2008年8月               

■Sonntag,31,August,2008

 八月最後の日。雨は降り続ける。一週間ぶりにテレビを見た。世の中が雨の中にあったことを知る。まるで文明を押し流そうとしているかのように雨は降り続ける。僕は自分ができることをした。しかし、その結果どうなるかはわからない。それでも降るなら降ればよい。こちらには選ぶ権利はない。ただ祈るのみである。

 

■Sonnabend,30,August,2008

 蒸し暑い朝に出かける。6時過ぎ、電光掲示の気温は24度だった。警戒警報が出たりしたけれど、雨らしい雨は降らぬまま。重たい空気の土曜日。重たい理由はそれだけではない。帰宅したのは午後2時過ぎだった。

 それからはラジオを聴いていた。暗くなってから外に出た。しとしとと雨が降り出していた。この街で最大規模の電気屋でパソコンの品定め。どれもこれも不必要な機能ばかりで価格も高い。ネットで下調べした額を下回るものなど皆無。これでも有名メーカーなら売れるというわけか。どうも納得がいかぬ。

 次に、別の小さな小さな店に立ち寄ってみると、必要最小限の機能だけがついた品が、驚くほど安く売られていた。有名メーカーなどではないが、仕事する上では差し支えなさそうだ。店員の話を聴いて納得し、即決。いい買い物かどうかなど知らぬ。とにかくなければ仕事にならぬ。そもそも自営業でないのに、なぜ仕事道具を自前で用意せねばならぬのか。

■Freitag,29,August,2008

 雨はほとんど降らずに蒸し暑い日。予定が大幅に変わってばたばたした一日となった。できたと思っていたことがまだできておらず、夕方になってからも慌てた。自分ひとりの力だけではとうていなし得ることができないほどの複雑な計算だった。しかし、人の助けを借りることで壁は突き破られた。夜には夜で酒宴だったが、その目的と関係なく、少し愉快にビールを飲んだ。

 いくら真摯になっても先へ進まぬこともある。しかし、信じることでしか打破することができない状況もある。あきらめなければ解決できる。そう信じなければ何事も解決に至ることはないだろう。

■Donnerstag,28,August,2008

 喜怒哀楽が眩しいくらいに輝いている。憎しみと愛情が表裏一体であることを、痛いくらい実感する。無駄な感情など何一つない。もっとも忌むべきは、感情をもたないこと。あるいは、感情を表現しないこと。自分はエモーショナルな世界の住人であると思い知る。掌を合わせる。

 皆異なる。そして、異なるものどうし融合するのが、しあわせということではないだろうか。

 コンピュータの修理の見積もりがきた。費用は当初の十倍ほどに膨れ上がり、新品を買ったほうが安いくらいになった。6年くらい使ったことになる。致し方あるまい。修理はキャンセルした。

■Mittwoch,27,August,2008

 叶えたい夢はあるけれど、きょう死んでも悔いはない。それが、守られているということ。

 この世は、叶えられなかった人たちの無数の魂で充満している。僕もそのひとつになれる。

■Dienstag,26,August,2008

 ひじょうに疲れた。こういうときに限って会合があるのを忘れていて、始まる直前に思い出すのだ。やっと終わったのは、もう帰ろうと思った時点から3時間後だった。夜中の自転車はいい。速く進んでいるような気になるから。闇に紛れて細かなことが見えないので、何にもとらわれることなく前に進める。人生もこうだったら、今頃どこまで到達していただろう。現実には、何一つ始まりもしないうちにもう命が終わろうとしている。

 帰ってきてもちっとも安らぐことができないのは、ここに誰もいないからだ。そんなにもおれという人格は、受け入れがたいものがあるのだろうか。約束とはそんなに簡単に忘れられるものなのか。天と地がひっくり返る音を聞いたよ。かなしみとはこのことだよ。

 

■Montag,25,August,2008

 徒歩通勤の月曜日。歩く速度で考えるのはいい。しかし、敢えてやり過ごしてきた問題までも否応なしに目の前にくるから、憂鬱な気分に陥ることもある。帰り道にはまさにそんな感じだった。

 週末とは打って変わって、朝から晩までせわしい一日となった。このせわしさが、憂鬱の原因なのか。なかにはこのせわしさの中で、家庭の問題など紛らわしている人もいるのだろう。仕事に打ち込んでいるうちは、人生に一時停止がかかるから。生き生きと働く人の姿をみて、きょうは複雑な心境になった。

■Sonntag,24,August,2008

 静かな雨。仕事に専念する午前中。するべきことはまだまだあるが、正午の時報とともにやる気が失せる。後は野となれ山となれ、というわけではないけれど、休みを休むために仕事は切り上げる。

