2008年7月               

■Donnerstag,31,Juli,2008

 朝は起きられなかった。昼から出た職場で、幾つも積み重ねられた書類の山を見た。そして、今日締め切りのことがいくつかあったのを知る。頭で考えることと、実際とは違う。さっきまでの考えは何だったのか。言っていることとやっていることがこんなにも違うじゃないか。

 だが、だとしても、外に目を向けて歩いてくることが必要だ。そして、何もわからない者にとっては、比べることすら不可能なのだから。みようとさえしない者の何に耳を貸す必要があろうか。

■Mittwoch,30,Juli,2008

 東京最終日。昨夜激しい雷雨があったためか、今朝はやや涼しい。早めに宿を出て東京駅に荷物を預け、散歩に出かける。巣鴨のとげ抜き地蔵はまだ人もまばらだった。

 研修はめでたく修了。普段は聴くことのできない方々から貴重な話を聴くことができた。このようなブレインが考えていることが、末端の現場に伝達されるまでにいかに歪曲されてしまうことか。

 これをどこで生かせるかはわからないけれど、いつもどこでも生かせるのではないかと思う。

■Dienstag,29,Juli,2008
 きょうも午前午後それぞれ二つの講演を聴く。話のおもしろさとはどういうことか。人間性や性格とは別のところで確かな技術がなければ、人を長い時間ひきつけておくことはできない。いくら情報の内容がおもしろいものであっても、その伝え方がおもしろくなければ、眠くなってしまう。しかし、話術に長けているとしても、内容が貧弱であれば聞くに値しない。うまい講演は実に微妙なバランスの上に成り立っている。
 夕方にはとにかく街を歩いてみる。夜には落語でもと思いながら、そんなことすら忘れてしまった。仕事を終えた人々の波にもまれながら歩く。重厚な建物が延々と続いている。僕はどこか別の国に来ているような錯覚を覚えた。パスポート持ってきてたっけ? などとおかしな心配が浮かんだ。だが、日本橋に立ったとき、ここがかの東海道の起点か、日本のすべての道のはじまりかと思ったらじんときた。やはりここは僕の住む日本の、首都だった。

■Montag,28,Juli,2008
 良質の講演を四つ立て続けに聴いたという感じ。内容が興味深いものもあれば、話術で惹きつけるものもある。いずれの講師もその人間の大きさがにじみ出ており、そこに触れられるのがおもしろい。なるほどこうやって身銭を切るだけの価値はある。明日以降も楽しみだ。
 夜には渋谷で81/2という古い映画を観た。夢なのか妄想なのか物語の展開はめちゃくちゃだが、強烈に目に焼きつくようなシーンがいくつもあった。しかし、フェリーニの自伝的映画といわれているこの映画の、主人公の男が最後まで好きになれなかった。
 映画が終わると9時。何かうまいものを食べたいと、まだ蒸し暑い通りを歩いた。だが、いつものごとく、気軽に入れる店が見つからず、結局は宿のそばの中国料理屋で木耳と卵の炒め物の定食を食べて帰った。

■Sonntag,27,Juli,2008
 月曜から水曜まで東京で研修のため、きょうは移動日。神楽坂の矢来能楽堂というところで、生まれて初めて能を観た。一幕は琵琶平曲、仕舞、狂言「呂蓮」。休憩の後が能「忠度」だった。どれも興味深かったのだが、狂言がわかりやすくて楽しめた。その他は、動きが少なく、言葉が聞き取れなくて、難しかった。そのためか、疲れのためか、何度か舟を漕いでしまった。普段から、古典に接する機会を持つのがいいのだと思った。
 夕方には弟のところに寄って姪っ子の成長を確かめ、近くの居酒屋で弟と談笑した。

■Sonnabend,26,Juli,2008

 朝は少しゆっくりと起きた。冷蔵庫の中を片付けて、和食の朝ご飯を食べた。そうして、コーヒーを飲んだら、頭がすっきりした。昨日までの湿度とは違う、さわやかな夏の空が広がった。

