2009年8月               

■変革/Monday,31,August,2009

 党首たちの討論番組を見て、あれこれと考える。昨日の選挙の結果は民主党の圧勝だった。これまでの与党不信が表れたのだろうが、思えばわずか4年前の選挙では自民党に大量の得票があったのだ。われわれ国民は実に現金なもので、あるいは、流行を追うのが好きなのか、まるで踊りを踊るように一方向に靡く傾向がある。

 政権が変われば幸せになるというわけではない。「○○しさえすれば」という発想は安易である。その次にはまちがいなく失望が訪れる。政治頼みの国民生活ではあるけれど、ほんとうに変わらなければならないのは僕らひとりひとりの意識だろう。それを変えようともせずに、政権だけすげ替えたとしても、何も変わらないのは目に見えている。 

■休み/Sunday,30,August,2009

 早起き。味噌汁と野菜炒めを作って朝食。部屋の掃除や洗濯、布団を干す。片付けていると昼になる。車で、産直をいくつかめぐる。最近の休日は、遠出をするほどまとまった時間が取れないので、近くの産直めぐりで終わってしまう感じだ。ここで一週間分の生鮮食料を確保する。きのうきょうはまとまった時間が取れたにもかかわらず、同じような休みとなった。

 季節はすでに実りの秋。きょうは果物がいろいろ出ていた。早稲の林檎や葡萄や梨が並んでおり、それを目当ての客がどの店にも押しかけていた。林檎の試食に群がり、レジには長い列ができていた。

■休み/Saturday,29,August,2009

 休みだと思うからか、身体も気持ちもだれ切ってしまい、思うように動かない。何もまとまったことをしないうちに午後になってしまう。出かけたい気持ちが顔を出す。冬物を取りに実家に戻る。それだけ。

 

■生き地獄/Friday,28,August,2009

 インフルエンザかわからないが不調を訴える人が続出した。そのため土日の予定はすべてキャンセルとなった。公的にはひじょうに残念なことではあるが、私的にはこれほど嬉しいことはない。休日が休日として休める。しかも二日間も。今週末だけは当たり前に過ごせる。新型の流行はある意味福音かもしれない。

 同僚とこんな話をした。まだ週休1日だった時代には、土曜日も午後まで働いて、日曜も仕事の日が多かった。しかし、今と比べるとそれでも十分休めていたように思う。なぜ今は二日間も休みがあるのに、休み足りないと感じてしまうのか。

 年齢的な理由もあるだろう。年を取ったから体力的にもきつくなってきた。仕事自体が変わったこともある。時間が伸びたし、質的にも相当複雑化した。しかし、根本は、人員不足の中で一人当たりの仕事量が多くなり過ぎているということではないだろうか。

 現場のモチベーションが極度に落ち込んでいるというのに、追い討ちをかけるようなことがまた始まるらしい。管理側は、これ以上人を増やすことはできないから、我々を締め付けることで対策を講じているとアピールするしかないのだ。馬鹿だから、新しいことを一つ始めるときには何かを一つ取りやめるという発想がない。

 まさに負のスパイラルである。これは弱い人から脱落していく仕組み。真面目な人ほど損をする構図。このままでは病気の人が倍増し、きっと自殺者も出るだろう。そして、そういう人は適応能力がなかったということで片付けられてしまうのである。

■播磨屋/Thursday,27,August,2009

 試供品を無料でくれるおかきの店があるというので注文したら、大きな箱の詰め合わせが送られてきた。一月以内に注文すれば、送料が無料になるという。ここが経営する喫茶店は飲み物もおかきも無料なのだそうだ。なるほど、こうやって販路を拡げてきたのかと感心する。たいしたものだ。

■開き直り/Wednesday,26,August,2009

 綱渡りのような毎日。去年のこの時期もそうだったかもしれないが、ひじょうに疲れる。ある程度開き直りが必要だ。一人分以上のことを要求されているのだから。人間が同じ時間でできることは限られている。それをもっと速く、もっと多くとやっていたら、行き詰まってしまうのは目に見えている。力不足などと考えることはない。一生懸命やっているのだからそれでいい。たかが仕事だよ。仕事と心中してはいけません。

