2007年4月
■lunedi,30,aprile,2007
 遺跡を訪ねる。ボランティアガイドのうまさのためにここに集まった人々の満足感は増幅されただろうと思われる。よい休日。長かった4月よさよなら。

■domenica,29,aprile,2007
 午前中は身体をくねらせて、締め付けられたり、蹴られたり、腰に大きな痣ができて、寝返りも打てないほどに痛みが走り。昼にはラジオを聴いていて、知らぬ間に眠りに落ちていた。
 遅い昼飯を食いに出た。坦々麺を頼んだら冷やし坦々麺が出てきた。そういう時期。
 何の準備もなく電話をする。ただ声が聞きたかっただけ。というわけでもないや。miss you という感情。

■sabato,28,aprile,2007
 ここからバスを使って盛岡に出るには、大迫まで行って乗り換えるしかない。天気もいいので、午後からの小旅行気取りで夕方の河南を散歩する。夜桜見物の若者たちとすれ違う。公園のアルコール臭さを敬遠して、僕はあえて名所を迂回する。
 友人たちとはもう一年以上会っていなかった。二人はまったく貫禄がついて、すっかり大人に見えた。年相応に見えないことはもう恥でしかない。
 祖母がまた僕を褒める。百近くなってもなおひとりの女性として行き続ける彼女をある意味稀有な人間だと思う。いまとは違う時代に、生まれたかったね。

■venerdi,27,aprile,2007
 ほんとうのお休みというのは、仕事のことを考えないものだ。ほんとうのお休みか。そんなものがどこにある。世界のどこに行こうと50歳までは仕事のことだけを考えて生きようというのが、この試みだ。

■giovedi,26,aprile,2007
 落ち着いて考えるゆとりがほしいなんて、夜を迎えればもう眠くて仕方なくなる。やりたいことをやるには、眠っていてはいけないのだろうか。連休には久しぶりの人たちと会う約束。みんなにむけて誠意や愛を発信したい。

■miercoledi,25,aprile,2007
 なるほど気が付かなかったけれど、顰蹙を買っていたのね。いろいろうるさくてすみません。気持ちを集中させようとすると、周りが見えなくなってしまうんだよね。それは当たり前ではあるが、それではいけないのだろうね。でもそんなことはどうでもいいといえるほど、朝には励まされたのだった。どんなにたいへんなことがあっても、それを思い出せば元気になれるというような。

■martedi,24,aprile,2007
 人のことを喜ばすにはどうすればいいのでしょう。人が心からうれしいと思ってくれたら、自分も心からうれしいと思えるでしょう。人の喜びというのはまさに自分自身の喜びなのだ。というのはもう過去の価値観で。人への思いやりなんて、金では買うことはできないのに。人の気持ちなんて、金で満たされることなどないのに。これが資本主義のなれの果て。どんどん薄っぺらな人生になっていく。

■lunedi,23,aprile,2007
 感情は入らない。雨だろうが晴れだろうがかまわない。やるべきことをやるだけ。

■domenica,22,aprile,2007
 何をしたか思い出せないほど新しいことを何もしていない。とにかく毎週うどんだけは食っている。こんどは讃岐にいかなきゃあ。

■sabato,21,aprile,2007
 紫波にもうまいパン屋がある。盛岡に行けない時の代用といったら失礼か。生真面目な職人は、生真面目でさえあればいい仕事ができるようになる。というよりも、生真面目であるということはいい仕事を追求しようという姿勢があるということだから、仕事ができるようになって当然なのだ。志の問題と、能力の問題は別物。問われているのは、能力ではないのだ。

■venerdi,20,aprile,2007
 スポーツなんかで気持ちが晴れるというのは素晴らしい。甘い物を食って幸せになれる人は素晴らしい。何か夢中になれることが見つかれば、生きていることが楽しくなるってほんとうだろうか。こんな世の中でも? 憂国の民は、どうやって明日を迎えればいいのだろう。観ないふりをしたり、諦めたり、自分を騙したりしながら。条件付の幸せなんて叶うはずがないから、僕は自分を受け入れようとする。

■giovedi,19,aprile,2007
 たいして何も思い浮かばない。繋がっていたい人とは繋がらない。ガラスの動物園。この国を出るだろう。この国を出よう。この国を捨てようか。この国を捨てたいのだろうか。まるで抜け殻のようにこの入れ物を抜け出すことができたら。

