2009年12月               

■大晦日/Thursday,31,December,2009

 今年も最後の日になった。今朝は布団の中で詩集を読んだ。長田弘の「死者の贈り物」 こういう朝もある。人は死んでもことばが残る。残るに足ることばははたしてあるか。それはわからないけれど、足跡を付けずには先に進めない。孤独であることに変わりはない。しかし孤独とは空虚ではなく、ことばが充満した状態をいう。

 大きな変化の年だった。目を瞑るといまはいない人たちのことが浮かんでくる。いまはいない人たちが、いまでも僕に話しかけてくる。けっこう賑やかなのである。僕自身の決断だと思っていたことも、実はすべてお膳立てしてくれたのはその人たちだった。

 美しいと感じるこころがこれほど強くなるとは。孤独の意味がこれほど劇的に変わるとは。たとえ外気が氷点下でも、何ら寒いとは思わない。きょうはこれから少し出かけたい。でもどうなることか。何だ雨なのか。いいさ。その気になれば頭の中で旅もできる。

 一年間ありがとう。感謝の気持ちをもって、大晦日を暮らそう。

■代謝/Wednesday,30,December,2009

 早く済ませようと7時には家を出た。資料探しとコピーと打ち込みをして閉めたのが9時前だった。玄関を出たところで電話のベルが鳴ったのを聞いた。家に戻って手書きの書類を作っていると、立て続けに確認の電話があった。きょうくらいならまだ許せるか。午前中は仕事だったが、印刷まですべて終了したので4日の仕事始めまでは何も見ないことにする。

 家にある食材を使って調理する。豚肉はもうないが、根菜類をたっぷり入れて味噌汁を作った。昼にはネギを入れてお好み焼きを焼いた。冷蔵庫の中はだいぶすっきりしてきたが、この休みには食べ切れない。もっとも食べ切る必要もない。消費したら補充する。それを繰り返すのみである。食べたものでしか自分を形作ることができない。食べたもので自分をつくる。それを死ぬまで続けていく。

 夜になって、運動がしたくなった。それで近くのジムに行って2時間弱汗をかいた。半年ぶりくらいか。日々帰りが遅かったり疲れがたまっていたりすると休みでも足が向かない。それが、年末のこの時期になって行ってみる気になった。ようやく余裕ができたか。しかし、他には客がいなくてすべて貸し切りの状態だった。休みにまでここに来る人はいないのか。多くの人たちは普段から余裕のある生活をしているのか。

 今年の営業は本日までで、新年は3日から始まるそうだ。

■豚汁/Tuesday,29,December,2009

 早朝、豚汁を作り、きょうは朝昼晩とそれを食べた。仕事納めは過ぎたけれど、自分の仕事はこれからだった。話を聞いていると、多くの職場では多忙化が進行しており、大晦日まで働き詰めという人も少なくないようだ。私達が望んでそういう社会を形成してきた。しかし私はもうそういう社会は望まない。これからは遊び重視の社会を目指したい。遊びとは学びと同義と言ってよい。もうただ収入を得るための労働なんて無意味と思う。

 自分の仕事といってもいわば冬休みの宿題のようなものだ。勉強の視点をもってすれば何のことはない。午前中パソコンで遊んでから手を付けた仕事は夜にはほぼ終了した。それと並行して年賀状も印刷した。あまりに簡単過ぎて申し訳ないくらい。何か落としていることがありそう。いくつか確認するために職場に行こうと思ったがもう遅い。明日にしよう。きょうは結局のところ部屋から一歩も出ることはなかった。明朝早くに仕事が片付いたら、どこか出かけてもいいかな。

■意地悪?/Monday,28,December,2009

 観念と実際の差だろうか。人による違いだろうか。仕事場にはひとつの大きな川が横たわっているようにみえる。いくら難しくても簡単に解決できるときもあれば、どうということはない連絡や報告でさえうまくいかないときもある。相手が川の向こうにいると、越えるのが大変だ。それは偏に僕の資質の問題なのだろうか。その川の正体はいったい何だろうか。

