2007年11月                              

■venerdi,30,giovedi,2007

 2007年の11月はきょうで終わり。うんうんとうなってひとつの決断をしてから、またすぐにその決断が揺らぐような展開があった。いろいろと悩んでしまう。しかし、僕は僕として、すべての責任を持って決めたのだから、それでよい。

 怒りの感情は鎮まっている。苛立ちも感じない。もう愚痴は言わない。変わることは恐れない。頑固者は損をする。頑であるほどに確かな自己などまだできてない。何事にも遅いということはないから、いま大切だと思ったことを、思いのままにやろう。2007年の11月よ、さようなら。

■giovedi,29,novembre,2007

 美しいものの像が変わってきた。形ではなく心。肉体的なものではなく精神的なもの。一時的な欲望を超えた、永遠のいのち。それはいったい何なのか、いまだにわからない。けれど、それを知ることができる可能性が信じられるようになってきた。

 美しいものが好き。ずっと考えていても飽くことのない素敵なことがら。大切な大切な結びつき。激しくはないけれど、ゆっくりと心の隅々にまで染み込んでいくような。まだ何もかも確かにはなっていないけれど、僕が求めることを自覚できるようになったのは、ひとつの変化。ひとりではここまでたどりつくなど、とうていできなかったこと。痛みの中にいる。生きている心地がする。

■mercoledi,28,novembre,2007

 学ぶことがたくさんあった。なぜこれまで気づかなかったのだろうということに気づかされた。こんなにはっきりしたことなのに、人に気づかされるまで気づかないというのもレベルが低い。それなら初めから言ってくれればよかったのになどという不満が心をかすめる。だがそれは甘え。気づかせてくれたその人も、最初からすべてお見通しというわけでもなかろう。追求していたから手に入ったまでで、それこそが自分の足りない点ではなかったか。スーパーマンなんてどこにもいない。

 

martedi,27,novembre,2007

 信じられない言葉を聞いた。愕然とした。けして口にしてはならないようなことを、あの人は言った。でも誰にも言えない。呆れるというか情けないというか。おかげさまで気持ちは固まった。ありがとうございます。

 左耳がひどい状態だったので、一時間休みを取って耳鼻科に行った。検査をしたら前回よりも甚だしく聴力が低下していた。そこで、今までよりも強い薬を使って治療することになった。毎食後、五種類もの錠剤を服用することになる。しかたない。

 病院から直接、組合の会議に向かった。終わるとすでに午後八時を回っている。帰りにはカレーを食べた。CD屋と本屋を回っていくつか買い物をして帰宅した。本もCDもDVDもたまる一方だ。じっくりそれらに触れる時間を確保しなければいけない。

 インドに行こうと思っていた。いくつかの旅行社に問い合わせをしていたのだけれど、動き始めたのが遅かったためにことごとく満席だった。ほかにはそれほど行きたいところもないし、今度の年末年始は外に出るのはやめて、読書と映画と運動で、規則正しい生活を送ろうか。

 

■lunedi,26,novembre,2007

 三連休明けの月曜日。少し眠い。容赦なく迫ってくるノルマ。それをこなすので精一杯。ほんとうは仕事の中に多くのドラマがあって、それを見届けることができさえすれば素敵な成長が誰にも約束されている。

 しかし、やらなければならないことにばかりとらわれていると、そのドラマを見逃しがちになる。成長を認めることができなくなる。それにしても、「仕事」がこんなに膨れ上がってしまったのはなぜだろう。ほんとうの本分が見えなくなっている現状。

 社会を望ましい方向に変えていこうという視点が、労働者全体に希薄になってきているからではないか。次の世代をあまりにぞんざいに扱っているのではないか。一部のお偉い層に、社会が支配されてしまっているということだろうか。これが「未来」の姿なのか。

■domenica,25,novembre,2007

 午後から葬儀に参列することになったので、午前中からなんとなく落ち着かない日を過ごした。昨夕緊急の連絡が入った。若い人の死。悪性の腫瘍だったそうだ。病ということ。生と死のことについて考えさせられる。人の死から何かを学びとり、変わらねばならない。その人の分まで生きる。その人の分まで楽しむ。これらを心に刻みつけて生きる。

