■terca-feira,31,janeiro,2006
 今頃になって、これは旅だとわかった。旅の中に人生があり、人生の中に旅がある。旅が仮の宿りとすれば、日常も仮の場所でしかない。帰る場所はすでにもと来た場所ではあり得ず、きょうのこの場所にも永遠に戻ることはできない。旅の終わりの中にさえ旅があり、旅の中で迎える新たな旅の始まりである。旅の中にまた旅があって、旅の途中にも関わらずまた旅に出る。などと、たびたび旅のことを考えて、草臥れる。遠くを目指してやってくれば、そこはもう遠くではなくなっている。つまり、どこにいたって、遠くへ行きたい気持ちからは逃れられない。
 どんな爺さんがいいかなあと思う。長年誤魔化してきたことのツケが回って、信用も何も失って、情けない晩年を過ごす爺さんなんてやだと思う。いくら財力を得て、地位や名声を得て、豊かな生活基盤を得て、家族を得て、他人が羨むくらい幸せそうな人生に見えても、見る人が見たら、相当に酷いことをしてきたということに気づくのだ。人の一生っていったいなんなんだと思う。ほんとうに公平な目で、一人一人の生き方が評価されたらどんなにいいだろう。だがそんなことは幻想だ。なんか自分は自動的にいづれ爺さんになるつもりでいるが、明日をも知れぬ人生なのだ。あと5年で一生が終わると仮定した日からも、もうちょっとで5年になるはずだ。
 こんなふうにだけはなりたくないというサンプルがごろごろしていて、歩きにくい。同じくらい、こんなふうになりたいというサンプルもころがっているのだろうけれど、あんまり滑らかなものだから気づかずに通り過ぎてしまう。

■segunda-feira,30,janeiro,2006
 朝に運送会社の集荷が済んで、また部屋が広くなった。
 しとしとと夜通し降ったらしい雨が止んで、少しずつ道路が乾いてきた。窓から見下ろす住宅街の柳の木の芽が、少し膨らんで黄色くなっているのがわかる。この暖かさに木々が勘違いしているのだろうか。ラジオでは、これは通常のバンクーバーの1月の気温と同じだという。この傾向は2月も続くと言っている。まさか。
 スーパーマーケットのカートが、11階のエレベータの前に置いてある。この階の誰かがここまで押してきた証拠だ。とんでもない奴がいるものだ。
 日本人はそんなことはしない。そしてまた、このことは多くの人の中に共通認識としてある。部屋のオーナーには、きれいに使うから日本人に貸したがるという人が多いらしい。だから、このアパートの住人も、管理しているスタッフの中にも、日本人の僕を疑う人は、きっと一人としていないだろう。
 明るいうちに家具の写真を撮ろうと思っていたのだが、一眠りして目を覚ましたら既に真っ暗になっていた。ふたたび雨が降り出している。濡れても寒くないくらいの、春雨だ。

■domingo,29,janeiro,2006
 春節の朝は雨に煙り、建物もどこかひっそりとしている。コーヒーと、マイクロウェーブで温めたワッフルにメイプルシロップをかけて朝食にする。メイプルシロップが何なのか。僕はここに来て初めて知った。それは、デパートの食堂にあったサンプルのホットケーキ、その横に置かれた小さな容器の中の糖蜜の正体だった。思えばホットケーキの魅力は、あの蜜と真ん中にのった四角いバターだった。
 テレビを見ながらゆっくりゆっくり荷造りの仕上げをする。押入れの洋服類も、最低限だけ残して箱に入れた。
 ファイルに放り込まれていた書類を一つずつ見ては選別する。入れたときには取っておこうと思っていたものが、今は多くがゴミになった。最後にはそうやって形あるものすべてがゴミになる。その練習と思えば、だんだん片付いてゆく部屋を見ながら考えるのはとても大事なことのように思える。

 誤解のなきようにと考えると、紙に書こうということになる。しかも誰がみても一つの意味にしかとらえられないように限定的な言葉で。ところが、文字にしようとすればするほど、情の入り込む余地は狭くなる。
 文字になった思考より、言葉以前の情動のほうが、行動に結びつきやすいかもしれない、などという考えが浮かぶ。
 自分には、何かに突き動かされるようにして、考えるより先に何かをしたことがあっただろうか。情熱などというものは、僕の心にはない。夜のおくびょうな小動物のように、とかとかと心臓を高鳴らせてはその場でじっとしていることばかり。動くというのは、こんなものじゃないだろう。何かを動かすというのは、こんな奴じゃできないだろう。

■sabado,28,janeiro,2006
 旧暦の大晦日。チャイニーズ・ニューイヤーズ・イブ。薄闇の中ラジオから流れる中国の歌が不思議な余韻を残して、珍しく穏やかな土曜日の朝が訪れた。
 きょうは10度を越えた。ワイシャツの袖をまくって外に出ても寒くない。玄関には、以前にケアテイカーが撒いてくれた融雪剤が白く残って積もっていた。一年でいちばんの厳寒期のはずなのに、こんなに暖かくていいのだろうか。自分の感覚からすると、これは卒業式ではなく、入学式の頃の陽気だ。昨年の今頃には−20度以下の日が続いていたのだから驚く。
 暖かいことをみんな喜んでいる。だけど、もちろんこのまま春になるわけがない。安心していると寒くなるんだから。きっと今年は5月にも雪が降るに違いない。そんな声が聞かれる。同じカナダでもニューファンドランド州ではブリザード、ブリティッシュ・コロンビア州では大雨。それらに比べればオンタリオ州の異常気象は、異常というにはあまりに甘美なものだ。気味が悪い。明日の春節からしばらくは、雪ならぬ雨が続く予報となっている。レコード・ブレイキングな冬はまだ続きそうだ。

■sexta-feira,27,janeiro,2006
 月めくりのカレンダーは、月末になると使いづらい。翌週のことを考えるときにも、手で持たなければならないから。今月と来月のカレンダーを二つ並べて貼っている事業所があったのを思い出した。
 春節が近づいて、にわかに正月ムードが盛り上がってきた。玄関にクリスマスのような飾りをつけている家がある。中国系か韓国系だろうか。
 今まで長い間民が使ってきた暦を、一斉に新しいものに切り替えるなんて、簡単なことではないだろう。たとえお上がやるぞといっても、民の力がそれをはねのけてしまうかもしれない。あるいは逆に、民が右へ倣えでそれに従うということもあるかもしれない。
 中国や韓国でも新暦は普通に受け入れられているが、それと同時に旧暦の行事も守り伝えている。政府がどのような暦を採用しようが、古くからある民の慣習は変えられるものではない。
 それはそうだと思う。たかが政府の一声で、今までやってきたことが根底から覆されるなんてことは、誰も許すはずがない。そんなことに従う必要なんてない。暦がどうであれ、新月の祝いをやめてしまうなんていうことにはなり得ない話だ。そこのあたりを上手に使い分けているのが、中国や韓国の民かもしれない。
 日本でも、新暦が導入された明治5年12月にはそうとうな混乱があったようである。新暦反対の農民一揆も起きたそうだ。資金不足の明治政府がこの年に新暦を導入しなければならなかったのは、大量に増やした官僚の給料をひと月分支払わずに済ませるためだった。つまり、12月2日の翌日を明治6年1月1日とすることで12月の給料を浮かせようということだったらしい。だけど、給料は毎月支払わなければならないものだから、実質的には給料日を2日間先延ばししたにすぎないのではないか。なんとも浅はかな理屈だ。
 西洋諸国と同一の暦に変える必要があったことはもちろんじゅうぶん理解できる。変革の時期には混乱があるのが当然で、政府はちょうどよいきっかけを求めていたのだろうということもわかる。その意味では、日本政府は上手に西洋化を進めてきたといえるかもしれない。
 しかし、現在の日本で旧暦で行われている行事がどれくらいあるだろう。お盆などの「月遅れ」の行事や二十四節気に基づいたものは残っていても、あとはピンとこない。正月ですら新暦で祝うようにすっかり変わってしまった。政府とすれば政策をうまく浸透させたといえるが、民の側からすればどうだろう。千年以上も続いてきた慣習が政令によって変えさせられることに対して、どんな意思をもったのだろう。納得したのか、妥協したのか、屈したのか、騙されたのか、それとも…。100年ちょっと昔のご先祖様たちと話ができたら、ぜひ聞いてみたいものだ。

