2009年3月               

 

■Tuesday,31,March,2009

 年度終わりの一日には、いくつもの別れがあった。職場の変わる人たちですらそれぞれに最後まで忙しくしていた。きょうは最後だからかどうか、電話のやり取りや外に出かけてのやり取りが重なって、おまけに通常業務も普通にあって、何かと気ぜわしく過ぎた。帰ると何もしたくない。汚れ放題の部屋を見ながら、ただただぼーっとしている。

 以前はもっと楽だった。二日くらいは休めたものだ。それがいつからこんなにびっしりやらなければならなくなったのだろう。節目を大事にしたいなどといいながら、いつもどおりの日々がこんなふうに終わってしまい、また明日からいつもどおりの日々が始まってしまう。まとめのようなものを書きたかったが、これではまとめようもない。とにかく太陽のまわりを一周した。また明日から走ろう。

    

■Monday,30,March,2009

 今朝は人の車を盗んだ夢を見た。持ち主に見つかって必死に謝っていたが、現実世界では謝っても済まされぬ犯罪だ。夢の中ではそんな判断力もなくなってしまうのかと我ながら呆れた。夢見心地のときは要注意だな。

 午前と午後とほぼ同じ内容の会議。しめて6時間。これほどの時間を割いて行うほど意味があるのかどうか。時間短縮してもっと別の事柄に時間をかけた方がいいのではと率直に感じた。もしかしたらきょう行われたことははじめから無くてもよかったものかもしれない。思うに、上役どうしの普段の打ち合わせが足りな過ぎる分のしわ寄せが下の者たちに来ているのではないだろうか。仕事量に見合った人員配置がなされていない。現場でなんとかしろというのが今の時勢なのだろうが、これではいわゆるモチベーションの低下を招くのは必定だ。とはいえ、皆は偉いと思う。ここに来てからは、とにかくぼやきというものを聞いたことが無い。

 帰りにいろいろと寄り道をした。百円ショップで懐かしい人に会い、ほぼ一年ぶりに近況などを話した。その後の様子を聞いて驚いた。なぜだろうという疑問が尾を引いた。だけど、時間が経てば状況は変わるから、その場にいない者には想像しにくいこともあるだろう。お互い一生懸命やっていることには変わりない。

 

■Sunday,29,March,2009

 今朝もすっきりと晴れて冷えた。六時半に職場に出て、必要な準備やらを行って移動した。午前中はずっと寒いところにいた。買い物して帰宅すると午後一時だった。部屋を片付けるつもりだったが、だらだら過ごしてしまった。高校野球は岩手と宮城が勝った。花巻東は県勢25年ぶりのベスト8だという。大船渡が準決勝まで進んだ年は夢中になってテレビを見ていた。まだ高校生だった。今回も楽しみだ。東北勢の健闘に期待。

 夕飯は野菜をふんだんに使ってシチューを作った。牛蒡も入れて繊維質たっぷり。先週まで時間がなかったけれど、今週からまたぼちぼちと料理を始めよう。

 昨日は四月のことを決めた。仕事で四月にならないとはっきりしない部分はあるが、自分の見通しは立った。大切なことは顔を合わせて話すのがいいと実感した。疑心暗鬼はいけないと反省。もっと落ち着いて、大人にならなければ。言葉を曇りなく受け止めることができた。僕はまだ至らない。あの涙を忘れてはいけない。

 始まってはいるが何も始まってはいない。ただ、用意は少しずつ調ってきた。大きな期待。世界はきっと変わる。いいことばかりではないだろう。けれどすべてを凌いで築く決意がある。

 昨日食べた温かいかきそばを思い出した。臍下丹田に滋養が漲る感じ。ラジオでも誰か言っていた。食べた物が自分の身体と入れ替わるのだ。いい身体を作ろう。この邂逅にどうにしかして報いたい。

■Saturday,28,March,2009

 朝からすっきりと晴れた。うっすらと積もった雪を払うと、鳥の糞だらけだった車がピカピカに生まれ変わった。昨日一日車を木の下に止めていたら、白い跡が何カ所も着いてしまった。ウェットティッシュで拭っても取れないので、今朝は洗車しようかとも思っていたところだった。驚いた。流石に、雪は雪ぐのだ。

