2009年1月               

 

■Saturday,31,January,2009

 日中少し仕事があり、職場に行きました。きょうはハッスルして身体を動かしました。朝から雪が降っており、時折激しい風が吹きました。仕事を終えるといつもの珈琲屋でコーヒーを二種類買いました。お店の人とも少しずつ仲良くなってきました。

 高速道路は南の方が全面通行止めでしたが、北は大丈夫でした。雪ではありましたが、視界は悪くなく、しかも交通量が少ないので走りやすかったような気がします。道中はラジオを聴きました。土曜日の午後はNHK大阪のラジオがおもしろいです。

 沿岸部も大雪で二十センチくらい積もっていました。車を停めるため、必要に迫られ雪かきをしました。手伝ってくださる方がいてたいへん助かりました。いつもの温泉までの道のりも真っ白でした。温泉場に雪というのはぴったりの情景だと思うのですがどうでしょうか。

 そしてこれもいつものようにビールといつものお寿司をいただきました。この日はもう夜遅かったので、持ち帰りにしてもらったのですが、新鮮さは変わらずで、これもよかったです。私はどちらかというと好きなネタを後に取っておく方です。でも、これから変わるかもしれません。

 比較的早く休むことになりました。長い一週間だったのですから疲れがたまっているでしょう。疲れは取った方がいいし、眠い時は寝た方がいいです。

■Friday,30,January,2009

 今月ももう終わり。月末の金曜日。きょうもほとんど休憩はありませんでした。流れに乗っているとあっという間に夕方を迎えてしまいます。ほんとうにこんな調子で一週間が、一か月が終わってしまいます。懸案となっていた仕事も一週間のうちに自然と進んでいて、きょうはきょうですっきりと一区切りがつきました。

 帰宅してしばらくうとうとしてから、思い立って映画に出かけました。先週DVDで観た007シリーズの最新作でした。前作の続編にはなっていましたが、前作のドラマチックな作りとは打って変わって全編アクションシーン満載の映画でした。もっと人間ジェームズ・ボンドがみたかったのですが、なんだかジェイソン・ボーンを見ているようで目が回りました。娯楽以上でも以下でもない映画。それもいいが、それだと物足りない。そういうものを観るときがあってもいいけど、そういうものだけでは満足できない。やはり最後にはほんものの男、ほんものの人間をみたい。明日からはチェ・ゲバラの後編が始まるので、今宵のところはよしとしましょう。

■Thursday,29,January,2009

 全く休憩なしの二日間は終わってみればあっという間。やるべきことさえこなしていれば済んだので、ある意味楽でタイムスリップしたような感覚だけが残っています。この感覚が年単位であったりすると、気がついた時には年を取っていたということになるのでしょう。それが今なのかもしれません。

 きょうはたまっている仕事を片付けようと少々残業しようと思っていました。しかし、19時を過ぎると気がつくとほかに二人しか残っておらず、少し話などをして、そろそろ閉めましょうかということで帰りました。ひじょうに割り切りが良い職場ではあります。だいたいこういう場合、仕事を持ち帰っても進まず朝になってしまうことが多いのですが、ほかの人たちはどうしているのだろうと不思議です。家でなんて、仕事ができるものでしょうか。

■Wednesday,28,January,2009

 週の真ん中も終わってみれば今週もあと二日。と、そんなようなことばかり考えて、それ以外のことは何も考えていない空虚な感じの日々です。帰宅は意外と早いですが、疲れてボーッとしている時間ばかりです。ほんとうは家での生活本意で暮らしたいのですが、なかなかうまくいきません。

■Tuesday,27,January,2009

 実家から着信が何度か入っており緊急事態かと思って電話をかけると、お寺の名前と場所を調べてほしいということでした。数年前に亡くなった叔母の墓参りに来週行くことになったので、急いで調べてくれということでした。亡くなったときには叔母たちの兄弟は皆で行ったはずなのですが、誰一人としてその寺の名前を覚えていないというのです。寺があるのは茨城だし、事情はあったにせよ、誰も記録を付けていなかったのかといささか驚きました。でも、こういうことはありがちかもしれないと思いました。記録は大切です。

 数少ない情報を頼りに調べました。ネットがなければとうていわからなかったこと。あるいは、時間がかかったことのはずですが、比較的簡単に探すことができました。もしもネットがなかったら、どうやって調べていたことでしょう。便利になったというより、コンピュータのない世界をもう思い出せなくなったことが恐ろしい気がします。