■quinta-feira,26,janeiro,2006
 あきらかに優先順位めちゃくちゃのニュース番組。しかも、無駄に時間を割き過ぎ。こんなのばかり見ていたら、ほんとにばかになってしまう。この国の病みはそうとうなもんだ。と思わずにはいられない。商売にばかり強くても、これでは他の国とはやっていけない。政府も、官僚も、マスコミも、どこかの儲けの手先にみえてくる。
 以前だったら、子どもたちにニュースを見ることを勧めたものだ。世の中で何が起きているかを知り、何が大事なのかを判断する目を、養いたい。そう思ってのことだが。いまのニュースを見て学べとはとても言えない。ネットからでも、各社の新聞でも、同じ事件を多角的に見せるようなことをしなければ。そして、ニュースでは扱われないニュースに目を向けさせなければ。
 
 久しぶりに体感で−20度に下がった朝。路面が白くなっていたのは今年初めてだろう。見上げると、快晴の空は清清しい。見慣れた赤と白の旗。来た頃の不思議な気持ちを思い出す。自分の国の国旗を心置きなく掲げられる。そんな当たり前のことがどれだけありがたいことか。どこと比較することなく、自分の国に誇りをもち、皆でそれを共有したい。そのために、やはりたくさんの人々がさまざまなところから集まり、さまざまなところに移り住み、盛んに往ったり来たりできたらいい。国は土地ではない。国は人そのもの。

■quarta-feira,25,janeiro,2006
 公演は7時から。地下鉄がキングに着いた頃にはあと15分しかなかった。夜の街を走った走った。それにしてもこういうステージは8時からというのが多いのだけれど、これに限って7時からなのはなぜだろう。朝からときどきそんなことを考えて、あとでチケットを確認しようと思いながらここまで来てしまった。もうぎりぎり駆け込みセーフの時間だが、ロビーにはほとんど人がいない。しまった。遅かったか。だけど、チケットを切るおばさんはやけに落ち着いている。劇場はどっちと聞くが、ぽかんとしている。そこでやっと気がついた。8時だったのだ、始まりは。近くのラウンジでは、3人くらいの人が腰掛けてコーヒーを飲みながら、のんびり談笑していた。
 「あと1時間あるから、コーヒーでも飲んで待っていて」。そう言われたが、また来ますといって外に出た。たまにある、こういうことが。はじめにしっかり確認していれば、焦る必要は一つもなかったのに。
 時間つぶしに歩くフロント・ストリート。目の前には灯りのついた高層ビルの群れ。上空には少し靄がかかっており、CNタワーも真ん中から上が霞んでいた。しかたがないのでQUIZNOS SUBでサンドイッチの夕飯を食べる。それでもまだ30分あるので、ショーウインドーをのぞきながらゆっくり歩く。気温はプラスなので、寒さを感じなかったのはさいわいだった。
 “LETTERS FROM LEHRER” Richard Greenblattという役者の一人芝居。この人は、2Pianos 4Handsをつくった二人のうちの一人だった。Tom Lehrerという、20世紀後半に活躍した音楽家の作品の弾き語り、そしてその合間に喋り捲り。中央にグランドピアノが一台、そして水差しとコップが置かれた小さなテーブルがあるだけの簡単な舞台。時折レンガ造りの壁にモノクロやカラーのスライドや動画、そして文字が映し出される。あの時も何を言っているかわからなかったが、今回もそれほど聞き取れたわけではなかった。会場の人々はずいぶん爆笑していたけれど、いっしょに笑えるところはほとんどなかった。ただ、生のパフォーマンスの熱気や迫力をばんばん感じることができたし、戦争や核についてのこだわりも伝わってきた。この人の筋書きを読解できたら、きっと平和主義が貫かれていることに気づくに違いない。
 負け惜しみに聞こえるかな、上質のステージの肌触りというかほの暗い舞台の温度というか、そんなものを体感してこれたのはきっと無駄ではなかったと思う。今回だけでなく、言葉の輪郭のつかめないステージを幾度も観てきた。それらは、これから自分が何かを作るときの
原体験になり得るのではないか。あの質感を今度は僕が、僕の言語で表してみればいいのだ。
 駅までの道で、いくつも連なる家具屋や画廊の照明の当たる窓を見ながら、光の拡散したビルの上空を見ながら、さよなら、さよなら、と心で叫んでいた。

■terca-feira,24,janeiro,2006
 人に影響を与える力がある人は早死にするのではないかなあと言ったら笑われた。最近よく考えていたことだったのだけど。影響を与えるというのは、変えると言い換えてもいい。人を変える力が有り余って、自分ひとりでは抱えきれなくて、死んでしまうのだ。そういう人間の死は、何千、何万という人間を動かす。生きて人に力を与えるのも人生なら、死して人に力を与えるのもまた人生である。そうして、弱い人間でも、少しずつ力をつけながら生きていくやり方だってある。いま自分が死んでないというのは、まだ努力が足りないのだ。強くなれという無数の死人たちからのメッセージが、この空気中にまるで電波のように飛び交っているのを感じる。

■segunda-feira,23,janeiro,2006
 穏やかな月曜日。テレビからビデオの類をすべて取り外し、梱包する。荷物の入った段ボール箱をテープで止める。荷物を一箇所にまとめて、掃除機をかける。ずいぶんと部屋がすっきりする。机を窓に近づけて、外を見下ろせるようにする。新鮮な景色。
 きょうは総選挙の投票日。9時から始まった特集番組。先週行ったCBCトロントの特設スタジオは、華やかな光と色に包まれていた。事前の評のとおり、保守党が政権を奪取することは確実なようだ。これからどのように変わっていくのだろう。変わっていく様を、海の向こうから見ることになるのだろうか。
 選挙とは関係ないが、保守という言葉の響きがあまり好きではなかった。そして、革新という言葉には魅力を感じた。いままでのことが変わって新しくなるのは、すべて素晴らしいことだと思っていた。しかし、時代が変わっても守らなければならないものがある。これまでのものをぶっ壊すことが改革だというのは間違いで、大事なことは守りつつ、変えるべきところは変える。そこの見極めが肝心だ。それをやる人がリーダーにならなければだめだ。

■domingo,22,janeiro,2006
 穏やかな日曜日。天気も穏やかで、こころも穏やか。これまでは、仕事上の問題について、週末もどこかに何かが引っかかるような感じがしていた。だが、そんな心配事からも、ここを出た途端に切り離されてしまう。僕の去就などにはいっさい関係なく、ことは今後も進んでいく。そう思ったら、とても楽になった。
 トロントの暮らしも2か月を切った。まだ時間はあるけれど、やることをやっているうち、あっという間にその日がくる。余計な神経はもう使わないで、次のことを迎えるためにこころをととのえておこう。

