2007年2月
■コーヒー mercoledi,28,febbraio,2007
 平日の夜にコーヒーを飲むことはまずなかったのですが、昨夜は夕食後に飲んですぐ就寝しました。そしたら、3時間くらい熟睡してすっきりと目覚めました。眠れなくなるのを避けて飲まなかったわけですが、聞くところによると、カフェインが効いてくるのは飲んで30分経ってからだそうで、それ以前に寝れば逆に熟睡することができるのだそうです。もしかしたらこれは常識でしたか。私は知りませんでした。

■笑顔 martedi,27,febbraio,2007
 美しき笑顔。楽しき会話。しかし、風邪がはやってきそうですので注意が必要です。私の症状も一進一退で、きょうは途中から咳が止まらなくなって困りました。このままでは明日マスクをしなければならないかもしれません。
 人間の意思伝達はもちろん多くは言葉によるわけですが、面と向かって話をするときにマスクで顔が覆われていては伝達力は著しく減少してしまいます。表情が見えないというのはとてももったいないことだと思います。周囲にもマスクをしている人が絶えません。風邪の蔓延を防ぐのが第一義とすれば致し方ないことではありますが、せっかくの魅力的な笑顔が隠れてしまうとしたら、それはひじょうに残念なことだと思います。

■協力 26,lunedi,febbraio,2007
 月曜。2月も今週で終わりですから、年度末という雰囲気が増してきたように感じます。午前中は少しゆとりがありましたので、適度に周りと言葉を交わしながら仕事を進めることができました。あと半月で大きな区切りがつきますので、笑顔を絶やさずにもうあまりカリカリせずやっていけたらと思います。それにしても、私はこれまで周囲の人たちにどれほど恵まれてきたかということを考えます。特にこの一年のことを振り返るとその思いは強くなります。パートナーシップといいますか、この協力関係を築けたことは私の宝です。

■愛する 25,domenica,febbraio,2007
 2時半に目を覚ましたらもう眠れなくなりました。考え事ばかり。そうして、明日から使う資料を少しずつ作り始めました。朝になってからも仕事がらみの外出。その後、本屋に立ち寄ったらあっという間に時間が過ぎて、組合の動員の時間に少し遅れてしまいました。そこでまた1時間半ほどの仕事。終わるともう3時でした。昼飯を食べていなかったので、街道沿いの蕎麦屋に入りました。うまい蕎麦でした。
 愛されたいと思う前に、自分は人を愛しているだろうかと思いました。人間として基本的なところですが、自分はまだそれができていない。とても冷たい人間でした。何も楽しいことのない日曜日に、ひとりぽつんと考えました。皆さんごめんなさい。明日から、周りの人たちをちゃんと愛そうと思います。どこまでできるか、実生活で具体的に表現していこう。

■土曜 24,sabato,febbraio,2007
 日中は仕事で自分の住む町と職場を2往復しました。休日にも仕事をしなければならない現実はもうとっくの昔に受け止めていて、できることをできるだけやる意識は出来上がっています。そうでなければ、やっていられません。仕事上の不満の正体は何なのだろうと考えていましたが、実はそれほどの不満を持っているわけではないと気がつきました。瑣末なことはいろいろと満足できるレベルでないことは変わりませんが、ひとりで努力したり、仲間と共同して作り上げたりしていくことは当然なわけでして、その途上をいつも歩いているのだと自覚して働きたいと思っています。
 私が誰かにほんとうに伝えたいことは、愛情や友情に関することです。きのうの手紙に過去を清算するという言葉がありましたが、私も明日からを生きていくなら、本気になって自分の過去と向き合う必要があるのかなと、そんな気持ちになりました。つまり、遍歴について。その中で私の欠片を少しずつ補修していくことが必要なのでしょう。ウェブ日記にはまさかそういうことは書けませんからね。いつか誰かとまっすぐ向き合って語りたいと思います。
 「世界ふしぎ発見」はカナダの特集でした。トロントの街やナイアガラが出ていました。去年まであそこに暮らしていたというのが、もう夢のように遠くの出来事に思えます。そして、カナダ以前と今とでは、同じ日本でも、同じ故郷でも、まったく違って見えます。それは、この数年で実際に日本が変質しているということと、自分自身が変わったということの、両方のためでしょう。

