2007年8月 

■venerdi,31,agosto,2007

 朝の時点では雨は降っていなかった。けれど、気象情報によると、じきに雨が降り出し、午後にかけて雨脚が強くなることは明白だった。判断はさまざまだろうけれど、きょうのことには疑問が残る。

 朝から晩まで、怒りを伴った疑問が、頭の中を渦巻くので、まるで、蠅が目の前を行ったり来たりするような感じで、ひじょうに、うるさい。

 もっと楽に生きたい。楽に生きたいと思う。普通に、平凡な、安定生活。でもそんなものはもうない。みえない雨の中で傘を広げてただ立ち止まっているだけの自分がいる。雨が止むことはない。どうにかしてこの雨の中で、泳ぐ法をあみださなくてはならないのだ。

■giovedi,30,agosto,2007

 ある人のブログを読んで身につまされた。こんな無名の寂しさがこの宇宙には充満している。けれど、そんなものは何を生み出すわけでもなく、はじめから何もないに等しいのだと思った。泡のような無数の人生。そのうちの一個があの人であり僕なのだ。そんなことを考えていたら、どうしようもなくむなしくなった。

 僕は毎日どこかで失われる命を愛おしく思うと同時に、それを自ら絶とうとする気持ちもわかるような気がする。抱えているものが大き過ぎるのか小さ過ぎるのか。もし何もないと思えば楽に死ねるのかもしれない。けれど、もし無名の人々の透明な叫びを無駄にできないと思えたら、それをなんとかして形にしようとするだろう。そうしたら、どうしても自分との対峙を避けることはできない。だから、こんな生でも簡単には投げ出さないと考えるだろう。

 

■mercoledi,29,agosto,2007 

 何ができるか。いったい何ができるのか。個人的に果たせなかったさまざまな夢を置き去りにして、いまがどうとか、これからがどうとか、いうなよ。

 郵便局でおもしろい人をみた。「速達」と言ったきり他には最後まで何も言わなかった。偉そうだった。お客だから偉いのか、対人関係をつくるのが下手なのか。僕はやばい人生破綻型日本人の姿をみた気がした。こんな人にはなりたくないと思った。ということは、僕もあの人と近いのかもしれない。

■martedi,28,agosto,2007

 心穏やかでいられることを手放しで喜んでいいものか。こんなにめちゃくちゃな現実を前にして、心穏やかとは何事か。それはテレビの中のことではないよ。君自身のいまのことだよ。なんの試みもしないままに、時間は通り過ぎる。期待も希望も目の前を過ぎ去って、絶望すら感じられることなく感覚は麻痺していく。こうやっていつもと同じように眠りにつく。ただ二度と目を覚まさないだけ。

■lunedi,27,agosto,2007

 人間を知るというのはどういうことだろう。いくら会話をしても、同じ時間を共有しても、その人を知ることにはならないのか。僕のことをよく知らない人たち。アピールがないから。それじゃアピールするべきなのか。言葉で? それともどうやって。ほんとうは、地道にやることをやっていれば理解が得られると思っていた。言葉ではなくて生き様によって、気がついてもらえると信じてきた。

 間違っていたろうか。甘かったろうか。これまでの時間が無駄に思えてきたり、意味なく感じられたりする。だがきっとそういう気分のときもあり、反対に間違ってはいなかったと感じる日もあるに違いない。

 これを気まぐれというか。こんな姿は恥ずかしくて誰にも見せられない。だけどそれも紛れもなく自分の一部だ。自分でさえ、正しく自分を知るなどということは難しい。ましてや、あの人のことを知ろうとか、相手に知ってほしいとか、あなたのことをよく知らないからとか、誰に対してもそんなことを言える義理はない。

 空気のようにそれとなく伝わるものだけが他人にとっての自分のすべてだ。その空気が流れるのを黙って待つか。それとも、空気の流れをコントロールしようとするか。何もしないのはやはり愚かだと思う。

 僕の場合、こんなふうにしてまだまだ自分というものを日々紡いでいるような気がしている。

 

■domenica,26,agosto,2007

 自分を磨く努力ってどうするんだっけ。ただ考えているだけじゃだめなんだ。かといって、動けばいいというものでもないんだ。不満の募る日常にせよ、確かに一歩ずつ足跡をつけて、変化を遂げていくしかない。

 時代は自動的によい方向に変わってくれるなんて、妄想。舵取りを誤ったら船は迷走するし、沈んでしまうかもしれない。じゃ誰が舵を取るのか。一人一人が自分の船を責任もって操るしかないじゃない。学びって、誰に阿ねるでもなく、自分が自分にとって満足な生き方を得るための、手だてなんじゃないかな。

