2007年3月
■sabato,31,marzo,2007
 新幹線に乗って八戸へ。新花巻駅からでも1時間あれば着いてしまう。ずいぶん近くなった。帰国してからは初めてだったけれど、それまでは年に1・2回は意味もなく訪ねていたものだ。ローカル線に乗り換えて本八戸で降りて、繁華街をゆっくり散歩する。裸電球のぶら下がった露店でだんごや豆しとぎを買う。買いがてらおじさんやおばさんと話をする。みんな気のいい人たち。写真を撮らせてもらった。
 「あなたになら言える秘密のこと」“The Secret Life of Words”は、“my life without me”のイサベル監督とサラ・ポーリーが組んだ第2弾で、ぜひ観たいと思っていたのだが、先日教えてもらうまでは上映されていることを知らなかった。意味深な邦題ともあいまって、個人的にもきっと重要な鍵になると予感した映画だった。実際に観ると、言葉にできないほどに苦しく切ないものがあった。観てよかった。でも、その後で僕らは考えなければならないと思った。行動しなければならないと思った。
 その後は、鮫の蕪島と八食センターに行った。遅い昼飯を食って、乾き物を少し買った。そして、18時の新幹線に乗った。日帰りとしてはいいコース。いい気分転換になった。そして、駅の駐車場で長電話をした。ハンナの抱えた秘密に比べたら、僕の秘密なんて秘密には入らない。

■venerdi,30,marzo,2007
 朝はゆっくり起きた。また雪が降っていたので少し慌てた。高速道路の情報や峠道の積雪状況などを調べてから、あまり心配は要らないと思った。午前中ひとつ書類を作って家を出た。うどん屋に寄り、土産物屋で一筆箋を買ってから職場に行った。
 車の中ではKANの歌を聴いていた。どっぷり浸かると抜け出せなくなるほどに切ないラブソングは、さまざまなことを蘇らせてくれるけれど、目の前にも、隣にも、いまは誰もいない。決意を新たにする。生きなければならない。永遠を守りながら。
 職場では、部署が変わり、部屋が変わって、環境がすっかり変わった。ほとんどが来週新しく来る人たちなので、机の上はがらんとしている。きょうできることは、ほとんど肉体労働だけだった。いいことといえば、僕はこの職場で素晴らしい師匠をみつけた。この人にならどこまでもついていこうと思わせてくれるほど、力のある人だ。これまでこの人がやってきたことを、どこまで先回りして出せるか。それが4月からの自分の勝負だと思う。

■giovedi,29,marzo,2007
 この週末には家庭サービスを考えている人が多いらしく、きょうが最終日という人も多い。休めるときには休んだほうがいい。土曜日には八戸で、先日見逃した映画を見ようと思っている。それしか思い浮かばない。後はだらだらと過ごすことになるのかもしれない。いずれにせよ僕自身のためだけの週末なんて、あまり意味がない気がする。
 あすは年休を取っていたのだけれど、午前中は家で仕事をして、午後からは職場に出ることにした。そうでなければ、仕事が終わらないから。

■miercoledi,28,marzo,2007
 パソコンに向かいながら、ときどき片付け。午後になって、片づけをしながら、ときどきパソコンに向かい。夕方あたりからは片付け中心になって、それが深夜まで続いた。僕らはかなり徹底的に掃除をして、次の人たちに明け渡すつもりだった。

■martedi,27,marzo,2007
 それぞれに片付け方をして、少しずつ部屋ががらんとしてきて、その合間に新年度の準備をしたりした。郵便物を気にしたり、部屋を行ったり来たりしたり、よくわからない一日の使い方だった。黄砂の混じった雨が降って、湿度が高くて埃っぽい、嫌な午後になった。
 夜にはまたほかの送別会があって、ここでもほとんど動かずに、たんたんと会を見届けた。これでもう会えなくなる人が何人もいる。でも、これまでにじゅうぶん惜しんだためか、それぞれの心はもう次の土地にあるのを感じる。次の土地のない自分は、なんとなく宙ぶらりんである。4月から遠くに行ってしまう人の車で家まで送ってもらった。

