2009年4月               

 

■Thursday,30,April,2009

 朝から晴天で、歩くには少し暑いくらいだった。家を出てからハンカチを忘れてしまったことに気づく。こういう日に限って、そうである。昼休みを挟んで4時間の年休を取った。まずはコンビニに寄ってハンカチを買い、目的地へと向かう。待ち合わせには少し早かったので、川沿いを歩いたりベンチで休んだりした。そして一枚だけ写真を撮った。役所裏の桜の花はまだ枝に残っており、わずかに小さな葉っぱが出始めていた。

 手続きには20分くらいかかった。早口でさまざまな確認をしながらそそくさと駅までのバスに乗る。窓から見る春の平日の昼間の町中は輝いていた。淡々と、しかし一つ先に歩み出した。この日は大きな記念日となった。今朝のラジオによると、きょうは図書館記念日なのだそうだ。ある意味相応しいかもしれないね。何をするということもないけれど、記念日は大事にしたい。この日のことをいつまでも忘れたくない。

 その後は駅の地下でひとり蕎麦を食べ、徒歩で帰宅。せっかくだからと時間までゆっくりコーヒーを飲みながら暇をつぶし、仕事に戻った。

■Wednesday,29,April,2009

 ご先祖様お二人の年忌があって菩提寺へ。一人は百回忌で、もう一人は七十回忌。今となってはその戒名からしかその人となりを推し量ることはできない。けれど、この方たちのお蔭で今の我々があると思えば、どのような人物であったかを俟たずしてじゅうぶんにありがたい存在なのである。

 朝から気持ちのよい天気だった。法要の後に墓所に参り、真新しい卒塔婆を立てた。そうして、古い卒塔婆を全部持ってもう一度寺に戻り、返してきた。山がきれいに見渡せるくらい晴れて、清々しい気分だった。

 寺では住職のご母堂様と話した。80歳を過ぎて、見るものすべてが愛おしく感じられるようになったそうだ。さまざまなつらい体験をされたが、それらを乗り越えて穏やかで素敵な日々を過ごされているとのことだった。不惑を過ぎたとはいえ、自分は毎日惑ってばかりだ。見るものすべてが愛おしく感じられることもたまにあるが、それは一瞬のことである。見るものすべてが憎らしく感じることもあるし、在るものや起きることの意味が分からないときもある。とにかくたいがい負の感情を背負ったままで、心が許されていないのだ。

 いつか自分も彼女のような境地に辿り着けるように、明日からあかるく生きよう。

■Tuesday,28,April,2009

 左耳の違和感が増してきたので、終わり少しだけ休みをもらって病院に行った。一昨年の症状と同じで、左の聴力がかなり落ちていた。前のように薬での治療をすることになった。周りがうるさいと気にならないのだが、静かな部屋にいるときにはポーと低く聞こえてくる。原因は思い当たらないのだけど、「ストレスあるんじゃない?」と言われた。以前と比べれば屁とも思っていないつもりが、それでも身体が素直に反応してしまうとしたら、ずいぶん弱い。ちょっとがっかりだ。

 

■Monday,27,April,2009

 怒り爆発。どうしてこんなに辛辣な言葉が次から次へと飛び出すものか。自分でも呆れるくらいである。きょうは雨が降っていて、湿度の関係か、喉の調子が良くて発声しやすかったことも輪をかけた。不快であることは間違いないのだが、その気持ちを解放するところに、ある種のカタルシスを感じる自分もまたいるのである。これはとても嫌らしいことではあるが、不快しかないのなら僕はとっくにこの仕事からは離れていただろう。

 音声は空気に紛れてしまい、消え去るのみである。聞く者の心にどれほど刻まれるのかはわからない。仮に刻まれたとしても、それがその者の口から誰かに語られなければ意味がない。そのような言葉を吐かねばならない。

■Sunday,26,April,2009

 朝から晩までほとんど部屋にいた。風呂に入ったり、料理したり、テレビを見たり、ラジオを聴いたり、コーヒーを飲んだり、ネットを見たり、新聞を見たり、本を読んだり、寝たり、掃除したりした。音楽を聴いたが、少し耳の調子がおかしくてあまり楽しめなかった。仕事をしなければならないと思いながら、どんどん先送りをしているうちに夜になった。天気も悪かったし、そういう日があってもいいけれど、過ぎた時間は戻らない。

