2006年  9月
■sabado,30,setembro,2006
 参考になることが多い日でした。おおむね順調に過ぎた一日でした。きょうは父の命日なので、明るいうちに墓参をしようと定時に退勤しました。きょうはそれが第一優先でした。ほんとうならこの日には年休を取るところですが、今年はそうはいかなかったのです。でも、この日のうちにできたので、気持ちはほっとしました。この日を終えたら、ちょうどあと半年で今年度が終わりです。きょうが父のいた最後の日であり、明日から父のいない日が始まるということも相まって、ことさらに大きな節目じ感じられるのです。

■sexta-feira,29,setembro,2006
 イベント前日の無力感というのもあまり感じず、とはいえ力を出せたとも思えず、とにかくやっとここまで来ました。狙い通りのものを達成できたかというとそれは別の話ですが、やるべき最低限のことはやったという感じでした。自分自身については、いつまでたっても下手な部分、スキルを身につけていない部分がはっきりとわかったような気がします。誤魔化してきたところは、いくら時間が経っても克服することはできないのだと感じました。もっとうまくやろうと思ったら、もっと努力が必要なのです。
 後は当日、流れに乗って進むだけです。

■quinta-feira,28,setembro,2006
 この時期はあまり好きではありません。自己嫌悪に陥ることが多いからです。いろいろと欲目をもって見てしまい、それだけに後で落ち込んでしまうのでしょうか。ところが、今年はあまりそういう感情を持つことなくここまできています。どれもフラットにみえるといいますか、客観視できているようです。とても淡々と日々を過ごしている感じです。それがいいのかわるいのかはわかりませんが。
 しかし、身体は年々疲れ方が激しくなってきているようで、以前に比べて疲れなくなったなどということはありません。これではあと10年などもたないと感じます。

■quarta-feira,27,setembro,2006
 いろいろな優しさや思いやりの詰まった一日。と、そんな見方もできる日ではなかったかと思います。しかし、これも見方によっては、さんざんなことばかり重なった一日と、言えるかもしれません。長所と短所は、性質としては同じこと。見る角度の違いで、プラスにもマイナスにもとらえられるものです。それと同じように、いい一日とわるい一日という評価は、見方の違いによるのだろうと思います。
 それを受け入れてばかりではなくて、自分の思い描いたことが実現できるように、何かを変える努力をすることが大事なんだよなあとは思うのですが。

terca-feira,26,setembro,2006
 いつもより早めに帰る夜は、あれをしようこれをしようと夢が膨らむのですが、実際に帰ってみると眠くて何もできません。しかも、早く床に入ったからといって、早起きできるというわけでもなく、気がつくと朝になっているのです。

■segunda-feira,25,setembro,2006

 今年度上半期最後の一週間が始まりました。大きな区切りであるにも関わらず、なかなかそういう意識は持ちにくいものだと感じます。週末には大きなイベントがあるので、まずはそこに向けてベストを尽くしたいと思います。

■domingo,24,setembro,2006
 きょうも一日よい天気。朝から夕方まで出勤。いろいろやりたいことはあったのですが、机や戸棚の整理をしていたら時間が過ぎてしまいました。きのう買った本をいくつかかばんに入れておいたのですが、読むことはできませんでした。昼飯も食べなかったので、5時過ぎにラーメンを食べました。電気屋と本屋をのぞいて帰りました。あすからまた一週間が始まります。今年度もちょうど半分。長いのか短いのか、半年が経ちました。あと半年も、こんなふうにして過ぎていくのでしょうか。
 ところで、嫌な場面を見ました。小さな女の子が道路に飛び出したところに、トラックが近づいてきたのです。幸いトラックは十分速度を落としており、女の子を避けて通ることができたのですが、問題は女の子の母親です。すぐそばにいたにも関わらず、娘が道に飛び出したとき、手を引き寄せるでもなく、危ないと叫ぶでもなく、ただ黙って見ていたのです。少し離れたところにいた私もハラハラして、思わず危ねえじゃねえかと怒鳴ってしまいました。しかしその後も、娘に何か言い聞かせようとするでもなく、ぼーっとしているのです。
 勝手な想像ですが、あの母親は自分の娘に、生きて欲しいと思っていなかったのではないでしょうか。死んで欲しいとは積極的に願わないにしても、生きて育って欲しいとは能動的に願っていないのだ。そう感じられました。もしかしたら、心中でもしたい心境だったのかもしれません。とにかく、これだけ「命を守ろうとしない態度」を間近に見たことはありませんでした。隣県で起きた事件を思い出しました。