 きょうの午前にはとある施設に訪問する機会があった。この手の仕事は何の負担感もなく取り組むことができる。それはそこにいる人たちが皆僕と同じ岸にいると感じるからだ。こちらの気持ちを素直に表現できるし、相手の気持ちもよくわかる。準備も結構面倒ではあったが、やった甲斐があった。

 ところでいつも顔を会わす人の中にも意思疎通の難しい人がいる。どうもちぐはぐになってしまう。何かが邪魔をしてコミュニケーション不全に陥ってしまう。僕の方が少し気を利かせて準備して臨めば、だいたいの場合は何の問題も起こらない。ちょっと失敗することがあると、すぐに目くじらを立てられたり、当てつけがましく責めてこられたりする。それで落ち込むでもないけれど、「?」と思ってしまう。

 同じ日本語を使うものどうしでさえもそういうことがあって、日本語って難しいねということになるのだが、不思議なことに言語の違うものとの関わりの中にも両者が存在する。

 単純に考えると、人には意地悪な人とそうでない人がいるということなのだろうか。何だか可笑しい。僕もほんとうは意地悪な人間なのかもしれない。自覚がないだけに恐ろしい。

 

■年末/Sunday,27,December,2009

 今年最後の日曜日。師走は互いに忙しかった。昨夕大学の近くまで迎えに行った。昼には雪だったのが小雨に変わっていた。車の中で話を聞いた。近所の蕎麦屋で蕎麦を食べ、部屋でビールを飲んだ。週末には疲れが出るから、眠くなるのは無理もない。ちょうど1か月ぶりの再会。この8か月の間に何度顔を合わせたか。数えようとすれば簡単だが、確かめてどうなるでもない。もちろん世の中いろいろだから、取り立てて異常だなんて言えない。この期間の意味を考えて、活かしていけるといい。

 コーヒーとロールケーキ。僕らでしかできない会話がある。学ぶ意志同志がぶつかり合ってる音がする。でもまだまだぶつかり具合が足りない感じがする。じゅうぶんなゆとりはいつになっても得られないかもしれないが、与えられた時間と空間の中で最大限のことを求めて動こう。気力と体力の許す限りふれ合い交わろう。二個の原石はこれからもっと磨かれて、もっと強い光を放たなければならない。それには個々の充電や蓄光も必要だ。

 昼食は近くの中華の店で母と叔母と会食。彼女たちは年末年始に旅をするから、その壮行の意味も込めて。

 一人になってから、車で明日の場所の下見をしたり、買い物をしたりした。夜にはドラマを観た。仕事を進めることなどできなかったが、それは当然のこと。焦らず、倚りかかず、自分の歩幅で歩こう。

■宿の朝など/Saturday,26,December,2009

 大きな温泉ホテルの部屋では乾燥した空気で喉をやられることが多い。今回もややいがらっぽく感じるくらいになったが、気になるほどではなかった。布団に入る時刻が早かったためか、酒があまり入らなかったためか、夜中からは熟睡できずに浅い眠りの中でずっと朝の来るのを待っていた。4時を過ぎた頃に起き出して風呂に行った。温泉に泊まった時はこの時間に風呂に入るのが好きだ。誰もいないのがいい。

 7時の朝食の後、以前お世話になった人に会った。7年ぶりだった。変わらず元気そうだった。共に仕事をしたのは1年間だけだったが、このリーダーのもとでできたのはよかった。あの1年間限りの付き合いだった人は何人もいる。いい経験をさせてもらったと同時に、見方によってはかれらを裏切ってきたとも言える。

 この時期にはこんなふうに懐かしい顔を見る機会もあるのだが、それはあまり好きではない。まったく参加しない人も少なくない。そこまで割り切れる人は尊敬に値するけれど、僕は様々なバランスを取ろうとして今のところはこの型に落ち着いている。