■時間/Tuesday,25,August,2009

 1日が30時間くらいあったらなどと馬鹿なことを想像する。それだけ増えたら、増えた分だけ何をする。仕事ができるか、ゆっくり休めるか、会話する時間がもてて、もっとわかり合えるようになるか。24時間か30時間かは関係ない。今を大切にできない人間は逃げたり何かの所為にしたりするものだ。いつでも使える時間は同じ。それをどう振り分けるかは自分自身に委ねられている。

 ひじょうに疲れるので早めに休むことにした。ゆっくり寝る。そして、あまり早くも起きない。いちばんそれが大事だと判断した。仕事など二の次だ。 

■涼しさ/Monday,24,August,2009

 束の間の秋らしい涼しさがある。昨夜は散歩がてら投票してきた。内田樹氏は「史上もっとも頭の悪い選挙」と書いていた。何の展望も示されないままに選べと言われても困る。まるで自販機の前で母親に「早く決めなさい」と言われている幼児のようだ。幼児は幼児なりに、この先の平和を望んでいる。

 疲れが酷い。普通に仕事を終えて帰ってきただけなのに、こんなにも身体が動かない。頭も働かない。老化だと言われればその通りだろうが、この年でこれでは仕事など続けることはできないだろう。仕事どころか、何事も続けられない。これは死ねと言われていることと同じではないか。判断力が鈍っているのか、それも致し方ないという気になる。

■休日/Sunday,23,August,2009

 言葉で伝えなければならないことは山ほどある。言葉では伝えられないことはたった一つだけある。それが生きる根本だとすれば、本を読んででも練習をしてでも改善を目指したいものである。そう思ったら無駄な時間は費やせない。とはいえ、理想は理想。現実は思い通りにはならないことを知る。あまりに情けない。雑談の中にこれ以上身を置くのもいたたまれない。どれだけ魅力のない男なのだろうか。鏡をのぞけば誰に聞くまでもないけれど。魅力のない男はすべて死んだ方が良いに決まっている。そう思っていた。僕もそうだったのか。

 今年いちばんの夏らしい一日といえるかもしれない。午前中に渓谷を通り抜け、峠を越えて、高原で休息した。柄の悪い大型トラックが僕の前に2台続けて走っていた。追い越しをかけたら1台が幅寄せしてきた。たいしてスピードも出ないくせに邪魔してくるのであった。こういうあからさまな行為に出くわしたのは初めてかもしれない。彼らは死んだ方がいい。馬鹿を相手にしても仕方ないので道の駅まで後ろについた。

 花巻東高校の夏は終わった。思い通りにはならないもの。明日の予定も狂ってしまった。

■仕事日/Saturday,22,August,2009

 一度普通に起床し、朝食を作って食べた。その後眠気が襲ってきて、10時頃まで布団に寝ていた。午前中にやろうと思っていたことは一つもできなかった。この一週間の疲れが表れたのだろうか。

 12時からは仕事だった。休みなのに仕事に出なければならないというのはどういうことか。こんな生活を20年やってきた。嫌なら辞めろということか。嫌でも辞められないか。

 仕事は18時前には終わった。部屋には戻らずに二時間車を走らせる。真っ赤に燃える夕焼けを眺めつつ、大いなる期待を胸にハンドルを握る。土曜日の高速もこの際問題にはしない。一つの目的のため男は走るのだった。このために生きてきた。このために生きてきたのだ!

 満を持して迎えた真夜中に意気消沈。触れもせで夜は更ける。頭に浮かぶ無数の疑問符。夏を通り越して秋が来る。まるで今年の天候のような僕の人生ではないか。

■一週間/Friday,21,August,2009

 やっと終わった一週間。喉の疲れなども少しあるがどうにかここまでこぎつけた。真面目すぎるのだと自分の精神状態を振り返りながら思う。答えが出ないとわかっていることは、悩むだけ無駄だ。考えても仕方のないことは考えなければいい。それらの時間や労力は潔く他のことに振り向ければいいのはわかっている。それでも見返りを求めるかのように敢えて苦労に手を出すところ。

 夏の高校野球は花巻東高校が準々決勝も勝って、県勢90年ぶりのベスト4進出となった。若い人たちが、なんの負い目も劣等感も感じずに楽しみながらプレーしているのを見ると、実に頼もしい。その裏で、どうせ東北は弱いからという気持ちがどこかにこびりついている自分をみつけてしまうのである。これは藩政時代からの忌わしい記憶。