■Monday,26,January,2009

 振り込め詐欺はさすがにありませんが、思えば騙されて買わされた経験は何度かあります。100巻もある文学全集は、初任の頃に買いましたが箱が場所を取るので困りました。そしてろくに読まずに古本屋に売りました。勉強しようという意欲が旺盛だったのでしょうが、購入を決断した売り手の一言は「○○さんも買いました」でした。速読のビデオ教材のときは、自ら資料を請求したら電話がかかってきて、その電話がしつこくて負けてしまったのです。でもそのときも、速読を身につけてどんどん本を読むぞという決意が強かったのです。

 ですから、騙されたなどと言っては店の人が怒ります。店としては正々堂々とセールスをして、その成果としての売り上げだったわけですから。しかし、反省としては、結局何をしたかったのかが曖昧だったのだと言えます。そして、本さえあれば勉強する、速読さえ覚えれば読書が進むという安易な考えがあったのだと思います。安直なことを考えて失敗することはいまもありますが、少しは慎重にものごとを考えられるようになったかなとは思います。

■Sunday,25,January,2009

 実家に泊まり、サンデーモーニングを見ました。いまや一週間で唯一見るテレビ番組がこれです。世界がこれだけ変わり続けているのに、この番組のスタイルはまったく変わっていないようです。コメンテーターの言葉たちが栄養になっているはずですが、さて何のための言葉でしょう。受け手がそれを生かすにはやはりその人なりに考えたことをその人なりに言葉にして誰かに伝えることが必要なのではないでしょうか。私の仕事の核心というか本質はそこのところだと思います。それにしては、あまりにインプットの量が少ないこのごろです。

 午後には電話で長い時間話しました。目の前に姿が浮かんでくるような不思議な感覚がありました。

 夜には叔母が貸してくれた「007カジノ・ロワイヤル」のDVDを観ました。007はテレビで見たことはありますが、劇場で観たことはありません。正直言ってあまり興味がなかったのですが、観たらとてもおもしろかったです。なによりジェームズ・ボンド役の俳優ダニエル・クレイグがかっこよくて驚きました。甘いところが少しもない。憧れてしまいます。これまでの007への見方が覆されました。

■Saturday,24,January,2009

 午前に一週間分の記録を付け、昼から仕事に行きました。このところこのようなパタンになってしまっています。一週間前のことは忘れてしまっていますが、パソコンに向かっているうちに思い出すという感じです。

 夜には久しぶりに花巻温泉に行きました。料金がずいぶん値上がりしていました。今回は情けないことにタオルを忘れてしまいました。ここの湯の特徴は、ひじょうに熱いということです。この日も45度でした。それも慣れると悪くないのですが、熱いのが苦手な人には薦められないお風呂です。

■Friday,23,January,2009

 週末には映画をという野望を抱きながら一週間を過ごしてきました。しかし、金曜の夕方になって、それを阻もうという輩がいろいろと騒動を起こしまして、手を煩わされました。そこはその「違いを楽しむ」心でやるべきことはやり終えました。楽しい一週間でした。ある人から「あなたはシブトイね」と言われました。ちょっと前にも同じことを言われた気がしますが、何を言ってるんですかまだまだ行けますよという感じです。おしごと完了は20時。上演開始は20時20分。ナイスタイミングです。

 今宵は「チェ 28歳の革命」を観ました。戦争の場面が多く出てくる映画を私はあまり観たことがありませんでしたので、キューバの森を往く革命派の進軍の様子は興味深いものでした。キューバの博物館でも感じたのですが、どうしてチェ・ゲバラが20世紀最大のカリスマと呼ばれるのか、今ひとつわかりませんでした。でもなるほど、第二部も合わせて観ればかなり核心に迫れそう。そんな気持ちになりました。39歳の方も楽しみです。ハバナの海岸で見た反USAの看板を思い出しました。一見冷徹ではありますが、あれほど愛に満ちた人であったかと思うと、見た目だけではなく真に彼はかっこいい人間だ、と感じました。

■Thrsday,22,January,2009

 水曜あたりまでは、今週は長いなあと感じていたのですが、きょうになると、もう明日で終わりだよという感覚に変わっています。年が変わってからは3週間ですが、あのあたりのことはかなり遠い日の出来事になってしまいました。

 ネスカフェの宣伝で、「違いがわかる男」というのがありました。70年代80年代と使われた「違いがわかる男」というフレーズは、90年代になると「上質を知る人」に、そして2000年からは「違いを楽しむ人」に変わったそうです。現在のCMは見たことがありませんが、このコピーの変遷には生活の質が反映されているようです。