■sabado,21,janeiro,2006
 昨晩からの雨が朝方に雪に変わった。湿ったぼた雪がみるみる積もって真っ白くなった。フリージング・レインのためにスクールバスがキャンセルになった地域があった。
 土曜日のたびに、天気が荒れる。同じ曜日に同じような天気が続くことはよくある。だいたい一週間の周期で天気が変わっていく。これは偶然ではなくて、地球の、あるいは温帯地方のきまった周期ではないか。一週間が七日というのも、その天気の周期からきた必然的な日数なのではないか。と、そんなことを思った。
 昼休みには雪は上がったが、校庭はもうぐちゃぐちゃで、サッカーをしている子どもたちのズボンの裾が泥だらけになっていた。午後にはすっかり晴れたが、気温は徐々に下がってきた。とはいえ、マイナス一桁というところ。暖冬であることには変わりない。

■sexta-feira,20,janeiro,2006
 出勤時に追突された。いつもと同じように車でヤング・ストリートに出て南進、一つ目の大きな交差点シェパード・アヴェニューの赤信号で止まろうとゆっくり走っていたところ、不意にゴンと後ろからの衝撃を感じた。すぐ横の道に入って車を降り、状況を確認した。女性がすぐに降りてきて“I'm sorry”を繰り返した。さいわい相手にも怪我はないし、こちらもどこも痛くなかったので、とにかく心配ないことを伝えた。自分の車の右後ろのバンパーがぼこっと凹みシャーシがずれていた。相手のほうは、左前のライトが割れてバンパーに傷がついていた。自分は3車線のうち中央の車線にいたが、 相手が外側の車線に変更しようとしたところで追突したようだ。 警察を呼ぶほどでもないので、お互いの連絡先やナンバープレートを交換し、それぞれ持っていたカメラで写真を撮った。今日中に保険会社に連絡することを伝えて、その場は終わった。
 出勤してしばらくすると相手から電話がかかってきた。見積もってもらった額を払うから保険を使わずにやりたいという相談だった。英語もよくわからないので、考えてから連絡すると言って電話を切った。あとのことを考えると保険を使うのがいちばん良いと思う。同僚たちの意見も同じだった。保険会社に連絡すると、事故証明(Collision Report)と修理見積もりを取って送るようにということだった。事故証明は24時間以内に取らなければならないというので、午後から出ることにする。事故の相手には事務の方に頼んで電話で伝えてもらった。
 大急ぎで最低限の仕事を進める。電話相談があったり、現地校の校長が急に訪ねてきたりして、ちょっと焦る。3時頃早退し、最寄のレポート・センターというところまで行く。職場から30分くらいのところだったが、道がわからず同じところをぐるぐる回ってようやくたどりついた。建物の中には受付と警察の二つの窓口があり、そこを何度か行ったり来たりしながら、質問に答えたり、書類に書き込んだりした。どちらの窓口も応対がやわらかくて、発音も明瞭でよかった。事故の状況を文章で書き表せというところで焦ったが、「ゆっくり走ってた。車が後ろにぶつかった。」というふうに書いておそるおそる見せたら、“OK!!”と言って受け取ってくれた。写真を撮るから外で待ってくれと言うので車の前で待っていた。バンパーの部分に証明済みを表すステッカーが貼られていた。受付の人が大きなカメラの三脚を抱えてやってきたのだが、「すでに誰か撮影していたようだ。もう帰っていいよ」というのでその場をあとにした。
 そこからディーラーに行き、修理の見積もりを取ってもらった。バンパーの全交換が必要だということだった。帰宅したのが5時半過ぎ。で、ほっとする間もなく、着替えてまた車に乗る。夜にはある集まりに出なければならなかった。そこで何人かの方々と話をした。ここでもいろいろなことがあり、思うところはあるけれど、それはまたいつか書こう。帰ったのは10時だった。
 思いがけないところでこういうことが起こるものだ。とんだ災難だったが、身体はなんともないし、これくらいの程度で済んでよかったよ。自分ではどうにもできない場合も多いけど、少なくともこちらの不注意で事故を起こさないように気をつけよう。

■quinta-feira,19,janeiro,2006
 月曜日の選挙を前に、各党が最後の運動を繰り広げている。最近の支持率調査では、野党第一党、スティーブン・ハーパー率いる保守党(コンサバティブ)が、ポール・マーティンの与党自由党(リベラル)を上回っている。12年ぶりに政権交代する可能性が高いらしい。
 共同通信の記事にはこんなふうに書かれている。「保守党は、国防費抑制で財政を健全化した自由党政権と異なり、国防費増大を志向しているほか、現政権が認めた同性婚を批判。地球温暖化防止のための京都議定書に否定的で、米主導のミサイル防衛構想への不参加決定についても見直しを図りたい考えで、政権を獲得すれば、ブッシュ米政権に一気に近づくことになる。」
 それにしても、日本語メディアとはいえ選挙前にそのような強い書き方がよくできるものだ。テレビの雰囲気からすると与党が苦戦していることは感じられるが、それでも選挙はやってみなければわからないだろう。これに関わらず内外からいろんなニュースが毎日飛び込んでくるけれど、けして真に受けてはいけないと思う。むしろ、どこかの利益に絡んでいるんだろうなあという目で見たほうが良さそうだ。
 「選挙が終わるとすっかり変わる」という声をよく耳にする。もし政権交代となったら、USAと一線を画してきた路線がすっかり変わることになるだろう。そうしたら、カナダがカナダらしくなくなってしまうような気がする。USAにもちゃんと物を言うのが、カナダのいいところだと思ってきた。これからもそうあってほしいと願う。
 党首たちは次々と「最新の公約」を打ち出しては、国民の支持を取り付けようとしているようだ。自由党のコマーシャルではこんなことを言っている。「保守党が勝つと、ブッシュが笑う。あなたはどこに投票するか」。よその国の政治にどうこう言える立場ではないけれど、ブッシュを笑わせることだけは嫌だと思う。

■quarta-feira,18,janeiro,2006
 朝の交差点で、“TONYPRO”というナンバーの車がいきなり車線変更して割り込もうとしていたのを見た。トニープロが社名なのか知らないけれど、看板背負っていながらそういうことしていいのか。プロって何のプロだ。
 ナンバープレートは、基本的にはアルファベット4文字と数字3つだが、別料金を支払うと自分の好きな任意のナンバーを取得できる。走っているとさまざまなナンバーを目にして面白い。数日前には“EXCUSEME”なんてのを見た。「失礼!」と言いながら走るようで、ユーモアが効いているといえば効いている。自分でそういうことをしようとは思わないけれど。自分が目にした変り種のナンバープレートを一日一つでも載せたら楽しいなどと思っていたこともあった。
 
 長い間疑問に思っていたことが、氷解したような気持ちがした。つまりは、これまで自分には全体が見えていなかったということだった。この自分を何とか生かそうと、頭をひねって考えてくれた人たちがいた。そのおかげでいま生きているのだとわかった。なぜ理解できるように説明してくれなかったのかと思っていたが、説明されたところでそれを理解できるような自分ではなかったのだ。

■terca-feira,17,janeiro,2006
 阪神大震災から11年が経った。ひとことで11年といっても、それが長いのか短いのか。神戸に行ったのはいつのことだったろう。この11年の間に、震災やその他の災害がいくつもあった。一つ一つ覚えていられないほどたくさん。命を失った人々から、今生きている人は何を学び取ればいい。「忘れてはいけない」と言われる。だけど、ほんとうに忘れてはいけないことが何なのか、自分はわかっているだろうか。

