2007年5月
■giovedi,31,maggio,2007
 日付を飛ばしたのは久しぶり。なにも書けなかった日のことまで書く必要もなかろうと思った。というより、数日前のことがほとんど思い出せないので、書こうとしても書けないのだ。五月最終日。いろいろあった一か月だったが、進んだことなどひとつもなかった。だんだんはっきりしてきたこと、自らはっきりさせたことがある。期待と不安が入り混じった日々、天国と地獄を繰り返すような日々の中で、やはりなんだか思い通りにはいきそうもない感じが強くなってきた。そして、前夜、という感じの日々を過ごしている。もう覚悟はできている。
 何度こんなことを繰り返せばいいのだろ。なぜこんなふうになってしまったのだろ。

■domenica,27,maggio,2007
 続ける意義がわからなくなってきた。何もしない休日。テレビを見ていると、あれこれと国の行く末が不安になって、それと同時に、いまやっていることがばからしく思えてくる。

■sabato,26,maggio,2007
 どん詰まり。行き詰まり。きっとこれからこういうことが増えていくのだ。前途多難。

■venerdi,25,maggio,2007
 耳鼻科に行く。聴力検査をしたら、感じているとおり左が弱っていると出た。でも正常範囲だと医師はグラフを見ながら笑った。いくら正常でも、本人が不便と感じたら問題ではないのかなと思った。飲み薬を一週間分出してもらった。少しは効くといいけれど。
 県立図書館でカードを作った。本を借りる気分ではなかったので、視聴覚のコーナーに行ってミュージカル物のDVD等を借りた。使い方によっては、たいへんありがたい施設。本を買うことなど必要ないかもしれない。そうはわかっているけれど、買ってしまうということがある。
 雨になった。きょう休んだ理由は、組合の行事に参加するためだった。夏や冬の休み以外で、年休をまるまる取ったのは何年ぶりだろう。記憶に残っていない。新鮮な空気ではあった。さまざまな人たちがやはりいるんだと感じた。そして、かなり打ちのめされているような印象を受ける。そうとうな仕事だと思う。続けるとなるとたいへんな覚悟が要る。そこまでして続ける理由なんて。
 結局18時半頃まで。7時間以上狭い座席に座っていたことになる。勉強になったのかどうかわからない。ただ、いまの日本国憲法を守ることをいちばん大事に考えて行動することが大切ではないかということは、強く感じた。真剣にやることをやらないと、ほんとうに日本は終わってしまう。何かしたかったけれど、疲れたのですぐに眠ってしまった。

■giovedi,24,maggio,2007
 新しく生まれたことがらの中にもかなしみの種はあって、きょうはそれが少し膨らんで僕にいたみをもたらした。考えてみると、生きているという感覚はいつもこのいたみをともなってあらわれる。いつかは、いたみではない情感や満たされた思いとともに、生きていてよかったと感じてみたい。残り時間が終わってしまう前に。
 「いつも」ということばと、「なぜ」ということば。正直に生きてさえいればと思ってはみるけれど、それだけで解決されることなどない。正直に生きることしかできない。そしてそれを、自分の唯一の価値であるとさえ思う。こういうのを愚直というのだろ。何が悪かったか自分なりに考えてみる。しかし、そこに悪い人間など自分を含めてひとりも関わってはいない。ただ愚かなのだ。
 ひとりひとりが生きてきた。そして、それぞれに生きている。さらに、あしたからも生きていく。求めるものが手に届くところにあるかどうかは、関係のないこと。

■mercoledi,23,maggio,2007
 昨夜は絶妙なタイミングで電話が来たので驚いた。考えていることをすべて交流しようと思ったら、いくら時間があっても足りない。言葉を交わすということは、目的ではなくて手段なのだ。分かり合うために使うのは、言葉だけでなくていい。音楽のような、まるで五月の風のような、快い空気を呼吸したい。だけどそんな微妙な感覚なんて、言葉で表現することなど不可能だ。それでもあがきながら生み出されることがらたちを、僕は愛しく思う。日々のいとなみの中で、黙っていたら埋もれてしまうかなしみに似た気持ちのかたまりを、どうにかして形に残したい。ほかの人々は、そんなことをあまり考えないのだろうか。
 きょう受け取った返信。誠意というのは、とてもフラットなものだ。だから何ら揺さぶられることはないし、それをうれしくすら感じてしまう。苦いはずのことなのに、あまりにまろやかな口あたり。あたかも舌が麻痺しているかのよう。そして新たに生まれたいくつかのことがらのために、僕はまだ生きていくことができそうだ。嫌な意味で年をとったものだ。人と人のつながりをもっと学べと声がする。学びが足りないからいけないのだ。それは、人と比べて人より足りないということではなく、人より多く学ばなければ理想に辿りつけない種類の人間だということだろうか。志は千里にあり、か。いや、それはただの逃げ口上で、やっぱりお前は勉強不足だよ。
 すべては心のもちよう、か。心がすべてなら、身体は要らない。でも、人間はこのいれものがなければ生きていくことができない。なんていまいましいんだろう。

