2008年10月               

■Freitag,31,Oktober,2008

 日記を書く時間も気力もなく、気がつけば十月も終わり。目の前のことをこなせばまた次のことがあらわれる。この繰り返しで来たようだ。しかし必死にがんばっても変わらないと思うと、過度の期待など失せる。一個のコマとして動く、と同時に、自分本位の堅実さとでもいったらいいのか、したたかに生きなくてはと思う。

 一週間分をまとめて書くのは、ルール違反という気もする。でも、空白には何も残らないので、思い出しながら書いてみることにする。

 田口壮選手のフィリーズが大リーグを制した。その後に書かれた日記に胸を打たれた。彼が挑戦しようとした発端とはどのようなものだったのだろう。同じ時代を生きていることを素直に嬉しく思った。

■Donnerstag,30,Oktober,2008

 ネットの世界には古典が意外と豊富に存在する。何年経ってもどのように読んでも価値が変わらないから、資料として有効に使えそうだ。学校で学ぶことがすべて古典だったらと思うことがよくある。いまは価値があるのかないのかわからないものに時間を取られ過ぎてはいないか。

 このごろ古典を読む機会が多かったためか、自分の中での価値がひじょうに高まっている。

 

■Mittwoch,29,Oktober,2008

 ひとつのことが終わる。先週もそうだったように、息吐く間もなく次のことに向かう。こんなことで自分にどんな成長がもたらされるというのだろう。仕事によって人間が伸びるというのはもはや幻想に近くなったのかもしれない。いまの若い世代はたいへんだ。これだけ忙しいと学ぶ機会など与えられない。自ら学べる人とそうでない人の差が開く一方だろう。

 自分はまだまだだけど、学校を卒業した時点でゼロだったのがいまでは少しはマシになっているとは思う。でももし初めからいまのようなゆとりのない状態でずっときていたとしたら、ゼロはいまでもゼロのままだったろう。この先もっとマシになるのはたいへん。これまでとは違うことを考えていかないと。

■Dienstag,28,Oktober,2008

 火曜日。何したっけ。思い出せない。とにかく夜中まで仕事をしていたのだった。

 思い出した。上司にあることを指摘された。いまだに、現実をよく理解していなかったということがわかった。あまりにレヴェルの高いことを必死にやろうとしていたのだった。なるほど。と納得したら気が抜けた。

 ここにいる意味について、考えた。それならあまり意味がないと感じた。そして、やりたいことはここではできないのかなと思った。少し具体的に、変化を模索してみようか。

■Montag,27,Oktober,2008

 月曜日。とにかく夜中まで仕事をしていたのだった。

 朝から夕方まで眉間にしわ寄せて、こめかみに青筋立てて怒っていたのだった。怒鳴れば怒鳴るほど悪循環に陥った。こうやって精神を病んでいくのだろうと思った。まずい展開。

 もう少し落ち着いたほうがいい。

■Sonntag,26,Oktober,2008

 日曜日というのに、ひじょうにつらい一日となった。通常通りに出勤して、通常通りに帰宅した。マルチでなんていられない。何でもこなすなんてできない。机の上は散らかり放題。

 部屋に戻るとやはり散らかり放題で、片付ける気力もなく眠りに落ちてしまう。

■Sonnabend,25,Oktober,2008

 午前中は仕事をしていた。午後には部屋で少し休んで、夕方から実家に戻り、情報交換をして、飯を食って、また戻ってきた。電話をして、あれこれしゃべって、話を聞いた。

 もう11月になる。考えたいことさまざまあれど、仕事に追われて切り替えできず。

 申し訳ないが、心から生きている感じがしない。自分として自分らしく生きている感じがしない。もっとちゃんとした自分になって、向き合っていたいのに。

 ああ、「のに」が出ると愚痴になる。その通り。

■Freitag,24,Oktober,2008

 あっという間に次の金曜日が来た。ハードな一週間。どうしてこういうふうにしか過ごせないのだろう。こういう一週間が特別ではない。これからも続くのか。だれもがもっとゆったりと生きることができるはずなのに、無駄な動きが多過ぎる。

 

■Donnerstag,23,Oktober,2008

 真夜中身体が熱くなり眠れなかった。朝方うつらうつらしていたら遅れそうになった。今まで話したことのないことを話した夢を見た。夢の記憶はほんのわずかで、部屋を出ると全部消えてなくなった。