■吉夢/Thursday,20,August,2009

 夜は涼しくなったとはいえ、寝汗をずいぶんかく。真夜中に目覚めると、首の下あたり、シャツが濡れてすごいことになっている。だが実はそれは、水分のとり過ぎが原因だと思う。きょうも丑三つ時に目を覚ましたらシャツがぐちゃぐちゃだった。

 亡き父が夢に現れた。父ではあるがどことなく怪人二十面相のような雰囲気である。僕を見て顔をくちゃくちゃにして涙を流していた。そして、どこからか拳銃を取り出して銃口を僕に向けるのであった。僕はまさかと理由がわからぬままに、その銃口を掌で塞ぐようにしながら父ともみ合った。やがて僕の手から拳銃が離れ、その先が僕の眉間に向いた。打たれるという恐怖が最高潮に達した時、体全体に衝撃が走り、目が覚めた。全身ベッドから見事に落ちたのだった。なぜ父が泣きながら僕を殺そうとしたのか。それはわからない。わからないけれど、こういう夢はたいがい吉夢なのである。いずれいいことがあるだろう。

■体調/Wednesday,19,August,2009

 昨日で一気に疲れたはずが、それほどでもない。おそらく、お盆休みやその前の研修の期間で、身体と心を休めることができていたからであろう。身体だけではなく、精神力も休むと回復するのだ。日々の疲れをその日のうちに取ることができれば、きっとノイローゼなどの精神疾患にはならない。休んでも回復することができないほどの過剰な仕事をさせられているから、おかしくなる人の数が増えているのであろう。必要以上に糞真面目にやる必要なんかない。身体や心を壊してしまったら元も子もないから。

■始動/Tuesday,18,August,2009

 開始1時間で、これまでの甘えた感情は取り除かれた。仕事上の時間は、このために生きているのであり、そのために身体の機能がフルに活動されていなければならないのである。とはいっても、久しぶりに大きな声を出したりしたから喉が少し痛くなった。いつものことだが、声帯や腕の筋肉が弱くなっているのに気づく。だがそれも2、3日経てば元に戻るだろう。

 夜には調子に乗ってパソコンのことを進めようとしたが、うまくずいかずに恥ずかしい思いをした。

■会議/Monday,17,August,2009

 準備のための会議が開かれた。お盆休みの翌日だから、モチベーションは低いに決まっている。そんなときだからこそ、要領よく済ませて早く帰宅できるようでなければならない。リーダーはそのためにこそリーダーシップを発揮すべきである。その点我が部署のボスはひじょうに気が利いている。

 お蔭で早く帰宅して、高校野球を見ることができたのである。花巻東高校はこの夏最後の夢なのである。

■送り盆/Sunday,16,August,2009 

 日曜の朝はテレビをつけて過ごした。きょうも洗濯日和だった。実家から持参した足裏マッサージ機を試してみた。弟が不要になって送ってきたもので、これと似たようなものをイチロー選手が使うのをテレビで見たことがある。初めこそコチョがたくて耐えられなかったが、それを通り越すと意外といい感じになってきた。毎日やったら健康になりそうな気がする。集中力が増すかもしれない。イチローに肖ってちょっと続けてみよう。

 きょうは送り盆。舟っこ流しという伝統行事があるが、今まで見た記憶がない。花火大会もあるが、見たいとは思わない。ただこの時間、夕涼みがてら本屋にでも行ってみようかと考えている。

 あすからほぼいつも通りの仕事に戻る。考えたくはないが、考えてもどうということはない。ただ単に始まりがあり、ただ単にやるべき仕事がある。それを淡々とこなすのみである。いざ始まれば1時間でそれが当たり前と感じられるようになる。

 新しい節目に心がけたいのは、一日の疲れを翌日に残さないこと。精神的な区切りをしっかりつけることと、肉体的な疲労を和らげて十分眠ることだ。そのためのカギは、集中力の持ち方だと思う。仕事中は、リラックスすべき時と集中してやるべき時のメリハリをつけて、余計なストレスを感じないようにする。そして、朝と夜の学習を最も重要な時間と位置づけること。これがいずれ仕事にも私生活にも生きてくるはずである。こんなことを意識して過ごしてみることにする。マッサージ機の出現は充実した日々の予兆であろう。

■終戦の日/Saturday,15,August,2009

 夏らしい日が続いている。しかし、夏休みはもう終わりである。昨夜は飲み過ぎたけれど、朝はすっきりだった。9時半頃に駅まで送り、帰ってくるとひとりだった。ぽっかりと穴があいたような気分になった。