■手紙 23,venerdi,febbraio,2007
 私の心の友達から手紙が届きました。皆さんにも読んでもらいたいのでここに紹介します。
 「もうきょうでひとつのことに終止符を打つことにしました。また明日から上を向いて歩いていこうと思います。ここ3か月くらいのところ熱に浮かされていたようです。気持ちの起伏が激しくなり、あるときはこの上もない恍惚感を覚え、またあるときは地獄の底にでも落とされたような気持ちになりました。それはボクに久しぶりに訪れた感情だったのです。
 しかし、そのためボクは現実を直視することができなくなり、視点も定まらなくなりました。ボクは一気に誤った道へと自分自身を歩ませていったようです。真実とは違う方向へ、です。仕事においても、それ以外でも、コミュニケーションにおける無能さがさらけだされてしまったような気がするのです。ほんとうに気持ちを打ち明けたかった人から、あなたは過去が清算されてないと指摘されました。そうして、あろうことかセラピーを受けることまで勧められました。なんて滑稽な結末!宙ぶらりんとなったこの思いは、もうどこかに葬り去るしかありません。
 きょうは早く帰ったのでDVDを観ました。「海を飛ぶ夢」というスペイン映画です。26年間寝たきりの生活を余儀なくされた主人公と自分が重なりました。愛情に囲まれて生かされてきたにもかかわらず自らは何も愛せなかった彼の気持ちが切なかった。
 なぜ自分はこうなったのか、あのとき自分はどうすればよかったのか。過去の分岐点に思いを馳せるほどに、無駄に過ごしてきてしまった時間を悔いるのです。それがいちばん悲しい。やっぱりセラピーが必要なのかな(笑)。心の中に見えない雨が降っていて今はまだ止みそうもない感じです。明日からも変わらず普通に生きていこうと思います。ではまた。」
 読んでくれたことに感謝します。

■大切 22,giovedi,febbraio,2007
 目に入っているのに見なかったことにしているものや、耳に入っているのに聞かなかったことにしているものが多すぎます。すべてを受け止めようとしたらあふれ出てしまいそうなくらいの情報が周囲を飛び交って、私たちはその中から必要と思われるものだけを認識して、頭の中に取り込んでいます。
 しかし、必要だと思われなかったもの、つまり私たちが捨ててしまったものの中に、ほんとうは大切だったもの、私たちにとって有益な情報があったかもしれません。何が自分たちにとって大切か、目先のことだけを考えていてはわからないのではないかと思います。金になるかならないか、それは自分にとって得か損か。そんな観点だけでは、人間にとってほんとうに大切なものは見えません。
 土の下にこそ水脈や鉱脈が流れており、無数の砂粒の中にほんのわずかだけ砂金やダイヤモンドが隠れている。そう思うと、もったいないことを繰り返しているのではないかという気になります。見えないものを見る努力を怠っていないかどうか。つねに気をつけていきたいものです。

■自分病 21,mercoledi,febbraio,2007
 前向きな姿勢で生きるのは素晴らしいことだと思います。しかし、いつでもそうできるかというと、なかなか難しいものです。落ち込んだり、舞い上がったり、この情緒不安定は何だろうと、自分自身で呆れます。「自分病」という言葉を目にしました。すべて自分が悪い、自分に原因があると考えて、悩みを抱えこんでしまう傾向。自己肯定感のなさ。たくさんの子どもたちがそれに悩まされているというのです。そのとおりだなあと感じたわけですが、それはつまり大人の世界が病んでいるということなのです。私も自分病に冒されている人間のひとりかもしれません。耐え切れない子どもたちは自傷行為や薬物に走ります。さて私はというと自分を騙して日々を暮らしているとでも言えるでしょうか。生き難いなあ。ため息。なんでこんなに生き難いのかなあ。あたりかまわず文句を言い散らす大人をみていると気持ち悪くなります。たしかに周りをみますと酷いことはたくさんあります。反吐が出そうなくらいです。でも、どういうわけかその攻撃性が自分に向けられているような気になってしまいます。そうでないことは明らかなのに。そうやってまた今夜も床につき、少し休んではまた一日を始めるのかと思うと、耐えられない気分になります。