■sabato,25,agosto,2007

 朝から気持ちよく晴れた土曜日。何の予定もないのはいつ以来だろう。思い立って映画を観に。アルモドバルの「ボルベール」 三部作の最終章とのことだったが、そのうちでもっともやわらかい感じのする映画だった。スペインの風土がよく出ていたので、そこが興味深かった。

 その後本屋で仕事関係の本を買い漁り、パン屋でパンを大量に買って、久しぶりにマダムと少しおしゃべりした。

■venerdi,24,agosto,2007

 金曜日。気がつくと自分の他には誰もいない。ぼやきの虫がまた顔を出すけれど、とにかく明日は休み。

■giovedi,23,agosto,2007

 前に話を聞いていたのにすっかり忘れていた。自分のことばかり考えて相手のことを考えない自分。情けなし。無駄だと思われる時間ばかり膨れていく。自分自身でどうにでもできるはずの時間でさえ無駄遣いしてしまう。時間を大事にできない人は、お金も大事にできない。そんな人が他人を大事になんてできっこない。現にまた人を待たせてしまっている。

■mercoledi,22,agosto,2007

 午前中は土砂降り。午後まで引きずった蒸し暑さ。夕方にはさわやかな風と夕焼け。季節がまたひとつ進んだ。一年はあっという間。進むことと戻ることは同じ。秋という季節は好きだが、寂しさに包まれる季節でもある。さまざまなことを期待してしまうけれど、その期待の大半は裏切られることになるだろう。残りのほうが少なくなってきたから、先がわかってしまうこともある。ほんとうに大事なものだけに囲まれていたい。

■martedi,21,agosto,2007

 熱い思いを抱きしめる。湿気の中でどろどろになってしまえば、そのまま眠りとともに忘れてしまうほど小さなものだけれど。シャワーで洗い流して涼やかな風に当たりさえすれば、数時間はその思いに浸ることができる。あまりに不器用な自分。その自分らしい人生とはどれだけもどかしく切ないことだろう。だけどそれゆえ、自分には生きる値打ちがあるというものだ。

■lunedi,20,agosto,2007

 何もない月曜日。仕事をしていれば一日は驚くほど短い。しかし、後に何も残らない無意な日となる。いかに効率優先の世の中に生きているかということ。愛おしくなるような雑多な感情たちをすべて排除しなければ、日々を渡ることができない。そのくせ、後々まで残る思いというのは無造作に並べられた断片であり、むしろそこに思いもかけぬ物語が隠されたりしている。僕にも物語がほしい。

■domenica,19,agosto,2007

 だいたい毎年この時期には同じような心境になる。夏休みにいくら休んでも休み足りないから、こういう日曜日に思い切り羽目を外したくなる。できることなどわずかしかないのに、無理して遊んでしまおうとする。しかし、腹の調子はまだ悪い。日曜喫茶室を聞いてからたいした意味もなく車を走らせた。夕方強い眠気を感じて、一時間ほど横になった。日曜日はこうして疲れてしまうのが常、だったりする。

■sabato,18,agosto,2007

 早起きは三文の得という。土曜の朝にはさわやかな風が吹いた。書くということに改めて思いを馳せる。

 三日前から腹の調子が悪い。一時間に数回、腹全体に激しい痛みが走る。ちょっと前に患った症状と似ているけれど、下痢は大したことがなくて痛みがひどい。11時から21時までは仕事。その最中、周期的に苦しい思いをした。

 久しぶりに「世界ふしぎ発見」を見た。北欧もおもしろそうだ。伝統を重んじ、なおかつ世界の最先端を行く政治が行われている。

■venerdi,17,agosto,2007

 悲しいけれど、なんかこれは終わってしまった感じがする。短かった夏。

■giovedi,16,agosto,2007

 もう何の期待ももてないんじゃないかと思う。どうしてだろう。自分の意志に関係なく、仕事が始まる。送り盆の大切な日だというのに一日中猛烈な勢いで会議が続く。これはもうまちがっているとしか思えない。

  

■mercoledi,15,agosto,2007

 旅から戻る。募る淋しさ。僕が僕らしくあるということはこんなにも淋しいこと。

■martedi,14,agosto,2007

 人間として生きる価値はどこにある。

■lunedi,13,agosto,2007

 湿原でしばらく佇んだ。海岸に流れ着く石を拾った。

■domenica,12,agosto,2007

 旅のあいだ中考えていたことは、無駄だったのだろうか。

■sabato,11,agosto,2007

 この旅について、今は書く気がしない。

■venerdi,10,agosto,2007

 起きると目の奥に痛み。疲れが出てしまったか。わずかに風邪の症状もあり。二日間の緊張が出てしまったのか、あんなことでこんなふうになってしまう身体がうらめしい。

 夜の便でまた旅に出る。まだ何の支度もしていない。

■giovedi,9,agosto,2007

 暑い日。一日中会場に閉じこもりっきり。どこにいっても暑いがこれは我慢するしかない。裸足でコンクリートの床を歩いたり、立っていたりしなければならなかったので足が痛くなった。

