2008年6月               

■Sonntag,22,Juni,2008

 朝早く起きて、あれこれと考えを巡らす。今まで避けてきた問題について意識的に考えてみようという気になっている。雑誌に目を通したり、テレビを眺めたり、ラジオに耳を傾けたりする。グアテマラのコーヒーの香りに一日中包まれて過ごす。きょうは外があまり暑くない。窓を開けると爽やかな風が入ってきた。

 ジョン・レノンが死んだのは40歳の時だった。すでにその歳を僕は越えている。ラヴ&ピースのメッセージを受け止めるだけではもういけない。僕なりの新しい表現を試みなくてはならないと思った。

 日曜日の夕方のドラッグストアは混んでおり、レジには列ができていた。並んで待つ時少しイライラした気持ちがあった。夜にはカレーが食べたくなって、近くの店に出かけた。客はそれほど多くなかったが、それでも従業員はひじょうに忙しそうに立ち回っていた。さっきの自分を反省して、今度はのんびりと待つことにした。そして、やっとカレーが運ばれてきた。従業員の女性が「お待たせして申し訳ありません」と恭しく頭を下げた。

 この場合僕はサービスを享受する立場だったが、いざ仕事をする時はサービスを提供する立場に立つことになる。短気な人なら「遅過ぎる」と怒りをぶつけるところかもしれないが、僕は却って申し訳ないような気持ちになった。もしも僕が同じ立場だったらと考えたら文句なんて一言も言えない。

 職人として完璧を求める姿勢は素晴らしいと思う。しかし、いざ消費者のひとりとなったとき、いつでも際限なく上等なサービスを求め、そうでなければ許さないような態度を取るとしたら、それはどうだろう。もしかしたら、そういう風潮が、鬱病やコミュニケーション不全なんかを招いているのではないか。

 早くなくていいし、最高でなくてもかまわない。その人のできる範囲でやって、受ける者はそれを最善と思って受ければいい。そして、スローでいいから、互いに満足を与えられるような関係を志向できればいい。互いの立場を解り合えれば、過剰な要求なんてしようとすら思わないし、それでじゅうぶんなのだと思ったら、毎日楽しく暮らせるはずだ。ここが、そんな精神的ゆとりを保った社会だったらどんなにいいことか。

■Sonnabend,21,Juni,2008

 夏至。今年初めての真夏日。午前中には歯医者。9時過ぎ、外に出るとすでに暑い。治療はあと2回くらいかかりそう。デパートに寄ってパンとコーヒー豆を買って帰る。

 葉書の美しい文字を眺めながら思う。メールでは僕の欠点は覆い隠されてしまうが、それでは自分を表現しているとはいえない。格好悪いところは見せずに欲しいものだけ手に入れようなんて図々しい。

 午後からは仕事だった。うだるような暑さの中で汗だくになった。途中で雷が鳴って、雨がざーっと降ったが、帰る頃にはまた太陽が戻っていた。公園ではロックフェスティバルが行われており、大音量のリズムが空に響いていた。自転車で川沿いの道をゆっくりと流した。

 夕方、今年二度目の骨折で入院した祖母に会いに高速を飛ばした。相変わらずの鼻歌でご機嫌の祖母は父そっくりだった。僕のことがわかるかと聞くと笑顔で「親戚の方」と答えた。病室の天井を指してはあれこれ説明していた。どうやら祖母にはたくさんの懐かしい人たちが浮かんで見えるらしい。

 夜は焼肉屋で母と久しぶりに冷麺を食べた。店内には若い家族や揃いのジャージを着た中学生たちがたくさん入っていた。子どもたちは肉が大好きだ。でも、ほんとうに肉が必要なのは年配の人たちのほうではないかと思った。

 

■Freitag,20,Juni,2008

 今週は休みもあり、昨日はリフレッシュする機会もあったはずなのに、そのわりにはずいぶん疲れた週末になった。それは気分的なものというよりも、この湿度のせいではないか。梅雨の時期にはいつも調子が悪くなる。

 しかしそんなことなど何でも無い。ここには、いくら距離を隔たってもまったく気にならないくらいの結びつきがある。新しい葉書。デジタルに染められていた心が白く洗われていく。手間ひまがかかるところにこそ細やかで濃密な感情が生まれるものなのかもしれない。そして、それがほんとうの人間らしさなのではないか。

 便利な分だけありがたみも薄れて、手軽な分だけ大事さも抜けてしまう。それはよく言われることだが、こうして美しい文字を目にしていると実感する。何度目かわからないけれど、脱皮してまた少し人間に近づこう。

■Donnerstag,19,Juni,2008

 やり場のない怒りが渦を巻く。システムの犠牲になる人に思いを馳せる。しかし、それは自分の姿であるのかもしれない。個人の能力や努力が足りないというのは体のいい言い訳で、ほんとうはもっと真っ直ぐにみなければならないことがあるのではないか。急な話にふりまわされて、焦りを感じつつ手紙を書く。それが僕が最後にできるせめてもの仕事だ。

■Mittwoch,18,Juni,2008

 ほんとうはずっと話をしていたい。プールに浸かりっぱなしの暑い夏の日のように、いつまでも陸に上がりたくない。あるいはあなたが海で、僕は海に浮かぶこども。

 夢を見ているのではないかと思うときがある。いつかこの夢から醒めると、再び暗闇の中に投げ出されてしまうのではないかと怖い。幸せの形は人それぞれ。幸せそうに見えるのは、見るほうの勝手。不幸とは、人と比べることでしか自分を認める手だてが無いということ。他の人がどうであれ、僕は僕の庭をきれいにしていこう、僕なりに。

