2008年5月               

■Sonnabend,31,Mai,2008

 結局のところ、五月の景色など見つけることができなかったのではないか。

■Freitag,30,Mai,2008 

今まで納得のいかなかったことについて自分なりに説明がつくようになった。疑問をもっていやいややるのと、納得してやるのとでは同じことでもまったく別物となる。どこかの集団主義とは本質的に異なる修行の意味を込めればできること。どうやって人を説得するかが問題。

■Donnerstag,29,Mai,2008

 朝に見た夢は不思議だった。なぜか松任谷由実の歌が鳴っていた。途中で、天井の隙間から差し込むように、強烈な光の点が表れた。何かのサインだとしてもまだ解釈ができない。

■Mittowoch,28,Mai,2008

 仕事が長引いたので諦めていたが一時間遅れて会場に到着。小山実稚恵ピアノ・リサイタルに滑り込む。しばし、夢を見る。二十年来望んでいたコンサートサロン。開演時刻が早いけれど、これは日本じゃ仕方が無いか。日本のような社会だからこそ、もっと遅くてもいいのじゃないか。しかし、来てみてわかった。仕事帰りに来ようという人は少数派なのだ。

■Dienstag,27,Mai,2008

 午後から出張だった。またいろいろやることになった。いろいろやるのはやぶさかではないが、いろいろやる意味がわからない。こうやって何かが強化されている。自分が強化されるのはありがたい。しかし、自分とは関係のないところで何かが強まるのは気味が悪い。

 少し早く帰れたので、カレーを作った。いままで作ったうちでもっともうまかった。

■Montag,26,Mai,2008

 悩むことはない。むしろあれこれ考えをめぐらすことが、暮らしの活力となるようだ。自分のことばかりで過ごしてきた年月は無駄ではなかった。素敵なことなのだということがよくわかる。生きる意味とはこういうことなのかもしれない。いつだってじゅうぶんとはいえないけれど、少しずつでも高まっていきたい。

 冬の寒さを知るからこそ、春のありがたみがわかる。ほんとうの暗闇がわかるからこそ、光のほんとうの意味がわかる。

■Sontag,25,Mai,2008

 昼ご飯を普通の時間に食べたのがよかった。夜には誘われて少し酒を飲みに行った。寿司屋のカウンターで、好きなものを一貫ずつ頼んだのは生まれて初めてだった。ごちそうさまでした。

 そしてまた、一区切りがつくような展開がある。夜中にネットの中の旅行社をぐるぐると回った。

■Sonnabend,24,Mai,2008

 もう何年も前のこと、青森駅前でギターの弾き語りを聴いて感動したことがあった。初めて聴く歌ではあったけけれど、その青年の声や歌い方が清志郎そっくりだったので、最近までずっとあれはRCサクセションの古い歌なのだと信じて疑わなかった。しかし、いくら探してもあの時聴いた歌は見つからない。ひょっとすると別人の歌か、あるいはあの人の自作の歌だったのかもしれない。とにかく僕はあの時ひじょうな感動をその歌から与えられたのだった。そして今でも、というかもうその事実は永遠に消し去ることができない確かなものなのだ。

 午後には歩いて5分のところにある施設に行って講習を受けた。あの頃の気分が蘇ってきた。こんなに近くて、こんなに安くて、こんなに空いているところを使わない手は無い。週に2〜3回を目指して通おう。

■Freitag,23,Mai,2008

 朝から早く帰ることばかり考えていた。日中のこまごまとした仕事をひとつずつこなし、新聞にも目を通し、適度に声も出し、いちおうの充実と反省を感じながら、やるべきことを終えて家路に着く。

 一風呂浴びて、夜風に吹かれて外に出る。The Bucket List(最高の人生の見つけ方) 死期がいつかはわからない。けれどそうなったときに慌てず、潔く生きたいものだ。でもどうなるかわからない。そういう局面でおそらくは人の本性が出る。その時はたして人のことを考えていられるだろうか。

■Donnerstag,22,Mai,2008

 今週は仕事上何かと落ち着かない日々が続いた。しかし明日は穏やかに過ごす。早く帰って映画に行く。

■Mittowoch,21,Mai,2008

 なんとなく休まらないうちにまた次の事態が進行する。夕方から具合の悪いことが起きる。実にくだらないので言及するまででない。

■Dienstag,20,Mai,2008

 朝にはやや重い内容のメールを書いた。正直な気持ちと言葉をつなぐには「遊び」の要素が必要だ。傍目には生真面目な言葉の羅列に見えても、僕自身の気持ちはギャグに溢れている。祈りを込めて送信ボタンを押す。