■sabado,23,setembro,2006
 快晴のドライブ日和。午前中は仕事がらみで盛岡へ。懐かしい人にばったり出会い、ちょっと嬉しい気持ちになりました。意外と早く終わったので、昼は外山まで行ってそばを食べました。休日のせいか、店はずいぶん混んでおり、忙しそうでした。岩手に帰ってきて店でざるを食うのは初めてではないかな。久しぶりに食べる外山そばは最高でした。干したさるなしの実が売っていたので買って帰りました。これもうまかったです。
 車を定期点検に出す合間に、本屋で本を買いあさりました。ほとんど仕事関係のものですが、当面必要になりそうな、あるいはあるとよさそうなものを。こんなふうにじっくりと本屋を眺めるのも久しぶりでした。

■sexta-feira,22,setembro,2006
 怒りを露にする場面の多い週でした。それなりに成果はあったと思うのですが、どうも思ったように動きません。打てば響くという手ごたえがなかなか感じられないというのが本音です。自分の表現力やコミュニケーション能力のなさに原因の一端があるのは否めないことではありますが、ああそれだけではないなと考えています。何か思うとおりにいかないことがあると、自分を責めてしまう。それは必要なことですが、自分を責めてばかりでは解決には至りません。同じように、他人のせいにしてもまったく仕方ありません。ではだからといって怒ることが解決に向かうのかというのと、そんなことはありません。もっとじっくりと一つのことに向き合って考えていきたいものです。怒りが説得力を持つとは思えませんし、やはりどうも急場しのぎの感を拭い去ることができません。

■quinta-feira,21,setembro,2006
 お笑い番組など、嫌いではなかったはずですが、最近ではテレビを見ていて笑えないと思うことが多くなりました。スイッチを入れて、バラエティ番組か何かの画面を一瞬見ただけで、もう嫌悪感が沸いてきてしまいます。内容に入る前に、名前もよくわからない人々がごちゃごちゃ何かしているのを見るだけで、見るのをよそうと思ってしまいます。年のせいなのか、番組の質の問題なのか。とにかく、おもしろく感じません。

■quarta-feira,20,setembro,2006
 秋の夜長といいますが、夜を楽しむというのとはかけ離れた生活です。仕事も生活も、以前はもっと余裕をもってできたような気がするのですが、やはりストレスがたまりやすい社会に変わってきているという感が否めません。カナダ生活のストレスを10だとすると、帰国後のストレスは300くらいあるなあという実感です。それくらい、今の日本社会が生き難い社会になってしまっていることは間違いありません。
 ところで、長電話に対応して、1時間以上経ってしまったり、などということもありますが、相手の声を聞いておりますと、この人もストレスがたまっているのだ、そのやり場がなくて、こちらにかけてよこすのだ、と思います。黙って話を聞いてくれる人が、周りにいないのでしょう。そして、どうしてひとのせいにばかりするのだろう。自分を振り返ることがないのだろうかと思います。その年になるまで、、問題に一人で向き合う態度を身につけることすらできなかったのでしょう。
 自分の世代に近いさまざまな人々の姿を見るにつけ、何を学んできたのだろうと思います。それは同時に、自分自身に向けられる疑問でもあります。たとえば学校で先生が教えてくれたことだけを駆使して、人生の問題が解決できるのだろうかというと、そうではないでしょう。それでは、どこでどうやってその力を身につけていけばよいのか。ストレス社会というのは、その力をつけることができない社会、学べない社会、成長できない社会を意味しているのではないでしょうか。

■terca-feira,19,setembro,2006
 悲しいニュースがありました。これだけ騒がれているにも関わらず、飲酒運転は後を絶ちません。それでもやってしまう人間は救いようがありません。たとえ身近な人間だとしても、弁護のしようがありません。冷たいかもしれませんが、自分にはどうすることもできません。
 危険運転致死傷罪というのができて、一定の成果が出ているそうですが、ここにきて飲酒運転の多さがあからさまになってきました。捕まらなければそれでいい、事故を起こさなければそれでいいという類のことではありません。飲酒運転は一発で免許取り消し、飲酒運転での交通事故には、殺人罪や殺人未遂を適用したほうがいいのではないでしょうか。もちろん最高刑は死刑です。「死んだほうがいい人間なんて一人もいない」とはよく言われます。私もそう考えていました。しかし、そうではないんじゃないかと、このごろ考えるようになってきました。自分自身あまりいい傾向だとは思いませんが。何の罪もない人々が犠牲となっている状況をみると、死ぬのはこの人たちではないだろうと思ってしまいます。