■martedi,22,maggio,2007
 きょうも晴れて暑くなったが、きのうほど空気にさわやかさを感じなかった。昼には讃岐うどんを食べたかったが、行ってみると定休日だった。それで、花巻や北上にある天然酵母を使ったという評判のパン屋をいくつかはしごした。ほんとうにいいものを選ぶには、いいものに接する必要がある。などと言い訳をして、少しずつ買っては味わってみた。ランキングをつけるとすれば、自分なりになんとなくいちばんというものはあるけれど、正直どれがどのようにおいしいか、はっきりと味の違いを区別することはできない。
 手に入る中で最高のものに接する努力が必要だ。しかし、別の人に言わせれば、それは努力でもなんでもなく、自分の楽しさや心の満足のために自然な流れなのかもしれない。そんなふうにしなやかに生きる人の感覚を、僕はぜひとも学びたいと思っている。
 古い友達と連絡を取る。いつでも僕を応援してくれている友達。近況を報告すれば、励ましや祈りをくれる。ありがたい存在。彼を喜ばすことを、いつまでたってもできないでいる。

■lunedi,21,maggio,2007
 さわやかな休日に、まっさらな気持ちで便箋に向かってみよう。そう思って、午後から出かけた。詩歌文学館の前の公園はひじょうに気持ちよく、芝生と空と新緑とツツジとが透明な空気に映えて、まるでカナダの5月のように感じた。オンタリオの議事堂前の花々が目に浮かんだ。そういえば奇しくもきょうはビクトリアデイなのだった。いずれはこの日も思い出になる。
 井上靖の小さな部屋を一周する。ちりんちりんという鈴の音と、幻燈のように浮かび上がる画、そして、いくつもの詩の断片にしばらく心を奪われた。ほんとうは閲覧室を使いたかったのだが、月曜日は閉じていた。図書館も、博物館も、休みだった。さくらホールに行ってみたら、ガラス越しの光あふれる空間に、ちょうどよく机が置かれてあったのでそこを利用した。これで最後になるかもしれない。そうは思っても、伝えないわけにはいかなかった。嘘偽りのない自分。
 7月のN響公演のチケットがこの日の2時から発売されているというのを知り、衝動的に買ってしまった。しかも、なんと田園交響楽をやるのだ。しかし、その枚数でよかったか? それ以前にほんとうにその日行けるのか?

■domenica,20,maggio,2007
 どうしてこうも客観視していられるのだろう。年に一度のビッグ・イヴェントではあるけれど、それほどの緊張も昂奮もなく、予定通りに時刻が過ぎていった。行事の成功は、前日までに9割が決まる。この言葉はまさにその通りだと思う。取り組みの過程にこそ本質がある。そしてあとの1割は、最後まで気持ちを途切らせずに円を描ききることができるかどうか、それを見届けるということ。