■生きる 20,martedi,febbraio,2007
 苦しいことは後回し。楽しいことも後回しです。後回しという言葉と、先送りという言葉は同じようなものでしょうか。どちらでもいいけれど、後になったら、苦しいことが消えてくれたらいいですね。そして、先送りした楽しみをいつかほんとうに得られますように。
 ニュースを見て、犯罪に巻き込まれて亡くなってしまった人の人生を考えました。もしかしたらそれが私だったかもしれない。どうしてその人が亡くなって、自分はいまこうして生きているのか。その理由はまったくわかりません。自分が生きている理由は何だろうと思います。これからというときに命を落とした若い人たちの無念さを思うと、自分は生きているにも関わらず、こんなに年を経ているにも関わらず、何もしていないではないかと、怒りとも失望ともつかない気持ちに陥ってしまいます。せめて私たちいま生きている人間は、先に亡くなった人たちに対して恥ずかしくない生き方をしなければなりません。

■不適応 19,lunedi,febbraio,2007
 また一週間が始まりました。きょうはつまらなかった、どうしようもなく。相変わらず咳も出るので、マスクというものをつけました。仕事についてから初めてのことでした。そのせいかどうか、眠くて仕方ありませんでした。でも、帰りの車に乗ってから、ぱっと花が咲いたように心が晴れて、いい一日だったと感じました。ずいぶんいい加減なものです。
 同じ仕事を何十年もやっていればその道のプロになるというのは大間違いです。でもなんとなくそんな感じで日々をやり過ごしてきているのではないかと、ふと思いました。なんとなくやっていたのでは、何事もうまくはいきません。努力も苦労も大切。見通しや計画も大切。そして何より意欲や志がなければいけません。復帰して一年近くになりますが、まだまだ不適応状態が続いています。

■つれづれ domenica,18,febbraio,2007
 運転免許の更新に出かけました。盛岡駅の西口のビルの一階に立派な施設ができており、たくさんの人が訪れていました。案内も親切で、迷うことなく手続きができました。ずいぶん便がよくなりました。私は5年前にスピード超過で摘発されていますので、1時間の講習を受けなければなりませんでした。受けること自体はどうということはないのですが、内容はひじょうに面白みのないもので、眠くてしかたありませんでした。でも、交通にはじゅうぶん気をつけたいと思います。
 いったんおさまっていた咳ですが、昨夜あたりからまた酷くなってきました。そこで、薬局に行って咳止めの薬などを買いました。寝入り端が特に酷いので困ります。咳のために咽喉の奥が切れてひじょうに痛いです。早く治ってほしいものです。
 映画にしろ、本にしろ、考えるきっかけを与えてくれる点でたいへんありがたいものです。でも、もっともきっかけとなるのは人との会話ではないでしょうか。話が合うと感じるのは、相手が自分を受け止めてくれるからでしょうが、相手にとっても自分の話が何かのきっかけになってくれたら、それに越したことはありません。誰かにとってのそんな存在になれたら素晴らしいと思います。

■いい sabato,17,febbraio,2007
 昼過ぎまで仕事。その後にCD屋を見たり、パン屋に行ったりしたら3時になりました。以前通っていた床屋に4年ぶりくらいに行きました。ここ数回は千五百円ほどの廉価な床屋に行っていたのですが、きょうは久しぶりにその倍ほどの料金を支払いました。ところが、安いところとのサービスの質の違いは、値段以上のものがあるということを実感しました。時間も一時間以上かけてじっくりやってくれます。そのほかにも細かなところで如実に違いが表れているように思いました。早くて安いのも悪くないですが、そればかりではよいサービスはわからなくなってしまいます。お金は少しかかっても、ほんとうにいいもの、いいサービスを享受するのがいいなあと感じます。食べ物も、着る物も、ほんとうにいいものだけを使い続けることができたらすばらしいです。

