2009年7月               

■宮城行/Friday,31,July,2009

 今日一日はほとんど事務所詰めであった。昼から晴れて暑くなったが、外に出ることもなく、パソコンに向かったり書類を読んだりしていた。それから普段は話す機会の少ない人とまとまった話をした。

 来週は研修で職場を離れる。いくつかの仕事に区切りをつけて気分よく職場を去ることができた。

 自宅には戻らず、途中で合流して南に車を走らせた。意外と早く仙台に到着し、メキシコ料理屋で夕食。生演奏を聴きながらタコスを食べ、懐かしい気持ちになった。

■梅雨空/Thursday,30,July,2009

 気がつくと7月もあと一日を残すのみ。未だに梅雨も明けぬまま8月に突入しそうである。今年は長い休みも取れず、特別遠出をするわけでもないから、このまま秋になっても構わない気もする。だが、農作物のことを考えると、暑い夏でなければ困る。おいしい地物の野菜や果物を味わいたいと思えば、夏を越えた先に訪れる実りの秋こそ、真に待ち遠しい季節である。秋の市場の賑やかさを想像すると楽しい。

 選挙までちょうど一か月だそうだ。与党も野党も見事なまでのバラマキ政策である。大衆に迎合というよりも、政治家たち自身に何の想像も理想も大志もないことの表れではないか。これほど自国の民を馬鹿にできる政治家を持つ国は日本以外にあるだろうか。ゆでがえるの例えを思い出す。こうやってじわじわと破滅に向かうとしたらなんて残念なことだろう。

■甘さと欠如/Wednesday,29,July,2009

 月曜日に続いて、本にまつわる仕事。これまでしたことがなかったから、実際に流れを体験してみて初めて仕組みが理解できた部分も多い。長い時間ひとりで作業をしたことは楽だった。夕方早く終わったので、帰り道で床屋の予約を入れた。一か月半に一度くらいの頻度だろうか。気持ちがリラックスできるので、ほとんど常連客となった。

 その後には駆け込みでデパートに入り土産物を購入するも、メールの内容を早合点してしまい、しなくてもいい間違いをしてしまう。嗚呼、確認の甘さ。そして、リテラシーの欠如。

■いつもと同じ/Tuesday,28,July,2009

 いつもと同じ時間にいつもと同じように出勤。朝から何かとあり、あまりゆとりがあるとは言えなかった。とにかく毎年この時期には言葉が思うように出なくなる。もっと円滑なやり取りができるといいのだけれど。

 胃がん検診の結果がきた。封筒が分厚かったのではてと思ったら、内視鏡による精密検査が必要とのことだった。分厚かったのは、病院への紹介状が入っていたためだった。ついに胃カメラを飲まなくてはならなくなったか。なんだか急に死の影が近づいたような気がする。大げさか。いつ病院に行けるかが問題だ。

 運動らしい運動は少ないのだけれど、せめて通勤のときくらいせっせと歩こう。毎日蒸し暑くて不快だが、ものともせずに動こう。退勤が早かったので、いつもは寄れないパン屋に寄った。昼を抜いたこともあり、帰って食べると眠くなった。起きるとすでに21時だった。パンを食べたので夕飯は要らなかった。

 冷房をかけたままにしておくにはもったいないが、止めるとすぐに空気が淀んで暑くなる。小さな扇風機があれば解決するかもしれないと考えて、あれこれ探してみたくなった。デザイン家電と呼ばれるものをみてみるが、使いたいものはほとんどない。洗練されていると思った品物は、さすがに値が張る。安物を我慢して使うのと、高いけれどいい物を使って気分が良くなるのとでは生きる姿勢が異なる。こんなところで妥協して何になる。断然後者を支持するのだけれど、価格の差が大きくて二の足を踏んでしまう。まだもう少し寝かせておこう。

■観武原にて/Monday,27,July,2009

 電車に乗って北に向かった。わずか5分程度だったが、この町の朝の未知の表情をみて、首都圏のどこかと似たような空気を感じた。駅からさらに歩くと、店の構えや事業所の奥の様子に、ここは紛れもなくアジアなのだなと思った。タイや香港の感じ。なぜだろう、湿度が高かったからだろうか。