 八時に家を出て、三時間ちょっと。心躍りながらの旅は懐かしい道を通った。きょうから高速道路の大幅値下げが行われる。ところが、ETCの装置を取り付けていないので適用外である。そんな日に高速道路を使うなどばからしいので、きょうは使わずに行くことにしたのだ。車検の時に付けてもらおうと思ったが、もう在庫がないということだった。オートバックスやイエローハットに問い合わせても、入荷の目処さえ立っていないというので今回は諦めた。これでは恩恵に預かれる人が限られてしまって不公平だ。

 帰りは出るのが午後六時過ぎになった。来た道とは別の国道にした。通行量が少なくて走りやすかった。思えばこの道を通ったのは初めて行った日以来だった。三時間はかかるかと覚悟していたら、幹線に出るまで二時間かからずにすんだ。一区間だけ高速道路を使って400円だけ支払った。千円以内だから許容範囲。そうすると実質二時間半。冬道でなくしかも夜なら高速と大差ないことがわかった。

 

■Friday,27,March,2009

 部署で小規模の送別会が行われた。ダイニングレストランという雰囲気の店だった。普段から比較的よく言葉を交わす人たちなので、別れだからといって儀式めいたことがあるわけでもなく、普段どおりの肩の凝らない会になったのがよかった。そこは常識的で視野の広い、素晴らしい先輩方の存在が大きいわけだが、こう考えると僕の周囲、少なくともここ三年、現場のスタッフにはひじょうに恵まれている。これはありがたいことだ。

■Thursday,26,March,2009

 振り返るとこの日も長かった。夜には大規模な送別会が催された。酒を注いで回るのが嫌いなので、初めから終わりまで座席をほとんど動かない。それではいけないという考えもわかるが、別れの時になって取って付けたように言葉を交わす感覚がどうも馴染めないのだ。これまでの日常でどのような関係をつくってきたかがすべてだろう。それに、最後の最後で思いの丈をなどといって長々と喋るなんて、どうなのか。そんなに喋りたいなら普段から喋っていればいいのだ。まあ、これは去年の自分に対する反省でもあるのだが。

■Wednesday,25,March,2009

 書類を手書きする場合、頭に浮かんだことを出力するのに時間がかかってもどかしい思いをすることが多い。しかし、パソコン入力ならそれほどの時差なしで打ち込むことができる。それだけでひじょうに速くて楽だ。字を書く仕事の質が肉体労働から精神労働の方に少しシフトチェンジしたということだろうか。しかし、いいことばかりでもない。手で書かないと覚えない。記憶に刻まれずに消えやすいという面もありそうだ。それに、目からくる疲れは相当なもので、仕事を終えると何も見たくなくなるくらいである。筋肉とか体力とかいうものの大切さを感じる。

 ともあれ丸二日かかって懸案だったことはほぼやり終えた。これから実際に身体を動かして、片付ける作業が入ってくる。面倒だなあというのが正直なところだ。

 

■Tuesday,24,March,2009

 昼時には老舗の狭い店の一角に座っていた。客も従業員もテレビの野球中継を気にしていた。前回はちょうど3年前、帰国した翌日のことだった。野球というスポーツ自体がごく限られた範囲でしか受け入れられていないというのはこの際おいておいて、なるほど皆で盛り上がるひとつのいい材料であることは明らかだ。次は4年後だという。どれだけ続くだろうか。

 夜には会議があって、会場までは徒歩で向かった。車なら15分もかからないところだが、歩くと1時間では着かなかった。雪まで降り出して、冬に逆戻りの天気となった。その後にとある慰労会があり、タクシーで会場に駆けつけた。終わると12時前。長い一日だった。

■Monday,23,March,2009

 朝には余裕をもって出かけたつもりが忘れ物をしてしまった。こういうときに車があれば楽だが、通勤路を二往復することで少しは運動不足が解消できたとプラスに受け止めよう。それにしても、忘れるまいと思っていたことすら忘れてしまうのだから人間の記憶というのはずいぶんいい加減なものだ。

 午前に一つと午後に一つ会議があった。そして、通常業務や明日の準備などがあった。この他に個人で進めなければならない仕事があるのだが、たいして進まなかった。やっと取りかかることができたという程度だ。