■miercoledi,18,aprile,2007
 珍しく一度も目覚めることなく朝を迎えた。変なウイルスがどこかへ飛んで行ったような気持ちのよい朝となった。こんなふうにしてくるくると日々は回る。そして、きょうの一日もだいたい想像がつく。

■martedi,17,aprile,2007
 この日も夜に胃が痛み出した。どうしてこんなふうに苦しまなければならないのか。理不尽な痛み。こうやって何もいいことがないままに早死にしてしまうのかな。と弱気になる。早めの就寝。

■lunedi,16,aprile.2007
 調子が戻らない。目の奥が痛い。時々ひゅっひゅっと気を失いそうな感じになる。夕飯を食べ、床に就いてしばらくしたら、激しく胃が痛み出した。何を食べたっけ。カレーも食っていないのに。救急車呼ぼうかと真面目に思ったくらいだ。12時過ぎまで痛みは引かず。やはり体が弱ってるのか。

■domenica,15,aprile,2007
 なんだか左目の奥が痛い。視神経使い過ぎだろか。まだ何かのウイルスが体から抜け切っていない感じ。僕がこだわっている事柄についていえば、もうあまり思うとおりにはならないのだろうと、諦めがちな気持ち。○○しさえすれば、なんていうことを考えた時点で、もう終わっている。何が悪かったのかなと思う。

■sabato,14,aprile,2007
 一晩寝たら熱は下がった。昨夜の不調は何だったのだろうというほどすっきり目覚め、仕事に。無理は禁物と体は動かさず、もっぱらデスクワークにて午前を過ごす。昨日はまったく進まなかったことが今日はすんなりと進んでひと安心。午後からは車の定期点検のために盛岡へ。3時間強という時間を雨の中の散歩に費やす。ところどころで梅の香り。

■venerdi,13,aprile,2007
 午後になって急に発熱。それに関節の痛み。これはまずいと年休を取って帰宅、就寝。こんなふうにして休むのは久しぶり。これはきっと風邪ではなくて、頭のふだん使っていないところを使ったからではないかと。布団の中でうなされながら、パズルと格闘していたよ。

■giovedi,12,aprile,2007
 いとも簡単にこういうことが採決されてしまうのだ。そんなことにすらあまりに無関心なわたしたち。日本が平和なまま続いていくとは限らない。恐ろしいことだが、為す術はない。いったい何ができるのだろう。僕は逃げ出したくなってしまう。

■miercoledi,11,aprile,2007
 先週よりも何倍も長い今週。ようやく水曜日。当たり前のことを当たり前にやることは難しい。当たり前だと思うこと自体が、少しずつ増大していって、自分の能力が追いつかなくなる。これまでよくやってこられたものだ。何もわかっていなかった。と、そんなことばかり感じる。
 
■martedi,10,aprile,2007
 スクリーンセイバーの次々と変わる写真を眺めながら、しばしの間夢を見る。いい夢を見ましょう。いい夢を見ましょう。

■lunes,9,aprile,3007
 人生観をすべてぶつけて一枚の書類を作り上げる。もちろん伝えることが目的だから、伝わることが大前提なんだけど、その伝わるかどうかに、人生がかかっているのだった。そんなとき、生き方が試されてると感じるよ。
 人間のこどもというのはせいぜい2、3人というところ。現代のわが国では2人いれば多いほう。それを考えたら、僕らのやってることって。すべて投げ出して何百人何千人のこどもたちを育てるというのは、どれだけ素晴らしいことだろう。

■domenica,8,aprile,2007
 朝の太陽を見ながら風呂に入ったんだ。腹いっぱい栄養のある食べ物をいただいたんだ。そうして朝のドライブ。すると、コーヒーを飲みたくなって、でも、この街じゃコーヒーを売ってるところが少なくて、マクドナルドなんかにいって、コーヒーを買ったんだ。味は悪くはないけれど、僕はフェアトレードに関わりたいんだ。くーっ!
 セントクレア・ウエストのエリントンで買った、少々高めのこだわりの一杯のありがたみが、今になって沁みる。ほんものはいい。ほんものを愛せるようでありたい。だが、ほんものはいつも近くにはない。ほんものは、ほしいときに手に入らない。なぜそう思う? それって、ブラインドということ? 心が閉ざされているということ?