■sabato,24,novembre,2007

 はじめにいれてくれたのは、生姜入りのミルクティー。この香りがするとネパールの山小屋が思い出される。これだけひとりの人と話をしていたことはない。これだけひとりの人の話を聞いていたことはない。そんな濃密な時間に、僕は密かに抱いていたいくつかのことがらを、ひとつも叶えることができなかった。

 この二日間で、以前よりもっとはっきりと自覚できたことがある。そして、以前よりもっとわからなくなったことがある。ほんとうの真実がひとつならば、それがいったいどんなことなのかを知りたい。確かめたい。

■venerdi,23,novembre,2007

 十年ぶりに訪れた町はトンネル開通のおかげでずいぶん早く着いた。僕がいた頃にも話は聞いていたけれど、心の中ではトンネルなんてできっこないと思っていた。資本の集中とはすごい。ほんとうに必要なところに必要なお金を投入すること、それが政治の大切な仕事だ。

 町の中は以前よりもきれいになっていた。目当てのお菓子屋は以前と同じだった。そこで手土産のお菓子を買った。前に好きだと聞いていたから。ここまで来ると山にも道にも雪はない。ほとんど誰も通らない道を一時間くらい走るとダムがあり、視界からは港町が見下ろせた。

■giovedi,22,novembre,2007

 長い一週間だった。いつもより一日短いのに。明日からの連休が待ち遠しかったから、そう感じたのだろうか。カレンダーを眺めては、未来に思いを馳せる。まだ先と思っていたことが、すでに目前まで迫っている。そして、時はあっという間に過去となる。どんなに大切な一日も、過ぎ去ってしまう。

■mercoledi,21,novembre,2007

 誰もが一生懸命だからといって、もとごとが思うように進んでいくとは限らない。むしろその一生懸命の方向が、ばらばらだったりすると余計やりづらい。一致させることなんてほんのわずかでいい。思いがひとつなら、やりかたはその人間の数あればいい。多様であることが根本。多様であるからこそ、希望の未来像が結べる。だから、多様性が保証されている。そして、認め合える。信頼し合える。そこが根っこ。

 

■martedi,20,novembre,2007
 きょうも朝一番で大きなことがあった。きのうのことといい、今朝のことといい、体裁を取り繕うことなんてどうにでもできるのだなあと感じる。しかし、それでよしとしてしまおうなんて考え出したら、限りなく堕落の道を辿ってしまう。恐ろしい恐ろしい……。
 ところが、そうはいかないことのほうがたくさんあるわけで、人とのつながりなしでは何事も成せないわけで。それには言葉が欠かせないわけで。それがなかなかに難しい。
 人の脳細胞が生涯で使われるのはそのわずか5パーセント前後だという。それではあとの95パーセントが無駄かというとそんなことはない。それくらいのゆとりがあってこそ、脳が生き生きと働くのだろう。こんな日記に殴り書きされることばたちも、無駄ということはない。自分が持っている言葉を自由に駆使するためには、日ごろからたくさんの言葉に触れることと、たくさんの言葉を書いたり話したりすることが大切なのだろう。

■lunedi,19,novembre,2007
 やっと休日かと思ったら勤務だった。しかもきょうも大きなイベントがあって、その準備が不十分なまま。朝に起きて少しやるのだけれど、体裁だけはどうにか整うのだけれど、それくらいなんてことはないのだけれど、ひじょうに不本意なこと。誰が許さないって、僕自身がこんな状態を許せるわけがない。ああ。
 早く帰ることができてよかった。きょうは祖母の誕生日だった。満96歳。お祝いを言っても本人がよく認識できないのだけれど。歌い続けているのは前からのことだが、最近ではとみに食欲が増し、とにかく何か食べたがる。だから僕はいつも、スーパーやコンビニで100円の袋菓子を買って帰る。少し早く帰れた日にはそのお菓子をみせると喜んですぐ食べたがる。甘いものを食べたときの笑い顔がとても素敵だ。感情の起伏の激しい人だったのだが、なんだか何もかも忘れて今は穏やかな陽だまりのようになって笑っているこの人を前にしたら、僕なんかはとうてい及ばない小さな存在だと思う。
 そろそろ来年のことを考えなければならない時期になってきた。変革が必要だ。考えていることはある。しかし、一人で考えてばかりもいられない。ここまでさまざまなことを先延ばしにして生きてきたのだから。新しい展開。展開ということば。立方体とか、マトリョーシカとか、稲藁に包まれた納豆とか、皮の剥かれたみかんとか…。開いてみせる。開いて見せる……。