 掃除をしたらゴミが出た。ゴミを出し、その足で近所まで買い物に出ることにした。小屋のカギを開けて、ゴミを置き、傘を差してしばらく歩き、店に着く頃になって財布がないことに気づいた。俺としたことが。部屋に戻って財布を探すが見当たらない。ゴミといっしょに捨ててしまったか。「まさか」である。いくら間違っても俺がそんなことをするわけがない。しかしきょうはその「まさか」に確信がもてなかった。捨ててしまったとしてもおかしくないほど、無意識に無防備に行動していたのだった。いままではこんなことなかったのに。

 最後にもう一度室内を隅々まで探すと、なぜかクローゼットの籠の中に財布があった。そこに置いた記憶もまったく残っていない。何だかひじょうに疲れて、そのあとは何にもせずに寝てしまった。

■Saturday,25,April,2009

 朝から仕事だったが、仕事というほど中身のあることはしていなかった。だいたいは動きがなく、止まった状態だった。立場を守ることに固執すればもう少し見栄を張ってできるだろうし、いかにも自分がやりましたとすました顔をしていることもできるだろう。多くの人たちはそうやって何も変えずにやってきた。

 一年前に学ばせてもらった初老の大先輩をきょうも目にしたが、相変わらずの姿だった。僕がするべきことは変化してきており、一年前のやり方は通用しない。進化と呼べるかわからないけど、今まで通りではダメだと思ってしてきたことだ。それは取り込むことではなく切り離すことであり、取り込まれることではなく切り離れることだった。本来やるべきことに集中する環境を作り出すにはそれが必要だったからだ。世の中には優れた人たちが大勢いる。その人たちの力を頼まない理由があるだろうか。

 

■Friday,24,April,2009

 二晩続けて飲み会だった。それも余裕のなさの一因ではある。だが、大事な会と思うから断ることもない。そして、参加すればそれなりに意義が実感できる。それにしても、いろんな人がいる。それはいろんな人生があるということでもある。常識的な考え方もあれば、常識にまったくとらわれない考え方もある。それぞれの考えでそれぞれの人生を構築し、考え方の異なる人々が共に社会を構築する。おもしろいことだ。

 そうして僕自身に目を向けると、もっと胸を張っていいのだと思う。身の置き所がないようなこの感覚がつきまとうのはなぜ。居心地の良さを決めるのは自分だから、気のもちよう一つでどうにでもできる。たしかにそういう面もある。けれど、そうとばかりも言えないよなと、煮え切らない部分を引きずっている。

 

■Thursday,23,April,2009 

 内田樹氏のブログを読むと、仕事ができる人は凄まじい勢いで動いていることがわかる。もちろん頭脳ばかりではなく、たとえばキーを叩くのだって目にも留まらぬ速さに違いない。時間がないというのはできない人の言い訳で、ほんとうは時間なんてなんぼでも作り出せるのだ。こういうふうに圧倒的な生き様をみせつけてくれるのが、オピニオンリーダーというものなのだろうか。同じようにできるわけはないけれど、せめて「あやかりたい」くらい思わなければ読み手として失礼だ。微力ながらも暮らしに活かしていけるといい。

 氏が結婚について書かれたのを読んで共感したところがある。いや、正確には共感というのとは違うかな。でも大切な要素が含まれていると感じた。どう考えても不満のない生活などあり得ないだろうし、こんなはずじゃなかったということも山ほど出てくるはずである。それでも人生の時間を共有する価値はあるという判断は、自分の潜在可能性を信じるからだ。それを開かせてくれるだろうと思える相手と巡りあえたとすればそれはすでに大きな力だろうと思う。求められるのは日々の努力である。

■Wednesday,22,April,2009

 次から次へとやるべきことをこなす日々。ひとつひとつ吟味する余裕はない。だから、作った文書もろくに見直さず、後からミスが見つかったりする。見直す余裕がないなら一回で決めればいいことなのだが、それができないということは詰めが甘いのである。詰めが甘いから余裕がないとも言える。反省しなくては。

