2009年2月               

 

■Saturday,28,February,2009

 宅配便の不在連絡票が入っていたのが数日前。土曜に再配達してもらおうと連絡を取った。電話に出たのはひじょうにぶっきらぼうでやる気のなさそうな女性の声だった。これほどまで不快な応対を受けた記憶はなかった。とりあえず用件だけは伝えたが、いささか不安になった。

 そしてきょう。午前中に届けてくれるように頼んだので部屋で待っていた。快晴で仕事に出る必要のない土曜日。だが、いつまで経っても来ることはなかった。そういうこともあるだろうか。いや、通常はないだろう。さては先日の声の主が連絡を怠ったか。声を聞いて不安になるくらいなら、その不安が的中する可能性も高いというわけか。声だけからもその人の内面は伝わってしまうものなのだと思った。

■Friday,27,February,2009

 偶然目にした新聞のコラムを読んで反省。もっと夢をでっかくもとう。生活の細々したことはあまり気にしないことにしよう。真っ当な生活人としての歩みを基礎としつつ、大志を大事に生きる。

 昨夜も飲み会だった。今年度の残りをがんばりましょうということだった。それに一仕事終えてご苦労様という意味もあった。一次会で失礼して21時前に帰宅した。酒の席でのコミュニケーションは酒の席だけのことである。すべての人が参加しているわけではないし。もう少し昼間から風通しをよくできるといい。

 ところで、伝統というのはそこで長年に渡って培われてきたものばかりかというとそうでもなさそうだ。昨日まで伝統だと思っていたことが、実は作られてまだ間もないのだと知った。常識や慣習といったものの中にも、急に始まるものがあるかもしれない。せーので新しく何かが決まる局面。民主的に決める場合もあれば、独裁的に決められる場合もある。前者はみなの合意の下に作られるが、後者は一部の誰かがでっちあげる。望むと望まざるとに関わらず、できてしまえばシステムとして作動し始め、やがては当たり前のことになる。

 年度を越えるこれからの時期は、変なことが変なところで作られかねない危険な時期である。だからのほほんと酒ばかり飲んでいるのではなく、できるだけ主体的に監視するようにしよう。 

■Thursday,26,February,2009

 中学卒業の予餞会で、スクリーンの映像の中に自分の姿が出て驚いたことを、不意に思い出した。小岩井の近く、相ノ沢でのキャンプだった。テントの前にひとり立った僕は何のポーズも取らずとにかく直立不動でしばらくカメラに微笑み続け、その後友達を呼ぼうとテントの中に手招きをした。あんなのは、もうこの国では見られない子どもの姿だと何年かぶりに思い出して思った。まるで明治初期に欧米人が撮影した昔の日本人みたいだ。だが、このことは僕を少しほっとさせてくれた。

 あのキャンプでは夜に大雨が降り水がテントに入ってきたため、僕らの班はろくに眠ることができなかった。毛虫嫌いの友達がいて、彼のためにテントを木の下ではなく窪地に立てたことが浸水をまねいた原因だった。それで、翌朝はみな機嫌が悪かった。そんな記憶まで引き出された。

 時代が変わったといえばそれまでだが、いまの子どもたちは写真撮影などのときにはきまっていびつなVサインをしようとする。僕にはあれが気味悪くてしょうがないのだ。そんなのを後々まで残していいのかと、余計な心配をしてしまう。

 いまの子どもたちがもっていないものを僕らはもっていた。それがいまでも自分を支えてくれているのだと信じたい。同様に、僕らがもっていなかったものをいまのかれらはもっている。これから、それがかれらの支えとなるのかもしれない。そう信じたい。

 

■Wednesday,25,February,2009

 夜には親戚三人で飲んだ。韓国料理店で真っ赤な色をした辛いものばかり食べた。最近の境遇についての話もした。圧力ととらえるとこれほど強力で執拗なものはない。しかし見方を変えて、協力者と考えるとひじょうに心強い味方たちである。今後も何かと世話になることが多かろう。パーソナルな存在でありながら、人間はどうしたっていろいろな人たちと結びつきをもたねば生きていくことはできない。荒れた外海で漁をするイメージだが、するとかれらは波の穏やかな内海のような存在だ。月一回のこの会も、なるほどちょっと「ドック」と似ている。ほんの短い時間のうちに、少し力をもらってまた外に出るのである。