 CBCのThe Nationalという番組をいつも視ていた。日本でもそれをネットで全部視聴できる。しかも画質が以前に比べて格段によくなっている。夜、それを視ていたら意味が意外とすんなり入ってきた。一時間のニュース番組だが、NHKと比べて内容がひじょうに充実している。英語なのに、世界の様子がよっぽどよく伝わってくるような気がする。そして、サイトにはフィードバックがしっかりとつけられており、開かれた感じがある。ときどきこちらのニュースに接することで、よりバランスの取れた生活ができそうだ。

■Sunday,22,March,2009

 休日だが仕事を午後1時過ぎまで。その後、車を車検に出す。水曜日までは車なしの生活。旅も終えたし、どうということもない。また淡々と業務をこなすのみである。昨日までの連休で、年度の境を跨いだような気がする。まだ今年度は終わっていないけれど、明日からは来年度のことを考えながら働くことになる。先週のことだが、ひとつのことで打診があった。予想通りだった。何でもやると答えた。そうとしか言いようがない。これまでそうやって生きてきたし、嫌でも何でも与えられたところで自分のやるべきことはやってきた。しかも、今より楽な状況を作り出しながら。しかし、この話がくるということは今の自分に正当な評価が与えられていないということでもある。ほんとうに評価すべき人間は誰一人として見ていない。あるいは、仕事とは誰もとらえていないことの証かもしれぬ。よくわからぬ。いずれ、やることはやる。求められれば必ず応える。そして、そんなことは僕の人生にとって何でもないことなのである。

■Saturday,21,March,2009

 目覚めると庄内にいた。何があるというわけではないが年に一度は来る町だ。ここに来るといつも入る店で、昨夜は食事をした。うまいことはたしかだと思うが、何百キロ走って来るほどのことはない、と言われそう。朝から気持ちよく晴れた。まだ早いので誰もいない倉庫のところを散歩し、観光用の市場をふらつき、港を臨む公園に行った。朝のいい空気を吸った。気持ちがすっとした。すぐ近くにあの映画の撮影に使われた建物を見つけた。得意になって観光客に説明している地元の兄ちゃんがいて微笑ましかった。いつも行く美術館は時間が早いのでパスし、隣町を見るのもやめて帰途に就いた。たったこれだけのために来るなんて、と言われそう。だが、自分の時間をどう使おうが、金をどう使おうが勝手。普段ぎちぎちと型にはまった仕事をしているわけだから、たまの連休にそれを解放してやることは大事。旅が好き。いろいろな旅が好き。こういう旅も好き。好きなものは好き。理由なんてどうだっていい。

 午後2時には帰宅。残りの時間をもう少し有効に使えるかと思ったら、昼寝で終わってしまった。おかげで疲れは吹っ飛んだ。僕の連休はこれで終わり。明日から生まれ変わった気持ちで過ごそう。

■Friday,20,March,2009

 朝7時に家を出て、2時間後には津軽にいた。車は大きな駅の駐車場に預け、文庫本一冊だけ持って、田園を走る私鉄に30分揺られた。辿り着いたのは過去に何度か訪れたことのある田舎町。街並を見ながら名物を食べられればいいかなというくらいに思っていた。土産物屋の店先で思いがけず津軽三味線の演奏を1時間ばかり聴くことができた。三味線のばちのばんばんという音が大きくて迫力があった。名手のおじさんは曲の合間にちょっとだけ解説を入れてくれた。先入観として津軽三味線のリズムはどれも一律のように思っていたが、曲によってさまざまであり、地方によっても違うのだということがわかった。何であっても、どこであっても、ライブで音楽を聴くのはとても楽しい。

 通りには焼きそばの幟が多い。ここは焼きそばの町なのだそうだ。こぢんまりとした店にふらっと入りつゆ焼きそばというのを注文した。野球の中継がどこからか聞こえてくるがテレビもラジオも見当たらない。その話をしたら店のおばさんがワンセグ放送の携帯をこちらに向けて見せてくれた。普通のソース焼きそばにそばの温かいつゆをかけ、ネギと揚げ玉をのせたつゆ焼きそば。意外と言っては失礼だがとてもうまかった。寒くて冷えた身体も温まった。

 今度はバスに揺られて駅まで戻った。駅まで戻ると、もういいかなという気分になった。ほんとに勝手気侭な旅だ。その後は日本海に針路をとってひたすら車を走らせた。夕方には二つ隣の県にいた。

