2009年6月               

 

■通院/Tuesday,30,June,2009  

 耳がいよいよダメになってきたので、途中休みをもらって耳鼻科に行った。患者は少なかったがずいぶん待たされた。そして、検査と、診断と、この間までと同じ要領で行われ、同じ診断が下された。原因はどうであれ、頻繁にこんなふうになってしまうのであれば不便極まりないな。本当に弱い。

 職場に戻るとこれまた会議だった。聞こえが悪くて集中できないこともあるし、疲れてもうどうでもいいような気持ちもあるし、終わるともう19時だし。やらなければならないことに手を付けるほどの力は残っていなかった。よく皆さんは元気にお仕事を進められるものだと感心する。それで持ち帰ってまでやってこれるなんて超人的だ。超人でなければ対応できないような仕組みになっているのだった。明日は明日で別の病院に行かなければならない。凡人は凡人でなんとか生き延びていこうとは思う。

■会議と疲労/Monday,29,June,2009

 予定の時間より早まって会議が始まった。そのためこちらの予定が狂って、やろうと思っていたことは後回しになった。開始が早まった会議ならば、終了も早まるかと思いきや、そうはならなかった。余裕ができた分長くなったと言えばいいのか。それとも、今回はそれほど懸案が多かったのか。

 何をやっているのかと思う。それは自分自身に対してであり、表立って誰を責める気持ちもないのだが、それは責めるべきがどこなのかを見定められないであがいている自分を見ることに繋がる。それでまた、苛立ちは募るという悪循環だ。こういう仕事の仕方に成熟はあるのだろうか。これで成熟がもたらされるのだろうか。

 内田樹のブログの言葉が気持ちよいように心に突き刺さってくる。あまりに狭いところに押し込められてしまっていることを感じる。もっと伸び伸びと遊びながら楽しみながら働くように、できないものだろうか。

■通院/Sunday,28,June,2009

 昨夜は1時間くらい話をした。週の終わりのもっとも素敵な時間だったかもしれない。日曜は何の予定もなかったし、仕事のことも朝に少しやればよしという状況だったから。

 でも、昨日痛めた左の太腿の状態は芳しくなく、就寝後も寝返りが不自由なくらいに痛かった。氷で冷やしながら寝たら幾分楽だったが、これは病院に行かなければならないと思うほどだった。当番医を検索すると家と職場に至近の場所である。混むのは嫌なので診療時間の9時前に出かけることにした。

 新しくきれいな建物の病院だった。予想とは裏腹に待合室の患者はまばらだった。ほとんど待つことなく診察を受けた。レントゲンで大腿部を撮影され、その写真を見ながら先生が説明してくれた。筋肉の影はよく見えなかったが、太腿の骨は白くてひじょうに美しいと思った。僕の身体にもこんなに美しい部分があったのか。

 診断は、大腿四頭筋筋挫傷。いわゆる肉離れ。普通に歩けるまでに2、3週間。筋肉が元通りになるまでには6週間くらいかかると言われた。水曜に再び来なければならない。待合室に戻ると知り合いがいた。ここの先生は評判がいいと人に薦められて来たということだった。怪我をしたのは不運だが、この病院に来れたのは運がよかったかも。しかしそもそも怪我をしなければ、ここに来ずとも済んだのだ。考えてみればこの一週間、けっこうな不運が続いている。そういう星回りなのかな。待合室で湿布の処置をしてもらい、薬局で湿布と痛み止めの薬をもらった。

 ホームセンターでいくつか買い物と用事を済ませ、帰宅。これで午前中はまるまる使ったことになる。昼ご飯を食べると眠くなり、またまた午睡の時間となった。夕方に起きてパソコンに向かい、音楽を聴きながら日記を書く。少し野菜を買いたいと思っていた。外はすっかり暗くなった。さんさ踊りの練習の太鼓が鳴り響いている。夕涼みがてら、車でちょっと出てみようか。

■受難/Saturday,27,June,2009

 カーテンを閉め切った部屋の中で朝から仕事をした。書類はだいたいできたので、安心して職場に向かった。きょうは身体を動かさなくてはならない。それも前向きに考えれば悪いことではない。天気も良くて暑いので、自転車に乗って出かけた。アキレス腱は切りたくないから、十分にストレッチをして臨んだし、けして無理もしないつもりだった。それでも怪我をする時はするのだった。

