2007年6月
■sabato,30,giungo,2007
 そして、今年も半年が過ぎた。切りがよくてよいね。何もない土日にゆっくりと何かを考えることができるといいのだけれど。君はとにかく部屋の片づけをして、もっともっと余計な物を捨ててしまおうと思っている。雑多なことがらから抜け出して、いいもの、ほんとうに価値のあるものにだけ囲まれて暮らせたらすばらしい。でもそれには、それなりにものを見分ける目をもたなければいけない。じゅうぶんにわかるようになってからでなくては、欲してはならないのだよ。わかる前に手に入れたものなんて、すべて贋物に違いないのだから。    

■venerdi,29,giugno,2007
 日常とはかくもばたばたとして落ち着かないものだったであろうか。今週も五日間、ゆっくりと腰を据えて何かに取り組むことなど一つもできなかった。毎日毎日時間に追われてばかり。毎晩汗だくになって帰っては風呂に入って寝るだけ。朝は朝で思った時刻に起きられないほど疲れが残っている。
 忙しいとか、疲れるとか、そんな言葉はあまり使いたくない。だけど、限度というものがあるではないか。君は自分では耐性があるほうだと思っている。そして、周囲にもいやな顔をみせず、何でもものわかりよく、はいはいと請け負って、涼しい顔をして難なくこなすから、あまり悩み事もなさそうにみえるらしい。気楽でいいね。幸せそうな顔をしているね。そう言われながら、謂れのない妬みややっかみがその背後に感じられると、それが実はいちばん堪える。でもたいしたことない。好き好んでこうなったわけではないけれど、それは誰にとっても同じこと。人はその人の人生しか生きることができないのだ。意識するかしないか、そのちょっとしたところが生き様や顔貌となって表に出る。
 君が苦しいということは、多くの人がもっと苦しいんだと、そんなふうにとらえてみたらどうだろう。みんながいっぱいいっぱい。その苦しみをギャグで笑いとばすか、芸術に昇華させるか、どちらでもなければ身体がぼろぼろになってしまうぜ。でも君ならまだだいじょうぶ。
 そんな君でさえ、もう遠慮なくSOSを発するべきではないかと考えているくらいだから、相当なものだ。でもそれは、君の業界に限ったことではなくて、この社会全体が抱える問題ではないかと思っている。そのために、鬱になる人が出たり、年間3万人超もの自殺者が出たりする。そんなばかばかしい世の中が、この日本という国なのだ。
 どこまでも恣意的な公共放送を横目で見ながら君は思う。見捨てないけれど、けしてこの社会と心中はしない。まじめにやっている者がばかをみる社会。偽装や搾取がまかりとおる社会。大衆が簡単にメディアに操られる社会。個人の尊厳が蔑ろにされる社会。そういうところにわれわれは生活している。そのことを直視しなきゃ、嘆くだけでなくてね。
 たたかわなければならない相手は思っているよりでかい。ただやみくもにがんばろうったってできるものではない。自棄を起こしてもだめさ。まず落ち着いて、じっくりと作戦を立てようぜ。

■giovedi,28,giugno,2007
 ビールを飲んだのはいつ以来だろうか。刺身ばかり食べて腹を膨らませた。楽しい酒席は往年の半分にも満たない数になった。無論楽しいか楽しくないかに関わりなく、酒席自体がもちにくい昨今である。やることが多すぎる。もっと弱音を吐かなければ生きていけないのではないかと危惧する。自分の車の助手席に座ることができるので、運転代行は嫌いではない。だけど利用は年に2、3度くらいか。

■mercoledi,27,giugno,2007
 人間ドックの抽選に漏れたことが今日一番がっかりしたことだ。せっかく受ける気になったのに、その希望は一方的に打ち消されてしまった。もう絶対に行くもんかという気になった。このせいで病気の発見が遅れたらどうしてくれるんだ。いいさ。これも神様が決めたこと。自分にはまだ必要ないということなんだろう。