■Mittwoch,22,Oktober,2008

 淡々と仕事をこなす午前中。午後からは場所を移しての研修だった。その後来週のイベントの打ち合わせをして、職場に戻る。こういう日に限って、夜にも会議が入っていたりする。結局終了したのは午後十時。

■Dienstag,21,Oktober,2008

 ひとつのプロジェクトの自分の担当分が終了した。今回も学んだことは多かった。力のなさを痛感した。次に生かそうと思った。しかし息つく暇はなく次のことを考える。なんでもないことだが、いつものことだが、こんなとき、労働者としてはただ使われて捨てられるだけの存在なのだと感じる。言っておくが、こんなことに、仕事なんぞに、命など賭けてはいけない。

 CBC RADIO2はいい曲ばかりかける。同じ洋楽でもニッポンに出回っている音楽とは似て非なるものである。しみじみとした思いに包まれる。僕らはほんとうに素敵な社会の有り様をみてきたのだね。癒すということばにはどうも眉に唾するのだけれど、一通のメールと音楽に、初めてほっとできた。心が癒された気がした。

 

■Montag,20,Oktober,2008

 緊張感を適度に保って、集中力を継続させて、朝から晩までやるべきことだけをやり続ける。感情はない。情報のインプット、頭の中で有機的に繋げて、加工したものをアウトプットする。それだけ。実に人間らしい。それでいてどこかコンピュータに似ているような。しかし、コンピュータと違うのは、これらはすべて僕にしかできない、という点。

 もっと休めたらもっといい仕事をするし、もっとゆとりがあったら、もっと力は出せる。そうでないなら、まあそれなりに。違うところにエネルギーをかけたほうが、よほど自分らしく生きられそうだから。

■Sonntag,19,Oktober,2008

 きょうは関口宏を見てから出勤。唯一観るテレビ番組。昨日と同じ時間に帰宅して、それからはまたパソコンに向かってだらだらと夜まで仕事。その後、資料を忘れていたことに気づき、休日の夜八時、真っ暗な職場に取りに行く。なんということ。いつの間にこんな不注意な人間になってしまったのか。

 この土日は二日間とも行楽日和だった。でもそんなことは関係なかった。こういう週末があってもいいのである。あってもいいが、そのぶんいつか素敵な週末を取り返してやろう。

■Sonnabend,18,Oktober,2008

 きょうの朝にはある仕事が割り当たっていて、休日にも関わらず真面目に出かけていった。その場には行ったものの何もやることがない。これは必要ないと判断して勝手に帰宅。勝手に、というのがせめてもの反抗。

 まじめにがんばっている人に対して、まじめにやっているのがばからしいと思わせてしまったら終わり。自分の時間を削ってがんばっている人たちにすっかり頼り切ってしまっているのが現状。それを変えることができるのは、偉い人だけ。だから偉い人なのに、今の偉い人は全然偉くない。

 その後は職場へ。休日だが通常通りの仕事を済ませる。帰宅してからパソコンに向かいだらだらと夜まで仕事。気がつくと仕事漬けの休日。

■Freitag,17,Oktober,2008

 朝から頭痛。階段を昇るといつもより激しい動悸。昨夜珍しく飲んだので二日酔いかと思ったが、それが一日続いた。一時間休みをとってとぼとぼと帰宅。定時より一時間早いということは、いつもより実質的に四、五時間は早いということだから、これは早い。部屋でしばらくぼーっとして休んでいると、身体が固まっていくような感じがした。歩き出したら、足が吊りそうになった。横になったが、眠れなかった。

 たわいもないことでも声を聞いていると落ち着く。頭痛もいつの間にかなくなっていた。こうやって時々息をついて、気持ちを緩めないといけない。人と接することでストレスがたまったり、発散されたりする。生きていればストレスがないということはない。あとはどんな人と会うか、どんなふうに接するか。人と人が接するって大切なことなんだなと思った。

■Donnerstag,16,Oktober,2008

 夕方ほぼ電話を独占して、十数軒と連絡を取る。伝えたいことは同じだが、伝わり方はそれぞれ違う。反応からすると、かれらの能力にはひじょうに懐疑的な部分が残る。そして、再生産されていく人々。時代の波が底を打って、これから数十年かかって変わっていく。そう考えるのはあまりに楽観的か。