■sabato,19,maggio,2007
 この一週間というもの、天気がよくないので予定を消化し切れない。それでも恐ろしいことに最後には帳尻が合ってしまう。努力なのかもしれないし、妥協なのかもしれない。でも、そこに個々の成長が認められるのであればそれに越したことはない。
 独自の文化というものを作ってきた。我が国も、我が地域も。そして、それらを良いものとして次代に伝えようとしてきたし、いまも伝えようとしている。そうして、文化は伝統となり、人々のこころに根付いていく。普通は、それを良いこととして、僕らは考えている。
 一方、多文化とは、スタンダードが人によって異なる状態だ。何が基準か、何が良いことなのか。それが、個々に、あるいはコミュニティによって違う。多文化主義を標榜するカナダという国家は、すべての違いを認め合い、受け入れ合おうという理想を掲げたところである。
 ひとつの文化にこだわりをもち集団全体にその継承を求めるような教育体制がとられるということ。我が国の、我が地域の文化の優れた継承者を育てるということ。まさにいま行っているのはそのことだと思うけれど、それと個々の考え方、他の文化や価値観との違いを認め合うこととは、どうしても矛盾してしまうようにみえる。
 素晴らしい実践と評価される誇らしげな空気の中で、僕はいつも暗いことばかり考えている。だけど、自分がそう感じるという事実こそが、自分の中のスタンダードではないのか。この思いを否定することはない。と同時に、一点に立ってしまってはいけない。さまざまな立場に立って、想像力を働かせなくては。いつでも、手放しで喜んだり、自分のやり方が最高だと信じたり、他人の声を聞く耳を持とうとしなかったり、という態度と接したときには要注意だ。そして、声の大きな者に何の考えもなしに従おうとする態度も危ない。
 良かれと思ってやっていることが、実は優れた兵士を育てることと紙一重なのではないかと疑ってみる。この「マス」というものが、ゲームであるうちはよい。しかし、もしもスローガンがすりかえられたら、集団はとんでもない方向に突き進んでいくだろう。普段は気づかないけれど、やはり僕らはアジア的な土壌をもっているのかもしれない。隣国の現実や我が国の歴史から、もっと学ぶことがある。

■venerdi,18,maggio,2007
 誰に甘い言葉をかけられても騙されることはないだろう。持ち上げられていることがわかったところで、図に乗ったり、その手に乗ったりはしない。苦しみの種は思いもかけぬところから降ってくる。それを除けるでもなく、自ら掴むでもなく、自然に受け止めては、自然に返していく。自分にできることと思えば一生懸命取り組むだろうし、そうでなければ半端な手は出さない。
 作戦や戦略が必要という。計画性が大切だという。そういうことをあまり考えてこなかったのは、自分の反省点なのかもしれない。けれど、作戦も戦略も、奏功することもあれば失敗することもあって、いくら立派な計画でも、予定変更を余儀なくされる場合もあれば計画倒れになる場合もある。基本的な態度としてはもちろん身につけなければならないことだが、それをすべてと思っていてはそれ以上先へは進めない。
 もう同じところに留まっているわけにはいかない。ほんとうに辿り着きたいところを目指して歩き出さなくてはならない。いくつ矛盾を抱えながらでも。

■giovedi,17,maggio,2007
 仕事仕事で日を暮らす。なぜ? それが当たり前であるかのように、僕は仕事のことばかり考えている。どうみたってわたしたちはすばらしい仕事をしている。理想を高く掲げて、この道を胸を張って歩いてゆけ。と本気で叫びたい。それと同時に頭の中で、音楽ばかりが鳴り響いている。言葉じゃない、純粋な魂の叫びをたったひとりの誰かに届けたい。この実生活と精神生活の乖離。自分なりのバランスのとり方。バランスも大事だが、ほんとうはバカンスがほしい。孤独というがらんとした間(ま)ではなく、たとえひとりでも安らかで濃密な時間が。

■mercoledi,16,maggio,2007
 音楽のことについては言えない。聞いてほしい人なんてほんの何人かしかいない。でも、それをいちばん大事に考えている自分というのはいったいなんだろう。この震えるような感覚。期待と失望。自分という人間を誰かがほんとうに理解してくれるとしたら、それは言葉ではなくて感情でのことだろう。それを求めているということだ。音楽は、いってみれば感情だけで成り立っている僕自身の結晶なのだから。

■martedi,15,maggio,2007
 きょうこそは早く帰ろうと思っていたのに。タイミングが悪い。だいたいこんなような感じでこれまで来た。そういう星の下に生まれたのだ。
 それにしても、よくない法律ばかりできる。これでは仕事もやりにくい。何にでも市場原理が通用するかと思ったら大間違い。なんのためにこの職に就いたのか、初心を思い出してみよ。

■lunedi,14,maggio,2007
 夜に盛岡で会議があったため、定時に職場を出る。そういうことはあまりないので、うきうきしていたが、会議は会議で長くて眠くてひどかった。結局は帰ってきたのはいつもと同じくらいの時間。いったい自分は何がしたかったのか。

■domenica,13,maggio,2007
 朝早く起きた。日本の社会は甘えで成り立っている。甘えられているのか甘えているのか。とにかく奪われている。そのことに耐えられる力のあることが少し悔しい気もする。変わらないのは、変えようとしていないから。不満ばかり言っていても、何も変えられない。

