2008年9月               

■Dienstag,30,September,2008

 「夢のヒヨコ」を聴きながら物思いに耽る秋の夜。この半年でさまざまなことが変わった。よいこととよくないことの振幅が激しくなった。それはものごとを考えたり感じ取ったりするスパンが急に短くなったということかもしれない。パソコンに入っている古い資料の中には、今ではとうてい使えないと思うものがある。それは、かける時間が今と比べて長かったためだ。かつては、ひとつのものごとについて、もっと気長に、もっと悠長に取り組むことができたのではなかったか。昔はよかったとはいわないが、今がいいとはとても思えない。そんな状況からつかず離れずしながら、時代の海をただよいながら渡っていく。

■Montag,29,September,2008

 駒沢敏器の日記が終了した。二年間ありがたく読ませてもらった。しかし、この人自身は私的に日記を書く習慣がないらしい。これからもないだろうという。書くことで残し、次に進める感覚。僕がこの感覚を得たのは幸運だった。すべてはここから始まった。ここまでくると事実と虚構の区別さえつかない部分もあるが、ともあれすべての推進力として、自らが書いたことばがあった。

 資料はなんとか取り揃えたものの、到底満足のいくものではなかった。いくつかのアドバイスをもらいながら、情けない気持ちになった。もっと勉強しなさいということだと謙虚に受け止めよう。

 夜、二時間半の会議から戻ると、さらに別の会議が三時間。帰るともう十時を過ぎている。まだ月曜日。一生懸命やろうという気持ちはあるけれど、これでは身体がついていかない。結局のところ、身体を大事にするということはどういうことだろう。まずはゆっくりのんびりやろう。それが優先事項ではないか。

■Sonntag,28,September,2008

 早朝から仕事に出る。ついでにいくつか手続きを済ませたので、厄介なことにならずに終えられた。偶然、久しぶりに前の職場の人に会う。ゆっくり話すことなどできなかったけれど、元気そうだった。こちらのことはどう見えただろう。

 帰ると不在連絡票が入っていたから、すぐに電話をした。やがて届いた荷物に沸き起こる熱い感情。弱くて震えてばかりのこのこころを、きっと全部お見通しなのだろうと思った。

 明日の会議に持参する資料。やる気は起きない。それはある意味当然だと、開き直ってみようか。まだ中途ですとでも言ってやろう。もうなんだかそれでいいような気がしてきた。 

■Sonnabend,27,September,2008

 危うい。人を巻き込むべきではない。しかし一方で、巻き込まざるを得ない状況もある。危うさの少し先、ぎりぎりのところで生きる。ぎりぎりのところで、あたたかい声に救われる。人と人との結びつきの尊さを知る。

 夕方から出かけて、墓参した。墓石を洗って、花を供えた。十年経つ。この十年はその前の三十年にも匹敵する。亡き人々が生かしてくれている。ようやく確信がもてるようになった。自分の信じたように生きる。この先どれくらい生きられるか知らないが、この選択を後悔はしないだろう。同じように、けして誰にも後悔はさせない。

■Freitag,26,September,2008

 「最低」というのはどんどん更新される。きょうも最低の週末となった。初めての実践をした。イマージョンもどき。日本語から離れた一時間を過ごす。なんて恥さらし。そしてまるで効果なし。ど根性ガエルの町田先生のようだ。まったく。

 ひどい徒労感からやがて無気力へ。ほんとにご苦労さんなこった。自分への褒美に今夜はカレーを食った。頭脳労働というか、知的労働というか。多くの人々がそのような仕事を強いられる時代となって、悩みが増した。孤独の霧が立ちこめる。マニュアル人間などと若者が批判されるようになって久しいと思っていたけれど、マニュアルで間に合う職種なんていったいどこにあるのだろう。でも、そんなお気楽な時代を突き抜けて次にいけると思えば、フロンティアスピリットが疼くような心地もする。

 ほんとうに望むこと。仕事でもなく血縁でもない関係。近くにいて、互いに勝手なことを話せる関係。同じ方向を向いて、同じものをみて、同じものを食べて、安らげる関係を求めてはいけないだろうか。それを欲することは未だに不相応だろうか。あるいはもう無理なのか。それとも、自分には無理なのか。…考えるとまた「最低」が更新される。