■Tuesday,21,April,2009

 知人の義理で、新聞を新しくもう一紙取ることになってしまった。三か月の期間限定で料金もそちら持ちということだからこちらはどこも痛まない。何より二紙を比較してより多角的に情報をとらえることができるわけだからたいへん喜ばしい。と前向きに書いてみるものの、今でさえろくに読みもせずに重ねている状態なのに二つも読めるのかと思うとちょっときつい。頭上から、生活を改善しなさいという声が聞こえてくる。これはきっと神様の啓示に違いない。

■Monday,20,April,2009

 コンビニで買ってきたパスタを食べた直後に気持ちが悪くなってすべて戻した。実に素直な反応だと思った。体調などではなく、食べたものに身体に悪い何かが入っていたからだろう。気をつけたい。

■Sunday,19,April,2009

 七時過ぎに旅に出た。この時間なら混んではいまい。せっかくの旅だからと公園内をゆっくり歩く。縁がないなどといいながら、花見に拘る嫌らしさ。満開の桜を背景にして記念写真を撮っていたのは、アジアからのおそらくは研修生の娘たち。青いビニールシートの真ん中には胡座をかいてマンガを読んでいるひとりの青年。ぼんぼり型の電灯と酒のにおいと青いビニールシート。花見のイメージはこれらに集約される。通り過ぎるだけで吐き気を催しそうになる。

 行きはバスに乗ろうと思った。始点の停留所までの道すがらところどころで立ち止まって春の写真を撮った。最寄りの停留所から目的地のもう一つの公園までは徒歩で15分ほど。歩道橋のコンクリートの床が、全く補修されておらずぼろぼろに壊れたままだったのを発見した。見えないところに手が回らず、歩行者たちはないがしろにされる。これはどこの仕事なのか。騙されて人々は車にばかり乗りたがる。排気ガスを撒き散らしながら、もっと遠くに行きたがる。どこかに金が流れる仕組みがまんまと出来上がって、笑いの止まらない人と仕事を失う人が出る。

 3時間半ほど直立して声を嗄らすほど叫んだ。これは旅を味わうためのスパイスのようなものだ。花見日和の公園にはたくさんの人が出て、思い思いの休日を過ごしていた。僕は完全に仕事の服装で、誰から見ても仕事をしているとしか思えない姿で、心は旅の中にいた。足下の埃で黒靴が茶色になった。

 帰りは電車に乗るつもりだった。線路伝いの道を歩くと、懐かしい光景が広がっていた。以前この近所に住んでいたのだが、その頃のことは遠くなった。けして悪い場所ではないけれど、占い師がみたらきっと僕にとってはいい土地ではなかったのだと言うだろう。今ではそこに新しい駅ができて、街の中心までも近くなった。電車の窓から以前住んでいたアパートを見た。まだ顔のない若い僕がベランダで洗濯物を干していた。彼にさよならを言った。

 先日二度と来ないと誓った駅ビルに舞い戻る。買うつもりだった小物と昼飯のサンドイッチを買った。誓いはいとも簡単に破られるものだ。デパートで新しいシャツを買って帰宅すると旅は終了。

 風呂に入ってさっぱりし、昼飯を食べてのんびりし、一眠りしてから仕事に出かける。車に乗ったらどこも渋滞で遅刻した。読みが浅かったというより、実をいうと寝過ごしたのだ。仕事は2時間半続いた。終わるともう夜だった。昼間の熱がまだ空気に籠っていて、散歩したい気持ちが少しあったがやめた。旅と仕事の日々は終わりだ。そしてもう週末は永遠に来ないかもしれない。音楽を鳴らし始めると時間が止まった。

 

■Saturday,18,April,2009

 駐車場の桜の木の下で桜の花の匂いをかいだ。不思議なことに花に顔を近づけてかぐよりも、少し離れたところでかいだ方が匂いが強く感じられた。間に風が吹かなければダメなのだ。空気の流れがなければ感覚は働かないのだ。近所には花見の名所がいくつかある。しかしこの時期は混むので行かない。だから名所での花見とは無縁だ。日中は仕事で少し動いた。帰るとだらだらして、うとうとした。先日電話をよこした首都圏のマンションのセールスが何度もしつこく電話を鳴らす。呼び出し音が3分続くのは尋常でない。うるさいので音を切った。