■sabato,12,maggio,2007
 きょうは2時頃には仕事を終えた。帰ると夕方まで眠って、夜になって少し買い物に出た。たいして面白くもない土曜日の午後だった。
 偶然近所で一度に3人も亡くなった方がいた。しかも皆同じ苗字。町内の火葬場は満員で、遠くまで運んで焼くのだという。そんな噂話の伝わる速さも、田舎町なら驚くに値しない。その中で、市の合併前に各町にあった火葬場を一箇所にしてしまうらしいということを耳にした。これも合理化のひとつなのだろうが、それで困るのは地元住民たちである。お年寄りなど、遠くの火葬場まで行く交通手段などない人が多いから、そうすると知人に別れを告げることができない事態がおきることになる。財政上の計算ではひとつの策ではあるだろうけれど、行政の頭がその程度に留まっているとすれば、そこに住む住民は不幸だと思う。僕はこの問題ひとつとってみても、将来に渡ってこの町に留まる理由なんてまったくないと思わざるを得ない。もしもこの国がそんな自治体ばかりだとしたら、この国に留まる必要もない。

■venerdi,11,maggio,2007
 朝から少しおかしなことばかり。でもそれを疲れという一言で片付けるのはよろしくないと思う。昼から出張で盛岡へ。出た時間が遅かったので、パンを一個牛乳で流し込みながらの昼食。会議などは4時過ぎには終わり、何もなければそのまま映画でもいくところ。しかし夜には夜で別の会議が入っているため、どうしても戻らねばならなかった。
 ほんもののパンを求めていつもの店へ。きょうは奥さんがちょうど出ていて、少し立ち話をした。話は変わるけれど、僕は軍事教練みたいなことはどうしても嫌いだ。去年は、久しぶりに帰ってきた懐かしさのためか、見るものを肯定的にとらえることも多かったような気がする。それに比べると今年は、花見にしても運動会にしてもことごとく嫌悪感がつきまとっており、それが仕事にも支障を来すほどになっている。奥さんもご主人も、そんな僕の気持ちとかなり近いことを感じられているので、話が合うのだろう。顔を見るとほっとする人がここにも。
 昼をあまり食べなかったし、夜も遅くなりそうなので、ラーメン屋に寄って腹を満たす。七夕ラーメンというのを頼んだが、何が七夕なのかよくわからなかった。その後もどうしても戻りたくなくて、今まで入ったこともない喫茶店でコーヒーを飲んだ。蔵を改造した古めかしい店で、マスターはコーヒーの味にこだわっているらしく、テーブルや至る所にコーヒーについての薀蓄が書かれた冊子や紙が置かれてあった。一杯600円以上のコーヒーなんてあまり飲む機会もないけれど、実に味に透明感のあるブラックコーヒーだと思っておいしくいただいた。面白い店を開拓。ストレスがちょっと減った気がした。15分以内に飲み切って、しかたなく職場へ戻る。
 会議は予定を大幅にオーバーして、やっと自宅に戻ったところで、上着のポケットに職場のマスターキーが入っていることに気づく。慌てて戻ろうとするが、車の中で今度は建物に入るためのキーを部屋に置いてきたことに気づき、また自宅に引き返す。と、そういうバカなことを繰り返しながら夜は更けていく。
 キーを返して外に出る。夜空をひとり見上げると、満天の星。そして流れ星が南から北へと流れていくのを見た。願いことを3度唱えることができるくらい大きな流れ星だった。

■giovedi,10,maggio,2007
 朝一番、6時過ぎに胃検診の会場へ。読書をしようと思ったら、同僚たちが何人か集まって雑談会に。バリウムも発泡剤もどうということはない。これでほんとうに病気はみつかるのだろうか。かりに胃壁がただれているだけでは、入院なんていうことにはならないだろう。かりに胃がんが見つかったら、それをきっかけにして退職するとしよう。病気なら、治さなければならないから。
 人間ドックの回覧板が回ってきた。脳と頚椎の検査というのもあったので、夏に受ける申し込みをした。早期発見早期治療とはいうけれど、僕はその言葉には懐疑的である。どんなことでも見つかった時点がいつでもいちばん早い時期なのだ。あと少し早ければ死なずに済んだなんて聞くけれど、そんなことはない。いちばん早かった結果がその人の死だったに過ぎないのだ。早晩僕もそうやって死んでいく。でも、それはまったく悪いことでもなんでもなく、ごく自然なこと。
 弟の子どもが生まれたそうだ。父親になることはたいへんだと言っていたけれど、それを体験できる人生というのは素晴らしいと思う。親であることはおそらくつらい。それは僕にとっては一生わからないことかもしれないけれど、そんな僕でさえ別の形で、子どもを育てることの苦しみを嫌というほどわかっている。互いにつらいながらもいつか幸せや満足を感じる瞬間が訪れるだろう。それも特別なことではなく、ひとりひとりの自然なことだ。皆がそれぞれの人生をいく。僕も僕の人生をいく。それだけ。