 窓は開けたまま、高校野球をつけながら、洗濯機を回しながら、本や新聞に目を通したりして過ごした。昼はたくさんもらっていた夏野菜でカレーを作った。サイレンが鳴って、選手たちとともに黙祷した。

 日用品を買いにと車を走らせた。すると、行った先々で同僚たちの影を発見した。休みの終わりになって考えることは皆同じか。敢えて声をかけることはせずにその場を立ち去った。

 お盆が終わると、子どもたちの夏休みは残り2週間となる。という地域が多いのだろうが、ここでは違う。早いところでは月曜日から新学期である。いくらその分冬休みが長いとはいえ、子どもたちにとってはひじょうにかわいそうだと思う。実際には、これからの残暑は厳しくて授業にも集中できないくらいである。各種の大会も続いている時期だし、冬の寒さが厳しい地域は今や過疎化で学校自体が姿を消している。状況の変化や実質的な不都合に目をつぶって、これまでと同じでよしとするのはいかがなものか。

■お盆2/Friday,14,August,2009

 気持ちよく晴れた。昨夜遅くに酒を飲んだり油物を食べたりしたので、朝はあまり食欲がわかなかった。そこで、コーヒーにメロンなどという取り合わせで爽やかに朝食を済ませたつもりだった。しかし、パンか何かを少しでもお腹に入れておけばよかったのかもしれないと、後から思った。

 実家に行き、そこから花の売っている産直経由で墓地へ。どうも妻の体調が良くないらしい。乗り物酔いの症状で苦しそう。寝不足に加えてこの移動距離だし、疲れもたまっているに違いない。それに、様々な人に会うので精神的にも緊張状態に置かれたのだろう。寺に行く前に昼食をとろうと近くの店に入るが、混雑しており列に並ぶのを余儀なくされた。しかも、やっと席についてからすぐ注文したざるそばがなかなか出てこなくて閉口した。50分待たされ5分で食べて店を出た。食べたからか、妻の調子も回復してきたようでほっとした。

 暑くなったが、風がさわやかな日だった。高台から眺める山々や平野が太陽に照らされてきれいだった。寺では和尚様と御母堂様にお会いできた。今回の報告で安心してくださったようだった。

 母方の墓参を済ませ、叔父のいる実家に行く。ほんとうに久しぶりに従妹の顔を見た。なかなかしっかりした女性に成長していて驚いた。妻と話題が合ったので、こちらも嬉しかった。

 叔母の手料理をごちそうになった後、少し早めに失礼して必要な買い物を済ませた。うるみ工芸という店には初めて入ったが、とても良質の漆製品を扱っている店だと思った。

 一旦部屋で休んでから、従兄弟たちとの飲み会に臨んだ。叔父叔母たちも参加して総勢8名、ずいぶんたくさん飲んで食って騒いだ。心の箍が少々外れた感じだった。二次会の終わりが何時だったか覚えていない。

■お盆/Thursday,13,August,2009

 朝から雨。お盆のきょうあすは予定が目白押し。ひとり高速道路を南下して、妻の実家を目指す。下りはすでに帰省の車で混雑し、ところどころ渋滞していたようだったが、上りは順調に流れていた。宮城に入った頃から雨が上がった。その後岩手に戻ってくるまでは雨に降られることはなかった。お墓参りをし、お寺で謎の文書を読み、家ではたくさんのお餅をごちそうになり、お話をし、いろいろたくさんいただいた。ゆっくりとリラックスさせてもらった。

 今度は国道を北上する。行きと違って長い道のりも相方がいればあっという間だ。もう18時だったが、今度は僕の方に実家に寄った。ちょうど祖母が帰ってきている日だったので、一目会ってもらったのだった。祖母はこの日もご機嫌で、派手な色のものを指差したり、何もない空間を見つめたりして、しきりに何か語っていた。

 花火大会は雨で延期となったが、お蔭で道も混むことなく盛岡まで戻ることができた。開運の湯という温泉に寄って帰り、もらってきた唐揚げなどをつまみにして、一週間ぶりにビールを飲んだ。

