2007年10月                              

■mercoledi,31,ottobre,2007

 今月は早かった。無為に通り過ぎた感じだ。耳が悪くなったのは、やはり聞きたくないことばかり耳に入ったからだろう。「談笑」という言葉の二面性を思う。一見和やかな雰囲気の仕事場なんて、相当に怪しい。だまって身を置いていたら、腐ってしまいそうだ。非常な警戒態勢を取らざるを得ない。

 僕がカナダで働き始めてすぐに気づいたことは、自分の言葉が汚いということだった。カナダでは、カナダ人ではなく日本各地から渡加した日本人の方たちと共に仕事をしたわけだが、かれらの話す日本語はおしなべて美しく、ひじょうに丁寧だった。それに比べて自分の言葉のあまりに粗末なことに、僕は驚いた。たった一日で気づかされるくらい、それははっきりしていた。訛りや方言のことではない。日本語の美しさをまったく駆使していないと思ったのだ。そして、それは僕個人の問題だけではなく、僕の育った郷里や東北という土壌をとりまく闇、あるいはもしかしたら、日本全体の抱える闇とでもいうものに、どうしてもたどりついてしまうものだった。短時間では表現できないけれど、どうもそれは相手を思いやるような気持ちのあるなしに関係していそうだ。貧しい精神環境に育ったとでも言えばいいだろうか。この発見は、衝撃的だった。

 いろいろと、自分の将来のことを考える。今の仕事の進み具合や家族の事情などとは関係なく。とはいえ、世界の人たちといつでも直接的に繋がっていたい。今の日本のことを考えると、めまいがしてくるようだ。愛すべき僕らの国。ここに生きていることがなぜにこんなにつらく恥ずかしいのだろう。

■martedi,30,ottobre,2007

 せっかく早く帰宅したのに、ちょっと横になったらそのまま寝入ってしまった。目覚めると午前一時。こうなるとしばらくは眠れない。かといって、何をする気にもなれない。切ない夢を見た。夜の空気の中で頭を整理しようとする。人の気持ちを考えずに、勝手なことを考えていただけだろうか。それとも、同じことを考えていたのだろうか。いまでは、どうなのだろうか。素の自分に戻ったときにはいつも頭の中がどうしようもないことばかりになる。

■lunedi,29,ottobre,2007

 曇天の眠い一日だった。まだ月曜日、しかし始まってしまえば一週間なんてあっという間だ。こうやって52回繰り返せば一年は終わる。今週は何があるだろう。

 腹を立てることも多い。怒鳴り散らすようなこともあって少し反省した。反省したけれど、考えてみる。もっと、腹を立てて怒鳴ることがあっていい。さまざまな気持ちを表さずに抑えてばかりいると、別なところに障害が出てしまうのではないか。その一つの方向が自傷だ。理性的であることと腹を立てないこととは別で、怒鳴るのとただわめき散らすのも違う。伝えたいことをどうにかして伝えたいとき、怒鳴るのも一つの選択肢となる。ただ、伝わらなければ意味はない。

 ところで、僕がほんとうに伝えたいことはひとつしかない。日々はそれを伝えるための練習の期間だと考えてみる。それが伝わったとしたら生きる値打ちがあるというもの。死ぬまで願うことは続けよう。

■domenica,28,ottobre,2007

 テレビを取り払って部屋がすっきりした。不要なものをどんどん片付けていく。この年になると「お迎えの準備」ということが、頭を過る。いついかなるときに来てもいいように。立つ鳥跡を濁さずである。

■sabato,27,ottobre,2007

 ひいきにしていたパン屋ボワドヴァンセンヌが、来月店を閉じて東京に移転することになった。きょうは盛岡をし、その帰りに寄ったら久しぶりにマダムと会って話ができた。ワイン会で知り合いになったUさんも来ていた。出会ってから1年もしないうちにこのあたたかい場所と別れるのはさびしい。マダムに残念ですと言ったら、パンを買うために東京に来るといいと言われた。ほんとにそのとおり。それだけの価値がある、ほんものだ。

 