 いろいろな情報交換をしながら、頭が痛くなってくる。言いたいことはつぎからつぎから。とりあえずそれらを全部言葉にしてみる。どうしても自分の力のなさに思いが至るけれど、それが主ではない。人の上に立てる人と、立ってはいけない(状態の)人がいる。人の前に立てる人と、立ってはいけない(状態の)人がいる。そんなことを否応なく感じてしまうのが哀しい。そしていつも、そういう状態の人に限って、行く手に大きく立ちはだかっては人の邪魔をする。
 問題が見える人間にしか、それを解決することはできない。だけど、一気に解決するような魔法の力は誰ももっていない。誰かを排除して済むような単純な世界ではない。誰の心にも危険は潜んでいるのだから。たぶん、皆が力を生かす場をもてたなら、自然に問題は取り除かれるのだろう。
 人は他人との関係の中でだけ自分を変えることができる。しかも、それには時間がかかる。互いの関係を深めること。解決までの道筋を立てて、できるだけ小さなステップを示すこと。そして、一人一人のやる気を引き出すこと。大事なのは皆で生きること。互いに互いを生かすこと。そのためにやってきたのか。それとも、それに気づくためにやってきたのか。

 朝から風が強くて、フリージングレインのウォーニングが出ていた。昼過ぎからはみぞれ交じりの雨が降り出した。暖房の調子が悪く、部屋も寒かった。危ないからと、明るいうちに職場を出た。外気温は思ったほど下がっておらず、路面も凍ったようには見えなかったのだ。しかし、ところどころ凍っており、転びそうになった。坂ではスケートのようにつるつると滑った。これがフリージングレインの恐ろしさ。きょうはどこにも寄らずに帰ることにした。ラジオを聞くと、警報は解除されたというが、少し北に進んだら路面がシャーベット状になっており、ブレーキの効きが悪かった。予報では、今夜の気温はプラスの4度。気温が高いから、降水があっても雪にはならない。この休みに少し下がったと思ったら、また上がりだした。今後一週間は、どこもプラスの予想だ。

■segunda-feira,16,janeiro,2006
 去年の暮れの話。銀行のオンラインバンキングにアクセスしようとしたら、質問がいくつか出てきた。セキュリティが強化されたらしい。好きなアイスクリームは、というのはクリアできたが、次の質問で引っかかった。高校時代好きだった先生の名前は。これを間違うわけがないのだが、きっと打ち込んだ綴りが違っていたのだ。3回やっても当たらなかったので、自動的にロックされて開けなくなってしまった。これを解除するには、銀行に電話しなければならないのでそのまま放っておいた。時間が経ったら直っているかと思ったら、甘かった。だが、なんのことはない。きょう電話したらオペレータが出てきて、ちゃんと直してくれた。
 引っ越し業者に電話して、集荷の時間を確認した。午前中だというので、アパートのセキュリティのところに行ってエレベータの予約をした。万が一何かを破損したときの保証金として50ドルのチェックを置いてきた。そのほかあれこれと言われたが、理解できなかった。理解できなかったが、たいしたことはなさそうである。
 電話も、面と向かった会話も、来た頃よりそれほどレベルが上がっているわけではない。単語も増えないし、言い回しもあやふやなのだが、何とかコミュニケーションできるっけという手応えというか自信というかは百倍になった。言葉が通じなくても、必要な手続きを進めることは可能だ。何とかなる。いちばんよくないのは、不安や心配を抱えたままで、何も始めないことである。始めなければ困った状況は変えられない。

 午後から散歩に出かける。今年初めて地下鉄に乗った。ユニオン駅で降りて、体感気温−15度の中を歩く。きのうほどの快晴ではないけれど、太陽の光が差している。雪がないどころか、芝生が青い。フロント・ストリートを西に進み、CBCの地下のフードコートでフォーを喰う。もう3時になろうとしていたが、食事をしている人が大勢いた。ビルの吹き抜けの下では選挙用の特設スタジオの工事が進められており、たくさんの人が仕事をしていた。同じ建物に小ぢんまりとした博物館があって、昔のテレビ放送にまつわる展示があった。ビルには何回か来ているけれど、博物館は初めてだった。子ども番組で使われた歴代のぬいぐるみの展示に目を引かれた。
 この放送局が国営なのか半官半民なのかわからないけれど、全体の感じはとても好感がもてる。コマーシャルも放送される。エアカナダと並んで企業としては胡散臭いところもあるけど、番組作りのノウハウには相当な蓄積があることはたしかだ。
 CBCから公園を抜けてキング通りに入り、劇場街を西へ歩く。ロイ・トンプソン・ホール。ロイヤル・アレキサンダー・シアター。プリンス・オブ・ウェールズ・シアター。そして、MEC(マウンテン・エクイップメント・コープ)へ。この界隈にはアウトドア・ショップが集中している。ミュージカルを観に通ったし、MECにもずいぶん世話になった。どの街角にも思い出があるが、その中でもここは特に思い出深い場所だ。
 スパダイナを北に行き、クイーンを西に。バサーストを過ぎたところにあるサンコー商店という日本食料品店に入ってみる。小さな店だが中はすっかり日本だった。おじさんとおばさんが関西弁でがちゃがちゃやっていた。日加タイムスを1部買って出た。日本食料品や日系の商店には毛嫌いしてこれまでほとんど入ったことがない。今になって、少しは見ておきたいという気になった。
 ギャリソン・クリークの公園に入った頃には日が暮れた。でかい犬を連れた人々が散歩をしていた。ダンダスに抜けてすぐにストリートカーに乗った。2年半の間パスを買っていたから、トークンを使ったのも2年半ぶりで、トランスファー・チケットをもらったのも2年半ぶりだった。セント・パトリックで降りて、トランスファー・チケットを見せて地下鉄に乗る。来た頃にはわけがわからなかったシステムだったが、今では明快に理解できる。
 シェパードで降りて歩く。スプリング・ガーデンのP.A.T.は自宅から徒歩5分のところにある韓国系の食料品店で、日本食も置いている。近いのだけれど、それほど来ない。きょうはここで米と納豆と豆腐を買った。韓国系のお母さんたちが入り口付近でおしゃべりをしていた。言葉を注意深く聞いてやっとコリアンとわかるが、姿かたちだけでは日本人とまったく見分けがつかない。子どもの学校についてのあまりよくない噂話をしているのかな、なんていう感じまで伝わってくる。ジャパニーズとコリアンは似たものどうしだ。

■domingo,15,janeiro,2006
 快晴の日曜日。日中も−10度くらいまでしか上がらなかった。窓の外から見下ろしてみても、人や車はあまり見られなかった。家でゆっくり過ごした人が多かったのだろうか。ところが、日が暮れてから車のライトがたくさん見られるようになった。こういう日には特に、夜にはどこか外で食事しようということになる家庭が多くなるのかもしれない。

 部屋の片づけをした。本や書類、CDなどのこまごましたものはだいたい箱に収めた。使わない食器を紙に包んで入れたが、たいした容積ではなかった。あと箱に詰めなければならないのは衣類や毛布の類。船便は届くまでに50日くらいかかるから、自分の帰国に合わせての発送だと届くのが5月になってしまう。それを避けるために、逆算して早く荷物だけ送ることにしたのだ。
 
30日に船便の荷物を発送したあとのことを考えて、最低限必要なものだけ残し、アパートを引き払うときに残りを航空便で送ることになる。この部屋に来てからのことと反対に、これから少しずつものが少なくなっていく。だんだんにまた真っ白な部屋に戻していく。この過程を考えるのもなかなか楽しい。
 家具や電化製品はほとんどこちらで処分する。リストを作ったら、30項目以上になった。日系サイトのクラシファイド、「売ります」コーナーに掲載することになる。これからは、そのための写真を撮ったりサイトを作ったりという作業がある。

