2008年11月               

 

■Sonntag,30,November,2008

 このごろ寝ていると喉が痛くなる。空気が乾燥しているためだろう。先日ホテルで加湿器を借用したとき、喉を痛めずに済んだからありがたかった。そこで加湿器を買うことにした。本日午前品物が届いたのだが、思ったよりもずいぶん大きかったので少し後悔した。ネットで買うとたまにこういうことがある。急いでいたとはいえ、店頭で一度は現物を確認しておくべきだった。しかし、機能的には申し分ないし、いずれもう少し広い部屋に移ったときのことを考えても何ら問題はないと気持ちを切り替えた。

 近くの店に車の定期点検やオイル交換を頼んで、そのまま散歩に出かけた。風が非常に冷たいが、天気は晴れて清々しい。コーヒーを買って、商店街の八百屋で野菜をいくつか買った。牛乳が余っているし、寒いからクリームシチューを作ることにした。ラジオを聴きながら日曜日の昼下がりを気ままに過ごした。

 こうやって11月も終わる。明日から師走である。ばたばたと走り回る月になりそうである。

■Sonnabend,29,November,2008

 コンピュータはもともと人間の脳を模倣しようと作られたものだというのを聞いたことがある。コンピュータと暮らすようになって、たしかに脳とコンピュータは似ていると思うことがよくある。車の運転をしながらラジオを聴いたり、何もないところから瞬時に言葉が出てきたり、こんな僕のオツムにもある程度のことはこなすコンピュータが入っていることを実感する。

 頭が良い悪いという表現をするが、脳の作りはひとりひとり違うらしい。百人いれば百通りの発達の仕方がある。それはその人の歴史であり、周囲の教育の成果であり、当人の選択の結果である。だから、良い悪いという判断ではまったく不十分で、ワンアンドオンリーであること自体がその脳の価値、つまりその人の価値であるといえるだろう。

 しかし世の中は競争社会となり、世界中数字で善し悪しが決まるシステムが蔓延している。いいものを作る職人は不要とされ、大量生産の製品が市場を支配してしまった。マネーゲームに巻き込まれた謂れのない失業と安易な借金による生活の破綻。金の有る国とない国の格差は言わずもがな。失望と羨望によって生み出されたテロリストと恐怖に怯える富める人々。そうしてしまいに、私たちは地球環境をも破壊しようとしている。

 コンピュータが普及し始めた時期と世界が急激に変化し始めた時期は重なっているように思う。とすればそれは偶然だろうか。人間の脳を模倣したコンピュータが発達し、それらを繋ぐネットが世界中に張り巡らされたことによって、人間のもつ本性が強調され加速された結果がいまの世界であるとしたら。人間の本性とは何か。恐ろしいことだが、混乱の果て、はっきりするのはそれほど遠い将来ではないかもしれない。

 そんなことには関係なく、今宵も呑気な宴があった。唯一の楽しみは高額の会費に見合った料理であったが、みごとに裏切られてしまった。早く帰ってすぐに就寝した。

■Freitag,28,November,2008

 いつもより30分早く出た。今日締め切りの書類を発送するために、最後の細々とした作業が必要だったからだ。7時を回っていたが空は暗く、今にも雨が降りそうなところを歩いた。職場に着いた頃、冷たい雨が降り出した。

 一週間はあっという間。一日一日もあっという間。こうやって一か月もあっという間に終わってしまう。そうして今年ももう終わりだ。夜には夜で仕事関係の集まりがあった。会場まで歩いた。雨で寒かったが、40分ほど散歩できたのはよかった。こういうことでもなければ歩くことなどない道だったし。だが、歩いてみて道路の悪さを実感した。広げようにも広げられないし、電信柱を取り除くこともできない。歩行者にとっての歩きにくさは、この先何十年経っても改善されることはないだろう。先細りの道は無計画に住宅地を広げてきた結果だ。全体を見渡して未来を構想してきたところなどひとつもなかったのだな。

 勝利至上主義のにおいの充満した和室で、1時間半もの間、参加者の自己紹介を聞いていた。せっかく提供された手作りの料理に箸をつける暇などなかった。のっこりあまった豚汁を、急いで最後に3杯いただいた。

 バスの時間に合わせて会場を出た。歩いた道をバスで戻った。1時間に1本の駅行きのバスには、僕を含めて3人しか客は乗っていなかった。最寄りのバス停で降りたけれど、駅まであと何人乗ったろう。たしかに豊かになったといえる。しかし、僕らがいま享受している豊かさの実態とはいったい何なのかね。