■Tuesday,24,February,2009

 無意味なことに時間を費やしているのではないかという疑念が頭に渦巻く。これでは本末転倒ではないか。しかし、無意味にみえることにも意味があるのだろう。ただそれがみえないというだけで意味がないと決めつけてしまうのは早計だ。所変わればというけれど、伝統として位置づけられていることの意味を探るには時間がかかるものである。少し距離を置いて客観的に眺められる今の立場は恵まれているといっていい。そしてかりに意味らしきものがみえたときには、その方法がほんとうに効率的であるかどうかを検討すればよいだろう。

 大切なのは、「なぜ」を問い続ける心を忘れないこと。理由はわからないけれどいつのまにかそうなっていた。などというのは何も変わっていないのと同じで、それこそそこにいる意味がない。

■Monday,23,February,2009

 第81回アカデミー賞発表。日本の映画が二部門で受賞という快挙。「おくりびと」が広く認められたのはとてもうれしい。「つみきのいえ」も観てみたい。おくりびとは庄内地方が舞台だった。酒田は好きな町だからそこに住む人の気持ちを想像するとこちらまで何かがこみ上げてきそうになる。東北の風景が遠くの人々の心を打ったならそれもまたうれしい。映画のシーンに登場したのと似たような風景はいたるところにある。

 素晴らしいと思ったのは、売れそうもない企画をあたためてきた本木雅弘さんの情熱と、それを長い時間かかって実現へと導いたさまざまな人々の縁だ。そして、今回の結果では、ハリウッドのような量産システムの限界がみえたとはいえないだろうか。「ものづくり」のための大事な精神が認められたのかはわからない。でも、映画製作の根底にそれが間違いなくあったことは自負してよい。これを弾みとして、日本人自身がよい「もの」をつくる営みをさらに続けられるとよいと思う。

■Sunday,22,February,2009

 何もない日曜日。外は寒く、雪が降っている。日中は、どこに出かけるでも、何をするでもなく、部屋で過ごす。テレビを見たり、新聞に目を通したり、音楽を聴いたり、ラジオを聞いたりしていると、15時を回った。なんだか、車に乗りたくなって、雪道を走った。郊外にあるクラフトショップを、見て回って、ジャムを買って帰った。ラジオがつまらないときは、CDを聴く。この半年というもの、鈴木祥子の新譜しか聴いていない。iPodを繋げることもなく,他のCDをかけることもない。それだけ車に乗る時間が少ないということか。少し眠ってから外に出た。中華料理屋でネギラーメンを食べて、本屋とスーパーで買い物した。

 iPodも使っていないと使い方を忘れてしまう。起動してみてやっと思い出した。夜更け過ぎになって本を読み始めた。厚い本だったがわかりやすくてどんどん進み、夜更かししてしまった。なんだか斑のある時間の使い方だった。

■Saturday,21,February,2009

 朝には少し日記を書いて、昼前からは仕事に出た。終わると夕方だった。コーヒーを買い、パンを買い、必要なものを買って帰ると夜だった。ここ数週間は出かけたり、イベントがあったりしたのだが、きょうはない。のんびりした気持ちと、物足りない気持ちが同居する。

 夕食後の長い電話。この安心感は何だろう。記憶をたどったって、過去にこんなことはなかった。これまでの「信じる」はほんとうの信じるではなかった。信じるとはもっと強くてたしかな感覚だったのだ。いままでの自分がいかに頼りなかったことか。それを思うと申し訳なさでいっぱいになる。でもその申し訳なさの百倍の気持ちが湧いてくる。これまでの「生きる」はほんとうの生きるではなかった。生きるとは…もっと深みのある、あたたかい事実だったのだ。許されるものならば生きることをもっと知りたい。

 

■Friday,20,February,2009

 大雪。しかもひじょうに寒い。コートのフードを被り、傘をさす。渋滞している車の列より早く、積もった雪を漕いで歩く。雨水も過ぎた今頃になって本来の冬がやってきた。三寒四温などと穏やかな変化ではなくて、不意を突かれたような感じだ。すんなりとは春にならない。いずれそのうちと楽観してはいるけれど。

 夜には高校時代からの友人と飲んだ。前に会ったのがいつか思い出せず、だいたい一年半ぶりかなということになった。駅前の大きな居酒屋は、できたばかりかと思ったらこれも一年半前には既にあったらしい。それほど注意していなかった。そもそもあまり通らない道なのだ。電話してからもずいぶん経つから、その後の近況について互いに教え合った。もちろん仕事の話はしないと約束して。