 早々に帰宅するもだらだらと過ごしてしまい、すぐに昼になった。アパートの駐車場を新年から使えることになり、その契約書を書いたり、今借りている駐車場主に解約の連絡を入れたりした。値段はほとんど変わらないが、距離が近くなるのでありがたい。

 午後には部屋を片付けたり、何か少し読んではうつらうつらしたりした。師走は互いに忙しかった。そしてまだめどが立っていない。

■吃驚/Friday,25,December,2009

 確かに大きな節目には違ひ無いが、年内には未だ片付けなければならぬ仕事が有つて、凡て解き放たれ休みに入る段階には無い。兎に角今宵は此の時節御決りの宴会が行はれた。企画運営の係の方々には大変お疲様なことであつた。毎年思ふが此の繁忙期に善くも此処迄の準備をするものだと感心させられる。

 ところでその会の途中で予期せぬことが起こり僕は吃驚した。マイクを差し向けられるものの何を喋つてよいか分からずに場をひじゃうに白けさせた。先づ以て質問の意図が解らなかつたし、僕は自分の事を實しやかに虚飾する才能が無いので、観衆の期待に応へる何事も為せず仕舞だつたのである。どうにも間が悪く気不味い思ひをした。其れで豪勢な料理も珍しく食べ残し、部屋に戻ると直に寝て了つたのである。

■解放/Thursday,24,December,2009

 仕事仲間の身内に突然の不幸があって、にわかにいろいろとフォローの体制が作られた。たいへんな時にはたいへんなことが重なるものである。父の亡くなった年のことを思い出した。しかし、リーダーの機転によってすべては滞りなく進められ、ここでも聡明な人物から学ばせられるような心地になる。ここにきてやっと年頭までの見通しが立った。

 いくつか厄介な電話を終えて部屋に戻ると、晴れ晴れとした顔をしていると言われた。伝えることはさほど苦ではない。しかし、その人々を取り巻く人間たちの思惑が絡んでいるだけに、問題は複雑でややこしくなってしまっている。僕らの仕事の範疇ではないが、その人間たちの呪縛を解いていく作業が実はたいへんなのである。

 案の定、しばらくしてから数件電話があり、その中の一つは僕がおじいさんにでもなったつもりで応対した。諌めたり諭したり、それが必要なのは若者ではなくむしろ40歳前後の人々のほうである。

 

■祝日/Wednesday,23,December,2009

 天皇誕生日とは関係なく何よりも大切な日。新しい光の下で、新しい日が始まった。気温はそれほど低くない。空は相変わらずの鉛色だが、せめて部屋に色とりどりの花があれば少しは気持ちが明るくなるかもしれない。いつもよりも多少ゆっくり出勤し、机上整理から始めた。13時には職場を去った。実家に行って用を済ませ、うどん屋で遅い昼食を取り、向こうの町で細々した物を買った。戻ってから仕事をと思ったが、ほとんど何もしなかった。連休でないぽつっとした休日も、たまにあるとゆっくりできるものだ。

 夜には少し打ち合わせをしてから、すぐに就寝した。思えば、2月11日が国民の祝日とは無関係に自分の記念日であるのと同様に、もしも平成の世が終わったとしてもこの日はずっと大切な記念の日として位置づけられることになるだろう。

■冬至/Tuesday,22,December,2009

 朝からどうも歯車が噛み合わない日。周囲に迷惑をかけること甚だしく。振り返ってみると、昨日からのぼけーっとした状態が尾を引いて、具体的な弊害がここに表れたといえる。

 悄々として夜の雪道を歩いていると、酔ってふらふら歩いている知った顔を見かけた。勤め始めた年にお世話になった方だった。寒い中少しだけ立ち話をした。きょうが大きな区切りで、忘年会からの帰り道だったそうだ。多少白髪が増えた以外は昔と全然変わらなかった。誰かに会いそうな予感があったが、この方だったのか。何もわからない僕に仕事のノウハウを一から手取り足取り教えてくれた人。当時彼は僕の所属する部署のリーダーで、若者何人かとよく飲みに行ったことを思い出した。たしか家に泊まったこともあった。考えてみると今の僕よりも五つ六つ下の年齢だったはずだ。