■Donnerstag,25,September,2008 

 ぼやきを聞いてくれる人がいるかどうかで寿命は変わる。周囲からどんなふうにみえているのかわからないけれど、きょうは同じような声をかけてくれる人がふたりいた。そうなんですよ、参りましたよと笑いとばすと、少しは気が楽になった。だがかれらにしてもけして曇りのない空気の中を生きているわけではない。互いのつらさやりきれなさを取り払うための自衛策を取っているに過ぎないのだ。そうでなければ、何をするかどうなるかわからないから。職場にはこのように支え合う関係が必要だ。必要な関係がもてることの幸運。

 夜には早めに仕事を終えた。雨が降り出していたので、濡れながらの自転車となった。折りたたみ自転車には泥除けがないために、跳ね上がった泥が腰から背中にかけてをひどく汚した。初めてだ。思えば雨のときに自転車に乗ったことなどなかった。一風呂あびて洗濯をして、恒例となった従弟と叔母との会へ。韓国料理屋で辛いものを食いながら、おおいに飲んでおおいに笑った。その後はこれも毎回同じカクテルバーへ。この町に来てからの楽しみとなった。こういう集まりに参加できることもまたひとつの幸運。

■Mittwoch,24,September,2008

 最上階といっても四階だけど意外と高い。そこから下を見て少し怖くなることがある。飛び降りたらきっと即死だろう。少なくとも来年の三月まではここで過ごすことになるだろうから、それまでは特に気をつけなければならないと思う。衝動で動くことなどあまりないけれど、ないこともない。自分の命と引き換えにこの人たちが救われるのならと、本気で思うこともある。

 それが間違いだということはわかる。しかし、判断力は刻々変わるから、一寸先は闇である。死ぬか生きるかのぎりぎりのところで働いている自分。立ち止まると身震いがする。

 精神疾患が増えている。多くの人々が境界線に生きている。この業界だけではない。自分の周辺だけでない。それが当然という社会状況である。軽い気持ちで、日々何の悩みもなく働くことができたらどんなにいいか。しかし、それはもはや幻想。現代に生きることはかくも厳しいものなり。

■Dienstag,23,September,2008

 秋分の日。これからどんどん日が短くなっていく。日が短くなるにつれて太陽のありがたみが深く感じられるようになればよい。いまを生きていることのありがたみは、なかなか実感できない。しかし、立ち止まって周りを見れば、いまどれだけ希有な点に立っているかということがわかる。僕らがいたのは台風の目の中だったことを、これから否応なく思い知らされることになるだろう。と、そんなふうに悲観的な気持ちになったのは、ひとつの映画を観たからだ。救いようのない状況というのはほんとうはとても普遍的で、いまこの場所にも横たわっている。

 無力な我々ができることは、手をつなぐことだろうか。僕らは未だに、手をつなぐことすら上手にできないでいる。今夜、今まででいちばん長いことばを書きつづった。手をつないだら、これから来る嵐など乗り越えられると思ったから。

■Montag,22,September,2008

 明日も休みだからか、全体的に気持ちがのらない月曜日。次から次へと目先は変わるが、どれもこれも中途半端で徹底しない。同じことをして同じような状況でも、きょうが休みのところとそうでないところがある。おかしい。どこかごまかされている感じがする。しかし、労働に振り回される人生ではない。すべてを疑ってかかる姿勢を持ち続けたい。そうして、ほんとうに大事なものだけを信じて守りたい。つまり、これぞロケンロー、ということかな。

■Sonntag,21,September,2008

 明るいうちは一歩も外に出ずに過ごす。朝方ちょっと今週の準備をしてからは、本を読み、音楽を聴き、寝た。きょうの仕事が消滅したので、別の仕事を進めるつもりだった。でも、しなかった。ちょっと机上を片付けて、ゴミを捨てた。夜になってから出て、いくつか食料など買って帰ってきた。