■Friday,17,April,2009

 とある会で和気藹々と飲む。これまで苦労させられてきた人たちとは違うほっとするほど感性のわかる人たち。普通に暮らせる町に辿り着くのにはこんなに時間がかかったか、みたいな感覚。しかし、そう思った時から自分の気持ちは残念ながらここを離れていかざるを得ない。安住には何の意味もないから。ぶっ壊すことを考える。原野に自分で小屋を建てることを考える。他人のビルの上の小屋でいつまでも寝起きしようとは思わないのだ。

 

■Thursday,16,April,2009

 夕方から短い出張があったので車で出かけた。山がきれいに見える日だった。ここでも桜はほぼ満開になったようだ。だが夕方などは少し肌寒い。こういうのを花冷えというのだろう。気分が良くて歩きたくなったので、帰ってから散歩に出た。駅までの道を歩く。だが、駅ビルに一歩入ると気持ち悪くなった。夜の子供の大群は吐き気がするほど気持ち悪い。ほんのちょっと買い物をするつもりだったのだけれど、もう二度と来るまいと誓って駅を後にした。スーパーで味噌を買って帰った。

■Wednesday,15,April,2009

 二月ぶりの三人会があって飲んだ。毎月一回の定例のようになっていたが、先月は予定が合わずにできなかったのだった。何も考えずに笑いながら飲んだ。面倒なことを言われることもなく、何の気も遣わずに飲みたいだけ食いたいだけ。こんなふうに難しいことを考えずに楽しめる機会があるのはありがたい。

■Tuesday,14,April,2009

 サンボマスターってすげえや。この密度の濃い作品群は何なんだ。かなり衝撃的。こんどCD買おう。

■Monday,13,April,2009

 爽やかな月曜日。去年の困惑を思うと順風満帆に走り出した感がある。仕事が人を作るというけれど、順調なときに成長などしないものだ。そして明日にはどういう風が吹くかはまったくわからない。苦あれば楽ありとはよくいったもので、すべては波の高低で表すことができる。高ければ幸福で低ければ不幸か。はたまた得れば幸福で失えば不幸か。自らが波になればいい。波に悲しみも不幸もない。止まっていれば落ちる涙も、走り出せば振り切れる。

 ずいぶん前向きなフレーズ。しかし、いつでもどこかに罠が仕組まれていないかと疑いながら暮らす自分。だから、いつまでたっても心に真の平安は訪れない。しかも、甘えを処理する隙間はどんどん狭まってきた。どうもすべてを昇華させるしか僕の生きる道はなさそうなのだ。

■Sunday,12,April,2009

 野菜を買いたかった。そこで思いついたのが朝市に行くことだった。年間三百日というのは全国一らしい。定休日の月曜以外は毎日開いているという。場所は知っていたが、買い物に行ったのはきょうが初めてだった。

 六時前でも人は多かった。「ご利用ご利用!」という威勢のいいかけ声があちこちから聞こえてきた。ある店の前に行列ができていたので何かと思ったら餅屋だった。野菜は地物から関東産までさまざまだった。品数が豊富で値段も安い。店のおじさんおばさんも親しみやすく、気軽に言葉を交わすことができた。活気があり、そしてひじょうに田舎くさかった。昨夏に歩いたルアンプラバンの朝市を思い出した。所変わればたしかに品も変わるけれど、全体の雰囲気は似たような感じだ。どこの国でも市場を歩くのはおもしろい。新しい発見。これからお世話になるかもしれない。

 日曜日はほとんど家にいて、結局三食作って食べた。最近は外食はよほど高級なもの以外はうまい物がないような気がして、それなら部屋で食べようということが多くなってきた。同じような物を三食。それもどうかと思うけど。

 

■Saturday,11,April,2009

 朝日が射すと六時前からもう暖かく感じられ、思わず布団を干した。掃除洗濯をして、根菜の味噌汁と卵焼きの朝飯を作った。コーヒーを飲み、爽やかな土曜日の朝をゆっくりと過ごしてから仕事に出かけた。職場では机で少し文書を作ってから外に出た。夕方までの立ち仕事も暖かいので苦にはならない。得意ではないけれど意欲をもって取り組んでいるからそれなりに成果もあがってきた。仕事だから当然だし誰も取り立てて評価しないけれど、けして逃げないところがいいと自分では思っている。このスタンスはいつでもどこでも変わらない。たとえどのような人々に囲まれていたとしても。