 明日は明日でまた宴がある。どんな空気か目に見えるようである。楽しみが1割で残りの9割は憂鬱。その1割を10倍に拡大解釈して9割分を全部差し引いてプラスマイナスゼロだ。とにかく早く帰ろう。

■Donnerstag,27,November,2008

 朝早く起きることもできず、今夜が勝負と覚悟を決める。夜の仕事に集中力をとっておいたような感じ。夜にはやるべきことをしっかり終えた。8時間かかると思ったら、4時間で済んだ。すばらしい。そもそも早く終えられるように、自分が下ごしらえをしていたからだった。自分で自分をほめてあげましょう。

 やる気になればできるなんていうけれど、気持ちがあっても体力がなければなにもできない。そして、体力がなければ気持ちも弱くなり、症状として表れてしまう。体力以上のことを要求されるからストレスがたまり、十分な休息を取らないから鬱になる。僕はストレスをためたくないし、鬱にもなりたくないから、誰が何と言っても休むときにはゆっくり休むよ。

 人それぞれキャパシティが異なる。体力もそのひとつだと納得する。強い人に合わせろと言われても困る。強い人の論理がまかり通ると、弱肉強食の世界になってしまう。建前上だれもがそれは困るというけれど、実際にはどこもかしこも強い者が弱きを挫く風潮がどんどん進行している。

 そんな風潮に乗るつもりはない。のんびりマイペースを崩さない。自分の責任範囲においてできるところは最大限努力する。しかし、できないことはできないと言う。どこにもいい加減な奴は一定の割合いる。困っていても言い出せない人もいる。まわりをよく見てね、あとは、バランス感覚にまかせてうまくやっていくことにしよう。

■Mittwoch,26,November,2008

 今日にも終えたい仕事があったにも関わらず、夜に某団体の会議が入っていたためまったく手をつけることができなかった。出かけてみると、必ずしも僕が来る必要はなかったことがわかった。しかし、来るべき人が来ていなかったために、僕がその人の代理ということでそのままいざるを得なくなった。終了は20時を回っていた。

 夕食をとろうと会場の近くの食堂に入った。食堂のテレビの画面には大食いの女性が出ており、太ろうとしてひたすら物を食っていた。食堂の客たちとテレビの女性、そして自分が重なってみえた。と思ったら気持ち悪くなった。帰宅してしばらくすると、睡魔が襲ってきて終了。

■Dienstag,25,November,2008

 三連休明けの火曜日。何の問題もなく一日を暮らす。定時で帰宅し、ゆっくりしていると眠くなった。モードとかチャンネルとか、考えなければならない事柄を切り替えながら生きている。たとえば昨日と今日では考えていることは違う。それを決める自我がもっと強くなればいい。自分で自分を強くするには限界がある。だから、支え合える関係があるといい。当然といえば当然。ひじょうに単純なこと。

■Montag,24,November,2008

 部屋に戻ったらぽつんと寂しくなった。顔が浮かんできて声が聞こえてきてまるで目の前にいるような気分になるほど。毎日長い時間いっしょに過ごしていたら、たましいの世界のレベルではほとんど同じになってしまうかもしれない。違いが際立つほどに、変わり続けるほどに、美しさの深みが増していく。どんどんほんとうの美しさに近づいていく。美しさにみあう自分をめざしたい。

■Sonntag,23,November,2008

 この日月のことは忘れない。しかし詳しい記録はここには書かず、別のところに書いておく。またひとつ、いい出会いがあった。これからがとても楽しみになった。嬉しい言葉を聞いた。それはひとつの象徴的な言葉だった。何よりも強く信じてみようと思った。これまで何度もそう思ったが、これまでのどの思いよりも強く信じてみようと思った。

  

■Sonnabend,22,November,2008

 三連休の初日ではあったが、早朝に職場に出向いて仕事をした。頭を使う仕事は昨日で終わらせていたから、楽だった。11時前には帰宅した。解放感。布団を干し、洗濯をし、掃除をして、ゴミを捨てた。

 期待に胸が膨らむ。このごろ思うことだけれど、自分を大切に、時間を大切にしなければならない。自分ひとりのためではなく、これからのために。今までとはまた別の責任感と言えるだろうか。