 ラジオで子ども電話相談を聴いていた。いろいろな表情の子どもがいた。親は、すべての疑問に答えられるわけではないだろう。けれど、親は、すべての疑問に答えられるようでなければいけないと思った。それが、子どもを支えるということではないか。その後、仕事に出かけた。

 夕方からは祖母の見舞いに出かけた。途中で寄った量販店で、以前の同僚とばったり会った。簡単な挨拶を交わしてわかれた。大先輩のような気がしていたけれど、実はそれほど年が離れているわけでもなかった。

 

■Freitag,25,Juli,2008

 なぜか先週のような解放感はなく、ほどよい緊張感を保ち続けようという意識が働く。周囲がばたばたとしている中、自分ひとりだけどうもリズムが異なっているようだった。安堵にはまったく辿り着けない。

 年に数回のシミュレーションを経て、ほんとうの終わりのイメージを作り上げる。すべてがそこに至るための準備である。だから、この日の様子を見れば、その人がどのような生涯を閉じるのかを見て取ることができるような気がする。

 

■Donnerstag,24,Juli,2008

 きょうも雨が降ったり止んだり。とにかく今週は毎日傘を持ち歩いている。帰りには細かな霧雨。少し長い距離を歩きたくなって汗だくになりながらも遠回り。今週もようやくここまで来た。あと一日。

 暑中見舞いの葉書が届く。感謝とよろこび。気持ちをここに記すことなどできない。

■Mittwoch,23,Juli,2008

 前線が停滞しているらしく、きょうも昨日と同じような天気が続いた。蒸し暑く、気持ちの悪い一日だった。この前線をかつては「梅雨前線」と呼んでいたのではなかったか。

 夜には件の会議があって、参加はしたものの集中はできなかった。外で食事をして帰り、早めに就寝した。

 零時を過ぎた頃、激しい地震に飛び起きた。部屋に被害はなかったが、建物がつぶれるかもしれないという恐怖感を覚えた。この一か月くらいの間に、大きな地震が立て続けに起きている。まだ続くのかもしれない。

■Dienstag,22,Juli,2008

 寝苦しさ。窓を開けるが風も入らない。この湿度。朝から細かな霧雨が降っていたが、傘をささなくても濡れるほどではなかった。そういう中途半端な天気が明日も続きそうだ。「梅雨が明けた」というのだから、からっとした暑さがほしいところだ。そもそも「梅雨」という概念自体がすでに役に立たなくなってしまったようだ。

 できるだけ労力をかけないという当初の方針は、どこかに置き去りにされてしまった。なぜか委嘱状などというものが手渡され、これまで出る必要のなかった会議に出なければならなくなる。これは誰かの不安を穴埋めするだけの行為ではないか。もしやこれは、子どもたちが夏休みに大量の宿題を課されるのと、同根ではないか。

■Montag,21,Juli,2008

 午前中は仕事に行った。そこにいなければ成立しないことだが、何ら生産的ではない。信じられないことに、我々の先達は「好んで」このような仕組みを作ってきた。

 海の日の由来は忘れた。海に行かない自分には関係のないことだ。それより大切なのは気持ちを伝え合うこと。きょうが特別だった理由はそれだけ。

■Sonntag,20,Juli,2008

 日曜朝のテレビはどのチャンネルも原油高騰について報じている。茶の間はいつの間にか世界情勢と直結していた。漁師のひとりが見せた表情は怒りというより、(怒りを通り越して?)諦めのようだった。このままでは廃業するところがたくさん出てきてしまう。

 「いつから日本人はこんなにも怒らなくなったのかねえ」と母が呟く。僕は考えてみれば毎日のように怒っているけれど、ほんとうに怒りを向けるべき矛先とは別のところに怒っているみたいだ。

 近くの農家の人たちが持ってきてくれたという野菜をふんだんに使った料理に舌鼓を打ちながら、束の間の休日気分を味わっている。これはあまりに呑気過ぎやしないか。何かやることがあるのではないか。