■sabado,14,janeiro,2006
 朝は大荒れの天気。雪と大風。クルマでの通勤途中、いろいろなものが風で飛んできた。新聞紙、ゴミ箱のふた、鉢植え。道路の真ん中になぜかコーヒーメーカーがあった。スーパーの前を通ったときに数個の段ボール箱が飛んできて、その一個を轢いた。箱が車体と道路の間に挟まって、引きずったまましばらく走ってしまった。
 ケイアテイカーは雪が少しでも降ると、すぐに融雪剤を撒いてくれる。校舎の周りで子どもが滑って転んで怪我でもしたら、責任問題になってしまうからだと、来た頃僕は聞いていた。しかし、それだけでないことは3年も過ごせばわかる。
 朝のうちに雪はやみ、日中日が当たると雪はすっかり解けた。だが、風は一日吹き続いて、外は寒かった。手が冷たいと感じたのは、今年になって初めてだった。昼頃までは曇っていたが、その後は雲がすっかりどこかへ行って、快晴になった。体感温度は氷点下13度だったようだ。外のコンクリートには溶けずに残った融雪剤の塩が雪のように見えた。
 スクールバスのドライバーは8割方が女性。その中にいつも夫婦でやってくるバスがある。奥さんがドライバーで、旦那さんは助手席に乗ってくる。朝に登校の子どもたちを乗せてきて、買い物などで市内を回って時間をつぶし、帰りにはまた子どもたちを乗せて帰る。そのおじさんがとてもおもしろい。ダイナミックなジェスチャーを交えての喋りはわかりやすい。先週そのおじさんと日本の大雪の話をしたら、きょう「君の言ったことはほんとだったよ」と言って、新聞の切り抜きを見せてくれた。津南町の3.7メートルの雪の壁の写真だった。
 カナダで降る分まで全部日本に降ってしまったかのような大雪。雪かきに苦労しているニュースを見ると、どうして融雪剤を使わないのだろうと不思議に思う。コンクリートが悪くなるからなのか。人体によくないからか。それならここでばら撒いているのは何なんだ。


■sexta-feira,13,janeiro,2006
 十三日の金曜日だった。ラジオでもテレビでもそれについて何やかや言っていた。街頭インタビューでは「気にしないわ」という人や「やっぱり怖いからいろいろ気をつけるよ」という人が出ていた。聖書に親しみをもてばもつほど考えるようになるのだろうか。験を担ぐのも文化の表れ。僕は全く意識もしなかったが、これも異文化体験とよべるだろうか。どんなに奇異に思えても、それを常識としている人々がいる。まずは受け入れなければ何事も始まらない。お互い様。
 ところで、今年の日記は日付をポルトガル語で書いている。ヨーロッパの言語には似通った単語がたくさんあって、比較するとおもしろい。昨年のスペイン語とは土曜と日曜は同じ綴り。だが、ポルトガル語ではそれ以外の曜日は数詞を用いた表現になっている。sextaは6番目の、feiraは市・定期市という意味らしい。さすがはヨーロッパの西の玄関。交易が盛んだった時代の雰囲気が、単語からも感じられる。

■quinta-feira,12,janeiro,2006
 ほとんど丸の十三夜月を眺めながら、しばらく外で立ち話。最高気温は8度くらいに上がり、校庭にはすでに卒業式の頃の匂いがしていた。夜になってもあまり気温が下がらないので、全然寒くない。ラジオでは「雪はどこに行っちゃったの?」なんて言っていた。異常、異常と言うけれど、去年も少なからずこんなふうな感じはあったのだ。そう聞いて、気候のことはすぐに忘れてしまうものだと思った。きっともう少ししたら、例年通りに気温は下がり、雪も降るだろう。そうして、カナダらしい冬の記憶が刻まれることになるといい。
 記憶といえば、物忘れをする頻度が増している。たとえば、家の鍵をかけ忘れたのではないかとか、車のトランクを閉め忘れたのではないかとか、あとから不安になってしまう。今まではそんなことなかったのに。でも、心配で戻ってみると、例外なくちゃんとやっているのである。きっとそのときには気をつけて鍵をかけるのだが、そのこと自体を思い出せなくなってきているのだ。情けないけどしかたない。これからはその一瞬一瞬の意識に賭けるしかないのだな。
 ところで、クリスマスや正月が過ぎたと思ったら、今度は旧暦の正月春節が近づいているのだった。アパートのベランダのイルミネーションを続けてともしている家庭も少なくない。中国系のスーパーでは、正月用の飾り物やお菓子のコーナーができて、正月気分が再び盛り上がってきている。自分たちのためのお祭りではなくても、気分のおこぼれを頂戴するのはいいものだ。
 民族それぞれの正月がある。それらをいっしょに祝うことができたら素敵だと思う。おそらく日本人にはそれができる素地がある。なんの抵抗もなくクリスマスを受け入れられるくらいだから。

■quarta-feira,11,janeiro,2006
 エゴエゴ。誰にでもエゴはある。だけど、その傾向が強い人と弱い人はいる。エゴはそのままの形では表に出ないけれど、その人の言葉を一つ一つ拾い出して、総合的に考察してみるとはっきりしてくる。
 他人を大事にしているふりをして、自分のことしか考えていない人間がいる。そして、いったんそれが明らかになるともう、そういう目でしか見られなくなってしまう。いくら隠そうとしても隠すことなんてできない。きれいなことばで取り繕おうとしても遅い。僕はそういう人を見ると、いつかギャフンと言わせてやりたいと思ってしまう。
 反対に、自分のことは後回しにして、いつでも他人のことを最優先で考えてくれる人がいる。控えめで、さりげなくて、目立たないから、取り立てて評価されることもない。けして人のことを悪く言わないし、自分のしたことに対して見返りを要求しない。知らないうちにたくさんの人を救っているのだけれど、救った人も救われた人もそれに気づかない。僕はそういう人には、しあわせになってほしいと願う。
 いろいろな人がいっしょになって暮らしをつくっている。相容れないようだけど、たいていの場合、不満は表に表れない。なんとなく燻っていて、それが大きくなったり小さくなったりしながら日が経っていく。だから、ケンカになることもない。ほんとうは、怒鳴りあいのケンカになったほうがいいと思うときもある。ガマンしていないで、爆発させたほうがいいと思うときもある。でも、いつの時代にもいろいろな人がいて、いっしょになってなにかを作り上げてきたのだ。
 ここで自分はどちらだろうと考える。どう考えても、どちらか一方ではない。きのう自分のことがよくわからないと書いたが、誰にとっても自分がいちばんよくわからない存在なのではないか。なぜなら、自分をどこかに分類してしまうことなんてできないからだ。レッテルなんてことばがある。「○○な人だ」とレッテルをつけるのはとても簡単なことだ。エゴむき出しの人間と、そうでない人間。これもひとつのレッテル。どちらがよい悪いとか、上下とか優劣とかいう前に、そもそもこんなふうに分類すること自体が自分勝手なことだ。分類することで止まってしまう。一面のみを取り立てて、思い込みの人間像をつくりあげることで、気持ちを安定させるのだ。だが、同時に人間についての正確な理解を妨げることにもなる。
 自分がいちばんわからないというのは、さまざまな面が見えるからだ。どれも自分の一面だから、簡単に捨て去ることはできないのだ。迷いや苦しみもそこからきているのかもしれない。「私は○○な人だから」ということばが聞かれるが、そう言いきってしまうのは逃げの表現なのだろう。
だけど、自分から自分が逃げ出すことはできない。
 ギャフンと言わせたいだなんて、エゴむき出しの人間だなんて、これも自分の弱さの表現でしかないのか。それを読んで共感してもらおうという気持ちも?
 
