2007年12月               

■lunedi,31,dicembre,2007
 目覚めると一面の銀世界。夜のうちに相当な雪が積もっていた。やむを得ず旅の予定を大幅に変更。何せ目的地ごと変えるのだから。いくつかの手続きをネットで行い、いくつかの電話をかけてキャンセルやら予約やらを済ませる。目的地がどうであれ、とにかく旅に出たいという心境になっている。いまのところは旅をすること自体が目的になっており、ほんとうの目的は進むと同時に新たに発生するものかもしれない。行ってみたその先でまた興味が広がり、出かける前には思いもしなかった出会いが待っている。旅とはそんなものではないか。とまあ、この日のいきさつを振り返って、旅にもっともらしい意味づけをする。
 日記のいい点も、ここらにあるのではないか。過ぎた日々をそのままやり過ごすよりも、そこに立ち止まってそれらの意味について考えてみる。それによってまた次の方向性がみえてくる。そんなふうにして、ここ何年間かを生きているようだ。

■domenica,30,dicembre,2007
 遅まきながら年賀状を作成。住所のわからない人がいて、しかたなく職場に行き確認。当然ではあるが誰も出ていない。さすがというかなんというか、自分がもっとも情けない。開錠し10分で施錠。帰宅途中で投函。
 ところで、正月前の誤配が各地で問題になっているようだ。どこかで気づかないのかと不思議だが、もし高校生のアルバイトが配達するとすれば、ムリもないかなとも思う。思慮のなさ過ぎる若者が多い。無論若者に責任はなく、若者を育てられないこの国の社会がどうしようもないところまできているということではないか。
 月命日ということもあり墓参。今年もここまでくることができたことを感謝。部屋もすっかり片付けて、あとは正月を迎えるばかり。夜には今年最後ということで、北上のきくすいというところで食事をした。

■sabato,29,dicembre,2007

 耳の調子がまた悪くなった。これまでのことを振り返ってみると、どうも休みに入ったときに症状が出ているようだ。きょうはもう年末だから、病院もやっていなかった。もう治ったと思った日からわずか半月ほどで同じ症状が出るなんて、改善されているとは言いがたい。一週間以上放置していたら治らなくなる可能性があるという。だめかもしれない。

 こうやって年を取るごとに身体のあちこちが故障してくるのだ。若くて健康な時代なんてそう長くないと、わかったときにはもう遅い。身体がせっかく何でもできるときに頭の方がパーだから、何一つうまくなんてできないんだ。バランスが悪い。

 厄払いをしようと思う。年末年始に家にいるのも嫌だし、この調子だと本厄の来年はもっとよくないことが起こりそうだから。

■venerdi,28,dicembre,2007

 仕事納めだった。午前中は盛岡だった。帰ってくると2時で、そこからまた人と会った。その後、書類などを整理しているとすぐに3時を過ぎた。昼飯がまだだったので、パンを買ってきて食べた。充実感も達成感もない。ただ一区切りがついただけで、また来週には続きが待っている。勤務が、以前のように緩やかな態様ではなくなった。柔らかい頭で考えていいお仕事を成し遂げるには、休むことが必要不可欠なのに、この国じゃ休むことがまるで罪悪みたいに扱われている。そして、休みは休みで忙しく立ち回らなければならない。

 どうしてそういう方向に突き進みだしたのか。日本人にはお人好しが多過ぎるのだろう。楽しいことはちょっとしかないが、僕は僕で何にも流されずに生きよう。

■giovedi,27,dicembre,2007

 仕事も手につかないほどの悩みはない。それは、悩まないということではなくて、仕事と別のこととをきっぱり切り替えてやっているという意味だ。夜にひとりでいると、空の孤独な魂が降りてきて僕に話しかける。「普通」ということがあまりに羨ましく思えたりして、「普通」でない人生を恨めしく思ったりする。しかし、これは誰に頼って解決できるものでもないから、自分でなんとかしなければならない。