 しなければならないことが積み重なっていく。同じ時間でできることは限られているから、いくら一生懸命がんばってもきりがない。これじゃまるでリボ払い。

■Mittwoch,15,Oktober,2008

 きょう何のために出勤したのか。みんなそれを忘れている。明細書すらいただけないというのはどういうことか。みんなあまりに鈍感になっている。こうやって本質から遠ざかっていく。実体のない経済に翻弄されることになる。

 証券なんていう紙切れに用はない。ほしいのは手応え。確かな実感。働く歓びは札束の厚みを感じ取ることであり、このおかげできょうも食べていくことができるとわかることだ。だからまた働こうという意欲に結びつく。

 実体がみえなければ、働く歓びも意味も見出せなくなってしまうのは必定。大黒柱だって存在意義がぼやけてしまう。食べさせていただいているという感覚も薄れてしまうから、感謝の気持ちなど育たない。

■Dienstag,14,Oktober,2008

 約束というのはたしかなもの、絶対的なものだと思っていた。だから、それすら忘れられているかのようなことを言われるとつらい。ほんとうの約束は一生に一度でいい。ほんとうの笑顔はたったひとりの前でみせられればいい。ほんとうの真実とはそれくらい希少なものではないか。だから価値がある。だから幸福につながる。そう信じて約束したのだから、それ以外の想定はあり得ない。

 たぶん言葉が足りないということではない。言葉でない部分のほうが圧倒的に足りないのだ。

■Montag,13,Oktober,2008

 目覚めると、窓の外は雲ひとつない青空。ベランダに出て、空だけの写真を撮った。午前中は机に向かってだらだらと仕事をして、一昨日終えるはずだったことを終えた。昼には町に出てきた親戚の小母様たちとご飯をともにした。一時間ちょっとのことだったが、ビールまで飲んでしまい、帰ってももう使い物にならなかった。そのまま眠りにつき、目覚めると夕方だった。空には満月がこうこうと輝いていた。

 焦ったように外に出ては、いくつか買い物をする。本屋でばったりと前の同僚に会った。二・三分立ち話してわかれた。月を見上げながら考える。自分の抱える恐怖と願望について。考えていたら、自分がほんとうに求めているものの姿が、たしかな輪郭をともなって目の前に浮かんできた。

■Sonntag,12,Oktober,2008

 朝、車を走らせて実家に戻る。以前はいつも通っていた道のりが長く感じられた。秋晴れの国道。稲刈り直前の黄金色の田んぼが広がっていた。もうこんな時期か。町中にいて季節の変化に気づかなかった。

 朝食をたんと食べ、テレビを見、それから喪服に着替えて出かける。伯母の三回忌法要。親戚たち。離れて住む従弟の息子たちが集まった。若くして独立し、それぞれに貫禄を備えていた。和尚様は「因と縁」について話された。生かされていること。つながりをもっていること。その後、場所を移して会食。いつものことだが、なんだか居心地が悪かった。とにかく出されたものを黙って食べた。

 まだ伯母が生きているような感じがする。教えてくれたことは数多くあるが、そのうち実践できていることはどれくらいあるだろうか。ちょうど伯母が亡くなった頃から僕はひとつのことを意識するようになった。伯母の話には共感できることがたくさんあった。だから、伯母の願いを叶えようと自分の気持ちを仕向けてきたのかもしれない。いまのつながりを縁と呼べるなら、縁を大切にしたいと心から願う。

■Sonnabend,11,Oktober,2008

 声がかすれていたのはストレスから。そのストレスを取り除いてあげたかったのだけれど、かえって増幅させてしまったろうか。貴重な時間を奪ってしまった。実はそれくらいこちらが声を聞きたかったということなのかな。おかげで僕のストレスは100から1に減った。ありがとう。でもほんとうに大切なことは言葉にできない。それも痛感したこと。

 きょうも通常出勤、休日だけど。ほぼ一日かけてひとつ仕事を終わらせた。連休が多くなってからというもの、連休を謳歌することができなくなった。きょうのこの仕事、以前はもっと時間をかけて練ったり寝かせたりしながらやったものだが、今では突貫工事みたいに一日二日で仕上げねばならない。これだけコンピュータが普及したから楽になったかというと、現実は多忙化の一途をたどっている。多忙のために、社員教育も何も行き届かない。本質や常識は忘れられ、要領だけいい奴が何も考えずに渡っていく。逆に、常識を守り誠実に本質を求めようとする者は苦しくてやりきれない。もうアホアホな感じの時代の流れ。だけど、そんなのに流されてたまるか。