■高校野球/Wednesday,12,August,2009

 蒸し暑いが、いい天気になった。布団を干したり、洗濯をしたり、掃除をしたりしていたら昼になった。本も少しは読んだ。高校野球が始まる前にお盆用の買い物をしておくつもりが、すでに始まってしまった。一回戦、花巻東高はひじょうにいい試合をした。きょうはこれを見るためだけにある一日だったといっても言い過ぎではないくらいだった。終わってから、デパートのお盆用品売り場で線香を買ったが、それ以外の売り場を見ようという気持ちにはならなかった。

■天災/Tuesday,11,August,2009

 ラジオをつけると緊急地震速報が流れた。静岡で強い地震。東海地震とは別物だという。東海地震は、きょうの百倍の規模になるらしい。そして、それは近いうちに必ず起きるということだ。備えあれば憂いなし。今回は、警戒していたからこの程度の被害で済んだのだろう。自分の身の回りをみれば、まだまだ備えがない。

 台風の被害はラジオで聞いてわかっていたつもりだったが、テレビで見たら驚いた。山間の町がすっかりやられてしまっている。普通に暮らしていた場所をたちまち濁流が押し流してしまった。

 天災は忘れた頃にやってくるというけれど、台風は毎年どこかにやってきて、必ず爪痕を残して去って行く。しかし、これが田畑に水をもたらし、農作物を育てるわけで、人間は台風とうまく折り合いを付けて生きてきたというわけだ。

 この数日で、一か月に降る雨の量を越えてしまった地域もあるという。誰が見ても自然のバランスが崩れてしまっていると言わざるを得ない。これまでの経験が通用しない、全く別の時代に入ったような感じがする。

■土門拳/Monday,10,August,2009 

 朝から小雨が降っている。天気が回復する気配はない。宿の朝食は、開始時刻の7時にはもう列ができていて、しかもうるさい子連れなどがいてゆっくり食事ができなかった。それに、どれも冷凍食品かなどと考えると、少し気持ちが悪くなった。

 土門拳記念館には9時の開館と同時に入った。ここには何度来たかわからない。写真のよさももちろんあるが、建築としてのおもしろさもある。今年は土門の生誕100年だそうだ。太宰治と同い年だったのか。「三人三様 勅使河原蒼風 土門拳 亀倉雄策」と題された記念展が行われていた。この三人は、兄弟に例えられるほどの交友関係にあったのだそうだ。これまで蒼風の生花や彫刻や書画を意識したことはなかったが、どの作品にも圧倒的な迫力があり、ジャンルを超えた大芸術家だったことを知った。また、東京オリンピックや大阪万博のポスターで知られる亀倉雄策の作品群も今回初めてまとめてみることができた。これもこの人だったのかという有名な作品がいくつもあった。

 そして、土門拳。いつ行っても会える「筑豊のこどもたち」や「古寺巡礼」のシリーズをじっくりと眺めた。昔のこどもたちの生き生きとした表情。これらの写真を見るといつも、現代のこどもたちにはこのような生き生きとした表情がないなと感じたものだ。しかし今回は違った。こどもの顔は本来時代を問わず生き生きとしているものではないのか。もともとこどもは素直な感受性とエネルギーを持った存在であり、それが発現するかどうかは、大人がどのようにこどもに接するか、こどもの顔をどのように見るかにかかっている。こどもはどの年代よりも熱い原初のドロドロしたものを持っており、それがいずれさまざまな形をつくって固まる。つまり十人十色の表現となる。熱いものをうまく引き出せるかどうかは身近な大人の力に依るところが大きいのだ。土門は一瞬にしてそれを引き出すことのできる眼力を持っていたのだろう。今も昔も、こどもたちは生き生きと生きている。それに気づけるだけの眼力を持たなくてはと、そんな思いを抱いた。

 この美術館に初めて来たのがいつか忘れた。おそらく父親の亡くなった後ではなかったろうか。土門拳は「報道写真の鬼」と呼ばれた時代があり、リアリズムを徹底的に追求した写真家として知られている。僕の父親は地方の一新聞社で報道カメラマンとして定年まで勤め上げた。父はそれほど写真が好きなわけでもなかったようだが、仕事としてほとんど一生写真と付き合ってきたと言ってもいいだろう。そんなこともあって、土門拳のことを何となく身近な存在として感じているのは事実である。