■martedi,26,giugno,2007
 人の気持ちって危ういものだと君は思う。熱くなったり冷たくなったり。これだけ気候が暑くなると、逆に心は冷めていってしまうものなのかもしれない。そして、こんなに暑い日が続くと、疲れは倍増。カラ元気ということになってしまう。そういえばもう梅雨に入っているというのに雨など降る気配がない。外の世界もカラ梅雨だ。心にも体にも潤いがほしい。でも、いったい潤いって何だ。

■lunedi,25,giugno,2007
 六月最後の一週間が始まった。2007年の上半期などといっても、もう最初のほうは霞んでしまっている。その中で君にとっての最大の事件はとても人間的で、上質な精神体験だった。なんだかんだ言っても、人ってすばらしいものだ。われわれは人だから。
 悲観的な見方だけれど、人類はまもなく滅びるだろう。それでも人類はすばらしいのだと、心から思えるように努力してみよう。ただ滅びてしまう者としてではなくて、レジスタンスとして生きる。人生の後半戦も、自分にしかできないやりかたで生きてみよう。

■domenica,24,giugno,2007
 病院で処置をしてもらってから職場へ。あれこれと片付けているうちに午後1時近くになった。休日に、平日に間に合わなかった分の仕事を消化するのはばからしい時間の使い方だけれど、平日の夜にやるよりよっぽど効率がいい。基本的に、やることが多過ぎなのだ。それなのに、たくさん仕事をすることが美徳だみたいに考えている人が多いから困ったものだ。成果主義でもなんでもなく、以前はもっと生きやすかったのだろうけれど。
 新しいパスポートを取りに盛岡へ。チップが入ってなんだか無駄に厚ぼったくなった。滞在時間は10分というところ。日曜日の盛岡にはそれ以外に何の用事もありはしない。そして、初めて入った矢巾の蕎麦屋で冷やし蕎麦を食った。

■sabato,23,guigno,2007
 朝早く起きて山に登る。登山バスに乗って、北上山地の最高峰へ。2時間半の登りはとてもゆっくりとしていて、君にも楽に登ることができた。風が強くて寒いくらいだったが、ほんの少しの間だけ、雲が晴れてすばらしい眺望が開けた。小さな高山植物たちも無数の花を咲かせており、太陽の差し込んだ瞬間に眩く光った。3時には帰宅したが、それからは何も手につくわけもなく、シャワーを浴びて深く眠った。

■venerdi,22,giugno,2007
 滝が流れ落ちるようにして週が終わりを迎える。ひとつひとつ丁寧に片付けることができたらどんなにいいだろう。とにかくどたどたと終わらせていく。無理矢理に終止符を打っては、もう見ないふりをして先を急ぐ。
 夜にはまた集会があった。夏至の夜。しかも週末の会館にはからからと乾いた笑いが響いて、疲れをいっそう誘う。エネルギーの欠片もない。新しいきまりがまた君らを飲み込もうとしているのに、君ら自身はそれにあまりに無頓着過ぎる。もう10年前とも、昨年とも、まったく世の中は異なっているというのにね。

■giovedi,21,giugno,2007
 暑い日が続く。まるで夏休みのようだ。君はカナダの長い夏休みのことを思う。そろそろ卒業式が終わった頃だ。サマータイムだから、5時を過ぎても太陽がまだあんなに高いところにある。仕事を終えた人々がパティオで談笑したり、裸になってスポーツしたりする姿を見ながらの帰宅途中は自分自身もなぜかうきうきした気分になったものだ。
 きょうは夕方の会議が長引いた。途中で抜け出して通院し、戻ってきても様子は変わっていなかった。そして、夜には夜でまた集会があった。いつものことといいながら、また君はつまらない顔をする。未来を考えることがどうしてこうも面白くないのだろう。仕事とか、職場とか、もうそれによって個人が成長するなんてことを真剣に考えることはできないのだろうか。まじめなやつほど馬鹿をみる。今はまさにそういう世の中じゃないか。
 6年ぶりに会った懐かしい顔。だけどひとこと挨拶を交わしただけだった。一生の付き合いってきっと難しい。でも、それを求める君にとっては、目の前を通り過ぎていくだけの人のことはどうでもいい。