 左の太腿に激痛が走り、素人の見立てではあるけれど、どうもこれは筋肉が少し断裂してしまったような。バチッという音は聞こえなかったけれど、そんな衝撃があった。今まで感じたことのない類の痛み。

 しばらく休んだらわずかに痛みは引いた。足を引きずりながらでも歩けるし。自転車だったからそれほど足に負担もなかったし。でも、今まで柔軟だった身体が柔軟性を失ってしまっていたことは情けない。少しずつでも身体をなんとかしなくては。

 一風呂浴びてから、自転車でふらっと出た。この晩に床屋の予約を入れたのは正解だった。ゆっくり1時間半くらいかけて全身リラックスする。町には廉価の床屋というのもあって、安さゆえに使うことも何度かあったが、もう行くことはないだろう。サービスの質に見合った値段なら惜しくはない。

 意味もなく夜の町を自転車で走り回り、飯を食って帰った。本当ならば、足をあまり動かさず冷やすべきだったのだが、このときはそれほどとは感じなかったのだ。

■情報/Friday,26,June,2009

 先日のことについて、新しい情報が入る。しかしどんな情報も僕の胸にしまっておかなければならないのであれば、今更それによって気持ちが動く事はない。願わくは、自分のした事への責任の重さをいつか思い知るように、そしてその重さに押し潰されるまでになるように。職業人としては許容範囲だが、人としては死ぬまで許さない。それは大人げない事だろうか。いや、僕がどう考えるかに関わりなく、誰でも犯した罪は一生背負って生きなくてはならないことにはかわりない。かれにはそうしていただくとして、こちらとしては被害者と名のつく人々の気持ちに寄り添う一歩と考えてみてはどうか。

 ところで、仕事で厄介に思っていた事柄がいくつも続いた。終わってみるとどれもどうということもない。厄介だと感じていた自分の狭さだけが残る。どんな一日も一日分の時間しか流れない。簡単な事も難しい事もすべて、眠りにつくまでには目処が立つ。眠っている間にこの脳みそはいい方法をあれこれと探ってくれる。そうして、翌日には翌日で新しい問題に向き合えばいいだけの話である。また来週がんばりましょう。

■Soft B./Thursday,25,June,2009

 梅雨はどこに行ってしまったのか。真夏の太陽が照りつける中で、身体を動かす機会があった。湿度は高くなかったので、日陰に入ると意外にすっとした。何人か久しぶりの顔と少し言葉を交わした。皆それ相応に年を取っていた。どの人もゆっくり話せるほどには余裕がなさそうだった。

 何年ぶりかでキャッチボールをした。数年前、普通にやっていたら笑われたことがある。この日も、子供時代に野球しなかったでしょうと言われた。たしかにあまりやった記憶はない。どちらかというと、野次馬的に周辺にいて、無責任なことをあれこれ言っていた小学生だった。いずれ子供の時から運動は好きではなかった。

 たまにやってみるとそれなりに楽しいものである。球は飛んでこなかったけれど、ワーワー声を上げながらなんとなく格好だけつけた。まあいい。きょうは、いつもより早く終わって帰ることができたのが何よりよかった。

■ストレス/Wednesday,24,June,2009

 会議の途中で呼び出され、呼び出されたまま立たされ待たされた。ひとりひとりの思惑は違うから、それらをひとつに束ねようとすると疲れる。だいたいいつも、その類の仕事をすると疲れてしまう。

 耳の調子は一進一退だ。休みの朝に酷くなっていることも多い。気持ちが緩むと、鼓膜の周囲の筋肉も緩んでしまうのだろうか。脳の中の調整機能が弱まってしまうのだろうか。却って仕事が忙しいときには不調が感じられなかったりする。仕事に集中すると自分の体調など気にならなくなるのだろうか。自分のことを後回しにしてしまって気づかぬうちに悪化させてしまっているのだろうか。ストレスが原因と言われながら、ストレスのかからない日に限って症状が目立つというのはどういうことか。それがストレスの厄介なところなのだろうか。