 予定が延びたため帰りは電車を一本遅らせた。弁当続きだったためか少し便秘気味になった。帰宅は22時を回っていた。無事に役目を終えたのでほっと一息。そして、明日からが僕のほんとうの夏休み。

■mercoledi,8,agosto,2007

 早朝出発、一泊二日の出張は小さな旅のようなものでもある。堅苦しい服装と24時間勤務という制約があるけれども、見方によっては楽しい時間となりうる。こんなときに、ちょっと散歩に出るのが好きだ。

 会津若松の野口英世青春通りというところを小一時間ひとりで散歩。ところどころに古い建物が残る城下町。メリダの町を思い出す。僕の最も大好きな町の一つ。野口が黄熱病研究を行ったというその町はとても素敵だった。真夏のメキシコで、野口英世の像を一目見たいと案内所で聞いたけれど見つけられなかったのを思い出した。今では千円札の顔、野口英世の縁で会津若松とメリダが僕の中でつながりをもった。古い土産物屋で会津塗の栞やら洋画の絵はがきやらを購入した。長沢節という人のことを初めて知った。もう少しこの人のことを知りたい気持ちがした。この人の縁で、パリと会津若松もつながった。いろいろな物事が自分の中でつながりをもつ。それが旅の醍醐味だ。僕の大切な人たちもこの旅の中で再構成され、新たな出会いとなる。

 夜は部屋で気ままに過ごした。

■martedi,7,agosto,2007

 左上に出ている"g"の文字を消そうと思っていろいろいじっているうちに、この日の日記を消してしまった。どんな一日でもどうでもいい一日というのはないけれど、記録が消えてしまったことによって、なんとなく意味さえもが消えてしまったような錯覚に陥る、ということもある。

 実はこの一日にさまざまな下準備や資料の作成を行ったことが、その後の出張や休暇を有意義にするためには必要だったのである。ぎりぎりの仕事のようにみえて巧妙に仕組まれていた日程であったと、今となっては思えるのである。それではだれが仕組んでいたのか。さあ、それはわからない。

■lunedi,6,agosto,2007

 朝6時過ぎに家を出て昼まで。朝には呆れるというか腹の立つことが。日本のシステムって、恐ろしい…

 午後からは出張である会議に参加。暑さ、そして眠気との戦い。早めに終わったものの、蒸し暑さで身体はどろどろ。ほんとうに進めなければならない仕事も遅々として進まず。せめて髪だけでもすっきりしたいと思い、帰りに床屋に寄る。目を瞑っていると何度か短い夢を見た。

 遊ぶにも体力が必要。それは仕事に体力が必要なのと同じ理屈だ。優劣はない。仕事をしなければ食べて行けないのと同様、遊ばなければ生きて行くことはできないのだ。だからどうしても妥協はできないのだった。遊び人で結構。そして、遊び人でなければ仕事を全うすることなど不可能なのだ。

 ところで、僕はきのうときょう二日間まるまるといやな気持ちに苛まれていた。それが、夜に届いた一通の便りによって救われたような気になった。こんなふうに、気持ちが天国と地獄を行ったり来たりするのが最近の僕の流行。しかし、どうにか手を打たなければと考えるようになった。正確な情報を入手しなければならぬ。人間というのは実にいいかげんというか、繊細にできているというか、あまりに呑気というか、どういうことかよくわからない。

■domenica,5,agosto,2007

 朝一番の盛岡発で帰宅。午前中はごろごろして昼から職場へ。誰もいない部屋で一生懸命仕事をした。この日は夜にとある会合があり、その資料を作成しなければならなかったのだ。結局会議が終わってからは酒席となり、三晩続けて酒が入るということになった。帰宅は10時、非常に眠い。

■sabato,4,agosto,2007

 昨夜は遅かったけれど普通に起床。五反田から恵比寿までは二駅。デリで朝食を食べてからガーデンプレイスの涼しいところを見つけて10時まで読書。東京都写真美術館の世界報道写真展にいたく感動。麦酒記念館をぐるっと回って麦酒を一杯。渋谷の東急文化村でのヘアスプレーの公演。ブロードウェイからやってきた英語のミュージカルだったが、字幕は見なくてもまったく関係がなかった。表情がわからなかったのでちょっと残念。

 今回の旅でパフォーミングアーツの素晴らしさを久しぶりに堪能できた。そして、ミュージカルの良さをたくさんの人にもっと広く知ってもらいたいと願うのだった。

 旅は終わりではない。この夜は盛岡で恒例の会に参加。ワインを飲み、最高のパンと料理を食す。頭はぼーっとしていたので思ったようには会話に噛めなかったのだけれど、それもしかたないか。

