2006年6月
■sexta-feira,30,junho,2006
 閉店間際のスーパーに滑り込み、ビールとつまみのコロッケを買った。きょうを最後に退職するのだろう、店員一人一人に挨拶して回る女性がいた。ベテランのレジの女性たちが、遊びにおいでと声をかけていた。今年もきょうで半分が過ぎた。この切りのいい金曜日の夜に、することといえば、風呂に入って、ビールを飲んで、寝る、それだけだ。

■quinta-feira,29,junho,2006
 きょうは朝から、いろいろな対立があって疲れた。それは捻じれを真っ直ぐに直すための労力だとわかるから、疲れても気持ちが沈むことはない。対話が未来を切り開くなら、これは必要な手続きの一つだ。3か月にしてようやくここらへんまできた。
 先週の研修で、社会人として心がけていることを三つ書き、それについて近くの人たちと交流するというのがあった。三つの中の一つに、忍耐と内省と書いたら、それを見た周りの人たちに、我慢してるんですかと少し驚いた表情で聞かれた。我慢、してないんですか。と聞き返したのだが。我慢はいけないといわれるけれど、我慢しないでといわれるけれど、社会人はそうはいかないだろうと思った。という感覚はおかしいだろうか。

■quarta-feira,28,junho,2006
 従順というか素直というか。そういう良心の塊みたいな職能集団が、不当な条件にも目をつぶり、自分を犠牲にして働いてきた。そのおかげで今があるという言い方もできるだろうが、その所為で今のような現状に甘んじているという言い方もできるのではないか。怒るべき相手に怒らずに、弱いもの弱いものにその矛先を向けてきたのではないか。
 これからますます厳しくなるという。それでもやらなければならないからやりましょうという。こんなこといつやるのかと思わず叫びたくなるくらいのことを、日本全国の羊たちは、やらなければならないものだからといって、すべてやろうとしている。そして、これから社会に出て行く人々はますますたいへんである。自分が社会に出たときより何倍も難しい状況の中で、当たり前だから、やらなければならないからといって、自分のことを後回しにして働かなければならないのだ。我々は次世代の人々に、そういうたいへんな世の中を受け継ごうとばかりしているのではないか。
 日本人は働くために生きている。カナダ人は生きるために働いている。そして、日々は楽しむためにある。さて、自分の楽しみとは何だろうと考える。年に1、2週間の楽しみがあれば、そのために働くことができるかもしれない。

■terca-feira,27,junho,2006
 カナダ以前と以後とで考え方はあまり変わっていないのではないか。しかし、物事の感じ方や問題意識はかなり変わったように思う。当たり前と感じていたことを、当たり前ではないと感じる。当たり前であることは、けして普遍的ではないということ。その土地その土地のやり方があるのはわかるが、それらが皆その土地にいちばんあったやり方なのかどうかはわからない。もしかすると、当たり前というくくりの中で、ほんとうに良いことを追求しようという気持ちを放棄してしまっているかもしれないのだ。だからとにかく疑ってかかる。そんな癖がついたのかもしれない。

■segunda-feira,26,junho,2006
 また新たな一週間が始まる。今週もあっという間に過ぎ去ってしまうだろう。そうやって、何週間も、何か月も、何年もやり過ごしてしまった。それは自分の所為だろうと、誰かは言うだろう。また、ある人はこういうだろう。一日を無駄に過ごすな。誰の言うことも正しくて、打ち消すことなどできない。自分自身もそう言い聞かせてやってきたのだし、時間が限られたものだということは、意識的に心に留めてきたことだから。もう戻ることはできないことはわかっていつつも、この瞬間に遠ざかっていく大切なものたちの存在を、僕らは見送るしかない。

■domingo,25,junho,2006
 以前の書類を処分したいと思い、パワーコメリというホームセンターに行ってシュレッダーを買ってきた。暑い日。ソフトクリームなんかを買って、駐車場のところで食べた。なんだかそれだけで、日曜日を満喫している気になってしまう自分。
 部屋に戻るとさっそく書類を次々と裁断する。ところが、しばらく使っていると刃と刃の間に書類が詰まって動かなくなった。千枚通しでカリカリと詰まった紙を取り除いたのだが、スイッチを入れても音が鳴るだけで刃が回らない。一度に入れた枚数が多すぎたのだろうが、こんなにすぐに壊してしまうなんてがっかりだ。
 “THE INCREDIBLES”のDVDが安くなっていたので買ってきて観た。なかなか痛快で面白かった。邦題はミスター・インクレディブルだが、原題との差は大きいと思った。へんてこな映画の邦題をみると、タイトルというのは単なる記号ではないだろうといつも思う。