■Thursday,19,March,2009

 昨夜遅かったわりには普段通りに目覚めた。熟睡できたのでゆっくり休めた。こういうときの朝、誰も起きていない時間に風呂に入るのが好きだ。硫黄のにおいのきつい風呂はひじょうに熱かった。西の言葉を話すおじさんが、湯が熱いことを嘆いていた。飯を食ってからの少しの時間、部屋で転がりながら世間話をした。

 180度違う価値観の中に身を置いているような感覚。たしかに10年前にはまったく逆のことを考えていた。その頃ががんばるであれば、今はがんばらないということだ。しかし、以前の考え方を否定しているわけではなくて、もっと広い心で包み込んでいるような感覚だ。どういうやり方がそのときにいちばんいいのか、それを追求して動くことこそが大事であって、杓子定規なガンバリズムなんていうのは百害あって一利無しなのだった。明日の変化を求めるのは僕らの仕事ではない。しかし、将来においての責任はひじょうに重大である。

 午後には2時間ほど仕事の話を聞いた。耳を疑うべき事実にはお疲れ様という言葉しかない。解放させてあげたいが、話を聞いてあげることくらいしかできない。彼岸なので夕方実家に帰り、墓参して食事して帰宅した。

■Wednesday,18,March,2009

 普段とは違うスケジュールの一日は、楽そうにみえてそうでもなかった。いちばん大変だったのは、片付けや掃除の類だった。家に帰ると眠くなり、少しうとうとしていると暗くなった。車で山の温泉宿まで行って、酒を酌み交わした。何リットルビールを飲んだかわからないが、それほど酔った感じはしなかった。今年はといったらいいか。いいや、今年もという気もする。とにかくこのチームの一員としてやってこれたことは幸せだった。

■Tuesday,17,March,2009

 この日はあまりいいことがない。それは時節柄仕方のないことではある。節目を大事にしたいという意識が人一倍強いのか、どうも力んで空回りしてしまう。この日をいい日にしようと気負うわけではないにせよ、一年の締めくくりはしっかりしたい。しかし、苦労が多いわりに実りが感じられなかったりして、激しく落ち込んでしまうのだ。そんな体験を繰り返すうちに、いい日とは思えなくなってしまったのかもしれない。力がないと言われればそれまで。努力が足りないと言うのもその通り。しかし、どんなにうまくいくことを望んでいても、たいていのことはうまくはいかない。それがこれまで学んできた僕の真実であることには変わりない。

 裏を返せば、人生においてはわずかながらでも望みはかなうという希望があって、これまでの無駄な月日を乗り越えるだけの明るさを湛えていつでも湖のように眼前できらきら輝いているのだ。その場所があるからきょうも生きていける。そうやって自分自身を騙すしか生きる方法がなかった。

 きょうもたしかにあまりいい日ではなかったね。四十二歳になった。死に向かう歳である。こんなふうになっても希望はもち続けており、嫌でも何でも明日はやってくる。明晩は某温泉にて慰労会がある。大酒を飲んで騒いでとはならないだろうが、ほどほどにゆっくりとしてこようと思う。気がかりなことが一つ。人には大げさにみえるか知らないが僕にとっては一大事。しかしどんな明日だって、誰もまだ見ぬ真っ白な一日なのだ。いったい何を不安がる必要があるだろう。のらりくらり遊び暮らしながらその日を待つことにする。

 

■Monday,16,March,2009

 いよいよ最後の週に突入した。明日で大きな一区切りが付く。3月4月の慌ただしさ煩わしさにはいつまでたっても慣れることなく、むしろ年を重ねるにつれて嫌悪感が増してきているようだ。別れと出会いの季節であることの慌ただしさと煩わしさは、時間感覚を狂わせる。普段より恐ろしく長く感じられる日々。

 まして若い頃のように情というものが輝きを放つわけでもなく、儀式めいた物事や涙の場面を思うと、脱ぐに脱げない濡れた着衣のように全身にまとわりついて離れない、ただの厄介な存在にみえてしまう。