 きょうの研修は現役を退いて20年になる方が講師だった。この先生をはじめ、おもしろい出会いがあった。今までやったこともない特別な技術、本の修繕について実践しながら学んだ。本は短時間で大量に直せるものではない。3時間かかってたったの1冊では、現場で行うのは難しい。しかし、とても新鮮な感動があった。ものを大切にすることは手間をかけること、文化は手仕事によって残されるのだということがわかった。

 帰りはバスを乗り継いだ。夕方からは仕事上のある会合があって雨の中出かけた。食事をしてすぐに帰宅した。それから車を出したけれど、夜の八時過ぎからゆっくりお茶を飲める場所なんてこの町には一つもなかった。

 

■歴史的な出来事/Sunday,26,July,2009

 さて何を作ろうかと、朝からあれこれと考える。料理というほどの料理ではないのだけれど、栄養のバランスや彩りを考えながら食材を調達したり、下ごしらえをしたりするのはひじょうに楽しい。今朝は自分のために飯を炊き、味噌汁を作った。そして、夜には大切な人のために食事の準備をした。今更だけど、これは表現のためのひとつのツールだったのだとわかった。

 午前中には掃除洗濯をして、たまっていた新聞の切り抜きなどに目を通した。昼前からデパートの地下をぐるぐる回って買い物をした。そうめんの薬味になるものを買った。産直コーナーでサラダ用に地物の野菜をいくつか買った。こういう蒸し暑い日にそうめんはぴったりだ。肉を見たがいいのがなかった。それで、昼食を挟んで、自転車で出直す。いくつか目星のあるところを訪ねるが、やっぱりないので肉料理は諦めた。

 作ったものを人に食べてもらうのは嬉しいものだ。お腹いっぱいになったと言ってくれたのはありがたいことだ。おいしかったのか、満足してくれたのか。省みることはいろいろあれど、完食してくれたことには感謝である。ある意味歴史的な出来事だった。などというのは大げさだろうか。

■湿度と気温/Saturday,25,July,2009

 大きな一区切りの着いた昨日は早くに眠くなり、電気も点いたまま寝ていた。で、目覚めたのが午前1時前。少し本を読んで、改めて眠りに就いた。きょうは午前中は出張だった。しかし、きょうのは厳密には出張とは認められず、手当も何も付かないという。たまにあることだが、これは単に利用されているだけとも言える。

 早朝までは雨が降っていたが、家を出る頃には止んでいた。そして、仕事場に来るとひじょうに蒸し暑くなっていた。仕事だったし、きょうの場合はいつもは会えない珍しい人々とふれることができ、少し新鮮で爽やかな気分がしたから、しばらくは湿度も気温も不快には感じなかった。多少の煩わしさこそあるけれども、こういうことなら苦にならない。

 帰宅してから電話を三本入れる。ほんとうであれば昨夜中に入れるべきものであったのだが、寝てしまったために今日になってしまったものである。来週のはじめには、もう一本電話する必要がある。疲れが出たか、横になると眠りに落ちてしまった。なんだかどうでもいいことを書いた。

 

■馬鹿と虚しさ/Friday,24,July,2009

 先日の朝日新聞に載っていた内田百閧ノついてのコラムを引用した。「知らないという事と忘れたという事は違う。忘れるには学問をしなければならない。忘れた後にほんとうの学問の効果が残る」 教養という物の正体と書かれているが、学びの核心はまさにそこだろう。しかし、それを伝えることは僕には難しかった。

 理由としては、送り手の僕自身が学んでいないことがひとつ。そして、受け手の方に話を聞くという基本が備わっていないことがひとつである。自分やかれらを馬鹿と呼ぶならば、馬鹿の話は通じないし、馬鹿に何を話しても伝わらないということだ。まことに馬鹿ばかりで話にならない。

 それではわかりやすさやおもしろさを追求すれば良いかといえば、それもどうかと疑わしい。以前はそう信じていた。伝わらない原因を、伝える側の工夫のなさとばかり考えたものだが、事実はそうではない。実態に即すばかりでは質が低下し、ねらいには届かない。重要なのは受け手がただの受け手のままいないという心構えだ。

 基本の成っていない人々に基本を植え付ける事に腐心して、そればかりで三年が経ってしまう。しかし、うまくできるかというと虚しいとしかいいようがない。終わり間近の感傷に圧されて、僕らは成長を計るほんとうの尺度を持てなくなってしまう。そして結局、懸命に撒いたはずの種もほとんどは濁流に流されてしまうのだ。

