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2006年  11月
■quinta-feira,30,novembro,2006
 11月もきょうで終わりです。あっという間。いつもこの表現だなあと思いながら、やはりあっという間に今年もあと1か月になってしまいました。2006年は、激動の年となりました。しかしそれは、冬への旅の途中であり、寒さや厳しさに向かう坂道を登っていくような動きの年でありました。2003年、陽春を散歩するような上気したときめきとは正反対の、覚悟を強いられる日々です。降る坂があれば登る坂もある。それは、志を抱いたときからすでに承知していたことでした。私はいま、自ら望んで、この地に立っているのです。
 あと1か月、さらに坂を登り続けることになるでしょう。さまざまな愚痴を聞きます。他人のせいにする人々のなんと多いことか。社会は、人の受け皿です。広く深い懐の中ですべての人が安心して暮らせるようであったなら。でも、いまはそうではありません。私は、そこに生活するもののひとりとして、けして愚痴は言うまい、他人のせいにはすまいと、口に出してみたくなります。師走の道を、元気に歩いていこうと思います。

■quiarta-feira,29,novembro,2006
 急な提案があって、みな憤懣やるかたないという感じでした。私もそうですが、回りとはまた違った見方をしていたのではないかと思います。私がかの地でやってきたのは、同じようなことだったかもしれないからです。ただし、私たちはあくまでも説得と納得ということを重視してきたし、何より信頼関係を壊す“差”にまでは話を広げることはしなかったのです。それに比べると、かれらのやり方はあまりに不器用でなおかつ性急過ぎる。愚の骨頂とはこのことではないかと思えるほどです。いま進められている「改革」は一人一人のためになるものではなく、弱い者を切り捨てる改革ではないでしょうか。庶民の幸福な生活とはかけ離れた、少数の誰かに都合のよい世の中をつくる改革なのではないでしょうか。それらを前にして私たちはしたたかに行動しなければなりません。賢い生活者とならねばなりません。

■terca-feira,28,novembro,2006
 ルワンダの教育を考える会の、カンベンガ・マリールイズさんの講演を聴く機会がありました。流暢な日本語。アフリカの鮮やかな民族衣装。滲み出る優しさ、人類愛。日本が平和だということ。安心して眠れることのありがたさ。そして、あらためて思う教育の大切さ。実に素敵な方でした。アフリカ、NPOの力、ボランティアについて、ほとんど消えてしまっていた気持ちがまた少し熱くなりました。自分ができることはなんでしょう。

■seginda-feira,27,novembro,2006
 この日は何があったかなと思い出そうとするのですが、なかなか出てきません。とにかく、気がつくと暗くなっているのです。月曜日から遅くまで残業してしまい、飛ばしすぎの週のはじめという感じです。
 何事でも上手にバランスを取っていきたいものです。でもバランスを取ることに気を使いすぎると、自分を見失いそうになります。自分の軸はいつでもぶれないように。そうはいっても、どこかで無理をしていたり、義理をとおしたりして、ふらふらと根無し草のような自分を感じることがあります。いわゆる八方美人というのは自分のような者を指すのだろうかと疑ってみます。主張とは言葉ではなく、生き方そのものであればよいと思います。誰がみてもひとつのものの見方で貫かれている姿で立ちたいものです。

■domingo,26,novembro,2006
 何もない日には、いろいろと片付けてしまいたいことがあるのですが、そんなときはきまっていつも、ついつい一日を無駄にしてしまいます。片付けてしまいたいことのひとつは、私の部屋の中です。以前より所有物はずっと減ったはずなのですが、それでもいま部屋は物で溢れかえっています。捨ててしまいたいものは、年とともに増えていくのでしょう。どうしてこんなものを大事に取っておいたのか、不思議に感じるものも多いのです。それらを片付けるには、1日2日では足りません。12月が終わるまでは、我慢しましょう。

■sabado,25,novembro,2006
 仕事は家で少しやって、あとは何もない土日です。朝は冷えたものの、気持ちよい快晴が広がって、散歩日和となりました。家から一分の場所にあるのは北上川。久しぶりに河川敷まで下りて、ゆっくりと歩いてきました。たいしたことも考えずに、ゆったりした川の流れを見ていました。ここに住んでいながら、じっくり回りを見ることもありませんでした。もう何か月もたっているのに、ほとんとが職場との往復なんだなと思いました。