 あなたはおかしいよ。そう言われたことを思い出した。おかしい。そう言われてなぜか嬉しい気分になったことも思い出した。おかしいということを、普通の人とは違う、個性的、独創的、そんなふうに曲解しては自己満足していたのだろう。しかし、けして彼はプラスの意味で言ったわけではないことを、今の自分なら理解できる。何もわからぬかなり困った存在だったに違いない。もっとも、僕はその当時から精神的にたいした成長をしていないし、何より立場上当時から何も変わっていない。まだまだ周囲からは迷惑な人間のままなのかもしれない。

 きょうは古い太陽が死ぬ日だという。今までのよくないこともここでゼロにして、また新しく始めようという大きな節目ともいえる。冬来りなば春遠からじ。心機一転明日からまた元気にやるとしよう。

■戦略/Monday,21,December,2009

 今週は水曜が祝日ということもあってか、週のはじめから頭の中がちょっと緩んでいるのだった。この時期特有の仕事のひとつは今日で区切りがつき、だいたいのところは見通しが立った。それにしても、3年も経って、場所も変わって、人も変わると、同じような仕事なのにやり方がまったく違ってしまう。汎用性がないといえば、それは職務の性質上当然ではあるが。そう感じるのは僕自身が要領を得ていないからだろう。

 この時期になるとわくわくして妙に張り切る人もいる。今までは隠れていた拘りを露にする人もいる。それから、机の上が酷い状態になっているのは僕である。いずれにせよ、情報戦略ということを考えなければならず、必要なものがすぐに取り出せるように身辺をすっきりさせ、コンピュータというものを駆使せねばならぬのである。きょうは資料作りに時間がかかり、遅くまでかかった。ああ整理整頓せねば。

■休み/Sunday,20,December,2009

 休みだった。朝から雪。何週かぶりに関口宏の番組を見た。今年亡くなった有名人たちを振り返っていた。多くの人たちが去った。生き物だから仕方ないが、生き物だから悲しいものだ。有名人も知らない人も、身近な人も、そして自分も、死ぬんだ。こんな当然のことは何十年も前から知っているというのに、死に対しては下向きの螺旋のように、わかっていくのかわからなくなっていくのか、わからなくなってきた。

 昼前からは車を出して、食料や日用品の買い出しをしてきた。道路はどこも混んでいた。ラジオでは鍋のことを話していた。雪が降り続けて、郊外の景色は真っ白だった。ここ数年は、年内には積雪のない年が多かったはずだが、今年はこれが根雪になるかもしれない。

 帰って少し何か読んだりしていたが、ふと車の点検とオイル交換を思いついた。近所のディーラーに電話で尋ねると2時間でできるというのですぐに頼んできた。車を取りに行くまで横になると、変な夢を見た。

 坂の上の雲の第4回。日清戦争など血なまぐさい場面が多く、息が詰まった。誰もの心の中に戦争があり、血を流さずとも誰もが闘っている。そのように考えることもできるだろう。しかしまったく異なった考え方で、終始穏やかに温かく暮らしていく人生があってもよいのではないだろうか。

■一日/Saturday,19,December,2009

 昨夜は面倒だと思ったが、腹を決めればいい一日にできるものだ。今朝は5時に起きて準備。6時半に車で出勤して1時間ほど仕事をしてから出かけた。晴れて寒い朝、バスセンターまでの道でうっすら積もった雪を踏みしめるときゅきゅと音が鳴った。ちょっとしたバスの旅。普段は車で通る道を初めてバスで移動した。車窓の風景が美しく、新鮮だった。新たな人々との出会い、一つの未知の世界との出会い、そして、その道で日本一の若者との出会い。さすがに輝きが違っていた。行ってよかったと僕も思った。