■segunda-feira,18,setembro,2006
 きょうは敬老の日で休み。敬老の日が9月15日でなくなってから、なんだかよくわからない休日になってしまったような気がします。何の面白みもない休日でした。下半身にはおとといの筋肉痛があって、階段の上り下りもきつかったです。

■domingo,17,setembro,2006
 横手までドライブしてきました。いい気分転換になりました。湯田町と沢内村は合併し、西和賀町になっていました。秋田県の山内村は横手市と合併して、なくなっていました。たまたま山内地区ではいものこ祭りというイベントが行われているところでした。駐車場に車を留めて、会場のある池のほとりまで歩きました。ちょうど昼時だったので、いものこ汁とごんぱ餅という餅を買って昼食にしました。私の地域ではいものこといえば北上の二子芋がおなじみなのですが、山内村の芋はそれよりもでかく、ごろっとした感じで食べ応えがありました。キノコと三つ葉がよく香るおいしいお汁でした。ごんぱ餅というのは、餡の入った草もちで、これもなかなかでした。小さな集落でしたが、大勢のお客さんで賑わっていました。帰りはシャトルバスに乗って、地元の雰囲気を感じながら駐車場まで戻りました。
 横手にしたのは一応の目的があったのです。神谷という焼きそばの店に行くことです。場所はすぐに見つけることができました。10分くらい並んでしまいました。メニューはたくさんありました。店の中が混んでいたので、よく考えずに「並の中盛」というのを頼んだら、たまごがなくて残念でした。横手焼きそばの最大の特徴である半熟の目玉焼き。それがのっていないそばを、常連客を装ってさりげなく食い、店を後にする情けなさ。名物といわれるものを食うときには、お店の人にお勧めを訊いてから頼むようにしましょう。

■sabado,16,setembro,2006

 三連休の初日。朝から晩まで、これぞ徒労という感じの時間の過ごし方をしてしまいました。右の太ももの筋肉ばかり使い続けたので、夜にそこが攣りました。太ももを攣ったことのない人にはわからないでしょうが、これはひじょうに激しく、手の施しようがない痛みです。アキレス腱を攣ったときには、つま先を曲げると直りますが、太ももではこのような方法がありません。あるのかもしれませんが、私は知りません。

■sexta-feira,15,setembro,2006
 魯迅の故郷という小説を二十代前半から読んでいることになります。面白いのは、自分の解釈が少しずつ変化していることです。二十代では考えもしなかったことが浮かんできます。解説を読んで学んできたからともいえますが、それよりも、経験に拠るところが大きいような気がします。トロントを経た、ということも大きく作用しているでしょう。読めば読むほど深く味わえる、良い作品だと思います。
 これは、中学生の教材としては、すべての教科書会社の教科書に掲載されている唯一の作品です。つまり、全国の中学生が学習している教材ということです。しかも、それがもう何十年も前から続いているのです。しかし、この小説を国民がこぞって読んでいるという事実が、この社会にいったい何をもたらしているのでしょう。「歩く人が多くなればそれが道になる」という希望が、どんなふうに日本人の心に届いているのでしょう。ペンは剣よりも強しという言葉がありますが、魯迅の願いのどれほどを、我々はくみ取ることができているのか、それを考えると、とても残念です。

■quinta-feira,14,setembro,2006
 きょうはきょうできのうとは別の、いつもと違う一日、おおむね順調でした。頭を使う仕事ではないので、その点が楽でした。ただし、仕事に対する感情は、このごろずいぶん悪くなっています。どうしたものかと思います。
 トロントの以前はそれほどの疑問ももたずにこんな日々を送っていたのでしょう。いや、疑問はもっていたものの、それがどれほどのものであるかが、わからなかったのでしょう。サボりたい気持ちからなのか、うまくいかないことの言い訳なのか、自分のあり方に起因する疑問であると、漠然と感じていたのかもしれません。
 今ももちろん、サボりたい気持ちはありますし、自分の力不足を感じることも多いのは事実です。しかし、今ではこの疑問が、至極まっとうな反応なのではないかと確信できるのです。問題は、個人の努力や資質に拠るものではなく、社会や体制のあり方にあるのだということです。これはとても不条理なことに思えます。例えば、戦時中の人々の人生が本人の意思に関わりなく奪われていった、それと同じようなことが、現代日本にもあるような気がします。誰一人として、その犠牲になってはいけないと思います。

