2009年5月               

 

■五月最終/Sunday,31,May,2009

 朝のうちに町に帰ってきた。道中は雨に濡れた緑色が目に鮮やかだった。少し高台から眺めた形のまばらな田んぼは田植えを終えたばかりだった。写真を撮ろうと思って引き返したが、車を停めることができずに断念した。思い通りにいかないことばかりだ。もう少し何とかなったのにというのは嘘で、現実はそういうものだ。ひとつずつしか解決できないし、一歩ずつしか前に進めない。自分が思うほどの力などなく、自分が思う何倍もの迷惑が、周囲にはかかっている。受け止めること。受け入れること。考えること。伝えること。変わること。変えること。世界を渡るステップのうち、足踏みすることを忘れていた。その場に止まって耳を澄まし、目を凝らす。それでも何も聞こえないし、何も見えてはこないのだけれど。

■衝突/Saturday,30,May,2009

 とにかくいつも衝突する。それはたいていの場合自分の配慮のなさに起因するものではあるが、相手が配慮しないことが原因となる自分の感情の爆発はない。おもしろくない思いを互いに感じる。それが必要なのかどうかはわからない。どうという問題でもないのかもしれない。考え方の相違はわきまえているつもりである。僕はすべてを許すが、多くのことが許せない人もいる。少しは寛容さがほしい。単に包容力の違いか。ほんわかした感じというのはそういうことか。そしてまた、若いというのはそういうことだったのだろうか。

 どこにいようと、だれといようと自分の生き方にはあまり関係ない。どこでも生きていけるし、だれとでもやっていける。それでも、あるいはそれだからこそ、どこかで生きようと思ったし、誰かとやっていこうと考えた。いいかげんな判断ではなかったはず。とはいえ、一度きりの人生だ。もっと楽しい方がいいし、快適な方がいい。皆に迷惑をかけるかもしれない。しかし、誰が何と言ってもそういう進路を取るべきだ。

■予定/Friday.29.May,2009

 これからの予定についてはあまり見通しが立たない。こちらで決めることができる要素が少なすぎる。だから、当然予定に入れるべきいくつかの事柄さえも見送らざるを得ないと考えてしまうほどだ。

 金曜の夕方は、まだ週末の仕事が残っているとはいえ、少し声も大きくなり、笑顔も多くなる。その雰囲気に馴染めるかというとそれはまた別の話だが、きょうはそこで人生の諸先輩方から参考になるご意見をうかがうことができた。それらは素晴らしいご意見であり、ぜひともそうしたいと強く思った。

 明日は昼過ぎまで、明後日は昼過ぎから仕事が入っている。この間隙を縫ってまた車を飛ばすことになる。一週間ぶりに見る景色はどうなっているだろう。ほんとうは景色などはどうでもいいのだけれど。

■発表/Thursday,28,May,2009

 長い会議が続いた。そのあとで、たまっていた仕事を少しずつ片付けた。要領よくできたわけではないが、たいしてストレスにも感じない。今では、仕事など命をかけるほどの価値はないのだということがよくわかる。仕事は、仕事なのだ。命をかけるのは別のところでよい。

 身の上について公にした。望んでというわけではなかったが、ひとりひとりやりとりをするのは厄介だし、一度に済ませるのが効率よいと思ったからだ。少し前までの世代のようには、それが当然とは思わないが、あえて流れに棹をさすまでもないだろうと楽な道を取った。仕事が仕事なら、職場は職場なのだから。些末なところに拘らずにやろう。

■じゃじゃ麺/Wednesday,27,May,2009

 帰りにじゃじゃ麺を食べるのは初めてだった。扉が開いており、空席が割合多かったのが見えたから、瞬間的にそれもいいかなと思ったのだ。僕はこの店には若い時分からそれほど親しんできたわけではない。高校時代、何かのちょっとした書き物に、「にんにくは入れない」と書いたのが周囲の批判の的になったことがある。それはその通りではあったが、かれらがおもしろくなかったのは、僕がそう書いたことではなく、僕という存在そのものだったというのはよくわかる。今夜もにんにくは入れなかった。