■domenica,18,novembre,2007
 仕事の結果などすぐには出ない。こんなに一時的なことがらに、浮かれたり落ち込んだりしてはいけない。百年先、千年先を見越した仕事をしようと考える。国が場当たりであるのはもう見ていられないけれど、それといっしょにはならないと、毎日毎日誓わないと生きていられない。強く揺るがない気持ちをもって生きるほかない。絶対に流されない。むしろ流れを作りながら生きるような気概をもって。代休はいつ取れることになるのかわからない。またいつものように、どこかにまぎれて消えてなくなるのだろう。あほらし。
 夕方から雪。バスがトンネルを抜けてからは、まるで正月間近の空気。六時過ぎに帰宅してから、車に冬タイヤを積み込んでオートバックスへ駆け込む。カウンターには僕と同様にタイヤ交換希望の人たちが何人か来ていたが、混んでいてきょうはもう対応できないできないとのことだった。考えることはみな同じか。自分でやる覚悟を決めていたが、途中で寄ったガソリンスタンドで聞いてみるとOKだという。待ち時間ゼロである。この不思議な偏り。何はともあれ、これで明日からも車で出勤は可能だ。

■sabato,17,novembre,2007
 プライバシーのない空間で、緊張感を保ちつつも読書に耽る数時間。いやおうなくもたらされたこの時間を、ありがたくとらえるしかあるまい。迷惑をかけていることはある。しかし、その中で極力できることはやっている。これも一時のことと観念しながら、怒りや悔しさにも似た強い強い気持ちが沸き起こる。

■venerdi,16,novembre,2007
 午前中までは普段どおりに仕事をして、途中からバスに乗り込み出張先へ。帰るのは日曜の夜。長い週末しかも代休はお預け。

■giovedi,15,novembre,2007
 何をやっているのかわからないくらいに慌しくて、自分のことはおろか、周囲のさまざまなつながりが認識できないままに、時間が過ぎていく。多くのミス、さまざまなごまかし。自分から動き出さなければ世界は進んでいかない。それにも関わらず、先延ばし先延ばししては、迷惑をかけどおし。こんな感じで週末の出張になだれ込み。

■mercoledi,14,novembre,2007

 慌ただしい中にも少しゆったりとできた一日。午後には先達のありがたいお話に耳を傾け、自分の姿を省みた。時代の所為だとばかりはいえないだろうけど、この先も楽になっていくことは望めまい。乗り越えるかしこさと、もしかしたら、すり抜けるしたたかさやずるさをも備えたほうがいいのかもしれない。

 曲がりくねった道だったけれど、振り返ってみれば軌跡は真っ直ぐだ。迷いというのは、時空を飛び越えて真実へと向かう最短なのだ、などという考えが浮かんだ。

 夕方には早く帰れたから、おばあちゃんと笑えたし、ワインも少し飲めたし、よく噛んでご飯を食べれたし、テレビの落語だってまるまる聞けたし、風呂に浸かって温まることもできた。いつもはこんなこと、していない。それに、日記も書けたし、メールも打てた。そしたら早かったから、返事も届いた。

 いつもどおりじゃ、こうはいかない。いつもどおりじゃ、ただ疲れて寝るだけ。いつもどおりは、日常とは別物。きょうは、いつもと違うけれど、これがほんとうの日常生活。日常をまっとうできたから、僕はきょうを素敵な気持ちで締めくくることができる。ああ、毎日が日常生活だったら。

■martedi,13,novembre,2007

 苛立ちか不満か、気持ちを書き残しておきたいと思うのだが、まとまった時間を作れない。書くこともできずただ流されてしまっては、何もなかったのと同じこと。名もなき一般庶民のぼやきを遺すのは大事と思いたい。 

■lunedi,12,novembre,2007

 耳の調子がまたおかしくなった。テレビの声が二重に聞こえて、左の耳では笛の音のような音がひゅろひゅろ鳴っている。薬を飲んでみるけれど、はたしてそれで治るのか。こうやってこれからも身体を騙し騙しやっていかなければならないのか。