■lunedi,26,marzo,2007
 何日かぶりに若い元気があふれた建物で、僕らも笑い合うことが何度もあった。昼には皆で飯を食いに出た。このメンバーで出るのももう最後か。別れの局面にはいつも不思議なざわめきがある。陽だまりのように時間が止まって、そこにいつまでもいたいけれど、もう先へ進まなければならない。皆がそれをわかりきっているから、そこに可笑しみを感じるのだろうか。
 夜には送別会があった。僕は酒を飲みすぎた。そして、なんだか食いすぎた。ほんとうは喋りすぎるほど喋りたかったのだけど、あまり喋ることはできなかった。そのまま宿に帰って知らぬ間に眠ってしまった。

■domenica,25,marzo,2007
 疲れた。明日は休みかという錯覚。若いときにもう少し考えることを覚えていたら、今頃はもっと楽に過ごすことができたのではないか。たとえ休日が少なくたって、どうということなく過ごせたのではないか。などと考えるけれど、それは妄想というもの。
 帰りには銀行のATMに滑り込むことができた。千秋楽の相撲をわずか数番だけでも見ることができた。その後で、朝に能登半島で起きた地震のことを知った。どこにいても安心・安全ということはない。被害を受けた人たちのために僕ができることはなんだろう。

■sabato,24,marzo,2007
 2時半に目覚めて、その後はずっと眠れずに朝を迎えた。いろいろなことが頭に渦巻いた。本を読みながら、ばらばらの考えを少し整理した。
 朝から夜まで仕事で盛岡へ。明日も。年度末の土日がすっかり何も使えない。しかも来年度からは一人でやるとなると、頭が痛い。
 
■venerdi,23,marzo,2007
 午前中は会議。その合間を縫って書類を仕上げた。きのうに続いてまた新たな展開が。これまで二人で受け持っていた担当が僕一人に減らされるような気配。何も打診がないけれど。二人と一人の差は大きい。文句を言える立場ではないし、たしかにできないわけではないのだけれど、これまでのようにはいかなくなるのは目に見える。やれと言われればやるさ。だけど、こうやって仕事が特定の人々に偏っていくのだなと感じる。
 午後は新年度の準備が実質的に始まった。予想以上に進んだけれど、終わればやはり5時を過ぎていた。勧めてくれた映画を観に行きたいと思っていたのだけれど、案の定かなわなかった。とても残念な気持ち。

■giovedi,22,marzo,2007
 春分を過ぎてたちまち日が長くなってきたことに気づく。この時期には新旧入れ替わりとあいまって、どうしようもない寂しさと妙にあっけらかんとした希望が同居している。その寂しさが裾に纏わりついているような感覚でいたのだけれど、きょうはまた新たな展開に少し驚いた。怪我の功名というけれど、他人様の怪我のためにさまざまなことががらっと変わり、苦手でいままで避けて通ってきたところが、僕に回ってきた。
 適材適所というけれど、いつも他力によって自分というものがいやおうなく開発されていく。己が力で切り開けなどと、景気のいいことを言っている割には、人の世話になってばかり。もはや僕個人の感情は、勘定には入らないのだ。そして僕の場合は、愛情とか友情とかいうものからは、どうしたって引き裂かれてしまう。泣くなという声がする。人とは別のものを求めよと、誰かが喋るのが聞こえる。

■miercoledi,21,marzo,2007
 通常出勤して書類作成と身の回りの片づけをどんどん進めた。昼過ぎからは盛岡に用を足しに行き、帰りにパンを買って帰ってきた。少し休んでから、祖母の手を引いて墓参に行った。タンカタンカタン、タンカタンカタン。最近彼女は常に歌っている。とにかく24時間、頭の中では歌が鳴り響いているらしい。僕といっしょだ。
 夜にはダンサー・イン・ザ・ダークを観始めたが、つらくなって中断した。久しぶりに河合隼雄の本を読んだら気持ちが少しすっとした。