■平日の休みの日/Tuesday,23,June,2009

 いつもと同じように起床。天気が悪いのですっきりしない。昨日あんなことがあったばかりだし、それに耳の調子も相変わらずで、おもしろくない。きょうは休日だからやりたいことをやりたいように進めるつもりだったが、気持ちがのらずに低空飛行だった。何もしなかったといえば何もしなかった。そういう平日の休みの日。

 店に行って手続きをした。その合間に隣の本屋をのぞいたら、欲しくなって買い込んだ。めんどうなことが午前中に終わったと思ったら、とたんに眠くなった。夕方まで一眠りして起きた。

 夕方から夜にかけて。自分の甘さ加減を改めて思い知らされる。そして、元気づけられる。憂鬱な気持ちは大切な人の力によって払拭される。かけがえのないもののかけがえのなさというものは、時間を共有することによって増幅されるのだろうか。それだけではないだろうけれど。

■受難/Monday,22,June,2009

 曇天の朝。かなり気楽な気分で仕事に出かけたのは事実。それでも、気持ちが緩んでいたとは思いたくない。少なくとも無防備というほど防備がなかったわけではない。これも事が起きてからでは言い訳と取られても仕方ないけれど。とにかく酷い事件に巻き込まれてがっかりの一日となった。

 気持ちは時間とともに回復する。こんなことで落ち込む事もあるまい。しかし、かれらを信ずる気持ちはもはやない。あと半年以上付き合っていかねばならない事を考えるとうんざりする。まじめにやっているのは実にばかばかしい。こうやって善良な市民の心は傷つけられていく。しかしこちらが傷つける側に回るとすれば、それは負の連鎖につながってしまう。それだけは避けねばならぬ。これも試されている事のひとつと取ろう。

 人が良すぎる僕は、次の日にもまた笑顔で人の前に立つだろう。忘れっぽい僕は、次の日にはもう痛みの記憶もないかもしれない。どこまでも温厚な僕だったら、たとえ犯人がわかっても黙って許そうとするだろうか。

 それでさっそく夜には店を回ってあれこれリサーチした。また左耳の調子が悪くなってきた。薬を飲んでいるけれど、通院が必要かもしれない。帰りにいろいろ買ってきて、暴飲暴食に走ってしまった。

■夏至/Sunday,21,June,2009

 十分に寝たので疲れが取れた。きょうの予定はすべて消えてしまった。その分仕事を進めればいいのだが、そんなことをするつもりはさらさらなかった。夏至というのにあいにくの曇天で、おまけに工事のシートが張られているために部屋には光が入らない。午前中はテレビを見ながら日記を書いた。

 午後には産直の店を回って野菜を買った。産直を使うようになってから、スーパーマーケットの利用度がかなり減った。値段が安いのがいちばん。そして地物を買うことでフードマイレージが抑えられるのもいい。しかし、そこまで車で行くことを考えると効果はないか。とはいえエコ活動は成果が目に見えるものではないから、自分の満足を規準にしてでも進めることが必要かもしれない。

 ノートパソコンの画面が映らず、使えない状態である。あまり活躍する場がない機械だが、使えないとなるとこれは困る。修理が必要だが、そろそろ新しいものを買ってもいいかななどという気持ちもわいてくる。こういうところは実にいいかげんだ。

■区切り/Saturday,20,June,2009

 仕事だった土曜日。年に一度の大きな節目の日になった。午前中は冷や汗をたらしながらも悲願を達成し、午後にも力を振り絞り諦めずに取り組んだ。結果は不本意ながら、最後には爽やかに締めくくることができた。他力本願が積極的で開かれた手法であることを自分なりに実感した日。歪ながらではあっても、コミュニティの力を最大限に引き出してやってこれたことは大きな成果である。この方向性でいいのだと手応えを感じている。

 大きな区切りではあったけれど、きっと明日も昨日とさして違わない一日になる。何でもない一日一日の積み重ねが、来たるべき特別な一日のための力となる。多くにについて同様のことが言えるだろう。