■sabado,24,junho,2006
 梅雨はどこに行ったのかというくらい暑い日。部屋で午後1時過ぎまで仕事をしていた。それから歯医者に行った。途中の道が渋滞していたり、駐車場がなかなか空かなかったりで、予約の時間に少し遅れた。ようやく金属を被せるところまでいった。きょうで最終かと思ったら、まだだった。あと一週間で7月。きっとこんな感じであっという間に7月も終わり、あっという間に夏も終わってしまう。
 ワールドカップで日本が勝てるようになるためにはどうすればいいか。学校単位の閉鎖的な部活動を廃止して、コミュニティのクラブ活動、いわゆるスポーツ少年団の活動を活性化させる。それがいちばんいい方法ではないか。なかなか部活につけない教員監督やド素人指導者。学校が何でもかんでも囲い込んでしまっているために、伸びるものも伸びていないのが実情ではないか。もしも今以上に地域の指導者を広く活用できれば、子どもたちの実力も伸びるし、地域の教育力だって戻る。子どもたちが力をつけていずれは世界のヒノキ舞台に立てるかもしれないと思えば、地域の大人たちの夢も広がるというものだ。なんて、誰か偉い人が言ってくれないだろうか。
 日本は忙しいという声をよく耳にする。どうしてこうもあくせくして働かなければならないのかと。忙しい感覚は主観的なものだから、そんなことは口が裂けても言うものかと思っている。だが、自由にできる時間を考えれば、たしかに日本ほど少ない国も珍しいのではないだろうか。2007年問題などというけれど、どうして退職してからでないと、旅する時間さえ取れないのだろう。1か月、2か月という話ではない。ただの1週間の休みでさえ取るのが難しい社会。でも実は、こういう世の中を我々自身が好き好んで作り上げてきたのではないだろうか。

■sexta-feira,23,junho,2006
 研修も三日目となると腰が痛くなる。それにしても、これだけ細かいところまで考えて研究を進めているのに、どうして成果が表れないのだろうか。むしろダメになっているではないか。我々の取り組みが問題の根本に迫っていないということではないか。この数十年の営みが無駄だったとは思わないが、延長線上にある物事を一度断ち切って考える必要があるのではないだろうか。続いていくことが前提、ではなく、何を続け、何を変えるのかを問い直すことではないか。そのためには、仕事の、ではなく、人間の原点に立ち返ることではないか。
 人間には限界がある。それをみないで次から次へと、考えることややるべきことが増えていく。それでは疲れるばかりだ。コンピュータなんか使っていなかった15年前と、人間の能力なんて一分も違ってなんかないのだ。効率や速度の陰で置き忘れられているものこそが大切だと思う。それをみつける努力、伝えていく努力を続けたいものだ。

■quinta-feira,22,junho,2006
 就職してから現在までのことを年表のようにまとめ、それをもとに皆で交流し合った。満足度の移り変わりを記録したグラフは、誰のものも大きく上がったり下がったりしていた。いい時期があればそうでない時期もある。我慢しながらどうにか乗り越えて今に至る。ただ辞めるのもひとつの選択である。言えるのは、きょうの参加者の中には辞めた者がひとりもいないということだ。
 幸せになるためという。けれど、幸せなんて実に自分勝手なことだという気もする。僕は自分を役に立つ人間だとは胸を張って言えないし、死について考えるなんて毎日のことだし、気分がひどく落ち込むこともあれば、ばか騒ぎしてそのまま眠りについてしまうこともある。ストレスなどと呼ばれるものを害悪とは考えないし、鬱的な気分を後ろ向きだとも思わない。僕は幸せになるために生きているのではない。きっと何かをつくるために生きているのだろう。でも、これでいったい何をつくれるというのだろう。
 懐かしい顔に何人も会った。それぞれに年をとり、それぞれにそれぞれの活躍をしているのだと思った。その笑顔の翳にも、どうしようもない苦悩があるのだ。そう考えて元気が出るかと思ったが、そうでもなかった。諦念のような感じを皆抱くのかなということを考えた。諦めたくないと思い続けることは、諦めることに似ている。ふとそんな言葉が浮かんだ。