 先日まで同僚だった人の新しい仕事先が決まったと聞いたのでとても嬉しかった。そして、それは誰にとっても喜ばしいことであると思い込んでいた。経験の有無や年齢がどうであれ、僕らの仲間の一人の進路が定まったわけだから。そこである人にさっそく話したら、予想外の冷たい反応が返ってきた。話すんじゃなかったと後悔した。てっきり「それはよかったね」という一言があるものと思っていたから。たしかにその人の経験のなさから周囲が苦労させられた部分もあるかもしれない。けれど、そんなことなど関係なしに、よかったと喜び合いたかった。ただそれだけだったのに。なんだかとても残念だった。

 

■Friday,10,April,2009

 要するに喋り過ぎるのである。これではいつまでも私語の止まない子供たちと大差ない。心に届く言葉だけを、時空を超えた価値のある言葉だけを話したいのに。すべてが無駄な枝葉ばかりのような気がして、自己嫌悪に陥るのであった。自分という存在の根っこにあるものが何なのか、まだ一つも解っちゃあいないのだ。

 きょうも暖かい一日で、窓を開けると周辺の低木には芽が吹き、梅や連翹も開花し、一気に春が咲き始めているのを感じた。この陽気なら桜も今週末には咲きそうだ。公園で日向ぼっこしたら、気持ちいいだろうなあ。

 歯医者だったので、明るいうちに職場を去った。長い一週間を終えて、束の間の自由時間に入る。ここ数日は、胃が痛く、食欲も少なかった。これまであまりそういうことはなかった。これも老化のひとつだろうか。ともあれはじめの一週間が終わった。悪い感じはしない。夜には古本屋に行って、安い文庫ばかり三・四十冊買った。ちょっとくらいそんなことをしたって構わないだろう。

■Thursday,9,April,2009

 失敗と呼ぶにはあまりに小さな、誰の目にもそうとは映らないほどの微小なミスではあるが、年とともにその傾向が強まってきていると思うと、本人としては空恐ろしく感じられる。どうも抑制が効かなくなっているようなのだ。心の箍が外れるとでもいえばいいだろうか。一度そうなると、わかっていても元には戻せなくなる。

 春の夜、満月を仰ぐと落ち込む気持ちは瞬時に褪めた。ただ週の疲れがきているせいで、歩くのがもどかしかった。沿道に設置されたベルトコンベアに乗って移動できたらいいのになどという想像をした。

■Wednesday,8,April,2009

 暖かい一日だった。しかし、建物の中にいる間はそのことに気づかなかった。部屋によっては暖房を入れたくなるほど寒かった。この古いコンクリートの箱は、ただの箱として設計され、人間の生活する場所としての思想があまりに希薄である。ほんとうなら僕らの仲間の幾人かが設計を担当すべきだし、建築の仕事はもっと細分化されていなければならないはずなのだ。それが一律に、大雑把で同じようなものになったのは明らかに文化の後退だ。

 朝、歩いていたら交通ルール違反の大人たちがたくさんいていやになった。守っている方が少数ではないかというくらいだ。交通の話と限定しても、どうしてこんなに基本のなっていない大人たちが多くなってしまったのか。今となっては、子供より大人の方が、教育の必要がありそうだ。

■Tuesday,7,April,2009

 楽しさはそれほど続くものではない。楽あれば苦ありである。それもまた大きな楽の一部であると考えれば、必要なことだ。何のための練習か、ということを考えさせられた。本番をよいものにするためであることはいうまでもない。だから、本番がうまくいかなければ練習の意味はない。いくら時間をかけても、何の意味もない。毎日が練習の日々。それにも関わらず、無為に過ごしてしまう日の何と多いことか。

■Monday,6,April,2009

 春の一日となった。春とはこんなにも騒々しく、楽しいものであったか。ひじょうに疲れて、声もかすれるくらいだったが、動きのない会議会議の毎日より100倍おもしろい。そしてここ何日かのストレスというものがたまっていたのだとわかった。夕方になるとすぐに眠くなった。飛ばしてはいけない。ゆっくり走ろう。日常というのは何の変哲もない一日の連続だから。思いつきや自己流のやり方ではなく、いいとこ取りの寄せ集めでもなく、スタンダードでオーソドックスな方法を大事にすること。かけがえのないこのわたくしの価値は、その中にこそある。