■mercoledi,20,giugno,2007
 感心なことに、君は毎日病院に通い続けている。それはこれまでのどの治療とも違う複雑な処置が必要で、君の持ち合わせた知識ではどうすることもできないためである。とはいっても、消毒して、ガーゼと湿布を貼って、包帯を巻くだけのことなのだが、医者が明日も来いというのだから仕方ない。言いつけに背いたせいでまた悪化でもしたら、いつまでかかるかわからない。

■martedi,19,giugno,2007
 きのう逃げた分、きょうは遅くまで残って仕事をした。吟味はしたつもりだが、それがいい結果をもたらすとは限らない。
 君は周囲の君に対する評価について、いつも不満を抱いている。まじめだし、仕事はしっかりやるし、穏やかだし、従順だし。その中にはたくさんの嘘が隠されていて、自分の本質はそのどれでもなかったりするから。実は最近君は自分を破壊者ではないかと感じている。

■lunedi,18,giugno,2007
 竹内まりやの「みんなひとり」という歌が頭の中で鳴り響く。まさにそう。だけど、それだけでほんとうにいいの?
 君の今年度の健康診断はきょうが最後のチャンス。昼過ぎから出かけて受診することにしていた。その後は直帰のつもりで、必要な仕事を急いで片付けて出たのだった。会議も三つ入っていたのだけれど、すべて人に頼んできた。職場に戻れない時間ではない。だけどあえて戻るほどのことはないと思った。いつもいつもまじめで都合のいい奴とみられることが、たまらなく嫌だった。
 とある店に寄って仕事の支払いを済ませ、病院で足の治療をしてから、予防医学協会の建物へ。居合わせた人から「終わったら(職場に)戻るでしょ?」と言われて少し気分を害した。堂々としていればいいのに、それができない。帰りは思いついて歯医者に寄った。少し気になっていた歯石の除去を一度にすべてやってもらい、すっきりした。
 帰ると部屋の模様替えをした。ここに住み始めてから最大規模の家具の配置換えだったが、意外と短時間で済んだ。土日の影響と、やらねばならないことからの逃避。とにかくシンプルなのがいちばん。
 
■domenica,17,giugno,2007
 晴れた日曜の朝。早く起きて見知らぬ町の周辺を散歩。踏切を越えて、跨線橋を越えて、またもとの場所へ。海は見えなかったけれど、緑の匂いのする素敵な町だと思った。部屋に戻ると、珈琲とミルクティーとフライパンで軽く焼いたカンパーニュの香り。そしてまた弾む会話。
 人間と人間との関係に、本来は名称などない。たとえいろいろに呼ばれたとしても、君らの二人の関係には、既存のどういう名前も似合わないだろう。互いにとっての大切な存在なら、それ以上形式のことは考えない。ほんとに考えたいのは形ではなくて、これからどんなやり取りを続けていくかということ。次は8月かな。離れるのは少しつらかった。
 9時前の太陽がすでに暑くて、真夏のように空気がゆらいでいる。のんびりした緑の国道をまた戻り、途中から昨日とは別の道を通って高速道路を使うことにする。道の駅で地元の産品をいくつか購入。まっすぐ帰れば昨日の半分の時間で着く。帰ってから少し部屋の片付けをした。人から影響を受けることは素敵だと思った。

■sabato,16,guigno,2007
 朝一番に病院へ。混んでいるかと思いきや、先週と比べてひじょうに少ない。おかげで9時過ぎには帰宅。何をするでもなく、珈琲を啜る土曜日の朝。メールを何度か読み返してはあれこれと空想を巡らす君。 “proposition” にはいろいろな意味があるんだよね。どんなことも深読みする君だから、ちょっと考えすぎたんだ。
 長めのドライブ。お土産に買ったパンは少し多め。マダムとの短い会話の中で耳にする名前。それから久しぶりに中河で極上のラーメン。向かう北の港町。あっという間の3時間。到着したのは5時過ぎ。その晩のことは書きつくせない。ごちそうになったお寿司は超特大。エヴィアン水を飲みながら遅くまで語り合った夜。