■quarta-feira,21,junho,2006
 これまでの年を振り返る三日間にしてください。講師の何人かに言われたのがこの言葉だった。振り返ってばかりだったと思っていたが、そういわれてみればじっくり振り返ることなどなかったかもしれない。とにかく、せっかくだからゆっくりとした気持ちでプラスとなる時間を過ごそう。とは思ったが、睡魔が襲ってくる。黙って人の話を聞くということは、なかなか眠いことなのだった。
 夕方から雨が降り、酷く蒸し暑くなった。職場に戻って少し打ち合わせをし、書類を仕上げて印刷を依頼した。これで、明日は戻る必要はないだろう。夜には夜で2時間弱の会合に参加。9時頃に帰ると解放感。しかし、どういうわけかビールが不味く感じる。そういえばきょう病院の予約を入れていたことを思い出す。結局連絡をせずにすっぽかしてしまった。後で電話をしよう。明日の研修が終わったらどうしようか、などと考える。無用な心配などせずに、何か楽しめたらいいのだけれど。

■terca-feira,20,junho,2006
 多少の落ち着き。少しずつではあるが、変化しているようには感じる。だがそれも自分の欲目かもしれないし、なんとも判断しがたい。三日・三月・三年という言葉を聞いたが、もう少しで三月。そう考えると、自分自身が慣れてきたということなのだろうか。もっと何かできそうなのだが、それはそう思っているだけで、実際には自分ができることなどほんの少ししかないのだ。

■segunda-feira,19,junho,2006
 昨夜帰ると不可解な留守電が入っており心配になった。心配というよりも、怒りに近いか。自分にも落ち度がなかったわけではないので、反省したり後悔したりした。しかし、全体のトーンは腹立たしさだった。おかげで旅の余韻も吹き飛んだ。サッカーの対クロアチア戦も頭に入ってこなかった。別の意味で、これから気をつけようと思った。
 仕事は淡々とこなす。今週は水曜日から研修なので、それまでに片付けなければならないことをどんどん進めた。

■domingo,18,junho,2006
 朝から雨。宿の近くのジョナサンというファミリーレストランで朝食をとり、東京駅のコインロッカーに荷物を預けてから、築地へ。すし屋が増えている感。休日で多くの魚屋は閉まっていたが、それなりに雰囲気を味わう。東銀座の歌舞伎座まで歩き、YOUという喫茶店で休憩。岩手県のアンテナショップ、銀河プラザを目の前に発見。ちょっと入ってみるとたいへんな賑わい。
 そこから電車を乗り継いで、待ち合わせ場所の阿佐ヶ谷へ。何という手続きなのかわからないが、弟の結婚にあたり双方の親が挨拶をするということだった。山猫軒という質素な雰囲気の料理店で会食した。僕はいわば父親代わりということになるが、あまり堅苦しくなく、気持ちよい時間を過ごすことができた。初めて会った人たちは、とても素敵な方たちだった。母親はワインが入ったせいかずいぶんぺらぺら喋っていた。この二日間がとても懐かしく感じられる日がくるのだろうと思った。これからいろいろなことがスムーズに進んでいけばいい。

■sabado,17,junho,2006
 早朝に書類作りをするも終わらなかったので月曜日に先送り。この土日は家の用事で東京へ行かなければならなかったので、仕事は予め頼んでおいた。これで心置きなく土日を過ごせる。用があるのは日曜だが、せっかくだからと土曜の朝一番のはやてに乗りこむ。母親とともに過ごすのんびりとした一日。東京地方は亜熱帯のようだった。船橋のイケアにぜひというので行ってみた。そしたら、トロントに戻ったような錯覚に陥った。すっかり同じ雰囲気。ただ文字が日本語なのと、人の多さが違っていた。ららぽーとのモールを歩き、久しぶりにトンカツの昼食。葛飾柴又の帝釈天をみて、上野の鈴本演芸場で寄席をきいた。昼のトンカツが効いたのか、上野駅の辺りで腹が下って困った。

■sexta-feira,16,junho,2006
 落ち着いた週末とは言いがたいけれど、なんとか週を乗り切った充実感。しかし、夜は短い。帰ったら眠るのみ。すっかり朝型人間。眠い目をこすりながら何かするより、すっきりとした頭でやったほうが効率いい。これで一生通せたらどんなにかいいだろう。
 日の長いこの季節。朝の明るさがもったいないと思う。1時間ずらしたら、夜の訪れが遅くなる。自分にはあまり関係ないかもしれないけれど、夜型人間の多い我が国にとっては、夏時間導入はとてもいいことではないだろうか。