 眠るわけではなく、ラジオを聴きながら静かに数時間を過ごす。必要なことは、対話すること。時間を共有すること。頭の中で反芻する言葉などいらない。生きて飛び交う言葉がほしい。僕自身に関していえば、こころは決まっている。迷うことなどないから。何の遠慮も心配も要らないから…

 夕方から病院へ。祖母の退院の目処が立つ。どれもゼリー状の味気ない食事では、食欲も湧かないだろう。甘いものを口に入れると自然に笑顔がこぼれる。もう何も我慢せず、好きなものを好きなだけ食べればいい。

■Sonnabend,23,August,2008

 午前中は頭がぼーっとして布団の中。昨夜の食い物が腹に重く詰まっている感じ。雨が降っているから外にも出たくない。何もしないうちに夕方になる。

 仕事用のパソコンに異音が発生したのを思い出し、車を出してコンピュータ屋へと向かう。店が言うにはハードディスクの交換が必要らしい。早ければ明日にでも出来上がるというので安心して交換を頼む。食料やら何やらを買って家に戻る。

 コンピュータ屋から電話が入り、よく調べたらハードディスクではなくファンの故障とのこと。メーカー修理だから2〜3週間はかかるのだという。痛い。壊れたままではどうしようもないから、時間がかかっても仕方ない。車のように、修理中の代わりを借りられたらいいのにと思う。

 しかし、考え方を変えてみた。パソコンがなくて職場じゃ仕事ができないからと言って、早く帰ればよいではないか。と思ったら気が楽になった。

■Freitag,22,August,2008

 金曜日には終わることだけを考えていた。夕方からぼうぼうに伸びた中庭の草を、何も考えずただひたすら抜いていた。必要な手続きや連絡を間違いなく済ませ、早めに職場を後にした。

 しかし、夜にも避けることのできない会が予定されていた。油脂と雑味で練り上げられたような異物とともに胃に流し込む苦い液体に、少しずつ思考が鈍くなっていった。気がつくと集団を抜け出して、ひとり夜の街をふらついていた。午後十時前に帰宅し、この日は終わり。

 ほんとうの食べ物が懐かしい。自然の中で育てられた香味溢れる食材と、素敵な人とのふれあいの中でグラスを傾けるほんとうのお酒が懐かしい。

■Donnerstag,21,August,2008

 きょうも雨がち。肌寒ささえ覚えるほど、気温も下がった。季節はめぐる。だが、来週あたりにはまた夏の太陽が戻るだろう。そしてみんな日に焼ける。一種のフェイント。

 外気の温度は上がったり下がったり。しかし、人間は季節によらずいつでも体温は変わらない。夏が過ぎても、こころは冷めない。いくら年を経ても変わらない。そういう広義の体温のことである。そんな真の人体として在りたい。

■Mittwoch,20,August,2008

 雨が降ったり止んだりの一日。ちょうど晴れ間に自転車で出て、ちょうど晴れ間に帰ってきた。帰ったとき、ちょうど宅配のトラックが走り出すところだった。もしかしてと思い部屋の番号を告げると、配達員は「ばっちり」だか「ぴったり」だかと叫んで荷物を出してくれた。届いたのは注文していたパンだった。

 絶妙のタイミング。早くても遅くても会えなかった。偶然によってすべては構築される。偶然のもたらすしあわせ。振り返るとすべてが必然だったといえるようになる。この不思議。

■Dienstag,19,August,2008

 暗い朝。寝過ごすところだった。出勤時にはものすごい雨。始まってしまえばこれが当たり前になる。それもおそろしいことだが、たんたんとこなす。体力的な面で、早くもとのペースに戻りたい。

 写真がパソコンに入りきらないほどになった。しかし、その中でほんとうに重要なものはわずかでしかない。プリントした一枚を眺めながら、こころの中で旅をする。人に出会う。会話をする。思いを抱きしめる。

 誰にもとらわれないことが自由だと思っていた。だが、ひとりでは、自由に生きることなどできないのだ。

■Montag,18,August,2008

 お盆が終わり、また日常。きょうは少し猶予。帰宅は早かったのに、知らぬ間に就寝。

■Sonntag,17,August,2008

 一昨日旅から帰った。土曜日にはうつらうつらしていたが、疲れは取れた。きょうは、後始末というのか準備というのか、煎餅をかじっているうちに時間が経過した。旅の途中でなくしたものはもう戻らないが、この旅でまたひとつ、先に進むことができたと思う。ここで重ねられた時間はもう永久に消えない。深い感謝の気持ちをどう表せばいいのだろう。これからも同じ歩幅で歩くことができたらと願う。