 空いている店に入るととたんに混み出すというのは真理。すぐに隣のスペースが塞がった。黒いスーツのビジネスマンが二人入ってきた。彼らは食堂にそぐわない会話を展開したので少し不快に感じたが、そのことはそのように軽く話せるほどの話題なのだろうかと思ったら、自分の価値観が少しだけ揺らいだ。ただたいしたことではない。そういう人もいるし、僕のような者もいる、それだけのことだろう。

■電話/Tuesday,26,May,2009

 僕の価値観の上位を占めているのはそうとうに快楽主義的なものだ。しかし、その反面ストイックな生き方をずっと強いられてきたところある。あるいは、自己防衛のためにストイックに振る舞うことを課してきたのかもしれないし、人に甘えることが許されない環境に身を置かれたのかもしれない。だから誰に対しても心から甘えることができない。すべてを投げ出して求めるということを意識的に遮断してきた。ほんとうに欲しいものを、欲しいと言ったことはこれまでなかったのだ。

■仕事など/Monday,25,May,2009 

 少し早く職場に行ったら、少しは早く仕事に取りかかれたのだけれどそれだけだった。小さなことの積み重ねが理想の環境に近づく唯一の方法である。といいながら、小さなことの積み重ねはいつの間にか誰かに崩されてしまうのである。それに気づかず、まるで三途の川の手前の子供のように石を積み重ねるばかりである。

 努力をすればうまくいきそうな気がする。それも都合のいい誤解である。もっと楽に済ませる方法があるはず。どこか革命的な方法を求めてしまう。もっと何とかシステマティックにできないか。よく聞くフレーズではあるけれど、それは幻想というものである。すっきりさわやかにさらさらした肌触りで問題が払拭できたらどんなにかいいだろう。だが、本物はもっと汚れており、たえず鼻の曲がるほどの臭気を放ち、誰も触れたがらないところに隠れているものである。だから誰も見たくないし知りたくもない。

 ところが自分に限ってはいつもそういうものの正面に否応なく下ろされてしまう。自分に限ってというけれど、このバスに乗り合わせた者にはすべてにこの自覚があるらしい。自分ばかりという例のそれである。それは当然のことなのにみな不思議がる。みな同じ目的地行きのバスに乗っているのだから、取り立てて嘆く必要もないのに、である。仕事など下らない。求めた分不満が生まれるようにできているから。そのくせ求めなければ不満も生じないが、いつになっても満たされない。きょうは定刻でおさらばした。日がまだ高くて、夏時間の国を思い出した。きょういまこの時、幻でないものといったらいったい何なのだろう。

■混乱/Sunday,24,May,2009

 生きる根本について三十年来僕は悶々と悩んできた。そしてこの悩みはいずれ氷解するものと思っていた。ところがそうはいかないらしい。お前はいばらの道を歩めということか。笑わせる。歩めるものにしか歩ませられないとしたら甘んじてその命を受けましょう。おかげさまで僕は、自殺する人の気持ちを理解できるようになった。それに、殺人者の気持ちも理解できるようになった。問題を解決できるのであれば試してみる価値はある。外から禁じられることなどほんとうは何もないのだから。ぶれない生き方をしているならそれを最後まで貫けよ。真の理解者などいないし、お前は誰の理解者にもなれない。自分にしか自分の痛みはわからない。同じく人の痛みなどわかるわけがない。目の前にいる人すらただ笑うのみではないか。でも笑って済む問題ではない。時間が解決するなどと言えるほど僕に残り時間はない。死んだ父はこんな僕をみて笑っているだろう。そして泣くだろう。お父さんやお母さんがみたらどう思うだろう。少なくとも僕の父は悲しんでいる。悲しむ親の顔は見たくない。いま結論を出そうとするのは性急だ。だいいち時間をかけなければわからないことだから。時間のないところで時間をかけなければならない。仕事だけでなく忙しいのである。忙しいのはいいことである。すべてを賭けて決めた道を投げ出すことは、人生を投げ出すことと同じ。投げ出さない人の人生は、忙しくて当然である。ただ、これほどの決意と誠実さを何ひとつ伝えられないのはつらい。こんな仕事などやる資格もないじゃないか。それほどに僕は人の痛みがわからぬ人間だったのか。人の本質をわからぬ人間だったのか。あまりに若く至らない自分に失望する。