■Freitag,21,November,2008

 気力充実で臨んだ週末。自分とすればあれこれとくるくる動き回ることができてひじょうによかった。このような金曜日はまずない。いつもは階段を上るにも足が上がらないほどにげんなりするほどなのである。夕方からは客人の相手をしたり、車であちこち飛び回ったりしたが、それでもまだまだいける感じだった。

 元気だったから、レイトショーで「闇の子供たち」を観た。あまりに重たいテーマ。憂鬱な気持ちに苛まれたのだけれど、それでも観てよかった。何事も考えることを止めてはいけない。

■Donnerstag,20,November,2008

 休みたくて仕方なかった。朝起きると7時半だった。体が重く感じたため休むことにした。こういう日があってもしかたない。こういう日にはゆっくり体を休めればよい。体が休まれば、自然と心も落ち着いてくるものだ。

 静かな平日に、進めるべき仕事をひとりで進めた。思った以上にはかどった。普段どれだけきゅうきゅうとした生活を強いられているかということを感じた。人ひとりが一日にできることには限界がある。その限界を超えてやらねばならないような状況がある。こういう社会の犠牲になってはならないのである。

■Mittwoch,19,November,2008

 朝は通常通りに出てから出張へ。午後からはまた通常通りに仕事をした。これでは日帰りの東京出張みたいなものだと思う。職場に戻る途中のラーメン屋で、普段平日の昼にはできない食事をした。まるで異世界を歩いているみたいにふわふわした気持ちだった。天気は曇り空で、雪雲が広がっていた。職場に戻る頃には空が真っ暗になって、とうとう雪が降り出した。

 一旦降り始めると町中みるみる白くなり、景色も雰囲気も今までの状況とはまるで違ってしまった。当たり前に冬が来た。これからしばらくはこんな景色が続くのか。子どもたちが感じるような愉しさなど微塵もないな。

 夜には夜で移動して某会議に出た。知っている顔がいくつかあって、何人かとは挨拶を交わした。ついこの間までいっしょに稼いでいた人でも、職場が変わるとこれまでのようなコミュニケーションが成り立たなくなる。仕事の関係とは大概がそういったものだ。そういうのをビジネスライクな付き合いなどというのか。

 しかし、極々稀に仕事の枠を超えた付き合いになる人もいる。窓口がどこだったにせよ、そういう人と出会えたことは人生の必然だろうと素直に思える。どこでどう転んでもどこかできっと出会っていたはず。ほんとうに大切な人々にだけ囲まれて生きていけたらどんなに素晴らしいだろう。

 

■Dienstag,18,November,2008

 昨夜はCDを編集するのに試行錯誤していた。コンピュータ上で編集したものを再びCD化したかったのだが、プラグインについてよくわからず進まなかった。そこで、MDに録音し直そうと思い、MDウォークマンを持ち出したが、肝心のディスクがなかったので終了。

 今朝早く起きて近くのコンビニを見てみたが置いていなかった。MDなんてもう古いのだ。夕方、少し早く帰宅して100円ショップをのぞいたらあった。これでできそうだと線を繋いでいるうちに、コンピュータから直接CDラジカセに繋げばいいではないかと気づき、実行。いとも簡単にSDにMP3ファイルとして記録することができた。いい買い物をしていたなと、改めて思った。

 今までできなかったことができるようにはなった。それにしても、CDにMDにSDにMP3か。便利なようで便利とはとても言えない複雑怪奇な世界になったもんだ。

 一か月ぶりの従弟と叔母での三人の飲み会。寒いので、鍋を囲んでの宴となった。こんなひとときがあればこそ、明日も生きていけるのであった。感謝。

■Montag,17,November,2008

 駅の西に延びた新しい橋を渡ると新しいトンネルが見えてくる。何もなかった平地にコンクリートのトンネルをこしらえて、そこに土をかぶせたのだ。どうしてそういう工事をしたのか意味がわからない。かけなくてもいい無駄な金をかけたとしか思えない。聞くところによると、トンネルの上にできた小山には誰が付けたかすでに「立志の丘」と名がついているらしい。ひじょうに気味悪く、恥ずかしく、不快極まりない。そして、あまりに展望のない街作りに、強い失望と怒りを覚える。ひどい。愛していた町を喰いものにしないでほしい。

 そのトンネルの先にある大規模ショッピングモールを先日初めて訪ねた。これまで行くことを避けてきたが、仕事だったので仕方なかった。建物の中の雰囲気が北米のそれと変わらなかったので驚いた。こんな場所で人々は楽しくお買い物をするのか。案の定、アメリカ化が進むとこういう風になる。さらに20年後くらい先までの街と人々の姿が浮かんでみえるような気がした。このままだと二極分化が進むばかり。そして、これからもっとやりにくくなっていく。