 冷静にみて僕らはかなり変貌した。しかし中身はたいして変わっていない。彼の本質は色好みで、僕は糞がつくほどの真面目。それがそれぞれの軌跡を描いてまったく別の進化を遂げてきた。互いに対して羨みも哀れみも抱かない。そしていまになって思うと、二人のそれを置き換えても意味が通じるのではないかと思った。でも互いになぜか望みは遂げられないままなのだ。

 二軒目はこの間までダンスホールだったところだった。映画館のようなスクリーンにMTVが映し出されていた。ウイスキーを飲みながら、友人が店の主人や他の客と談笑しているのを黙って聞いていた。友人は次の店に僕を誘ったが、僕は明日の仕事を理由に断った。

 こんなふうにして25年以上の付き合いが続いている。こんなふうにして、これからもいくのだろう。

■Thursday,19,February,2009

 通常通りの仕事の途中に一時間だけ休みを取って金融機関や役所を回った。天気は快晴だったし、平日の日中に街を歩くことなどないから、新鮮な気持ちで散歩ができた。まずは今月分の家賃や駐車場代や祖母への仕送りや電話代を振り込んだ。でもそれは外に出たついでであって、いちばんの目的は役所の窓口だった。粗方調えたモノをチェックしてもらい、細かなことを何点か確認した。それだけで何かココロが一歩先に進んだような気になった。戻るとちょうど一時間。何事もないように通常通りの仕事に戻った。

 何事においてもモノの準備とココロの準備が要る。モノのほうは調ってもココロがなければ成立しない。逆も同じ。ココロがあってもモノが揃わなければ完成しない。そこに至るまでのバイオリズムみたいなものが微妙に上下し合うから、ぴったり一致するのはほんの一瞬だ。しかし一度ひとつになったなら、またさらに次の段階に進んでゆけるはずなのだ。そんなの、絵に描いた餅だろうか。それでも、それをとても強く信じている。万難を排して取り組むかまえだ。

■Wednesday,18,February,2009

 初めて味噌汁を作ったのは今年に入ってのことだ。それまではインスタントのもので済ませ、それでいいと思っていた。しかし自分で作ってみると簡単だし野菜も多く取ることができる。何より食卓の中心が味噌汁となって、余計なおかずがなくともおいしくごはんが食べられ満足感も得られる。この年になるまで気がつかなかったなんて自分でも驚きだ。気づかせてくれたのは母親ではない。長い時間をかけてよくない食習慣が染み付いた。でもそれを改善する視点はもつことができた。40年で染み付いたものを残りの半生で塗り替えていく。それでは遅いか。4倍速のスローライフで10年後の理想的な身体を目指そうと思う。

 きょうは母の誕生日だった。電話はしなかった。敬愛する母ではあるが歳を感じることも多くなった。祖母もそうだったというが、年々目に見えて頑固になってきた。僕の苛立ちはその頑固さに本人が気づかないことだ。相反する感情を制御しながら生きなくてはならないと覚悟する。父は老いる前に世を去ったが、母は老いて逝く。祖母もいる。母とも関わる。そして、僕自身の老いとも向き合いながら歩んでいく。

 ときどき志村けんさんのブログをのぞく。ほんとうに素敵なおじさんだと思う。

■Tuesday,17,February,2009

 酩酊状態で記者会見をした閣僚がいた。その醜態は世界に配信され経済大国日本は失笑を買った。国益は著しく損なわれた。血と汗によって積み上げられたものはこのようにいとも簡単に崩される。そして尻拭いをするのはいつも国民のほうなのだ。しかし嘆くなかれ。かれらを選んだのは誰でもない国民自身なのだから。自らの無知と無関心を謙虚に反省し自棄にならず学び続ける態度をもちたい。

 いまこそ立ち上がらねばならぬ。ほんとうの日本人とは我らのような人だと胸を張って仕事をせねばならぬ。あの人たちとは違うのだと若い我らが態度で示そう。先代の重い十字架を次代の我らが笑顔で背負おう。世界の各地に移民として向かった同胞の志にならって、暗い荒れ地を開墾すべく生きるのだ。

■Monday,16,February,2009

 インフルエンザの流行は下火になったわけでもないようで、週明けにはさまざまなところで支障を来した。病気の時はお互い様でカバーし合わなければならないのはしかたない。しかし、慢性的に手の足りない状態からさらに減るのだからたいへんだ。怒りや苛立ちの矛先をどこに向けるべきなのか。そこを間違ってはいけない。