 夜にラジオを聴いた。中島みゆきのライブだった。古い歌にも新しい歌にも、激情に胸を打たれた。ひとりの気持ちを歌った歌にも、この国や社会への怒りと嘆きがうかがえる。それなのにいっぱいの希望を与えてくれるように彼女は歌うのであった。

■Sonnabend,19,Juli,2008

 朝はいつもどおりの時間に目を覚ましたが、また布団に入ったら二度寝してしまった。

 ラジオをつけて初めて地震があったことを知る。震度4でも気づかなかった。地震情報は1時間以上続き、その間のレギュラープログラムは放送中止となった。津波も20センチのが来たが、被害はなかったようだ。それに越したことはないけれど、だとしたら報道があまりに過剰だと思った。

■Freitag,18,Juli,2008

 定刻で仕事を終わらせて、群衆に紛れ家路につく。途中ふらふらと店を回り、必要なものをいくつか買った。部屋が暑いので、デパートで涼むことを考えつく。CDを見ていたら閉店時間になってしまった。

 この休日の前の日の感じがたまらないのだが、それを味わう時間はわずか。ぜんまいが切れたかのようにいつもより早めの就寝となる。

■Donnerstag,17,Juli,2008

 帰り道の蕎麦屋にふらっと入り、注文し終えたところで電話が鳴った。月一回の出張で来ている従弟からの誘いだった。誰のタイミングが悪いのか、大笑いした。従弟と叔母と三人での半ば定例となったこの宴。僕は晩飯直後に加わった。今宵も、わーっと騒いで、いい酒が飲めて。ひじょうにいい時間を過ごすことができた。さて、三連休までもうひとふんばり。

■Mittwoch,16,Juli,2008

 七月も半ばを過ぎてから、今年の夏はどうしようなんて、あまりに遅過ぎる。しかし、日々仕事に追われてばかりの社会では今週末の予定さえもままならない。我々はそういうところに暮らしている。蟻のように働いて夏休みも取れない社会と、のんびり働いて夏には1か月バカンスを楽しむような社会。この違いっていったい…

■Dienstag,15,Juli,2008

 寝苦しくて目覚める朝が続く。昨夜からのやりとりに救われる心地がする。自転車に乗りながら顔がしわくちゃになる。これまで感じたことの無い種類の感動。

 日中は晴れて厳しい暑さ。昼に近くの川を歩くとゴミひとつ落ちていないのに気づく。巨大な犬を連れた婦人が「午前中に○○小の子どもたちがゴミ拾いをしていましたよ」と話していた。

 このサイトについて。得たものもあるが、失ったものも多い。心ならずもマイナスの感情に接して打ちのめされたこともある。中には自分の表現次第で失わずに済んだものもあるのではないか。などと臆病でいるのかもしれない。

 しかし、もはや無用の関係に執着する必要はない。年を経て、荷物は減らしていくほうがよい。それは人間関係とて同じこと。自分にとってほんとうに必要な人びととだけ、良い関係を築くことができればいい。

 

■Montag,14,Juli,2008

 じっとりとした蒸し暑さで気持ちが悪い。雨は降ったが少量で、かえって蒸し暑さが増したようだ。そうして夕方からの長い会議。その後に自分の仕事を進めようとしても思うようにいくものではない。

 なんとなく苦い感じをずっと引きずった一日。

■Sonntag,13,Juli,2008

 早朝から抜けるような青空が広がり、真夏の太陽が照りつけた。昼前から仕事がらみで出なければならなかったが、朝のうちはゆったりと過ごした。気になっていたことを書いてみた。それがいいのかどうかわからない。曇りが晴れてすっきりするかもしれない。しかし、それによってかえって面白みが消えてしまうかもしれない。いずれいちばん大切なのは自分自身に対して透明でいることだと思った。