■駐車場/Thursday,23,July,2009

 駐車場の舗装を直して白線を引き直すというので、昨日と今日の二日間、日中は車を移動させてほしいという手紙が所有者から届いていた。他の駐車場を使った場合にはその料金を負担するという事だったが、日中は車で通勤したので何の影響もなかった。きょう帰ったらでこぼこだった舗装が平らになっており、白線もはっきりとつけられていた。きれいになると気分がいい。しかし、今までは1台半くらいの広い幅のところにとめていいということになっていたのだが、それに比べると範囲が狭まって、両隣の車との間隔も狭くなったのはちょっと残念だ。車に乗る時と車から降りる時には今まで以上に気を遣わなくてはならない。

 

■薬物濫用/Wednesday,22,July,2009

 講演をきいた。パンフレットをみると、薬物濫用の「濫」がすべて「乱」と改められている。「乱用」の方がわかりやすいといえばその通りかもしれないが、わかりにくい「濫」を使ってきた時間の方がはるかに長いわけで、この「わかりやすさ」への価値観の偏重が、このごろどうも訝しく感じられてならない。

 たまにテレビをつけるとクイズ番組でも教養番組でもとにかくドラマ仕立ての場面が出てきて気味が悪い。日曜美術館の中でさえドラマが繰り広げられ、この間は与謝蕪村の人生の一コマが火野正平によって演じられていた。火野正平はいい俳優だとは思うけれど、蕪村については頭の中で自由に想像して楽しみたかった。

 わかりにくいことと、わからないことは違う。わかりにくいものをわかるには時間や工夫が必要だが、それを理解したときには大きなものを得た気分になる。その気分の積み重ねが楽しさに繋がるのではないか。それは単純な快楽とは別物の、苦難の後の喜びである。

 昨今の大学生による大麻騒動をみるにつけ、何をやっているのかと思う。薬物乱用の恐ろしさをわかりやすく教える機会は必要だが、わかりやすいからといって事件が減るかどうかはわからない。わかりにくい事柄でも咀嚼し身体で理解しようとする心性が必要だ。それがなければどんな問題も解決には至らないだろう。

■愚痴/Tuesday,21,July,2009

 三連休明けの火曜日。今週で大きな一区切りがつく。精神的にはずっと楽な週となる。とはいえ、近年は暑さに加えて、いろいろなことが7月8月に集中するので十分な休養が取れなくなってきた。解放感などまったく感じることができなくなった。「待ち遠しい」という言葉は今の時期にとても似つかわしく響いたものだが、現在ではその待ち遠しさを感じる事もほとんどない。待ち望んでいた時期などあっという間に通り過ぎるに決まっている。そして、まだうだるような残暑の残る8月9月のばたばたに疲れた身を投じる自分の姿が目にみえるようである。準備をすればいい。後で困らぬように今の時期に研鑽を積むのだ。しかし、休みも取らねばならぬ。あくせく働いてはならぬ。矛盾だらけだ。結局は年中働きっぱなし。

 最優先すべきは、仕事からもっとも遠い事柄だ。休むこと。仕事のことを考えずに休むことで、仕事に幅ができる。想像力を持って人に当たれるようになる。それが後回しになってしまう現状ではいい仕事などできるわけがないのである。

■晴れの海の日/Monday,20,July,2009

 5時の空は快晴で、ちょうど太陽が公園の木々の間から顔を出したところ。工事の前以来だから何日ぶりだろうか、すべての布団を干した。そして、タオルケットや毛布などの大物を洗濯。貴重な梅雨の晴れ間の休日。窓を開け放して、部屋の掃除。背広や長袖のシャツなど、クリーニングに出すものを選び出して、押し入れの中も片付ける。ひじょうにすっきり。きょうしかないというタイミングでできた。

 天気がいいから出かけようかとちらと思ったが、掃除をしているとあっという間に午後になってしまった。町帰りの仕事に取りかかったが、一片の資料を忘れたために途中までしかできず。慌ててよく見ずに持ち出したから肝心のものを置いてきてしまったのだった。ばかである。