 タクシーで職場まで戻るとすぐに着替え、今度は車で雪道を移動。寒さの中で震えながらの仕事。少し買い物をして、戻ると18時半。それから2時間の長話。お蔭で今週のまとめができた。だが、質問に的確に答えられたことが一つもなくて、どれほど自分は頭の中が空っぽなんだと思った。

 ドラマ「外事警察」は最終回。ひじょうに引き込まれた。渡部篤郎はいい役者だ。幻想の時代は終わりという台詞を聞いた。そういう認識が浸透してきた証拠だ。ようやく荒海に乗り出したこの国を思う。

 午後に5時間も寒い中にいたせいか、熱っぽくなってきた。どちらかというと午後の仕事のほうが余計だったな。だが、総じていい一日となったのでよし。感謝いたします。

■強運/Friday,18,December,2009

 早く帰ろうと密かに計画していたのだがそうはいかなかった。あれよあれよという間に皆が去ってしまい、最後の三人の中の一人になった。では帰りましょうと部屋を出る瞬間鳴った電話は僕宛だった。それを取ってから1時間半、電話の前で一人身動き取れずにいたのである。

 やっとのことで連絡が取れるも思惑通りには事が運ばず、明日の午前の仕事がひとつ増えることになった。電話を取ったり、急ぎの連絡がすぐにできなかったり、最後にお役が回ってきたり、だいたいどれも昔からの僕の癖なのだ。職場で一人笑ってしまった。運が悪いといえば悪い。しかし、見方を変えると最後の最後のタイミングでひとつのチャンスをつかむことができたとも言える。つまり強運の持ち主ということである。もしも電話を取らずに帰っていたらと思うと、逆に恐ろしい。

■活力/Thursday,17,December,2009

 野菜をたっぷり入れた味噌汁が身体を温め、一日の活力源となる。うまい。肉が入らずともじゅうぶんうまい。ほぼベジタリアンの日々。毎日いろいろな野菜を試してみよう。この冬はこれで乗り切る!

 氷点下6度を下回った。これくらい下がるとかえって清々しい。空は晴れて、気持ちのよい散歩日和だ。混じり気がなくて清浄な空気を肺の奥まで吸い込むと、一瞬で全身が清められたような気になる。この感覚は、寒い冬の朝ならではのものだろう。

 午後は息つく暇もなく次から次へと仕事に追われた。休憩時間もなかったことで、かえって過ぎるのが早かった。一生懸命やっている時に苦痛は感じない。逆に、苦痛を感じるくらいならまだゆとりがあるということか。もう一踏ん張りである。

■節目/Wednesday,16,December,2009

 この時期特有の仕事が始まった。手順としては、ある一定のパタンに則って進める単純なもので、それほどストレスのかかるものではない。しかし、それらの過程の一つ一つが相手にとっては大きな意味を持つことを忘れてはならない。なにより誠意をもって対応することだ。

 日ごと寒さが募る。そして、昨日よりも押し詰まった感じが増す。日本海側は大雪のニュース。あれよあれよといううちに新しい年が来る。月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり。早い早い。

 2009年も終わりか。この地域での勤務も通算10年。その間に、特別な3年間があった。一言で総括は難しい。だが、あの3年間があったお蔭でそれまでの年が報われたし、その後の年も素晴らしい出会いをもつに至った。遡って考えると、無駄だったことなど一つもない。すべての人に感謝である。この10年で転勤は4回を数え、一カ所あたりの期間が短いのは自分の癖のようなものだろう。そうしないと長くは続けていけないような感覚がある。何事も長く続けようとするなら節目は多いほうがよい。その節目は考え次第でいくつでもつくることができるのである。

 

■チョッキなど/Tuesday,15,December,2009

 今月も半ば。いよいよ押し詰まってきた。今年は特に寒いように感じるのだが、毎年こんなものだろうか。とにかく寒いのは嫌なので、毛糸のチョッキを着ることにした。ところでチョッキはもう死語か。チョッキとはいわゆるベストのこと。こどもの頃からこれを着るのは嫌だったので、ほとんど着たことがない。勤めてからも着たことはなかった。しかし、寄る年波には勝てぬということか。背に腹は代えられぬと先日買ってきた。 