 誰にも頼らず生きる人生か。その中で誰がどんな選択をしようとも軽蔑はしない。ひとりひとりが自分に最もふさわしいやり方を模索し、選び、実行する。毎日の時間を必死で生き残っていこうとしたり、そうしようとしなかったり。どんな選択も他人がとやかく言えるものではないということを、忘れてはならない。

 このままひとりで生きていくのかと思うとつらいけれど、たとえ、誰と出会っても、誰と肩を並べて歩くことがあっても、やっぱりいつまでもこのままひとりでいることには変わりない。それが、僕にとっての「普通」の考え方だ。

■mercoledi,26,dicembre,2007

 昨夜は宴会だったが、酒はあまり飲まなかった。二次会だってだらだらやっていたから、仕事のことなど熱く語り合うような時間まで、起きていることはできなかった。そして、一年の疲れをとるというには、まだ仕事が残っており、解放感など欠片もない。

 今朝は5時起きで風呂に入り、朝飯も一番乗りでその宿を抜けた。高速道路で行かなければならないところまで、急ぎ車を走らせた。午前でその場を去り、職場に戻っては夜まで仕事をした。こんな日を前にゆっくり酒など飲むことができようか。まあ、酒など一生飲まなくたってどうということはないのだが。

■martedi,25,dicembre,2007

 もう冬至を過ぎている。新しい太陽が昇り始めているというのに、まわりは暗くどこからも光は差してこない。矛盾だらけの人生。毎日別の心が表に出るから、きのうときょうの顔も変わる。それは、まったく別の人格になるということではなく、その時々によって膨らんだり萎んだりして表に現れる心境が異なるということだろう。相反する感じ方や考え方の人物たちが、この狭い骸骨の中に同居して、押し合いへし合い暮らしている。そんなイメージが浮かんだ。

 2007年よさようなら、か。この年になって、僕はどんなことに対しても寛容さが増した。と思えるふしもあるけれど、またある面では許せないと感じることがひじょうに多くなってきた。自分に厳しく…というけれど、あるときは他人にも厳しく当たりたいし、自分のことを過保護なまでに甘やかしたいと思うときもある。でも、誰にだって、尊敬すべきところはあるのかもしれない。そしてまた、全否定ということがもたらす悲しみを繰り返したくはない。すべての人を許すのは、難しいけれど必要なことなのだと思う。

■lunedi,24,dicembre,2007

 眠ったのは今朝の4時過ぎ。7時には小雨の中を歩いてバスの発着所に向かった。バスではさまざまなことを考えていた。これまで望んできたようなことはかなわないかもしれないけれど、それもまた人生のひとつのかたちなのだ。自分のあり方だとしたら、受け入れるしかない。それを不幸とは呼ばない。

 むしろ、これまでの人々との出会いを幸せと呼ばなかったら罰が当たる。そうしてこれだけ飽かず言葉を交わせて、理解を深めていけるのであれば、そのことに感謝を捧げなかったら嘘である。出会った人の願いがかないますようにという願いほど、尊いものはない。だが、それを願えば願うほどに自分の願いが遠ざかってしまうとしたらどうだろう。こうやって神様は僕を試しているに違いない。こいつにはどれだけ誠実さがあるのか。どこまでやったら化けの皮が剥がれるのか。そんなふうに、実際の神様は呆れるほど意地悪だ。

■domenica,23,dicembre,2007

 朝から少し雨がぱらつき、ほんとうならというより自分の住む場所なら雪だろうにやはりこちらは暖かいのだ、ということを実感。それでも朝の歩道や橋は少し凍って滑りやすくて、何度か転びそうになった。同じこの橋をきょうは何度も歩いて渡った。