■quarta-feira,13,setembro,2006
 いつもと違う一日、おおむね順調に過ごすことができました。少人数での行動なので、気が楽だということがあります。結果も悪くなかったので、皆よくやったという感じです。私のできることは何もありませんが、同じ時間を共有できるのは、ありがたいことなのかもしれません。
 夜には会議がありました。朝が早かったので、眠くてしかたありませんでした。

■terca-feira,12,setembro,2006

 言葉を磨くことは、心を磨くことです。毎日どうにかしてこれをやっていないと、うまく回らなくなります。言葉を磨くのを怠けていると、他人に気持ちが伝わらなくなります。伝わらないことを人のせいにしたくなりますが、伝わらないのは誰でもない自分の責任なのです。
 年が離れてきたからなのか、時代が変わってきたからなのか、地域性の問題か、家庭環境の問題か…。いろいろと考えてしまうのですが、つまりは自分の感性が鈍っているからということ以外には何もないのではないかと思います。

■segunda-feira,11,setembro,2006
 さすがに疲れたのか、朝は少し寝坊をしました。学校時代からそうですが、私は朝に仕事に行きたくないと思ったことがありません。それはもちろん、きょうみたいな日には行きたくないわけですが、どうしてもだめで遅刻するとか、休んでしまうとかいうことはないのです。当然といえば当然ですが。出てしまえば、一日は自動的に流れていくものです。気がつくともう夕方になっています。

■domingo,10,setembro,2006
 この連休は仕事をすっかりお願いしてきましたので、しばし現実から離れて過ごすことができました。温泉につかり、朝食を食べ、部屋で寝転びながらサンデー・モーニングを見、ロビーでコーヒーを飲んでから、親戚たちと別れました。秋祭りが行われている我が町に帰ってきて、少し休んだあと、皆を乗せて盛岡に行きました。昼食を取った後、下の弟は新幹線で帰って行きました。
 弟夫妻と母とで岩山に行きました。何年ぶりでしょうか。ここからは盛岡市の全景を見下ろすことができます。湿度が高いためか遠くの建物が霞んで見えました。岩手山は雲に隠れて見ることができませんでした。周りを山に囲まれた土地なのだということを、再確認できました。思えば岩手を離れるまでは意識することもなかったのですが、これは大きなことなのでした。薄暗くなってきてから、河南の酒蔵のあたりや、大慈清水、青龍水などを回り、駅の前で下ろしました。
 爽やかで、特別な休日でした。

■sabado,9,setembro,2006
 午前中は、隣町の産直に行って、葡萄や林檎を買って来ました。昼過ぎから人が来始めて、少しずつ賑やかになってきました。そこから花巻温泉に移動して、夜には弟の結婚披露宴でした。派手でなく、和やかな雰囲気で、料理も最高においしくて、良いパーティーだったと思います。久しぶりに会った従兄たちとも、うまい酒を飲むことができました。

■sexta-feira,8,setembro,2006
 一週間の終わり。朝起きて、仕事に出て、流れに乗ってやるべきことをこなして、疲れて帰ると、ご飯を食べて、後は寝るだけ。そういう一日を、5回繰り返せば、また週末がやってきます。これを何十回か繰り返せば一年は終わり。それをまた何十回か繰り返せば一生は終わりです。などと考えると、ため息が出てしまいますが。
 目先のことばかり考えてしまいがちで、生涯のことを広い目で見通すのは難しいものです。しかし、結局のところ、難しい難しいといいながら、何もしてこなかったということなのかなと思います。そして、人生の前半で身につけた習慣は、後半戦でどうにか逆転できるほど甘くはありません。がんばればできるというのは気休めで、きっとこれからも、今まで自分がしてきたようなことを繰り返すしかないのです。
 きっとらせん階段を上っていくように前進していくのでしょう。何か劇的に状況が好転することを夢見て待つよりも、自分の今の生活に足をしっかりつけて、おもしろくもない日常を一歩ずつ歩くのです。自分の一生というのは、何も特別なことなんかなくて、この地球の65億人の中のひとつだということです。その泡のような命を粛々とまっとうするのです。