 メールマガジンを始めました。といっても、今のところ日記を一週間分まとめて発行するだけです。まぐまぐで「ぽるけ」と入れると出てきます。案内にも書いていますが、「毎日書くこと」自体が大きなテーマになってきました。自分は毎日書くことによって危機を脱し、海外生活という夢を実現させたと考えるようになりました。そこで、読者が「夢をかなえるために毎日書こう」という気持ちになることをめあてにして、始めてみようと思ったのです。これを機に、サイト全体も整理するつもりです。

■terca-feira,10,janeiro,2006
 人の性格ということを考える。いろいろな性格の人がいる。自分の性格のことを考える。幼い頃からの自分の自分に対する先入観をもっていることに気づく。自分は自分が思っているよりも、自分が思っている自分とずれている。そして、このことをこれ以上考えると、自分自身が全人類の中でいちばんわかりにくい人間であるように思えてくる。なぜなら、誰でもない自分のことのくせにわからないのだから。自分だからだから当然だとは思うけれど、そういう自分だからだけどもう少し透明性があってもいいんじゃないかと、思ったりもする。これがあかの他人から見たら、よっぽどわかりやすいのかもしれないのに。濁った眼。曇った鏡。
 欲張りな人間だ。いろいろな面でほんとうに欲張り。ところが、お金に対しては執着しないと勝手に思い込んでいた。でもよく考えてみると、どうやったら楽にお金が貯まるかなとか、手に入るかなとか、けっこう長い間考えるのが好きだったりする。円相場なんかけっこうこまめにチェックしてしまう。上がっては下がる数字に一喜一憂しながら、そんな自分がばかにみえてくる。そのわりには、どうやったらお金が稼げるかとは考えない。商売のことは苦手だと信じて疑わない。仕事はお金を稼ぐ手段だと思うけれど、頭の中では仕事とお金があまり繋がっていないんだ。仕事をした分だけお金がもらえるというような世界ではないから。むしろ、仕事をするためにお金をもらっているようなところがある。そして、仕事とは自分の成長や自分を含めた人々のしあわせのためになることであって、けして自分の欲を満たすためではないと思っているようにも思うが、それもカッコつけだったりして。
 株を買おうなどと資金運用する知識も意欲も熱意もないし、そこらへんは淡白だと思っていたけれど、宝くじだけは絶対買おうと思っていた、きのうまで。カナダには、当たると毎週1000ドル死ぬまでもらえる宝くじがあるという。1000ドルということは、約10万円。そんなのが当たったら、僕は仕事をまったく辞めてしまうだろう。成長もしあわせもへったくれもない。きっと無条件でぜんぶ中途にして辞めてしまう。今以上にだらしなくなってしまうのは目に見えている。にもかかわらず、それをいつか絶対買うぞと決めていた、当てるつもりで。
 欲張り人間。だけど、きっと買わないうちに終わるだろう。なぜなら、お金のために来たわけじゃないから。

■segunda-feira,9,janeiro,2006
 異常な暖冬だ。暖冬とよべるくらいの暖かい冬は、きっと普通に何年かに一度はあるのだろうが、今年の冬はどう考えても異常な暖冬だ、今のところは。土曜日に降った雪はすでに解け、道路は乾いている。そして、プラスの気温。2週間先までの予報では、−2度以下に下がる日はないと出ている。まさかこのまま春になるとは思えないけれど、バナナで釘を打つ実験は最後までできないかもしれない。これが、日本では記録的な大雪と寒さというから、この異常さは一つの国だけを見ていたのでは実態がわからない。地球の総体としてのバランスが、おかしくなっているのだ。
 でもこの暖冬のおかげで、カナダのメディアは心おきなく選挙報道ができるようだ。選挙運動もやりやすくていいだろう。テレビでは連日、各政党の党首の声が放送されている。さすがカナダの政治家たちは英語とフランス語、両方で討論会ができるのだ。こまかいところはわからないけれど、これだけ政党のポリシーが直接国民に届けられるのだから、有権者はとても考えやすいと思う。総合的な政策での勝負。少なくとも、国民を煙に巻くような態度は微塵も感じられない。そして、報道の姿勢も大政党も少数政党も同等に扱っている。どこかの国の公共放送のような時間的差別はなさそうだ。当然のことだけど。
 選挙といえば、今回もまた投票所の入場券が送られてきた。これで3度目だ。最初の年に、間違えてシチズンと答えたばかりに、有権者として登録されてしまったらしい。前回は丁寧に名簿からの削除を申し出たのだが、今回は無視しよう。

■domingo,8,janeiro,2006
 ディズニーランドで成人式。ステージではミッキーマウスのダンスショーだ。いったい、大人ってなんなのか。二十歳という年になんの意味がある。盛岡では市長の話の途中で新成人とグレートサスケがもみ合ったとか。「皆もがまんしてるんだから、君もがまんしてくれ」。市長のつまらない話をがまんしろということか。それならはじめから成人式になんて出なければいいと思ってしまう。
 成人式の時、中学の友人から行こうと誘いを受けたが、断固として断ったことを思い出した。あのときもう少し友人のことを思いやっていたなら、式に出席していただろう。そして、その後には酒を飲みに街に流れ、楽しく騒いで帰ったことだろう。でも、それがなくてよかったと今でも思っている。
 大人には、誰にさせられるのでもない。成長しようとする気持ちを持ち続ける人間だけが、いつか大人になるのではないか。二十歳で大人になったんだからと、そこで成長することを止めてしまっている人間がいないか。
 僕が関わる子どもたちには、独立したんだから、結婚したんだから、親になったんだからと、それで大人になったつもりになるような人間に、なってほしいとは思わない。大人になっても子どもの心を持ち続けてほしいとは、よく言われる言葉だけれど、ほんとうの大人になんて、そう簡単になれるものではない。子どもの心を持ち続けている者だけが、子どもの心をわかり、遊びの中で学ぶことができる。そういう者こそが、大人になる資格のある人間とよべるのではないか。

 きょうは荷物の整理を少しした。30日に発送の予定で、平日にはあまり進められないだろうから、今からやっていかなければ間に合わない。本や書類、それとCD・DVDだけで、小さいダンボール9箱になった。このサイズの箱はあと2つ。中くらいのサイズが4つ。大きなサイズが3つ。大きなものはすべてこちらで処分するにしても、意外とモノが多くなっている。

■sabado,7,janeiro,2006
 きょうから新学期が始まった。小さな子どもたちは話を聞いてほしくてしかたがないという様子だった。欠勤した先生の代わりに、中学生の古典の授業を4時間行った。いろいろと余計なことまでしゃべってしまい、反省点も多かったけれど、生徒たちはしっかり参加してくれた。自分なりにいい勉強になった。
 教員になって最初の年の教え子たちが、この二日に女の年祝いで集まった。二人の教え子が、その様子をメールで知らせてくれた。卒業してから17年、会っていなくても名前を見たら顔がぱっと浮かんできた。会いたかったという文字に、涙が出そうなくらいうれしくなった。記憶の中では、教え子たちと自分の同級生たちとがごっちゃになっていて、今となっては年齢のことはもう関係なくなった。同級生たちが日々の生活の中で切磋琢磨する存在ならば、教師と生徒だってまったくそれと同じことなのだ。
 帰宅してテレビをつけたら、桂歌丸の落語だった。さすがだね。噺家は落語をしてなんぼだね。笑点だけ見てたのではありがたみがわからない。鍛え抜かれた噺家の芸はほんとうにすごい。勉強になる。

■sexta-feira,6,janeiro,2006
 今年初めての青空。気温は下がったが気分は清清しい。晴れていると、明るくなるのが早くて、日が暮れるのが遅い。こういう日には、冬至を過ぎて日の入りの時刻はどんどん延びていることに気づかされる。
 週の仕事をこなしたところで問題にぶちあたる。こういうことがあると、ほんとうにがっくりくる。国のおおもとの認識があまりになさ過ぎる。現場が細心の注意を払っていることを、あまりに無神経に踏みにじられている感覚。こんなことが起こったときに、まずは自分が悪いのかなと考えるのが普通ではないかと思う。ずいぶん長い間自分もそうだった。そして、それで悩むことも多かった。だけど、実はそうでもないことがわかった。
 問題の所在が自分以外のどこかにあるのを、はっきりと認識できることは往々にしてある。自分が改善できることはないか、常に考えることは必要だ。しかし、不必要に自分を責め、落ち込んだり動きを止めたりすることはしないほうがいい。問題は見える人にしか見えない。しかも、見える人にしか解決することはできないのだ。だから、何かとてつもなく大きな問題を目の前にしたときも、諦めてはいけない。