 お互い様の意味するところは相互扶助やギヴアンドテイクといったものと似ている。ところが、現実の世界では5050のすっかり平等という状況はむしろ少ない。休みがちな人はよく休むが、休まない人は年に一日も休まない。たまに虚しく響くお互い様という言葉だが、もしかしたらもっと違う意味があるのかもしれない。

 できる人ができない人を支え、わかる人がわからない人を先導する。無限の可能性を秘めた子どもたちの生活にはよくあることだが、大人の日常でこの関係が逆転することはまずない。足を引っ張る人やわからないことを言う人はどこにだっている。うまくいかないことをその人たちの所為にして腹を立ててもどうにもならない。

 一対一でとらえると関係はギクシャクする。しかし、自分をとりまくすべての人たちとの関係としてみると、僕らは誰かを支えながらまた誰かには支えられている。空間的な広がりに留まらない。大人は子に教えながら学び、子はまたその子に教えながら学ぶのだ。不可逆的な時間の中に、お互い様の関係は無数に存在する。

■Sunday,15,February,2009

 せっかくの安楽の日曜日に、しあわせの絶頂から地獄に堕ちるような気分を味わった。

 ひじょうに不愉快なことが重なってがっくり。だれもかれもあまりに大人げないと思ったよ。

■Saturday,14,February,2009

 今朝はゆっくり起きて部屋の掃除をした。もう少し俊敏に働きたかったが、動きが鈍く作業はあまり進まなかった。疲れが残っているせいもあるが、昼からのことを考えると休日という気がせず、気持ちが落ち着かなかったのだ。

 昼には食事会があった。参加者はわずかだがひじょうに意味のある会合だった。老舗の鰻屋で2時間と少し、僕はほとんど周りの人たちの会話を聞いてばかりだった。終わりまですっかり頼りきりだったみたいだ。こういうときに話題をリードできる力の持ち主を尊敬する。疲れているところ、ほんとうにがんばったと思う。

 少し時間をおいて、部屋でコーヒーを飲みながら休憩。やっとリラックスできた。僕が席を外した時の話を聞いて驚いた。年を取るといろいろと予期せぬ変化が起こるらしい。それはそれでこちらが注意して話せばいいことなのでこれからは気をつけよう。

 顔を合わせる機会が多くなること。そして、その頻度が高くなること。それによって、親近感や信頼感が増してくる。さらに距離が縮まっていくのか思うと、歓喜と興奮の入り交じったような微妙な気持ちになる。ほんとうに素敵なことだ。

 夜にはまたビールを飲んだ。あれこれと旅話などを聞きつつ、忠言なども聞きつつ、こんなふうにして関係性が広がることに驚きと感謝の念が沸き起こった。これまで出会った人たち皆が僕らを守ってくれているのだ。

■Friday,13,February,2009

 あっという間に通常業務は終わった。しかしその後が長かった。夕方から会議が3時間続いた。昨日の会議に続いてだったので疲れて眠くてだめだった。そしてその後にも別の会議が1時間。さらにそれから仕上げるべきものを作成した。皆の帰った職場でひとりぽつんと仕事をした。どうしても休日出勤はしたくなかった。

 仕事をした時間は長かったけれど、細々とした空き時間を利用して本を一冊読むことができた。これは僕にとってはたいへん画期的なことだ。わかりやすくてどんどん読み進めることができた。内容がおもしろかったこともあるが、それだけ気力は充実していたともいえる。これからこういう日が多くなればいい。 

■Thursday,12,February,2009

 月曜日にも似た感覚。しかし本日はすでに木曜日。仕事は仕事であるけれど、会議は会議で長いけれど、気持ちがこんなに楽な週はない。いまではひじょうに少なくなった、連休でない祝日がありがたい。

 土日は休みになったけれど、たまに三連休もあるけれど、疲れる日は逆に増えた。土曜日が半ドンだった頃の午後は好きだった。けっこう自由に同僚と外に食事に出かけてのんびりできたものだった。そういうときの何気ない談笑なんかがうまい具合にガス抜きになっていたのだろう。戻りたいとは思わないが、たまに懐かしく思い出す。

 疲れる日が増えた原因には年齢もあるだろう。仕方ないところもある。でも流されたくはないな。若さを保つ秘訣はあるかな。体力も見た目も若々しかったらいいよな。久しぶりに会った人からいつまでも変わらないねと言われるくらいだったらいいよな。