■venerdi,15,giugno,2007
 目が回るように思ったのは、湿気のせいか。きょうもヴァラエティに富んだ一日だった。そして、君と周囲の感覚のズレを、感じずにはいられなかった。本来業務とは別のところでそこまで神経を逆立てることもなかろうと、君は耳を塞ぐ。優等生的答え、あるいは、上司にとっての従順な部下の言葉であれば、仕事は最後まで仕事、たとえ死んでもお客様のため。だけどそんなことはこれっぽっちも考えない。
 本分に徹する。それでいいじゃないか。徹することのできない職場や社会にいつまでも縛られる必要などない。
 シンプルなメッセージがいちばん強いことを君は知っている。たとえばLOVE&PEACE。複雑化したものごとには終止符を打とう。
 だから、今夜の提案を甘受しようと思う。

■giovedi,14,giugno,2007
 たとえば一緒に暮らしているといっても、気持ちまではわからないのだ。君は自分について何の理解もなかったのだと落胆し、その存在を忌まわしく思う。殺意を抱いたのは初めてかもしれないが、それは普通に生きていれば遅いくらいの反応だろう。しばらくはその気持ちに向き合ってみたらいい。実行さえしなければ全然悪いことではないのだから。理解者は、大概が理解者の仮面を被った赤の他人だ。ほんとうに人から理解されようと願うのなら、理解されるだけの人格を君が具えなければいけない。そんなことに君は気がつく定めにあったのだ。もう少しだと思う。君を歓迎するよ。
 それにしても、こんなふうに落ち込んだ日に、夜半になってそれを打ち消す素敵な出来事が起きる。一時間と二十一分の時間旅行で君は夢を見た。面白くなかったことの一つ一つが、言葉に分解されては心の糧として落ち着いてゆく。こういう体験などこれまでなかったと正直に思う。ほんとうにありがたい存在に君は気づく。真の理解者かもしれない。おかげで明日も生きていけそう。

■mercoledi,13,giugno,2007
 一喝すれば済む指導なんてあり得ない。その前に何をするか、その後に何をするか、それしかない。けして逃げないという決意。しかし、それといいかげん逃げたい気持ちが交錯する。どちらでも構わないと素直に思う。君は、今年度いっぱいで終わりにしたって大丈夫やっていけるなどとかなり漠然と考える。既得権益に固執するつもりなどない。ほんとうにやりたいことだけを追求した結果が退職なら、全く問題ないと思う。続けない理由と辞めない理由を秤にかけて、毎日とりあえずの結論を出してみる。生きるか死ぬか、伸るか反るか。ぎりぎりのところで出した答えなら君にとって間違ってはいないはず。ただ燻っているよりもやってみなよ。
 きょうも暑い一日だった。だけど君は、仕事中に暑さも寒さも感じない。ついでに言うと、仕事中には味も何も感じないのだった。それでいいと思っている。それだけ仕事に没頭していられるというのは、ロボットよりも有能な証拠だ。同じ日なんて一日もないから、ルーティン・ワークのスキルなんて、君たちの仕事には通用しないのだ。
 たまには3時で終わることもある。日課となった通院も、きょうは注射を打たれなかった。痛みもだいぶ引いてきて、治癒の見通しがついてきた。パスポートの更新手続きをして、パン屋に行くこともできた。それほど舌が肥えたとは思えないけれど、市井の普通のパンでは全く物足りなくなってきた。あの口の中に広がる芳醇な香りを想像すると、食べたくなって仕方なくなる。このパンとの出会いも不思議。

■martedi,12,giugno,2007
 いじめというのは日本の文化であり伝統だ。これは疑いない。だとしたら、日本の文化を壊す側に回りたい。そう君は考える。国自体が信じられなくなってくると、自己の拠所も揺らぐ。君は若い自分からいつでも自殺をよく考えている。今夜も車の中でそればかり考えた。不健全だと周りの人は言うだろう。だけど、それが君自身の重要な要素だとしたら、それを誰も否定しようがない。死ぬということを考えもしないより、よっぽど素敵なことではないか。