■venerdi,26,ottobre,2007

 不勉強を痛感。社会に出ることは、有る意味勉強できなくなることでもあるのか。それにしても、国の事情のために個人がこれほどまでに困窮しなければならない社会とはひどいものだと思う。仕事をしていれば、死んでもやり遂げるほどの意気込みが必要な時もある。しかし、ほんとうに死を選んだり、病気に倒れたりしてしまうような世の中は、間違っている。そこに新しい人たちを「適応」させていこうというような施策は、進めるべきではない。僕らのような者たちがそれに加担してはいけない。批判する目をいつまでも曇らせてはいけない。そのためにはやはり、学び続けることが重要か。

 年休を申し出たのだけれど、職場を退けた時はすでに定刻より5分過ぎていた。診療時間には間に合わないので、進路変更。フォーラムで「エディット・ピアフ」を観ることにした。学びはとても大切だから。

 一人の人の壮絶な人生を、圧倒的な表現力のこもった歌声とともに辿る。いわゆるハッピーエンドとはまったく異なるけれど、力を与えてくれるいい映画だった。これだけ愚痴を言っておきながら、帰りにはジュンク堂で仕事関係の本を買い込んでしまった。土曜日の朝には、少し目を通してみよう。

■giovedi,25,ottobre,2007

 ぎりぎりのところで生きている。あるいはそれは自分の偏見であり、ほんとうはもっと呑気な人たちが多いのだろうか。生き残りをかけてたたかっているような気になっていたけれど、ほんとうはもっといいかげんなものでいいのかもしれない、などという気持ちが頭をかすめた。いつでもできることに誠意を尽くすことが重要だ。

 このごろ、カナダで出会った純粋な人々のことを思い出す。限られた時間の中で精一杯自分のできることに誠意をもって臨んでいた人々。好きこそものの上手なれというけれど、好きで上手でもじゅうぶんではない。僕ら自身が真の生活者でなければどうしようもない。個人や家庭に基盤を置く、真っ当な生活者だったかれらとの日々が懐かしい。

■mercoledi,24,ottobre,2007

 考えなければならないことは山ほどある。でも、何もせずに考えることだけをせよというのは意外と難しい。行動しながら考える、考えながら行動する。そうすると、アイディアが次々と湧いてきたりする。何も考えずに行動するときは失敗することが多い。そんなふうに仮定して、動きながら考えてみよう。そして、黙っているときには何も考えないようにしてみよう。

 耳の調子は一進一退。突発性難聴はあなどれない病気・症状なのだ。きちんと通院してゆっくり静養することにしよう。僕の仕事を代わりにできる人はたくさんいるのだ。所詮私たちは組織の一コマにすぎないのだから。

 心からの言葉に感謝。生きる力が湧いてきたような気がする。余裕の精神でまいろう。

■martedi,23,ottobre,2007

 朝の時間だけが安らぎ。このぼーっと流れている時間こそが、僕の自由。一通の手紙を書くには短過ぎるけれど、一通のメールならじゅうぶん書ける時間。「軽い」とは思わない。ありったけの思いを言葉にするのは同じ。気持ちが届くかどうかはすべて送り手自身の責任。受け取る側は何一つ悪くない。コスモスの花束の代わりに一枚の写真を添付。願いを込めて送信ボタンを押す。

 朝のコーラスが聞こえてくる。そろそろ世の中が動き出す。僕個人の時間は眠りに就き、社会の下僕としての自分がまた働き始める。おやすみなさい、そして、いってらっしゃい。

■lunedi,22,ottobre,2007

 周りの人の話がよくわからない。その説明が、何を言っているのか理解できない。自分の聞き方が悪いのだろうか。それとも、集中できないからなのか。いいや、そもそも頭が悪いのだなあ。ばかぽんたん。

 最優先にしたいのはいつでも、愛情に関することのはずなのに、それがいちばん後回しになってしまう。仕事は仕事で、本分だと思っていることを、やっぱり最後にしてしまう。後になっても、遂げられるのならいい。しかし疲れてしまって、秋の夜長さえも起きていられない。ああ、こんなふうにして、年を取っていくなんて。

 

