2008年3月               

■Montag,31,März,2008

 最後の花束が届けられた。この継ぎ目の数日を僕はとても充実した気持ちで過ごすことができた。2年ぶりの自炊生活が始まり、きょうはその記念にカレーを作った。教えられたとおりに、時間をかけて煮込んだ。素敵に健康的な料理。明日からはまたゼロからのスタートだ。

 最も大きな目標は健康的な生活。ウイークデイは車に乗らない。そんなことを言えるのはすべて偶然の賜物なのだけれど、偶然とばかりは言えない不思議な感じもある。

Sonntag,30,März,2008

 朝から片付けをして、昼にはここのオーナーと食事をしながら、契約書を交わした。ひじょうに不思議な話だが、思い起こすとこれも夢の実現のひとつなのであった。

■Sonnabend,29,März,2008

 きょうもひとつの記念日。大きな一日だった。この一か月で運命は決まる。もうすでに決まっているのかもしれないけれど。

■Freitag,28,März,2008

 午前中は片付けをして、昼は車の中で済ませて。夜にはおいしいお寿司を食べて、おいしいお酒を飲んだ。こうしていられるのはとても幸せなことだ。

■Donnerstag,27,März,2008

 今の職場で最後の一日。滞在時間は2時間ほど。すべてを終わらせて後にした。立つ鳥後を濁さずということになったろうか。夜にはこれもまた最後の会。立って話してばかりだったから、酒も飲まずに料理も食べなかった。

 

■Mittowoch,26,März,2008

 最後の挨拶が続く。去る者は気楽なものだと、少し客観的にみて思う。挨拶は短いがよしと思っていたが、終わってみるとひとつの話はひじょうに長くなってしまったのが悔やまれる。

 2次会も盛り上がり、帰宅は12時を過ぎた。帰り道、信頼できる幾人かといっしょになったのが嬉しかった。

 

■Dienstag,25,März,2008

 書類の作成も意外と早く終わりそうだ。昼からは新しい任地へ赴いた。打ち合わせをしたり、知り合いと話したりしながら2時間近くを過ごした。連れてきてくださった尊敬すべき同僚を少々待たせてしまった。さまざまなことを聞いたが、頭がボーッとしてたいして覚えていない。

■Montag,24,März,2008

 夜遅くまで残る。片付けと書類とを交互にやっていく。来年度はもう少し効率よく仕事を進めていきたいと考えている。

Sonntag,23,März,2008

 二日間かけて引っ越しを半分くらい終わらせた。たいして荷物は無いとはいっても、一往復すれば二時間だから、けっこう疲れるものである。あと一週間でばたばたと、しかし確実に変化が訪れるのだ。

■Sonnabend,22,März,2008

 壁なのか山なのか。越えなければならないものが次々と襲ってきて、落ち着くことなど無い。試練というのとも違う。それを越えることによりさらに高いところに辿り着けるのであれば、登り続けるしかないだろう。そこですれ違う多くの人々との出会いも、自分の力として背中を押してくれるものとなる。パートナーという言葉が浮かぶ。パートというのは部分だろう。道の途中で会う人々と共有できるのは一部のことだけだ。さまざまなパートナーがいたとしても、最後はひとりとなる。ひとりが基本である。それらを踏まえた上で、これからの局面を迎えられたらいい。

 きょうは朝から新しい部屋に荷物を運んだりして実家と二往復した。新しい道具を届けてもらったり、取り付けてもらったりした。多くの業者から確認の電話が入った。それに仕事の電話も。ひとつ懸案となっていた事項が消滅した。これはありがたかった。僕の仕事上のひとりのパートナーが尽力してくれたおかげだ。

 途中で来た叔母と青森に住む叔父といっしょに母方の先祖の墓参をした。そのあともうひとりの叔父の家に行った。久しぶりだった。病気でたいへんなときにも会えずとても気になっていたから、会えてよかった。きっかけとかタイミングといったものは大切だ。もしかしたらそれは偶然というよりも、お互いの気にする力が作用し合って導き出される当然の結果なのかもしれない。

 あまりに楽観的過ぎるかな。四月になってもこうして笑っていられればいいのだけれど。

■Freitag,21,März,2008

 三時半に目覚める。このリズムがいいかもしれない。仕事の合間に仕事をするというような感じで、少しずつ少しずつ進んでいく。あまり効率がよいわけではないが、こういうふうにしかできない。

 夜遅くなってしまったけれど、ホームセンターに寄ってみる。満足のいくようなものは何一つ無い。こうやって妥協に妥協を重ねては、まさにそれなりの部屋が作られてしまうのだ。恐ろしい。