■lunedi,11,giugno,2007
 ほとんど真夏の暑さ。6月にこの暑さというのは以前はなかったことだ。人間の感覚なんていい加減なもので、まさに茹で蛙のように、気がついた頃にはどうすることもできなくなってしまう。環境を守れ、地球に優しく、温暖化を防げ。みんなどうも胡散臭い。自分の欲望のためなら人類の未来なんてどうでもいいというのが、人間の本質ではないだろうか。そうして前者を大事にしようとする者が生き延び、後者を大事にしようとする者は早くに滅んでしまうのが世の常である。

■domenica,10,giugno,2007
 日曜日の病院。きのうとはうって変わって人がいない。当番医ではなく、処置の必要な患者のために日曜日も開けているようだった。きのうの小説の続きはあまり進まなかった。包帯を外すと、血液が勢いよく噴き出して白い靴下を赤く染めた。患部にはまだ血の塊が残っており、医師がそれを昨日のように掻き出した。昨日の倍くらいのひどい痛みを感じた。看護士が大丈夫かと聞いてきた。痛みで涙がこぼれるほどだったが、横になっていたのでなんとか我慢できた。「大丈夫ですが、こりゃそうとうな痛みですね」と苦し紛れに笑うと、きょうは麻酔をしていないから、いつも麻酔するわけにはいかないからという返答だった。そして、「長くかかるだろうけどがんばって」と励まされた。いつまででもがんばるさ。あなたの抱えるものの重さを考えたら、こんな痛みなど何でもない。全部引き受けるから。
 ところで、まっすぐな心の中に「言霊」は宿るのではないかと君は考えている。素直な気持ちで相手の声を受け止めれば、君の返す言葉は自ずとそれに導かれるようにして紡がれる。そうして、まるで蚕が糸を吐くようにしてまたひとつの手紙ができあがる。君が誰かを幸せにするためにその言葉をつかうなら、その人はきっと幸せになるだろう。そしてその人もきっと君を幸せにするだろう。手紙も、メールも、電話でも、たとえ顔を見ながらの会話でなくとも、真心は言葉に乗ってどこまでも届く。距離などは関係がない。だから、その心さえあればお互いに気持ちを通い合わせられる。そして、いつの日にかひとつになることができる。もう悩むことなくそう信じてみようと思った。

■sabato,9,giugno,2007
 朝一番で病院に。受付の十五分くらい前に着いたのだけど、もう待合室はほとんど満席で、灰皿のある煙たいところしか席が空いていなかった。診察まで一時間くらいかかり、おかげで読みかけの小説がずいぶんと進んだ。
 医師の診断によると、患部に血液が溜まり、それが固まってきたのだという。切開して取り除かないとたいへんなことになるというので、すぐに手術することになった。年配の女性の看護士が、「できない理由が何かありますか」と聞いたが、ないとしか答えようがなかった。もしあるとしたらどんなことだろう。宗教上の理由ということなのかな。看護士が大きな剃刀を持ってきて、脛毛を丁寧に剃った。ベッドに仰向けに寝て、後は医師のなすがままに身を任せる。麻酔はかけたというものの、患部を切り開き、血の塊を取り除くのだからひじょうに痛かった。医師はそれを何か器具を用いたり、指で押し出したりしてぐりぐりと取っていた様子だったが、「見ないほうがいいでしょう」と言うので、現場は見なかった。額に脂汗が滲んでくる。まさかこんなことになるとは。痛みから逃れるために、全く関係ないことを考えようとする。ようやく処置が済みほっとすると、とどめに化膿止めの注射を腕に打たれた。明日も朝一で来るようにと言われた。
 手術というにはあまりに単純な作業だが、考えてみると自分はこれまで手術と名のつくものを経験したことがなかった。これが内臓疾患などでなくてよかったと考えたらいいものか。これから身体のあちこちでいろんな不具合が生じて、そのたびに医者の世話になるのだ。病院という場所が、これからますます身近なものになっていく…。