 夕方から祖母の見舞いに出かけ、実家に寄ってから帰宅。

■Sonnabend,12,Juli,2008

 あまり解放感の無い土曜日。いつもより早く出勤して15時前に職場を後にする。意外に進んだ仕事。

 抜けるような青い空。外はすでに夏。スーパーに寄って帰る。カレーを作るつもりがだらだらと何もしないうちに夜を迎える。

 こんなのが当たり前だなんて虚しい。

■Freitag,11,Juli,2008

 映画を観たり、大切な人と語り合ったり、好きな音楽に身体をあずけたりすることと、真剣に日々を生きることとはなんら矛盾するものではない。「遊び」の無い人生なんて考えられない。

 全体を包む大きな流れが個人の思いを押し流すこともある。遂げられないことの原因を個人の努力不足に押し込めることで、本質が見定められなくなることもあろう。あくまでも謙虚に歩みつつ、社会を見る目を曇らせない。それが大切だ。

 もしも20年前にカナダの社会を知っていたなら、今の職業を選ぶことは無かっただろう。制度とか規準とかいうものが揺らがないことは日々の安楽につながる。しかしこの国にはそれがない。人々が国に守られておらず、子どもたちが社会に守られていないということ。独り櫓を漕ぎ荒海を渡るようなものだ。仲間とは協同がある。しかしほんとうは皆がひとつの確かな船に乗りたいのだ。ノアの方舟のような…

 現実に毅然と向き合う。そしてほんとうの戦いの相手を見定める。汚い者はけして許さず糾し続け、ひたすら清さ美しさを求め続ける。そうやって、毎日笑顔で穏やかに暮らしたい。

■Donnerstag,10,Juli,2008

 飄々と生きているように見えるらしい。それはそれでよい。内燃機関を外に出す必要は無い。

 それにしても昼間は眠かった。これだけ湿度が高いと、脳の働きが著しく鈍るようだ。

 観たかった映画をレイトショーで観た。アニー・リーボヴィッツという写真家のドキュメンタリー。よくも悪くもアメリカ的な雰囲気が色濃く漂っていた。完全なワーカホリックだと思った。

■Mittwoch,9,Juli,2008

 朝忙しくてコーヒーを飲まずにいたからか、はたまたこの湿気のせいか、少し頭が痛かった。

 大手先の雑居ビルで少し遅めの夕食をとった。考えてみれば閉店間際だったのだろう。滑り込んだ僕に店の女将の態度は妙に冷たく、持ってきたお茶の置き方もテーブルにがつんとぶつけるほど荒々しかった。この時点で、もう二度と来るかと思った。だが、帰りにはその気配を察したのか、主人のほうが気を遣って言葉をかけてくれたのでさっきのことは忘れた。時間の流れは連続だから、刻々と状況は変わっていくのだ。

 いつでもストレートな誠意は伝わると信じている。誰も莫迦にはしない。愚かなほど生真面目に仕事をしたいと願う。小手先でどうにか繕うことなどできるものではないから。そして、視野に入れているのはきょうや明日のことではないから。50年後、100年後、1000年後の未来を描きながら生きることの大切さを信じる。それはこれを書き始めた頃の思いと変わらない。

 10年前だったらたいへんだった。事態を受け止めることすらできずにいただろう。しかし、いまなら対応できる。だからこそいまここにいるのかもしれぬ。その事実そのものに「希望」が包含されていると感じる。いま苦しいと感じる自分がそれで終わりではないのだから。

■Dienstag,8,Juli,2008

 きのうよりも少しは過ごしやすかった日。しかし、大雨警報が出ているにも関わらずきょうも雨はなかった。空にたまる水が多過ぎる感じ。これも温暖化による不均衡なのか。詳しいデータは知らないが、実感からすると子どもの頃の夏とはまったく別物の夏を最近では過ごしている。すでにここは亜熱帯の気候ではないか。

 仕事は仕事でどろどろだが、そんな日々でも楽しい気分で過ごすことができる。今まで感じたことのない、未来への輝かしい希望。生きていてよかった。生きているべきだ。

■Montag,7,Juli,2008

 七夕と、クールアースデイ。電気は消したが、パソコンはつけていた。湿度が高くて不快な一日。きょうが締め切りの仕事は意外と簡単に済んだ。これも仏の力なのかもしれぬ。

 地球はどうなっていくのだろうか。といっても、地球はどうにもならないだろう。環境問題は地球というよりも人類の危機だと考えたほうがピンとくるような気がする。表面温度が10度上昇しようが下降しようが、星の命にはたいして影響はない。たいへんなのは人類の生命のほうだろう。この先人類はどうなっていくのだろうか。このままでは、人類は滅びるだろう。

