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2006年 7月
■segunda-feira,31,julho,2006
 7月最終日。3時過ぎに退勤できたので、ようやく休みが取れたような気になった。職場にもっとも近いところにあるパン屋で、初めてパンを買って遅い昼飯にした。おいしいパンだった。ここに来て4か月もの間、気になりながらも買う機会がなかったのは、不思議でもなんでもなく、時間が取れなかったのだなあ。
 町内に新しいファミリーマートができた。国道から逸れているのであまり客の入りは期待できそうもないが、昼食を買っていかなければならないときなどはひじょうに便利になった。飲み物を買いに入ったら、店員からポイントカードを強烈に勧められた。オープンしたてということもあって、若い女性の店員たちはたいへん張り切っていたようだったが、果たしてあの人たちは町内の人だろうか。せっかく商店ができたなら、地元の雇用拡大につながらなくてはうそである。
 夕方から歯医者に行く。まだまだ僕の口の中は虫歯がたくさんあるようで、案の定まだ終了とはならなかった。帰りには、電気屋に寄ったり本屋に寄ったりしながらゆっくりと自分の時間を過ごした。この土日を取り戻そうとするかのような気持ちが働いた。たった3時間くらいのものだが、その自分のためだけの3時間がいかにありがたいことか。

■domingo,30,julho,2006
 きのうと内容はまったく異なるが、同じような時間に始まり同じような時間に終わった。帰国して初めて、沿岸に行った。本州最東端の漁業の町で行われた大会で、でっかい日の丸を前にして、君が代を聞いた。人々は普通に庶民的で、どこと変わらぬ情景があった。でもその中で、今までは感じなかった内陸の町との微妙な違いが感じられたような気がした。それは、カナダで感じられたことと、同じではないかと思った。ただそんな気がしただけなのかもしれないし、何かが見えたのかもしれないが、よくわからない。
 貸切バスの窓から街道沿いの景色を見ていたら、すごいところだと思った。沿岸までおよそ2時間の道のりは、道幅が狭く、しかもカーブがきつい。追い越し車線もほとんどなくて、これでは運転で疲れてしまうことは間違いない。岩手ってこういうところなんだと、新鮮に感じた。

■sabado,29,julho,2006
 10時間ほとんど突っ立ったままで過ごした。これもひとつの修行なのだ。いつでも穏やかな顔をしていられるか。いつでも穏やかな心でいられるか。どんなこともチャンスにできるか。追い風だろうが、向かい風だろうが、関係ない。
 夜には反省会。ビールに焼き鳥。何の風味もない冷えすぎのジョッキ生も、どうということはない。食に対するこだわりがないのだと思う。うまいものもうまくないものも、なるほどと思って食べる。だいたい、食べ物の味について、うまいうまくないと口に出して言うことなど、かつてはよくないこととされていなかっただろうか。
 口にしたものによって自分の身体ができる。感謝を忘れて文句を言ったら罰が当たるというものだ。味わおうとする気持ちが自分の側に備わっているかどうか。いつでも試されている。

■sexta-feira,28,julho,2006
 タイミングがいいのか悪いのか。今年ほど休めない夏も珍しい。きょうで一応の節目を迎えたとはいえ、明日もあさっても変わらず出勤となる。しかも朝が早く、夜が遅い。だが、それも今までのことを思えばどうということではない。誰が見ていようがいまいが、そんなことには関係なく淡々と仕事をこなしてゆけばよい。酷い時代だと思う。だけど、そこに生きる者にとってはそこで生きるしかない。生きられないと思ったら、自分を変えるか、周りを変えるかのどちらかしかない。恐ろしく長く続いた今期の最終打ち合わせ。我関せずの態度はズルイと言われるかもしれないが、何も言う気はしなかった。苦境に立たされている人の姿が、3年前の自分と重なった。ここというタイミングで、ほんとうに言葉を発しなければいけない人が、ほとんど黙っている。本当にずるいやつはこいつだ。トップの体面など糞食らえだ。

■quinta-feira,27,julho,2006

 梅雨晴れの朝、コンビニの前に車を止め、丘をゆっくりとのぼってやってきた子どもたちの道案内をした。日常から抜け出して、爽やかな香りをかいだ朝だった。僕らがやっている仕事は、命を継ぐことであり、ほんとうに大切なことを手渡さなくてはならない。そのためにならどうなってもいい、という思いもある。大真面目に何かに向き合っていれば、損をすることはあっても、真実が逃げていくことはないだろう。子どもたち自身が、未来そのものなのだという意識は、まったく自然なものであり、それがない人間など、死んでよい。

