2007年1月
■mercoledi,31,gennaio,2007
 一月も終わり。今年もすでに12分の1が終了か。年をとるにつれて時の流れが速く感じられるようになるのは、比較の対象が常に過去だからだろう。今より何も感じなかった、今より何も考えなかった時代のほうをみるのだから。でも、これから先いま以上悩んだり、考えすぎたりしたくない。若さとは年齢ではなく心のあり方をさすものだと、初任の年の指導教官は言った。この年を境にして心を若返らせていこうか。

■martedi,30,gennaio,2007
 まだ火曜日。重く長い一日が終わるともう目を開けていられない。忘れたい日々のほうが圧倒的に多いのかもしれない。自分の不器用さや怠け癖、そして優しさのなさを思い、その場を逃げ出したくなる。自分の認識はどうなっているのだろう。あまりにも現実とかけ離れているとしたら、僕は何を見ているのだろう。そうして、どんなに重いことが眼前に迫ってきてもなんとも感じないこの鈍さ。酷いと思う。

■lunedi,29,gennaio,2007
 忘れたくない日々が積み重なっていけばいい。しかし、きょうはどちらかというと忘れたい日に入るかもしれない。生きている限り天国と地獄は繰り返すもの。冷静な気持ちは失うことなく、日々を歩みたい。そして、どんなことからも絶えず学べるようでありたい。長い一週間になりそう。

■domenica,28,gennaio,2007
 素敵な一日を開く鍵。それを拾うには少しばかりの勇気が要った。その場所に辿り着くまで、まるで誰かのいたずらのように気持ちがかき乱された。たとえば蕎麦屋で延々二十分待たされたり、信号運が悪かったり、さらに行く手を阻むノロノロ運転の乗用車そしてトラック。それでもまた誰かに導かれるように、最適な道を取ることができた。その後の3時間というもの、夢の中にいるような心持ちだった。やはり誰かに守られているのかもしれない。この日のことはずっと忘れない。

■sabato,27,gennaio,2007
 普通に起床して、平日よりも若干早めに出勤した。雪で白くなった朝。先週と同じように電話の番をした。今回は何も起こるような気がしなくて、案の定先週のようなトラブルは一切なかった。久しぶりに運動して、使わなかった筋肉を少し動かした。首や背中の辺り、二日後くらいに痛くなるかもしれない。
 昼前には週明けの準備まで終えて職場を出た。久しぶりの雪にはしゃぐ子どもたちがいた。初めての田んぼの中の道を通る。気温が高くて路上の雪はもう解け始めていたが、遠くの山がいい感じで白く煙っており、きれいな景色だった。
 ほんとうは、しようと思っていたことがあった。胸の片隅にずっと残っていたことだったが、きょうもしないでしまった。こうやって先送りしてしまうのも、自分の悪い癖のひとつだ。
 午後には本を読んだり、テレビを見たり、うとうとしたりして過ごした。夕方から少し出て、文具屋でスタンプや書道の道具を買ってきた。平凡な土曜日だった。

■venerdi,26,gennaio,2007
 専門的な機関で話を聞いてもらった。気持ちというよりもいま自分が置かれている状況を客観的に見つめることができたことがよかった。どうしていままで利用しようと思わなかったのか不思議でならない。すっかり過去になる前に、少しは進めたのかと思う。忠告してくれた人に感謝。言ってくれなかったらどうなっていたことか。僕は怠け者だから。
 その人に、話を聞いてもらった。聞いてもらうというよりも話がしたかった。理解してもらうというよりも、互いの感性の近さに身を委ねたかった。だから、 周りはあまり見えなかった。でも時間が足りなくてまとまったことは何一つ話せなかった。疲れているのに相手をしてくれてうれしかった。その思いやりが、多くの人から愛される理由なのだ。
 僕らはひとりひとり、まるで大海に浮かんだカヌーのように、ぽつんぽつんと散らばっている。けれど、ほんとうにたまに、互いに近づいてはいっしょに漕いで行く、そんな舟が現れるものではないか。それとも、そんなものは幻なのだろうか。

■gioverdi,25,gennaio,2007
 長い会議で眠かった。確認は確認で必要なことだが、議論がなければ何も変わらない。激しく求めることをしなければ、手には入らない。わかっているけれど、目を閉じる。瞬間に虚ろな夢をみる。愛の力ということを思う。この突き動かされるもの。しかし、とてもか細くて壊れやすいもの。日々は繰り返す。だ が、一日たりとも変わらぬ日などない。少しずつ少しずつ、目に見えぬ速さですべてが変化する。