 なぜそんなことが思い浮かんだかというと、違いを楽しむ気持ちをもてばこの世知辛い世の中もけっこうおもしろく過ごせるのではないかと感じたからです。毎日のようにおもしろくないことやしちめんどうくさいことや他人との見解の不一致や性格の不一致などがありますが、それらすべて、「違いを楽しむ」見方をすれば意外と楽しめます。多忙な時ほどそんな見方のチャンスが広がるのもまた事実。ゆっくりコーヒーを飲む暇もないほどですが、今週はけっこう楽しく過ごしています。

■Wednesday,21,January,2009

 オバマ大統領就任。時代が変わる節目なのだということを強く感じます。これまでの8年で狂ったネジをどれだけ修正できるのか。人々の期待を一身に背負うオバマさんですが、私も彼に期待を寄せる者の一人です。それにしても、アメリカ合衆国の大統領というのは世界にとってこれほどまでに大きな存在なのだと、今更ながら感じます。前任者はいったい何だったのか。そして、それを選んだ民はいったい何を考えていたのか。一国のリーダーの重みについて考えます。しかし、我が国の首脳と呼ばれる人たちも選んだのは我々国民だったのです。リーダーの重みよりもっと重いのは名も無い一般庶民の投じる清き一票ではないでしょうか。

 堅固な精神性をもったリーダーの誕生は、世界がほんとうに待ち望んでいたものでした。でも、ほんとうに世界を変えるのは民の方であることを忘れてはいけないと思います。

 今夜は恒例の3人会でした。居酒屋で鍋を囲んで楽しく過ごしました。

 

■Tuesday,20,January,2009

 出勤前から早く帰ることだけを考えていました。階段を上がる足取りも重く、やはり軌道に乗るには時間がかかるのだと考えていました。朝のうちは。

 しかし、走り出してしまうとそれが当たり前になってしまうわけで、気がつくと本来の気分に戻っていました。一か月という時間がそうさせるのか、新しいタームということだからか、清新な空気を吸って正気を取り戻しました。あまり気負わずに、業務に専念する。それが職業人としての私のすべてです。このような心境にいる場合、私はかりに途中で死んでもかまわないとさえ思います。でも、仕事を終えて一歩離れて考えてみると、人生は仕事だけのものではないと、これまた正気に目覚めるのです。

 どちらがほんとうの気持ちなのかと問われると、当然後者でしょということになりますが、よくわからないとも言えます。よくいえばそれほどに割り切っているということでしょう。脳のパーティションを切っていると考えれば納得です。

■Monday,19,January,2009

 通常業務をこなす一日。あまり力を使わずに、やるべきことをただ淡々とやるだけの日。滑り出しは快調。しかし、喉の衰えを実感。しばらく大きな声を出していないと確実に声帯は弱まってしまいます。そして少しリハビリが必要。それほど深刻とは感じませんでしたが、年齢的なことを言うといままでと同じに考えてはいけないなということもあります。一気に走り出したら後でへばりそうなので、おとなしくしていました。

■Sunday,18,January,2009

 貴重な日曜日。もしかしたら一年でいちばん嫌な一日かもしれない日。しかしその割にはいつもと変わらず平静に過ごしました。新しい週の準備も先週のうちに終えているので、仕事から完全に離れた休日でした。パソコンをいじったり、散歩に出たり、のんべんだらりとした生活になってしまいました。時間のない時には時間を求め、時間のある時にはだらだらというこのジレンマ。これは弱さととらえた方がこれからのためにはいいのでしょうね。

■Saturday,17,January,2009

 今朝はじゃっかん頭が重く、目覚めてもまだ眠りが浅いような感じで、日中何度も横になりました。繊維質が足りないので、牛蒡を食べました。腹が膨れた感じなのは、それより昨夜も食べ過ぎてしまったからでしょう。

 午後には少し電話で話しました。人と話すことで考えが整理されることもあります。自分の中では当然の帰結としてのお喋りと相談でした。しかしいい加減謙虚に受け止めてばかりでなくて素直に反応したいと思います。これからのことに関してはひじょうに期待をしています。大きく変われそうな気がするからです。同じように相手に変革をもたらす存在に私もなれるでしょうか。

 夕方から動き出して、電気屋でまたテレビやコンピュータのことを聞きました。私のと同じパソコンを店員が持っていたので、話がしやすかったです。しかし話を聞いているうちに、自分は何をしたいのかわからなくなりました。何か新しいモノが欲しいというだけの症状なのかもしれません。本屋をぐるぐる回りながらも同じことを考えました。一冊気になる本の在庫を聞いたら売り切れでした。未読の本を読めというサインですねきっと。欲しがってばかりはいられないと少々反省しました。

