2008年12月               

 

■Mittwoch,31,Dezember,2008

 前の晩は大沢温泉に泊まってゆっくりと過ごしました。自炊部のほうの廊下を通ると昔ながらの湯治場の雰囲気を感じました。でも記憶の中の様子とは違っていて、少しずつ新しくなっているところもあるのです。

 姪っ子は盛んに喋るようになりましたがまだ意味はわかりません。お腹がすいたのか、おむつを取り替えてほしいのか、大人が察してあげるしかありません。しかしそれは子育てにおいて実に基本的なことなのですね。

 帰りには花巻の賢治記念館周辺に行ってみましたが、施設はすべてお休みでした。年末年始に帰省していた人たちが見られないのは残念なことです。マルカンデパートは開いていました。最上階の大食堂に入りました。入り口にはメニューのサンプル。皆どれも安く、多様であることに感心しました。名物のソフトクリームなどを食べました。

 夜には紅白歌合戦を見ました。何年ぶりだったかな。前半の人たちはほとんど知らない歌手ばかりで、初めて聞く歌ばかりでした。それらの多くは二度と聞くことはないでしょう。

 歌を聞いて元気になることもあります。音楽で人に力を与えることはできるでしょう。しかし、国や世の中を変えることはできない。人々の暮らしを、具体的に改善する手立てを、講じるべきところが講じていないというのが、この国の悲劇だと思います。

■Dienstag,30,Dezember,2008

 きのうの映画に影響されたためか、朝方不思議な夢を見ました。舞台は学校時代に住んでいた家でした。ピーピー目覚ましの音が鳴り、その音がだんだん大きくなってきました。どこで鳴っているのだろうと家中を回って居間に入ってみると、綿入れを着た父と母が二人仲良くストーブに赤いポンプでぺこぺこと灯油を入れているのでした。

 冷蔵庫の中には少ししかものがありません。生ものは朝に食べ切りました。ゴミも捨ててすっきりです。これから実家に帰省します。今回は弟の家族が昼の新幹線でやって来ますので、かれらを車に乗せて帰るのです。読みたい本を何冊かカバンに詰めましたが、ゆっくり読む時間があるかどうかはわかりません。帰宅は正月2日の夜の予定です。

■Montag,29,Dezember,2008

 「おくりびと」を観ました。間違いなく今年いちばん感動した映画でした。言葉でなく人物の所作を通して心が伝わってくるような作品でした。何度となく涙があふれてきてしかたありませんでした。映画でこれほど涙を流したのは「ニューシネマパラダイス」以来ではないでしょうか。とにかく奇跡です。何が奇跡なのか。この映画が生まれたことか、きょう私がこれを観たことか。その両方か。地味で、けして衝撃的ではないけれどじわじわと引き込こまれていきました。ひじょうに密度の濃い時間でした。それほどまでに私の価値観と共鳴する部分が多かったということでしょうか。

 このような映画が人気を博したり、遠くカナダの地で評価されたりしたのは、国や宗教を超えた人間の本質を語っていたからではないでしょうか。また、きょうの私の場合、本木雅弘(なんと私と同い年)の演じる「納棺師」を通してみせてくれた、人々と関わり合う中での人間の成長が、感動の核だったといえるかもしれません。

 ほかのいつでもないこのタイミングだから意味があるという出会いがあります。単なる偶然とは思えない、運命的な出会い。きょうこの映画を観ることができたことを素直に喜びたいです。

■Sonntag,28,Dezember,2008

 午前中は年賀状を作りました。作ったといっても、雑誌についたCDの絵とあらかじめ打ち込んでおいた住所を印刷して、一言だけ手書きの挨拶を書いてという、実に簡単な作業でした。すべて手書きだった時代など、どれだけ時間を費やしたことか。また、プリントゴッコの頃に比べても隔世の感があります。

 こんなに簡単では心の込めどころがない気もしますが、一枚一枚丁寧に書きましたので相手を気遣う心はきっと伝わるだろう、と信じたい。いっぽう、手作業の頃とは時間や仕事の質が変わって、もはやこのことだけに時間を割いてはいられないという感覚も正直言ってあります。コンピュータが入ってから私たちの感覚が変わったことは間違いなさそうです。