 珈琲屋とパン屋に寄ってから帰宅。一風呂浴びて、腹も満たされて、ぼーっとしているうちに眠ってしまい、気がつくと真夜中だった。ラジオをつけると郷ひろみのデビュー曲。ひじょうにゆっくりとしたテンポに時代を感じさせられた。昔々僕らはこんなのんびりの世界に暮らしていたのだった。もう戻ることのできない世界。

■夢/Friday,19,June,2009

 ずぶの素人が我が物顔で公共の財産である若者を独占し、地域社会からかれらを奪っては手懐けて、果ては使い物にできずに捨ててしまう。例えば、学校の部活動など、百害あって一利無しのシステムだ。この認識がなければ何も変わらない。教員は、スポーツの専門家としては採用されていないはずである。そのかれらにスポーツの指導が押し付けられているおかしさ。(あるいはかれらが私欲のためにそうしているのだとしたら恐ろしいけれど) そのために地域の人材が生かされていない現状に目を向けると、自ずと解決への道がみえてくる。地域の教育力を掘り起こすなら、地域の教育力を発揮させる場を作り出す必要がある。それを妨げているのがどこなのか。教員の中には本物の指導者もいて、成果を生んでいる人もいる。その人たちには何の文句もない。しかし、授業もそっちのけで部活動にイノチをかけているような先生などすぐにでも辞めた方がいい。教員には、専門の教科の授業で力を発揮してもらわねば困る。そのための授業にこそ十分な準備をしてもらわねば困る。学力低下が叫ばれて久しいが、解決への根本的な議論が何ら進んでいないのはなぜなのか。

 僕の理想とする社会は、例えばカナダのようにコミュニティの活動が根付いている社会だ。そこでは当然教員を含めた労働者の休日だって保証されている。そんな「夢」のような社会とこの現実を比べては、ため息をつく日々である。

■暗さ/Thursday,18,June,2009

 夏至間近のこのごろではあるけれど、工事が始まってからというもの、部屋の中が暗くて、晴天の日にすら日の光を浴びることができないことが、意外と負荷になっているのかもしれない。FMラジオも入らないし、せっかく午後七時を過ぎても明るいこの時期の空を、享受できないのは残念。そして来年はもうここに住まないかもしれないのならなおさらだ。いろいろうまくいかないことの原因をそこに求めたりするのは、あまりに都合が良過ぎるか。

 しかし考えようによっては、工事の終わった八月の空の明るさを、いつもにもまして明るく感じられることを思うと、今の空の暗さを我慢することにも価値が見出せるというものである。なんだかどうでもいいことをずらずらと書いてしまった。ようするに幸せのはかり方は相対的だと言いたいのだろうか。何だそれは。よくわからない。

■一週間以上/Wednesday,17,June,2009

 一週間も日記を書かずに過ごすと、書くのが面倒になるし、だいいち書く題材が浮かんでこなくて、パソコンの前でただ座っているだけという状態に陥ってしまう。一週間以上も隔たってしまい、さてこれをどうやって埋めようかと思案するのだが、そのうちに眠くなるのである。

 簡単なのは、書かなかった日を飛ばすこと。その日に書かなかったことはもう書く必要はないという考え。しかし僕はそうはとってこなかった。日記を記録とみると、必ずしもその日に書かなければならないと決まっているわけではない。きのうあったことをきのうの日付で書き記せばいい。僕もどちらかというとこちらの考えだ。

日付は連続しているけれど、実は飛ばしているときがある。作り手の都合に合わせたお気楽なページというのが、ここの本質に近いかもしれない。 

 「毎日書く」というのはこれらとは次元の異なる挑戦である。作家たちはおそらく自らに毎日書くことを課して生きているはずである。そうでなければいけないと僕も頭ではわかる。ただ実践が伴わないだけである。

■研修/Tuesday,16,June,2009

 きょうみたいに場所を移しての研修では、たしかに普段見ることのできないいろいろなことに触れられて、勉強になるし刺激になるし。とはいえここまで時間を割いてやる意義があるのかどうかは疑問が残る。参加者が例外なく勉強になりました素晴らしいですねと賞賛する台詞を聞くにつけ、褒めて終わる馴れ合いの研修など反吐が出ると思ってしまうのは自分だけだろうか。良いところに目を向けましょう。それはわかるけれど、ここでそれをやる意味があるのだろうか。良くないところはどこで、そこをどうするか話し合いましょう。という機会にしなければ。助言者なんてどうでもいい時間つぶし。メモを取る気すら起こらない。やることになっているからやることなんて何にもならないし、何にもならないものはすでにその存在が害悪である。だから参加しないことが賢明だと思う。ただそれは経営的な視点をもたないとすればの話。