■Sunday,5,April,2009

 書類などを整理していると昼になった。ときどき腹がきりきりと痛んだ。ラジオを聴いてから、薬を買いに行った。ニュースでは飛翔体という聞き慣れない言葉が飛び交っていた。飛翔というのは、素敵な言葉だと思っていたのに、こんな使われ方もするのか。世の中ばたばたしている。思うつぼにはまっているのでは。

 夜、仕事関係の雑誌に目を通していたら、気持ちが引き締まった。以前の文書を焼き直して使うつもりだったが、大幅な手直しが必要だった。目の前の実態に即して考えると、内容があまりに漠然としていると感じたのだ。どれだけ具体的な目標を立て、どれだけ具体的に行動していくか。今年度の大きなテーマとなりそうだ。

■Saturday,4,April,2009

 朝いちばんに床屋に行く。理容師さんは話がおもしろい人で、僕にしては珍しくずいぶん笑わせられた。見たことのある人だと思ったら、前に行ったことのある少し離れた支店から転勤して来たということだった。昨夜のアルコールがまだ完全には抜けておらず、ふわふわとした感覚だった。飲み会明けの休日を有効に使うつもりでこの時間に予約を入れていたのだったが、少なくとも一日の始まりとしては悪くなかった。終わるとデパートの開店時間だった。上の階から少しずつ眺めて歩いても買いたくなるものはなかった。胃の調子が悪くて何も食べたくないから、地下に寄らずに帰ってきた。なぜかコーヒーも受け付けない。

 荒れ放題の部屋を片付けるつもりだった。年度末にやるべきだったが、時間が取れなかったからきょうになった。床や窓に雑巾をかけたり、ごちゃごちゃとなった配線をまとめたりした。テーブルの位置を窓の近くにずらしたら、ひじょうにすっきりとして部屋全体が広くなった。押し入れの中身を片付けたら、箱がいくつか余った。

 一日かけて掃除したら疲れた。それにどうも腹が痛い。この間まで流行していた胃腸炎にかかってしまったかもしれない。

 

■Friaday,3,April,2009

 きょうまでは準備作業がほとんどなのだが、朝には仕事に行きたくないと思った。普段はこういうことはないのだけれど。この現象は、自分の苦手な部分がどういうところにあるのかを示している。二つあった会議のうち一つはひじょうに和気藹々と進んだので胸を撫で下ろした。しかし、二つ目の会議になると息が詰まるような緊張感が走った。何が原因かはわかったが、たいしたことのない些末な部分だと思った。

 今年度の自分の役割がどういうところにあるかということを、何となく予感させる展開であった。またしても僕は人と人の間に入ることになるだろう。繋がらない人々をどうにかして繋げていくことが強いられるだろう。これは運命か。

■Thursday,2,April,2009

 花巻東高校が甲子園で準優勝。県勢初の快挙である。優勝した清峰高校とともに、選手たちがすべてその県の出身者だったというのがいい。全国から選手を集めて野球ばかりやらせているような強豪校など、いくら野球が強くても教育機関としては終わっている。勝ち負けに拘るのは当然だとしても、それだけではおもしろくない。学生が野球しているというのが、高校野球のおもしろさの原点ではないかと思う。

 ところで、試合に負けたという情報はどこからともなく伝わって来て、その場の人々が皆一様に悔しがっていた。「勝ってほしかった。ここまで来たら勝たせてあげたかった」 勝負だからどちらかが勝ってどちらかが負けてしまう。準優勝というのは誰がみても立派なのだけれど、それに対する喜びよりもまず悔しい感情が勝ってしまうのはなぜだろう。一回戦で負けるときとは違う激しい感情が湧くのはなぜだろう。不思議だ。

 

■Wednesday,1,April,2009

 新年度が始まった。昨日までとは違って、一日の長さが三倍くらいに長く感じられた。毎年のことだが四月は長い。長いのは受け入れつつ、疲れを溜めないように少しずつ、一つ一つを丁寧に進めていくことにしよう。


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