうかわからないが、悲鳴も出るほど。質問にメールで回答するのも一苦労だった。ただの「買います」メールなのだが、十人十色。いろいろな人がいるわい。
 だが、メールの数のわりに希望は偏っており、このままだと売れ残りそうなものがある。値段設定が高かったかな。それとも、宣伝が下手だったかな。人気の品物はもう少し高くてもよかったかな。そう思うのは、欲ばりな考えだな。

■domingo,5,fevereiro,2006
 昼寝して、目覚めたら9時だった。どうも休日になると、午後から眠くなり夜中に目がさえてしまう。身体が時差ぼけの予防でもしているのだろうか。家財道具の写真を明るいうちに撮ろうと思いつつ一週間が経った。このままでは帰国セールのサイトがいつまでも出来上がらない。そこで、暗い部屋でフラッシュを使って撮影。1時からの「功名が辻」再放送を見ながら、サイトを立ち上げた。それにしても大河ドラマは同じような顔ぶれが多いな。秀吉役と家康役が何人出てるんだ。
 「引っ越しセール@トロント」 ここで僕はトロントセールのとろせい君ということになっている。シンボルの写真を鮭にしたのは、自分の川に帰るから。というのは冗談で、僕は魚類顔なのだ。
中学時代に同級生から、お前はマスに似てるなと言われたことがある。マスって何だと聞いたら、「鱒だよ、魚の」と言われた。本人、嫌がるどころか、たしかに鋭い形容だと感心したものだ。
 日本円でも支払い可能ですが、郵送はいたしませんので悪しからず。ほんとうにこれでちゃんと売れるのだったら、ブログの使い方のひとつとしてはおもしろいと思う。
 今回はニフティのココログを採用した。これにはふたつの理由がある。ひとつは、すでにニフティのアカウントをもっていて、登録が簡単だったから。そして、もうひとつは、商用利用も認められているからだ。いくつかの無料ブログをあたってみたら、商用は禁止というところがあった。これはリサイクルであって、儲けようなどとは少しも考えてないけれど、これも一応商いだろうからそこのところはしっかりやりたい。

■sabado,4,fevereiro,2006
 荒れ模様の土曜日。ウインター・ストームの警報が出ていたが、南オンタリオは気温が高くて、昼には雪も混じったが、ほとんど雨降りだった。夕方になって、これが凍ったら危ないぞというのでいつもより少し早めに職場を出た。だけど、吹いている風は冷たくなくて、滑る心配はいらなかった。
 
 自分は人を泣かせたことがあるだろうか。子どもの頃、誰かをいじめたり、兄弟げんかをしたりというのは何度もあったけれど、たとえば、感動の涙を流させたことなど一度もないんじゃないか。
 職業上、子どもをどうしても泣かせなければならない場面というものはある。たとえば、自分を見つめることを避けている子どもに言葉を突きつけて追い込むことがある。どうしようもなくなって涙を流せば、それで大きく成長できる。ここぞというときに、心の琴線に触れるような唯一無二の言葉を与える。そうすることでしか変えられない時がある。
 ある程度いっしょに過ごしていると、わかるものである。怖くて避けていては、いつまでも子どもは変われない。変われないことが、どれほど苦しく可愛そうなことか。だから、教師は子どもの心に一石を投じて波を立てなければならない。子どもを変えられる教師でなければ、存在価値はない。
 そういう意味では、僕がここにいる意味も、教師のそれと同じではないかと思う。人を変えられないのであれば価値がない。だから、ここを去らなければならない。
 相手が子どもだろうが大人だろうが、人が変わるときには涙を流す。あるいは、涙を流すことによって人は変われる。さすがに年齢が高くなれば実際に涙が流れることは少ないだろうが、心の中で号泣することはあるだろう。この三年間で、僕はこの言葉によって誰かに涙を流させることがあっただろうか。その技量はほんとうに足りなくて、少しも進歩してないじゃないかと思った。
 周りにはもう、僕を泣かせてくれる者はいない。だとしたらいま何が必要か。考えればわかることだ。あとはやるかやらないかのどちらか。