 今日は朝からラジオのアナウンサーがよく間違えるので驚いた。どうしてそんなに間違うのだろうと、ときどき不思議になる。元の原稿がよほど読みにくいのか、他のことを同時にしなければならず読みに集中できないのか、よくわからない。けれども、プロとしてどうなのというレベルのアナウンスを聞くことが少なくないのは事実である。どういうことなのだろう。

■感情/Monday,14,December,2009

 年末年始は、三が日が土日と重なることに加えて、インフルエンザの影響もあり、昨年度に比べて休みが極端に短くなる。これではゆっくりできないどころか、当て込んでいたこともあまり進めそうにない。この不景気だから、出かけずに家で過ごす人も多いという。なんだか今年の冬は寒くなりそうだし。こういう状況を逆手に取って楽しむ姿勢を大切にしよう。

 昨日は仕事こそあったが、気分転換できたからか今日は余裕をもって過ごすことができた。面倒な仕事も進んだ。無感情に、やることはやる。いいことかはわからない。負の感情が先へ進む動力になることも多いから。

 寒さの中を、川に沿って帰った。ふだんあまり入らない店で名物のパンを買った。この時期おきまりの電飾に、何の感慨ももたない自分。派手に飾り立てるほどに心は虚ろになる。さびしくなりたくなるように、感情操作されていることに気づかない。群れる若者たちよ。その群れから自分を解き放つのは誰でもない。

 

■寒空/Sunday,13,December,2009

 昨日は職場を後にしたのが14時。書類を家に持ち帰ったのであったが、昨日は疲れて手を付けることができなかった。午後にはボーッとラジオを聴きながら過ごした。生あくびが出て仕方なかったが、昼寝はしなかった。夕食はたくさんの野菜を炒めて作った焼きそば食べた。「外事警察」というドラマをハラハラしながら見た。

 今朝は洗濯、掃除、布団干しと行った。三つとも逃避とはいえおかげで部屋は片付いた。それからようやく書類に取りかかる。日曜だというのにテレビもつけず、黙々と集中する。昼過ぎからは中断して、ラジオの興味深い話に耳を傾けた。14時半にはめでたく仕事終了。

 すっきりした気分で15時に床屋に行く。終わるとさらにすっきり。既に薄暗い寒空の下を少し散歩する。産直の入った新しいビルに初めて入った。米と味噌と少しの野菜を買った。

■雨/Saturday,12,December,2009

 四時起きというのは多少きつくて、おまけに雨が降り続けて、とにかく何の感情もなしで、土曜日だというのに週日より早く職場に出た。土曜日だというのに、というけれど、土曜日はだいたいいつもこんなだ。

 以前は日曜だけが休みだったのに、どうして今よりも休養が取れたのか。考えていたら、当時のことを思い出した。それは、若いからでも仕事が少なかったからでもない。土曜には働いたとしても、当時の僕は日曜は必ず休んでいたのだった。就職して四年間というもの、僕は日曜日に職場に行くということはまずなかった。仕事がなかったということではなく、必要に迫られるようなシステムがなかったからである。

 ところが今はどうか。日曜にも当然のように仕事が入る。いや、正確に言えば仕事を入れてしまっている。これでは、休めるわけがなかろう。誰がそれを求めているのか。誰も求めていない。求めている人がいるとしたら、そいつは阿呆だろう。阿呆にはもう用はない。

■花の金曜日/Friday,11,December,2009

 もっともきらびやかな時間とはいつだったろうか。この一週間で最も華やかだった時間は。仕事は片付かなかった。余計と言っては申し訳ないが、金曜の夕方は四時半から終了時刻不明の出張が入るなんて考えられなかったから。皆直帰する中とんぼ返りで、一時間の話し合いが入るなんて。それから翌日の準備をしているともう八時を過ぎてしまい。明朝は6時半出か。雨が降り出した。