■quinta-feira,7,setembro,2006
 車を運転して思うのですが、優先順位を守らない人がけっこう多くいます。例えば、交差点で双方から来た車が同じ方向に曲がろうとする場合、右折車と左折車では左折車が優先なのに、右折車が曲がるのを待っている運転者。あるいは、横断歩道を渡ろうとする歩行者は当然自動車よりも優先なのに、車が行くのを待っている歩行者などです。どちらも相手への配慮の気持ちからなのでしょうが、この場合はそれよりルールを優先すべきではないでしょうか。見方によっては、なんて人がいいのでしょう、とも言えますが、人の良さゆえに人を傷つけてしまうこともあるわけで、相手への思いやりがかえって危険を招いてしまうことがあるように思います。また、別の見方をすれば、それだけルールが軽視されているということかもしれません。違った意味で、とても危ないことです。

■quarta-feira,6,setembro,2006
 今朝は気温がぐっと下がって、朝のうちは肌寒いくらいでした。それでも、日中はまだどこかじとっとしていて、風に机上の書類が飛ばされたりして、夕方には雨まで降り出して、あまり快適とは感じませんでした。もっと気温も湿度も下がってくれるといいのにと思います。いちばん快適な季節はいつでしょう。思い浮かびません。4月以来、なんだかいつも湿った感じがつきまとっているような気がします。

■terca-feira,5,setembro,2006
 デジカメの中に、先月撮った写真がまだそのまま残っています。写真用の硬い紙に印刷して、早く配らねばと思っていながら、今に至っています。以前のフィルムのカメラだったら、写真屋でプリントしてもらえばよかったのですが、今ではすべて自分でやらなければならなくなりました。仕事として難しいわけではありませんが、まとまった時間がないとついつい後回しになってしまいます。今の写真屋には、自分でデータを持ち込んでプリントできるような仕組みがありますが、それを使うくらいなら家でやればいいと思ってしまいます。世の中便利になったとはいうけれど、そのぶんやらなければならないことが多くなって、かえってしんどくなっているのではないでしょうか。

■segunda-feira,4,setembro,2006
 ヨーロッパのある国では履歴書に写真も載せないし性別や年齢も書かないのだと聞いて、それって当たり前じゃないのかなと思ったのです。ところが、日本ではどうだったかなと考えてみたら、わかりませんでした。写真は載せますでしょうかね。載せるとしたら、それはなぜでしょうね。むしろこれらの情報は、履歴書には載せるべきではないと思います。
 きょうはレイバーデイでした。つまり、夏休みの終わりです。今年の夏はどんな夏でしたかという質問に、ラジオの出演者たちが一言ずつ答えていました。みんな忙しかったと言っていました。そして、それを肯定するムードがありました。とても前向きでした。
 社会が違うというのは、たいへん大きなことです。二つの社会の間でこんなにも自分の感覚が揺れ動いていることに驚かされます。

■domingo,3,setembro,2006
 いつもと同じ時間に出て、6時過ぎに帰宅しました。日曜日には、あれをしようこれをしようと思っていたのですが、今現在何も手についていないという状態です。これでまた明日から新しい週が始まってしまうというわけです。おそらくはこの感じが少なくとも3月までは続くのでしょう。こんなふうにして十何年も同じことを繰り返してきたのだと思うと情けないのですが、それが嫌なら今すぐにでもやめればいいだけです。それができないのは誰のせいでもない、自分の責任です。いつかこの落とし前だけは自分できっちりつけようと思います。

■sabado,2,setembro,2006
 午前中には少しゆっくりしました。コーヒーを飲んだのは2週間ぶりくらいかなと思います。コーヒーを淹れるくらいの時間がないわけではないのですが、わざわざ淹れて飲むだけのゆとりがもてなかったのでしょうか。あるいは、熱い物を飲みたくなるような気候ではなかったということかもしれません。この時間に、ページを更新したりしました。
 その後、叔父の家に打ち合わせに行ってきて、昼からは仕事にでかけました。帰ってくると6時過ぎ。帰りがけに買ってきた雑誌を眺めていると眠くなりました。あとはもう何も頭に入りませんでした。

■sexta-feira,1,setembro,2006
 9月に入りました。風がどこか変わってきました。とはいえまだまだ残る蒸し暑さ。お盆以降停滞気味だったので、ここらへんから少し気を取り直していってみましょう。自分なりに言葉を紡ぐことをしていないとどうも物が言えなくなってしまうと感じています。気分を変えて、久しぶりに敬体日記にしてみます。写真は先月訪れた桂浜から太平洋を望んだ一枚。もうずいぶん前のことのよう。


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