 夜になってあれこれと打ち合わせをしました。時間の調整ひとつとっても時間と手間がかかることです。しかし、こうやってお互いを摺り合わせていくのも大事な過程。面倒ではあっても無駄ではないはずです。いくら機械化が進んでも、人と人との関係作りの根本には及ぶわけはありません。考え方や感覚がひとりひとり違うところが出発点です。うまく伝え合い、学び合いながら、かけがえのない関係を構築していきたいものです。

■Sonnabend,27,Dezember,2008

 朝はパソコンで作業。とはいえ、ネット環境のない職場で使っていたパソコンをネットに繋いで、ウイルス対策ソフトなどを更新し、昨日買ったソフトをインストールしたくらいですが、それでも時間はあっという間に過ぎてしまいます。昼から職場の皆が参加するイベントがあるので、急いで準備して出かけました。約4時間に渡るイベントの中でさまざまなことを考えました。考え方は人によってこれほどまでに異なるのだ。どれがいいとか悪いとかということではもちろんないし、違う考えの人とも仲良くできないわけではけしてない。自分とは違う人たちといっしょに、じょうずに折り合いをつけて生きていく。我慢をしたり主張したりしてちょうどいい塩梅を探しながら。帰りは暗くなっていたし、風が強そうだったのでタクシーを使って帰宅しました。何だか疲れてその後はただ寝るばかりでした。

■Freitag,26,Dezember,2008

 仕事納めの日。出勤して身の回りを片付けて、出張に出かけました。新年早々に行われるイベントの準備会でした。パソコンに向かっての慣れない作業が15時半頃まで続きました。私のパソコンには必要なソフトが入っていなかったので、他の人のパソコンを借りての作業でした。一応の目鼻は付いたものの完成には至らず、残りは宿題となりました。しかし、そのソフトがなければ宿題を終わらせることはできません。残念。そもそも必要なインフラが整備されていない現状にため息が出ました。

 職場に戻り、さまざまな書類の提出を待ちながら、身の回りの整理整頓をしました。きょう締め切りのものがいくつかありましたが、最後の最後に出そろいました。そして、言うべきことは言いました。どれだけ深い理解に基づいて話せたかはわかりませんし、どれだけの誠意をもって聞いてくれたのかもわかりません。しかし、悔いの残らないようには伝えました。あとは信ずるのみ。結果は甘んじて受け入れましょう。がっかりさせないように努めたい。それでもそう思わせることがあるとしたら、それは私の不徳の致すところ以外のなにものでもないのです。

 仕事納めであるにもかかわらず、「よいお年を」という決まり文句は聞かれません。なぜなら明日も皆が顔を合わせるからです。夜にはパソコン屋に行ってあれこれ相談し、結局は必要なソフトを購入してきました。

■Donnerstag,25,Dezember,2008

 夕方、デパートの前を通ると、クリスマス用の飾りがすべて取り払われ、隅に積まれていました。明日にはお正月用の模様替えが行われるのでしょうか。日本のクリスマスは宗教心とはほとんど関係のないイベントです。うわべだけを飾りながら流れていく年の瀬の景色を、住む場所を失った人たちはどう見るでしょう。この時期カナダの街のあちこちで見たフード・ドネーションの大きな箱とか、炊き出しとかは皆無です。それだけこの国が恵まれていたのかどうか。これからはまた別の見え方になっていくのでしょうか。

■Mittwoch,24,Dezember,2008

 他人のことならさまざま目に入っても、人間は、自分のこととなるととんと見えなくなってしまうものです。離れたところから自分を見ることの難しさ。それでいて、自分を棚の上に上げなければ何かを語ることなどできないのです。他人と関わりながら他を知り己を知る。ひじょうに刺激的であり、ときに重く感じられることもありますが、それらはすべて人と関わることなしにはわからないのであって、それができる境遇に感謝をしなければなりません。人はひとりでは生きていけない。それすら私は、言葉ではわかったつもりでいても、心の底では理解できていなかったようです。そして、まだ理解したなどとはとうていいえないほど小さな人間なのです。