 「空気を読むのではなく、自ら空気の流れをつくれ」

たとえそんな言葉が虚しく天井を去来しても、負けずに叫び続けよう。

■Freitag,10,Oktober,2008

 かつてほんのわずかの期間、体育の日と呼ばれた日。体育の日は2000年から十月の第二月曜日に変わり、土日月の三連休をつくる仕組みになっている。ねらいは景気対策だけど、効果はわからない。ここ数日株価がどんどん下がって、世界恐慌のようになっている。明日はどの会社が破綻するだろう。僕は株には直接は無関係だが、保険会社や銀行がつぶれて自分が納めた保険料や預金がなくなったらどうしようと心配になる。何の落ち度もない人が辛い思いをする時代。個人のささやかな生活が、いともかんたんにぶちこわされてしまう時代。

 巨人がリーグ優勝を決めたこの日。どうでもいいけれど、原監督がインタビューで「きょう、この体育の日に決めることができてシアワセ……」などと喋るんじゃないかなんて、ばかなことを考えた。

 

■Donnerstag,9,Oktober,2008

 いろいろなことが重なる。幾重にも重なって気が重い。おまけに身体も重くなって、夜には自重に耐えきれずへたってしまう。久しぶりに徒歩通勤だった。行きには花を見た。帰りにはライトに照らされた石垣を見た。気が重いけれど、それだけで少しは楽になれたような気がしないでもない。

 感心する話を聞いたが、よくよく考えれば自分の仕事が増えるということだ。ありがとうございますと言いながら課題をどっさり貰って帰るなんて、人が好いにもほどがあるというもの。騙されながら生きるのと、騙しながら生きるのではどちらがいいか。結論をいえば、騙すも騙されるも同じこと。そう思う。

 偶然だったが俳優緒形拳の遺作のドラマを見ることができた。仕事もそっちのけで引き込まれた。中井貴一は好きだ。脚本は倉本聰だという。舞台は富良野だという。「北の国から」は実はよく知らないけれど、富良野には去年行った。でも緒形拳といえば僕にとってはどうしたって「峠の群像」なのだ。あれしかない。テーマは「死」らしい。死はとても身近だ。志半ばで死ぬのも仕方のないことだ。といつも僕は考える。「死」に向き合える時は、こころが温かくなる。そうは思わないか。

■Mittwoch,8,Oktober,2008

 頭が重い連休明け。午後からは出張。三時間ほどの会合。来るべき人が来られなくなり、昨日仕上げたものは宙に浮いてしまった。虚しかったが仕方ない。そもそもそれほど重要なことではなかったのだ。

 こういうふうにしてモチベーションとやらが下降する。それでもなんとかついていこうとするなら、抜くところを抜かないとたいへんなことになる。珈琲でも飲みながら、遠くからみる自分を失わないで暮らそう。

■Dienstag,7,Oktober,2008

 河南の中心部にある珈琲屋とパン屋に用があったのだが、どこから行こうにも道がパトカーや警官たちで封鎖されており、行けなかった。発砲事件でも起きたかと思ったが、ニュースによると不発弾が見つかったとのこと。その後無事に取り払われたようだ。珈琲とパンは近くのデパートで調達できたが、好きな店に行けず残念だった。

 この二日間、休日とはいえだらだらと仕事を引きずり、おもしろくない時間を過ごしてしまった。本を読んだわけでもなく、映画を観たわけでもなく、部屋でパソコンにばかり向かっていた。先日のいい加減な仕事のツケが回ってきたのだ。一応の完成をみたが、それも明日どういう評価が下されるかわからぬ。そして、明日にはまた別のことが待っている。

■Montag,6,Oktober,2008

 昨夜の祝宴には数百の人々が集い、それぞれに昔を懐かしんでいる様子だった。そんなことには関係なく、僕は誰に酒を注ぐでもなく、最後まで同じ席に居て、目の前の料理を食べてはビールを飲んだ。会場のホテルにこの春就職したばかりだという従業員がホームシックだと洩らした。故郷は県北の港町だが、遠いから休みでも帰ることができないそうだ。気持ちはよくわかった。しかしそれを僕に話してくれたのはなぜ。