 通信販売で、タイマーでしかもSDカードに録音できるラジオを買った。こういう機能があってしかも安価な製品は、不思議なことにどこの店を探しても置いていなかった。消費者が真に望む品物は、作ったり売ったりしたがらない。そこには絡繰りがありそうだ。

 

■Sonnabend,20,September,2008

 ありのままを受け止めるしかない。夢が実現する確率は、日常における生活力に比例する。だとすれば生活力の欠如がすべてに横たわる課題である。これについてそのとおりとしかいいようがない。

 挨拶もできない人間は、生き物として最低レベル。そんなふうな当たり前のことを学ぶ場所ではないはずのところで、毎日繰り返しても身に付かない現状とはいったい何なのだろう。

 方法が悪いと誰かが言う。もっと頑張れ。工夫をしろ。要領よくやれ。優れた実践から学べ。批判をあびると全部真に受けてやろうとする。だけど、ほんとうにおかしいのはどこなのか。

 根っこが腐っているということか。根っこが腐っているから、どんな道に進んでも大成することができずに折れてしまうのだ。それでは腐らせたのは誰なのか。腐った生き物がまた腐った生き物を生む。そうやって腐った世界が拡大されていく。そんな世界に何の用があろうか。

■Freitag,19,September,2008

 もう少し夢に遊ぶ姿勢があればいいのに、どんなことにも現実対応しようとするから角が立つのだろうか。縦横無尽に張りめぐらされた現実の編み目を突き破ったところに、ほんとうの楽しみや安らぎがある。そんなふうに考えるのは、むしろ現実をみていないということかな。今夜も少し反省。

 人生においてたいていのことは叶わない。しかし、運がよければ一度くらい本物のダイヤモンドを拾うこともある。それにしても僕は運がいい。錬金術は使えないけど、誰もがみすごす原石を気長に磨くことができる。そんな感じ。

■Donnerstag,18,September,2008

 思いがけぬところで恩師に会った。この春に定年で退職されてからは、どうしているかわからなかったけれど。不思議な結びつきを感じた日。長年仕事を続けて、定年を迎えて、それでも同じ仕事を続けたいと思う気持ちはどんなものだろう。そこまでの情熱をはたして自分はもてるだろうか。

 

■Mittwoch,17,September,2008

 おもしろい話を聴いた。当たり前のことを当たり前に説明されるのだが、その話の密度の濃さに圧倒された。あのようにして全国行脚しながら当たり前を説いている先生がいるのだ。きっとあのような人たちが何十年もかけて日本を変えていくのだろう。

■Dienstag,16,September,2008

 連休明けの通常業務。とはいえ、もはや通常自体の概念がよくわからなくなっている。それほどまでに、通常通りのことを行えないのがいつもの日常。何の変哲もない日々を送ることが難しい。その日々を普通と呼ぶならば、そこよりいちばん遠くにある状態と言っていいかもしれない。

 特急とは特別急行の略だったか。なんだか毎日新幹線に乗っているようなもので、ゆっくりと普通の電車に揺られることなど、もうできなくなったということか。沿線には大切なものがもっとたくさんあるのではないか。それらに目もくれず、僕らはどこへ行こうとしているのだろう。

■Montag,15,September,2008

 昼に帰宅してから布団を干した。秋とはいえまだまだ日中は暑かった。また昨日と同じような過ごし方になった。

 夕方から少し散歩に出た。秋祭りだからか、暗くなってから街に出る人がたくさんいた。花火が散発的に上がっていた。久しぶりにみるこの時期の花火は、あえてじっとみていようというほどきれいには感じなかった。

 散歩の途中でメールが届く。見知らぬ冬の街を想像しながら歩いた。

■Sonntag,14,September,2008

 連休とはいえきょうも半分は仕事だった。仕事から帰るとラジオを聴きながら、だらだらと時間を費やした。せっかくの三連休が当たり前のように仕事なんて。そのことに疑問をもつのは自分だけではないだろう。

 外には中秋の名月がぽっかり浮かんでいた。きょうはきょうで相手の気分を損ねるような電話をしてしまった。仕事の愚痴なんかやめて、旅や映画や本や音楽の話ができるといい。そのためにはやはり散歩が必要だし、歩く速度で周囲をみる余裕が欲しい。