■Dienstag,23,Dezember,2008

 休みでした。朝にはたまった新聞に目を通しました。外に出ると、駐車場の空きを待つ買い物客の車の列ができているのが見えました。きょうのように混雑しているときには、買い物しないのがいいですね。食べ物屋でも、私は行列のできている店にはけして並ばないのです。

 昼には部屋でスパゲティなどを茹でて食べました。静かな家の中で楽しむ休日もいいものです。

■Montag,22,Dezember,2008

 目覚めると一面の銀世界でした。二十センチくらい積もっていました。毎年のことですが、昨日は何もなかったので、急な変化に驚きました。雪かきのために出勤が少し遅れました。

 今年最後の一週間が始まりました。終わりよければすべてよしといいますから、しっかりやりましょう。

■Sonntag,21,Dezember,2008

 冬至でした。雲が厚くて暗い一日。日中でも車のヘッドライトが必要ではないかというほどでした。住まいの目と鼻の先に、新しいパン屋ができました。開店のきのうは時間がありませんでしたので、きょうの午前中に行ってみました。雑穀やナッツをふんだんに使った田舎パンの店でした。この噛めば噛むほど味が出るようなパンは私好みなので、これからお世話になると思います。昼には今年最後の日曜喫茶室を聴きながらだらだらぼーっと過ごし、電話で少し話をしました。田舎の良さもある。そして、都会の空気も必要。上手にバランスを取って生きられたらいいと思います。

 きょう古い太陽が死にました。明日から新しい太陽がのぼります。よろこびに満ちた年の始まりです。きょうはうれしかった。よろこびというのはほわんとしたものです。考えるだけで体が温まるような感じがします。

■Sonnabend,20,Dezember,2008

 ひとつ大きな区切りがつきました。帳簿の整理も終わり、机上の片付けも済ませ、すっきりした気持ちで一週間を終えることができました。まだ厄介なことは残っていますが、仕事を続ける以上どうしても続くものですから、過度に重荷に考えずに処理することにしましょう。

 夜には、クリスマスも近いしということで、叔母と母と三人で居酒屋で飲みました。それぞれ年も年なので話題は生老病死や冠婚葬祭などについてですが、喜怒哀楽がすべて笑いにくるまれて、気分よく飲めました。ときどき会うこの距離感がちょうどよいのか、年齢的な変化のためなのか、今までとは違った相互扶助の関係が構築されていると感じました。

■Freitag,19,Dezember,2008

 午後から出張があって、そのため面倒な場面に立ち会わずに済みました。こういうときもたまにはあります。そして、これでもかと面倒な場面が襲ってくることもあるわけで、プラスマイナスゼロです。いいときがあれば悪いときもある。人生の常です。仕事にせよ、私生活にせよ、この繰り返しで終わるまで続くのでしょう。それでいいと思います。いつ終わっても中途半端。お蔭様です。思い残すことはありません。

■Donnerstag,18,Dezember,2008

 「風のガーデン」は途中何度か見逃しましたが、楽しみに観ていたドラマです。本日はその最終回。主役の中井貴一扮する麻酔科医が老医師の父に看取られ、癌でこの世を去るのでした。俳優緒形拳の遺作というのがきっかけで観始めたドラマでしたが、味わい深い作品でした。家族や医療のあり方についての提案というか主張がしっかりなされていたように思います。そして何より、自ら癌を患った緒形拳さんがあの脚本を見事に演じ切ったことに感動を覚えます。ひょうひょうとしたところが魅力といわれながら、その内には恐ろしいほどに壮絶な闘いがあったのでしょう。台詞を一言一言自分に言い聞かせながら死への準備をととのえたのでしょうか。役者とはなんという仕事なのでしょう。

■Mittwoch,17,Dezember,2008

 今週も半分が終わりました。帰ったら映画を観ようなどと気楽な構想をもちながらいたのですが、現実的にはそうもいかず、もたもたしているとすぐに19時を回ってしまうのでした。

 気温が高いためなのか、いつも慌ただしいからなのか、年末らしい慌ただしさをあまり感じません。淡々と与えられたことをこなしている日々。これでは充実感や精神的な成長は得られないのではないか。もっと違う場所に身を置いて、ちゃんと努力の日々を行わなくてはならないと、頭の上から声が聞こえてくるようです。