 相反する感情に押されるようにしていつも笑顔になる。しかし笑顔でいることで心に潤いが生まれるのを知っている。一日が終わる頃になると疲れだけではない何かが得られたような気になる。誤解だとわかっていてもいなくても、眠りに就いてしまえばそれで終わり。嘘が曖昧に消えるから、ほんとうのこともこれ以上求めなくて済む。

■Sunday,15,March,2009

 早くに目覚めたが寝足りない感じで、ラジオの声も頭に入らなかった。昨夜から少し積雪があり、風も強かったが、外に出る頃には雪は消え、風も弱くなっていた。

 職場には誰もいない。人が集まるまでの一時間くらいゆっくりと事務仕事をした。その後はひとつの節目らしくいつも以上に賑やかになった。何の問題もなく事は進んだ。この一年をかけて築いてきたものがある。自分ができないことは人に任せるように計らい、環境を調えることに腐心した。充実とかやりがいとかいうものとは別だが、よりよい環境にすることで、自分もやりやすく楽になるという経過をたどれたのはよかった。

 しかし思わぬ伏兵は身近にいるものであり、実はそのために人知れぬ苦労があった。チームワークにはフォローやカバーはいつでも必要である。きょうは危うく矛先がこちらに飛んでくるところであった。あるいは既にこちらに刺さった。ただきょうの一事でこれまでの信頼が崩れることなどないわけで、それには自信をもってよい。

 とはいえ終わってもしばらくは気持ちが収まらず、胸くそ悪い思いを抱いていた。これではいけないと思い、車をあちこち乗り回し、しまいにはラーメンを食べて帰って来た。1時間半も走ったろうか。するとさっきの気持ちはどこかに消えてなくなっていた。ああいうのをストレスというのなら、そしてこんなことで解消できるならどうということはない。こんなことはストレスではなく日々の泡である。

 なんだか冷たいね。温かみが感じられない。ここまで書いて思った。君の人間の浅いところだよ。大事を取って小事を捨てるというのはほんとうではない。自分自身がばたばたとして落ち着きのないように思えるのはその所為だろうか。大事を為そうと思ったら、小事を疎かにしてはいけないのだよね。小事の積み重ねこそ大事に至る道なのだよね。

■Saturday,14,March,2009

 汚れたキーボードを一から掃除した。筆記具を大切にするというのなら、キーボードの手入れだって怠ってはならないはず。しかし、分解してまですることはなかった。まずキー配列を写真に撮ってプリントアウトした。次に小型のスパナを引っ掛けると簡単にキーが外れた。キーのないボードの埃を吹き飛ばし、キーを一つ一つ拭いて填めると、新品同様になった。

 今度はあまり汚さないようにと、カバーを付けることを思い立った。ところが、電気屋で聞いたら今は自分で切るタイプしかないという。型番に合ったぴったりのカバーをイメージしていたので買うのはやめた。考えようによってはカバーを付けるなど野暮な話。汚れたらまた掃除すればいい。部屋といっしょである。などと合理化して納得。

 ひとつの区切りがついたから、それを祝して何かうまいものを食うつもりだった。それで何年ぶりかの蕎麦屋に入ったがちっともうまくなかった。ここで初めて鴨せいろを食ったときいたく感激したものだが。舌が肥えたのか、店の味が落ちたのか。店構えは以前と変わらなかったがメニューにはハンバーグなどの洋食も付け加えられていた。蕎麦だけでやるのは難しいのだろうけれど、これでは蕎麦の味が落ちるのも無理はない。ビールでも買って帰るかと思ったがやめた。明日も昼から仕事だし早々に休むことにした。

■Friday,13,March,2009

 休み明けも始まってみればあとは流れに乗るだけ。事前の準備が周到だったので、特に何の問題もなく動いていた。そこに自分がどれだけ深く噛んでいたかはわからないけれど。要するに、いつだれが休んでもうまく回るような体制ができているかどうかの話。部署によるものか知らないが少なくとも今のところはやり易い。

 風邪もだいぶよくなってきた。マスクも付けたくなくなった。今週はあと一日。元気に乗り切ろう。

■Thursday,12,March,2009

 今朝は早々に職場に電話して休む旨を伝えた。午前中は洗濯やら掃除やらをして過ごす。寒かったが晴れていたので布団を干した。タオルケットやシーツも洗った。近くのクリーニング屋にシャツを頼みに行き、帰りに滅多に買わないコーヒーを買って帰った。仕事をするつもりだった。6時間くらいかけてひとつの仕事をした。その3分の1で済ませて違うことをするつもりだったが、集中が足りなかったので、できなかった。普通に出ていたら終わらなかったかもしれない。こういう形で帳尻が合うなどとは言えないが、はじめからこうなることが決まっていたかのような展開だ。