■domenica,11,novembre,2007

 耳を疑うようなことばかり。麻痺してはいけないと強く思う。朝のテレビからも離れ、ラジオからも遠ざかり、鈴木祥子とジョニ・ミッチェル、そしてダイアナ・クラールにどっぷりと浸かる雨の日曜日。

 愚泥舎という喫茶店は、僕がいちばん最初に勤めた職場の近くにある。きょうはそこを久しぶりに訪れて、ランチを食べた。店の前を通るたびに入ろうかどうしようかと迷い、気がつけば二十年近くが経過していた。しかし、れんが造りの細長い建物は、外観のみならず内装も昔と変わらなかった。喫茶店を経営してみたいなどという夢を今でもたまに描くけれど、そんなときにはいつもこの店の建物が浮かんでくるのだった。近いうちにまた来よう。

■sabato,10,novembre,2007

 昼過ぎまで仕事をした。何の感情ももたず、やるべきことを淡々とこなした。きょうはひとつのくぎりとなる日。昼にはもうしばらく食べられないパンを食べた。それは、伝説というものが生まれる瞬間だったかも。

 夜、新しくできた店を買い物がてら見に行った。まだ8時前だったが、駐車場の車は十台程度しか停まっていなかった。夥しい数の蛍光灯が煌煌と照る大型店舗。「ふるさと牛乳」と名付けられた牛乳の製造元は関東地方の県だった。どこで生産されたのかは、表示を見つけることができなかった。店内には各社のカップ麺ならぬカップしるこが山積みにされていた。すべて工場で作られ、トラックで運ばれてくる。農業とはかけ離れたインダストリアルな印象。地元のものはどのくらいあるのだろう。この店が地元の人々にどのような豊かさをもたらすのだろうと思った。

■venerdi,9,novembre,2007

 今週も長かった。この慌ただしさについていけない人は脱落してしまう。だから、ついていけるように力をつけなさいと、言われるわけだが。僕自身もいつもそう言われて育ち、そうだと思ってやってきたが。そんな右肩上がりの感覚が染み付いてしまっているのは、いいことではないとつくづく感じる。子どもたちにどんな生活をさせたいのか。どんな世の中を残したいのか。僕はこんなふうに自分をすり減らして働かなければならないような社会は残したくない。だから、休みは休もう、時間になったら家に帰ろう、と声高らかに呼びかけよう。今はうまくいかないけれどね。

 

■giovedi,8,novembre,2007

 なにもジムで筋トレしなくても、朝にジョギングしなくても、昔の人たちは生活の中で均衡のとれた身体が作られた。今という時代、健康ブームなどと言われるけれど、そんなふうにしてしか健康を維持できないなんて、いかに生活が偏っているかということだろう。医食同源の思想を大事にしたら、すべてのあり方が今とは根本的に変わってくるのではないか。

■mercoledi,7,novembre,2007

 立冬だそうである。以前ならすでに初雪が舞ってもおかしくない時期ではあるが、そんな雰囲気は微塵も感じられない。気温がもっと低ければ雪になっているのだろう。地球の温暖化は進む。

 ところで、石油の高騰は大きな打撃となって家計を襲う。家だけでなく事業所の暖房費も切り詰めなければならない。それは学校施設においても例外ではなく、石油が高いから暖房はできるだけつけないということになる。子どもたちに快適に教育を受けさせたいという、当然の発想とは別のところで、経済優先の判断がなされている。快適な教育という点で言えば、なんとかせねばならないことはまだまだある。ほんとうなら、学級の人数を減らしたり、教員の数を増大したりすることは急務のはずなのに、財政が悪いからと後回しにされる。

 文部科学省を応援したい。このままでは近いうちに学校は成り立たなくなる。教員をもっともっと増やせ。国の将来を考えるなら。

■martedi,6,novembre,2007

 一か月毎日どこかのショッピングモールに足を運んでいた日々があった。トロント周辺には、どんなに小さな町にもモールがあって、冬の寒い時期にも快適に買い物ができたものだ。にもかかわらず、小さな商店街も健在で、散歩したくなるほど美しい町並みが、そこかしこに点在していた。ハンギング・バスケットの掛かる、そんなカナダの小さな町が大好きだった。