■martedi,20,marzo,2007
 帰国してちょうど一年が経った記念の日。去年のことは日記のページを繰ればすぐに思い出せるけれど、これがほんとうに一年なのかというほどに遠い彼方に行ってしまったような心持がする。日本にいることに対する素直な感動はあまり感じなくなった。むしろ、日本の悪い点ばかり目に付く。これは面白いことではないが、大切なこと、なのかもしれない。見ない方が楽だったという考えはない。見てきたからこそ感じることができる、そのことを大切にしなくてはならないと思う。同じような境遇の人たちとは、何らかの形で手をつないでいけるのが望ましい。
 左の瞼の痙攣が2週間くらい続いていて気持ち悪い。疲れているからというわけではないが、精神的にはけっこうな負荷がかかっているのは確か。これからこの状態を超えようというのだから、体のどこかがおかしなことになっても仕方ないさ。

■lunedi,19,marzo,2007
 きょう僕は隣の人と笑い合った。何気ない会話の途中で、ちょっとだけ神様を恨んだ。素敵な時間は長くは続かない、なんてほんとうかな。運命なんていうものがあるなら、逆らうべきはそいつじゃあないかと思った。だから嫌いなんだ3月は。
 とろくてのろまなのはいいことだ。いくら頭を抱えても考え続けるのだ。人の幸せを考えるときにはいっしょに僕個人の幸せを考えるのだ。孤独であっても矛盾があっても人間として求め続ける。難しいだめだと嘆きながら、ほんとうは難しくないことを難しくとらえてしまっているのだろうか。おろかな神様。僕はまだあなたを信用できない。すべてに満ち足りた朝、笑って過ごせる昼、そして穏やかで落ち着いた夜。なんて簡単なこと。そんな簡単なことを、人間は一生かかって求め続ける。僕も同じ。みんな同じ。ひとりでやっていこう。みんなでやっていこう。

■domenica,18,marzo,2007
 昨夜はとある温泉で職場の離散会が行われ、3時過ぎまで飲んではしゃべっていた。今朝は6時に起きて風呂に入り、朝食をとった後も寝なかったから、夕方のいま非常に眠い。楽しい時間を過ごせたのはありがたかったが、都合で参加できない人たちがいたのが残念だった。ほんとうはもっとさまざまなことを語り合いたいのに。
 ソファでうつらうつらしていると夢を見た。恋慕と悲しみの情がいっぺんに沸いてきてこの感情をどうすることもできないのだろうかと頭を抱えている自分。僕はすべてにおいて世界一とろくてのろまな人間だ。

■sabato,17,marzo,2007
 きょうはセントパトリックデイであり、僕の誕生日でもある。ついに40歳になった。午前中はゆったり過ごし、その間に友人と少しメールのやり取りをする。近況について気軽な気持ちで書いていたら、その中に紛れていた自己矛盾。それに気がつかない自分に嫌気が差して、謝りのメールを入れたけれど返信がない。言っていることとやっていることの矛盾、あるいは、きのう言ったことときょう言ったことの矛盾、そんなのがごろごろしているのだ。だから、人とのコミュニケーションがひどくまずい。これでは何もできない。ゆえに孤独感は拭えないのだ。

■venerdi,16,marzo,2007
 終末に向かって時はなだれ落ちる。残務処理というにはまだまだ本務が残っていて、半月あったとしても新年度の準備には時間が足りない。仕事というのはこんなにも人間的なゆとりを奪うものなのか。人間というのはもっと楽しくのんびりと仕事ができる種族ではなかったか。いやおうなく次へのことに切り替えていかねばならない。だけど、いまこの目の前から去っていくことがらをこそ愛しく思う。
 人の気持ちなどわからない。そのなかで互いに折り合いをつけながら生きていく。それはそのとおりだと思う。だからこそ、伝え合うことや、いたわり合うこと、愛し合うことが必要になるのだろう。次へ。次へ。次へ。そう思いながら旅をしてきた。次へ。いまを捨ててまで次に移ることがあるだろうか。いまのいま。伝えるべきも、いたわるべきも、愛すべきも、いまここにしかないのではないか。
 Yahoo翻訳を介して、英語韓国語中国語ページをリンクしてみました。英語を見る限りへんてこなところも多いですが、これで海外からのアクセスがくるようになったら楽しいでしょう。