■quarta-feira,26,julho,2006
 殺人事件の続報がトップニュースとして流される違和感。誰がそこまで知りたがるのだろう。なぜそれほど詳細に、伝えなければならないのだろう。人々にとってどれほど重要な情報だというのか。いったい社会の将来にとってどれだけのプラスがあるのだろうか。

■terca-feira,25,julho,2006
 せっかく地方球場で何年に一度か野球のナイトゲームがあっても、客の入りはそれほどでない。地方では人口が少ないことも理由の一つだろうが、仕事を終えてから野球でも見に行こうかと思えるほどの時間的体力的精神的金銭的ゆとりがないことが大きいのではないか。スポーツニュースで、球場の観客数を見ると、そんなことを考える。
 山下洋輔トリオが来るという。時間さえ許せば、どうしたって行かない手はないのだが、時間が許してくれない。ドナルド・キーンも吉村作治も、断念せざるを得なかった。見たいもの聞きたいものを諦める。そのうち、見たいとか聞きたいなどとも思わないように、自分で自分の気持ちに鍵をかける。そうやって、だんだん心が狭くなっていく。地方が、東京がということではないのかもしれない。ゆとりがないということは、貧しいということ。わたしたちの心は、こういうふうにしてどんどん貧しくなっていく。

■segunda-feira,24,julho,2006
 10時を過ぎて帰宅。久しぶりにじっくりとERを見る。かつて見慣れていた、レンガ色の北米の町並みが映し出される。さまざまな人種の入り混じる「普通」の風景。だが、USで生きることは厳しいことだろう。それはカナダで生きることとは質の違うことだ。そして日本で生きるということともまったく違う。どうしたって、国によって人々の顔つきは変わってくる。日本はすべてが慌しいが、その分多くのことを成せるのかというと疑問だ。平均寿命は長くなったけれど、その分充実した人生になるかというと疑問だ。

■domingo,23,julho,2006
 朝7時、霧雨の中、国際交流センターというところに投票に行く。立派な施設に見えるが、実は卓球場くらいにしか使えない中途半端な建物で、入り口の池のブロックはことごとく崩れていて見苦しかった。ここ数日は家の周りにも選挙カーが走り回り、候補者の名前だけを連呼する意味のない運動が繰り広げられていた。地元の候補者も、表通りならいざ知らず、狭い裏通りでさえ大音量で名前だけをがなりたてる。人々の声を聞く気もない人に、市議会議員になどなってほしくない。
 朝のテレビを見て、初めて昨今の情勢をつかむことができた。短い時間に新聞やニュースをちらと眺めるだけでは何もわからない。休日のゆっくりした時間に接することでようやく少しは理解できるようになる。そんな時間さえとれないでいるなんて、どういうことだろう。
 ついに、携帯電話を手に入れた。新規契約なので電話機の値段は無料だった.。これから出先で使いたい場面が多くなるので、しかたなく。しかし、今後毎日持ち歩くつもりはないし、人に番号を教えるつもりもない。こちらが必要なときに使うだけでいい。
 テレビでチャップリンのモダンタイムスを見た。これは現代の話かと思った。

■sabado,22,julho,2006
 小雨の中、盛岡まで車を走らせた。用件を済ませた後で、建物の中のピンク電話で連絡を取った。電話を探すのに手間どった。以前は街のあちらこちらにあった公衆電話が、今ではあまり見当たらなくなった。携帯電話を持たなければ不便な世の中なんて、便利ではないなあ。私用で使いたくなるのは旅先ぐらいなものだが、仕事ではこれから先このような場面が多くなってくるはずだ。割り切って使うことも覚えねばならないか。
 職場に戻って午後まで仕事をする。休日の昼の集中力によって、終わらせなければならないものをやっと終えることができた。
 その後は歯医者。いつ終わるかわからない治療。3月から今までずいぶん引っ張るなあ。これは患者のためか、それとも…。

■sexta-feira,21,julho,2006
 きょうから夏休みのところもある。8月31日までの40日間続く。こちらでは子どもたちの夏休みは29日からの20日間。なぜかいつもより一週間以上短い。これも授業時間確保の流れなのだろうか。とにかく、まだまだ続く一学期。それにしても、以前感じていたような「待ち遠しさ」はあまり感じない。今を遣り過ごしてしまうのではなく、できるだけ大事にしたい気持ちからだろうか。それとも、夏休みに入ってもあまり変わらないだろうという諦めがあるからだろうか。