■mercoledi,24,gennaio,2007
 まだ水曜日なのに木曜日のような気がしてならない、という一日だった。落ち着いて物事を考えることもできないままに、毎日が過ぎ去ってしまう。仕事のことも、それ以外のことも、まるで新幹線の車窓の景色のように一瞬にして後ろに流れていってしまう。
 意志が強くなければならない。弱ければ、どんな志も挫折してしまう。夢を叶えるのは自分自身だというが、叶えるための意志は、自分ひとりで作れるものではない。むしろ、ほかのすべての人たちから発せられている光を、どれだけ受け止めることができるか。それが深く関わっているのではないかという気がする。

■martedi,23,gennaio,2007
 心が弱くなっている状態は、心が強くなる前の状態だ。眠っている間に、起きて何かしている間に、頭の中で自動的に、気持ちを整えようとする。この機能、 この成熟した素晴らしき身体! これがもし15歳だったらと考えると恐ろしい。いまの子どもたちが要求されている精神的な緊張は、子どものレベルではない。多くのおとなでさえ耐えられないほどのことを強いられるのだ。
 皆はどう考えているのだろう。ひとりだけ置いてけぼりを食っているような感覚。励ましたり、応援したりなどということよりも、具体的に解きほぐす術をも たなくては。ひとりでそれができないとしたら、必要な人とつながる努力をしなければ。それがおとなというものだ。身体ばかり成長したってだめだ。精神的な成熟こそ必要だ。そのためにはもうどうしたって現状を打ち破らなければいけない。

■lunedi,22,gennaio,2007
 たった15分ほどのガイダンス。しかし、もうずいぶん長い間、こんな機会には恵まれてこなかった。意図的に訓練しなければ身に付かないことがある。機会は自分で作るというけれど、誰かに与えられなければ得られないことが多いとさえ思う。
 30前までのことを思い起こせば、そういう機会は多かったほうだろうと思う。それは自分で作った機会ではなく、偶然にそういう境遇へ追い込まれたから得られたものだった。たまたま僕はそこにいたから、そういう学びができた。冷めた見方だろうか。
 カラカラと寂しさが音を立てるような心地がする。いくら笑顔で語り合っても、心の奥にまでは届かないのではないか。ほんとうの気持ちなど、誰一人とも相容れることはない。こうやってひとりで終末を迎えるしかない。それがこいつの人生なのではないか。

■domenica,21,gennaio,2007
 快晴だった。ほとんど一日仕事で屋根の下にいた。窓越しに入る日差しで、暖房など要らないくらいだった。帰宅してからは明日使うことになりそうな資料作りをした。夜には電話で一昨日のことについて話をした。明るい声に励まされたような、少し寂しくなったような。
 とにかく、土日は過ぎ去り、また新しい週が始まる。こうやって残り時間が減っていく。どこにたどり着こうとしているのだろう。このままではどこにもたどり着くことはできないと思ってしまう。僕は孤独という呼び名を覚えてしまった。この気持ちは誰にもわからない。

■sabato,20,gennaio,2007
 昨夜のある一言で僕も不安になったので、今朝は早くに出て部屋に詰めていた。実は明け方、その不安が的中した夢を見たのだった。何もなければそれに越し たことはないけれど、何かあったら大ごとだ。雪もなく暖かな朝、予想されるような事態はまず起きる心配がないのだが、こんなとき不思議なことに、予期せぬ 事件は発生するものである。あらかじめ担当とは確認を取った上で、あくまでも組織的な行動として僕はそこにいることにした。結局のところ、一時間半ほどの 間に数えきれないくらい電話をかけなければならない事態となった。もしもここに誰もいなかったならと考えると恐ろしい。結果的に僕たちの判断は間違っては いなかった。
 きょう僕が耳にしたありがとうは、心からの感謝の気持ちの表れだった。その声を聞いて何とも言えないうれしい気分になり、来てよかった、いい判断をしてよかったと思った。それで、昨夜から感じていたどん底のような気分もどこかへ吹き飛んでしまったのだ。僕が昨日吐いた虚ろなありがとうとは意味がまったく 違う。きょうのようなありがとうをこそ、僕も伝えられるようになりたいと思った。昨日僕はほんとうに無礼な態度で接してしまった。不快な気持ちにさせてしまったことを反省してい る。
 よい週末をという言葉に、あなたもと返すのだけで精一杯だった。ほんとうはもっと何か話したかったのだけれど。ありがとうと言いたいのはやっぱりこちらのほうだった。週明けには、きのうの僕の不誠実を謝ろう。あらんかぎりの言葉で、あらんかぎりの気持ちを伝えよう。