■Sonntag,6,Juli,2008

 朝早く起きて三時間分の仕事を片付ける。蒸し暑い日。週末だけの車を北に飛ばす。天台寺で聴く寂聴さんの法話は二度目。ひとりでも来てよかったと思った。いずれ近いうちにまた。

■Sonnabend,5,Juli,2008

 夜でさえ寝苦しさを覚えるくらいに気温は高くなった。朝7時過ぎに自転車で通りを流すと、まだ夜の余韻が残っているようだった。何となくゆとりを感じる週末にも、やはり仕事には出なければならなかった。午後一息ついたらさらに進める予定だったが、この暑さと疲れで嫌になって切り上げた。

 この町でいちばんシンプルであっさりしたラーメン屋で昼食をとり、いまやこの町でいちばんうまいと思うパン屋でパンを調達し、そして、この町の喫茶店としては老舗の店の、これまで行ったことの無かった支店でコーヒー豆を買って帰った。こんな消費行動のひとつひとつが実は気分転換になっているのだ。

 夕方から少しうとうとして、夜にはニュース以外のテレビを久しぶりに視た。この夏旅する町の特集では、僕の旅の原点を思い出させてくれた。魅力溢れた町にどんな出会いが待っているだろう。そう思うと、あとひと月は健康で安全に過ごすことを、願わずにはいられなくなる。

■Freitag,4,Juli,2008

 感情の起伏が激しいのはいいことだ。天国と地獄を行ったり来たりできるのはいいことだ。たとえ血の味がしようとも、堪え難い痛みに喘ごうとも、それは生きている証なのだから。命の容れものの中で、じっと耳を澄ましたり、目を凝らしたりしていると、どこからか救いの手が差し伸べられているのが感じられる。

 きょう鳴った電話のベルは、やわらかな曲線を描いて宙を瞬時に渡ってきた。そのとき同時に、僕の深層から何かが発せられた。求めることと、求められることは同じ。受け止める心があるから、心を伝えることができる。与えることと与えられることも、学ぶことと教えることも、もともとひとつ。

 

■Donnerstag,3,Juli,2008

 この湿度で参ってしまう。イライラが募って人に当たってしまう。日本って嫌いだと本気で思う。

 何がしたいのだろう。真面目過ぎるとろくなことは無い。真面目すぎた人生なんて反吐が出るような心地がする。真面目というのはつまり馬鹿ということと同義だ。

■Mittwoch,2,Juli,2008

 歯の治療が終了した。すっきりした気分半分、残念な気持ち半分。歯医者を理由に早めに帰ることもできないから。もう7月は諦めなさいということか。書き入れ時と言えばまさにその通りで、こんなページに時間をかけるくらいなら仕事をせよと、今も天の声が聞こえるような気がする。

 多分15年以上、僕はじゃじゃ麺を食べていなかった。他の人がいうほど食べたくなるということがこれまでなかったが、気まぐれでデパートの地下の店に寄ってみた。閉店まではまだ30分くらいあったが「きょうはもう終わりました」という。しかし、持ち帰り用があるというのをみて、それを買って茹でて食べた。そしたらおいしかった。たまになら、食べてもいいと思った。

■Dienstag,1,Juli,2008

 時間が解決するというわけではないと思った。思えば何十年もかけて培ってきた「自分」が、ひとつの事件やひとつの出会いによって劇的に転換するなど、あり得ない話ではないか。

 先月末には日記が追いつかなかった。それだけ忙しかったといえばそれまでだが、どうにも書く気持ちにならなかったというのが、正直なところ。死ぬまで本音を表現できなかったら、そいつはそれまでの人生なのだ。

 


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