■ばかげた話/Saturday,23,May,2009

 仕事をしてコーヒー豆や昼食用のパンを買って帰る。この一週間を乗り切ることができたのは、週末があると思うからだ。もしも無条件に支えてくれる存在があれば何だってできる。もしも誰かの支えになれるのならどんな苦難もどうということはない。そういう関係を信じればこそ生きていける。生まれてからずっと求め続けていたのはそういうことではなかったか。人生の最も重要な価値をもつ部分はそこではなかったか。

 大事に大事にしまっておいて、我慢して我慢して食べずに取っておいたものを、さて食べようとしたら何もなかった。そんな感覚だ。ほんとうに何もないのなら、ここに拘る必要はない。あまりにばかげた話。

■すばらしい日々/Friday,22,May,2009

 過ぎてしまえば、あっという間だったと思える一週間。だが一日一日は長く、まだ月曜か、まだ火曜かと指折り数えて暮らしていた。特に今週はさまざまあって夜は遅く、帰宅するとすぐに眠りに落ちた。しかも翌朝も起床が遅い日が多かった。ともあれ、金曜の夜も更けて、音楽というささやかな楽しみに身を委ねている。矢野顕子の「すばらしい日々」 もとのユニコーンも好きだけれど、こちらのほうが百倍素敵で百倍切ない。

 一日小雨が降り続き、気温もそれほど上がらなかった。週の仕事に一段落がつき、少しほっとした空気がそこに流れていたのだけれど、きょうは切り出そうと思っていた一言を今週も見送った。まだしまっておきたいこと。ここで言葉にするしてしまうのはあまりにもったいないと感じた。

■夢語り/Thursday,21,May,2009

 意外と会議が長引いて、その後の課題も増えて、帰ってみればもういい時間だ。素麺を茹でて、ありあわせの野菜を炒めて、パンも一切れ食べたくなって、それだけの簡単な食事をした。

 ひとつの考えがたたき台となって、さらによい方法がみえてくる。いままでみえなかった自分の狭さにがっかりするではなく、広がった新しい自分の見方に人知れず感動する夕方。夢語りの輪が作れるとおもしろくなる。

■ひとつの案件/Wednesday,20,May,2009

 夜の会合は当初の目論見通りの時間で済んだ。悪くない後味。しかし、微妙な力学というものが働いており、人の輪が広がるたびに、制御が難しくなるのもまた事実である。僕の思い描いている道のりを実現しようとすると、それはどうしても避けられないことではある。けれど自分がそれに携わる必然性もないわけで。この案件は、ひじょうに高度な政治的判断を必要とするものであり、国家戦略とでもいうべきヴィジョンがなければ実は解決できないことなのである。

 終了は21時を過ぎていたが、結局昨夜と同じメンバーで飲むことになった。さすがにそれほどの量は飲まなかったが、変わらずゆったりとした気持ちで過ごすことができた。

■飲み会/Tuesday,19,May,2009

 仕事については覚えていない。区切りのいいところで終わりにして、夜には従弟たちとの飲み会にでかけた。僕の仕事の都合に合わせて、明日の予定をきょうに変更してくれたのだった。先週のことといい、ときどきこういうふうに何の気兼ねもなく飲めるのは嬉しいことだ。

 しかし、それに比べて、このごろ仕事をしつつも考えてしまうのはこの境遇の理不尽さについてだ。もしも職場で僕の表情が曇っているとしたら、すべてはそのためだといってよい。同じ歩幅でしているつもりだが、何となくどれもつまらない。今こうしているのが蛹のようなものだとすれば、孵化するのはいつのことになるのだろう。