■mercoledi,9,maggio,2007
 僕は懐の余裕よりも気持ちの余裕のほうをもちたいと思う。だけどそれは、懐に多少なりとも余裕のある者の言い分なのかもしれない。おいしいものを食べながら、休みたいねえ、どこかに行きたいねえというのは、贅沢なことなのだろうか。ああ、僕は誰のためにはたらいているのだろうか。この気持ちはいつか報われることがあるだろうか。

■martedi,8,maggio,2007
 ほんとうにすてきなことがあるのだろうか。生きていればというけれど、違う選択もあるのは事実。疑うことも大事だし、信じることも大事だし。死ぬ気になれば何だってできるというけれど、それが何かを思いとどまらせるだけの力をもつ言葉だとは思えない。生きるのが嫌だという気持ちはわかるよ。だけど生きるだけのエネルギーが死にも必要だ。何をするにも、生を全うするだけの力は要るのだということ。それなら僕はだまって生きていたほうがいいように思える。

■lunedi,7,maggio,2007
 連休明け、誰もがのらない。午後の会合は眠くて駄目だった。ぞろぞろと同業者たちが列を成して移動する光景を見るのは嫌いだ。

■domenica,6,maggio,2007
 勉強しようという決意はどこかにいって、いつもの日曜とほとんど変わらぬ時間の使い方をする。だが、気持ちの持ち方は違って、まず、昨日のことをあれこれ思い出してはいくつもの言葉を反芻していた。そして、意味について考えた。偶然と必然、それに運命、出会いと別れ。さらに、自分の気持ちを突き詰めて探ろうとした。それでも考えは思うようにはまとまらない。
 昨日の昼食やコーヒーの味は何一つ心に残っていない。それだけ話に夢中だったのか。それならもっと気の利いた受け答えができたらいいのに。それに、そのとき思ったことをその場で口に出してみればいいのにと思う。だけど、そこでは相手の顔や声を見聞きするのに精いっぱいで、深く考えるところにまで至らないのだ。後になって、ああすればよかった、こう言えばよかったと反省する。
 昼には少し車を走らせて、初めての店でみそラーメンを食べた。味は悪くなかった。でも、そのせいかどうかはわからないけれど、午後から身体中がかゆくなってきて、それが夜まで続いた。この症状は前にも何度かある。ラーメンを食べた後に出たことを思い出した。ほんとうにいいものを食べたのなら、そんな症状が出るはずはない。としたら、化学調味料か何か、よくないものが身体に入ったのだなと思う。
 ほんとうにいいものだけを食べて生きられたら素晴らしい。これは食事の話だけではないのだな。日々の人間関係に気を遣って神経をすり減らすというのではなく、健康な心身をつくり、かけがえのない命を生ききるために、あらゆる場面でいいものを求める姿勢をもとう。

■sabato,5,maggio,2007
 昨夜から感じていたが、変な格好をした若者が多い。これは山形だからというわけではなく、どこでも同じようなものなのだろう。しかし、夜に繁華街に出歩くこともないために、気が付かなかっただけなのだきっと。駅のファミリーレストランで朝定食を食べる。なんか山形らしさがどこにもない。端のテーブルを占領していた若者達は夜中から寝ていない様子。辺りかまわず大声で騒いでいた。中に女が一人いて、電話で友達を呼び出している声が聞こえてきた。時給五千円だってよ。4時間で2万だよ。実にやばい。早朝の街にもこんな光景が繰り広げられているのか。この人たちはすべての価値を金に置き換えることができるのだろうか。僕は僕の世代でよかった。