 世界を渡る人の話を聞いた。品格の違いを感じる人物だった。表情の素敵な大人になりたいものだと思った。何人もの人たちに助けられて日が終わる。ありがとうを言うのはこちらのほうで、欺く危険をはらむのもこちらのほうで。誰も悪い人はいない。いつまでも心配なのは自分という人間の存在。

 誕生日には花を買ってという言葉が数日前から頭の中で鳴っていた。喜ぶ顔が見たいから、そのためなら何だってする。そんな動機で行うことほど素直な魂もないだろう。雨さえ降り残してしまうような素直さで、微笑んでその花を差し出したら、気持ちは心に届くものだろうか。

 あなたがいるという事実が僕を生かすとしたら。あなたが生まれた日を祝福せずにはいられない。

■sabato,22,dicembre,2007

 冬至だ。一日の大半を移動に費やした。電車とバスを乗り継いで、到着は14時過ぎだった。そうして、古くて旅館らしい旅館に泊まった。これも、楽しみのひとつと考えた方がいい。24時間戦えますかというコマーシャルがあったが、戦えないし、戦う必要もない。戦うという言葉を、楽しむに変えたらちょうどいいかもしれない。24時間楽しめますか。んー、それでも少し違和感が残るか。戦わず、楽しむこともせず、眠っている時は黙って眠っているわけだから。いちばん大切なのは、休んでいる時間、何もしない時間かもしれない。

■venerdi,21,dicembre,2007

 きょうで大きな仕事は一段落。日常とは少し離れて、たくさんの人たちと少しずつ対話しながら理解し合ったり、なかった視点を補い合ったりするのは、楽しいことだ。だから、快い疲れといってよい。言い換えれば、日常の中でそのようなことがじゅうぶんに行われていないということでもある。大きな問題だ。

 明日からの三連休は仕事がらみで旅に出る。しかし、楽しみなこともある。

■giovedi,20,dicembre,2007

 申し込みの期限がいくつか重なって手続きに追われた。年末ということで、後に回していた支払いも済ませた。払うつもりで行った店でもう支払済だと言われたり、支払うべき金額よりも多く支払ってしまったりということがあった。かけ算の単純ミス。自分でもおかしい。しかし、額を確認せずに領収してしまう側にも問題がある。

■mercoledi,19,dicembre,2007

 どうしても不合理なことがあって電話した。そんなことが二件続いた。結局はこちらが引き下がらざるを得なかったのであるが、納得はできない。気持ちはわかると言われても、それが変化として表れなければ何の意味もない。つまりは、これまでと同じやり方でやるのが担当者として楽だというだけであり、けして実態に合ったものを作ろうという意欲などどこにもないのだ。そして、こちらがふりまわされてばかり。

 自分が納得のいかないまま仕事を進めたくはない。いつのときもそこが大きな境界線となる。

■martedi,18,dicembre,2007

 きょうから少しリズムが変わった。気持ちは意外と冷静で、肩の力を抜いて仕事に当たれる。夜はかなり早く終わるし、少しは自分の時間が持てる。だが、そんなときに限って眠くなったり、変な邪魔が入ったりする。そのうちに今週も終わってしまう。そのうちに今年も終わってしまう。そのうちに…

 

■lunedi,17,dicembre,2007

 いのちの事実について、僕の感性は冷淡だ。生老病死をそのまま受け止め、押し寄せる感情を凌駕しなければ、自分を生かすことができなくなるから。これは大学時代からの死やいくつもの喪失体験からきているのかもしれない。偶然と呼ぶにはあまりにタイミングよく、死神の乗り移った犬が夜通し吠えて、一晩中眠れなかったことを思い出す。たとえ誰も呪っていなくとも、呪いにかかるということはあるのだろう。その呪縛を解く鍵はやはり自分自身がもっているのだろう。夢のため、未来のため、大丈夫これからもこうして生きていけそうだ。

 