 道の途中で年休を取ることを思いついた。それをいざ実行しようとすると、不思議に身体の調子も悪いような気がしてくる。繊維質をたくさん取っているつもりだが胃腸の調子が未だにすぐれない。一時間のつもりで申告したが、結局定刻を少し回ったところまで残ってしまった。

 美しい葉書が届く。些末ないろいろがすべて吹き飛んでしまう。

■Montag,19,Mai,2008

 昨日までの不調がまだ尾を引いており、思うように力が出ない。きょうは初めて自転車で通勤した。そしたらあっという間だった。夕方からは会議だったが、それほど長い時間にはならなかった。いくつかの厄介な問題があるが、それほど負担というわけではない。

 帰りには雨に降られて多少濡れた。空は晴れたり曇ったりという状況で、風もかなり強かった。あまりおもしろくないタイミングだった。あらためて車で買い物に出る。寂しげなスーパーで昔世話になったことのある寂しげな人影を見た。運が悪い日だと思った。

■Sonntag,18,Mai,2008

 午前中は関口宏。そして、きのうと同じ時間に仕事に出る。悪くないスタンスで仕事ができたと思っていたら、夜に意外なところから意外な電話。うまくいくと思うといいことはない。うまくいくと思う時には、大概うまくいかない。一時的に頭に血が上るような感覚に襲われる。しかし、しばしの間本を読んでいたら落ち着いた。

 誰かのエゴが見える。誰かにエゴを見せたくはない。でも、この気持ちは消えない。佐野元春である。

■Sonnabend,17,Mai,2008

 布団から出られないほど身体が重く感じ、11時くらいまでは横になっていた。昼からは仕事だった。寒気がするので真冬のような格好をしていた。仕事が終わってからは、スーパーに寄って食料を買い込んだ。何年ぶりかで牛乳を買って飲んだ。昨日もらったパンが非常にありがたくて香りをかぐと涙が出そうになった。

 一眠りすると9時を過ぎていた。The Day After Tomorrowを見た。異常な光景はたしかに衝撃的だが、現実はもっと恐ろしく複雑だと感じた。文明はさらに大変な時期に差しかかっている。

■Freitag,16,Mai,2008

 休みだった。ゆっくり起床して、洗濯やら掃除やらで半日を過ごす。天気がよかったので、ベランダで洗濯物を干した。音楽をかけながら気分も上々。しかし昨日までの疲れが残っており、夜にはおかしなことになった。

 とにかく今週は時間がなかった。昨日までの泊まりがけの出張ということもあったが、それだけでなく、記録を取ることすらできないくらいだったから。それでも意外と楽しく過ごすことはできたけれど。

 夕方からの約束。段ボール箱いっぱいのパン。肴町界隈。あんみつ。ラ・セーヌは満席。映画館通りの店で僕はおいしそうな料理を目の前にしながら、ビールの最初の一口ほどで目が回り、脂汗を浮かべ、吐き気を催した。茹でたアスパラやリンゴジュースが身体に優しかった。

 救えるかなんてわからない。救えるなんて傲慢かもしれないけれど。それでも独りでないとしたら、どこからか力が湧かないか。次に進んで行けるような気がしないか。その信頼に値する人間になれたらと切に願う。 

■Sonntag,11,Mai,2008

 少しドライブした。桜の時期には混雑したという話題の場所もひっそりとしていた。うまい蕎麦屋や、アイスクリーム屋があるのを知った。何の苦悩も感じることなく、ただだらだらと車を走らせる。それにしても、これが休日の過ごし方だとしたら寂しい。ほんとうは何をめざしているのか。

■Sonnabend,10,Mai,2008

 素敵な色合いの絵はがきが届く。このようにやわらかな色に囲まれて暮らせたらどんなに素晴らしいだろう。

 きょうは胃が痛くなった。それだけ自分の中ではひとつの勝負どころという意識があった。手応えはある。しかし、それが周囲に広く認められるということはないかもしれない。

■Freitag,9,Mai,2008

 午後から会議があり、会場までの道のりを散歩がてら歩いた。この町をこの町たらしめている個性的な要素がその界隈に散りばめられていた。久しぶりに好きなラーメン屋に入って昼食。その後これもまた何年ぶりかで入った好きな喫茶店で仕事関係の書類に目を通しながらお茶を飲んだ。離れた席で二人の女性が何かのテキストの朗読を練習しているのが聞こえていた。以前高校時代の恩師とこの店でばったり会ったことを思い出した。