 昨夜は変な夢を見た。早くしなきゃと思いつつ身体は動かない。車に乗ってもエンジンがかからない。いつまで経っても目的地には辿り着けない。そのうち周りがみんな知らない人ばかりになる。親しい人の姿はどこにもない。寂しい中年。寂しいっちゅうねん。風邪の時のわびしさはもう二十年も前から変わっていないんだ。

 

■Wednesday,11,March,2009

 周囲の状況は昨日よりも悪化し、業務を続けるのが困難になった。そのため担当の部署を含む一部で昼からの予定が打ち切られることとなった。年度末の重要な局面を前にしてこのようなことになるのは残念だが、仕方ない。見方によってはよくここまで持ち堪えたとも言える。業務が再開する金曜からの巻き返しを期したい。

 いっぽう、僕のほうはときどき咳が止まらなくなって、涙が出て目が充血した。洟のかみ過ぎで鼻の周りがひりひりし、声は鼻声になった。熱はないのでここから勝負だと自分では思っていたが、早く帰って休んだ方がいいと、何人もの方が優しく声をかけてくださった。それに自分ががんばることで他にうつすのがいちばんよくない。それで、お言葉に甘えてきょうも明るいうちに帰宅した。帰ってから2時間くらい寝るとすっきりした。

 頭が冴えたし仕事を進めようかとも思ったがそれはよくない。休む時には休むと割り切った方がいい。周りの人たちには申し訳ないがそれはお互い様だ。というわけでゆっくり休ませていただきます。

■Tuesday,10,March,2009

 風邪は昼過ぎまでどうということもなかったが、午後から鼻汁が多量に出るようになり、ときどき咳も出始めた。これからという頃になって集中できないほどになり、今夜も早々に帰宅することにした。周囲の人々も次々と風邪やインフルエンザでダウンし、異常な状況である。平常に戻るには今週いっぱいかかるだろう。

 

■Monday,9,March,2009

 週明けは風邪を引く人が続出。喉の痛みを訴える人多し。自分も昨日の朝から喉の痛みと少々怠さを感じていたが気にしていなかった。ところが、きょうの午後になって鼻水が出るようになり、怠さが増してきた。自分ではまだまだいけると思っていたのだが、具合悪そうだから休んだ方がいいと周囲の人々が言う。それで、仕事を切り上げて病院に行ってきた。インフルエンザだったら大変なのでまずは診断してもらう必要があった。

 結果、インフルエンザではないということだった。帰って薬を飲むと眠気が襲ってきてそのまま就寝。喉の痛みは相変わらず。鼻水が痰に変わり、いつものように症状が推移している。明日も無理しないほうがいいとは言われたが、日曜にやらずに積み残した仕事がたまっている。もうだめ、無理! となれば有無を言わず休まなければいけないが、それほどひどいわけでもない。ゆっくりやってこよう。

■Sunday,8,March,2009

 夜中に突然右の太腿がつってひじょうに痛かった。それがおさまってしばらくすると、今度は左側がつった。久しぶりに運動したからだろうが、この痛みは尋常でない。

 部屋の片隅で埃にまみれていた黒い写真立てを壁に飾った。かつて住んだ街からは遠くなり、世界とは何のつながりもない日々になった。あの街より前を思い出そうとすると自分自身の影がぼやけてしまい、何も思い出せない。思い出すにはいまやこの日記が唯一の手掛かりとなっている。自分の原点がどこかというと、それほど昔ではないのだ。あの国にいた月日と同じだけの月日をふるさとで過ごした。それ以前の自分はまるでなにひとつみえていなかった。あの日々がなければ素通りしていたかもしれない人たち。かけがえのない人たちと出会った。しかし、今の自分にもなにもわからない。わからないけれど、前に進んでいる。あなたによって、生かしていただいている。

 