■出張/Monday,15,June,2009

 午後から出張だったので、何だか心が軽かった。昼までやればあとは場所を移して会議に参加すれば良い。意見を交わしたりという類のものではないから、ただ頭数の一人としてそこにいれば良い。そんな責任感の希薄なままで臨むなど甘さでしかないのだが。

 13時半頃職場を後にした。もちろん終了後は直帰のつもりで。ところが用件は30分で済んでしまった。外は晴天で、爽やかな風が吹いている。土日のドライブ日和の余韻がまだ残っている。あの快い空間をもっと楽しみたかったと。これから職場に戻るなどとんでもなく嫌だったから、電話をかけて休みにした。

 帰宅すればしたでしなければならないことは山ほどある。しかし何一つする気は起きなかったから、帰らずにいろいろと道草することにした。

 まずは先月できた大きな電気店に入ってみた。ワンフロアの面積は広かったが、そこには電気製品だけでなく雑貨や書籍や玩具まで置いてあり、電気店のイメージが崩れた。残念ながら、もう足を運びたいとは思えない店になってしまっていた。いずれこのままではあの店は潰れるか吸収されるかするだろう。

 郵便局や銀行でいくつかの手続きを済ませてから、家具店に行ってベッドパッドを購入した。ベッドの上に布団を敷いて使っていたが、本来の使い方をしてみようという気になったからだ。

 そういえば工事のために外には布団すら干せない。これは困った。

■生きる意味2/Sunday,14,June,2009

 少し温めの、しかし雰囲気の良い風呂だった。建物の作りも良かった。初めてだったが素晴らしい場所を選んだものだと自画自賛。昨夜はあまり眠らなかった。とうてい死ぬまで忘れられないこと。これまで自分自身に向き合うことを避けてきたとすれば、そしてそれが僕に向き合う人を悲しませてきたとすれば、その罪はとてつもなく大きかった。
 ほんとうの気づきには変化が伴う。気づいたからには変わらねばならぬ。精進というのは、変わり続けることであり、変わり続けることなしには、人を愛することなどできぬのである。宝物を得た。生きてきてよかった。そのためにこれからも生きたいと願う。

 真夜中と思ったらすでに夜明けだった。橙色に染まる雲を見ながら最上階の風呂に浸かった。朝食の前には宿の周りの広葉樹林をひとりで散歩した。木漏れ日が美しく、森の匂いが心地よかった。

 食事中、指をテーブルクロスに引っかけて、湯豆腐の皿の生姜醤油を飛び散らせてしまった。まったくもってばか。こんなときによくある既視感。しかし何も言わずに紙おしぼりを持ってきてくれたことが、涙が出るくらい嬉しかった。大げさだけれど、そこにもあったひとつの既視感。

 その後に少し仕事の話をした。自分のフィルターを通したことであれば、自信をもって伝えることができる。どんなことでも自分の目で見て自分の耳で聞いて考えよう。そして、それをもとにして伝え合おう。

 町に戻ってからしばしお茶を飲みながら過ごす。夕方からは職場に行って夜まで仕事をした。

■生きる意味1/Saturday,13,June,2009

 駅で拾ってデパート経由で実家へ。目的は墓参。初めて父に紹介ということになる。午後にはノーベル賞受賞学者M氏の講演会があったので、昼食もとらずに戻る。病院に車を止めて久しぶりの大学まで歩く。講演では学びの重要性について説かれていた。深い楽しみを享受するには深い学びが必要になる。精神の質と生活の質を上げていかなければならないと感じた。終わってから生協で少し本や文房具を買った。

 昼間は少し雨も落ちるほどだったが、いつの間にか快晴になった。小岩井の木工の店をのぞいてから岩手山の麓の温泉宿を目指す。途中食べたアイスクリームは黒豆とくるみ味。それにしてもこんなに気持ちのよい晴れは久しぶり。たぶん日頃の行いがよかったからだろう。と考えることにしよう。