 夕方から、産直をはしごして一週間分の野菜を調達しながら実家との間を往復。物を行ったり来たりさせるので、何がどこにあるのかがわからなくなってきた。前の職場で使っていた資料を取っていたが、捨ててもよさそうなものがたくさんある。もう二度と見ないような物は、近いうちに潔く捨てることにしよう。

■美しき人間の日々/Sunday,19,July,2009

 低い雲がたれ込めて、今にも雨が降り出しそうな暗い日曜の朝。高湿度の地表はまるで海の底のよう。口をぱくぱくさせて泳ぐ深海魚のような気分だった。部屋のあちこちに散らばっていた文書をまとめたり捨てたりした。仕事の前に郵便局やら銀行やらに行って、送金やら支払いやらを済ませた。その頃から雨が降り出した。

 11時から18時までは仕事だった。生まれて初めてのことをするはめになった。まだ新しいスタッフの体制がととのっていないのでやむを得なかったが、これほど自分に似合わない仕事もない。しかし、共に組んだ方はすかさずそんな僕を初めてとは思えませんねとまことしやかに褒めるのであった。やめてくださいって。

 夜、ホームセンターに行く。先日来た時目を付けていたイ草のマットを探すが、見つからなかった。売れてしまったのか。あるいは、まぼろしだったのか。代わりにおろし金など、買って帰る。それにつけてもサンボマスターはすごい。新しいのよりセカンドアルバムのほうが好きだな。山口隆という人は尊敬に値すると思う。すべて忘れてあなたと笑うバカな男。

 月末のことなど電話で確認し合ったり、その他さまざまなことを雑談したりする。朝のテレビで聞いたことを思い出す。10年後には立体テレビができるそうだ。左手で受話器を持って声を聞いていると、目の前にすてきなかたちの立体が浮かび上がるような気がする。こちらはテレビの映像ではなくて、魂のある本物の肉体だ。

 あんなに重かった空気が、気づくと軽くなっている。深海魚も何処かに消えた。明日は気持ちよく晴れるだろう。早く起きて布団を干すことにしよう。

■部下集う/Saturday,18,July,2009

 三連休のうち二日間は仕事なのである。当然のようになっているのだが、こんなことは誰が見ても嘘っぱちである。一週間疲れっぱなしで、ゆっくり休みたいところだった。そんなときまともな商売なら、普通に休めるところなのだろうが。何十年この恨み節を言っていても何も変わらない。だからといって合理化するほど従順でもない。犬のように遠吠えする。ばかくさいことは、時代を超えてばかくさい。変えなきゃという人々も、少し偉くなると思いが薄れるらしい。本気でどうにかしようという上司には会ったことがない。どうしようもない。

 いつもよりも少し早く出て、13時近くに帰宅して、うどんを茹でて食べたら、急に眠気が襲って来て、そのまま倒れ込むように布団へ。目を覚ましたのが19時頃で、外は雨。ずいぶん寝た。工事が終了したらしい。長らく組まれていた窓の外の足場は解体され、シートもなくなった。これで天気さえ良ければ布団が干せる。これはありがたい。

 アマゾンの箱が届く。中根千枝とカントと諸富祥彦と山田ズーニーと安積力也とサンボマスターとビセンテアミーゴと橋本一子と鈴木祥子。明日の仕事は昼からだから、今夜は少し夜更かししよう。

■通院/Friday,17,July,2009

 午前中は息つく暇もなく、ほとんど喋りっぱなしだった。これで今週も終わりと思うとどうということもないが、疲れはたまっていて、部屋を掃除しようとしても身体が思うように動かなかった。怒り飛ばすほどの必然性も感じないから、こんな場合、前衛的なギャグを飛ばしてその場を取り繕うのが常である。最近これを毒舌と呼ぶ輩が出て来たので、それはそれで少し楽しい気もする。

 三連休前の夕方は、皆がほっとしているのか雑談なんかが飛び交ってそれはそれでいいのだが、そういう日こそ早く帰りたい。きょうは耳鼻科に行く予定があったので、ほとんど定時で退出した。左耳の調子はやはり一進一退で、きょうもどこかもわもわとした感じが残っていた。しかし結果は意外とよくて、先生はグラフを見ては、戻ってるね戻ってるねよかったよかったとしきりに喜んでいた。そう言われてみれば、治っているような気もしないではない。自分のことながらひじょうに曖昧だ。二週間分の薬を処方された。後は来なくてもいいそうだ。