■quinta-feira,15,junho,2006
 あまり歩かなくなったからだろうか。日々思うことはあるのだが、それが残ることなしにどこかへ消えてなくなってしまう。その日その日を何とかクリアするという、あまり好ましくないパタン。長期的なビジョンはどこにいった?誰よりも強いココロザシはどこにいった?
 いつからかやわらかい顔の大人ばかりになった。団塊の世代の男女は、60歳とは思えないほど若く見える。若いことがいいか悪いかはわからないが、それは未成熟に見えるということでもある。7がけで考えるなら、かれらはまだ40そこそこなのだ。自分も20代後半。何もあせる必要はない。

■quarta-feira,14,junho,2006
 いきなりド素人がぽんと会場に来させられて、解っているようにあれこれ振舞わされて、仕事なんだからできて当然、ちゃんとやるのが当たり前。それはよくわかる。自分だって、知らない場所では目を皿のようにして辺りを探しては、必要なところに回ろうと必死になる。でも、阿吽の呼吸とか、以心伝心とか、そればかり求めてもだめなんじゃないかな。現場は明らかに必死だが、その根拠となるべき大元の指針が納得する形で伝えられたことは一度もない。そして私たちにはもう、コミュニティを支える信頼関係がない。咀嚼して伝え合うことが必要なのは大人のほうだろう。日々必死。スイッチ、押したくなる。

■terca-feira,13,junho,2006
 たとえば、携帯電話をもたないことはこうも許されないことなのか。この圧力ってなんだろう。自分が自分のままあることが、どうしてつらく感じるのだろう。ここは、少数派が肩身の狭い思いをする社会だ。世界の趨勢が、なんて言葉はまやかしで、それは世界ではなく、米国だったりする。それを鵜呑みにしているのがばかばかしくて、どこまでも素直でお人よしの日本人像。このまま行ったら、国は潰れる。この国で生きよなんて誰が言えるか。かれらには、この枠をはみ出せと言おう。

■segunda-feira,12,junho,2006
 すべてが中途半端な気がする。ひとつひとつもっと味わい深いものなのだろうが、その味わい深さのどれほども、伝え切れていない。100パーセント自分が悪いと本気で思い、省みる。しかし同時に、悪いのは誰でもないと思う。長いものには巻かれろってか。戦後何十年って、こんな感じで変わらず進んできたのだろうなと思う。きっと戦争前からずっとそうだったのだ。戦争はリセットでもなんでもなかった。それほどの節目とはできなかったのだ。長いものには巻かれない。絞められて死んでも心は従わない。

■domingo,11,junho,2006
 ゆっくり起床。午前中はテレビを見ながら部屋を片付ける。雨の降り出しそうな午後の野菜味噌ラーメン。電気屋も本屋も文具屋もたいして面白いものは目に留まらず。車の中じゃラジオは聞かずに、さかなの新譜を繰り返していた。だけど、いまいちばん面白いのはCBCradio3のポッドキャスティングだったりする。この日一日何をしたのか。ただ単に、休んだのだ。それしかない。

■sabado,10,junho,2006
 サッカーのワールドカップが始まった。地震のニュースなど、もうどこかに消えてしまった。NHKのチャンネルが減らされるというが、僕はもっとチャンネルがあったほうがいいと思う。日本に帰ってきて、世界の情報からすっかり隔絶されてしまったような気分だ。
 2時過ぎまで仕事。4月以来片付いていなかった机周りを徹底的に片付けた。情けない話だが、これまでそういう気持ちになれなかった。それが、ようやく整理しようという気になった。この変化、前向きだと考えていいんじゃないか。

■sexta-feira,9,junho,2006
 金曜日。5日間は終わるとあっという間。すべてが雑然としていて、落ち着いて何もできない状態が続いていたが、ようやくそれらを整理しようという気持ちが少しずつわいてきた。適応がたいへんというのは、頭ではじゅうぶん理解していたつもりだが、なるほど実際にそのときを迎えて、実感してみないとわからないものなのだ。だが、この調子だとこの1年で復調するのは難しそうだ。まあゆっくりやるか。