 博物館へ行くために八木山の道路を通ろうと思った。途中坂の多い住宅地に迷い込んだ。やっとのことで住宅地を抜けると、動物園に行く車の渋滞に巻き込まれた。子供の日ということで施設が無料になるのだろうか。やっとのことで動物園のところまで来たが、目的地に通じる道は封鎖されており、大きく迂回を余儀なくされた。いつもそう思うが、迷うというのも旅のよい方法。
 こんなこともあろうかと早めに出ていたので待ち合わせにはじゅうぶん間に合う時間に到着。博物館をゆっくりと見て回ることができた。そこのレストランで食事。車はそこに停めたまま徒歩で街へと向かう。アップルストアをちらりとのぞいて、駅前の市場を通り、エンドーチェーンという懐かしい文字が書かれたビルに入り、ジュンク堂でしばらく物色。高い本ばかりずいぶんと買い込んだ。喫茶店でしばらく休んで、また博物館に引き返す。結局高速で盛岡までとにかく喋りっぱなしで戻ってきた。盛岡駅で一人になると、とたんに襲ってきた寂しさ。お金でなんかけして買えない時間を共有した。でもそんな素敵な時間はいつもあっという間に過ぎ去ってしまう。

■venerdi,4,maggio,2007
 早朝に家を出る。6時過ぎの浅月で朝食に讃岐うどんをすする。まっすぐに酒田行き。久しぶりのため少し迷う。山居倉庫そばの駐車場を尻目に、山居橋の向こう、がら空きの駐車場に停める。しばし散歩。その後土門拳。古寺巡礼。また会えたという感じ。池のほとりには里桜が満開で、青空の下、風に揺れていた。緑の芝生のグランドでは小学生のサッカー。時を忘れる。
 酒田に来たときいつも利用するアルバというカレー屋。以前は駅前にあったが、調べたら少し郊外に移転していたことがわかった。なぜか酒田ではここでカレーを食うのが僕の中では恒例となっている。店を探し当て、名物の焼きカレーを注文する。まだ12時前というのに、客が次々と訪れる。カウンターに座ると、厨房の様子をすっかり見ることができる。そういえば前の店もこんな感じだったことを思い出す。頑固な感じの親父さんがフライを揚げ、その他に二人の青年と、奥さんがくるくると忙しそうに働いている。あつあつの焼きカレー。これはうまいや。いいもん食った。またこれを食いに酒田に来よう。そう思わせてくれるくらいの絶品だと、僕は思う。そして食後しばらくしても胃が痛くなるということはなかった。体調も悪くなかったし、休みでストレスもないし、なによりほんものなら身体に異常を来たすようなことがあるわけがないのである。
 日本海を見ないまま、湯殿山にも参らずに、ひたすら山形市を目指し、夕方早い時刻に駅前の宿に到着。市内の裏通りを中心に散歩。古い建物があちこちにずいぶん残っている。小さいけれど、ほんわかした町だ。明日は仙台。夕飯は近くで簡単に済ませて就寝。

■giovedi,3,maggio,2007
 連休後半初日。3時過ぎまで仕事してきた。外で少し立ち話しただけで顔が真っ赤に日焼けした。少し遅い昼食は、とんとん山というところで冷麺を食べた。ほとんど古民家そのままの雰囲気のよい感じの店だった。
 夜には岩手県公会堂に矢野顕子の出前コンサートを聴きに行った。僕のいちばんに尊敬するアーティストのライブ。この人はほんとうにいい笑顔で歌う。素晴らしい2時間。これは忘れられないと思う。night train home が特別だったわけを知る。金では買えない体験。
 そして、これを実現させようとしたスタッフの熱意にも感動。7月には懐かしいキムドクス・サムルノリが来る。面白いことをやる。

■mercoledi,2,maggio,2007
 苦あれば楽ありの話をした。これまでの時間を100とすると、苦楽の割合はどのくらいか。何の掛け値もなしに、苦が99で楽が1かなと言ったら、意外な顔をして聞いていた。子どもの頃なんて、だいたい50対50くらいだと感じるものなのかもしれないけれど。一年に換算すると、いいときなんて3、4日。うん、そんなものか。そしてきっと、この先楽の日はさらに少なくなるだろう。
 なんて希望のない話? そうではない。苦があればこその人生だ。嫌なこと、思うとおりにならないことが多いからこそ、深みのある味わいが生じ、喜びと感謝の気持ちが高まる。実にベタな話だが、そこのところが子どもにはわからない。

■martedi,1,maggio,2007
 今年ほど桜をみても面白くない年はなかった。花見とアルコール臭さが強く結びついて、桜の咲いているところには近づきたくないという気持ちが先に立ってしまう。どうしてこんな木を日本中に植えまくったのか。いい酒が飲みたかったのね。なんておおらかな人々だろう。そして、この花の下で死んでいった数え切れない命を思うと、やりきれなくなる。

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