■quinta-feira,20,julho,2006
 振り替えの休みを取れと言われるが、取れる日がなくて困る。年休を取ってゆっくり休めと言われるが、一日だって取れる日はない。結局のところ、とうてい休めない日を指定するしかない。使う側はやることをやっていると言うだろう。でも使われる側にしてみれば、ただの数字合わせにしか見えない。
 休ませてくれというのではない。もっとじっくりと腰をすえて仕事に打ち込みたい。同じことを手がけるのであれば、できるだけ深く、充実したものをつくりたい。どの仕事だってそうじゃないだろうか。そのためのゆとりがほしいと思うのは贅沢だろうか。

■quarta-feira,19,julho,2006
 即興詩人でなければいけない。この口から語られる言葉がどれをとっても子どもたちの心の糧となるものでなければいけない。それを子どもが自分に必要だと思って求めるようでなければいけない。巧拙は重要ではない。それには、停滞しているのではなく、動いていることが求められる。淀んでいるのではなく、留まらずに流れ続けていることが求められる。それがない人間には、人の前に立つ資格などない。

■terca-feira,18,julho,2006
 我々の商売は点数を取らせることではない。そこがぶれていてはいい仕事はできないと思う。それにしても、立場が変わるとこうも見え方が変わるものかとおもしろい。皆それぞれ必死になってやっているのだが、うまくかみ合わなかったり、伝え合えなかったりする。そうして、社会というか国というか、我々の小手先のことだけでは、全体を覆った黒い雲はどうやったって取り除くことができない。この雲を晴らしたいあるいは雲のないところに行きたい。

■segunda-feira,17,julho,2006
 午前のうちにいろいろと書類を仕上げてしまうつもりだったが、飯も食わずに続けて、終わったのが3時過ぎ。しかも、いちばんやらねばならなかった仕事には手付かず。電気屋にも行きたかったし、何より自転車を早く開けてみたかった。それもまた週末までお預けか。せっかくの休みに何をやっているのか。ゆっくり寛ぐ間もなく会の会場へ移動。久しぶりにビールやら焼酎やら。帰宅は意外と早かったけれど、酔った後では使い物にならぬ。おまけに激しい腹痛が襲い、冷や汗をかくほどだった。

■domingo,16,julho,2006
 一生懸命やる姿に胸を打たれるのはいつもこちら側だ。それに対して、自分はいつも誰にも何も与えることができないと感じる。この人たちの誠意の前に、いったい自分に何ができるのだろう。ほんとうは恥ずかしさでいっぱいのくせに、きょうも自分はそこに黙って突っ立っている。この日しかない特別な一日を、遣り過ごすことばかり考える。そのうち「かけがえのない」日々は通り過ぎ、色褪せた過去の戸棚に順番に置かれてしまうと、もう取り出すことなどできないというのに。
 埋まっていく夏の予定。さらに次のステージが続いていくのだと思う。どんなところにも、新しい旅が待っている。

■sabado,15,julho,2006
 CBCのラジオをしばし聴く。なんとなく、気のせいか、滞在していたときよりも明瞭に聞き取れる感じ。こちらの夏も蒸し暑いが、トロント近郊もかなり蒸し暑くなっているようだ。サマーキャンプの季節。カヌートリップをやってみればよかったなんて思う。アウトドアといえば、カナダで愛用していたDAHONの折りたたみ自転車が欲しくなって、楽天で注文したのがきのう届いた。一度手放したものと同じやつ。06年モデルで色違いだけど、これを車に積んで出かけるだけで、思い出と現実が融合しそうな気がする。実はまだ、箱を開けてもいないのだけど。それにしても、定期的に自転車が欲しくなるというのは。囚われているのだろうか。いや、バランスを取りたいだけなんだ。

■sexta-feita,14,julho,2006
 蒸し暑い。梅雨時とはこんなに暑いものだったか。いつか冷夏の年に、8月でもストーブをつけなければならないほどの寒さだったのを思い出す。今考えると、そんなばかな話があるだろうか、何かの記憶違いかと疑ってしまうくらいだ。あれは北上高地でのことだったが、たしかにそんな夏もあったのだ。今はそのときとは状況が異なる。日本はモンスーンではなく、亜熱帯となってしまった。
 