■Saturday,7,March,2009

 休日といってもたいして気持ちの安らぎが得られるわけではなく、ここ数日のことをたどっているうちに朝は過ぎる。そして、昼前からはまた職場に行って仕事をした。ずいぶん身体を動かしたために右の足首が痛くなった。これをやると数日は歩くのが困難になる。夢中になるからそんなことになる。それを何度も繰り返している。

 暗くなってから帰宅し、着替えてからデパートに買い物に行く。買い物とはいえパンと食料を少し。閉店間際だったからゆっくり回れなかったけれど、たったこれだけのことで気分が変わるというのは不思議だ。

 楽しみにしていたのは白洲次郎のドラマ。先週の第一回は開始直後から一気に引き込まれた。実家の液晶TVだったからだけではない。重厚であり斬新な映像。キャストの演技力。動乱期の知られざる世相や駆け引きなど、ひじょうに見応えのある作品だ。今宵の第二回もよかった。自宅のパソコンのアナログ画面ではあったが、画質など関係なかった。台詞の一言一言が本質を突いており感情が揺さぶられた。そして、白洲という人物の気骨だけでなく、それを通して制作者がいま伝えようとした意図も伝わってくるようだった。第三回は来週かと思いきや八月とは。ずいぶん待たされる。しかしこれだけ上質の作品をつくりあげる職人たちには惜しみなく賛辞を贈りたい。とりわけ脚本演出を手がけた彼は素晴らしい。かつてのさわやかな野球少年がいまでは社会派ドラマの旗手である。

 俺には何ができるのか。俺のすべきことは何か。毎日壁の前に立たされるのだけれども、でかいこと何一つできるわけではないけれども、俺だって負けちゃあいかんと、力が湧いてくる気がするよ。

■Friday,6,March,2009

 定期検診の時期を知らせる葉書が届いたのをいいことに、夕方早く仕事を切り上げ歯医者に行った。もう半年くらい経ったのか。この間歯科衛生士さんや先生の顔を忘れていたが一目見たら思い出した。特に気になるところはなかったので安心して口を開け、目を閉じて横になっていた。クリーニングのほかに少し治療もあって、一度では終わらず、来週も来ることになった。歯磨きの仕方に問題があって、部分的に歯石が多く着いていたらしい。それで、次回は歯ブラシを持参するように言われた。磨き方を指導されるのか。恥ずかしいが仕方ない。

 一週間が終わった。いつもそうだが、今週はとりわけ早く過ぎたように感じる。それはいいことではないかと思う。最近今の生活は仮の生活であるという意識が強くなった。仮だからできるだけ早く過ぎる方がいい。と同時にこの時期じゅうぶんに練習しておきたい。帰宅して週末だようしと思うまもなく睡魔に襲われ、あえなく眠りに落ちてしまった。

■Thursday,5,March,2009

 毎日のルーティンワークは同じことの繰り返しだが、だからといって気を抜くと思わぬ痛手を負うことがある。同じだけれど、一回一回まったく違って新しい。一期一会の気持ちがなければかけがえのないその一回を一生逃してしまうことになる。みすみす逸した好機がこれまでいくつあったろう。

 いっぽう、今夜のような会合は年に数度のものだから、気合いが入り過ぎて緊張したり戸惑ったりしがちである。でも、誰にとっても不慣れな状況には変わりないから、それほど固くなることもない。たしかに周到な準備は要るが、始まったらもう臨機応変に動くしかない。一瞬の失敗もその次の一瞬で取り返すことができる。きょうの自分を振り返ると、ヘタクソではあったが悪くもなかったという気がするのだが甘いか。

 少しビールを飲みたい気分で歩いた。途中のコンビニで、ビールは買わずパスタを買って帰宅した。さて食べようと口に入れたら、しょっぱ過ぎて吐き出した。まったく食えたものではない。ソースの塩気が異常だった。クレーム付けようかというくらい。どうしてこんなものができてしまったのかと考えると恐ろしい。製造過程のどこかで手落ちがあったとしか思えない。こんな仕事をするようになってはおしまいだ。気をつけたい。