■venerdi,19,gennaio,2007
 どん底に突き落とされたような気分になった。話など耳には入らなかった。自分が解らない人間に他人の理解などできない。僕は何もわかってはいなかったのだ。求められた判断はとっさにできるものではなかった。予期せぬ雑事が飛び込んできて、慌ただしく処理せねばならなくなって、それぞれに気持ちが苛立ってきて、のんびり構えている者がばかに見えるような雰囲気に包まれ始めているようだ。僕は周囲が慌ただしく動けば動くほど、じっとしていたいと思うし、誰かがしゃべればしゃべるほど口を噤んでいようと思う。困った困ったというときに笑顔でいたいし、喜びに沸く中でもけして冷静さを失いたくない。だから、熱くなって語る人の前では何も言えなくなるし、独断で進められたことに意見を求められても否定的なことは言えない。
 たしかに僕はいつでもどこか夢を見ているところがあるけれど、やるべきことには誠意をもって取り組んでいるつもりだ。もしもいいかげんに見えたのなら、 それは僕のたりないところで、結果的には周囲に対する不誠実だった。誰に対しても教えを乞う態度は忘れたくないから、学んだと思ったら感謝の気持ちを伝えたい。 あなたがどういうつもりかに関わらず、僕が学ばせてもらったのであればありがとうとしか言えないだろう。

■gioverdi,18,gennaio,2007
 いちいちの些末なエピソードをかき集めてノートに綴っていったなら、それが何かを生み出すだろうか。僕の半生はいったい何だったのだろうか。このごろ近くのものが見えにくくなってきた。これは老眼の兆候か。ただ生まれてただ老いるだけの一生。僕の中に巣くった完璧主義は、まるでガン細胞のように性質悪く増殖して、自分自身を食い尽くしてしまう。誰を恨むつもりもないけれど、孤独な者にとって、周囲の人々があたたかそうにしているのを見るのはつらい。完璧など望んではいない。ただ心を無にしたい。

■mercoledi,17,gennaio,2007
 半日もすると、気持ちはすっかり元に戻る。昨夜の疲れに比べれば、きょうはそれほどでもなかった。今日中に仕上げなければならないことを片付けた。悪い 気分ではないが、いい気分でもない。淡々と仕事をこなす。そこに漂っていたはずの情感はいつのまにか排除されてしまった。
 心に溝ができる。心に溝ができる。近づこうとすればするほど互いの棘が突き刺さって痛い。痛い思いをしたくないから、離れていく。これでは、いつまでたってもいっしょになることはできない。宇宙はやはり広がる一方で、誰との距離もどんどん遠くなるばかり。

■martedi,16,gennaio,2007
 早朝の出張には高速道路を利用した。冬の朝とはいえ、いつもの痛みを伴う寒さというものはなくて、なんだか卒業式のころを思い起こさせるような、まろや かな冷気だった。今年の冬はまだ真冬日が一日もないそうだ。予想するに、最後まで真冬日は来ないだろう。
 職場に戻る途中で、また福田パンを買ってきた。この冬何回、寄って来れるか、などということはどうでもいいのだが。こういう朝だけの出張というのは気持ちが楽でよい。だが、戻らずにそのままどこかに行ってしまいたくなる。
 戻ると、会議の最中だった。午後も長い会議が続き、夕方にはなんだか疲れてしまった。混乱する。天国と地獄を行ったり来たりしているような気分になる。 明日までに作りたかった文書があるが、これでは作れないかもしれない。切り替えてなんとか仕事に集中できるようにしよう。

■lunedi,15,gennaio,2007
 また新しい週が始まった。のんびりできるのはきょうくらいか。早めに退いて、DVDをいくつか買ってきた。きょうも続けてアルモドバルの映画。トーク・ トゥ・ハー。昨日のとはまた肌触りが異なるものだった。主人公が男性たちだっただけに、少し身につまされるようなところもあった。映画を見終わると、メールが届いていた。内容がどうというより、メールをくれたという事実。