■quinta-feira,8,junho,2006
 健康診断があったので、朝に少し離席した。行程をみて、やらないよりはやったほうがいいのだろうくらいに考えたほうがいいのだと思った。
 言葉の波長が少しずつかみ合うようになってきたのだろうか。この2か月、ラジオのチューナーをゆっくり回すようにしながら、相手の感性を探ってきたような感覚。まだまだぴったりではないけれど、自分の言葉が自分の言葉のまま、相手に伝わるようになってきた感じはある。ただ、どうにも貫禄が足りない。

■quarta-feira,7,junho,2006
 病院の予約が入っていたが、とても行ける状態ではないのでキャンセルした。私事で休みを取るのは労働者の権利ではある。誰にも気兼ねなく年休を取れるのがいい職場である。そういう意味で今の職場はとてもいい雰囲気がある。しかし、僕は権利を行使しない。年休など一日も取ろうとは思わない。僕はまだそれほどのことを何もしていない。

■terca-feira,6,junho,2006
 火曜日の夜にあった一本の電話。リスペクトのかけらもない要求に言葉が出なかった。社会が音を立てて崩れているようなイメージが浮かんでくる。カナダの人たちが言っていた。日本人は皆教師に敬意を払っている。それに比べて…、と。そういう日本の良いところなんてもう過去のものになってしまったか。

■segunda-feira,5,junho,2006
 朝は早起きだ。でも、出勤の3時間前に起床したからといって、それを有効に使えるかというとそうでもない。反対に、夜は眠くてしかたない。だから、夜はもう眠るしかない。この繰り返しで一週間が過ぎる。月曜日。まだまだ先は長い。
 この先に何があるか、以前の自分は明るいことばかり想像していたのだが。ところが、いまは暗いというほど絶望的ではないにしても、何かとても気の長いことをしていると思っては、頭に疑問が渦巻く。

■domingo,4,junho,2006
 午前中は出勤。些細なことを苦にしながら行くと、杞憂だった。しかし、それに代わる問題が浮上する。どうということではないのだが、気にし出すと休まらない。胃がおかしくなりそう。
 昼には大リーグ中継を見る。時差ということを、あまり意識しなくなってきた。トロントにいたときは、日本だけでなく、ヨーロッパの時間さえはじき出すことができたのに。地球儀を眺めながらあれこれと想像したものだ。あの地球儀はいま、部屋の出窓の縁に無造作に置かれてある。
 不意に鼓笛隊の音が聞こえてくる。表通りに出てみると、消防団のパレードが行われていた。真っ赤な衣装に身を包んだラッパと小太鼓とシンバルの楽団が、信用金庫前の駐車場に陣取ってマーチを演奏していた。それに合わせて、制服やはっぴを着た男女が行進し、その後に消防車が30台くらい続く。町の大きさの割にはずいぶん長い行列だ。商店街の中央には、紅白幕に飾られた高い台があって、その上でカーキ色の制服を着た人が敬礼していた。台には旗が立っていて、「総監」と書かれていた。
 こんなパレードを見たのは初めてではないだろうか。まるで軍隊の出征のような雰囲気。ひじょうに気味が悪かった。きっとその頃にも同じようなパレードが行われていたに違いない。その名残、というよりも、やっていることはその頃から変わっていないということではないか。今が戦後という認識は実は間違っていて、もうすでに戦前、なのではないか。

■sabado,3,junho,2006
 午前中は遠征。最高のドライブ日和。しかし、往復2時間車を運転したからか、頭が痛くなって、少し熱が出た。午後には歯医者に行って、ある会合へも出席するつもりだったが、すべて取りやめた。ソファでごろんと横になって休んでいると、叔父さん夫婦がやってきた。小一時間ばかり賑やかに話をして帰っていった。いつの間にか頭痛も治まり、熱も下がった。

■sexta-feira,2,junho,2006
 心が休まらない。休まるといえば睡眠前のわずかの時間で、いちど目を覚ますともう胸が騒いでばかり。無駄に頭が回転を続け、そのわりには何の答えも見い だせない。そんなことばかりで一週間が過ぎる。良いことと悪いことの判断基準が揺らいで、自信を持ってこうだと言えない。それほどまでに、価値観が混乱し ているのを感じる。言い訳無用。しかし、これでは心許ない。

■quinta-feira,1,junho,2006
 6月。衣替えについて、納得できる理由を自分なりに探しては、言葉にしてみた。社会が一斉に服装を替えることの意味とは。それを日本の誇れる文化として 消化する努力。いろいろな考え方があって、どれが正しいということはひとつもなくて、すべては繋がりの中で押したり押されたり、引いたり引かれたりしなが ら、たえず形を変えていく。