■quinta-feira,13,julho,2006
 日中はいくら暑くとも気にならないのだが、家に帰ると冷房なしではいられない。虚勢を張っているということだろうか。夏の俳句というのをいくつか探し出してみたら、気持ちが楽しくなった。季節の中で生きることができたら、人生の時間はもっと楽しめるだろう。梅雨には梅雨にしか味わえない趣がある。今まさにそこに身をおいているとすれば、逃げだすことなんてできないのだ。

■quarta-feira,12,julho,2006
 パットメセニーも、ダイアナクラールも、ネリーファータドも、ジプシーキングスも、みんな友達だったような気がする。しばらく会わなかったけれど、待っていてくれた。久しぶり19時台に帰宅すると、少しは音楽を聴くゆとりも出る。机上の小型スピーカは、軽くて値段も安いのだけど、とてもいい音がする。ヘッドホンから解放された両耳が、音以外のものを捕らえて喜んでいる。

■terca-feira,11,julho,2006
 定年は自分で決めるというのはどうだろう。その年を目指して何をどう計画的にやっていくか。考えることはなかなか愉快。生活の中に埋もれるのではなく、生活を丸ごと包含した、濃密な人生がいい。我々は肉や野菜を食べて生きているのではない。この目も、この耳も、形を見たり、音を聞いたりするためにあるのではない。どこの会社の社員でもなく、どこの国も国民でもない。21世紀の住人でもなければ、地球市民でもない。生きることと、属すこととは違う。

■segunda-feira,10,julho,2006
 ドナーカードを持つようになったのはいつごろからだろうか。最初はすべての臓器を提供するとしていたのだが、現在ではまったく献体する意思がないことをそこに記している。脳死は人の死だという考え方に疑問が残るのも理由の一つだが、それよりも、自然に与えられた死期を、他人の臓器をもらってまで延ばすことへの疑問が増してきたことが大きい。自分が生き延びるために、亡くなった誰かの臓器を我が物として利用する。そのことに対する戸惑い。
 少し前に、五つの臓器を一度に移植した赤ん坊が亡くなったという報道があった。両親が我が子を救いたい一心で署名や募金活動を行い、それが米国での臓器移植実現につながった。とてもすばらしいことかもしれない。我が子を救うための手段としてそれがただ一つのものならば、ためらうことはないのだろう。いまやお金さえあれば、延命治療は現実的な選択肢である。しかし、貧困に喘ぐ地域の人々にとってはどうか。平均寿命が40歳に満たぬ国では、このことがどう映るだろう。
 命を畏れる心を忘れてはいけないと思う。自分の命も、誰かの命も、思い通りにはならないことを理解するべきである。もちろん、考え方は人それぞれだから、ドナーカードの所持について、また、その記述内容について、各人の考えは尊重されなければならない。どちらの価値観も同等であり、優劣などない。そのことを認める心を、もたなければならない。あれこれと自分の意見を綴るには、それが大前提となるだろう。

■domingo,9,julho,2006
 日記でなくて、週記になってしまっている。時間が足りない、というよりも、時間を作り出す工夫が足りないのだ。朝にひらめいたアイディアが、夕方には萎んでしまう。書かなくてはならないものもいつしか溜まり、机上の書類のようにうず高く積み上げられ、埋もれてしまう。ムダなことは考えまいとして、遮断してしまう。
 かつて、旅に出ていた。ここにいてはわからないことを、たくさんみてきた。毎日過ごしているうちに、生き方が変わった。もう戻ることはできないと思った。きっと、そうだろうと思う。戻ることはできないけれど、この場所にい続けることもできない。だが、どこに向かえばいいのかまだわからない。どこかに行かなければならない。それは、旅がまだ終わっていないということだろう。終わらせてはいけないということだろう。

■sabado,8,julho,2006
 午前中はいつもと同じく仕事場へ。1時くらいまで仕事をし、いったん家に寄ってから、歯医者に行ってきた。また新しいところに小さな銀歯が入り、いよいよこれで終了かと思ったが、まだ終わりではなかった。もういい加減終わりにしたい。
 銀行のことで、少々面倒なことになっている。早朝の国際電話でカスタマーサービスにかけるが、簡単にはことは進まない。とにかく、こちらの住所と電話番号を伝えると、調べて連絡するからということだった。ところが、待てど暮らせど連絡は来ない。まさかこういうことになるとは思わなかった。