■生活 venerdi,16,febbraio,2007
 咳やその他の風邪の症状も少しは和らいできました。とはいえ、不健康な状態がもう一週間以上も続いているわけで、このまま再び週末に突入してしまうというのが残念です。今週もまた自分の生き方やこれからの展望について、じっくりと考えたいと思います。仕事仕事と言ってばかりいては何も先へ進まないような気がしますから、何もない日曜日はやはり仕事を忘れてゆっくり過ごすようにしましょう。
 バランス感覚というのが邪魔をして、その場の雰囲気にどっぷりと浸かることができません。もっとみんなと楽しめばいいのですが、どこか自分だけ少し離れて冷めた目で見ているのです。損な性分といえば損な性分です。しかし、そういう自分をこれまで培ってきたということも言えるのです。周囲が浮かれているときには、自分は浮かれまいと思う。その逆に、周囲が重く深刻な空気に包まれているときは、自分はそれに飲み込まれまいと振舞う、という具合に。自己防衛装置が働くのでしょうか。でも、それがよくないことだとは、思えないのです。

■大雪 giovedi,15,febbraio,2007
 きのうの雪も解けるかと思ったら、きょうは一日中雪降りでした。きょうは会議が終わったら定時で帰ろうと思っていたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。いろいろと雑多なことが雪のように積もって、それに埋まってしまいました。冷たい雪を崩しては片付けていたら、どうにもいたたまれない気持ちが襲ってきました。楽しく生きていけたらいいですね、まったくもって。真面目に生きようとする人間にとって、日本は生き難い国だといいます。このシステムの中では素直で純粋な人間ほど鬱になってしまうのです。そういう状況を憂うのです。
 ずぶ濡れになって帰ると、自宅の回りも雪だらけで、車がはまって動けなくなってしまいました。それで、雪をかいて抜け出すとまた汗をかいてしまいました。そのため咳が酷くなりひじょうに苦しかったです。考えてみると最近では毎年のようにこの咳で悩まされるのです。何が悪かったのだろうと原因を探すのですが見当たりません。いつものことですが、僕の何が悪かったのだろうと真剣に悩むのです。それだけ罰の当たるようなことをしてきたのでしょうか。だから何をやっても楽しくないのでしょうか。ああ苦しい。押し潰されそうだ…。
 などと朦朧とした意識の中で考えます。静かな戦いが続きます。断じて自分は誰の犠牲にもならないと、強い思いを新たにします。ファイトです。この先にいいことが待っているんだきっと。

■雪 mercoledi,14,febbraio,2007
 朝から雪が降り続けて、今年初めての本格的な積雪となりました。しかし、夕方から雨に変わり、帰宅する頃には解けていました。雪が降って喜んでいた人もいました。景色として白銀の世界は美しいと思いますが、こんなにすぐ足元がぐちゃぐちゃになってしまうのでは歩きにくくてたまりません。
 きょうはバレンタインデーでした。日本の習慣はおもしろいなあと客観的に眺めることができました。職場などで義理で女性が男性にチョコレートをあげるというのはもうやめたほうがいいと思いました。カナダでみたバレンタインデーはもっと心のこもった温かい日だったのです。

■熱 martedi,13,febbraio,2007
 きのうまで休んだにも関わらず風邪はあまりよくなっていませんでした。今朝計ったときにも体温は37度を超えていました。普通に仕事に出かけましたが、咽喉が腫れているせいか、ネクタイが苦しくてしかたありませんでした。それできょうは定時で帰ろうと思っていたのですが、会議があったり、その後にひとつレポートをまとめなければならなくなったりと、思うようにはいきませんでした。それとは別に、さまざま理不尽なことも重なって、腹は立つやら呆れるやらで、とても気持ちが休まることなどありませんでした。考えれば考えるほどばからしくなってきます。ほんとうはもっと楽しい話題についてメールでも書きたいところです。昨日観た映画などについても思いを誰かと共有したいところです。