■giovedi,15,marzo,2007
 きょうは昼に蕎麦を食いに出た。ひじょうにうまかった。僕は味にうるさい人間ではないので、ただ単にうまければそれでよいと思っている。蕎麦を食った。うまかった。それ以上の何も求めない。しかし、同行した人たちはとても舌が肥えているらしく、たれの味についてさまざまな考察を加えていた。出汁の利かせ方とか、素材の吟味の仕方とか、僕にはそれがまるでスポーツに関する評論に聞こえてしまうほど、理解の範疇を超えていた。見方によってはそれは僕の無関心。だけど、正直そんなことはどうでもいいと思った。ちょうど伊藤ガビンが書いていたことと重なった。味の違いがわかることで僕らは幸せになれるのだろうか。豊かになることと、幸せに近づくことは別物だなと思った。

■miercoledi,14,marzo,2007
 めでたき日にはめでたいと書かねばならぬか。こんなにもつらい思いでこの日を迎えたのは初めてだ。もちろんかれらを祝福する思いは一方ならぬ。誰よりも強い愛情をもってやってきたのだから。ゆえに自己嫌悪などに陥る必要はない。嫌悪すべき相手は別にいる。でかい相手が。
 日本の、人を茶化す文化が嫌いだ。いじめというのは、日本の文化的な土壌のうえにあるものなのだとつくづく思う。いじめの根絶と、日本文化の継承とは、相容れないものなのだ。と、救われない感じ方をするようになった。
 たとえば、卒業式の夜に子どもは家でお留守番。親と教師が外で酒を飲んで大騒ぎしている。これは、いちばん大切にされるべき子どもがないがしろにされていることに他ならないのではないか。親子で語り合う時間をつくれという。しかし、いちばん祝福してほしいときに親は家にいない。そして、それを助長してきたのが学校であり、教師である。この因習。みないようにしている矛盾。
 
■martedi,13,marzo,2007
 一事が万事、30年遅れているというのはそのとおり。僕はすっかり古い時代に取り残されてしまった。何をやっているのか。そして、たたかいは目先の相手と敵対することではないのに、いがみあったり、やっかんだり、聞く耳を持たなくなったりする。まるで、昨今の親と教師の関係のように、いちばん大切なものをないがしろにして向き合う。そんな関係は枚挙に遑がない。ばかだ。大切な日を前にして、こんな苦い思いをするなんて。壊れかけたこの国の片隅で悶々とする人生なんて。時間がないことをもっと自覚的に生きよう。

■lunedi,12,marzo,2007
 今冬いちばんの大雪。そして、今冬初めての真冬日になったらしい。間の悪いことに新聞休刊日で夕刊すら来ない。この雪はまだまだ降り続きそう。明日の朝も雪かきがたいへんそう。
 ラスト一週間が始まった。それでもあまり実感がわかない。集中が必要というが、何をどう集中したよいのか。内面的には注意散漫という感じだ。

■domenica,11,marzo,2007
 何もない日曜日。考えてみれば、いつも何もない。やばいよなあと思う今日この頃。友達から久しぶりのメール。浦島太郎になったような気分。玉手箱を開けると、たちまちおじいさんになってしまうのだ。玉手箱。こっちに近づいてきているとは思わないか。手にしたいものは遠ざかっていき、要らないものだけが近づいてくる。そんな感じ。自分以外のものに向けられる不快感。嫌悪感。

■sabato,10,marzo,2007
 通常どおりに出て、午前中は寒い格好で座っていた。昼には隣町の焼肉屋に大勢で押しかけ、腹いっぱい食った。昨年一年間に食べたのと同じ量の肉を一時間で平らげたような感じだった。いったん職場に戻り、再び外へ。用事を済ませてから、少し足を伸ばしてパンを買った。店のご主人とちょっと立ち話した。春休みの話題。日本の先生はなぜ春休みでも学校に出るのか。カナダの学校は休みだったでしょうと聞かれた。もちろんそのとおりである。当然の話なのに、日本ではそれがまかり通ることはない。不思議だ。ぽるけだ。その後また職場に戻り、8時近くまでひとりで仕事を進めた。