■sexta-feira,7,junho,2006
 七夕だった。玄関に置かれた大きな飾りに、季節感を感じた。雨がよく降る以外に、季節を感じさせるものがない。でも、はたしてそうか。車の中からも、田んぼの稲の伸び具合とか、路傍の花の咲き具合など、その目をもってすれば季節感を得られるものがないわけではない。心にゆとりがあれば、季節の中で生きることはどこでも可能なはずではないか。

■quinta-feira,6,julho,2006
 求められる時代、求められる自分。誰が求めているのかが問題。どうしたいのか、どうなりたいのか。そこを考えることなしに、次の時代なんて切り開くことはできない。為政者の思いのままに誘導されてしまうならそれは犯罪だ。ほんの少し前に比べても、世の中はひどく複雑になった。今までは当たり前だったことが、そうともいえなくなってきた。そうして、最近感じるのは、柄の悪い人間が増えたということだ。コイズミ総理だけのせいではあるまいが、彼のやってきたこともじゅうぶん犯罪だといえるだろう。

■quarta-feira,5,julho,2006
 若いときの危機は誰にもあるというのは、よく聞くような話だけれど、危機が訪れるのは若いときだけではないだろう。これで大丈夫と安心していると、突然に襲い掛かってくる。いつになっても、油断できるものではないと思う。少しは楽になるのかな、前よりは要領を得てできるようになるかな。そんな考えは甘かった。
 初任地で大先輩が、「ここで勤められたんだから、どこに行っても心配ない」という言葉をかけてくれたことを思い出す。昔の感覚なら、そういうこともあったのかもしれないけれど、いまその言葉を噛み締めてみると、気休めにしか聞こえない。いまよりも楽な場所は、もう永遠にやってこない。そんな風にしか思えないのが、とても残念で、嘆かわしい。

■terca-feira,4,julho,2006
 そうか1年前には大陸にいて、見知らぬ町でさまよっていた。とにかく車を走らせて、たどり着いた国道沿いの宿から、記念日の花火が上がるのを見たのだった。翌日には湖のフェリーに乗って帰ってきたのだ。こういう世界が待っていようなんて、思いもつかなかった。青春とは心のあり方だというが、その真っ只中にいるときには気づかないものだ。幸福というものも同じかもしれない。
 写真を見てふと、自分はほんとうにそんなところにいたのだろうかと考える。ぎっしりつまった思い出がこれでもかとあふれ出る。たしかに、そこでそれだけのことがあったのだ。夢なんかではけしてない。しかし、文字どおりすべてが「夢」のように感じられる。

■segunda-feira,3,julho,2006
 仏壇に手を合わせていつも思うことがある。無数に連なる選択のなかで、どれがいちばんよくなかったのだろう。もうどうしようもないところに来てしまった。自分なりにいちばんいい道を考え、進んできたつもりだったのに、振り返ってみると、こんなじゃないか。そうはいっても、この危機すら僕は黙って乗り越えるのだろう。ねがいが叶うと叶わぬとに関わらず、僕は今までと同じように次の局面をもきっと切り抜ける。見方によってはいとも簡単に。苦労のかけらさえみせることなく。きっとそう。だけど、これも今までと同じように、たいして面白く感じないだろう。最後にね、なんかぎゃふんと言わせてやりたいと思ったりもする。

■domingo,2,julho,2006
 きのうとは違う場所で、また事故が起きた。国道とプラザの交差点。国道を直進する車とそこに出た車とが衝突したらしい。道の真ん中で一台が動けなくなっていた。通るたび、ここの交差点は危険だと感じていた。信号がつくまでは、出入りしないのが賢明かもしれない。
 ある寿司屋の建物の外で、若い男女が激しく喧嘩しているのを見た。汚い言葉を浴びせ合い、女性の方が、男性を思い切り殴りつけていた。カウンターパンチが男の頬にきれいにきまった。公衆の面前でこんなことをするのか。不快な気持ちになった。

■sabado,1,julho,2006
 激しい雨が降ったりやんだりした。国道とショッピングセンターの入り口の交差点で起きた事故で、渋滞に巻き込まれた。後ろから救急車が来たが、とても身動きが取れなかった。すると救急車は反対車線を通り抜けて、事故現場に向かっていった。近くでは、目撃者のおじさんが、警察官にあれこれ状況を説明していた。窓を開けて耳を澄ましたが、よくは聞き取れなかった。怪我もたいしたことがないといい。自分も気をつけよう。


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