■sexta-feira,3,fevereiro,2006
 朝から雨が降り続く。気温が高くて雪になりようがない。
 金曜日は夜になると眠い。特に今週は、疲れが出ているかもしれない。体力的なことを考えると、これくらいで疲れていたら話にならない。

 きょうは節分だった。どこかで炒った大豆が売られていて、それがうまかったという話を聞いた。納豆はたまに食う。豆腐はときどき食う。だが、炒った大豆を食べる習慣はなくて、豆撒きはもっぱら落花生だった。
 ところで、北米ではピーナツアレルギーというのが多くて、少しでもピーナツの入った食品を食べると大変なことになるので、学校や家庭はとても慎重だ。学校に持たせること自体が禁じられている。弁当にピーナツバターのサンドイッチなんてもってのほかだ。程度の激しい人なら、においを嗅いだだけで症状が出るらしい。昨年暮れに、ケベックの少女がボーイフレンドとキスした後に死んでしまうという不幸な事件があった。ボーイフレンドはキスする前にピーナツバターを使ったお菓子を食べていたという。
 アレルギーを防ぐには、その原因物質を食べないのがいちばんだ。でもそれは、対処療法でしかない。どうして少女は死ななければならなかったのか。そこに食品産業の構造的な問題はないのだろうか。製造の過程で、食べ物ではない化学物質が使われている可能性はないか。どこかの利益を優先する陰で、人々の安全が脅かされている結果ではないのか。と、そんなことを考えてしまうのはおかしいか。

■quinta-feira,2,fevereiro,2006
 どんよりとしている。またグランドホッグ・デイが来た。ところが、いくら話を聞いてもよくわからない。朝のテレビでは、どこかの会場に集まった老人たちが、めいめいに朝食を食べたり、バンド演奏を聴いたりしながら、グランドホッグが穴から出てくるのを待っていた。中には変装をしている人もいた。冬眠から目覚めたウィリーという名のグランドホッグが、もし自分の影を見たら、驚いてまた穴の中に戻ってしまう。そうすると、春の訪れが6週間延びてしまうという。きょうは影ができなかったのではないかな。だから今年の春は早いかな。
 明日は節分だ。鬼は外、福は内はわかりやすいけれど、豆を撒くのはなぜだっけかな。春を待つ気持ちはどこでも同じだが、その表現はさまざまだ。異文化は、ばふっとつかむのがいいかもしれないな。だけどそれでは理解とはいえないかな。

 「仕事の流儀」じゃないが、ここぞというときの信条が誰にもある。そう思いたい。優れているところ弱いところは人それぞれだけど、誰もが道の途中だと思えば腹が立つこともないし、呆れることもない。もしその人たちを見放すなんてことを考えようものなら、その時点ですでに遅れをとっている。人それぞれの道筋がある。どこを通っても同じところに辿り着く。肝心なのは、道を歩き続けるか否かのところ、なのかな。

■quarta-feira,1,fevereiro,2006
 二月だや。窓から見える景色を表紙の写真にした。青い木々はもしかすると枝そのものがこんな色なのだろうか。それにしても春みたいである。あとが恐ろしい。1万年に1度の巨大地震でも来るんじゃなかろうか。
 朝の駐車場で、幼稚園の先生のナンシーさんに会った。みなと同じように、この冬のことを彼女も「とってもマイルド」と表現した。カナダだけでなく、地球上の各地で、さまざまな形の異常が起きている。すべてこの空の延長線上に起きているのだと想像することは、簡単なようでいて難しい。できるならこのマイルドな状態が三月まで続いてくれたらいいという気持ちが半分。そして、トロントの冬らしい寒さをもう一度という気持ちも半分。
 このまま春になるなんてまさかとは思っていたけれど、そういうこともじゅうぶんにあり得る気がしてきた。


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