■domenica,14,gennaio,2007
 何もない日曜日はもうしばらくないだろう。曇り空の下で車を走らせた。久しぶりに聴いた中島みゆきの歌詞が心に沁みてくる。どこまでもそういう生き方を 貫くこと。苦しみも迷いも歌に昇華させながら生きるなんて。とてもできることではないと思う。
 アルモドバルのDVDのセットを買っていたのを思い出し、じっくりと映画を観る。オール・アバウト・マイ・マザー。ひとりひとりの魅力がさわやかに伝 わってきた。きれいな映画だと思った。

■sabato,13,gennaio,2007
 窓を開けると白銀の世界。今年初めての積雪だそう。この季節としては当たり前なのだが、こんなに暖かな雪のない冬を過ごしていると、美しさが増幅される。きょうから県内の私立高校の入試が始まった。北国とはいえ、ひとたび雪が降るといとも簡単に交通が乱れる。土曜日で混雑はないと思うけれど、大丈夫間に合うように着いただろうかと、自分は暖かな部屋にいてコーヒーなどを飲みながら考える。
 昨夜から何度か入った電話の主は、心が不安で不安で仕方がないのだ。少し強がった普段の態度とは裏腹に、ほんとうは誰かに気持ちを受け止めてほしいのだ。そう言ったあの人の言葉が身に沁みる。自分のような人間でもその役を務めることができるのか。いや、それこそが仕事であり、自分の負った責任なのだ。 かれらのこの年を、温かい思い出で満たしてあげたい。

■venerdi,12,gennaio,2007
 朝方にふと思い浮かべたのは「あなた自身の人生なんだから」という言葉だった。うまくいかないことを誰の所為にするでもなく、誰でもない自分にとっていちばん納得のいく選択ができればよい。ここ何日か、「あなたには失うものがないのだから」という、以前僕の背中を押してくれた一言についてあれこれ考えて いたから、それに派生した言葉が出てきたのだろうか。あの言葉の行間にぎっしり詰まっていたのは、間違いなく思いやりであり、叱咤激励の気持ちであった。 まさか今朝の言葉を夕方使うことになろうとは思わなかった。結論はもう少し先でいい。とにかくよく吟味してほしい。人に伝える言葉ではあったが、すべて自 分自身に対する言葉でもあった。

■giovedi,11,gennaio,2007
 そんな時代があったと笑える日が来るのだろうか。世界には60億という人間がいて、それぞれに必死で生きている。その中のひとりである自分が、なんだかどうでもいいことを気にしたり、迷ったりしながら日々を暮らしている。たったひとりの人生にこんなに手を焼いているのだから、それが60億もあったらもう手の施しようがない。
 人のしあわせとはなんだろう。自分がしあわせになることなんてあり得ないと思っていたけれど、自分というたったひとりがしあわせになれずに、誰がしあわせになれるだろう。これまでの時間はなんだったのだろう。これからの時間はなんのためにあるのだろう。
 神様や仏様がほんとうにいるかどうかはしらないけれど、それでも毎日手をあわせる。祈る言葉にうそがあってはいけない。でも、僕は毎日毎日うそを祈り続 けてきたのかもしれない。与えようとするだけではなにも与えられない。それは、欲しいものを欲しいというだけでは得られないのといっしょだ。無私なんて難 しい。欲望のない人生なんて、なんのために生きているのかわからない。

■mercoledi,10,gennaio,2007
 人にはそれぞれのリズムというものがあ る。その人らしさが表れているときには、躍動的に映るものなのだろう。生き生きとしている。自分のリズムを奏でることが、ほんとうに自分自身を生きることなのだ。自分のリズムで生きている人は魅力的だし、たくさんの人に力を与えることができる。それに支えられて多くの人が生かされている。僕もその中のひと り。
 では、自分は自分のリズムで生きているのだろうかと問うてみる。これがはたして自分のリズムなのかなと迷いながら日々を暮らしているような気がしてきて、自分には根本的に欠けているものがあるのかななどと考えてしまう。あるいは、僕自身がけして急ぐわけではなくむしろのんびりのんびりしたリズムをもっているから、躍動とはかけ離れた印象があるのかもしれない。仮に自分自身の良さがあったとしても、きっと他人には伝わりにくいのだろう。
 きょうの仕事は意外に時間がかかって、全部終わったのは9時半頃だった。町内の焼肉店で数人と夕飯をともにした。これはひじょうに珍しいことだった。だが、僕は皆の話を聞きながら肉をつつくばかりで、話題をもちかけるということはなかった。いつもと同じだった。
 リズムというのは価値観とは違うか。価値観はものの見方だから、それを発露することによってその人の生き方が表現できるのだ。いくらのんびりしているとはいえ、表現しなかったら魅力も生まれない。自分が生きることでたくさんの人を生かすような人生にしたい。そう思っているのなら、黙っていてはいけない。