 

■Sonnabend,13,September,2008

 爽やかな三連休初日になるはずが、仕事帰りにたまたま取った電話の応対に1時間も費やされることになった。しかし、いちいち感情を介していては身がもたない。こちらは単なるオペレータであり、機械の一部として取り次ぐだけ。そのように考えると楽だ。こんなことは、自分の人生とはまったく何の関係もないことだから。

■Freitag,12,September,2008

 金曜日ともなると、疲れのためか判断力が鈍る。気持ちの抑えがきかなくなって怒りが爆発してしまう。きょうはたまたま手元にあったプラスチックの籠が犠牲になった。しかし丈夫なもので、ばらばらになった把っ手を付けたらまた元通りに直った。泣いても笑ってもこれで今週は終わり。また仕切り直しだ。真夜中のスーパーで買った半額の総菜をつまみに、缶ビールを空けた。これが週末の夜のすべて。

■Donnerstag,11,September,2008

 7年前のことは覚えている。その頃僕はこの町の西にあるアパートに住んでいて、フローリングに直に置いた29型のブラウン管のテレビを見ていた。まだまださなぎのようにふにゃふにゃだった。生活などというものは何もできあがっていなかった。世界と自分の結びつきなどなかった。だから、悩みさえしなかった。というより、悩み自体がまだ殻の中だった。まったくもってお気楽に、弱々しく日々を生きる虫のようなものだった。

 そんなふうに、以前の自分の輪郭がぼやけてみえるのはなぜ。

■Mittwoch,10,September,2008

 錯綜する日々。夜には夜で車を出して行ったり来たり。気がつくときのうの時間を過ぎている。こうして水曜日も終わり。何をしたいのかすらよくわからなくなってくる。そんなことより寝たほうがよくはないかと思いつつ、夜中の国道を飛ばしてCD屋に向かう。

 楽しみにしていた鈴木祥子は売り切れ。代わりにスガシカオを買った。

 

■Dienstag,9,September,2008

 飛ばし過ぎの月曜より少しだけ帰りが早かった。湿度が低くなったとはいえ、まだ気温が高く、疲れや眠気が誘発される感じだ。

 ラジオ以外何にも接しない日々に届く一通の葉書。手にして、文字を読むと、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、身体の中の何かが文面に引き込まれる心地がする。これが引かれる力なのか、引き合う力なのか。いつまで与えられている命かわからないけれど、もう戻ることのできない道を歩いているのならば、この縁を大切にしたいと願う。

■Montag,8,September,2008

 仕事について言えば、これでもかと別のことがやってくる。処理能力を上回る要求。まるで代謝のように新しいものを入れては古いものを出して生きている感じ。ストレスを溜め込むよどみすらどこにもないようだ。しかもまだ月曜日。

 しかし、そんな日でも、いつの瞬間でも、寝ても覚めても、ひとつのことに関する回路は動き続けている。胸の中に満ちているこの気持ちこそが生きているという証であり、明日も生き続ける理由となる。仕事にかけるエネルギーなど足下にも及ばないほど、この感情が命のすべてを支配している。

■Sonntag,7,September,2008

 朝には仕事。時間で職場を後にして直接進路を北へ。高速道路の途中で雨が激しくなる。目的地付近に警報発令。しかし、あまり心配はしない。こうして、約束どおりに動いて約束どおりに会えることがうれしい。

 傘をさし、横顔がちょうど見える位置に立って法話を聴く。法話が終わるとたくさんの人があっという間にいなくなった。宝物館を見学し、本堂をお参りする。土産物屋のおじさんの言葉は半分も聞き取ることができなかった。麓のかつら庵という店で蕎麦を食べ終わった頃には雨もすっかり上がり、日が射していた。滴生舎で漆の展示を見学。漆の盃に入れると酒の味がうまくなるという。車の中と、国道沿いの喫茶店で、バスの発車時刻まで時間を過ごした。ほんの五時間ちょっとの旅。ほんとうはもっと長い旅がしたい。たえず旅をし続けていたい。