 道を歩きながら考えた。一人の人を心から愛することができるなら、すべての人を愛することができるだろう。それに、一人の人に心から愛されたら、やっぱりすべての人を愛せるようになるだろう。天気がよかったので、信号待ちで知らないおばあさんと話した。

 会議は予想以上に早く終わり、何人かの懐かしい人と言葉を交わした。夜には夜で別の集まりがあり、そこでも懐かしい人に会うことができた。初任の頃いっしょに飲み歩いていた仲間たちと、近いうちにまた集まろうということになった。とても楽しみなことだ。ちょっと早めに抜け出して、買い物をして帰った。今週の仕事は明日がいちばんの山。しかし、とても楽観的な気持ちでいる。 

■Donnerstag,8,Mai,2008

 ここにきて連休疲れが出たのか、皆頭が回っていなかった。自分もややそのような傾向があった。しかし、働きながらも頭のどこかでさまざまなことが組み立てられて、夜にはひとつの計画を実行に移すことができた。眠りながらでも、仕事しながらでも、人間の脳という器官は素晴らしい働きをしてくれる。脳に対して絶対的な信頼がおけるような気がしてきた。

■Mittowoch,7,Mai,2008

 連休明けは普通に始まった。僕は朝から晩まで仕事に専念した。夜には夜で会議があって、そこでも誠意を尽くしたつもりだ。帰る頃には足も重く、タクシーで帰ろうかと思ったほどだった。明日からどうしようかという問いへのひとつの答え。これは大切なプロセスだと思う。

■Dienstag,6,Mai,2008

 連休の最終日。昼まで寝ていた。本を読んで勉強でもすればいいものを、それから夜の9時頃まで、部屋に閉じこもって音楽を聴いていた。昨夜も何も食わなかったから、いい加減腹をすかせて、外でカレーを食ってきた。

 未熟者はどこからみても未熟者だ。こういうときに人間の真価が問われるというが、僕の価値なんてそんなものなのだということがわかった。これでは誰も寄り付こうとしない。

 明日からどうしようか。

■Montag,5,Mai,2008

 最高の出来事と最悪の出来事が一度に起きる。これら二つの間に僕が生きている。恥をさらし、迷惑をかけ、傷つけながらこうして生きざるを得ない。それでも支えてくれるものがあれば、どうにか前に進んでいける。

 しあわせはすでに僕らの手の中に有る。ただそれを見る目が無ければ感じることができないのだ。素直な気持ちでこの一年の移り変わりを考えてみる。僕はなんだか吸い寄せられるようにひとつの方向に歩いてきた。そしてこの日ひとつの答えを得ることができたというのに。死ぬまで絶対に忘れてはいけない日。

■Sonntag,4,Mai,2008

 きょうも午前中は仕事。昨日と基本的には同じ。もう少し効率よく、そして要領よくこなして、できるだけ早く退勤する。件のケーキ屋でお土産を買って、コンビニの素麺で昼食を済ませる。

 内陸地方はきょうも25度を超える暑さに見舞われたが、山間部を抜けてやませの国に入るとそこは3月のようだった。微細なミストが山から下りてくるのがわかった。何度目かのこの町で忘れられない出来事があった。

■Sonnabend,3,Mai,2008

 四連休の初日は午前中が仕事だった。休日の職場の雰囲気はどこも同じで、少々雑談なんかもできて、それでもみんな早く帰りたくて、そもそも来たくもない気があって、根っこのところには愛がある。鍵の扱いが面倒だという感覚があるが、これにはいずれ慣れるだろう。

 システムについて。慣れることは肝要だけれど、けして慣れてはいけないことがあるはずだ。それについて冷静に見つめる姿勢がなければだめだ。そしてどうしても譲れぬ時には声を上げなければだめだ。

 午後にはサンドイッチ用の食パンを買って、その足でほんとうにおいしいという噂のケーキ屋に寄った。

■Freitag,2,Mai,2008

 一生懸命やることが実は害悪なのかなどと疑いを持ってしまうほど、人によって場所によってこれほどもやり方は違う。お互いの違いを認め合って解り合ってお互いにフォローし合うのが理想。でもそれは難しい。

 どこに行っても同じような人に出会うのもまた事実。それはそのまま僕の課題である。どんな人とでもうまくやれなくてはいけないのだから。試されているのだと思う。あなたはいったい誰なのだ。そして、何のために?

■Donnerstag,1,Mai,2008

 桜の写真はもはや時機を逸している。五月には五月の風景がある。それは五月に探すことにする。

 例年この時期には二十五度を超える暑さになることがあるという。ならば心配は要らないか。しかし、あすはさらに気温が上昇しそうだ。通勤の方法も、考えた方がいいかもしれない。


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