■domenica,16,dicembre,2007 

 素晴らしい体験は誰かと共有したい。これは人間の根源的な欲求だろう。受話器の向こう側の人との会話でひとつの物語を紡ぐ。なんて素敵なこと。これが目と目を合わせて話し合えたら、ひとつの結論を導きだせたら、どんなに幸せなことだろう。お互いの未来について語り合ったり、旅のことを相談したりできたら、それこそが人生と呼べるものになり得るのではないだろうか。

 細道を車で走りながら、先日入りそびれたカレー屋に向かう。途中のラジオは雑音混じり。山が近くなると雪がちらつきはじめ、どこから見ても冬の風景が広がっている。それにしても食い物の店を巡ってばかりの日曜日が続く。こんなことでもしも52週間が過ぎたらそれで一年は終わる。ああ、もっと素敵なものごとについて、探求できる日々であってほしいものだ。

■sabato,15,dicembre,2007

 夢を見ているときに考えることはすべてが夢であって、その実質ではなく周りを取り囲む雰囲気あるいは気分といったものを、自らの未来の姿と誤解してしまう。それは一種の華やぎであり、心の銀幕には自分の将来というものがどうしようもなくロマンティックに映し出されるものらしい。だからこそ、夢見る頃の感性は宝石のような価値をもつ。

 しかし、それは現実を直視することとはまるで違う。ドラマチックな展開など虚飾でしかない。現実はもっと複雑怪奇で困難を極めたやっかいなものであり、その中で喘いでいる自分は実にぎこちなく頼りない。そのくせ時間は冷淡に過ぎ去ってしまうのだ。

 あの日々について、いまやっと僕は、ひとつの夢を叶えたのだという自覚に至った。それとともにまた次の夢を見はじめたのだといってよい。自分を支える土台が大きく揺らぎ始めていることを感じる。そんな自分の感性を信じつつも、暗く息苦しい空間を手探りで進んでいかなければならないことに、恐怖ばかりではなくむしろ楽しみや期待を抱いている。夢を見ることは何も若者だけの特権ではない。もっとゆとりをもって現実をとらえながらやっていこうというのだから、宝石どころではない生きる歓びを、今度は味わえるのではないだろうか。

 別の舞台が始まった。楽しみなことだ。

■venerdi,14,dicembre,2007

 一週間くらい前にMECの通信販売でいくつか注文していたのが届いた。年明けくらいに届くのかなと思っていたので驚いた。世界は狭いや。思えば帰国前には様々買い込んできたのだったが、送料さえ我慢すればここにも配達してくれるのだった。最寄りのショッピングモールには国産のかなり充実したアウトドアショップの支店があるようだ。だが、僕にはモールに行くという選択肢はない。そこに出向くくらいなら通販で取り寄せるという、おそろしく環境に負荷のかかることをやってしまっている。こういうのを悪い意味で「こだわり」と呼ぶのかもしれない。

 

■giovedi,13,dicembre,2007

 きのうできなかった分を取り戻そうと思い、遅くまで残って結局終わらせた。当たり前の話ではあるが、きちんと締め切りを守ることができた。やるべきことをやったまでで、どうということはない。

 家族の世話がないだけ何をするにも自由度が高い。時間的にも経済的にも心理的にも自由だ。だからといって自らそれをひけらかすことはないが、周囲の目にはそれに対する妬み嫉みが少なからずあろうことは念頭に置いている。しかし、それは何の謂れもないものである。

 かれらに比べてしあわせなわけではまったくないし、むしろかれらにはけして理解されることのない苦難を背負っているのである。そちらがわとこちらがわには相容れない壁があって、とうてい理解し合えるものではない。まあ、人生は人それぞれであり、隣の芝生が青いと感じるのもまた人情だ。なに、それはそれでじっと黙っていればいい話なのに、ここにこうして書いてしまうところは、僕の弱さなのだ。