■Dienstag,16,Dezember,2008

 旅のない年末年始はここ10年では初めてではないか。どこにもいかずに長い連休を県内で過ごすなんて、想像がつきません。実家で過ごすお正月にも限界があります。知らない場所に足を運ぶことほど、私の心がときめくことはないのです。

 ほんとうはこの時間に進めるべきことを進めるのがいちばんいいと思うのですが、それには調整が必要です。もしもぽっと時間が空いたときには特急に乗って旅に出ようか。一人旅なら、寒くて寂しい所もいいです。

■Montag,15,Dezember,2008

 仕事に関しては年末年始の見通しがたちました。年明けに少し大きなイベントがあったりして落ち着かないのですが、それは所詮仕事ですので、休みにまで引きずるつもりはありません。完全に仕事から離れてリラックスする時間をもちたいものです。

 仕事以外に関してはあまり見通しがたちません。来年は大きな年になりそうですが、自分が勝手に思うようにすいすいとは進まないのだと感じています。でもそれは当然です。いいときも悪いときもあって少しずつ進んでいければいいのではないか。きょうの「ほぼ日」に共感できる言葉があったので、デスクトップにコピーしておきました。

 三連休きっぷの話をしたら旅に出たい気持ちがにわかに沸き起こってきました。さてどこに行って何をしようか。あれこれ考えることも旅の楽しみの大きな要素。大いに考えて楽しみましょう。

 

■Sonntag,14,Dezember,2008

 ゆっくり朝食を食べてから出かけて14時前まで仕事。スーパーマーケットに寄って帰宅し昼食。その後掃除をして洗濯をしてゴミを捨ててすっきりしました。暗くなってから実家に行き、夕食を食べて部屋に戻りました。なんら代わり映えのしない日曜日の過ごし方です。

 帰国してから3年が経とうとしています。3年といえば、カナダに滞在していた期間です。未だにいろいろな景色が頭に浮かんできます。カナダの3年とその後の3年。単純に比較することはできませんが、カナダの3年と同じくらい、あるいはそれ以上にこの3年が濃い期間になっていると言えます。それはあの3年で学んだことが消化できたというのではありません。いまや自分はあの時期を終えてその次のステージを生きており、いまだに変化し続けているということです。一見代わり映えのしない日々を過ごしながらも、やはり自分は何ものかに変わり続けさせられているのだと感じます。

■Sonnabend,13,Dezember,2008

 劇団四季の「美女と野獣」を観ました。開演2時間くらい前に電話をしたら当日券の予約ができました。その後新幹線で仙台へ。この身軽さ。というよりも、ミュージカルを思いつくのが遅すぎて、些か慌てて出かけたというのが本当のところ。夜に人と会う約束だったので、その序でに何かしようとはずっと考えていたのです。

 テーマは見かけと中身ということでしょうか。観ていると、人は変わることができるというメッセージが繰り返されているようでした。町の者たちからは変わり者と呼ばれている本好きの美しい娘ベル。いきいきとした表情が素敵でした。野獣と自分を重ねてみたりもしました。きょうこれを観ることができたことは単なる偶然ではないのではとも思いました。しかし、ミュージカルは大衆の娯楽です。楽しければ後は何の理屈も不要です。久しぶりのミュージカルをたっぷり楽しませてもらいました。

 夜には初対面の人たちとお会いして、さまざまな話を聞きました。そして、最終のひとつ前の列車で帰ってきました。これらの一連の動きを前向きにとらえています。人を介してまた新たな人との繋がりができるのが嬉しいです。出会いは人を変えるといいます。中身が入れ替わるほど変わり続けたいものです。

■Freitag,12,Dezember,2008

 自分のこのごろ抱いていた思いと同僚の分析が共通しているのだと、話をしていてわかりました。互いに相応に、対象にそれだけの時間を割いているのですから当然ではあります。でも、その認識が言葉として共有できると、安心感が違ってきます。「これでいいのか」という不安をもったままではいいものはできません。どこにおいても、「これでいいのだ」という感覚は重要です。