■venerdi,8,giugno,2007
 午後から往復2時間の道のりを、散歩のような感じで歩く。雨の降る不安はどこかへ吹っ飛び、太陽の下、途中の鮮やかな花々や木々や鳥たちを眺めながら、いいにおいのする6月の道路をただひたすら歩く。全くの無言で厳しい顔つきで歩いていたが、内心ではひとりさわやかなハイキングを楽しんでいた君。
 歩いたり走ったりする分にはどうということもない。しかし、例の患部の腫れと痛みはますますひどくなり、尋常じゃないことは素人の君の目にもよくわかった。診察時間ぎりぎりの整形外科に飛び込んだが、医師はもういないというので、近くの接骨院を紹介してもらい、そちらに向かった。三十年くらい時代を遡ったような懐かしい雰囲気の建物で、診察をしてもらった。看護士も医師も終始穏やかな笑顔を浮かべていたが、一週間も放置していたことについては厳しく責めた。君の左足は包帯をぐるぐる巻きにされ、帰ったらすぐに氷で冷やすことを命じられた。それから、風呂に入るのは厳禁だと付け足された。明日は一番にはじめの整形外科に行って診てもらわなければならない。

■giovedi,7,giugno,2007
 下痢は収まってきたものの、足の痛みはひどくなるばかり。夕方からはもう一人の担当と交代して病院に行こうと思っていたが、結局交代できずに行くことができなかった。君はこの状況を憾むでもなく、ただただそのまま受け入れようとする。たいしたことではない。そう、こんなこと。明日、行けたら行ってみよう。と、それでよい。

■mercoledi,6,giugno,2007
 胸がむかむかする状態は昨日と変わらない。さらに、ひどい下痢。というより大量の水のみが出るという異常さ。まるで身体中の水分が搾り取られでもしそうな感じ。これではいけないと思い、水を多く摂取するけれど、それもまたすぐに排出されてしまう。そうやってだんだん元気が奪われていく。足は足で、痛みが増してきた。表面の赤みは消えるどころか広がって、以前より突起してきたように見える。

■martedi,5,giugno,2007
 耳鳴りの薬はもうすぐ切れるが、相変わらず左耳には重低音が聞こえている。朝から胸がむかむかして、ご飯も喉を通らない。そして、足の腫れも引いているようには見えない。君の頭には満身創痍ということばが浮かんだけれど、ほんとうの満身創痍とは程遠いことを君は知っている。人間の自然治癒力というのを、信じてもいい。だけど、怪我や病気の程度によっては、黙っていたって治らない状況もおおいに考えられる。君はこれに、年齢という新たな項目が付け加えられそうだなと感じた。
 前厄だからお祓いに行くようにという忠告を、君は馬鹿にして聞き流していた。今でも、迷信だと思っている節があるけれど。ある人はこの厄年を乗り切り、またある人は乗り切れずに息絶えてしまうのだろうと思った。自分は後者かもしれないなと、笑った。

■lunedi,4,giugno,2007
 午後からの軽い出張の日は、そのまま直帰してゆっくりしたい。君は朝から少し気分がよかった。だが、どういうわけかそういう日に限って何かがあるものだ。直帰どころか、結局君が帰ってきたのはいつもより遅い時刻だった。いつものこと。笑ってしまう。
 きのうのメールに返事は来ない。それはそう。君はわざと、返答に窮するような言葉をその文面に散りばめて書いたのだから。人間の弱さというのは、どこで露呈してしまうかわからないね。人を苦しめることと、人を愛することを取り違えるなんて。
 まっすぐに向き合うことなしに、問題は何一つ解決しない。誤った道を君は進んでいる? あるいはこれが君の本質? 誰にとっても害悪でしかないという? 笑ってしまう。何なんだろうね、君の存在って。