■Friday,16,January,2009

 いくつかの会議がありました。周囲の人々は皆真面目な参加態度です。早く帰りたいとかめんどくさいとか考えている人など自分以外には一人もいないようにみえました。皆は実に偉いなあと思います。

 言葉がコントロールできていないということは、心がコントロールできていないということです。つまりは精神的に不安定なのでしょう。その不安定さが言葉になったり行動になったりするのです。言い換えると落ち着きのない人間です。これだから仕事にも身が入らないのでしょう。落ち着きのある大人と呼ばれるのは、いつのことやら。

 早めに帰ってきたら眠くなりました。布団に横になると十分くらいガーッと眠って目覚めたらすっきりしました。ほんとうはもう少し眠りたかったのですが、先週のイベントの反省会があったので出かけました。意外におもしろく飲むことができました。終了したら十一時でした。仕事上のチームではありましたが、普段の職場を離れてのプロジェクトだったので新鮮な交流ができました。なかなか素晴らしいメンバーでした。やっと終了とほっとした気持ちが強いですが、また同じようなことがあったときにはもっと大事に取り組みたいと思いました。

 

■Thursday,15,January,2009

 YouTubeの高画質映像を見ていると、もうテレビなんか要らないと思えてきます。パソコンで地デジを見られるかと思ったら、私のパソコンでは著作権保護のため無理だと先日の電気屋の店員が教えてくれました。テレビ業界とコンピュータ業界はいま大喧嘩の最中なのだそうです。著作物にしては粗雑な作りの番組が増えたような気がしますが、それはいいとして、デジタルで録画したものは十回までしか複製できないのだそうですね。自分たちの側に利益を誘導するつもりが、行く末を自ら狭めてしまっているように思えてなりません。そしてそんなことをしているのは日本だけだという噂も。ソフトの劣化とも相俟って、アナログ放送が止まると同時にテレビ離れが加速するのではないでしょうか。まあそれも仕方ありません。

 ところで、自分の書いたものを見直したら反吐が出そうでした。自分は何をやっているのかと情けなくなります。言霊がどうとか言いながら自分自身がいちばん言葉をコントロールできていないようです。

■Wednesday,14,January,2009

 慇懃無礼体とでも申しましょうか、この丁寧過ぎる言葉遣いは意外と癖になりそうです。しかし本音を書いていても本音にみえないところが私の日記には相応しくないような気がします。ですから、丁寧さを心がけながらもそれ以上にはならないように気をつけて書くことにします。

 今朝仕事に向かう道すがら考えたのは、思いが言葉になるには時間がかかるということです。そして、ペン先が紙につく(実際には指先がキーを叩く)瞬間に初めて言葉が生まれるということです。つまり言葉になる前段階である程度寝かしておくことが大切だということです。これは話し言葉でも同じで、頭のメモパッドに記録する段階というのがあるような気がします。

 レスポンスが早いのは素晴らしいことです。それだけ頭の回転が速いわけですから。でも、遅いことが良くないわけではありません。ゆっくりの回転でじっくり思考できるのもその人の個性ですから。たわいもないおしゃべりであれば、丁々発止のやりとりや軽口といったものこそが会話の意味にも勝るといえるかもしれませんが、たとえば人生を左右するような決断を迫られた時に同じようなリズムで結論を出すことはできません。その場その場でたのしいやりとりをして満足を得られる関係も世の中にはたくさんあります。器用に使い分けられる人は尊敬に値します。そのような人たちを羨ましく思うときもありますけれど、私は一言一言の言葉の意味をいつでももっと重くとらえたい気持ちが強いです。言霊という言い方のとおり言葉には魂が宿っています。時代に適応してスタイルを変えながらも、魂の入った言葉を紡ぐことができたらいいのにと思います。

 言葉のほんとうの意味を理解してくれる人間など、一生のうちに一人か二人くらいいれば十分だというくらいに考えています。それほどまでに人の理解は難しく、それだけに理解者の存在は有り難いわけです。

■Tuesday,13,January,2009

 さて本日からは仕事でございます。と申しましても今週はまださして緊迫した状況ではございませんので、気持ちはひじょうに穏やかでございました。朝少々遅く起きまして窓の外をのぞいてみますと、雪が降り積もって景色は真っ白でございます。昨夜は暗くて気がつきませんでした。ああさすがに北国の冬はこうも寒々としたものなのだなあなどと、あらためて私の住む土地について考えたのでございました。しかし私は仕合せです。戦争状態ではなく、しかもまだ豊かなこの国に生まれてこうして好きなことができるのですから。冬の次には春が来ます。そしていずれ夏にもなりましょう。