 紙にしたためる飾られた言葉より、この口から出る生の声の方が、伝えたいことを何倍も含んでいる。これが最後と決め込んだ言葉など、もう何も意味をなさない。現在進行形の言葉だけが、生きていることを裏付ける。生きている人間の言葉でなければ、響かない。などと、言い訳がましく。それは今夜の一時間だったかもしれない。いよいよ2010年の暦にいくつかの予定がかき込まれることになった。

■木曜/Thursday,10,December,2009

 一週間は早い。気がつくともう週末だ。懸命に働いているとまた一つ負担が増す。責任が重くなる。おもしろさを追求するというのなら、この立場に拘る必要はないことはずいぶん前に学んでいる。同時に、どこだってそれは追求できることも知っている。目の前の任務をひとつひとつこなしていく中で、新しい発見があるし、充実感も得られる。それならば何の不満もなかろうに。

 何に怒っているか。命の根幹に関わる事態に対してであり、二十年来の問題意識が何ら解決されていないこの状況に対してである。おそらくこれは、二百年経っても二千年経っても変わるものではないだろう。

■最後/Wednesday,9,December,2009

 常に矛盾した感情を抱えたまま過ごし、それが時々爆発する。感情の吐露は即ち浄化であり、仕事の中には必要な過程が内在しているということはいえる。だが、かなり虚しい。

 長い時間生きていれば、準備の時期、実践の時期、そして、収穫の時期というのが自ずと定まってくるものだろう。人生の縮図の中にもそれはある。だとしたら、今がどこなのか。多くの人は勘違いをしているようだ。今こそが結果を出す時であり、今の姿こそが最後。これから変われるというのは都合のいい言い訳でしかない。残念ながら、かれらはもう死ぬまで変わることはできない。

■冬日/Tuesday,8,December,2009

 浜の町発のバスから降りたおばさんに、病院までの道を聞かれた。朝六時前に出発して、二時間かけてここまできたのか。その流れで天気の話になった。昨日は雪だったけれど、今日は朝からすっきり晴れて暖かくなりそうだ。

 しかし、インフルエンザがまたぶり返しそうな感じで、僕も何日かぶりにマスクをかけた。散歩にはちょうど良い季節になってきた。空気は冷たいけれど、歩くと身体は温まる。

 帰りは少し遅かったが、ご飯を炊いて、野菜を使ってカレーを作った。

 

■雪/Monday,7,December,2009

 朝から雪が降ったり止んだり。風も強くて時折吹雪いたり。今日は大雪。暦通りの天候だった。

 金曜日と同じような会議があった。これまでは経験がなかった。所変われば品変わるというが、ほんとうにすっかり変わってしまうので、いつもゼロからのスタートだ。ゼロから始まり、少し数値を上げたところでまたゼロに戻る。それを繰り返して年を取る。

 夜にはある筋の方と電話で話した。いよいよもって現実味を帯びてきた。

■雨/Sunday,6,December,2009

 ゆっくりと起きる。外は雨が降っている。充実した朝ご飯。おいしい海と山の幸。過疎の町に、自然発生的に表れたコミュニティの活動について話を聞く。とてもいいこと。地に足のついた活動。担い手は、近所の普通のお年寄りたち。もう放ってはおけない。誰かに頼ってはいられない。そんな気持ちからだろうか。いや、まずは自分たちの楽しみを作りたいというのが先だろう。

 日曜美術館では先日行ったばかりの根津美術館の特集。みてきたものの価値を後追いで仕入れる。隈研吾氏の話がおもしろかった。さすがに目の着けどころが素晴らしい。建築家の発想からは学ぶべきものが多い。僕らもものを見るセンスは悪くないような気もする。しかしたしかな知識が必要。あとは裏付け、理論だて。強い意志の力で。