■小休止/Friday,12,June,2009

 とある洒落た店でとある慰労会が小規模に行われた。小さな区切りではあったが、金曜ということもあり、少し軽く飲む機会として悪くなかった。当たり障りなく、少し楽しく過ごした。一次会で早々と帰宅して、少し部屋を片付けたりした。そんなふうにわずかな楽しみと感じられたのは、きっと土日のことを考えるとほんの小さなことにしか映らなかったからだろう。それはたとえは悪いかもしれないけれど、僕にとっては「小休止」と「生きる意味」くらいに差があるイベントだから。

■会議/Thursday,11,June,2009

 この先どうなるか、経験のある人にはみえているのだなあ。僕には経験がないから、みえなかったなあ。だから会議でもあまり考えが出てこなかったというのが正直なところだった。なかなか難しい問題を突きつけられて、これは僕らが新しい挑戦を課されている大きな曲がり角だと思う。だけど、徹底的で激しい改革が必要だというにおいが伴わないのが、やや不思議だった。

 ところで、わだかまりというより、自分自身の未熟さから必要な意思疎通を行わないまま時間が経つということがある。少しの時間の電話でほっとすることも多いし、なんだか助けられてばかりだ。週末のことも気になっていたが、ひとつの好機ととらえて、いい時間を過ごせるように工夫したい。

■" Be Bumble Bees !! " Marty said. /Wednesday,10,June,2009

 日本に住んで30年という、ある企業のシニアアドヴァイザーという立場のアメリカ人の方の話を聞く機会があった。マルハナバチ(Bumble Bee)というハチは、身体の大きさのわりに羽が小さいので物理学者に言わせると構造上は飛ぶことができないのだそうだ。ところがハチは飛ぶ。それは飛べない構造だというのをハチ自身が知らないから。つまり、ハチ自身が飛べると思っているからだという。人間も無限の可能性をもつ存在。飛べるわけがないと思っていたら飛ぶものも飛べなくなってしまう。逆に、飛べると信じれば誰でも飛べるのだ。

 日本の学校教育や社会そのものが、可能性を広げるというよりも狭める働きをしているのかもしれない。集団主義といってもよいだろうが、皆を同じ方向に向けるようなシステムになっている。そこで精神論が幅を利かせ、余計なことを考えずにひとつのことだけやっていればいい、言われた通りにやっていればいいという考え方を刷り込むことになる。そのため日本にはほんとうの意味での文武両道は根付いておらず、勉学において秀才でなおかつスポーツアスリートである人材が育たない。

 彼はいわゆる「二足のわらじ」で成功する内外のスポーツ選手を次々と紹介し、秀才アスリートへの道が誰にも開かれていることを教えた。そして、「教育は人生の保険である」と、かつて水泳選手としてオリンピックで多くのメダルを獲得したマット・ビオンディの言葉を引用して、学びの重要性を説いてくれた。ビオンディは水泳選手を引退した現在はハワイの公立中学で数学と科学の教員をしているという。

 以下、自分の覚え書きのためにこの講演で紹介された人物を列記しておく。デビ・トーマス、大家友和、ゲイル・ホプキンス、ランディ・グレッグ、イアン・ウィリアムズ、長谷川滋利、中田英寿、福原愛、八十祐治。そして、高野光。高野は元ヤクルトのエース。現役引退後、韓国、台湾でコーチをしたが、その後は日本球界での仕事に出会えぬことに悩んで投身自殺を図った。享年40歳。

■偽物/Tuesday,9,June,2009

 ときどきキレることがある。悪いところばかりが目につくので、褒めようと思って取っておいたことがそのまま言葉にならずに消えてしまう。キレると言葉のキレが増すと自分では思っているのだが、それだけ辛らつな言葉を飛ばすのだ。それで部屋中が重苦しい空気に包まれてしまうことも多々ある。

 ところが周囲によると最近はキレなくなったのだという。気心が知れてきたために、こちらが無駄にキレることを回避するようになってきたのかもしれない。しかし、だとしても目につくことが減っているわけではないので、指摘すべき時には指摘しているはずである。それがキレると取られないのはどういうことか。表情が柔らかくなったか。話が分かりやすくなったのか。あるいは聞き手の物わかりが良くなったのか。これはよくわからない。キレることはいいわけではないから、そう取られないことは歓迎すべきことか。