■Dienstag,17,Juni,2008

 晴れの朝。窓を開けて風を入れる。涼しさの中、つれづれ葉書をしたためる。

 この部屋からもっとも近い歯医者を探して予約を入れる。遠回りして近所のクリーニング屋とATMの場所を確かめる。平日の昼に通ることなどないから。歯医者が済むともう昼。必要な書類を取りに実家のある町の役場まで車を走らせる。

 午後遅く、冷たいそばの昼食。生協で買い物して戻ると眠気。

■Montag,16,Juni,2008

 2時過ぎに仕事が一段落した。こういう時には大手を振って休んでいい。誰に遠慮する必要も無い。そう思って3時から年休を取った。むしろこんな日に5時まで働くなんてもう考えられない。それに明日も休みだし。もうしばらく忘れていた土曜日の午後の雰囲気を感じた。こういう時の上司の一言は大事だ。それが聞けなかったのには幻滅した。

 帰宅してからは、部屋の掃除をして、明るいうちから一風呂浴びた。暗くなってから自転車で出た。デパートでいくつか買い物をして、銀行と郵便局に行って用事を済ませて帰ってきた。ほんのそれくらいのことでこれほど清々しい気持ちになるのだ。こういう日がたまにあるといい。というか、ないとやっていられない。

■Sonntag,15,Juni,2008

 昨日の地震の凄まじさ。同じ岩手とはいえここ盛岡ではそれほどと思わなかったから。いつどこで何が起きてもおかしくないのだ。いずれすぐにまた大きなことが起きるだろう。そしてこの地震もぼやけてしまうのだ。報道は、報道されること以外の事実を否応無しにぼかす。サイクロンも、四川の地震も、先週の秋葉原さえも遠くに押し流されてしまった。その間の政治なんて何が行われているのかすら掴めない。

 

■Sonnabend,14,Juni,2008

 いくら環境が変わってもそれになれてはいけないという思いが強かったのだが、その「なれる」は「慣れる」ではなく「狎れる」だったことに気づく。自分の目に映ることをありのままに受け止めれば、それを自分の価値観と照らし合わせて評価することができる。狎れるというのは、その目を失うことだ。

 この2か月、僕は僕の目に飛び込んでくる事実について何一つ評価を下せないでいた。しかし、それはむろん狎れていたからではない。むしろ目が馴れていなかったということではないか。目が馴れてくるにしたがって、この状況に狎れてはいけないという気持ちが強くなる。これはどういうことだろう。

■Freitag,13,Juni,2008

 検診のため朝に病院へ。そこで懐かしい人たちと会った。それぞれに年を重ね、姿も変化していた。それぞれの日常が積み重なって、それぞれに成長しての今なのだろう。そのことについて話す時がいつかあるだろうか。僕の姿はかれらにどのように映ったろうか。

 仕事上の問題意識については管理職に伝えておく必要がある。そう思って書きたいことを書いた。そこにはもうなんの感情もない。好いとか嫌という思いはすでに消え、問題意識だけが抽出されてはっきりと形がわかるくらいになった。それに目を瞑ってこの先を生きるより、変化への布石となるほうがどんなに素敵なことか。そのためには権力を手に入れないといけないのかな。

 

■Donnerstag,12,Juni,2008

 気持ちの整理がつかないまま、また週末が近づいてくる。毎週木曜日にやってくる仕事上の大きな節目は、締め切りと言ってもいい。この締め切りのことを考えると一週間は短い。しかし、それ以外の些末な日常のことを考えると一週間は長い。どちらも本心。どちらも大切。

 

■Mittwoch,11,Juni,2008

 自転車通勤。朝夕の風が心地よい。仕事は仕事で慌ただしい。全部やろうと思ったら、一日24時間ではどこにも足りない。でも、最低限のことだけを抜き出せばなんとかできないことはない。それすらできないくらいなら、それこそ未熟、それこそ勉強不足、それこそ給料泥棒ということになる。

 もりげき八時の芝居小屋第92回「極楽トンボの終わらない明日」を観た。芝居を観たのは何年ぶりか。ライブの迫力、というだけではない力を感じた。ひじょうにおもしろかった。来てよかった。

■Dienstag,10,Juni,2008

 時の記念日。記念日と名のつくものの中ではとりわけ有名な日だろう。日本最古の水時計の遺跡を、奈良で見てきたのは今年の話だ。二つの点がここで繋がりをもった。時間を大切にしたい。なぜなら残り時間が減っていくから。失われゆくものをいつでも愛おしみながら過ごしたい。

 今という時間が、これまでの長い夜の次に訪れる新しい朝である。そして、日はいよいよ高く昇り、いよいよ僕らを明るく照らす。

■Montag,9,Juni,2008

 元気に過ごしている。日記がしばらく止まっていた。言葉にする間もなく過ぎていく日々。かといって特別たいへんというわけでもないけれど。

 手帳に書いていた帰宅時間の記録も2〜3週間滞っている。知らず知らずのうちに蟻のようになってしまっている自分。しかし、今はまだいい。今月はこれからさまざまなことが入ってきそうだ。

 せっかくもらった手紙に返事を書けないのがつらい。電子メールでは伝えられないことを、手書きの文字では表現できる。もらって初めてそんなことを実感できたような気がする。親鳥などではないけれど、四六時中温めつつ育んでいきたい。

 6月7月を乗り切ろう。そうすれば素敵なことが待っている。あすも無事でいられるように。


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