■domenica,3,giugno,2007
 足が痛くて一時間程度しか眠ることができなかった。インドシナの寝苦しい夜を思い出した。蚊に食われたところが化膿して酷い目に遭った、あれは33歳の夏。そのときに感じたのと同じ皮膚のつっぱる感じが向こう脛にある。まだ7年しか経っていないのに、ずいぶん昔のようだ。この間に君は大きく飛躍したはずなのだけど、気がつくとまだ同じ場所に立っているだけ。翼をはためかせて高く飛んだと思ったのは、あれは夢だったのだろうか。そして、ここには誰もいない。皮膚が少しずつ紫色に変わって、足首にまで達している。それほどの大怪我をした自覚もなかったが、客観的にみればこれはかなり痛々しい状況だよ。
 君はたまりかねてメールを打つ。マリエル、あなたはいまどうしていますか。あなたが僕に語った夢に、あなたはどのくらい近づいていますか。いまでは顔すら思い出せないけれど、あなたと同じ場所に立っていたという事実が、いまでも僕を支えています…。
 昨夜の誰かの仕合わせそうな笑顔が脳裏を過ぎり、君ははっと現実に引き戻される。自分に向けられたのではない微笑を垣間見るとき、君は心を閉ざしてしまう。そしてまたおかしな妄想を始める。もしやこれは仕組まれた罠だったのかな。君ができるだけ傷つかないようにと、ふたりで話し合ってきめたのかな。そんな残酷な配慮にまんまと乗った振りをして、何事もなかったように続けるなんて。虫の良い話さ。
 かなしみに鈍感なまま生きれたらどんなにいいだろう…。精一杯の微笑をつくりながら気付かれぬように後ずさりしはじめる君。

■sabato,2,giugno,2007
 いつものように午前は仕事。自分の身体を苛めたいような気持ちに駆られて、いつにもまして激しく動き回った。動いたのはよかったが、右の向こう脛を思い切り蹴られたときに内出血したらしく、みるみる足が左の倍くらいの太さに腫れ上がった。どうも血管すら弱くなってしまっているらしい。昼過ぎから少し眠って疲れを取ったが、足の腫れは一向に引かない。
 君が27歳の頃にした失敗について思い出していた。あのときと今はとても似ているのではないかと思って。若気の至りではあったけれど、そこで君は、「嫉妬」という感情の醜悪さを知った。そして、どんなことがあってももうあんな感情は抱かないと、心に誓ったのだった。以来あんな激しい苦しみを覚えたことはないはずだから、君にとっての大切な学びの機会だったんだ。これから先、ほんとうのやさしさをたくさんの人たちに捧げることができたなら、それでいいじゃないか。
 夜には盛岡へ。例の集まりに参加した。おいしいパンと料理とワインで、この夜もまた初めての人たちと楽しく会話した。さまざまなことを話す中で、なぜだか励まされるような心地になった。あのときの君だったら、途中で店から飛び出していたような状況だったけれど。
 人間どうし、さまざまな付き合い方がある。友情や恋愛などというありきたりの言葉では表現できない、その人どうしだけの別個の関係があって、それらにはひとつとして同じものはない。ひとつの型に当てはめてしまえるほど単純なものではない。ただ、君が誰かと関わりをもとうとする以上、それがお互いの人生を豊かにするものであってほしいと願う。

■venerdi,1, giugno,2007
 さわやかな晴れの日を撮ったつもりなのに、画像が粗くて残念。晴れているのにクリアでない。しかし、これぞ君の心境を写し出しているともいえよう。というわけで、今月の表紙はこの写真。君がかつて住んでいた国の初夏の風景、ではなくて県央のとある公園です。
 6月になった。いつものことだ。もう何十年も前から繰り返しているようなことが、またこの月にも行われようとしている。またひとつの物語がかなしい結末を迎えることになる。そんなせつない月の節目に、少しだけ色を変えるために、でかくて邪魔な椅子を取り払い、小さなものにした。このほうが君にふさわしい。それから、君は大陸の頃を思い出すように、極力ネクタイはしないことにした。
 君の日々感じていることも、ほかの人にとってはどうということもないし、君はいま病気でもなければ、精神的におかしくなっているわけでもない。だから、堂々と生きてみようよと、君に向けた応援にもなったらいいなと、そんなことも考えてみる。どうしようもないほど時間は過ぎてしまったけれど、君の歩んできたその道のりを君自身がまっすぐに受け止められるように。

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