■sexta-feira,24,novembro,2006
 朝5時過ぎにパーソナルバンカーから電話がかかってきました。結局もう一度パスポートと免許証のコピーといっしょに手紙を送ることになりました。これでいよいよ解約ができるのかどうか。一抹の不安はありますが、とにかく早めにやってしまおうと思います。
 休日の狭間でしたが、おおむね順調にことが運びました。生まれて初めて尺八に挑戦する機会がありました。音が出せるようになるまでずいぶん時間がかかるそうです。練習していたら、少しずつ音が出るようになってきました。でも、それが長く続かずに途切れてしまうのです。それから、楽譜というものも初めて見ました。先生たちの演奏も聴くことができました。やはりライブで聴く音楽というのは、洋の東西を問わずすばらしいものです。新しい世界がまた一つ開けたような気がしました。

■quinta-feira,23,novembro,2006
 勤労感謝の日です。珍しく週日の間の休みです。こういう日がぽっと入るとなかなかよいものです。きょうは早朝にカナダの銀行に電話をしました。向こうの口座を解約して残金を日本の口座に移行する、その手続きを進めるためです。もう数か月前にやり取りをしたのですが、うまくいかないまま中途半端になっていたのです。でも、いつまでもこれに引っ張られるわけにはいきません。帰国する前にちゃんとしていればよかったのですが、それを言ってもしかたありません。これも一連の勉強と割り切っています。かなり英語を忘れてしまっており、聞き取る能力も話す能力も極端に退化しているのを感じながら、受話器の向こうの人とコミュニケーションを試みます。なんとかかんとか会話が成立し、明日の朝パーソナルバンカーという人が電話をかけてくれる手はずとなりました。

■quarta-feira,22,novembro,2006
 休みの前日。ばたばたとさまざまなことを処理しながら夕暮れを迎えます。会議ではある問題について、本質的な議論が続きます。仲間中には私と同じような考え方の人もいれば、まったく反対の人もいます。仕事に関する、かなり根っこの部分です。夜には別の会議に出なければならなかったので、私は中座しました。できたらもっと参加していたいという気持ちと、ちょっとほっとした気持ちもありました。低気圧が通過してから、外ではひじょうに強い風が吹いていました。
 もう一つの会議では、久しぶりに顔を合わせた人が何人かいて、少し近況報告などもし合って、そういう意味では楽しいひと時がありました。しかし、話し合いの中身は重いことばかりで、おまけに眠気も催して、どうもすっきりしないまま終わってしまいました。全体にかつての勢いや元気も感じられず、参加者には疲れた表情が目立ちます。前からこうだったろうか。いいえ、おそらくだんだんにこう変わってきたのです。

■terca-feira,21,novembro,2006
 大漁旗というものを考えていました。どうしてあんなに派手派手の旗を掲げて帰るのだろう。そしたら、胸が熱くなりました。漁師の気持ち、家族の気持ち。帰る人の気持ち、迎える人の気持ち。命を無事に持ち帰る人、その命を大事に受け止める人…。そんな人々の心にも、大きな旗がはためいているのでしょう。いつか私もそういう旗を掲げられるような人間になりたいものです。

■segunda-feira,20,novembro,2006
 きょうは振替休日でした。とはいえいつもどおり出勤して3時過ぎまで仕事をしました。もう少し早く帰ろうと思っていたのですが、そうなりました。本来なら朝から休んでおればいいのですが、そのための課題や指示を用意しておくことを考えると、自分でやったほうがいいやと思ってしまうのです。わるいこととは思いながらも、この癖はなかなか抜けません。休みには休めばいいんです、ほんとうはね。
 夜にはかねてから楽しみにしていたエポのコンサートに行ってきました。雨の中、会場のさくらホールには老若男女たくさんの人が詰めかけました。私も一時間くらい並んで席を取りました。エポは大好きなミュージシャンのひとりでしたから、どうしても来たかったのです。落ち着いたアコースティックの響きが心地よかったし、エポのちょっと長めの語りにも共感する部分が多々ありました。初めてエポを聞いた人たちもきっと満足しただろうと思わせるほど文句無く上質のステージでした。これほど精神性の高いミュージシャンは日本にはあまりいないんじゃないでしょうか。と、ひじょうに感動しましたので、帰りにDVDを購入してしまいました。そしたら、エポさんがサインをくれて、握手までしてくれました。いい名前ですねとほめてくれたのに、緊張して感謝の言葉すら言えませんでした。ごめんなさい。
 エポはミュージシャンの傍ら音楽によるセラピーを行っていて、人々の心と向き合う仕事をしています。これほどまでに自分を昇華させられる人を私は尊敬します。自分もそんなふうになれたらいいのにと思います。