■Wednesday,11,February,2009

 きょうは午前中は仕事に出た。帰りにパン屋に寄ったら、この建物での営業はきょうで終わりということだった。古い町家の建物にマッチしたいまの店の雰囲気は好きだったが、きっと新しい場所になってもあまり変わらないだろう。コンセプトさえしっかりしていれば動きがぶれることはない。店長のブログは筋が通っている。

 きょうはこのサイトを立ち上げた記念の日。丸9年になる。何でも10年続ければモノになるという。だからというわけではないがいままで続けてきて、10年まであと1年になった。サイトを立ち上げる前、1997年くらいから3年間は紙の日記帳に書いていた。書いているうちに誰かに読んでほしくなった。自分ひとりの体験にしておくのがもったいなく感じられた。それから時代の流れもある。いままでは考えられなかったことが技術の進歩によって可能になった。さらにミレニアムという言葉がはやったとおり、新たな千年紀の始まりが重なった。1000年経っても古くならないものを残したいと思った。そんな思いからメールアドレスには3001という数字を入れた。いま振り返ってみるとそんなふうになる。

 この間さまざまなことがあり、さまざまなことが変わった。紆余曲折しながらもこれだけの軌跡が残った。結局誰のためでもなく、僕自身がこれによって励まされ背中を押されてここまで来た気がする。しかし、僕以外のものの存在がなければこれは成立しない。感謝の念でいっぱいである。

 

■Tuesday,10,February,2009

 同じ部署で初めての飲み会だった。見倣いたい人がいた。仕事ができる人ほど仕事以外の時間も充実しているようだ。仕事を時間で切り上げて上手に遊べるようになりたいものだ。「遊び」のない車ほど危ないものはない。この空気にときどき息苦しくなる時もある。自分から動かなければただ雰囲気に流されてしまうだけである。今夜はいい刺激になった。引き続き上手な時間の使い方を意識して生活しよう。

■Monday,9,February,2009

 文章について褒められたので少しのぼせてぽーっとなった。でもほんとうはここには書けないようなことを書きたい。書かないようにしていることをこそ書きたい。矛盾を抱えながら試みているのがいまである。落語では時事問題を扱うことは邪道なのだと、いつか聞いたことがある。本質的な事柄は時代や国を選ばない。そのことに強い衝撃を受けたものだ。それから僕の書きぶりはわずかでも変わったに違いない。僕の個人的な境遇の中で感じることや考えることにも、あなたの境遇と共有できる点があるはずだ。僕の表現に間違いがなければあなたがたとえ1000年先の人間であろうと理解し合うことは可能だろう。思えば、時代を超えた共感や理解というものがこのサイトを立ち上げる契機だった。今でもそれは変わっていない。

 引っかかっているのは、匿名では限界があるということ。打開策は、僕が素性を完全に公開し社会的な個人としての責任を明確にした上で言論すること。何者かを伏せていることは無責任な態度であり、結局は現実逃避の戯言の域を出ない。それでは満足できないわけで、かといって公開し現実に支障を来すことはできないわけで、どうしたらよいかと思いながらも、あまりスタイルを変えずに来ているのが実情である。

 

■Sunday,8,February,2009

 先週と同様の過ごし方をする。同様だけど少しずつ先に進んでいる感覚がある。ひとつのテキストにしたがって考え方を摺り合わせていく。違いはあって当然。ひとつひとつ言葉にすることで違いの中身が明らかになる。違いの認め合いが理解ということなのかもしれぬ。風が強くて冷たい日。久しぶりに温かい蕎麦を食べた。いつの間にか孤独の心は解き放たれて、これまでの自分の壁が崩れつつある。

■Saturday,7,February,2009

 11時頃まで仕事だった。帰りがけにいくつか買い物をした。土曜日の昼のアーケード街はそこそこの活気を呈しており、店の主人と言葉を交わしたりするだけで楽しくなった。スーパーマーケットではできないことだ。週に一度くらいは、商店街を歩きながら必要なものだけを少しずつ買うような時間があるといい。