 ともあれ、一週間が終わりました。すっきりした気持ちで週末を迎えられることに感謝です。

■Donnerstag,11,Dezember,2008

 ひとつの仕事が片付きました。しかし、心配事はさまざまあるのです。毎日のように怒りが渦巻くのです。まるでドロドロと熱い原初の地球です。ときどき火山が爆発します。9割の失望と1割の希望が渾然一体となって、大声で叫びたくなります。しかし、最近では「このままだと鬱になるなる」といろんなところで騒いでいますから、鬱になる心配は減ったと思っています。やってらんねえことをやってらんねえと公言することは大切です。私も遠慮してしまいがちですが、ちょっと意識してやっています。

 きょうは電気屋に寄ってテレビを買いました。37型大画面の薄型液晶テレビです。自分のではありません。実家のテレビが壊れたので買うことにしたのです。実家のテレビは、私が山間部に勤め始めた頃に買ったもので、15年半ほど使ったことになります。半年くらい前から少しずつ画面のノイズが増してきて、先日ついに映らなくなったとのこと。町の電気屋に「もう寿命」と言われたそうで、天寿を全うしたということでしょう。年末年始は実家でテレビ三昧になってしまうかもしれません。それを楽しみに? あと少しがんばりましょう。

■Mittwoch,10,Dezwmber,2008

 週末にはいっさい手をつけなかった仕事も、月曜からの三日間でほぼ終えることができました。これで明日の締め切りには間に合いそうです。最後まで残していたのはいちばん時間がかかりそうな部分だったのですが、意外と短い時間で仕上げることができました。というより、ほとんど苦にならずにすいすいと進みました。はたしてこれは経験なのだろうか。何年もやっていればすぐにできるようになるものだろうか。「慣れ」の面はたしかにあるでしょうがそれだけではないでしょう。それより重要な理由があると私は思っています。

 対象をいろいろな角度から眺めることができるといろいろな見方ができます。その分、それを表現できる観点が多くなります。あとはどの観点を取り上げるかを選択すればいいので、たいして頭を悩ます必要はありません。要は「みる」ことです。どれだけ自分のこだわりを解いて対象をみることができるかがポイントです。悪い意味でこだわりをもちすぎると、難しい仕事です。

 同業者にしかわからない表現でしょうが、どの仕事にも通じると言えるかもしれません。

■Dienstag,9,Dezember,2008

 今月に入ってからは徒歩通勤が続いています。歩くにはいい季節になりました。冬の厳しいケベックでは冬が好きと答える人が多いそうです。その気持ちはわかります。寒いのは好きではありませんが、冬の景色はきれいだと思います。人が生きるには厳しい環境の中に、美しさが宿るのかもしれません。

 それとは別の話ですが、今の職場の建物はどうも冬には向かない作りのようです。つまり、寒いのです。三十年前からいっさい手が加えられていないようなのです。それほどまでに緊縮財政なのです。以前はそれでも十分だったのかもしれません。温暖化防止の観点からみれば我慢しろと言われるかもしれません。しかし、ただでさえ使い勝手の悪い建物に加え、もっと寒さが厳しくなったらどうなるか少し心配です。

 建築のことを考えると、もっと研究の余地があるといつも思います。その仕事や職場に合った環境を作るには現場の人が設計に関わらなければいけないはずです。設計段階でどれだけ使う人の側に立った思想をもてるかがカギです。しかし現状はほど遠いのです。

■Montag,8,Dezember,2008

 新聞を取ることにしました。このままでは言語生活がひ弱になってしまいそうなので。君の思考は貧弱だよという声がどこからか聞こえたような気がしましたので。ゴミが増えてしまうことを覚悟して、とりあえず3か月分の注文をしました。以前取っていたのは前の前の前の前の職場の頃ですから、8年以上前のことです。実家にいるときは地方紙に目を通していましたが、それ以外はネットやラジオから情報を得る比率が高かったのです。

 広大無辺なネットの世界から関心のある情報だけを取り出して読むというのは、栄養のバランスを欠いた食事のようで、どうしても偏りが生じるなと感じていました。それに比べて、新聞は一部がいわばまるごとひとつの世界ですから、一応のバランスは保たれています。全部咀嚼できるほどの時間はありませんが、これからどのような変化が表れるか、自分自身少し興味があります。

■Sonntag,7,Dezember,2008

 うまい蕎麦でした。たまに行く店なので食べたときにはいつもうまいと思うのですが、きょうは格別にうまいと感じました。体調が良かったのか、おなかが空いていたのか、そのどちらもだったのかわかりません。