 政治が変わらなければこの流れは変わらない。たとえアメリカが変わっても、これでは日本は変わらないだろう。と、またも絶望的な気持ちに襲われる。

■Sonntag,16,November,2008

 何をしたのかわからない日曜日。朝のうちはテレビを見て、昼から少しラジオを聴いた。昨夜買った大型の「突っ張り棒」を返品しがてら、少し車を走らせた。なんでこんな物を買ったのか不思議だった。夜には散歩に出て、本屋でぶらぶらと過ごして帰宅した。休日には仕事をしないというのを百パーセント実践した日となった。そのぶん明日から仕事に集中しよう。

■Sonnabend,15,November,2008

 昨夜とつながっているような午前6時過ぎ。休日出勤へGO! どこから降って湧いた話だったか、やるべきことが膨れ上がって、すべてのしわ寄せがこちらに来る。それぞれが好きなようにやろうとするほど、ものごとは歪みを生じさせ、どこかに感情のもつれが起きる。でもこちらから出る幕ではないから黙って見ている。

 12時には終わるはずだったところが、最終的には15時までかかり、帰りは16時になった。床屋の予約を17時にしていたのは正解だった。シェービングクリームの香りの中で、少しうとうとと夢を見た。

 マネージメントの意味を知らなかった頃は、マネージャーといえば野球部の女子部員なんかのイメージだった。ジョージ・ブラウン・カレッジの夜間クラスで「マネージャーみたいなものさ」と自己紹介したとき、みんなの目が丸くなったのを強烈に覚えている。経営者や管理者や監督という語と結びついた後で、仕事に対する僕の態度が、かれらと比べてあまりにいい加減だったと悟ったものだ。

 それぞれが自分の持ち場に責任をもつ風土が理想。それはいわば個人が個人として自立している社会。ところが、我々の社会では(あるいは僕の周辺だけなのか)、忙しいようなふりをして怠ける人と、怠ける人の分まで背負ってしまうお人好しがいて、それらの間でバランスを保っているようなところがある。(こういうのを、全体主義というのか?) いい加減な人間が放置されていても、誰もどうすることもできない。それを嘆いたとて変わらない。政治家や官僚のありようを見ていれば、この国ではとうてい無理なのだ。

■Freitag,14,November,2008

 今週は昨日まで比較的早かった。行く気になれば映画にも間に合ったが、それだけの気力はなかった。部屋でボーッとしているうちに眠くなった。それだけ昼間に働いたのだから、ほんとうはそれ以上働く必要もないのだった。仕事を持ち帰るのが当たり前になっている昨今のこの業界ではあるが、そんなのは絶対ダメである。あなたが犠牲者になっちゃいけません。

 週末のきょうは18時過ぎから会議があって、その後細々とした原稿を読む必要に迫られ、腹は減り、目はショボショボで、気づけば22時を回っていた。あの人でも彼女でもなく、なぜ僕や彼なのか。それは、あの人にはできない仕事であり、彼女がやったら病気になってしまうから。何事も求められるのは幸せなことです。

 

■Donnerstag,13,November,2008

 まじめに考えてばかりいると鬱病になる。そういう時代。今朝には少し早起きして、取り繕うだけの資料を調えた。学生時代に学んだ情報処理の技術が、こんなところに生かされる。ネットがなかった時に培ったアナログの方法論。いくら便利な世の中になっても、それを知らなければ生きてはいけない。

 アナログの方法論か。まずは人の話を聴くところから。テレビを観ていたって、友達とお喋りしていたってそれは身に付かない。かわいそうだけど、救いようがない。救いようのない人を、救うまでの義理はない。まじめというのは、それすら自分が何とかできると考えることである。それは自分の限界を知るというより、何のために生きるのか、選択の問題なのだろう。僕は鬱にならない道を取る。

■Mittwoch,12,November,2008

 給付金をもらう資格はない。税金が財源になるのなら、くれるもんならもらっとけという話でもあるまい。最初のねらいがどこかに消えて、あまりに場当たり的で安易な案が迷走する。金の使い道を考えるのが政治家の役目なら、当代の政治家たちは後々まで国の恥として語られることになるだろうね。

 可能性がみえるようになる以前から可能性はそこにあった。窓からの景色が広がったからといって、行ける場所が増えたわけではない。そのことに気づくまで、窓を開いてから何年もかかった。