 日本がずっと平和なまま続いてゆくとは限らない。私の好きな歌の歌詞にこのようなフレーズがあるのです。その後、だから今この普通の日々を大切に生きる。と続きます。今年叔父からもらった年賀状には、「生きてるだけで金メダル」という言葉がしたためられておりました。本日はこれら二つのことが頭の中で重なって、一つの絵画になりました。

 言葉にも音楽にもならない思いというものがございます。しかしその絵をこちらに表現することはいたしません。そのようなことは皆様にはもともと何の関係もないことでございます。

■Monday,12,January,2009

 池袋の駅の北側にある明日館という建物を見学いたしました。フランク・ロイド・ライトの設計した建物としては、我が国に現存する希少な建築であるということを知りました。職員の方の説明を拝聴いたしながら、施設をすべて回りました。ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館も彼の手によるものであったことも存じませんでした。さらに私は羽仁もと子や自由学園についても何一つ知識を持ち合わせておりませんでした。教育と生活の連関についてかれらの理想と共感する部分があったことが嬉しゅうございました。また、生活をする上での器と申しましょうか舞台と申しましょうか、建築ということの本質について考えさせられました。さらに、この貴重な建築を残そうとした人々の努力も素晴らしいと感じました。いくら美しい建物でも時間を経るごとに古くなってしまいます。しかし、それを美しいまま残そうと多くの人たちが運動を展開する。中尊寺金色堂を少し思い出しました。ところで、美しい建物はこのように保存することが可能でございますが、生き物を保存するとなると剥製くらいしか手立てがございません。さすがに人間を剥製にするわけにはまいりませんから、形を残そうとすると写真か絵画か映像か彫塑かということになります。美しいものを美しいまま残したいと思うのは人間の自然な欲求ではありますまいか。つまりはそれが芸術の原型であるということはできませんでしょうか。

 話を元に戻します。本物の建物を変わらぬ形で保存することで、人間の寿命よりも遥かに長い時間、それらの作品は生きて人々に姿を見せることができます。明日館の場合は、建物は使ってこそ生きるということで今でも毎日利用され続ける現役の建築物です。それを作る建築家という仕事。なんて素敵な仕事でしょう。私は生まれ変わりました折には建築家になろうと存じます。

 昼には百貨店の食堂街でうまい蕎麦をいただき、神保町に向かいました。奥野かるた店というかるた屋さんに参りました。さまざまなカードゲームが置いてあり、興味を引きました。オリジナルの漢字パズルなどもあり、見ているだけで楽しくなりました。魚へんとつくりを合わせて遊ぶ「魚魚(とと)あわせ」というカードがあり、ほしくなりましたが買うのは止めました。十面体のさいころを3個買いました。

 残り時間には銀座の伊東屋やアップルストアをのぞき、有楽町の電気屋でアップル博士のような店員さんの話をけっこう長い時間うかがいました。この日みたいに電気屋でたまに熱く語る店員に出会うのも好きなことのひとつでございます。

 帰りの新幹線の中で、最高においしいサンドイッチをいただきながらビールを飲みました。少しポテトチップもかじりました。食べて飲んだ後は、駅に着くまでまったく無言でございました。ほかの方はどうお考えか存じませんが、このような旅のあり方というのもよろしいのではないでしょうか。

 この三日間のことをどのように残そうかと思案した挙げ句、このような形を思いつきました。今までになかった文体でございます。何も残さなければいずれ無かったことと同じになってしまいます。今私が生きている価値は、この記録がすべてでございます。ここまで書いたら、もう何も思い残すことはございません。

■Sunday,11,January,2009

 宿泊先は青山でございました。宿を出て散歩をいたしますとそこは日本有数のショッピングエリアとでも申したらよろしいのでしょうか、いわゆるブランド物のお店の入った個性的な形をした建物が軒を連ねているわけでして、これらの建物を観ているだけでも楽しいものでございました。いくつかは写真におさめました。

 ブランドについての知識などはございませんが、よいものを身につけたり、手にしたりできるお金持ちのご夫人や紳士と比べれば、私のような者はなんて泥臭い人種なのだろうと存じます。しかし、世の中には値段は高いけれどモノが悪いということもあれば、安いけれど悪くないということもございます。都会には玉石混淆、よい物とそうでない物がひしめき合っております。その中からよい物を選ぶのは至難の業でございます。よしんば選ぶことができたとしても、お金がなければ買うことはできません。良い物を手に入れ、その物の良さを享受できるとしたら、それは幸せなことだと存じます。しかし、お金持ちには二通りあるように思われます。一つは手に入れた物に満足できる人。もう一つは、満足できずにさらに別の物を求めようとする人でございます。サイズが合わなくなったからとか、古くなったからとかいうことではございません。無くても困らないのに求めるということでございます。