 食べ物やお酒の味は、気分やその場の状況によって大きく左右されるものです。毎日昼に持参するサンドウィッチは、手間ひまかけているわりにはたいしておいしく感じません。それはゆっくり味わえるような気分ではないからです。きょうの蕎麦の理由は、気分が良かったからと考えるといちばんしっくりきます。

■Sonnabend,6,Dezember,2008

 午前中は仕事でした。寒いけれど風邪は引くまいと思いながらやっていました。その後はあちこち買い物をしてから車を走らせました。高速道路の車窓の景色は、雪で真っ白なところもあれば、まったく降っていないところもあり、刻々と変える姿を見るのは楽しいものでした。

 今年いちばんの冷え込みで、外には雪が舞っていました。いつもの温泉でゆっくりと風呂につかりました。小一時間はあっという間でした。その後いつもの店でお寿司を食べました。こんなに素敵な時間を過ごせるありがたさを、いつになっても忘れてはいけないと思います。

■Freitag,5,Dezember,2008

 ソプラノ歌手塩田美奈子さんのリサイタルに行ってきました。日本語を大切にしたいという姿勢が、話し方や歌声から伝わってきました。「お話オペラ」という一人芝居で「蝶々夫人」を聴きました。この話を最初から最後まで聴いたのは初めてでした。朗読とオペラの組み合わせはおもしろい挑戦だと思いました。ことばと音楽が折り重なって感動が何倍にも増幅します。様々な手法を融合させた芸術は興味深いです。触れるといつも、何か創りたい気持ちがわいてきます。

■Donnerstag,4,Dezember,2008

 12月4日は忘れられない日のひとつです。18歳の頃は遠くになってしまいましたが、気持ちはあまり変わっていないのだなとこの年になってわかります。40を過ぎたおじさんのことは、10代の人たちにとってはおじさんにしかみえないでしょうが、実はおじさんの頭の中も君たちとあまり変わりなかったのでした。

 あれから20年以上たちました。この歳月がけして無駄ではなかったと今は思えます。失敗したり我慢したりしたこともきっと報われます。失敗してよかったとか我慢してきてよかったとかきっと心から感じられる日が来ます。ここまでくると、たとえ道の途中で果てても構わないのだという気さえしてきます。悔いはありません。でもせっかくだから、これから先もっともっと楽しもうと考えています。きっと今まで楽しかったことの何倍も楽しめるのではないかと期待しています。

■Mittwoch,3,Dezember,2008

 窓から見る夕方の西の空がきれいでした。オレンジ色のグラデーションを背景にして、さまざまな形の建物がまるで切り絵のように影になっていました。そして、空には細長い月と、金星と、もうひとつ惑星がならんで浮かんでいました。後で知りましたが、あれは木星だったそうです。ならんだ形をスマイルと称した記事を見てなるほどと思いましたが、見ていた時はそんなことなど思いもしませんでした。

■Dienstag,2,Dezember,2008

 忙しい月ではありますが、段取りよくやればこなせる見通しはもつことができます。当然の話ですが、全体の予定表もそのように決められています。煩雑な事務仕事が重なるとしても、そのための時間が十分に設定されていればどうということはありません。

 十分ではないにしても、今の職場は比較的配慮がなされているように思います。週日にまったく時間が保証されていないにも関わらず締め切りが月曜で、終わらせるためにはどうしても土日を使わなければいけない、などということが(まったくないではありませんが)、少ないのはいいことです。

■Montag,1,Dezember,2008

 光陰矢の如しとはよく言ったもので、月日が過ぎ去るのは非常に速いです。年を取るほど速くなると言いますがほんとうにその通り。師走になるとその思いは強くなります。最近は毎年同じことを感じているようです。

 こんなに速いなら、人の一生なんてほんの一瞬だし、百年といってもそれほど長い時間ではないでしょう。千年の昔とてまったく想像がつかないわけでもありません。時代を超えて残っているものの価値はそれなりにわかります。同様に、残らなかったものの価値にも思いを馳せてみると、みえない魂がみえてくる。あまたの人々の思いがそこかしこに漂っているのがみえてくるのです。