■domingo,19,novembro,2006
 今回の出張ではなぜか三日間とも別の会社のバスを使いました。そのためさまざま比較することができて面白かったです。たとえば、おとといのバスにはカーナビがついていて、運転手さんはそれを見ながら運転していました。きのうのバスにはカーナビはついていませんでしたが、きのう通った道とまったく同じルートで、目的地まで運んでくれました。そして、きょうのバスの運転手さんはというと、きのうまでとはまったく違う予想もつかない道を行くのでした。カーナビもついていないので、長年の経験でいろいろな道を知っているのだなと途中までは感心していたのですが、時計を見ると目的地に着くまでの時間がかかり過ぎでした。
 私は自分の車にナビをつけようとはまったく考えたことがありません。それほどの場所に行くこともないですし、知らないところに行くときは予め地図を見ておけばいい話です。それに、もしかりに道に迷ったとしても、時間に余裕をもってさえいれば、それもまた楽しいものです。ドライブの魅力の一つは迷うことにあるといってもいいくらいですから、ナビにそれを奪われたらかないません。
 ところが、もしそれが営業車両だったならどうでしょうか。経験に頼ってばかりの運転では、きょうのように結果的に客に迷惑をかけることになってしまいます。客をできるだけ早く快適に運ぶのがバスの使命であるとすれば、カーナビを導入するのが望ましいという理屈も成り立つかもしれません。しかし、はたしてそうでしょうか。ナビに頼りながらバスを運転する運転手さんというのも、きのう見た限りではどこか頼りない感じがつきまとっていたように思います。つまり、客に不安を与えかねないということです。
 結局のところ、プロのドライバーなら客を乗せる前にちゃんと調べておけということになるのかなと思います。その上で、自信を持ってハンドルを握りなさいということでしょう。まあ当然といえば当然ですが、これはどんな仕事にも通じる話かもしれませんね。

■sabado,18,novembro,2006
 三日間連続出張の中日。県北の八幡平市までバスで通っています。岩手山が間近に迫るところです。こんなに大きな岩手山を見たのは久しぶりでした。もう山全体が真っ白な雪に覆われています。朝6時に出発して、帰った頃には午後5時を過ぎていました。出た時も帰った時も真っ暗でした。それから慌てるようにして本屋や電気屋に行って、すき家で夕飯を食べて帰ってきました。

■sexta-feira,17,novembro,2006
 十年以上前に研究していたのと関連することを、あれこれ話し合ったりしていました。しかし、人の話を聞いていても断片的にしか理解できません。勉強というのは続けていなければ意味が無いものです。あのときせっかく学んだことなのに、もう自分は忘れてしまっている。知識としてというのももちろんですが、身につけたはずの理論も何もすっかり身体から抜け落ちてしまっていることに気がつきました。その代わりに、我流という、変な空気というかべとべとした衣を身につけてしまっていたようです。ここまで来たら安心、などという甘い考えがどこかに発生して、それ以来やるべきことを怠ってきたのでしょう。時間というものがとても恐ろしく感じられます。
 それで思い出したのですが、北上山地の村落に帰る途中の峠道で、落葉に滑ったのか、側溝に車のタイヤを落として動けなくなってしまったことがありました。もう夜更で、通りかかる車もありません。いちばん近くの家に助けを呼びに行くにも10キロ以上はあるところです。途方にくれながら、冴えた月を見上げてずいぶん長い時間震えていました。今ではもうあれは夢だったのではないかとさえ思えるほどおぼろげな記憶ですが、たしかにそんなことがありました。ところが、その後どうやって車を上げたのか、誰に助けてもらい、どうやって家に帰ったのか、そこらへんの記憶がまったくないのです。自分が困ったという記憶だけがあり、人に助けられたことは忘れてしまっているのです。これは私の弱さだろうと思います。

■quinta-feira,16,novembro,2006
 教育基本法が改正されようとしています。きょうは衆議院を通過したようです。どうしてこんなに性急に変えようとするのだろうと激しい怒りを感じます。この動きはやがて憲法改正へとつながるでしょう。そもそもそれがねらいでしょうから。そして、日本は戦争のできる国となり、アメリカの世界戦略の片棒を担ぐことになるのでしょうか。この国の平和だった時代は終わり、再び戦争へと突き進んでいきそうです。この件について、私はまったく楽観できないと思っています。10年後すらどうなっていることか。
 大多数の与党の前に野党はどうあがいても太刀打ちできないようにみえます。市民の反対の声も今ひとつです。運動もそれほど盛り上がりません。庶民は日々の仕事に追われてそこまで考えるゆとりが無いのです。「がんばらなければならない」のは重々承知。けして、いいかげんな気持ちではないのだけれど、あまりに重すぎます。