■耳鼻科/Monday,18,May,2009

 朝のメールに活力をもらい、勇んで仕事に出かける。先日からの突発性難聴の治療で、夕方耳鼻科に出かけた。聞こえの検査の結果は良好で、ほぼ以前と同じ程度まで回復していた。今回で終わりということになり、薬を何日分か処方してもらった。

 天気もまずまずだったのでそのまま帰りたかったが、職場に戻ってやるべきことをやった。思いがけず連絡を取りたかった人と会って話ができた。午前中にはおかしなミスをしてしまったことを差し引いても、悪くない一日だった。

■雨の日曜日/Sunday,17,May,2009

 朝から晩まで一歩も外に出ずに終わってしまった。電話がなければ声さえ出さずに終わってしまうところだった。そういう日があってもいいが、それほど多くは必要ない。映画からも遠ざかっている。街歩きの気ままな休日がもっとあってもいい。しかし一人ならあえて出かけることもないかなどとも思う。ともに生きるという言葉の意味を噛み締める。まだまだ若造の自分がみえる。

 後進の国ほど加速度的に発展するというけれど、人間の成長というものも同じような傾向はないのだろうか。

 

■お見舞い/Saturday,16,May,2009

 車を出したとたんに仕事の電話が入る。連絡調整に手間取るが結果的に日曜日まで休めることになる。ETCは付けていないけれど、高速道路を使って南に行く。途中のサービスエリアで黒酢の飲み物と酢漬けのにんにくを試食して買った。

 地元の文具屋に寄ってからお見舞いのために病院へ。しばらく母子二人のやりとりを聞いていた。あらためて温かい人たちだと思った。そしてやはりものの見方が豊かなのだった。早く元気になるといいと心から願う。

 まだよくは知らない町だけれど、昔ながらの町並が残っているところだ。古い蔵などが集まった素敵な一角でうまい蕎麦を食べた。知らなかった町との出会いも喜びのひとつである。

 味噌と和菓子を買って高速に乗る。助手席の人は少し眠った。帽子を目深に被ったうえにマスクをしていたから、顔がほとんど見えなかった。バスまでの時間、美術館でコーヒーを飲んだ。来年の夏のことを話した。夢は見るだけではなく実現させるから夢なのだ。こうしていられることすら夢のようだけれど、抱いていた夢はひとつ現実になった。そしていまだにいくつもの夢をみる。どれも大切な夢。その中で激しく願うのはひときわ美しく輝く夢。ともに素敵な夢をみたい。

■qutte/Friday,15,May,2009

 ゆっくり寝たら疲れは取れた。どうも顔や頭皮に吹き出物が出て気持ちが悪い。これはこの三日間の食生活が貧しかったからだ。ホテルのバイキングの朝食とか、団体客用のメニューとか、フードコートのホットドッグとか、普段はあまり食べないものばかり食べたが、この症状をみれば何かよくないものが入っていたのだろう。

 夜には食事会があった。いつもと変わらない気分で楽しく食事をすることができた。ビールも料理もおいしくいただいた。こうして人の輪が広がっていくのは喜びである。

■愚の骨頂/Thursday,14,May,2009

 三日目。晴天、さわやかな風。きょうは横浜まで。昼は中華街で定番のコース料理。午後には東京駅に戻り、そこから帰りまではあっという間。今回感じたことは大きく二つ。一つは、粗悪な食事。最後の中華を除いてはとても食えたものではなかった。味のみならず、何が入っているのかいつも不安がつきまとった。もう一つは、商業主義の台頭。何も考えずに決まったところで決まった料金を支払えば、決まったサービスを受けることができる。何も考えなければそこそこの幸せが手に入るシステム。しかしそれに乗っかることに疑問をもてば、すべてがまやかしにみえてくる。愚鈍な消費者を生産する巨大な仕組みがここにある。そのせいでほんとうの幸せが人々から遠ざけられているというのに、それに取り込まれ加担し続ける我々こそ愚の骨頂もいいところ。今あるスタイルには疑問を呈し、別の方法を模索しなければ。