■domenica,21,ottobre,2007

 6時発、片道約3時間の仕事旅をして16時に帰宅。帰り道は眠くてしかたなかった。

 その後、廉価の床屋へ。非常に速いが雑な印象。人間の頭ではなく、もののような扱いを受けている気分になった。サービスということを考えさせされる。どんなに単価が安くとも、そこに人の心が欠けていたら商品とはいえない。安さばかりに目がいきがちな傾向は、あまり好ましくはないだろう。

 また僕の週末は終わりを迎える。読書もしないし、映画も観ない。電話もかけないし、メールも書かない。こんなふうにして離れていくのだろうか。

■sabato,20,ottobre,2007

 寝坊したので朝飯を抜いた。そのせいか頭が痛くなった。午前中仕事をして、帰ってきてから食べて、少し休んでから車を走らせる。滝田でりんごを、佐比内でぶどうを、土沢でなめことポポという果実を買ってきた。

 産業まつりという名の催し物が、各地域で開催されている。実りの秋はいいけれど、僕はこの名称があまり好きではない。何もなんとかフェスティバルにしろというのではない。どこもかしこも「産業まつり」であることに、なんとなく隠謀くさい感じをもってしまう。

 産業というと農業ばかりではないけれど、日本の農業をなんとかしなければならない。ワーキングプアの問題と結びつければ、解決につながるのではないかと思った。

■venerdi,19,ottobre,2007

 「眠っている間にタイムスリップしてしまうよ」と言葉に出したら、ほんとうに彼が時間を遡って遠い時代に行ってしまう気になって可笑しかった。でも時間旅行の観念なんて一時期よりも流行らなくなったような。

 休みを一時間取って耳鼻科に行った。すべて途中で投げ出して、というわけではないけれど、まだ人がたくさん残っているうちに早めの退勤をするというのは気分がよかった。しかも金曜日である。少し散歩して、買い物をして、夕飯を食べて帰った。

 左耳はもうあまり回復は見込めない。薬は出してもらったけれど、どうやら聞こえが悪いことに早く慣れろということらしい。他の医者に診てもらってセカンドオピニオンをなどとも考えたが、特に不便を感じるわけでもないから、いいや。

■giovedi,18,ottobre,2007

 この年になってもこんなふうに気持ちが不安定だとは思わなかった。落ち着いて振る舞えるようになったけれど、それは表面上のことだけで、顔で笑って心で泣くようなことはむしろ多くなった。感情の起伏が激しくなり、他人を意図的に傷つけることや、自分を死に追いやることでさえ、以前よりも簡単にできそうな気がする。

 さまざまな考え方があって、それぞれにその人なりの生き方があって、そこから導きだされた行動だとしたら、それをだれが否定できるだろう。許せないと感じること自体が、実は弱さであり、罪ではないのか。それでもたとえば、だれかを殺めたり、だれかの自由を踏みにじったりすることは、だれかが許せないと感じる以前に、許されないことではないのか。いったい僕らはだれの前に平等であり、だれに愛される存在なのだろう。

 ありったけの気持ちを開いて世界を俯瞰してみようとするけれど、ここは愛に満ちた場所じゃない。ただ延々と混沌が広がっているだけじゃないか。

 

■mercoledi,17,ottobre,2007

 テレビの大食いを見ていると、この人たちは早くに死ぬのではないかと思う。食べ過ぎて身体を壊すというのではない。こんなに必要以上のものを一人で食べて、食料のない国の人がこれを見たらなんて思うだろうと想像したら、見ていられなくなる。きっと罰が当たるだろうと思うのだ。それを見て喜んでいる大勢の日本人たち。大人も子どもたちも楽しんでみているから視聴率も高い。放送局だって儲かるし、スポンサーだって儲かるし、大食いタレントだって、次の仕事がやってくる。日本人なんて、信頼されるわけがない。