■mercoledi,12,dicembre,2007

 きょうも一時間早く退けて通院する。検査の結果は良好で、もうほぼ治ったといってよい状態になった。ただし、疲れやストレスで再発する可能性があるということだった。忙しい月ではあるが年末年始の休みも近いのでしばらくは大丈夫ではないかとは思う。しかし、これから長い付き合いをしなければならないという覚悟。

 早く帰宅できたのでその分仕事ができるかと思ったら、そうはいかなかった。眠くてしかたなかったのだ。そもそも家でという発想が間違っていた。仕事で家でできることといえば本を読むことだろう。読書はもっとも実利的だ。

■martedi,11,dicembre,2007

 日々流されてばかりいることに苛立ちを覚える。雪が降ったか晴れたかもすでに忘れている。問題意識と職務上の課題が重ならず、培ってきた価値観が生かされないという思いに沈む。一週間は瞬く間に過ぎる。能動的に生きているのではなく、まるでベルトコンベア上の製品のように、先へ先へと自動的に送られていく。

 

■lunedi,10,dicembre,2007

 志を高くとか、意図を明確にとか、何を言いたいのかとか。そんなことは当然と思っていたけれど、表現されなければないのと同じだ。思っていても言葉にしなければ、考えがないのと同じことだ。そりゃそうだ。

 

■domenica,9,dicembre,2007

 朝一番で盛岡の耳鼻科に行く。聴力は残念ながらまた少し悪化していた。粘り強くやっていくしかないか。それにしても、何か長いもので鼻の粘膜を触られる治療は苦手だ。必ず涙が出てしまう。

 昼には焼き肉食べ放題の行事に参加した。仕事関係とはいえ一時間ただひたすら食うだけというのは気楽である。いつも魚ばかりで肉を大量に食べることはないから、欠損している養分が身体に染み込んで補われていくような感じがした。人間って生き物だ、肉を食うって大事なことだと思った。こんどからはひとりでも焼き肉を食いにいこう。

■sabato,8,dicembre,2007

 予定が消えて自由になった。いくつかの買い物をして、床屋にも行った。クリスマス商戦、あるいは歳末大売り出しというのか店は賑わっていた。しかし、実際に店で買わねばならないものなどあまりない。今年使っていていいと思っていた、カレンダー付きのマウスパッドを探したが、どこにも見つからなかった。

 ニュースでは案の定、開戦の話題にはまったく触れていなかった。終戦の日にはあれだけ取り上げられるのに、始めたことに関しては忘れようとしている。こんなことにも何かの意図があるにちがいない。

 夜には電話で二時間話した。不安は一掃された。人間とはお互いに信じ合えるものなんだ。とても慎重だけど、確実に道を歩いている感覚。ありがとう。この気持ちは言葉に表すことができない。

■venerdi,7,dicembre,2007

 戦争はよくないことだなんて教わったけれど、その戦争はいつまでたってもなくならない。悪いことはすぐに直せとこどものころ教えられたけれど、こどもは戦争をしようなんて思わない。よくないことをしかけてくるのはいつも、おとな。おとなどうしの争いごとに、いつもこどもは巻き込まれる。巻き込まれながら育つから、争いの中でおとなになる。おとなになるまでの過程で、どうしても身体によくないことの種が埋め込まれてしまう。その繰り返しだから、戦争はどうしたってなくならない。

 希望も何もないけれど、そのことを直視したい。そこから始めるしかない。

 心の中で少し、ほっとしている自分がいる。巻き込まれながら育ったにも関わらず、おとなになりきれていない自分に、ひじょうな信頼感がある。そんなのおかしい? おとなになってしまったら、おしまいさ。

■giovedi,6,dicembre,2007

 大切なことは、自分の思いを言葉にして表すことだ。そんなこと百も承知。しかし、それがなかなかに難しい。…よく書くフレーズがまた出た。パターン化した思考回路。硬直して工夫の見られなくなった日々の生活。