■緊急対応/Wednesday,13,May,2009

 二日目。日中には湾岸の一地点におり、電話連絡等をする。午後には大きな商業施設に場所を移して連絡待ち。文化というほど文化的ではない下手な翻訳のような見せ物と人の波に酔う。緊急の事案が2件。たまたま近くにいた自分が対応したが、どちらもことなきを得た。今回特筆すべきなのはこれくらいで、それ以外はたいして存在意義なし。

■出張/Tuesday,12,May,2009

 三日間の出張で首都圏へ。平均すると三年に一度くらいあるのだけれど、体力勝負となることが多い。いつもそうだが向こうは暑い。おまけに寝不足になりがちだ。一日目のこの日は数カ所回ったが、特に問題なく終わった。夜にはひじょうにアメリカ的なパフォーマンスに触れる。以前触れた時の何倍もつまらなく感じた。それは単に翻訳が下手だったということではなく、劣悪な本質がみえたのだと思う。ただし、それらを作り上げようとするスタッフのひとりひとりについては誠意を感じたし、素晴らしいと思った。

■雨の日/Monday,11,May,2009

 午前中は通常業務。午後からは出張業務。どうも移動時間なども中途半端で持て余し気味。おまけに雨など降っており、眠気を催す。移動途中の公園に車を止めて少し仮眠を取った。出張とはいえなんとも間延びした時間が流れ、ぼーっとしたままに終了。一旦帰宅して後また外出。今度は別団体の集会へ。集会規模に比して会場があまりに広過ぎておかしかった。

■散漫な日/Sunday,10,May,2009

 通院することになっていた。長い時間待たされるのは嫌だったので診療開始1時間前に行ったら早過ぎた。この間に郵便局でお金を振り込もうと思ったらこれも閉まっていた。日曜日の朝はどこも遅い。とはいえ、日曜日にも診てくれる病院があることはありがたい。

 その後は床屋に行き、昼食に蕎麦を食べ、買い物等を済ませるととたんに夕方である。何もまとまった事をしないまま休みの日が終わる。

■仕事の日/Saturday,9,May,2009

 土曜日だったが、通常通りの仕事だった。いや、通常以上に気を遣うことが続いた。疲れがたまっているにも関わらず、夜にはひとつ酒宴に参加せねばならなかった。開始までの合間に、宅配を取りに行った。注文していたパンが届いていた。注文以上にどっさりと箱詰めされたパンは宝物のようにみえた。そして一枚の絵はがきが入っていた。このつながりを嬉しく思った。宴が終わったのが21時前。飲まなかったので車で帰宅。しかし、残念なことにもう夜は更けて、瞼は重く、僕には眠ることしか残されてはいなかった。

■ある存在/Friday,8,May,2009

 みえないものがみえる。いや、実際にはみえないけれど、感じることはできる。人間ひとりの背中にたくさんの人々の存在がたしかにある。僕にもあなたにも、あの人の背中にも。こんなこと書くと気持ち悪いかな。でも、魂の世界ではそれは当然のことで、僕らのいのちは続いている。これは想像の話ではないのだよな。レーコンの話。このごろときどきちらつくのは、僕の手をとるみしらぬ影。あるときは木陰で、またあるときは玄関で、静かに笑ったり、遊んだりしている。そしてたしかにそこにいて、僕に手招きをしてくれる。いつまでも会えないかもしれないけれど、いつまでもいなくなることはない。ひとつの覚悟ができる。どの道を選んでも後悔しない。なぜならすでに僕は僕の歩むべき道の上にいるのだから。

■連休明け/Thursday,7,May,2009

 連休明けというのはいいけれど、気温が高くてまいった。この時期はいつも、服装も一変せざるを得ないほど一気に夏らしくなるのだった。そのことを、なってみてから思い出した。というより、この二日はほとんど家にいたから気がつかなかった。これまで着ていた暗い色のスーツは見た目にもやはり暑苦しくて、明るくて軽いジャケットなどがほしくなる。と、そういっているうちに、上着など着ぬクールビズなんていう季節が来る。いつもこんなふうにして季節を後から追いかけて季節に追いつかぬうちに季節が巡ってしまうようだ。