■quinta-feira,5,janeiro,2006
 きょうも雨が降った。日暮れから少し寒くなってきたけれど、まだまだ冬という感じではない。ワールドジュニアホッケーの決勝戦。カナダはロシアを5対0で下し、金メダルを獲得した。バンクーバーの会場の観客たちの熱狂ぶり。そして、若い選手たちの喜びよう。それと対照的なのは、ロシア選手の悔しそうな姿。氷に突っ伏して涙を流す顔は、すごくいい顔をしていた。勝者の明るい笑顔も素敵だが、敗者の顔がとても美しいと感じた。これも十代のチームだからなのだろうか。勝つことはいいことには違いないけれども、負けることが必ずしも悪いこととは限らない。銀メダルの選手たちも、表彰の時には少し涙も乾いて、微笑みこそ出はしないが、ちょっと嬉しい気持ちが顔に出ている。実に素直な表情が、みていて清清しかった。
 今度のオリンピックでも、カナダのホッケーはきっと優勝候補だろう。今後ウインタースポーツをテレビで見るとき、カナダでのことをちらと思い出すことになるのだ。カナダでよかった。
 遠い日本の大雪が、うちの職場にも多大な影響を及ぼしている。年末年始に一時帰国をした同僚が、戻ってこれなくなってしまった。誰を責めることもできないが、そのため自分がかなり厳しい状況に立たされることになった。USAにある工場の煙がトロントにまで流れてくる。ユーラシア大陸の砂漠の砂が海を越えて日本に降る。雨が降れば桶屋が儲かるではないけれど、思わぬところでつながっている。おもしろいものだ。
 高校サッカーで遠野が準決勝進出。やったぜ。ぜひ次も勝ってもらいたい。
 ところがNHKではまったく触れないのであった。サッカーは日本テレビだったか。放送局とスポーツの種目がタイアップしているというのはなんか変な感じだな。

■quarta-feira,4,janeiro,2006
 暖かで穏やかな年のはじめ。きょうも雨が降って雪がほとんど解けた。窓の外に見える景色は冬らしく真っ白なのだけれど、雪の白ではなくて、霧や雲や木々や空気が白いのだ。でも、明日にはウインドチル−10度〜−15度に下がるという。ラジオの気象予報士は「信じられますか?」と言っていた。APTN(アボリジナル・ピープル・テレビジョン・ネットワーク)では、北極圏の人々の生活の様子がよく映し出される。白一色の世界で、日本人の我々とそっくりの顔をした人々が、自分たちの言葉を使って生き生きと暮らしている。多文化主義ということばの重みを感じる。
 日本語で長い時間会話したのは久しぶりだった。もっともその間、日本語以外の言語で話をしていたわけではないけれど。ほとんど黙って2週間暮らしたことになる。その分、自分の頭の中だけで会話をすることが多くなり、そのため書くことも増えたのだろうか。
 一人の人間が使う言葉の一日の総量は同じだろうか。そうとは思えない。考えなかった人間が考えるようになり、考える人間がさらに深く考えるようになれば、その人の言葉の量は増えるに違いない。頭の中も、人との間も言葉だらけ。気味悪いような気もするが、ある一面ではそういう生き方を好んで目指してきたともいえる。できるなら、どんどん右肩上がりで僕の言葉が増えていけばいいと、今のところ思っている。もしこれでいっしょに暮らす人がいたりすれば、言葉が要らなくなるのだろうか。ちょっと信じられない。
 夜に部屋に戻ったらとたんに眠くなり、少しうとうとしたあとは逆に目が冴えた。年末年始は夜更かし気味だったが、また朝型に戻していきたい。

■terca-feira,3,janeiro,2006
 正月三が日というがきょうからはもう通常通りに仕事が始まっているところが多いようだ。朝からいろんなところからの電話が集中した日だった。こんな日がたまにある。運送会社からの連絡も来たので、梱包の作業に少しだけ手をつけた。これは思った以上に荷物が多い。できるものはどんどん処分してしまわないと、箱数に収まらないかもしれない。
 昨夜長々と書いたものを読んでみると、これも偏った見方だなという気がしてくる。補うように書こうとすれば、継ぎ接ぎだらけのおかしなことになってしまいそうだ。一つのことをバランスよく、一度で書き切るのがいかに難しいことか。とてもじゃないが、こんな文章力ではまだまだなのだった。明日からいよいよ新学期。きょうは深入りせずに早いところ床に就こう。
 それにしても、海外で外国人が町を形成するというのはたいへん時間のかかることだ。世界の日系の人たちがその苦労を続けてきて今に至っていることは言うまでもないし、忘れてはいけないことだ。日本人だけでなく、本国を離れて暮らしている人々には敬意を払いたいし、そのような存在を知らない人には知ってもらいたい。
 夜には新撰組の続編のドラマを見て興奮した。土方歳三に扮する山本耕史がひじょうに凛凛しかった。やはり役者は芝居をしているときの姿がいちばんいいと思った。ところで、そのドラマの前まで北島三郎たちが函館周辺を旅する番組が放送されていた。日本では昨夏に放送されたものらしい。いっしょに出ていたタレントたちもよかったのだけれど、何よりこれで自分の北島三郎への認識が深められたような気がする。それぞれが作った海鮮の創作ドンブリをかっこむところを見ていたらうまそうだった。ここに来て思うけれど、魚のうまい土地に暮らせるというのはありがたいことだよ。