■Donnerstag,20,März,2008

 春分の日。朝から出勤。仕事をできるだけ進めようと出かけたのだが、棚や机の整理を始めたらそればかりになった。結局午前中いっぱいかけて片付けをした。まだ片付いたとは言えないが、目処は立った。しかし、肝心の仕事はする気持ちが失せたので帰ることにした。

 昼にはパンを買おうかと思ったが、あれこれ考えてやめた。近くのスーパーで弁当を買って食べた。

 午後からは家の片付けに入る。仕事に使う本などを選んでカバンに詰めた。今回は大掛かりな引っ越しをするつもりはない。しかし、必要な物は少しずつでも移さなくてはならない。片道30キロくらいのところを往復。

 夜には母親と外出。温泉で熱い湯に入ってから、バーミヤンで中華を食べて帰宅。この間に仕事関係の電話が二つ入る。ここでも何か試されているような感じ。

 

■Mittowoch,19,März,2008

 偶然とは何かに導かれるようにして訪れ、道を開いてくれる。昨年の暮れあたりから続いているそんな感覚が、このところ強くなっている。これを運と呼ぶこともできるだろう。守られているとも言える。望むと望まざるとに関わらず、自ずと進むべき道が与えられるのであれば、それにしたがって生きるのみである。

 

■Dienstag,18,März,2008

 そしてきょうはきょうで大きな一区切り。朝早く起きて思いを書き綴った。節目の多いほうが強いというけれど、人によって大切な節目への感覚が異なるのがおもしろい。僕はできるだけ節目という意識を多く持ちたいと思っている。毎日が何かの節目である。そういう意味では誕生日も誕生日の翌日もそれほどの違いはないともいえる。

■Montag,17,März,2008

 きょうは大きな一区切り。セントパトリックズデイなんて遠くに行ってしまった。自己満足といわれればそれまでだが、自分なりにはよくできたと思えることがある。それは初めての仕事だったし、これまで抱えてきたトラウマを乗り越えることでもあったから。そして夜に届いた一通のメッセージによって、これから一年間も僕は元気に過ごすことができるだろう。

Sonntag,16,März,2008

 春の彼岸を前に墓参。スポンジで墓石を磨いてきれいにした。新しく報告することがら。人生万事塞翁が馬。何がよくて何がよくないのかわからない。ただ今となって思うのは、変化を前向きに受け止めればすべて前向きにことが進んでいくということ。だから、ことを前に進めたかったら自ら変化を望むことだ。やはり旅の中の人生なのだろう。ひとつのところに留まることはできない。

■Sonnabend,15,März,2008

 大きな仕事。何が「大きな」なのかよくわからないけれど。とにかく大きなことのひとつが一段落したということ。その後は昨日やり残した最終的な確認作業を少し行って一旦帰宅。そして着替えてまた出かける。この時期恒例の行事がここでもひとつ。

■Freitag,14,Mätz,2008

 通信販売のサイトなどを眺めながら、必要最低限の物だけを揃えようなどと考える。ただし必要な物には妥協しない。そうはいっても、店を回って吟味する時間さえ無駄に思えてしまうから、僕の拘りなんてそれほどのものではない。趣味とか主義とかどうでもよくて、生活レベルで支障がないというのがいちばん大切なことだ。

■Donnerstag,13,März,2008

 清涼飲料水500mlにどのくらいの砂糖が入っているか。20gくらいだと長い間漠然と信じてきたが、実はとんでもなかった。ポピュラーな炭酸飲料の中には60gも入っているものがある。それを一本飲むのは、いわば角砂糖20個をほおばって噛み砕いて飲み込むのと同じということだ。この話を聞いて気持ち悪くなった。それで身体にいいわけがない。清涼飲料水はもう極力飲まないようにしたい。

■Mittowoch,12,März,2008

 早起きしたからというわけではないが、長い一日だった。さまざまな言葉が去来する。茨木のり子の「自分の感受性くらい」を思い浮かべる。この半年くらい特に、僕は詩を大事にしてこなかった。もっとたくさんの言葉を編み上げるべきだった。後悔としてではなく、これからのためにひとつそういう反省点を挙げておきたい。

 

■Dienstag,11,März,2008

 春眠暁を覚えず。今朝は寝坊してしまった。どうも朝が遅くなってきたのはまずい。僕はしっかり朝日をみたい。朝型の生活が当たり前と言えるように生活を立て直そう。

■Montag,10,März,2008

 昨夜は寝付きが悪かった。さまざまなことを考えたからか、話したからか。どういう意味があるかわからないけれど、新しいことを突きつけられる。謙虚な姿勢で新しいことに挑む。それしかない。