 

■Dienstag,11,November,2008

 リメンバランスデイのきょうはCBC RADIO 2を聴いていた。先の戦争などというものは、この国では遠い昔のことになってしまった。しかし、思い起こせば、戦勝国のほうは今でもテレビで輝かしい勲功が讃えられているのだった。負けた側としては、忘れたい。勝った側はいつまでも勝利の味を噛み締めていたい。と、そういうことでもなさそうだけど。私たちは忘れっぽい。何でも水に流せば済むと思っている。

■Montag,10,November,2008

 午後の出張から直帰。これから正月までにやらねばならない仕事がたくさんありそうだ。仕事ばかりやっているわけにもいかないから、平日に済ませることと休日にすることと、うまくバランスをとりたい。

 しかし、早く帰ったときこそゆっくりしたいのも人情。三連休のことなど考えていたら、眼前に広がる灰色の現実を抜け出して、薔薇色の気持ちになった。

■Sonntag,9,November,2008

 平日より早く出勤して、13時過ぎまで仕事。スーパーマーケットなどに寄って帰るともう14時。昼食後はもう寝なきゃと思い、18時半まで熟睡。日曜日のこの時間になって、遊ばなきゃ、散歩しなきゃという気持ちになる。のこのこ起き出して、駅まで行き、無印などを見た。うまいと評判の店に入り、カレーを食べた。たしかにうまかった。いいところを開拓した。姜尚中のテレビを見た。夏目漱石について語っていた。だんだんに話に引き込まれていった。

■Sonnabend,8,November,2008

 平日より早く出勤して、11時過ぎまで仕事。郵便局などに寄って帰るともう正午。昼食後、1時間ちょっとの話。なんて素敵なんだろう。大げさでなく、涙が出そうになるくらいの喜び。暖かくなって、1時間ちょっと昼寝で熟睡。冬の夕暮れは暗くなるのが早い。5時前に出て車を走らせた。

■Freitag,7,November,2008

 立冬にしては異常に暖かい朝。雨も冷たいとはいえなかった。アパートの建物の側にある柿の木にはオレンジ色の実が生っていて、今朝そこにおじさんたちが大きな車で乗りつけて、網やら鋏やらを使い、三人がかりで柿を取っていた。ラジオで今年の柿は豊作だと言っていたが、ここの柿もずいぶんたくさんだ。せっかくだからアパートの住人たちみんなにくれればいいのにね。

 柿は英語でpersimmonというらしい。それを初めて知ったとき不思議な気持ちがした。柿は西洋にはないと思い込んでいたからだ。スーパーマーケットにはたしかに柿らしいものが並んでいたかもしれないが、買って食べた記憶はない。もともとそれほどの芳香はもたないし、果汁も豊富とはいえないから、あまり爽やかでもなく、喉の渇きも癒せない。それが西洋のイメージと異なっていたのかもしれない。そういえば、柿の色というのは上の写真の僧侶たちの衣と同じ色ではないか。

 金曜も午後になると、もう疲れてへとへとになる。きょうは腹を立てるまいと努力した。理路整然と、わかりやすく話をするように心がけた。長くなく、心に響くトーンで。昨日は狂っていたから、それを思えばかれらなりに少しは僕に対する配慮というものもあったのだろう。年寄りを労ろう。僕もその仲間入り。夕方にはひとりイスに座りながら、深呼吸して気持ちを落ち着けることができた。

 午後に、筑紫哲也が亡くなったそうだ。我が国で最後の、ジャーナリストだった。彼が盛岡勤務の頃、父は一緒の現場で取材したことがあったらしい。他人のような気がしない有名人のひとりだった。ニュース23が始まったのは就職した年。特にインターネットの時代になってから、「多事争論」のページには数えきれないほどアクセスし、学ばせてもらった。彼は米国初の黒人大統領の誕生を知って旅立ったのだろうか。歴史のひとつの節目を確認して逝ったのだと思いたい。

 

■Donnerstag,6,November,2008

 そもそも精神的に時間を共有できる人たちではないから、一日に何時間も一緒にいると具合が悪くなる。きょうは話をしている途中で目が回り、気を失いそうになった。そのまま机の上に突っ伏してしまったけれど、こんなことが続いたら身が持たない。できるだけ声を大にしてSOSを発信し続けなければだめだ。