 食べ物の恨みは恐ろしいという。いつか日本人は恨みを買って、世界から抹殺されるだろう。

■martedi,16,ottobre,2007

 耳の聞こえないのを話したら、それはストレス、聞きたくないからそうなるのだと言われた。その通りだろう。自然に耳に入ってくる些末な話題に、ときどき耐えられなくなることがある。結局のところ、耐えられなくて身体症状に表れてしまったということだろう。目は瞑ることができるけれど、耳を閉じることはできない。意外と多くの情報を耳から仕入れて、考えの足しにしているわけだ。この人はこういう人間だと、分析するわけだ。

■lunedi,15,ottobre,2007

 やるべき仕事は片付けて、定時で退ける月曜日。その気になれば残業はなくすことができる。社会の変化を待つまでもなく、まずは自分が実践する。だれにどう思われても構わない。なぜなら、僕は仕事をするために生きているのではなく、生きるために仕事をしているからである。自分がほんとうに生き生きできる時間を、自分自身で切り開いていかなくてはならない。それが今宵、僕の好きな時間を過ごせる貴重な時。

 2時間20分の夢は、劇団四季のミュージカル。エビータの上演であった。しかし、終了後の9時には食事する店はほとんどが閉まっていた。文化は生活全体の中での位置づけを指すのだとすれば、日本のパフォーミング・アーツというのは文化としてはまだ根付いているとは言えないと痛感する。

■domenica,14,ottobre,2007

 秋晴れの日曜日。ただただ車を走らせて、ちょっとした買い物をしてはまた家でだらだらと過ごす。紅葉にはまだ少し早く、散歩するにはちょっと暑いかもしれないという陽気。県南のとあるマーケットで、傍若無人にふるまう人々を見た。

 

■sabato,13,ottobre,2007

 今週までは日中は半袖シャツで過ごしてきたのだが、さすがにちょっと肌寒く感じることも多くなってきた。部屋も乱れていたので、半日かけて掃除と衣の入れ替えを行った。処分する本やビデオも何冊か選んだ。あとで図書館に寄贈する。それから、マンガ本は意外と高く売れるかもしれないから後で店に持っていくか。

 昼に車を走らせる。新しく入った店で、もりそばを食った。悪くなかったからまた来よう。これだけ多くの店があるのに、気に入ったところは少ない。だから、いつも同じようなところばかり使うようになる。どこに住もうがその傾向は変わりない。気になる店には入ってみるという心構えは以前に比べればできた。しかし、外観だけでもう入る気が失せるという店も多いのが現実である。もう少しゆっくりとくつろげる居場所が、近所にもあるといいのに。

■venerdi,12,ottobre,12007

 淡々と仕事をこなす。ゆっくりと、エネルギーをあまり使わずに。

 左耳がいよいよおかしくなってきたので、一時間休みを取って耳鼻科に行った。検査をして、五月に行った時よりもさらに聴力が低下していたことがわかった。薬を出してもらったが、これが効かなければ次の手を考えなければならないと言われた。このようにしてだんだん老いてゆくと考えたら胸に悲しみの気分が充満した。

 帰りにはいつものパン屋に寄った。しかし、きょうもシェフやマダムに会うことはできなかった。

 誰でも同じように年を取るというがまったく同じではないと思う。しあわせな年の取り方とふしあわせな年の取り方があるように思われる。しあわせな年の取り方というのは、側に近しい人がいるという場合であり、ふしあわせとはその逆である。しかし、どちらになったとしてもそれはきっと偶々であり、自分の所為ではない。

■giovedi,11,ottobre,2007

 もう半生を過ごしたから、残りの半生を考えよう。自分を制約しているさまざまな拘りを捨てよう。たとえばこの書棚を支配している本のいくつかはもう一生開くこともないだろう。そういうものは目の前から潔く消し去る。ベッドの下にしまっていた古い写真のカートリッジはすべてCDに焼いて、電子ファイルとしてコンピュータにしまおう。どうでもよくなった昔の写真も、少しずつ整理を始めよう。何百枚あるかわからなくなった音楽のアルバムも、重要でないものはiTunesのファイルにしてから手放そう。観ないままのDVDも封をしたまま売りに出した方がいいかもしれない。そんな意識で見回すと実に不要なものばかり。古いシンセやパソコン、ワープロやプリントゴッコだって使わないし、以前処分せずに取っておいた仕事関係の書類だってもう開かない。血や肉になっているかに関わらず、食べ尽くしたものと食べきれないものは取っておくことはない。