 雨は止まない。ラジオによると、今年は北東北の梅雨明けを発表しないそうだ。夏が来ないまま、秋になってしまう。そうは言っても、要らぬ時に残暑に見舞われるのは目に見えている。9月の暑さが僕は大嫌いだ。進路を北に取り、遊佐の道の駅で野菜や果物を買う。そこに生の岩ガキがあったので一個剥いてもらって食す。ぺろっと一口というのは少しもったいないがそれほど粒が大きなわけではないから仕方ない。なるほど、複雑にして濃厚な旨味が詰まっていた。

 秋田県に入り、象潟の道の駅で休憩。ここでも岩ガキが売っている。値段もさっきと同じくらい。せっかくだからとここでも一つ食べることにする。すると、比較しては申し訳ないが、粒がさっきの倍以上ある。一口では食べきれないほどの大きさだ。なるほど、岩ガキは象潟なのか。食べてみるものだ。

 それからはまっすぐ車を走らせて、15時過ぎには帰宅した。ラジオは、雨による五能線の運休を伝えていた。雨の二日間。短い旅。これで僕だけの休暇は終わり。

 

■酒田へ/Sunday,9,August,2009

 何の予定もない日。早起きはいつもと同じだが、気持ちがいつもよりぼやっとしている。しなければならないことが何もないと、気が抜けてしまっていけない。こういう日にこそしたいことができるのに。

 朝には最近のことを振り返って書いた。天気がよくないのであまり出かける気にもならない。とはいえ、出かけるとすれば今しかない。時刻表を見ながら、大館行きのバスで出て五能線を回ってくる案が浮上する。しかし、今からとなると接続が悪い。そのうち昼を過ぎたので五能線はやめた。

 車で出ることにした。高速道路もいいが、混むと嫌なので通らない。それでいてできるだけ遠くにと考えると、また山形方面へということになる。雫石から西和賀を通り横手へ。横手から南下して新庄へ。途中ものすごい勢いで雨が降り、前が見えなくなるときもあった。新庄で少し休憩。酒田の宿を電話で予約する。

 最上川沿いに西へ。また酒田に来た。どこがいいのかと問われても説明できないが、以前からどうも縁のある土地らしい。土門拳の美術館があるためだろうか。それもある。だが、実はそれより心惹かれるのが、アルバというカレー屋だ。この土地ではこれを食う、などというものはないけれどここだけは例外だ。駅前にあった時から世話になっている。いつからかこの町に来た時にはいつも寄るようになった。それがいつの間にか、その土地に行く理由にまでなってしまった。そんなことのためにと笑う人もあるかもしれないが、僕にとっては立派な価値があり、なかなか愉快な動機だったりする。この夜もここで焼きカレーを食った。なんの変哲もないカレー屋。でも何か好きだ。人生における不思議な縁とも言えるのである。

■夏祭りの日/Saturday,8,August,2009

 立秋を過ぎた今もまだ梅雨が明けていない。そしてきょうはとある地区の夏祭りとなっていた。朝はゆっくり起きた。目覚めるとひとりだったことを不思議に思った。昨日の朝もそうだったのだけれど、こうは思わなかった。一昨日までを思い出しながらパンとコーヒーの食事にした。

 ここから歩いて1分の病院に行って、健康診断の結果をみてもらい、薬を出してもらった。課題はどうも一点についてのみという感じである。昨日までと同様に、きょうも長い距離を歩きたくなった。

 昼になって、煎餅を何枚かかじったら眠くなった。思うように動かない身体を奮い立たせて着替えをし、雨の中を傘をさして出かけた。準備段階から3時間以上も時間を費やした。一応これも職務のひとつ。何の感情も入れずにさまざまな場面を写真におさめた。途中まで歩き、途中からはバスに乗って帰宅。夕食は屋台で買った焼きそばと焼き鳥を食べた。

 時代劇と刑事物のドラマが共に最終回。特に、後者には目が釘付けになった。この時代にもまだいいドラマがある。いい番組だけを見たい。だが、よくない番組まで見てしまうリスクを冒してまで、地上デジタルのテレビを用意する必要があるだろうか。アナログ電波打ち切りとともにテレビに別れを告げるという選択肢もいい。このまま黙っていると自動的にそうなってしまうけれど。

 NHKの臨時ニュースで、芸能人の覚醒剤についてもういいよというくらい執拗に報じられている。まるで20年くらい前の状況と変わらない。バブルの頃なんかと情報選択の基準が何ら変わっていないのだ。人々がほんとうに知らなければならないことについての見識が、報道する側にまるで足りない。制作者の変革の意識が、報道からひとつも感じられない。ドラマからはあんなにひしひしと伝わってくるというのに。