 聞こえたらスイッチを押すという検査方法は、患者の実感に委ねられているものであり、客観的なデータとしてどこまで信頼できるものなのか疑問だ。何度もこの検査を繰り返すうちに、要領を得て、応え方が上手になってきたとは言えないか。これで聴力の診断ができたと言えるのだろうか。

 暑さの残る夕方だった。18時頃にカレー屋で夕食を済ませた。そして、ホームセンターを覗いて少し買い物をした。夕食が早かったから夜に腹が減るかと思ったらそうでもなかった。

■ありがたきこと/Thrsday,16,July,2009

 4時に起きて書類作成の詰めを行った。今回はあまり考えも練らずに、淡々とした表記で、短めの文で、まったく何のひねりも工夫もなく仕上げた。それがよかったのかどうかはわからないが大きな変化ではある。

 意味のないことはしない。意味があると信じるのはその人の勝手だが、意味のないことを意味があると思い込んでいるとしたらそれは誤りであり、周囲に与える迷惑も大きなものとなる。迷惑をかけないで生きることはできないのだけれど、できるだけ減らしたい。そう思ったら無理はできないし、人にも無理を強いることはできない。お互いに責任の範囲で責任を果たすことに専念できるようにありたい。そんな気持ちがある。

 20時頃から月に一度の従弟と叔母との飲み会がある。暑くて喉が渇いていたから、ビールがうまかった。しかし寝不足なのですぐに瞼が重くなった。一年後にどうなっているかという話をした。こういう飲み会ができる状況ではないかもしれない。いま目の前のことに参加できることは、実はありがたいことなのだ。

■仕事/Wednesday,15,July,2009

 月の半分が過ぎた。七月は梅雨時で、梅雨が過ぎるとたちまち真夏で、気がつくと夏は終わりである。蒸し暑い日には、仕事をしたくないが、気がつくともう夜である。だいたいやるべきことは進んでいる。見通し云々というけれど、毎年、この時期やることには大差ないし、どの人もわかっていることだから。特別なことではない。仕事である。

■しわ寄せ/Tuesday,14,July,2009

 昨日雨が降ったために、きょうやるはずだったイベントがひとつ中止になった。それで心中密かにほっとした人は多いだろう。自分もそのひとりである。これだけあくせくとやって、それも八月のことを考えれば、今がんばったからその分後で楽をすることができるからと思えなくもない。ところが、八月の予定を見てみれば、そこはそこで時間がない。おまけに、研修という研修が夏に集中して計画されるものだから、取れと指導される休みを取れる暇がないという矛盾に陥ってしまう。無理がきている。どこかのしわ寄せがきている。

■通院/Monday,13,July,2009

 夕方からの会議で司会を務めなければならなくなったので、午前中1時間休みを取って耳鼻科に行く。普通1時間あれば余裕をもって行って来れるのであるが、きょうに限ってずいぶん待たされた。混んでいたわけではない。待合室のテレビで「御宿かわせみ」を見ながら待ったが、どうも様子がいつもと違う。ドラマを半分くらい見たところでようやく呼ばれた。遅くなったのは、聴力検査の機械が新しく入り、スタッフがその取り扱いに手こずっていたためだとわかった。担当の人はいろいろぶつぶつ愚痴っぽく言っていたが、よくわからなかった。ヘッドホンが壊れやすくて嫌なんだと言っていた。看護士さんそれは僕には何ら関わりのないことです。

 結果15分ほど遅れることになったが、ゆっくりと職場に戻ることにした。こういう場合焦っていいことは何一つないから。上司が笑顔で迎えてくれた。知らぬふりして仕事に復帰した。

 会議の司会は無感情だった。とにかく進行。余計なことは何一つ言わない。ましてや受けなどねらわない。中にはそういう人もいるけれどね。時間より前に終わったけれど、それも終わってしまえば当然のこと。充実感も安堵感も何もない。何だかおもしろくなかったな。きょう手を付けたかった仕事は後回し。明日からやることにする。