■mercoledi,10,otobre,2007

 朝には城下町を散歩した。しかし歴史を感じさせる建物を見て回るつもりもなく、ただ普通の朝の風景を青空と心地よい風の中で感じたかった。僕に弾けるような若さはもうない。失ったものを求めても、手に入れることはけしてできないのだった。それがわかったから急に、若さがほしくなったところがあるかもしれない。

 誰でも同じなんて言われるけれど、それはなんの気休めにもなりはしない。いい思いをして生きてこられた者もいれば、そうでない者もいる。能力や計画性の有無などとは無関係に、偶然そうなっただけなのだ。人を責めることも、自分を悪く言うこともない。誰の所為でもないのだから。

 

■martedi,9,ottobre,2007

 ひたすら車を走らせた。海沿いの国道を南下して、東北地方を抜け出した。道路にまでかかるしぶきをくぐり抜けながら、気楽な気楽なドライブの連休だ。僕は己の欲望に素直に向き合った。考えれば考えるほど、生きていることが恨めしくなった。そして、何もかも疎ましく思えた。自分自身はじゅうぶん汚い存在だけど、その汚さは僕の所為ではないと思う。魂のところで先祖たちが僕を卑しめようとしているのだろうか。だがどうして。

 鈴木祥子の鈴木祥子というアルバムを聴いた。衝撃的だった。この人はすごいや。運転している間、ずっとかけっぱなしだった。誰かにとって必要かそうでないかに関わらず、いいものには存在する価値がある。

 土門拳が撮影した有名人の肖像。志賀直哉とか川端康成とか、明らかに現代の人間たちとは目つきや顔つきが違う。精悍で強固なかれらの本質を土門のカメラが浮き彫りにしているのだろう。

■lunedi,8,ottobre,2007

 きょうは体育の日。晴れの特異日でなくなったためか、一日中雨の肌寒い休日だった。そして、あさってまで振替休日などで連休となる。疲れが出たためか、左耳の調子がいまひとつ良くない。安静にしていればじきに治るだろう。だからいうわけでもないが、全くどこへも行かず、何もしないで休んだ日。

 

■domenica,7,ottobre,2007

 自分の力を発揮する場がないと嘆く若者を見た。今の持ち場ではさまざまな問題があって困難だからと、それを変更してくれるよう上司に直談判している様子だった。かれの悩みは理解できるけれど、もし今自分が同じような境遇に置かれたとしても、そういうふうにはしないだろうと思った。

 だいたいはじめは自分の力などすべて無いに等しかったから、どの場面であれまず自分の発揮すべき力をつける必要があった。それはどこかであらかじめ準備しておけるわけはないから、実践の最中に泥だらけになって獲得する以外にはない。目の前のことに対処するためには通らなければならない道を否応なく走らされる。自分には学生時代からの得意分野などなく、とにかく与えられたことをこなすので精一杯だった。だから、苦手だからできない、好きなこっちをやらせてほしいとこちらから申し出るなんてことはもともと頭になかった。

 希望の職に就けたからといって好きな仕事ができるわけではない。好きなことをしようと思ったら、好きでもないことまでやらねばならないものなのだ。夢を描く段階では見えていなかった些末な過程の一つ一つ。実はそれがその夢を形作る大切な構成要素そのものだ。夢ははじめから形が決まっているものではなく、向き合う人間のあり方によって無限に形を変えていくものなのである。粘り強く取り組んできた者だけがそのことに気づくことができ、自分なりの夢に近づくことができる。夢をつかむというのは奥深いものであり、選り好みをせず嫌なことにも向き合おうとする態度があってこそたどりつけるものだろう。

 好きなこと、自分のやりたいこと、ほんとうの自分を探すこと……言葉はきれいだけれど、そこには全部先送りの発想が見え隠れしている。そればかり求めていたって手に入りっこないよと僕は思う。好きなことを見つけるには、嫌いなことに目を向けなければだめ。やりたいことをやるには、やりたくないことに取り組まなければだめ。そして、ほんとうの自分に出会うには、嘘の自分と向き合わなければだめだ。