■出張/Friday,7,August,2009

 始まりが遅くて終わりの早い出張。町の南にある駅まで歩く。自転車の社会人が多かったからか、見慣れぬ通りを歩いたためか、風景を見て歩くと外国にいるような気分になった。日本はアジア。遠くに行かなくても旅はできる。雲がたれ込めて気温も高くないが、湿度のせいか少し汗をかいた。駅通りにパン屋と団子屋と蕎麦屋を発見した。ここまで歩いたのは初めてだったかも。駅は無人駅かと思いきやそうではなかった。しかも、駅舎の中にキオスクまであった。ペットボトルの冷たいお茶を買った。

 電車で南に一駅。駅から会場までは徒歩で10分足らず。途中のコンビニで昼食のおにぎりと野菜ジュースを買う。説明をひたすら聞くだけという緊張感のない出張。担当者が午前と午後合わせて5人。ひとりひとりの話し方や、話す内容を比べながら聴いた。形を重んじる人と内容を重んじる人がいた。しかし本質的なところで、おもしろさは感じられないのであった。ときどき意識が何処かに飛んだ。一度はそのすきに持っていた資料が手からすり抜けて、前列の席の下に落ちて焦った。午後の担当の方だけは、すばらしい方法で説明をされた。ペンでアンダーラインを引く作業を入れるだけでも入り方が違ってくる。工夫の跡がはっきりと見て取れた。

 終わったのは15時過ぎ。そこからまっすぐに住宅街を北上すると、30分足らずでバス通りにぶつかった。南部鉄器の展示館で土産物を物色するが、特に欲しい物はなかった。駅近くの団子屋とパン屋で少し買い物をして帰宅した。

■伝えることの意味/Thursday,6,August,2009

 大学での研修の最終日。この4日間はひじょうに有意義だった。それは、あの先生との出会いがあったから。話からすると先生はカナダへの留学経験があるようだ。そんなところからも親近感がわく、それだけでなく、この4日間で学生の気分に戻ったり、学生の気分を想像したりできたことも大きい。先週からの出張や研修や仕事を振り返ってみると、すべてが関連していることに気づいた。これらは最初から意図したわけではないが、視点が広がるきっかけとなる出来事といえるかもしれない。今後もこのテーマに沿って学習できれば楽しいだろう。

 さらに、この一週間の生活で忘れてならないのは、ほとんどひとりではいなかったということだ。短い期間ではあったが、寝食を共にする中で得たことは大きい。今後の生活で努力を要するところもあるが、とてもよかったと思っている。必ずしもすべてが計画的だったわけではない。しかし、終わってみるとひとつひとつが必要なプロセスだったと思える。偶然にしては出来過ぎだ。今進むべき道を歩いているのかもと思うとドキドキする。

■コミュニケーションと想像力/Wednesday,5,August,2009 

 三日目。朝から暑くて徒歩もきつい。競歩のような速度で歩くと、汗が吹き出た。これだけ暑いとペットボトルのお茶も減るのが早い。三日間同じ食堂で昼食。夜には近くの店で食べることにする。荷物を宅配に出そうと車を出すとき、様子を見に来ていた駐車場のオーナーと会って話をすることができた。戻ってきて蕎麦屋に入るとそこに先ほどの方々がいて食事をしていた。今宵もまずはビールを注文。先週の金曜日からとにかく毎晩ビールを飲んでいる。こんなことはこれまでなかった。素敵な日々であった。

 コミュニケーションについての苦手意識が心の底にあったのかもしれぬ。誰ともわかり合えないとか、思いは誰にも伝わらないとか、そうやって殻に閉じこもるところがあったのかもしれぬ。頑固な汚れといったらよいか、まるで白いスポンジたわしのようにごしごしこすって落としてしまう。古臭い自分と別れ、新しい自分に生まれ変わるとすれば、それは素晴らしいことだ。自分のことばかり書くのではなく、社会のあり方や平和について誰とも繋がる言語で語らねばならぬ。脱皮せねばならぬ。気づかせてくれる人に感謝である。