■martedi,9,gennaio,2007
 午前中は書類を届けに2時間弱の運転。天気が晴れて、気分も悪くない。帰りにはまた福田パンを買って昼食にした。午後もほとんど文書作成だった。夕方には頭の痛い問題が発生。やり場のない怒りを沈めようとする。時代はとんでもない状態に入っている。抑えこそすれ、忘れてはならないのだと思う。だが、喉元過ぎれば…で、これもまたすぐに忘れてしまうかもしれない。
 少しだけ早い帰宅。束の間の安らぎを覚える夜。心の中のおそろしく暗くて黒い部分が顔を出す。失うものは何もないといいながら、大切なものを築かずにこ こまできてしまったのではないか。大切なものをもたない人間など価値があるだろうか。などと考えるのは悪い癖。
 
■lunedi,8,gennaio,2007
 雨はほとんど上がり、積雪はゼロ。初詣に墓参。流通センターの福田パン、夕顔瀬の工藤豆腐店、上田通り経由で北山は横沢パンへ。おばさんに久しぶりの挨 拶。上の橋を渡って東家で蕎麦の昼食。クラムボンでコーヒーを飲んだら、盛岡駅まで送り届けて帰宅。心地よい休日を過ごしたことに感謝。そして、振り返ってみれば、盛岡の名店を巡る三日間。街への愛着が蘇る。この街のど真ん中に住むのもいいかもしれない、と思う。
 帰るとテレビにかじりついて高校サッカー決勝。盛商の全国優勝!ハラハラドキドキの90分。岩手っ子の快挙に拍手!

■domenica,7,gennaio,2007
 きょうも雨。鶯宿温泉に行くことにする。途中に見えた虹。トンネルを抜けると冬景色。しかし、相変わらず気温は高い。長栄館の濃いお湯に浸かり、広間で昼食。手づくり村をゆっくり回って、夕方には機屋でコーヒーを飲む。途中八幡の賑わいを見ながら帰る。トイレ休憩のしまむらあたりでは強い風。

■sabato,6,gennaio,2007
 弟夫妻が帰省。昼に駅まで迎えに出る。滝沢のマイヤーリングでケーキを買って、けたるで昼飯を食べる。天気は生憎の雨だがそれほど寒くない。つい先日まではこの日にどこかふらっと出かけようと思っていたのだが、疲れがたまっていたこともありすべてをキャンセルしたのは正解だった。家族というものはこうやって広がりをつくっていくものだ、と思う。

■venerdi,5,gennaio,2007
 目覚めると6時半。頭がすっきりしないままに、仕事に向かう。一日たくさんの人が来たり、電話があったりで慌しい一日。あまり集中できなかった。

■giovedi,4,gennaio,2007
 仕事始め。夕方早めに退いて、初任の時の人たちとの飲み会。再会が18年ぶりという人もいた。会うまでの不安は瞬時に吹き飛んだ。夜は北上駅前のホテル に宿泊。

■mercoledi,3,gennaio,2007
 旅は終わり。ほとんど一日移動の日。写真など、後で時間をとって整理したい。

■martedi,2,gennaio,2007
 雨続き。車で2時間かけて運河の町へ。ここでは昔ながらの生活を垣間見ることができた。夜には町に戻り、船の上から夜景を眺めた。

■lunedi,1,gennaio,2007
 大都会は雨に煙り、新旧の町並みと人の群れ。以前来た時よりもさらに進化していた感じ。昨夜は着くなり避風塘という店に並んで点心。ツアーとはいえ参加 者は我々3名のみで、貸切の車にガイドさんがついて至れり尽くせりの旅。こういう旅のかたちもある。

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