■venerdi,9,marzo,2007
 ロックというスタイル。皆で思いきりはじけた日。僕も長髪を振り乱して歌い、拳を振り上げて踊った。笑い合いながら過ごしてきた一年間を締めくくるのは、やっぱり音楽という思想だった。そして、ほんとにほんとの最終回が訪れるのは来週。
 これまでにないほど強く、「たたかい」ということを意識した日。向き合わなければならない相手はでかい。でかいけれど、本質を見つめるとすれば僕らはたたかわなくてはならないのだろう。気心の知れた者たちがほとんど散り散りになり、また新たな場所で新たな関係を築いていく。その中、ここで培ったあるいは確かめ合った反骨が、無意識にでも同じ相手に矛先を向けられたらと願う。
 敵対しても問題は解決しない。憎しみや恨みをもったままで時代は先に進まない。そして、わけのわからない者が人の上に立つ不幸をわれわれはもう繰り返してはいけない。そのためにできること。異質なものを排除するのではなく、内側から変えていく何か。そんな画期的なことを目指そう。たたかい。個人の内なるささやかなたたかいが折り重なって、世界を変えるダイナミックな力になるように。たとえ離れていても、手をつないでいられるように。

■giovedi,8,marzo,2007
 努力が報われることを祈る。それは結果が来週にでも出るようなものではなく、もっと息の長い道のりの中に、染みこむように。
 担当とすれば、これまでやってきたことはけして外れてなかった。好むと好まざるとに関わらず、流れを研究したことの成果が表れていたように思う。それは僕がしたことではなく、すべて教えてくれたことだった。お陰様といいたいのは僕のほう。それにしてもこれだけはいえる。今年のこのチームは最高だった。すべて曝け出せたし、すべて受け止められた。稀有な関係、できることなら…。

■mercoledi,7,marzo,2007
 坂を一気に駆け下りているような感覚。残り時間は少ない。そしてその後もまた新しいことが始まるとか、続いていくとかいう幻想を抱いている自分。これが終わりか始まりか、などということは問題ではない。要は、自分の人生が何なのか、そのことに尽きる。
 上昇を考えているわけではないし、何かモニュメントを求めているわけでもない。それなら、何をやっているんだ。何をやってきたんだ。この仕事。この生活。人様の子ども相手にいったい何ができるというのだろう。考え出すときりがない。僕はどんどん弱くなっている。

■martedi,6,marzo,2007
 引き出しの中がごちゃごちゃで、引っかかって取り出せないことがある。頭の中も同じで、いくら知識が詰まっていても整理されていなければ、いざというときに出てこない。このイメージはなにかとわかりやすい。いまこの時期に、想念の中で頭の引き出しを片付けておこう。
 この一年というスパン、あるいは一日とか一時間とかいう周期がちょうどよいと感じるのは偶然ではあるまい。地球の公転と自転に合わせて、僕らの身体が出来上がっている。そして、その僕らは他とつながりあって大きな社会を作る。なんという自然の力。
 子どもたちにはこの一見無秩序な世界を俯瞰することができない。自然とはいえ、それをとらえる力はすべてが後天的なものだ。だから私たちは自然の価値を教えなければいけない。寿命が延びて、物質的に豊かになって、食うに困らない国にいて、余命が何十年あろうとも、その日暮らし、その場限りのやり過ごしが癖になっていては、ほんとうに質の高い人生など送れない。
 人の一生を考えるときに、どうも僕は登山者というより航海者のイメージが強く浮かぶ。若い人々は、これまでは穏やかな内海を漕いでいたようなものだが、これから荒れた外海に出て行く。冒険の始まりである。なかにはアヒルのおもちゃみたいに湾内にぷかぷか浮かんで遊ぶだけの人生もあるけれど、かれらにそんなものは求めない。危険を冒してでも遠くを目指そう。ほんとうの楽しみを、ほんとうの豊かさをいつかみつけよう。そんなふうに言って送り出したい。