 声を聞いたらそれだけで気持ちが落ち着いた。これまでとは違う、あるいは、その先にある領域に少し動いたのかなという不思議な感覚がある。ふたつのものの間の距離や空間や空気が、生き物みたいにたえず動き続けながら、互いにもっと歩み寄ってゆければ、それはもしかしたら素敵な場所に辿り着く道なのかもしれない。実に模索的で実験的ではあるけれど、試みる価値のある道なのだろう。

 

■連休最終日/Wednesday,6,May,2009 

 大型連休もきょうで終わり。明日からの仕事を前に下ごしらえをするつもりだったが、いざきょうを迎えてみると、そんなことできるわけがない。そして思えば下ごしらえなどどうということでもなく、たいていのことは自分の頭の整理さえついていれば瞬時にどうとでもなるのである。とにかくのんびりと、明日のことなど考えずに過ごす。

 問題を先送りして、近くなったらどうにかなるだろうという甘さの上に日々の仕事が危うく立っていることを痛感する。休みには休めばよい、というよりむしろ休まねばならない。そして、仕事は仕事の時間のみに行わなければならない。そういう基本的なことをひとつひとつできるようにしていきたいものである。遅くはない。そう考えて、動き出した時がもっとも早いのだ。

 いろいろ考えた連休だった。今までとはまったく違う次元でいのちや人生をみることができた。すべては縁がもたらしてくれたものであり、その存在が僕の唯一の支えであることがわかった。愛されようとするのは甘えである。僕はあくまでも愛するがわにいよう。

■こどもの日/Tuesday,5,May,2009

 朝から空が晴れ渡り、窓越しに太陽の熱を感じるほどであった。布団を干して、コーヒーを飲みながらパソコンに向かった。たいていの場合はどんなことがらでも頭の中で一晩寝かせると、翌朝には自然に整理されている。それを無意識に指先から放出するというのがこの日記の製造法のひとつ。ただし処理しきれないと変な夢を見たりする。昨夜は何度も変な夢を見てしまった。それはフラッシュバックやわけのわからぬ悲しみだった。

 殺人などの凶悪犯罪を起こす気持ちというのは、きっとこういうものなのだということが理解できた。愛憎という単語の意味を初めて呑み込めた。それはつまり愛せるものなら憎しみもわかり得るということだ。しかし僕の抱える愛情はいまのところ独善で自己愛と何ら変わりない。これからの道のりを思えば気が遠くなる。しかし愛というわからぬものをあつかうには、甘受せねばならぬこと。希望がもてる。僕にはできると信じよう。他の人たちと違って憎むことはないし、ましてや危害を加えることなどあり得ないから。熟成でいこうと思う。

 こどもの日だった。糸井重里の言葉が心を打った。<ぼくは、ほとんどすべてのこどもの「願い」を、とっくの昔から、よく知っています。時代が変ろうが、どこの家のこどもだろうか、それはみんな同じです。おもちゃがほしいでも、おいしいものが食べたいでも、強くなりたいでも、うんとモテたいでもないです。「おとうさんとおかあさんが、仲よくいられますように」なのです、断言します。それ以外のどんな願いも、その願いの上に積み上げるものです。>

 耳の調子は悪化し、音楽が聴けないばかりか、なにひとつ集中して取り組むことができない。しかも、便秘がひどく、ここ3日くらいに食べた物が排泄されず容赦なく体内に蓄積されている状況だ。運動不足が悪いのか。少し散歩に出ればいいのだろうが、日中も寝たり起きたりを繰り返しながら夕方を迎えた。

■海と一方通行/Monday,4,May,2009

 早い時間に朝食を食べ、コーヒーブレイクを挟んで、コンピュータ関係を調整しているうちに昼になる。この間に朝刊に広く目を通すことができた。休日のため薄かったこともそれをやりやすくした。