 チンパンジーの方が人間よりも記憶力に優れているそうだ。このニュースを聞いて少しほっとした。人間なんて、そんなにタイソウなものじゃない。だいたい地球を救おうなんて言葉は嘘っぱちで、人間さえいなければ地球は平和そのものなのだ。そして人類が滅びようとも地球にとってなんのデメリットもない。むしろ人類こそが地球の厄介者なのだもの。自殺を防げという、そのフレーズもまた同じようなものではないか。ひとりの一生なんてそんなに大げさなものじゃない。そこに目が向かなければ何も変わらないよ。

■mercoledi,5,dicembre,2007

 アリシア・キーズを聴きながら12月は流れる。かつてそこには詩人が居座っており、鉛色の空から降りてくる透明な妖精に、一人微笑みを投げていた。だがいまではもう、詩人や妖精や、それを感じていた若者の姿はどこにもいない。

 ルーティン・ワークは金のため。それでも毎日ささやかな満足を求めて。世の中が悪い。働かないこいつが悪い。おれを認めないあいつが悪い。ほんとうは、そうとしか思えない自分がいちばん悪い。わかっているのだから、だれも責めないで。責められたら、逃げ場がなくなってしまうから。

■martedi,4,dicembre,2007

 1989年の12月4日。鉛色の空から落ちてくる雪。緑色のコート。奇跡のように誰もいなくなったキャンパスの掲示板の前で、僕は心臓を撃たれて死んだ。

 もう22年、経った。この間、何度も同じようにして死んだ。これからも同じような死が繰り返されるだろう。そうして、若き日は遠ざかる。けれど、心はいつまでも年を取らない。

 

■lunedi,3,dicembre,2007

 1年前のことを思い出す。感情を揺さぶりながら雪道を西へ向かっていた夕暮れ時。たとえ忙しくても、どうということはなかった。時間がなくても、無限に時間が流れているような気がしていた。

 縁というのは、それを大切にしようという気持ちがあれば深まるものだと思う。人と人はさまざまなところで繋がり合っているけれど、心からの繋がりなんてそんなにもてるわけではない。当たり前の話だけれど、何もかも失ったあとで、それが強く感じられる。 

 

■domenica,2,dicembre,2007

 うまいもの食いたさにネットでいろいろと調べ、いくつかの店を尋ねて土地勘のない道を車で走った。午後2時台ですでにライトを点灯せねばならぬほど暗かった。出だしが遅かったせいか、入ってみたい店はたしかにあったが、ことごとく開店時間を過ぎており、ひとつも入ることができなかった。結局入ったのは何の変哲もないラーメン屋、しかも午後3時を過ぎての昼食。きのうのような日もあれば、こんな日もある。

 

■sabato,1,dicembre,2007
 師走に入った。朝一番に盛岡の耳鼻科に行く。聴力検査の結果は良好だった。薬はよく効いている。きょうから治療は第二段階に入るそうだ。とんぼ返りをして、コーヒーなど飲みながら11月のことを振り返って書き付ける。忙しい中でも自分の時間を大切にしたい。その思いはいつも一貫しており、誰にも邪魔できないことだ。

 昼前から仕事に出かける。終わって帰る途中、杜甫のラジオを思い出して聞いてみる。詩について、忘れかけていた感覚に気づく。記録文学としての詩か。そういえばこの日記のようなものも、ひとりの人間の生き様の記録として記そうと思ってきた。どんなにおもしろみのない人生だったとしても、僕という人間がそこに浮き彫りになればいい。意味はよくわからないけれど、長く続けていれば何かの足しになるだろうと信じて。

 夜には富士大学の近くのSobe's Cafeという店で食事をした。指針のしっかりした、素敵な店だった。そして、工夫を凝らした野菜中心の献立はどれもおいしかった。夢をこんな形で実現させているのかと思った。ここを真の理想郷とするためには、ひとりひとりが夢を描き、粘り強く続ける気概がほしいのだ。


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