■venerdi,3,agosto,2007

 何の気兼ねもなくというにはいろいろあるのだけれど、休みだから思い切って休むことにした。新幹線の中では読書。電車を乗り継いで何の意味もなく降りた千駄ヶ谷には国立能楽堂。展示室を見てから小さな道々を南下、表参道を通って根津美術館へ。ところが美術館は跡形もなく長い工事中。岡本太郎記念館を見学。

 宿は五反田。目的はミュージカル。キャッツシアターの客は若い女性が圧倒的。しかもリピーターが多そう。まだまだ開拓の余地があるということだ。日本でミュージカルを観るのは初めて。こぎれいで、ステージに立つ人たちも客席に座る人たちもなんだか大真面目に見えた。そして、曲がとても美しいと思った。ミュージカルの感動は、英語だろうと日本語だろうとあまり関係がないのだと感じた。

 その後新宿のバーで弟たちと再会して二時間ちょっとの会話。最近じゃなかなか三人で揃うということもない。バーは小さくて時代を感じさせるつくりだった。そしてマスターの不思議な人柄。ああいうスタイルは嫌いではない。また会いに来ることになるかもしれないし、そのほうがおもしろそうな気もするし。

■giovedi,2,agosto,2007

 8月の感じがしない。暑いし、外に出ている人たちは日に焼けて真っ黒だし、季節は夏以外にはないのだが、今までの8月と何かが違うような気がしていた。おそらく、何もしないで縁側でのんびりと過ごすような時間がまったくないからだろう。朝風呂のあとに冷えたトマトなんかにがぶりつきながら何にも考えず庭を眺めるような時間など、以前のようにはもてなくなってしまったから。そんな時間を過ごせるのが、8月だった。

 今は頭の中が休まらないほど次から次へと仕事がらみのテーマが脳内を行き来する。上からは休みを十分取るように言われるけれど、結局は、やらなければならないことばかり。これほど余裕がなくなったのは、そういう年代だからなのだろうか。休日出勤もいいかげんもうなしにしたい。きょうは自分たちのやっていることがとてもばからしく思えてきて、途中ですべて投げ出したくなった。もちろん投げ出しはしなかったけれど。この季節のあり方については、やはりカナダのそれと比べてしまうのだった。休むために休む、なんていう当たり前のことがどうしてこうも難しいのだろう。

 などと文句を書き連ねつつも、もちろん休むつもり。それがなくて仕事などやっていられない。

■mercoledi,1,agosto,2007
 盛岡市のハンギングバスケットの数が日本一になったという。新渡戸稲造ゆかりのビクトリアでの取り組みにヒントを得たとのことだが、実はカナダではどんなに小さな町でもこのハンギングバスケットが通りを彩っている。駐車場に車を止めて、商店街を歩いてぐるっと一回りするのが休日の楽しみの一つだった。何を買うというわけでなくとも、目に映る花と緑と建物と人々が織りなす風景を眺めながら歩くだけで楽しいのだった。日本でももっと花を飾ることを意識的にやればいいのにと思っていたので、盛岡のこのニュースは素直にうれしい。
 日本一といえば、盛岡のさんさ踊りが今のような形で行われるようになって30年目だそうだ。小学校の運動会でずいぶん踊ったものだが、考えてみれば盛岡の夏祭りとして始まったのと同じ時期ではないか。その頃は今と踊りの形も違っており、今ほど太鼓が強調されていたわけでもなかったような気がする。学校が地域を引っぱって、町起こしをしていた時代だったのだなと思う。あれが今や世界一となった太鼓パレードの発端だったと思うと感慨深い。
 さて現在。地域住民は分断され、学校や教員は地域を引っぱるというよりは地域に振り回されている感がある。金にしか価値を認められない大人が主流となっている時代。社会全体、人を育てることにはどうも無関心である。観光=集客であり、町に金が落とされることが祭りの最大の意義となってしまっている。しかし、花も祭りも金儲けのためと考えたらおもしろくもなんともない。その点、盛岡の取り組みは健闘しているといっていいのではないだろうか。
 祭りに限らず、町に出るということはさまざまな刺激に出会うということである。それが素敵な刺激であれば人は素敵に変われる。他県からの客は少ないより多いほうがいいだろうが、もし客に学びの意識がなくただの物見遊山であれば、旅にそれほどの意味はない。人が輪になって踊ることでまさに人の和ができる。一体感が生まれる。それは見方によっては一種の修行であり、人間を高める手段となる。町というのは人が多く集まるところであり、多く集まるとそこに学びが生ずるからおもしろいのである。だから、人が足を運びたくなる。訪れる前より素敵な人間になって帰ってもらうこと。祭りの作り手、町の作り手なら、そこを常に意識したいし、旅人を標榜する者としてもその視点を第一に考えたい。


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