■情報検索と著作権/Tuesday,4,August,2009

 ビデオの視聴を含めて、二日目の講義が続く。ドラマ仕立てのビデオは少し古い物だったがおもしろく見ることができた。新しい内容も実にわかりやすい。難しいことなど一つもないが、20年前の自分がこれを理解し、消化できたかどうかはわからない。尤も、現在の自分がそれをできたかどうかも疑問ではある。ただ、学ぶことの喜びを改めて感じることができたのは嬉しい。先生の時折飛ばすギャグには心の中で何度も吹き出していた。

 昼休み。きょうはひとりで食事。何日かぶりに米の飯を食べた。天気がよくなり暑くなった。この夏初めての夏らしい日。池のほとりのベンチで休んだり、学内の博物館を見学したりして過ごした。帰りには、豆腐屋に寄って、よせ豆腐と油揚げを買った。夕食はうどんと豆腐と茄子の炒め物。きょうもビールがうまかった。

■情報メディアの活用/Monday,3,August,2009

 きょうから4日間の研修が始まった。会場は母校である某大学の図書館。パンとコーヒーの朝食の後、徒歩で出かける。こんな通勤なんてそうそうできることではない。金曜日にはまた別の出張だから、今週は一度も職場には行かない。一年で一週間くらい、こんな週があってもいいだろう。だがほんとうは、こんな朝が日常とならなければいけないのである。

 資格を得るためには、五つの集中講義を受講しなければならない。今回はその一つ目。修了するには最低でもあと二年はかかる計算になる。昼には学食でラーメン。講義は毎日17時40分までの予定であったが、講師の先生の都合というか独断で17時前に終わりになった。休憩時間には読書をした。この4日間で新書を2冊半読むことができた。

 帰り道にはパンを買って、夏祭り用に売られていた串焼きを街頭で買って、今夜もビールを飲みながらの夕食となった。この楽しさ。

■スイカと茄子/Sunday,2,August,2009

 朝の食事。マナーが悪くて失敗してしまう。甘さを指摘されておもしろくない。その感情も甘えだろうが、子供みたいで情けない。真に素直だとしたら、それを発揮させるのはここからではないか。

 車で国道を北上する。同じ方向を見ながら進むというのが僕には心地よい。対面する時、同じ方を向く時、いろいろあっていい。ありがたいのは、そのような時がもたらされるということだ。

 昨日から尾花沢のスイカ屋が目に留まったので、どこかで買って帰ろうかと密かに思っていた。物を取りにと寄った妻の実家は留守。偶然そこにスイカを山積みにしたトラックがやってきた。毎年来ているという尾花沢の農家のトラックだった。絶妙なタイミング。それで仏様用に一個、自分たち用に一個購入した。そのうちに義父が帰ったので少し話をした。茄子などをたくさんいただいた。後で聞いたのだが、亡くなったお祖母さんはスイカが好物だったそうだ。

 ドコモショップに寄ってから、醸室というところで蕎麦を食べ、4号線をさらに北へ。昨夜遅かったためか、結構眠い。一関。蔵のカフェの深いソファに腰掛けてしばし休息。その後は高速道路で一気に盛岡まで。ちょうど注文していた扇風機が届く。さんさ踊りなどには目もくれず、いただいた茄子などを肴にして今宵もビール。そして9時頃には就寝。部屋はちょっと狭いけれど我慢してください。

  

■うーめんと担々麺/Saturday,1,August,2009

 宮城県南の白石という町まで車を走らせる。白石城を、ボランティアのおじさんに説明してもらいながらゆっくり見学する。その後はある先生のお宅にお邪魔して昼頃までお話しする。今まで来たことがなかった土地にも、会ったことのなかった人にも、こうして縁が生じたことがありがたい。

 昼食は名物の白石うーめん。佐藤清治という人の名を冠した老舗で、けんちん温麺を食す。ひじょうにおいしかった。こういう土地の食べ物とも縁あって出会うことができる。おもしろい。

 仙台に戻ってから、西公園近くのまつりかという喫茶店で透明度の高いコーヒーを味わう。メディアテークで書道展を見学して、街をぶらぶらする。買いたい物は特にない。歩いているのが心地よい。本屋で仕事関係の物を探すも、特に必要感もなく。仙台ホテルの地下、壽林という中華料理屋でビールとかなり腹一杯の夕食。担々麺なども食す。部屋に戻り「リミット〜刑事の現場2」というドラマ。ひじょうに重い。


Since 2000,2,11 Copyright(C) 2000-2009 Yu,All Rights Reserved.