 

■Sonnabend,6,September,2008

 相変わらずの湿度。そして気温も上がり真夏日にまでなった。爽やかな秋風など期待するなら、山に登らないといけないのかな。それか北に行くかだ。快適な場所はだんだんに少なくなっていく。

 午前中は仕事。午後はだらだらと過ごしてしまう。疲れをとるのが先決と思い、安静に過ごす。夜には、明日のことを少し確認してから散歩に出る。夜風は涼しいかというとそんなことはなく、真夏の夜とまったく変わらない。

 明日への期待が膨らむ。まるで一週間の旅に出る前と変わらないほどに。

■Freitag,5,September,2008

 ストレスがない状態は死だ。以前一緒に稼いだ人が、よく言っていたことだ。人は適度のストレスを抱えることで先に進む意欲を得るのかもしれない。プレッシャーやコンプレクスとも近いような気がする。追い立てられる生活の中で苛立つ人々を目の前にすると、かれらには深呼吸が必要と感じる。目を閉じて呼吸を整えさせる。あくまでも穏やかな声で、急かさずに、ゆっくりと待つ。週末の最後のひとときを落ち着いて締めくくることができたら、また来週いいスタートが切れるのではないだろうか。

 それにしてもこの湿度。高温多湿の地球で、これからどんな生き物が生まれ育っていくのだろう。

■Donnerstag,4,September,2008

 あれこれと重なる。重なれば重なるほど、重みによって全体は押しつぶされて、ひとつひとつは薄くなる。しかしいま、密度の濃い毎日を過ごしているといえるだろうか。同じ時間しかない。同じお金しかかけられない。同じ人間しか携わることができない。その中で精一杯できることとは何。

 今朝徒歩で出かけたのは、晴れると見込んでのことだ。誰もいない暗がりの公園のベンチに座り、夜風に当たりながら電話しようかと考えていた。僕の生まれた病院は移転して、その建物はもうずいぶん前に取り壊された。そこには樹木が植えられ、小高い築山が作られて、ようやく風景として馴染んできたこのごろ。それは意味のあることに思えた。しかし、帰る頃には雨。しかも時間も遅くなって、計画を実行できずに帰宅した。

 でも、この日のほんとうに濃密な時間は、その後に訪れたのだった。こんなにも地獄と天国を行ったり来たりする自分は、客観的にみてかなり滑稽だ。

 

■Mittwoch,3,September,2008

 右肩が痛くて首を回せない。後ろを振り向くことができない。こういうのを四十肩っていうのかな。たまにそういうことはあるけれど、なるほどそのわけがよくわかった。病院に行くほどではないが調子が悪かったり、何らかの症状が出たりすることはあるよと言われた。その声は、「休むな」と同義に聞こえた。

 目の前の人々をみていて、この人たちがいることはほんとうに奇跡なのだと、深く思った。目に見えないつながりがかれらの背後にたしかにあって、かれらはやっぱり守られているのだ。

 激情にきょうも震えた。あらぬことを高く喚いた。もう去りたくも逃げたくもない。もっと側に寄って、見えなくなるほど近づいて、粒子となって拡散したい。休息などない。終わりなどない。そしてこの痛みもじきに消えるだろう。

■Dienstag,2,September,2008

 不快な蒸し暑さが一日続いた。ひとつひとつは小さくても、一度に積み重なるとさばくのにはエネルギーが要るし、時間もかかる。体力面においてのみいえば、すでに続ける資格を失っているのかもしれない。

■Montag,1,September,2008

 未明には残っていた雨が明け方には止んだ。降り続けてほしいというのは、変化を恐れる臆病なこころ。始まってしまえばきっとすべてがうまくいく。誰かの不安を取り除くには力が要り、時間がかかるものだ。

 同じ乗り物に乗って、同じ方角をみて、僕らは進んだ。山の麓に辿り着き歩き始めた頃には、青空も顔を出していた。差し込んできたのは秋の光。そして、ほんの一瞬、雨のリボンが山にかかっているのを見た。それは希望の色をしていた。おだやかなしあわせの予感があった。こころを信じてみようと思った。