■quarta-feira,15,novembro,2006
 松坂大輔投手がボストンに! アメリカン・リーグの東部地区は面白いことになりそうです。去年車で行ったボストンの美しい町並みを思い出します。フリーダム・トレイルという名前の散歩コースをゆっくり歩いて回りました。日本からの観光客も増えるでしょう。そして、トロントでも松坂のピッチングが見られることになるでしょう。海の向こうが羨ましくなりました。

■terca-feira,14,novembro,2006
 松尾芭蕉の「おくのほそ道」を読んでいます。これまでは、解釈が難しくて、それを噛み砕いて伝えることをなんとなくぎこちなく感じていたのですが、今年はすっと入っていけるような気がします。人生とは旅そのものであるという考え方というか生き方が、すっかり自分の身体に染み付いてしまったのだろうと思います。もちろんそれだけではないでしょうけれど。そうして、もっと調べてみたいような気になりました。旅のある人生。いま自分はどのあたりを歩いているのでしょうか。

■segunda-feira,13,novembro,2006
 こうなるだろうとは思っていたのですが、寒いです。どこに行っても建物の中が寒い。厚着をして、自分で寒さから身を守らなければならないのです。当たり前のことですが。4年ぶりの冬は、風邪を引かないようにそうとう注意が必要です。それにしても日本、特に東北や北海道に定住することは、厳しい冬を乗り切らねばならないということだけでひじょうにたいへんなことなのだと思います。

■domingo,12,novembro,2006
 きょうも不安定な天候でした。午前中は仕事。午後からは雪がちらつきました。100円ショップや電気屋や本屋でつまらない買い物をしました。こういうのを無駄遣いというのかもしれません。それから、おいしいラーメンと、おいしいパンを食べました。これもつまらない無駄かもしれません。無駄の積み重ねでここまできました。

■sabado,11,novembro,2006
 雨が降ったり止んだりの日。午前中は仕事。午後には部屋で過ごしました。気温は暖かかったのですが、明日は雪が降るかもしれません。一週間はあっという間です。そして、それが何十回か続けば一年が終わります。この積み重ねが何十回も続いてきたのだなと思います。これからも同じように続くのだろうか。今年で終わりにしてもいいのではないかとさえ思ってしまいます。

■sexta-feira,10,novembro,2006
 仕事帰り、冬タイヤを買おうと思って車用品の店に行きました。8時少し前に着き、店員の話を聞いて買うタイヤを決めました。閉店時間は8時と知り、明日また出直さなければならないかなと思ったら、すぐに付け替えてくれるというのでお願いしました。会計などを済ませて、結局すべて終わったのが8時15分頃でした。閉店時間を15分過ぎても、快く応対してくれました。感謝感激です。当然といえば当然なのでしょうが、とても新鮮に思えました。なるほど日本はサービスの国なのだと実感するできごとでした。
 店がそのような至れり尽くせりのサービスを提供するということは、消費者がそれだけ高いサービスを要求するということだと思います。お互いにより高いサービスを追求すればするほど、消費者は便利な生活を享受することができるわけですが、生産者あるいはサービスの提供者としては、それだけいい仕事をしなければならないことになってきます。そうやってどんどん高度化してきているのが今の日本でしょう。
 日本の農産物の規格は世界一厳しいのだそうです。私の家には、近くの農家の方がときどき、規格外として売り物にならなかったピーマンなどをお土産に持ってきてくれるのですが、見てくれが少々わるくても食べてみれば味はまったく遜色なく、とてもおいしいです。それに、林檎も葡萄も、果物という果物は品種改良が進んで、どれも甘くて驚きます。カナダで食べられる果物と比べたら、ほんとうにおいしさが違います。
 私はそれがいいことかどうかよくわかりません。もちろん、サービスを受ける立場に立ってみればこんな便利な国はありません。しかし、サービスを提供する立場に立つと、これほど忙しくて、内容も難しい仕事をしている国民もないのではと思います。便利さを求めるあまり、だれもが自分自身の首を絞めるようなことになっていないでしょうか。

■quinta-feira,9,novembro,2006
 海の向こうの国では、選挙でブッシュ陣営が大敗を喫しました。戦争はもうたくさんだというアメリカ合衆国の人々の強い気持ちが反映されたのでしょう。これで時代は動くのかなとわずかな期待を抱きます。そして、日本はどうなのかと考えますと、頭が痛くなりそうな状況が続いています。自分自身は無関心であるとは思いませんが、無力さというか、無気力な気分に陥ってしまいそうで危険です。まっとうな生活人というのは、ちゃんと運動する人間なのだろうと思います。さあ自分は何をするかです。