 明日からまた日常と思うと憂鬱になる。しかしこの日常もまた、新しい旅の一歩と考えて、笑顔で進もう。またいつかと思って、その日を胸に過ごそう。

■Donnerstag,7,August,2008

 立秋か。たしかに朝晩の空気は変わってきている。日中は夏空が広がった。風があったためにさわやかな一日だった。この間夏祭りが終わったと思ったら、きょうまで七夕祭りだった。そうして来週にはお盆がくる。

 徒然草なんかを読んで、季節のことに思いを巡らす。時代などに関係なく、この繰り返しによって日本人の感性は磨かれてきたのだろう。遺伝的に我々の身体に刻み込まれてきたものがありそう。

 真夏まで一気に昇りつめてきた。そして気がついたらもう夏は終わり。わかってはいるけれど、まだなんとなくこれまでと同じような調子で上昇しそうな感じが残っている。

 明日からしばし旅に出る。あるいは、だからこそそう感じるのかもしれない。ここで怪我したらとか、事故にあったらとか、よくないことがちらちら浮かんだ。しかし、ここまで来たことに感謝。素敵な旅にしよう。

■Mittwoch,6,August,2008

 暑さもからっとしていると気持ちがいい。抜けるような青空の下、城下町の河川敷、夏草が風に揺れる。

 ヒロシマの日。核兵器は廃絶されることだけに意味があるという。63年。歴史としてはあまりに短い時間だ。この間、戦の止んだ時などただの一日もないという事実は、すべての人の人生が戦の中にあることを示している。核のない、戦のない世界への道のりは遠い。ひとりひとりが架け橋の先頭を歩いている。ゆっくりでも確かに前に進むこと。僕らの旅もその営みのひとつとして位置づけられなければならない。

 少しずつ旅支度を進める。それほど持ち物は多くないと思いながらも、バックパックいっぱいになりそう。ほんとうに必要なものだけを選び直して、もっと軽くしたい。本の類などは、用が済んだら置いてくればいいのかもしれない。

■Dienstag,5,August,2008

 夏の空。朝ほど約二時間太陽の下で過ごした後、机に向かって仕事。昼食は外でうどん。

 午後には炎天下の市街地を歩き、いくつかの入ったことのない建物に入る。二度と入ることはないような建物。文化のありようはわからない。あるところなど、大部分の掲示は英語で、日本語で書かれたものを探すのに苦労するくらいだった。誰のための掲示なのかわからない。文字が飾り程度の役割しかなしていないということか。なんて言葉が軽いのだ。

 思いがけず駅に来たので、ついでに旅の切符を購入する。暑かったので、アイスコーヒーを買って休憩。目の前に停まっていた100円バスにひょいと乗って帰る。

 観音様が何かに姿を変えていつも手を差し伸べてくれているのだという。今夜もまた救われた。ありがとう。

■Montag,4,August,2008

 北の街の夏もきょうで終わり。にぎわいを見せる街の雰囲気は好きにはなれなかった。もう八月。もうじき秋。地面にはたくさんの蛾が落ちていた。季節のバランスに欠けた推移。

■Sonntag,3,August,2008

 不全というのは全うされていない状態である。発育不全。コミュニケーション不全。心不全。そしてやがて死に至る。なんと欠けている部分の多いことか。身体的な言葉の欠如。どうしてこうなってしまったのか。

 言ってはいけないことがあるだろうか。言葉にしてみたらいいではないか。湿度の所為にしたくなる。しかしそれは嘘である。外気に触れるのが怖い。それは誰の所為でもない、これまでの積み重ねの結果なのだ。

■Sonnabend,2,August,2008

 祖母の病室から見える夕暮れの空には夥しいカラスが飛んでいた。それを指差して祖母は「ほら鳥っこだよー」と教えてくれた。異常なほど増殖した黒いカゲと鳴き声は、あまり気持ちのよいものではなかった。

 見下ろすと中庭にはきれいに手入れされた花壇があった。プレートを見ると、"Fantasy of Beethoven〜Kenji Miyazawa"とある。宮澤賢治が設計した花壇か。

 病院によっては、看護師の患者への扱いがひどいところもあるという。その点、この病院の看護師たちはひじょうに献身的な態度にみえる。病院での教育の差が表れるのだろう。祖母は恵まれていると思った。

■Freitag,1,August,2008

 八朔は霧雨。自転車で飛び出してまもなく雨粒が大きくなり、長田町で合羽を着た。朝八時から午後五時までほとんど立ちっぱなし。長い長い九時間だった。

 きょうから夏祭り。夕方からは街に人が溢れだす。そんなこととは関係なく、仄暗い灯りの中、夜半まで過ごす。同じ時間でも、素敵な時間は夢のように早く流れる。

  


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