 一週間前には大雪で道中は困難を極めたが、今週は晴れて道も乾き走りやすかった。先週より2時間早いペースで同様の過ごし方をした。スーパーマーケットを何軒か回ったがお目当ての品の質はどこも悪かったらしい。そして、専門店のものはというと、とてもよかったようだ。いつもの温泉に入った後お気に入りの寿司屋に寄ったが混んでいた。やむを得ずほかの店から買った寿司はやはり味が違った。いいものを見分ける目をもつ人、そしてそれを求めることに妥協しない人。僕は素敵だと思う。

 

■Friday,6,February,2009

 田口壮の言葉にふれると涙がこぼれそうになる。最後のピースの話。どこかで同じようなことを考えたことがあった。それでも自分の場合しかめっ面していることが多いけれど。同時代に生きられることを嬉しく思う。

 早起きして豚汁何ぞを作った。昼飯抜きだったから腹が減った。夜その豚汁を食べると眠くなった。眠くなったが、また映画のことが頭をよぎった。レイトショー。チェ・ゲバラの後編を観に出かけた。「チェ 39歳別れの手紙」 

  革命が成功した前編とは対照的で、終始青の強調された画面はとても哀しげだった。彼の死から40年を経てもなお支配や搾取の構造は変わらない。しかし、彼のしたことには命を賭す価値があった。いくら長く果てしない道のりでも、傍観者ではなく自ら歩める者でありたい。

■Thursday,5,February,2009

 いるべき人がいない状況は突然訪れる。お互い様という言葉を信じるなら、そんなときこそ最大限に協力すべきである。それにしても人々の責任感の強さ。きょう自分のしたことがたとえ無駄な仕事だったとしても、このような協力体制をみることができたのは自分の財産となるだろう。悪くない。充実感とも清々しさとも違う気持ちで帰宅する。

 自分のことはいつでも後回しになる。時代おくれの歌詞を思い出す。でもなりたくてなっているわけでない。気がつけばそうなっていた。誰も辿り着いていない未来の最前線を進んでいるつもりが、知らぬ間に時代おくれになっていた。実際はそんなところだろう。

 

■Wednesday,4,Febryary,2009

 前線に立たなければ見えてこないことがある。今週は風邪が流行っていて休む人も多いためか、早く帰る人が多い。そんなときそれに乗じてさっさと失礼しようとするのだけど、もたもたしていると遅くなってしまう。今夜も少々タイミングを逸してしまった。しかし、もし自分がいなければ空転したかと思うと、これでも自分の存在意義があったのだとも解釈できるのでよしとしよう。ずいぶんいろいろとかけずり回った。その結果なんとか収拾できた。いなかった人にとっては無いに等しいことだけど。その場にいる人間にしかわからないことだけど。

■Tuesday,3,February,2009

 まだ火曜かよ。週のはじめはこんな感じで時間の進み方がのろい。それが水曜の午後あたりになると一気に坂を駆け下りるように早く感じられるようになる。いつからこんな感覚になったのだろう。

 映画の話が聞こえてくる。アフターファイブの映画を楽しみにしている人が少なくない。職業人としてしかも生活者として洗練された人々がいる。見習うべきことはさまざまある。ほんとうに優れた人は時間で仕事を終えることができる。やる気とか、思いとか、情熱とか。それらが悪いとは言わないが実質はない。結果を出さなければそれはただの独善だ。

■Monday,2,February,2009

 心配の電話やメールがあった。人の意見を聞きながらいちばんいい方法をとってやっていこう。時間はあるようでないが、日々の暮らしを見直せば作り出せぬものでもない。そして話をしながら進めればきっといい方向に進むだろうと、強く信じてやまない。絶対的な信頼。なによりこの日々のときめくような感覚を大切にしたい。

 僕は緊張症である。思うように身体が動かなくなる。それも氷が溶けるように少しずつ動けるようになるだろうか。そのために、これまでとは違う状況をつくりだそうとしているのだから。

■Sunday,1,February,2009

 朝は7時前まで寝ていた。昨日は適度に運動し、温泉で温まり、うまいもので腹を満たして寝たので熟睡した。朝にはテレビを見て、あれこれと話をして、パンとコーヒーの朝食をとって、過ごした。何でもないことかもしれないが、とても重要なこと。大切なことは変わりないけれど、生活の重心が変わってきていることは確か。それは自分より大事なものの存在といえるかもしれない。これまでの暮らしからシフトさせるには手続きが要る。だが手続きの前に覚悟が足りなかったということか。思い通りに事は運ばないだろう。けれど、思い通りに夢を描けるなら何年でも待てそうな気がする。これまで辿った道のりを思えば3時間の冬道など何でもない。


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