■ウニ丼/Sunday,12,July,2009

 朝には土曜日の新聞に目を通した。気分が良かったからか、いろいろのことが新鮮に感じられた。少し早い昼には、ウニ丼を食べようということにしていた。それで、ひとり歩いて買い物に行った。夏の朝。海が近いのでかすかに潮の香がする。それと湿った空気。風に乗って遠くから吹奏楽が聞こえてきた。農協の産直には海の幸山の幸が並んでいて盛況だった。牛乳瓶に詰まった生ウニは2000円。土鍋で炊いた御飯の上に大葉を敷き、その上に惜しげもなくウニをのせ、刻み海苔をかけてできあがり。わさび醤油をちょっとかけてかき込む。新鮮なウニの味はもちろんだが、炊きたての飯のうまさに驚いた。残りをすべて握り飯にしてもらって持ち帰った。

 素晴らしい日曜日の昼食の途中で緊急の電話が入り、あれこればたばたとやりとりをした。すぐに戻らなければならないかと思ったが、その必要はなくなったので一安心。しかしそのせいでひとつの作戦を遂行できなかったのが悔やまれる。また後日である。今より素敵な時間がきっと来る。少しゆっくりしてから浜の町を後にした。 

■リトアニア/Saturday,11,July,2009

 例によって昼過ぎまで仕事の土曜日。その後は着替えもせずに、片道2時間半のドライブ。途中初めての道をと思い、横道を行くと、見たこともない山道になり時間がかかってしまった。温泉でさっぱりして、着替えてから、初めてのレストランに入る。細い道を辿るとそこにはヨーロッパ風の庭園とレストランの建物があった。車だったのでビールは飲まなかったが、アルコールの有る無しは関係ないほど上等の西洋料理を堪能した。

 忘れたくないことが少しずつ増えてくる。ひとりではけして味わうことのできない感慨を胸にする。感謝と、今まで覚えたことのないほどの愛しい感じを抱きしめる。自分自身の表現やコミュニケーションの能力が足りないのがもどかしいのだが、だんだんよくなるといつも楽観的に構えているところがある。最初より二回目が、二回目よりも三回目の方がよくなってくる。そういうものだと思うし、そういうふうにしたいと願っている。次に来る時にはもっといいと思う。そうやっていい時間の経過を辿りたい。そうやっていい年の取り方をしたい。

■疲労/Friday,10,July,2009

 風が強い日。俳句など味わうには良い日。午後にはイベントがあって、それも淡々と済んで、終わってしまえばどうということもなく。今週は長かった。何があったか思い出すことができないほどだ。急に暑くなったので、体力が消耗して元気がないにも関わらず、やらなければならないことは同じだから、どうしても疲れが増してしまう。一年でいちばん疲労度の大きいのが、この期間ではないか。

■徒労/Thursday,9,July,2009

 毎日のようにがっかりさせられるようなことがある。不快指数の高い朝。きょうの理由は湿度だけではなかった。対象に向き合うことは自分自身に向き合うことでもある。目を背けたくなる部分をみようとするのは必要なことだ。とはいえ、同じようなことをもう何十回繰り返しているというのに。

■通院/Wednesday,8,July,2009

 耳鼻科に行った。薬を飲まない日があって、それを白状したら叱られた。鼻の中をいつも以上の力でかき回されたので痛くて苦しかった。それが無言の攻撃のように感じられて、少し怖かった。

 医者の言うことは聞かなければいけない。それはそうだな。同じように、学校の先生の言うことも聞かなければならないよ。そうでなければ、きっと痛い目にあう。話を聞かないような子は、痛い目にあった方がいいのかもしれない。痛い目にあって、聞かなきゃダメなんだと気づくなら、けして遅いということはないだろう。

■新聞/Tuesday,7,July,2009

 新聞を読んで胸を打たれるようなこともある。アーミッシュの許しについては心が大きく揺さぶられた。中国の暴動の記事についても、ずいぶん時間をかけて、事件を立体的にとらえることができた。何かと忙しさにかまけて、新聞すらまともに目を通さない日々が続く。仕事への比重が大き過ぎるのだとしても、これでは上辺だけの浅い仕事しかできないということになる。

■活力/Monday,6,July,2009

 もう何日も経ってしまって、この日に何があったのか思い出せない。正直な話、七月にはこういう日がたくさんあって、日記を書くのがしんどかった。忙しいことが即精神的な負担になるとも言えないが、時間的体力的にはかなりの負担となっている。週日に体力を使い果たすことで、休日にはなんだか萎んだ感じになってしまう。ほんとうは休日にこそ活力を高めて一心に集中したいのだけれど。若さがないといえばそれまでか。いやそれでは情けない。これではあまりに申し訳ない。手を尽くして改善を期さなくてはいけないと思う。