■quarta-feira,8,novembro,2006
 一日何をしたのかわからないような一日でした。毎日そういう日が続いているような気がします。プロフェッショナルとはかけ離れた仕事態度と言われてしまいそうです。ところで、仕事関連の書籍、いわゆるビジネス書というのがどこの書店でも一角を占めています。私もたまに読んではなるほどと元気になったりするわけですが、このビジネスの文法というのがどうも眉唾物に感じることも正直言ってあります。NHKの例の番組もその通りで、あくまで参考に留めておかないとまずいぞ、と感じています。プロ意識は大切ですが、仕事の流儀で子育てや親戚付き合いをしようとしたら、うまくいかないでしょう。

■terca-feira,7,novembro,2006
 午前の途中から盛岡に出張でした。雲が重く垂れ込めて、昼なのに夕方のように真っ暗になりました。しばらくして、雨が降り出しました。前回の出張の時もこんな感じでした。帰りには、肴町あたりを少し歩こうかと思っていたのですが、やめました。おいしいと評判のパン屋を教えてもらったので、そこに寄って帰りました。タイヤのことはきょうも忘れていました。

■segunda-feira,6,novembro,2006
 何をどう過ごしたかすら忘れてしまった月曜日。気がつくと夜9時を過ぎていました。帰りに立ち寄ったコンビニの明かりの前には、7、8人の若者たちがたむろしていて、独特の雰囲気をかもしだしていました。家には帰りたくない人たちなのでしょうか。「家路を急ぐ」という言葉が思い浮かびました。家には急いででも帰りたい、というのが一般的な感情でしょう。それだけ休みたい、リラックスしたいのでしょうが、この若者たちは、家ではリラックスできないのかなと思いました。

■domingo,5,novembro,2006
 何ということもない日曜日。朝はテレビを見ながらのんびりと過ごしました。午後から少し出かけましたが、どこに行ったというわけでもなく、移動しながらラジオを聴いていたという感じでした。岩手の山間部は紅葉の盛りを過ぎて、赤茶けた枯葉が散り始めています。もうじき雪が降ってきます。そういえば、きょうはスタッドレスタイヤを買おうと思っていたのですが、忘れていました。

■sabado,4,novembro,2006
 午前中は北上の運動公園に行って、ラグビーの試合を見ました。天気もよくて、気持ちのよいドライブ日和。緑のグランドを駆ける選手たちの姿を見ているのは、なかなかいいものでした。
 一試合見てから、国道を北に進みます。昼は讃岐うどんを食べました。セルフサービスのうどん屋ということで以前からちょっと気になっていたのですが、とてもうまかったです。学生時代に、同じようなセルフの「大名うどん」というのが流行ったことを思い出しました。
 午後は仕事でした。職場で少し文書を作ってから、今度は盛岡まで行ってきました。きょうはひじょうに汗を書きました。少し左の足首をひねってしまいました。明日は全身筋肉痛かもしれません。その後は床屋に寄って、帰ったのは7時前でした。

■sexta-feira,3,novembro,2006
 片道2時間くらいの道のりを、ごく近所に住む親戚のおじさんと行きました。車内ではさまざまな話を聞きました。こんなふうに話を聞いたのは、生まれて初めてだと思います。長いお葬式のあと、お墓やお寺を回ったら3時。その後に、JAの会館で法事がありました。そこでも、今まで話したこともない親戚の方々の話を聞くことができました。帰ってきたら7時半でした。これから、こういう機会が多くなるのでしょう。

■quinta-feira,2,novembro,2006
 先週に引き続き、また喪服を着なくてはならなくなりました。祖母の妹が亡くなったというので、祖母の実家のある秋田県まで、あすお葬式に行くことになりました。祖母はそれを聞いても、「なんたらな」と言うだけで、もはや自分の妹という認識がもてません。その祖母に代わって、行って来ます。

■quarta-feira,1novembro,2006
 セントルイスの田口壮選手の姿には励まされてきました。自分の役割に徹して、けして目立つわけではないけれど、チームの要となって雰囲気をつくってきた田口選手。その地道な努力と、生活人としての大らかな感覚を、毎日の日記を通して感じることができたからこそ、そう思うのかもしれません。オフシーズンとなり、日記が読めなくなるのは寂しいのですが、冬場には冬場の新しいヒーローを見つけられればいいなと思います。

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