■sabato,7,aprile,2007
 午前中は例によって仕事だった。全体的に活気に満ちており、僕はかえって憂鬱な感じが増した。ワープロをたたくことも多かったが、走った距離も長かった。疲れるのは嫌だけど、それだけ力がつくなら迷うことはない。なんといってももう不惑ですから。昼には新しいうどん屋を開拓!で、うどんを頼んだつもりが出てみると蕎麦だった。うー、うどんはまた今度だ。
 帰宅すると眠くて眠くて3時間くらい昼寝。元気回復して夜から盛岡へ。2月に初めて参加したパンとワインの会、2度目の参加。前にいっしょにいった方々は来なかったので、始めはちょっと緊張しましたが、途中からはとても和気藹々とお話することができました。リフレッシュというか、われわれの業界にもこういう刺激は普通に必要だと思う。視野が広がるよ。どの業界も、関係者だけで固まってちゃ発展しないよね。

■venerdi,6,aprile,2007
 今度の初日は気楽とはいきませんでした。かなり緊張いたしました。そして、舌をかんじゃいました。でも、金曜日の午後というのはなかなかいいもので、明日少しはゆっくりできると思うと疲れも吹っ飛びそうです。で、終了して、夜に数人が残った段階で、さまざまな欠落が発覚。うまく流れない原因が新しい目で明らかにされていく。目から鱗。というよりも、それだけ自分らの目が曇っていたということだ。組織の入れ替えというのは、やっぱり必要なのだ。

■giovedi,5,aprile,2007
 気楽な立場で初日を迎える。朝の雪には面食らったけれど、午前中にはすっかり跡形もなく消えてしまった。車に付いた黄砂も落ちたのでよし。雪はすべてを雪ぐのであった。向こうでつくった詩と写真は、先月いっぱいで削除されてしまったらしい。バックアップを取っておいたつもりが、途中までしか入っていなかった!ちょっと残念。でも、どうということはないさ。またつくればいいのだから。

■miercoledi,4,aprile,2007
 とにかくいろいろと会議が多い。その割には、さまざまなことが周知徹底できないのはなぜだろう。僕の参加態度が問題なのかな。それとも、それだけ職場に余裕がないのかな。一週間は長いかなと思っていたけれど、そうでもない。夜も遅いけれど、どうということもない。置き土産のカップラーメンを開けて、一人になった机で食べる。味は悪くない。でも、これを癖にしてはいけないな。

■martedi,3,aprile,2007
 四月が長いというけれど、、それはどの業界でも同じなんだろうね。この一週間。最初が肝心というけれど、これもどこでも同じなんだろうね。力が入って当たり前。それでなけりゃ、いい仕事なんてできないというもの。きょう変な言葉をきいた。「愛のない仕事」 愛のない仕事は仕事とは呼ばないんじゃないだろうかと思ったよ。

■lunedi,2,aprile,2007
 書き言葉には敬体と常体の二通りがあるなんて説明はいまじゃ国語の授業でも通用しない。これまで言葉で自分の型枠を決めちゃってたところがあるから、アプリーレにはそれを壊したり広げたりすることを考えてみるんだ。実際問題としてね。きょうから始まった新年度、僕自身どんどん変貌していかないと置いてかれる。ていうより、全体がうまく回らなくなっちゃう。そんなプレッシャーをばんばん感じる。
 否応なしに、試されてるんだ。なぜ?なんのために?決まってるさ、僕自身の幸せのために。
 
■domenica,1,aprile,2007
 スマートに生きたいけれど、現実はそううまくいくもんじゃない。カンファタブルな生活に憧れながら、部屋は荒れ放題。ほんのちょっとのことなのになかなか片付かないままだったりするんだ。きょうだって、時間はあったくせに何もしようとしなかった。まるで、問題の核心から逃げ回っているみたいじゃないか?
 なりふりかまわず進んできたつもり。でも、ちょっと飛び上がって俯瞰してみたら、これって停滞と変わりないじゃない。振り返りながらもこの先のことをいつでも考えたいんだなんて、言い訳に聞こえてしまうじゃない。
 新しい年度の最初が日曜日というのは、区切りとしてはいちばん。でも、この一週間が長いんだな。

Since 2000,2,11 Copyright(C) 2000-2007 Yu,All Rights Reserved.