■segunda-feira,2,janeiro,2006
 何日か前と同じように、日が暮れてから車を出して、郊外の本屋やらモールやらを回って歩いた。本屋ではさまざまなものが破格の値段で売られていた。買ってみようかと思ったものもいくつかあった。北米インディアンの写真が載った本を見つけて、買うつもりでしばらく手に持っていたのだが、思い直してやめた。きっとここにあるのと同じようなものは日本にもある。あるとしたら、日本にあるもののほうが断然印刷も装丁もいいはずだし、何より日本語で書かれてあるのだから。ここにしかないであろうオンタリオやトロント関連の写真集は、もう少ししたらまた買うつもりで見に来よう。
 モールの混み方はこの間ほどではなく、フードコートにも空席がだいぶあった。だが、きょうはなぜかそこで食事する気にはなれなかった。日本ではないアジアの情感たっぷりのポップスが聴きたくなって、CD屋を何軒かハシゴしてのぞいてみたのだが、なんだかよくわからなかった。ひと目で海賊盤とわかるパッケージのワゴンに、人々が群がっていた。小雨が降るくらい気温が高く、風もそれほどでなかったが、頭から足まで防寒着で身を包み、見るからに寒そうにしている人が多かった。香港から来た人にとってはこれでもかなり寒いんだろうなあ。時刻は8時を過ぎていた。多くの店が閉店間際で、雰囲気もあまりよくなかったので、来たことを少し後悔した。結局スーパーで「日式」の弁当を買い、家で温めて食べた。
 こんな感じでチャイニーズやそのほかさまざまな町やモールを徘徊しては、なんとなく物珍しさを感じ、その中で必要な物を買ったり、飯を食ったりしては帰るということを繰り返してきた。世界各地から集まった移民たちの社会をハシゴしながら、これぞこの街の醍醐味と思ってここまできたのだが、きょうはおもしろくなかった。
 帰りの車の中で考えた。自分とこれらの人々とどんなつながりがもてただろうか。消費するだけでなく、何か自らこの人々のためにできたことがあったろうか。それぞれのコミュニティに対するじゅうぶんな理解者になれただろうか。などと考えると、到底できなかったと思う。中国系や韓国系の店で日本食を買う。また、ヨーロッパや中東の店でパンや惣菜を買う。あるいは、大手のスーパーマーケットで一言も誰とも口を聞かずに何かを買う。そうやって、なんとなくこの街の空気と同化している気になっていたけれど、それらの行動がすごく無為にみえてきて嫌だった。
 自分は他の文化に寄生しているだけで、そこのコミュニティづくりに参画しているわけでもない。それぞれのコミュニティの中で役に立つ存在ではなくて、ただ傍観している存在に過ぎないのだ。匿名のままで街を歩き、モノを消費するだけの存在。ところが、この風体からか、頭をペコペコやるからか、ことばが通じないからか、買うモノがそうだからか、売り手には僕が日本人だということはだいたいバレているようだけど。
 けしてトロントに日本人コミュニティがないわけではない。だけど、日本人経営の商店の絶対数が少ないし、他のコミュニティのように街のどこかで大勢の日本人が一堂に会する機会も、それほど多くはないと思う。僕の部屋のある同じ建物に、日本人は何人も住んでいる。だけど、その人たちとの結びつきはない。そして、同じ日本人でも移住者と企業の駐在員とは立場も考え方も生活様式もかなり異なり、両者が一つにまとまるということはなかなか難しそうだ。しかも、僕みたいなのはまた立場が違うのでこれまた微妙だ。そのくせ、たまにコミュニティの会合に参加することがあると、見覚えのある顔を何人も見かけたりする。以前北上高地の山中で過ごしたときを思い出す。ここにはムラ社会に共通したものがかなりある。
 要するに何を言いたいのか。日本人あるいは日系社会やコミュニティといわれるものがまだ希薄であるということを言いたいのだ。そして、もっとそれを強固なものにしていけたらいいと思うのだ。話に聞くと、ロサンゼルスのリトル東京はすごいらしい。町全体のお店が日本なら、従業員たちもみな日本人なのだそうだ。もちろん日本語だけで用が足りるので、英語なんてしゃべらなくても生活できるというのだ。世界のさまざまな国に、そんなところがたくさんあったならどんなにいいだろう。旅行だって気軽に行けるし、留学だって簡単にできる。困ったときにも日本人コミュニティの中だけで、日本語で解決できてしまう。そうなったら素晴らしいじゃないか。
 そういう大規模な社会を本国以外に形成している民がたくさんいるわけだ。その最たるものが中国人のつくるチャイナ・タウンだろう。中国人にとってのリトル東京みたいなところが世界中にあって、そこでは中国語だけでことが足り、チャイナ・タウンを頼みにして大勢の学生たちが本国から来て学んでいるのだ。
 ここトロントには、チャイナ・タウンだけでなくそのような町(ニーバーフッド)がいくつも存在する。移民たちがニーバーフッドを形成することで、互いに助け合う。これは、外国の厳しい環境で生き抜く知恵ではないかと思う。こういうニーバーフッドに暮らしている人々は断然強い。どこへ行くにも、新しいことを興すにも、それだけ敷居が低いんだから。それがとてもとてもうらやましい。まるで未来の月面に形成されたコロニーのように、巨大なカプセルに護られて穏やかに暮らしているようなイメージ。
 それに比べると日本人である自分はひじょうに肩身が狭く感じられてしまう。外に出るときにはいつも、強い風に吹かれているような感覚なのである。これは僕が単身でここに来たから強く感じることかもしれない。家族で赴任した人にはあまりピンとこないだろうけれど、この風を肌で感じることのできる僕のような存在は、けっこう貴重かもしれないよ。ところで、以前はカナダでも日本人町が形成されていたらしいのだが、戦争中に日本人がそっくり強制収容された経験から、ひとかたまりには住まずにばらばらに住むようになったと聞いたことがある。それも日本人の知恵といえるかもしれないが、ばらばらに住んでいる理由はそれだけなのだろうか。
 話を戻す。移民を出す国と日本のように移民をあまり出さない国とがある。これは見方を変えると、移民を出す国の人々には国を出ざるを得ない理由があったわけであり、日本の場合は国を出る理由などあまりないわけだ。その意味では、日本人ほど自国の環境に恵まれた国民はいないと言えるだろう。だけど、これからは今までと同じようにはいかないだろう。海外に出た日本人が、もっと自分たちの生活しやすいような仕組みをどんどんつくっていくようであってほしい。海外に強力なコミュニティや、できれば日本人街を大いに形成できるようになってほしい。外国に対して、お金云々だけではなく人間そのものがインパクトを与えられるような国にしていきたい。この3年で自分は何もできなかったから、せめてこれからの若者たちにそれを期待し、教師という立場で種を蒔いていけたらと思う。

■domingo,1,janeiro,2006
 きのうの午前中、テレビで紅白歌合戦が放送されていたので少し見たが、曲と曲の合間の話を聞いているとどうにもたまらなくなってスイッチを切ってしまうことが続いた。司会陣も出演者もみな一生懸命なのはわかったし、かれらについてはむしろ好感をもったのだけど、全体的にすごく混沌とした感じが残った。多くの歌手は初めて見る顔で、多くの歌は初めて聞く歌だった。歌の下手な歌手があまりに多すぎると思った。スマップは嫌いじゃなかったけれど、最後の歌を聞いたらひっくり返りそうになった。ちょっと信じられなかった。
 派手で豪華な衣装や踊りはいいけれど、歌合戦なんだから歌で勝負ではないのかな。作り手はそこを見落としているんじゃないのと思った。ドラマの宣伝だって露骨過ぎる。ほんとうにいいものをつくっているなら、黙って中身で勝負したらいいのに。NHKはいい番組をたくさんつくっていると思う。何かしながら片手間に見るのはもったいないまじめな番組が多い。視聴率云々なんて言わなくていいから、もうばたばたしなくていいから、この原点に立ち返ってやったらいい。目玉は目玉として、地味だけどまじめにつくられたもののほうに注目したい。
 きのうの午後に外に出たら、年末の買い物客がたくさんいた。スーパーや酒屋には列ができていた。どこも同じなんだなという印象をもった。カメラを持って外に出た。近くの広場で撮った写真に表紙を替えた。クリスマスツリーのランプが昼でもずっとつけっぱなし。池を凍らせたスケート場には雪の中で遊ぶ子どもたちがたくさんいた。夜にはカナダのテレビばかり見た。ジュニアホッケーのUSA戦はすごかった。最後の1分で勝ち越しての勝利は圧巻だった。カナダには何よりホッケーがある。そう感じさせられるゲームだった。
 元日の朝は隣近所の物音もなくとても静かだ。雪と霧で窓の外が真っ白だ。でも、それほどの積雪ではない。外も暖かくて、春先の雪のようにシャーベット状で少し歩きにくくなっている。こちらでお世話になっている教務の先生夫妻がさっきアパートまでおせち料理を届けてくれた。今年で三度目にして最後となる。お餅もある。お昼ごはんにありがたくいただこうと思う。
 いまテレビでは小澤征爾の番組が放送されている。平和を願うコンサート。音楽も詩も、それが人の心に届きさえすれば、人を変える有効な手立てになりえるだろう。あとは作り手がいかに精進し、いかに真摯に対象に向き合えるかにかかっている。
 自分もこの正月原点に立ち返って、これからの一日一日を大事に過ごしていこう。一年といっても、一分一秒の積み重ね、一週間一か月の積み重ねが一年だから、今年はどうのこうのということはあまり考えないで、後から振り返っていい年だったと言えるようであればいいと思う。