 だが、価値観にブレが生じているような事態ならちょっと待てということになる。今まで許せなかったことが許せるようになったり、認められなかったことを認めるようになっているとしたら危険だ。もしそうなら、お前は偽物だよということだ。お前自身が悪い子だということだ。

■択一/Monday,8,June,2009

 危険を回避するにはさまざまな方法がある。きのうはひとつしかみえなかったが、きょうになって複数みえるようになった。冷静さを失った頭で考えることは狭いから、少し冷ましてから考えた方がいい。

 ひとつは取り消すことだった。すべてをなかったことにする。リセット。二つ目は、問題を避けて回り道をすること。これはその場しのぎ。三つ目は、上を飛び越えること。一気に解決をねらう。体力が要る。四つ目は、真っ向からぶつかること。いちばん危ないようにみえ、しかもいちばん時間がかかりそう。

 とりあえず四者択一までは広がった。そこで自分が選んだものは何かといえば、四つ目だ。避けては通れないと思う。だとしたら嫌でも向き合って、納得のいく道を取りたい。もしかしたら問題だと思っていたこと自体がなんでもないことかもしれないし、融合することで未知の力が生まれるかもしれない。そういえば、最初に考えたのはそういうことではなかったか。大いなる希望と期待を抱きながら迎えたい。

■酷い言葉たち/Sunday,7,June,2009

 酷い言葉たちはいったん引っ込め、自分へのメールにして送ってやった。自分の負の部分を晒しているのがこの日記だ。それでもけして書かないコードを決めてはいたが、夜にはそれを逸脱してしまった。

 信頼というのは、こういうところから崩れていくのか。あるいはもう失ってしまったのか。感謝とか、愛情とか、まったく根っこでもなんでもなくて、こんなに浅くて薄っぺらなものなのか。ほんとうにばかみたいな話である。

■工事と悩み/Saturday,6,June,2009

 大規模な外壁工事が始まって、建物の東側にやぐらが組まれ、その外側が灰色のシートですっかり覆われた。ベランダの外に通路ができて、工事関係者たちが行ったり来たりしている。逆にそちらからは部屋の様子が丸見えなので、日中はカーテンを閉めている。覆われて初めてわかったが、このシートは、外からは中がまったく見えないが、中からは外が見えるようになっている。まるでマジックミラーだ。しかし、光がずいぶん遮られて部屋がとても暗くなった。この工事、七月いっぱいはかかる見込みで、管理組合からの文書には「かなりの大工事なので、しばらくの我慢をお願いします」とあった。古い建物ではあるが、このような工事が行われるところからすると運営はうまくいっているようだ。

 そう思って、FMラジオを久しぶりにつけてみると、電波の入り具合が著しく悪い。この鉄骨製のやぐらの所為かもしれない。八月までラジオが聞けないとしたら残念だ。うう。しかし、そんなことは悩みというものとはほど遠い問題である。

 それぞれに苦悩の種類が異なるようで、金に悩む人もいれば、仕事に苦しむ人もいるし、家庭に悩む人もいれば、病気に苦しむ人もいる。僕は僕でばかみたいに頭を悩ますときがあるし、君は君で気持ちが穏やかでない日もあるだろう。しかし、悩みのない人生が幸福ではないのであり、苦しみがあるからこそ解き放たれる喜びがわかるのである。だとすると、絶望は希望の前ぶれであり、不幸は幸福の入り口であり、苦悩は快楽への扉なのである。と、僕は信じている。

 

■拠なき/Friday,5,June,2009

 何一つ拠をもたない心許なさも人には伝わらないだろう。プライドという言葉は安っぽい響きがするから、自分のそれもきっとつまらぬものなのだ。男であるということが、こんなに黒い陰を齎すものとは思いもしなかった。常に喉を締め付けられている心地がする。ただ言い切れるのは、それでも自分が生きているということだ。しかもあまりにのうのうと。そのことがすべての根源ならば今すぐにでも断てばいい話ではないか。それなのにである。