■Wednesday,4,March,2009

 弱い部分と強い部分が入れ替わり立ち代わり表れる。ほんの少しのできごとで気持ちが百八十度変わる。喜怒哀楽が猫の目のようにくるくる回って変幻自在。天国から地獄へ。はたまた地獄から天国へ。こんなに変わり続けながらも、だからこそ変わらない存在ともいえる。変わりながら変わらないものがつくられる。あるいは不変と不変が入り交じり、変わり続ける何かが生み出される。矛盾ばかりの毎日は道理にかなうことでもある。何を言っているか自分でもよくわからない。とにかく宇宙の泡のようになんとも頼りなげな存在だった。ただ、今夜はすくわれる心地がした。

 頭の上で誰かが微笑んでみているような感覚がある。守られているのだろうとは思う。しかし、どうなろうとそれは守られていることであり、僕や他の人の願いとか思惑とかとは関わりなくことが動いていく。だとしたら、じつに歯がゆいものである。もうそろそろ守られてばかりでなく守る存在になりたいのだけど。

■Tuesday,3,March,2009

 スポンジで床を力を入れて磨いていたら目が回った。磨くだけではなく、注意力を他にも向け、自制しつつメッセージを発し続けていたからだ。どうしてこうも効率の悪い方法でしか接することができないのだろう。

 それに比べれば声を荒げるのは簡単だ。怒りや恐怖が何も生み出さないのは知っている。それでもときどきやってしまう。低きに流れようとするのは我もかれも同じ。忍耐は大事。我慢我慢である。

 一日とか一週間でものごとが解決することはない。テレビドラマのようにお気楽な日常などない。たとえば教師の話など、在学中に伝わると思うほうが間違っている。それは教師の思い上がりというものである。

 床を磨くことは己の心を磨くのと同じだ。馬鹿っていうのは自分が馬鹿なんだと、子供の頃に教わったし誰かにも言ったことがある。ほんとうだ。自分が発した言葉をもっとも必要とするのは誰でもない自分自身なんだ。

■Monday,2,March,2009

 父親が亡くなった年には盆休みが一日もなかった。それを恨む気持ちをしばらくは抱いていたけれどいつの間にか消えた。自分の人生の中でもっとも貴重でありがたかった経験は父の死である。もちろんそれはもっとも悲しい体験ではあったが、これまでの時間の中で素晴らしいことに変わったのだ。時間が解決してくれたというだけではなく、バネにしてきたということだ。人との出会いが自分を変える。今でも僕は父と毎日会って、会話しながら前に進んでいる。

 変な話になった。何を言いたかったのかというと、「絶対」ということはないということをいいたかったのだ。悲しかった体験が素晴らしい経験に変わることがある。人と人との違いは素敵な人生の根源である。嫌なことが自分を変えてくれる。嫌いな人こそが自分に何かを教えてくれる。そう思うと絶対などとめったなことはいえなくなる。そんなことを考えていたのだった。

 

■Sunday,1,March,2009

 朝は少しテレビを見てから、不本意ではあるが仕事をした。職場に行ってからも2時間半くらいやった。寄り道をしてコーヒーなどを買って帰った。宅配便はきょうも届けに来た形跡がなかったので、こちらから取りに行くと電話した。夕方までゴロゴロしたり、何日分かたまった新聞に目を通し、気になる記事を切り抜いたりした。暗くなってから車を出して、配達店まではるばる荷物を取りに行った。この一年間で何回ここを訪れたろう。職場に荷物を届けてもらう人もいるようだが、僕はそれをしたことがない。仕事を家に持ち帰らないのと、同じような理由からだ。

 3月になった。1月は往ぬ。2月は逃げる。そして、3月は去るように早く過ぎていく。悲しい応酬が続く。時間がないのはお互い様だが、優しさが足りないのはいつもこちらのほう。これでは一生迷惑のかけどおしだと頭を垂れる。だがちょっと待って。そんな見方はあまりに一方的過ぎやしないか。

 西の空だけ見ていると夕刻には沈む太陽を嘆くことになる。だったらずっと東の空を向いていれば、昇る太陽しか見ないで済むのでは。とはいえ人は変わる。どんどん変わる。本人だけはそれに気づかずいつまでも同じと思っている。自然の法則にしたがうなら、東を見てるつもりがいつの間にか西を向いていたということもある。変わらない人間がどこにいるだろう。広い視野でものをみ、深い心で愛せるようになりたい。誰だってほんとうはこの空をいつでもあまねく眺めていたいのだ。

 


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