 しかし、挑む気持ちの無い者には、その機会は与えられない。変わる気のない者に、変わる機会は与えられない。当然の話だ。

■Sonntag,9,März,2008

 午前中は、昨日終わらなかった分に少し手を付けるが、身体が昨日とのバランスをとろうとするのか、集中が続かない。昼前から床屋。いつもこの時期には行くのを逸してしまうのだが、今年は計画的だった。それから、ちょっと街に行ってきた。以前見慣れていたはずの景色が新鮮に映る。

 

■Sonnabend,8,März,2008

 七時過ぎに出勤。昼に少し抜けて、用事を済ましてから昼食をとる。郊外の店でカキフライなんぞを食べた。うまかった。滋養が体内に染み渡る感覚がした。それから七時前まで連続して机に向かい書類作成。ゼロからのスタートではあったが、それにしても意外に時間がかかった。まだ途中だったけれど引き上げた。夜には少し電話。

■Freitag,7,Mätz,2008

 人々は淡々としている。僕も淡々としている。たとえ場所が変わったとしても、立場が変わったとしても、同じことをしている。あるいは、違うことを模索する。そして、僕らはつながっている。

 見方によってはつねに中途半端で、いつになっても何一つ成し遂げることなどできない。しかし、そうやって時は流れ、年を取り、次の世代へ続いていく。よくなっていくかどうかはわからないけれど、この流れが止まることはない。止まることはないだろう。そう信じてまた明日を暮らす。

■Donnerstag,6,März,2008

 二日酔いかというほどの軽い頭痛が、午後になると吐き気を伴うくらいに激しくなった。大きな声を出すこともあったから、余計辛くなってきた。そこで、三時前に年休を取って帰ってきた。我慢することは考えなかった。具合が悪い時は休む。ただそれだけだ。夕方コーヒーを飲んですぐ熟睡すると、頭痛は消えていた。寝不足だったのだろうか。

 後のことはあす考えよう。休むために早退したのだからと、その後ものんびり過ごす。弟に頼まれていた古いビデオをパソコンに取り込んでDVDにした。十三年も前の家族たちの姿を見たら、その頃のことを思い出してなんとも切ない気持ちになった。時代は変わった。僕らも変わった。若かった僕らをまるごと抱きしめられるほどに、僕は成長できただろうか。

■Mittowoch,5,März,2008

 もうひとつの緊張状態のまま翌日を過ごす。別々の人たちが理解し合うことなど不可能なのだ。まったくもって不愉快な結末。情熱とは違う熱いものがたぎる。マイナスの感情のまま、何か月ぶりかで麦酒を空けた。

■Dienstag,4,März,2008

 長い長い緊張状態。心は三メーター上空から室内の人々を見下ろし、様子を常に冷静に窺っていた。それにしても、人を信じるのはあまり賢いことではないのかもしれない。いや、信じることは大切だが、信じすぎることがいけないのだ。そして、誰からも信じてもらおうということも虫のいい話だ。

■Montag,3,März,2008

 いろいろなことがあった一日。しかし、すべてを淡々とこなして、それらについては私的な感慨も何ももたない。ただいえるのは、一日一日の積み重ねが、人の一生のすべてだということ。些末にみえることがらの一つ一つが、全部自分をつくる大事な糧なのだということ。

■Sonntag,2,März,2008

 仕事を進めるつもりだった。しかし日曜日の朝はあっという間に過ぎてしまった。やるべきことを避けつつ、ものがあり過ぎの部屋の壁面をきれいに片付けた。押し入れの段ボールを開けて、古い8ミリビデオのテープを出した。後の作業はまた今度だ。

 3時過ぎに遅い昼食。餃子を頼んでしまってから少し悔やんだ。帰る途中で空港の駐車場に寄って、飛行機の離陸を眺めながらコーヒーを啜った。もやもやした感覚だ。旅に出たいということ?

 そうではない。この年になって、仕事も満足にできなければ、人との付き合いだっていっこうにできるようにならない。出会いを大事にできないこの性質を、いつか取り払うことはできないのだろうか。

■Sonnabend,1,März,2008

 休みの前日にいやな知らせが入る。湯船の中で目を閉じてはあれこれとシミュレーションしてしまう。このところめっきり入浴時間が長くなったよ。どうしてこうも生きにくい道を自ら選んでしまうのか。

 そして三月は来た。多方面において否応無く節目となる月だから、考えようによっては何事もやりやすい月ではある。新年度の処遇はまだ先だけれど、決まる前になんだかぎゃふんと言わせてやりたいような気分も漂う。だが早まってはいけない。


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