 しかしこのことを思うのは、ほんとうに生きていないからだとも言える。長い試みは終わったはずであり、また新たな試みに踏み出したはずであった。すべての希望と信頼と期待を持って迎えた新しいいのちが、もうすでに息をしていないとしたら。あまりに呑気過ぎはしないか。

 みたこともなかった暗闇に向き合ってみて、これまで無為に過ごした若さを悔やむ。多くの人々は、それを当たり前のこととして受け止め、すでにそのことを悩み切り、突き抜け、新しい地平の上に希望的に生きている。そのことが驚異であり、また僕にとっては絶望的でもある。

■カミナリ/Thursday,4,June,2009

 昨夜はためしてガッテンのカミナリ特集を見ているうちに眠ってしまった。そしたら、カミナリに何度も打たれる夢を見て真夜中に目覚めた。胃検診があったので朝は何も摂らず、しかも直接病院へ向かえばよかったからゆっくりできた。待合室では本を読み、検査後には食堂で朝飯を食べ、10時過ぎに出勤した。しかし、足の痛みと疲れが残っており、やる気のない一日を過ごした。

 午後になって大雨が降り、少しカミナリも鳴った。無事に仕事に収拾を付けて帰ろうとする。だがその頃になって刺激的な出来事に遭遇した。まるでカミナリに打たれたようだった。漫然と日をやり過ごすだけになっていた自分が恥ずかしくなった。これを人の所為にしても仕方ない。逃げてばかりいるのは若い愚かさだ。それを打ち消し合うのが大人の関係だ。この20年というもの、見方によってはそういう関係作りを回避してきたといえるだろう。この背中が人生を物語っている。袋小路に追い詰められた犯人のような気分になった。

■痛み/Wednesday,3,June,2009

 黒はすべての色を包含している。それでいてどの色にも染まることがない。この場合黒い服を着るのが妥当であると判断した。華やかにそれぞれ着飾った人々を見ても、違和感の方が勝っていた。もう自分はいいかなという気がする。どうということはない。無駄な衣料費がかからなかったことはよかった。

 右足のアキレス腱の付け根が痛む。最近少し動いただけでそうなるので困る。少し休むとよくなると思うから、特に何も手当などしないのだが、もう休んだところでどうにもならない。無理しなければいいのにばかだ。これは治療が必要かもしれない。いや、ばかなのはもう少し無理すればよかったのにしなかったことではないか。例えば三か月入院することになったら、憧れの生活ができるではないか。

■幻の日常生活/Tuesday,2,June,2009

 たいして役に立っていないにも関わらず、毎日毎日同じような顔をして働いている。笑顔は以前練習したために楽しくない時でも楽しそうにみえるようになっている。意外とそれが誤解を生むことも多いのだけれど。たとえば何を食べてもうまそうに食べるとかよく言われるが、うまくないものを食べることもあるのである。

 運動会的な行事は子供の頃から嫌いで、それは今でも変わらない。むしろそれが好きだという人種がいることが理解できないのではあるが、理解できる振りをして適応する。運動会に限らず、すべての行事という行事が面倒くさくて嫌いだった。何もない、普通の日常生活ができれば、何の文句もなかった。いま、その普通の日常生活がまったくできない状況が、どんなに不本意であることか。この顔からは誰も想像できないだろう。

■弱い人/Monday,1,June,2009

 六月に入った。世の中の動きが速過ぎて意識が追いつかない。他の人たちが、細かなところをすべて確認通りに行動できることには感心する。僕などは、確認したことすら忘れてしまうのが常だから。脳の力の差だろうか。人の言っていることを理解するのは難しい。言われた通りにしなければならないというのはさらに難しい。これだけはわかってほしいなどと言われ、はいと返事はするけれど、何もわかっていないということがよくある。

 周囲には何度繰り返し言っても直らない人たちがいて、その度、話にならぬお手上げだと何百回も思うのだけど、僕もかれらと同じようなもの。要するにオツムが弱いのだ。弱い者が弱い者を叱ってもあまり効果がないのは当然か。甘いと言われればそうかもしれないが、同類かと思うとどこか親近感が湧いてしまうのだ。

 


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