■朝市/Sunday,5,July,2009

 5時の朝市に行った。一週間分の野菜を買い込んだ。きょうは餅とか総菜とかには目もくれず、野菜だけに目を付けて買った。きょうの充実感はこれのみであった。その後は、何をしただろうというような怠惰な一日を過ごした。仕事を進めなければならなかったが、なかなか手が付けられずに夕方になった。昨日注文があったことを処理しに、職場に行く。行きたくなかったが、しかたがなかった。おもしろくない休日であった。

■風呂/Saturday,4,July,2009

 昼から仕事で、午前中も何をしたのかわからない。夜には実家に帰り、母を温泉に連れて行った。帰りには焼肉屋で冷麺と焼肉を食べた。年をとっても肉はしっかり食べなくてはいけないらしい。

 食事の途中で電話が鳴る。仕事の注文である。月曜日までにしなければならないことがまた増えた。

■金曜日/Fryday,3,July,2009

 暑さもあってずいぶんきつかった。それからやたら人も足りなかったな。できることは時間の合間に少しずつ片付けて、土日をあまり使わないようにしようと心がけた。しかし、やらなければならない仕事の量に比べて、我々に与えられた時間はあまりに少な過ぎると思う。よくも皆文句を一言も言わずにできるものだ。僕はどうも愚痴ってばかりのしがないサラリーマンという感じで、気がつくと座席すら隅っこに追いやられていたのだった。しかしそれが自分にとってはベストポジションだったりもするのだから、笑える。

 夜には夜で会合があった。不思議な偶然だが親戚に何年ぶりかで会って驚いた。ここ一二年の異動のことなど何一つ伝えていなかったから、向こうは向こうで驚いていたようだった。もうひとつその筋に伝えていなかったことがあったから、周りから聞こえるのではないかとヒヤヒヤした。それで会合が終わるとそそくさと会場を去ったのだけれど、その後に話題に上ったことは容易に想像がつく。なんだか安いドラマのような展開。今後のことを思うと、あまり笑えない。

■apple vinegar/Thursday,2,July,2009

 朝は忘れ物ばかりしていて情けなかった。家を出るのがギリギリになったために、その後の動きがすべて後手に回ってしまった。いろいろなものを人から借りたりして間に合わせた。借りて済むくらいならそれほど深刻なことでもないか。あまり暑くない日。川沿いの道を歩いたり、公園をゆっくり散歩したり、鉛筆で風景を写生したりした。日中には意外と時間があって、しなければならない仕事も少しは進められた。ほとんど定時には出られたのでよかった。夜には会があって、それを楽しみにしていたから何事もどうということもなく過ごすことができた。まるで旅に出る前日のように興奮して眠れなかったりするのだけれど、実際にその時を迎えるとただなんとなく淡々と通り過ぎてしまうような感じになる。これではいけない。もう少し片付けておければいいものを、全部無造作に投げ出したままだった。それでも旅と日常という括りに置き換えたら、このような日はすべて旅と位置づけられたらいいと思うのである。それはまだ日常生活が始まっていない段階での戯言かもしれないが、旅以外のすべてが旅のためにあるという、自分の見方に由来することでもある。

■通院/Wednesday,1,July,2009

 昨日は耳鼻科、今日は整形外科。病院自慢をするようになったらおしまいだと思っていたが、ウェブサイトでそれをやってしまった。耳の症状はプレドニンのおかげか劇的に改善し、肉離れのほうも痛みはだいぶ軽くなった。これがちょっと前なら病院を我慢して悪化させていたのだろうが、このごろでは我慢するより休みを取ってでも治すことを考える。なんだそれは当たり前のことじゃないか。

 今年も半年が過ぎた。僕を失望させる事柄など周囲には毎日起きていて、希望のひとかけらも落ちているようにはみえない。しかしそれはみえないだけだということを僕らはすでに知っている。素敵なことはこれから起きる。少なくとも僕はそれを期待して今日も暮らしたし、それを夢見て明日も生きる。

 


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