 こんなことを真っ直ぐに伝えることすらできない自分もまだまだなのだけれど。

■sabato,6,ottobre,2007

 そのビッグイヴェントは毎年土日に開催されるわけだが、前日というのが一年で最も嫌いな日のひとつだ。いつも自己嫌悪に陥ってしまう。ところが、今年は昨日書いた特殊事情があったおかげで、それを感じずに済んだ。昨日は最悪だったなどと書いておきながら、日によって、その時々によって、ずいぶん矛盾したことを平気で書けるものだと我ながら思う。しかし、人間とは矛盾だらけのものだ。いつもそこから始まるのだ。

 自己嫌悪に陥らずに済んだ原因はそれだけではない。今年はある意味ではうまく事が運んでいることも多いので、こちらが気をもむ必要がない。それだけ恵まれた状況だといえるかもしれない。ただ、単なる偶然というわけでもない。鼻にかけるつもりはないが、こちらの意図したことが奏功する場面もたしかにあったのだ。

■venerdi,5,ottobre,2007

 研修が大切ということにはまったく異論はないのだが、中にはこれが何の勉強になるの、時間の無駄じゃないのと思いたくなるものも少なくない。その内容もさることながら、時期やタイミングも大きく影響する。ビッグイヴェントを翌日に控えての今回の研修は最悪。

 何の哲学も生き方も感じられないようなパフォーマンスを見せられても応えようがない。怒りを覚える人が出るのも当然だ。それでもいいところを見つけようといわれる。何か少しでも学び取りましょうと。しかし、それは業界の独善にすぎないのではないか。何一つ学ぶところのない「研究」がきっと山ほどある。こんなふうにして、日本全国津々浦々で同じような時間の無駄が繰り返されていると思ったら、反吐が出そうになった。

■giovedi,4,ottobre,2007

 初々しさをいつまでも求めようというのではない。新しいものは次には古くなり、また別の新しいものがそれにとってかわる。新しもの好きならどんどん乗り換えればいい。だけど、ほんものを側に置きたいのなら、初々しさとは違うほかの魅力を探すといい。同じものでも見る角度によって見え方は変わる。あらゆる角度から眺めるようにつとめたら、けして見飽きることはないだろう。そういうなにかひとつのものを、一生かけて見つめ続けることができたら素敵だ。

■mercoredi,3,ottobre,2007

 上からの命令によって下の者が苦労する。これが当然だと思ったらやっていられない。以前は同じ立場だった人たちが上に立つのであれば、もっと現場に配慮があっていいものをとひじょうな怒りを覚える。かといって直属の人を責めてもしかたない。どんどん追い込まれてゆくわたしたち。問題の本質は何か。この怒りはどこに向けられるべきものなのか。

 

■martedi,2,ottobre,2007

 いつでも元気。健康的で力が漲っている。けして仕事の手を抜こうとはせず、人から頼まれても嫌とは言わない。そうありたいと思っていた。だが、ずっとそんな調子ではやっていけないと感じる。そもそもそんな姿が必ずしも全体の均衡を整えるとは限らないのではと考えるようになった。

 若い時のようにいつでも元気とはいかなくなった。それに、すべての仕事を妥協せずにこなそうと思ったら休んでいる暇はないし、その上に人の仕事まで請け負うような無責任なことはできない。

 内的な動機もあれば、外的な要因もある。とにかく、今までと同じようにしてはいられないと痛切に思う。軌道修正だけでは追いつかない。完全なシフトチェンジが必要なのかもしれない。

■lunedi,1,ottobre,2007 

 新しい月。伝統的な衣替えに則って、上着を着て出かけた。たしかに気温は下がり朝などは肌寒くなったが、日中はまだ半袖でも問題ないほど暖かい。したがって、先週までと同様の姿で仕事をした。

 現状に対応した姿をとることが大切だ。いつ衣替えをするかは個人が判断すればいいことである。寒くもないのに上着を強要される必要はまったくない。この伝統は好きになれない。

 そんなふうに考えるのは、紳士でないということか。


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