■映画 lunedi,12,febbraio,2007
 昨夜一本、今朝一本立て続けに映画を観ました。昨日は、アルモドバルの「バッド・エデュケーション」。以前買っていた3枚入りのボックスのうち、観ていなかった一本でした。悪くはないのですが、基本的にホモの映画なのであまりすかっとするものではありませんでした。これよりは、トーク・トゥ・ハーのほうが私は数段好きです。
 今朝観たのは、「死ぬまでにしたい10のこと」、原題は‘My life without me’です。これもアルモドバルが製作総指揮をとっているということで購入したのですが、これはすばらしくいい映画でした。ほんとうによかったです。スペインとカナダの合作で、舞台はおそらくバンクーバーだと思います。主演の女優さんはトロント出身だそうです。カナダを思い出させる町の断片、そして音楽といい、景色といい、人物の表情といい、ほんとうに愛しくなるような作品で、私はこの映画が大好きになりました。お勧めです。

■記念日 domenica,11,febbraio,2007
 体調さえよければもっと楽しい連休になったかもしれないのにと残念です。しかし、体調さえというのはほんとうは違うのです。どれかひとつのことに、うまくいかないことの原因を押し付けて現実から逃げようとしているだけなのかもしれません。そうやって逃げてばかりいたから今の自分がこんなふうなのかもしれません。自分にとってそれはたいへん不本意なことです。
 きょうは建国記念の日にして、サイトを開いた記念日でもあります。2000年から続いていますので、ちょうど7年が経ったことになります。まだ7年しか経っていないのか、という思いのほうが強いかもしれません。この7年の間に旅にはまり、仕事上の挫折もあり、海外行きを決意し、3年間のカナダ生活から戻ってきたわけです。ひじょうに中身の濃い7年間でした。日記という形でここに心情を整理してきたことが夢を実現する大きな力になってきたのではないかと思います。
 ではなぜそんな自分をこれほどまでに惨めに感じることしかできないのか。不幸を背負ったような顔をして生きなければならないのか。なぜいまだ孤独の殻から抜け出すことができないのか。それが私の人生の大問題です。その問題の解決を目指さなければなりません。あるいは、そのためにはこういうサイトなど作らないほうがいいのかとも思うのですがわかりません。
 ただ、ここまでこうして生きてこられたのはこのサイトがあったからとも言えるのです。できるなら私はもっと生きてみたい。しかも、今までのような孤独の中ではなく、別の方法で生きたいと素直に思うのです。

■風邪気味 sabato,10,febbraio,2007
 朝から仕事の三連休初日。厚着をして職場に出かけ、ほとんど3時間ストーブに当たりっぱなし。声は相変わらず出にくくて、頭もボーっとして熱っぽく感じました。昼過ぎにはまた仕事関連で別の場所に出かけたのですが、事情によって目的は達成することができませんでした。そこからの帰りに、ガソリンスタンドに寄って給油と、しばらくぶりの洗車をしました。パン屋に立ち寄りましたら、偶然同僚が入ってきたのでびっくりしました。帰ってきて少し仮眠を取り、夜にはある飲み会に参加しました。よせばいいのにカラオケで歌まで歌ってしまい、咽喉がますますおかしくなりました。

■金曜日 venerdi,9,febbraio,2007
 朝から様々なことがあり気持ちも滅入り勝ちでしたが、とにかくやるべきことはやり、言うべきこともしっかり言ったと思います。うまくいかないこともありましたが、こちらができることはすべてやったと思います。これでほんとうはすっきりした気持ちで休みに入りたかったのですが、昼あたりから声が出にくくなってきて、夕方にはすっかり嗄れてしまいました。熱も出そうだったので6時前に帰り、7時過ぎには布団に入って休みました。

■恥 giovedi,8,febbraio,2007
 思い出したくないくらいの恥ずかしい一日でした。準備万端、自分ではかなり力を入れたつもりだったにも関わらず失敗してしまったので残念でした。人の所為にはしたくありませんが、客観的に見たらおそらく失敗の原因は自分以外のところにあるというのは明白ではないかと考えています。とはいえこれも愚痴以外のなにものでもありませんが。