■lunedi,5,marzo,2007
 普通に仕事の月曜日。普通に普通の会話たちに、僕は少し戸惑った。でも、笑顔で過ごすと一日は輝く。心なしか言葉たちが淀みなく発せられるような気がして、職業人として悪くなかった。
 書くことがメインだったあの3年間で作り上げてきたものを、これまではある意味封印してきたのだった。たとえば誰かに見せようという気持ちにはならなかったのだが、このところ気持ちに変化が生じてきた。それは、受け止めてくれる自信が発生したためだろうか。だとしたら、その自信はどこからくるのだろうか。などなど…、その理由ははっきりしている。
 パソコンのフォルダに眠っていたいくつかのファイルを再構成してCDに焼いた。明日にはきっと手渡そう。

■domenica,4,marzo,2007
 日曜の朝早く、北上まで車を走らせてさぬきうどんを食ってきた。前からやってみたかったことだ。少し靄のかかった景色はすっかり春だった。ここに戻ってきた去年の3月20日頃には、まだまだ寒かったのを覚えている。それに比べると、一か月以上の差異がある。三寒四温というけれど、それと同じように地球は百年かかって別の時代に移るのだろう。人類が生き延びるかどうかなど、この星にとってはさして重要な問題ではないのかもしれない。
 テレビを見たり、新聞を読んだりしながら午前中を過ごす。ときどき買っていた本を読みながらも、気持ちは悶々として、大して深いところまでは考えが至らない。昼過ぎからのいつものエフエムも、あまり頭に入らない。やはりきのうの無理がたたって、体のあちこちに痛みが出てきた。そして疲れのせいか、ときどき不意に意識が途切れそうになった。うとうとしかけたときに短い夢を見た。寂しい色を伴って、聞きたくない科白を耳にした。望まないことに限って予感は的中する。せめてどうにか先手を打っておきたいという気持ちになった。花巻に出て、便箋と封筒とペンを買ってきた。

■sabato,3,marzo,2007
 午前中は久しぶりに長い距離を走ったり、何十回と投げ飛ばされたりした。何日か後にはきっと筋肉痛になっているに違いない。この年になってこのやり方で自分自身よくやっていると思う。誰も評価してくれないから、自分で褒めてあげることにする。
 昼過ぎに帰宅するとびっくりするような知らせが届いていた。3時に待ち合わせて、肴町にて7時近くまで話をする。会話は弾んだけれど、思い描いていたようなものではなかった。話そうと思っていたことの半分も話せなかった。心には満足感じゃなく、寂しさが残った。幸せになるということは、それ自体が幻想なんじゃないかと思う。辛いことを乗り越えて大きくなる。その過程こそが、幸福なのかもしれない。だとしたら、生きるのは痛い。
 3月は大嫌いと言ったのには、大嫌いという感情をもつことによってその逆の感情を際立たせたいという裏の意図がある。泰然自若というと格好はいいけれど、それほどの強さがあるわけじゃない。僕をつつむ「オーラ」の正体なんて、たかが知れてるさ。
 これからどうなってしまうんだろう。僕はいったい何をしたいんだろう。

■venerdi,2,marzo,2007
 早朝にメールを書くのは好きだ。一番好きな時間帯に、(午前4時半が最適。) 好きなことを書いて好きな人に送ったら、何かいい展開が期待できるというものだ。しかし、その期待はこれまで悉く裏切られてきた。どうやら僕は、いろいろなことに苦労するようにできているらしい。これくらい生きていればそれにはもう少しも疑う余地がない。しかも、ここまで苦労してきたからこれから楽になりますよなどというのは眉唾である。ありえないありえない。とにかく目の前のことにぶつかっていく。それしかない。

■giovedi,1,marzo,2007
 敬体表現の2月が行過ぎて少しほっとした。誰かのためのメッセージではけしてない。このページは現在のところ、自分が自分であるための、備忘録程度のものなのだろう。とはいっても、事実をメモするような場所でないから、あれはいつのことだっけと過去の月をたどってみても問題は解決されない。つまるところ、誰の役にも立たない心の地図、だったりする。
 写真は花巻バイパスから望んだ胡四王山。あのてっぺんあたりに宮沢賢治記念館がある。ぱっとした写真が撮れない。先月と同じような感じだ。
 よくない知らせに気持ちは動揺する。自分に何ができるというのだろう。だけど、できることをしたい、役に立ちたいという思いが頭の中に充満している。それは愛ゆえなのだろうか。無能さゆえなのだろうか。

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