 盛岡にできたモールをとりまく噂を聞くと、カナダとはどうも状況が違っているのでは思ってしまう。僕はまだ岩手のモールに行ったことはないが、この先も自分から進んでモールに行くことはないだろう。なぜなら、あの日々で飽きてしまった。飽きたというより、嫌気がさしたと言ってもいいかもしれない。町の商店街で買い物できることのほうが自然で、素敵なことだと思う。しかも、中央資本のモールや商店への偏りは地元のためにはならず、大企業の搾取に加担することになりかねないと思う。雇用の拡大ということが進出を許可させる理由になっているようだが、パートがいくら増えても庶民の豊かさにはつながらない。便利さのかげでワーキング・プアを拡大する要因となっていることに気づかなければならない。

■lunedi,5,novembre,2007

 林檎屋という名の林檎屋で林檎を買った。土日だけの営業だと思っていたら、年末までは毎日店を開けるらしい。この間のお兄さんではなく、おばさんがいた。ふじがあったので、「ふじが出てるんですね」と言ったら、おばさんは「きょう初めて出しました」と言った。大きな林檎だった。岩手の林檎は何を食べてもおいしいのだけれど、試食をさせてもらったらやっぱりおいしかった。使い物にとかご二つ買って、ほかに北斗というのも一かご買った。葡萄はそろそろ終わりだけれど、これからは林檎がいい。

 カナダのスーパーには中国産のふじがあって、いくつか売られている中ではいちばん日本の林檎に味が似ていたが、水っぽくて香りも少なかった。こうして食べる岩手の林檎は100倍うまいや、と思う。林檎だけでなく、食べ物なら何でも日本がうまい。きっとほんとうに日本は世界一だろう。

■domenica,4,novembre,2007

 どんな世の中にしたいのか。次の世代にどんな生活をさせたいのか。ひとりひとりの心にそんな願いがたしかになければ、時間はだれかのどこかに支配されてしまう。今はそれがどんどんと進行している状態なのだと感じる。社会全体の病気が進んでいるということだ。

 どんな人間に育てたいのか。教育にはその視点が大切だと言われる。しかし、その根本に、望む社会のあり方がなければ人が育つわけがない。大前提となるこの議論がまったく虚しくなってしまっているのが、今の日本ではないか。

■sabato,3,novembre,2007

 平日よりも早く出勤する。昼前には終わったのでその足でパン屋に。道の途中で突如激しい雨が降り出したが、店に着いたときにはすっかり上がった。きょうで最後になるかもしれない。入ったときにはちょうど空いていたのだが、直後から人がどっと押しかけてきて、瞬く間に行列ができた。ガラス越しに、工場で働くシェフと目が合い、笑顔で挨拶を交わすことができた。この偶然は何かの力が働いたのではないかと感じた。

 たくさんの人々が閉店を聞きつけてやってくる。ほんとうにおいしいもの、しかも、安全で安心できるものなら、ほんとうは平素から普通に使うのがいいだろう。しかし、一般的にはそれができない状況がある。

 お金や労力を、ほんとうに大切なところに振り向けること。それがこの国には足りない。ひとつは食。これはもちろん農業の政策にもつながる。そしてもうひとつは、いうまでもなく教育の問題だ。

■venerdi,2,novembre,2007

 反省すべきことは多々ある。それとともに、身体の調子が悪かったり、やる気が思うように出なかったり、何かに対して反発を覚えたりすることだってある。それでも淡々と仕事に向かう日々。できることをやるだけ。

 今度の日曜日は、日曜日にも関わらず普通出勤となる。これはとても考えられない異常なことだが、その異常なことが計画されてしまう恐ろしさ。それを丸投げされるこちらの身にもなってみてほしい。それに対して何の見通しも示さない上司にも呆れる。だが、いちばん恐れるのは警備上の問題である。企画段階で、その点についてはもしかすると誰も何も考えていなかったのではなかろうか。

■giovedi,1,novembre,2007

 とうとう月が変わってしまい、今年もあと2か月となった。ここまでくるとすでにもう正月かという感じになる。今夜こそはと8時半頃には仕事を終えて、24時間スーパーの駐車場で1時間21分の長電話をした。聞くだけでなく話すだけでなく、愚痴も幾分入ったが、嘆いてばかりでもなかった。会話に楽しい共感があった。


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