 人生時間が限られております。誰しもいつまで生きられるかはわかるすべを持ちません。今ここで計らずも最期を遂げるかもしれないというのに、満足できずにまたほかの物、もっと良い物をと求めてばかりではいかがなものでしょうか。「衣食足りて礼節を知る」と申しますが、それを理想としたいものであると存じます。私は自分が選んだものごとこそが自分にとっては最高のものであると信じております。ですからいつお迎えがいらしても私は後悔いたしません。

 先週まで実家に来ていた弟家族の家を訪問いたしました。もう一人の弟も来て、1年ぶりくらいで兄弟が揃いました。皆それぞれに忙しそうですが、総じて我が兄弟たちは仲が宜しゅうございますのでたまに顔を合わせることができるのはたいへんありがたいことでございます。今後もたまにはかれらに会いに上京し、そのついでにいろいろと珍しい都会の文物を観て歩こうと存じます。

 大宮まで電車ではそれほど離れていない土地でございましたので、少し足を伸ばして鉄道博物館を見学いたしました。本物の車両が何種類も保存展示されており、懐かしい気持ちが湧いてまいりました。

 夜には有楽町のドイツ・レストランでビール。プレッツェル、ソーセージ、それにジャガイモ料理やザワクラウトをいただきました。その後はほろ酔い気分で電気屋さんに入り、あれこれと観て歩きました。

■Saturday,10,January,2009

 六本木の東京ミッドタウンにございます「富士フィルムスクエア」にたまたま通りかかり、「日本名建築写真展」を鑑賞いたしました。お正月のテレビ番組と連動した企画らしく、テレビで拝見した建築物の写真がたくさん展示されており、思いがけず楽しむことができました。そうして、こちらもたまたまでございましたが、これから建築家の藤森照信氏のトークショーが行われるというので観覧いたしました。藤森氏は東京大学生産技術研究所の教授をされているひじょうに高名な建築家だということを私はまったく存じませんでした。日本最古の建築物は何かというお話に始まりフランスと日本の茅葺き屋根の共通点のお話まで、しかも古代からの人々の思想を踏まえての考察も含まれており、まるで時空を自在に飛び回るようなお話で、私はたいへんおもしろく拝聴させていただきました。初めはほんとうにたまたまの出会いだったわけでございますが、もうこうなりますと出会うべくして出会った運命の出会いということになります。私はこのような出会いが好きでございます。

 サントリー美術館では、「japan 蒔絵 ―宮殿を飾る 東洋の燦めき―」と題された展覧会が開催されておりました。藤森氏のトークショーを1時間ほど聞きましたために、こちらを見学する時間がなくなってしまったのでございますが、それは仕方のないことでございます。

 恵比寿ガーデンプレイスの東京写真美術館では「ニューイヤー!オペレッタ シネマ・フェスティバル」という催しが行われておりました。「こうもり」というドイツ語のオペラ映画を鑑賞いたしました。オペラ映画という分野は初めての体験でございます。もしかしたら眠ってしまうのではと心配いたしておりましたが、そんな心配は無用のたいへん楽しい映画でございました。おそらく初心者にはうってつけの、これ以外にはないだろうというくらいのぴったりの作品ではなかったかと存じます。後ろで観ていた紳士たちが帰り際に「『こうもり』は何度観ても楽しいですな」「そうですな」という会話をしているのを耳にいたしました。されどこれは私が自由意志で選択したものなどではなく、その日の夕方の上映作品がたまたまそうだったということなのでございます。

 この夜は風がひじょうに冷とうございました。北国と同じでございました。ひとりで恵比寿周辺をぐるぐる回った後渋谷に参りました。もとより渋谷に何があったわけではございません。そこから青山の宿までひたすら歩いたわけでございます。腹も空いたのでてきとうなとんかつ屋に入り、勝利を期してひとりとんかつを食したのでございます。

■Friday,9,January,2009

 朝初めて公園の上の方を通って職場に行きました。遠回りをしても5分とかからないのに、普段はなかなか通ろうとは思わない。それほど余裕のない状態で仕事に向かっているということでしょうか。公園に何があるというわけではありませんが、周りの空気を吸いながら歩くだけで気分は変わります。来週くらいまでは比較的ゆったりと過ごすことができます。せめてこういうときには、めいっぱいゆったりとした気分で暮らしたいものです。時期による慌ただしさの差がかなり激しい職種ですが、メリハリをつける意味でもこういう時期を楽しむことは大切だと思います。気持ちの上でも完全に割り切れるようになったのは最近の変化かもしれません。