 夜には「坂の上の雲」、きょうは第二回。明治期の社会の変化がおもしろい。司馬遼太郎のまとめあげた小説が、精彩な映像と溌剌とした俳優たちの演技によって新たな命を吹き込まれた。司馬遼太郎の仕事はまさに偉業だ。毛羽立って複雑に絡み合った歴史の荒縄を、みごと一筋の糸に収斂させている。その糸がまたいくつも絡んで太い錦の紐を作っているようだ。書いた物を全部読んだではないけれど、彼の書いた物の存在が、日本の歴史観の形成にこれまで与えた影響、そして今後与える影響は計り知れない。

■悪い人々/Saturday,5,December,2009 

 朝には普通に出勤。正午には退勤して、珈琲屋とパン屋に寄って帰った。先月のことから思い出し思い出し書いていく。夕方はラジオを聴きながら実家に行く。久しぶりに台の湯に浸かる。戻るとビールを飲みながら、母親と話をした。ぼやき川柳ではないけれど、武器も持たない金もない庶民の抵抗手段は、やはり世界を相手のぼやき以外にはないのかもしれない。

 ところで、天下り天下りというけれど、僕らの身近なところにはたいへんな天下りの現状がある。かつてある村で働いていた時、ある会議で出張したことがあった。その資料には、「釈迦福祉協議会」という見慣れない文字が印字されていた。定年で円満退職した方々が挙ってそんなところに再就職なさり、どれくらいの仕事してるのだか、どれくらいの銭を得ているのだか。かれらは異口同音に、是非にと乞われてなどと嘯くのだ。皆言い訳。自分を正当化しているに過ぎぬ、常套句なのだ。

■話し合い/Friday,4,December,2009

 呼ばれて話を聞くと、最優先で取り扱ってくれるらしい。先日は別の筋でもそのような働きかけをしてくれると聞いた。恐縮すると同時に、僕らの出した要望はそれほどの重要事項であり、今の状態はそれほどの異常事態なのだという認識を新たにした。もしもすべてが叶わなくとも、それは仕方がない。こちらはこちらで、最優先の事項を、何度も求めるのみである。

 夕方から会議。22時頃終了する。にわかにこんな時期になったかという感覚。やるべきことは決まっている。感情の引っかかりは一つもない。しかし、僕はもうこんなことで、チームの連帯感を抱いたりすることはないのだと感じた。

■秘密の数字/Thursday,3,December,2009

 狭い地域であれこれ秘密の数字がやり取りされる。自ら決めたルールは当然の如く破られ、その値に多くが一喜一憂する。現場はどこもこんなふうに汚れたものだ。誰より自分が汚いくせに、汚い物には触れようともしない。そういう傾向が、何代も続いていったら、それも伝統として大切に守られるようになるのか。

 僕は今日も雑巾をもって、埃まみれになっては、床をせっせと拭く。誰のためでもなく、誰を責めるでもなく、誰の代わりをするでもなく、誰に対する当てつけでもなく。人の罪を被ることはできないが、自分の罪を償おうとすることはできる。

■一丁上がり/Wednesday,2,December,2009

 流れに乗って人並みに締め切り通り一仕事終わらせた。コンピュータを使って、すべての要素を数値化してポポンと打ち込めば、誰がみたって立派な計算書が出来上がる。それが、何を映し出しているのかなどわからなくともよい。この数字こそがこの数ヶ月の結果なのである。

 感情が入り込む余地はない。しかし、そこにいったい何の意味がある。

■師走/Tuesday,1,December,2009

 もう今年の最後のページまできた。毎年早いが今年はとりわけ過ぎるのが早く感じられた。いろいろ理由は考えられる。その中でほんとうに充実していた日は数えるほどでしかなく、大概は仕事に追われ、疲労と眠気のうちに暮れてばかりであった。だが、将来に向けてそれなりの手応えもあった。このまま時の流れに埋没してしまうつもりなど毛頭ない。これからが楽しみだ。

 


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