■水曜日 mercoledi,7,febbraio,2007
 多くの人たちはとても器用だと思います。仕事は仕事でてきぱきとこなしながら、プライベートでも楽しく生活できる人。そういう人に自分もなりたいと思ってずっとやってきましたが。これまでのことを思うと残念でなりません。

■火曜日 martedi,6,febbraio,2007
 月曜日から金曜日は常に仕事のことしか頭にないという状態がもう延々と続いています。これはよくないと思っているのですが、どうしようもありません。これはとても残念なことです。ほんとうは家に帰って安らげたりできればいいのですが。

■月曜日 lunedi,5,febbraio,2007
 朝には実にさわやかな気持ちで出勤しました。これも土日でいい気分転換が図られたからではないかと思います。しかし、様々なことがこれでもかとやってきて、そのエネルギーも次第に少なくなってしまいます。きょうは会議があって、かなり消耗しました。

■立春 domenica,4,febbraio,2007
 昨夜から積もった雪に朝日が反射して、窓の外は目が痛くなるほど眩しかったです。これほどの積雪はこの冬一番でした。風が強くて、田んぼの中の道を通るときには、車が西風に煽られました。昼過ぎまで職場で仕事をして、帰ってからはラジオを聴き、少し買い物に行きました。午後には雪がだいぶ消えました。
 やらねばならない仕事がまだまだあります。そのひとつはある原稿の作成です。締め切りを守ることは大切だと言った手前、やらないわけにはいきません。それから昨日のお礼のメールも忘れずに打とうと思っています。

■パンとワイン sabato,3,febbraio,2007
 節分には恵方巻というおすしを食べる慣わしがあるそうです。今朝テレビのニュースを聞いて初めて知りました。そういえばここ数日、コンビニの棚に太巻が並んでいるのを見かけていましたが、節分とは結びつかなかったなあ。おそらくここ3,4年くらいの間に、関西地方の風習が大々的に宣伝されて広まってきたのではないかと推測します。このような商売の展開は日本企業の得意とするところです。

 夜には盛岡に行きました。パンとワインを囲んでの気取らないパーティーがあるからよかったら来てみないかと、私に声をかけてくれた人がいたのです。少し早めの電車に乗って、久しぶりに夜の盛岡をゆっくりと歩きました。MOSSのビルに初めて入り、ジュンク堂で本を買い込んでしまいました。大通りから映画館通りを通って内丸。東大通の桜山神社から中の橋、岩手銀行と東北電力の鉄塔の夜景を眺めながら肴町、葺手町、紺屋町と通り、上の橋を渡ると会場のフレンチレストランがありました。
 会はほんとうに楽しくて、パンもワインも料理もおいしくて、あっという間に時間が過ぎていきました。異業種間交流というのとはまた別ですが、さまざまな人たちと交流できたこの日はとても特別な感じがしました。普段いかに狭いところに閉じこもっていたかということ、そして、世界はもっと広くて明るいのだということを感じました。来週からの活力になった気がします。たいへんありがたかったです。

■音楽 venerdi,2,febbraio,2007
 ああ、曲を作りたい! と思います。ミュージカルを観たい! 本を読んだり、映画を観たりもしたいです。旅に出たい。知らない町を歩きたい。大学をやり直したい。人間の心についてちゃんと学びたい。
 でも、学ぶだけではだめだということはわかっているのです。普通の人が、普通に経験する精神の成長過程を、やっぱりたどりたいのです。まっとうな人間になれたらと切に願っています。
 でもまずは音楽です。この頭に鳴り響いているものが実際に音になったらと思うとわくわくします。

■春 giovedi,1,febbraio,2007
 光の春という言葉を知らない頃から二月の印象はずっとクリーム色でした。今年は、真冬日の一度もない、ほとんど雪も降らない奇妙な冬ではありますが、今後はそれが普通になります。そして予測される速さを通り越し、地球は灼熱の星になってしまいます。春という響きが甘美に聞こえる時代はもう来ないのです。などと考えたほうが気が楽かもしれません。

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