■Thursday,8,January,2009

 夢の中とはいえ、人を殺すなんて物騒な。書いてしまってからきょう一日気になっておりました。人を殺す夢にはどんな意味があるのでしょう。調べてみると「自分を殺している」「無理をしている」「自分が成長する時」などと出ていました。人が死ぬ夢は吉夢といいますから、プラスにとることにしましょう。きっといいことがあります。

 きょうは一日とあるイベントに参加しました。驚きのハプニングがあり、私の発表時間が倍増してしまったのですが、それでもなんとか終えることができました。反省点は多いものの、まずは終わったからよしとして、次に生かそうと思います。どっと疲れが出ました。今夜は早めに休むことにします。しかし、こういうときに風邪を引きがちですからじゅうぶんに気をつけましょう。皆さんもどうぞお気をつけて。

■Wednesday,7,January,2009

 平成になって20年だそうです。昭和63年のこの日の朝、祖父が亡くなりました。その時のことはわりと鮮明に覚えています。私はまだ学生でした。家族も親戚も若く、子供たちもたくさんいて賑やかな頃でした。昭和がどのような時代だったのか、そして平成になってからの20年がどのように移り変わってきたのか。自分自身がたえず変化し続けているのでこのような問いに答えるのは難しい。時間の枠の外側に立ってその変化を眺めようとすると、変わったのは自分なのかそれとも周りなのかわからなくなってしまいます。そのどちらもたえず変化しているのでしょうが、いつまでもその変化をつかめないままに、私たちは生きていかざるを得ません。

 今朝見た夢は奇妙でした。ベトナムに行った時の仲間たちと、再び旅をすることになりました。旅の途中で私は一人の赤ん坊を殺してしまいました。でもこれは夢だから大丈夫なんだと夢の中で思っているのです。

 あすには大きなイベントがあって、きょうはその打ち合わせでした。大事だと思っていたそのことも、なんだかここにきてどうということもないなと思っています。できることはやるがそれ以上のことはやらない。繕おうなどとはいっさい考えてはいないのです。その結果私の評価がどうなろうが、知ったことではありません。

 

■Tuesday,6,January,2009

 旧友から電話をもらって、一時間くらい話をしました。最近会ったという同級生の近況を聞かせてくれました。しかし、私はそれを聞いて何とも微妙な気持ちになってしまいました。苛立ちや腹立たしさといってもいいくらいの感情です。とにかくおもしろくない気分になりました。そうして、また自分のことに考えが向いてしまうのでした。

 自分は様々な人たちの世話になってここまできました。親兄弟をはじめ出会ったすべての人のお蔭で今の自分が成り立っています。自分ひとりの力でできたことなど何一つありません。ですから、そういう意味では他力本願でやってきたといえるでしょう。しかし、一方で自分の生活は自分で切り開いてきたという自負ももっているのです。すべて進路は自己の責任において選んできました。失敗や苦労を重ねながらも私なりにがんばるときにはがんばりました。そしていつでもマイナスをプラスに変えながら生きてきました。運が良い悪いといいますが、運すらも自分で切り開くことができると考えるようになりました。

 人によって様々な境遇があり、期せずして悲しい道を歩ませられる時もあるでしょう。私も明日にはそうなる運命かもしれません。だが、どんな時にも、自分の目でみて判断し自分で決める、決めた以上最後は自分で落とし前をつける。その覚悟を忘れてはいけないのではないでしょうか。もし忘れたら道は忽ち断たれることでしょう。件の同級生にはその覚悟が欠けていたといったら厳しいでしょうか。

 ところでその二時間くらい前に、私はユーチューブでMr.Childrenの歌を何度も聴いていました。先日の紅白歌合戦で歌った”GIFT "です。この歌の中で特に「降り注ぐ日差しがあって だからこそ日陰もあって そのすべてが意味を持って 互いを讃えているのなら もうどんな場所にいても 光を感じれるよ」の部分でどうしても涙が湧いてきてしまうのです。私も今はどこにいても光を感じられる気がします。そこに共感するからでしょうか。

 この歌の歌詞に涙しながら、同級生の境遇を聞いて腹を立てる。そして私はかれらに手を差し伸べたり寄り添ったりしようとはしない。そんな気まぐれでいい加減で偽善的な私の態度はどうでしょう。「だからお前はアマちゃんなんだよ」という声が聞こえます。苛立ちの原因は、そこかもしれません。

■Monday,5,January,2009

 仕事始めの日。といっても昼からでした。午前中は外を散歩しながら用事を済ませました。駅で切符を、デパートではコーヒーを買いました。早めに出て道の途中にある初めての蕎麦屋で昼食をとりました。店の客は近くの官庁に勤める馴染みの人ばかりのようで、場違いな場所に来た感じでした。