 予定を少し過ぎた時刻に宴が終わると、僕はそそくさと無料の送迎バスに乗り込んだ。駅行きのバスには老人たちばかりが乗り、もう半世紀以上昔を昨日のことのように語り合っていた。「少しも変わってないね」「いや少し太ったよ」 聞いていて可笑しかったけれど、当事者どうしとすれば実感なのだろうか。

 「縁があったらまた会いましょう」 ひとりの女性が誰かにそう言ってバスを降りた。縁があったら、か。あたたかそうにみえて実は凛とした冷たさがそのことばから感じられた。

 年を取ることは、関係を限っていくこと。不要な人との繋がりを断ち切っていくこと。同時に、ほんとうに大事な関わりは、運命として必然として受け入れていくこと。自分自身に取り込んで、自分自身にしていくこと。染み込むように溶け込むように、その関わりなしでは在り得ない自分に変わること。

 そして、ついに自分が自分として存在する必要さえなくなったとき、振り返ると素敵な人生だったといえるのかもしれない。

■Sonntag,5,Oktober,2008

 長い一週間が終わった。とはいえ済めば楽になるものではなく、数有る点のひとつに過ぎない。いつでもそうだが、この数ヶ月は特に点が密集している。今夜、思いがけぬ人の口から、その理由を解く一言を聞いた。

 試されているといえば聞こえはいいが、はめられたと考えると不愉快だ。ものは考えようだから、有り難く受け止めればいいのだろう。しかし、誰かの作為がみえた途端に興醒めである。

 仕組まれた世界。人間将棋じゃないんだから、誰かの持ち駒みたいに都合良く使われたくはない。

■Sonnabend,4,Oktober,2008

 ゆらめきIN THE AIRを聴きながら、お葬式のことを思い出す。モーニングワークはまだ続いていて、それは生きているうちは続くものなのだと薄々わかりかけている。次の番が来るまでにどのくらい変われるのだろう。

 七回忌のときは異国にいた。十三回忌にはまだ間があるし、十という数字は仏教では関係がないと高を括っていたら、不意に足を掬われた。祖父の死から十年で死んだ父。それから十年目の秋。僕は僕自身の死と向き合いながら、その手前に横たわる此岸に思いを馳せる。まだまだ作業は続く。まだまだ生きる。

■Freitag,3,Oktober,2008

 姪に椅子を贈ることにした。姿勢のよい子に育ってほしいから。背筋を真っ直ぐ伸ばし、はるか遠くを見つめる目をもった子に。

 離れていても、あまり会えなくても、大切な次の人たちを育てるこころ。希望とか夢そのものである存在。子どもたちはすべて世界の宝物だから。そこに条件がつくことなどあり得ない。

 もうテレビは消そう。テレビを消して、自分たち自身のことばで子どもを愛してあげてください。

 

■Donnerstag,2,Oktober,2008

 昼の町中など通らないから、コスモスが美しく咲いていることすら知らずにいた。数日前山に降った雪はもうほとんど消えて、青い空の下、山裾がまるで望遠鏡で見た月面のように揺れていた。こんなふうにして、立ち止まらないでいるうちに季節は後ろに後ろに逃げてしまうよ。

 ところが夕方窓を開けて仕事をしていると、一匹の蚊が右手の甲に止まってチクッと刺した。川が近いからだろうか。非常な嫌悪感と、日本にもまだ蚊がいるのかという妙な感慨。この町の旧態依然とした部分が小さな吸血動物に化けて僕を襲う。

■Mittwoch,1,October,2008

 本場ドイツのオクトーバーフェスタは始まりが九月だというのを先日初めて知った。キッチナーとウォータールーは双子の町で、最後の年そこのオクトーバーフェスタのテントでビッグバンドの演奏を聴いたりした。ソーセージとキャベツの酢漬け。車だったから、ビールは飲めなかったけれど。肌寒い日。鮮明に蘇る記憶。

 予定時刻が5時から6時、6時から7時、そして8時へと。帰宅すると郵便受けに不在連絡票。ララ、ララ。La La means I Love Youを聴きながら、夜の暗い道を走る。このティーダ、今宵走行距離35000キロに到達した。世界を変えた愛すべきパンをのせて。