 ユニコーンの歌を思い出す。すばらしい日々。それに、ヒゲとボインという歌があったっけ。仕事と愛情とどちらをとるかと言われたらそんなことは決まっている。真に心から生きるためなら身体が死んだっていいんだから。叶わなくったって、道の途中でくたばったって構わないんだから。

 どうしようもなくなり早々に帰宅。日本シリーズを聞いているうちに眠っていた。

■Mittwoch,5,November,2008

 日中は晴れてドライブ日和。車で移動する一日だったのでちょうどよかった。いろいろな人に会った。話が苦手だとあらためて思った。苦手というのは、拒絶と似ている。克服しようとしていれば、今頃は苦手ではなかったはずだから。一期一会というのをまだよくわかっていない。そして、わからぬまま死ぬのかもしれない。 

 限られている時間の中で、必要なことを話せない。いつも話を聞いているだけで時間切れになってしまう。ほんとうは誰も触れたくないことかもしれない。話を聞いているのは好きだけれど、核心について言えないとか言わせないとか、そんなことも拒絶ではないか。

 楽しかった。だがそれはほんとうか。愛情のことを考えるときにはいつも死の影がちらつく。ほんとうに楽しいこと何一つしてないじゃないか。何のために生まれてきたのか。このまま死んでしまうのではなかろうか。

 

■Dienstag,4,November,2008

 毎日ネクタイ締めて背広着て何もないような顔をして出かける。仮面をかぶるとはこういうことか。仮面の下には顔かたちがあるわけではなく、腐肉のようなドロドロがあるのみである。

 すべてのSOSは届かない。気づかないのが悪いのでなく、伝えられないのが悪いわけでもない。問題を解決するのは自分自身だということ。そして、解決できない問題というものもある。孤独を生ききるというけれど、生ききれない人生というのもある。

■Montag,3,November,2008

 7時過ぎ。川沿いをゆっくりと散歩しながら仕事に向かう。青空がのぞいていた空にみるみる暗雲が広がり、雷も鳴りだした。傘をさしながらの歩行者道には、ところどころ大きな水たまりができて歩きにくかった。川のところどころに腐った鮭の死骸があって、烏などが啄んでいた。

 知り合いと偶然に会って少し話をする。めんどうなことは何もないままに仕事が終わり、そのまま帰宅。10時には部屋に戻っていた。それからは何をしたか覚えていない。疲れていたけれどよく眠れなかった。

 夕方からのこのこと出かけ、ある舞台を観てきた。トウキョウとはまったく違う構成で、時間も短かった。大相撲の地方巡業みたいなものかと思った。その後酒を飲み、たらふく食ったが、気持ちは晴れなかった。

■Sonntag,2,November,2008

 時折雨の混じる眠い日曜日。何の予定もなかった。ただぼーっとしていた。休むための一日。

 テレビのコメンテーターがいくら提案しても、政治家が動かなければ実現はしない。先週も、ラジオでも、同じことを聞いた。それをしないとしたら、どんな絵を描いているかを示してほしい。何も描いていないとは言わせない。

 昨日雑巾がけをしたら目が回って気持ち悪くなった。昼食後、ラジオを聴いているうちに眠った。起きてしばらくしたら、胃が激しく痛みだした。疲れが出たのかな。情けないが、そんなことがあった。

 夕方から冬タイヤを取りに実家に行った。夏物を持って行って、冬物を持って来た。いくつか買い物をしながら車を走らせた。冬というか、年末のにおいがした。もう11月も12月も要らないような気分になった。

■Sonnabend,1,November,2008

 写真は今夏旅したルアンプラバンの托鉢風景。最後の朝にして、何百という僧侶たちの行列と、僧侶たちに御飯を施す人々を見ることができた。あの旅は初めから特別だったが、時が経つにつれてその価値はさらに高まり、忘れられないものとなるだろう。

 どの道をどのように通っても、自分らしい軌跡が否応なく残る。もしも互いに認め合いながら生きることができれば、もっと開かれた自分たちの歴史を築けるのではないだろうか。

 これまでのすべてが試みだった。そして、これからもすべては試みである。試みの中で、ものを見聞きし、判り、決めて、動く。私たちはそれぞれに孤独だが、認め合い解り合いながら強くなれると信じる。

 あの旅は特別だったというけれど、まだ旅は終わってはいない。いままさに舟が川面を滑り出したばかり。代わり映えしない景色が続くこともあれば、激流に揉まれながら行くこともあるだろう。長い旅の過程をじっくりと味わいながら進んでいきたい。