 毎年のことですが、仕事に戻るのが嫌だったのに来てみるといつもどおり淡々とこなすことができました。きょうはまだ時間も短かったので楽でした。少しずつ軌道に乗れればいい、とのんびり考えましょう。休み中は運動不足でしたので、通勤路を走ったり早歩きをしたりしました。天気はまずまずで風が冷たかったのですが歩くにはこれくらいがちょうど良いです。

 夕方には再び歩いて駅に行きました。きょうは久しぶりに運動ができたので爽快でした。いやそれだけでなく、ここ数日を振り返るとひじょうに楽しかった。そしてほんとうに素敵な気持ちできょうを暮らすことができたのです。

 これまで辿ってきたどの道より、今歩いている道が素晴らしい。ひとりでは感じることのできなかった喜び。それが今後さらに深まるとしたら、何よりも神聖でかけがえのないことです。出会った方たちの顔が浮かびます。かれらをけして裏切るまいと強く思います。

■Sunday,4,January,2009

 年末年始の休みもきょうでおしまいです。明日からは仕事中心の生活に戻ります。きょうはきょうで大きな出来事があり、またひとつ人間どうしのつながりができました。私自身も緊張が解け、少しほっとしました。夜にはおいしいものを食べながら酒を飲みました。帰ってからはしばらく眠れず、言葉の海を彷徨しました。

 言葉の巧さに翻弄されてもそれは負けを意味するものではありませんし、饒舌な人が勝ちというわけでもありません。寡黙な人ほど思索が深いともいえないし、多弁だからといって表現力豊かだとも限りません。いずれにせよ言葉は巧いに越したことはないと思います。様々な面で形勢を有利に運べるのは確かです。ですから言葉を磨く努力は重要です。

 言葉を磨くには知性を身につけなければなりません。より多くのそしてより質の高い知識や情報が、よりよい分析や判断を生み、それがよりよい選択や行動、つまりはよりよい生き方につながるのでしょう。知性の足りない私は、知性的な人に憧れをいだきます。知性的な人の語る言葉は心地よく、まるで音楽のように聞こえます。

 そうして、よりよい生き方をさらに考えたらひとりで完結するわけはないのです。他人と関わり合いながら「よりよさ」を互いに広げていって、自分の言動で相手の生き方によい影響を与えたい。知性を身につけて表現力を身につけて、それをじょうずに操ることで初めて、「よりよい」を他に広げていくことが可能になります。いくら性能の良いマシンでも、道路をひとり猛スピードで突進したらたいへんです。車の性能を高める努力をしつつも、何より自分がその車を操るに足る人間であるかどうかを常に自問できるようでありたいです。

 それは「徳」ということなのでしょうか。このごろ私がなんとなくぼやっと考えていたのは「徳を積む」ということだったかもしれません。もっと徳を積まなければだめですね。

■Saturday,3,January,2009

 もう16年も前に世話になった人たちと久しぶりに会う機会がありました。こういう場合はいつも顔を見るまで怖さがつきまといます。でも、少し話すともうそんな気持ちは消えてしまいました。それぞれ元気にやっているのを見るだけで、こちらも励まされます。結局2次会まで参加して、最終の新幹線で帰ってきました。

■Friday,2,January,2009

 弟の一家ともお別れです。にぎやかで安らかな4日間でした。子育てはなかなかたいへんです。親の苦労も少しわかった気がします。いろいろと喜んでくれたようなのでよかったです。次は近いうちにこちらから遊びに行くかもしれません。

 気持ちを入れ替えて今度は自分のことです。かれらよりも早い新幹線に乗りました。初めての町に来て、初めての人たちに会いました。堅苦しい感じなどなくて、気持ちがすっと楽になりました。大切な出会いが続きます。ほんとうにありがたいことです。

■Thursday,1,January,2009

 新しい年が明けました。目を覚ましたら日の出前で、ベランダからちょうど初日の出を拝むことができました。穏やかな元旦です。雑煮とおせち料理をいただきました。それからきな粉餅も。きな粉餅は私の好物のひとつです。

 昼前から車で初詣に出かけました。地図など見なくても行けると思っていたのに、途中で道がわからなくなってしまい、右往左往しました。情けない年の幕開けです。見方によっては、新年早々迷いを体験することも大切ではあります。

 見事な正法寺の茅葺き屋根。改修工事をしてから初めてでした。元日にお参りをして気持ちがことのほかすっきりしました。

 


Since 2000,2,11 Copyright(C) 2000-2009 Yu,All Rights Reserved.