 いつもの蕎麦屋に行くが異常に混んでいる。時間をずらすために、港湾道路などを回って海岸線を見ることにする。これまで何度も海沿いのこの町に来ながら、海を見たことはほとんどなかった。部屋の中は寒々としていたが、外は日が射して暖かかった。海も青く、リアス式海岸に突き出す新緑が眩しかった。細くくねった道を行くと、花に飾られた美しい村があった。専ら漁村かと思いきや、広い牧場があった。半農半漁の生活なのだろうか。いい村だと思った。僕は将来どこに住もうと構わない。大切な人と生活を共にできるのであれば。

 蕎麦屋でもりとたらの芽の天ぷらを食べたら腹が苦しくなった。電気屋に寄ってコンピュータ関連の機器をチェックする。しかし最終的にはアップルの製品がいちばんよいという結論になり、ネットにて注文した。

 コピーしてくれていたという吉本隆明の講演のCDはなぜか見つからず次回までのお預けとなった。耳の調子が悪いから、すっかり治るまでは聴くなということだろう。

 それにしても、4日前までとは一変した身の上ではあるが、何ら変化がない。それを失望と呼ぶには早過ぎるが、正直なところきょうは頭に疑問符がいくつも浮かんでしまった。どうしてこういうことになったのだろう、理由がわからない。いまはもう甘く憧れた時期にはないが、それでもここまでとは思わなかった。30年来考えてきたことがもろくも崩れ去った。とても一方通行な感じばかりが残る。

 もしかすると僕は誰からも好かれたことがないのだろうかという疑いを抱いていた。そして、その疑いはおおむねそのとおりなのだということを悟った。双方向性がなくては何も成立しない。嘘でもいいから言ってほしい言葉があると思った。それは僕が生まれてこのかた誰の口からも聞いたことのない言葉だ。

 20時頃になって出発する。2時間ちょっとの山道の運転は飛ばし過ぎた。ちょっと危なかったがそれでもあまり恐怖はなかった。このまま谷底に突っ込んで死んでも、それほどたいしたこともあるまいなどと考えた。

 

■下閉伊/Sunday,3,May,2009

 仕事は14時過ぎまで長引いた。あまり後味のよくない結果で、スタッフはいらつき言葉も荒くなった。その中で、かれらの激情の間隙を縫う針のような言葉を必死で模索していた。しかし、誰よりも冷静に語らねばならない場面に、少し責任を投げ出すニュアンスを滲ませてしまった。失敗だったかなという気持ちがちらと心に浮かんだけれど、それも自分の力のなさ。

 駅経由で、高速道路には乗らずに下閉伊の道を通る。むかしは毎週通っていた道も、トンネルができて近くなった。ワープしたような気持ちになる。思えばあれはもう15年くらい前の話だ。20代の最後の4年間、僕はこの山間の村にカンヅメになり、仕事に明け暮れた。自然に関しては楽園には違いなかったが、仕事上はもっとも苦労を強いられた4年間だった。最後の2年など午前様は当然で、いつもコタツに寝ては3時起きで書類を作成した。上司や同僚には罵倒され、「もう来るな」、「死ね」という言葉すら浴びせられた。今考えればパワーハラスメントもいいところである。地域の閉塞感によって、気持ちが歪んでしまうのだろうか。あるいは意地悪な人間は一定の割合でこの世に存在するものだろうか。なぜあそこまで責められなければならなかったのかは今でもわからない。

 いちばん遊びたい年代を遊ばずに暮らした。隣人はここに子づくりのために来たと抜かした。上司はここで恋愛を楽しみなさいと宣った。そんな言葉にこころの中でつばを吐いた。かれらの言葉を僕は死ぬまで忘れない。週末には息が詰まりたとえ夜遅くなっても街へ車を飛ばした。その後も、街に転勤したからといって自由になったわけもなく、結局僕はよれよれの独身中年になった。人との関わりをもてないのは誰の所為でもない。それは僕固有の境遇であり、その道を決めたのはやはり自分自身なのだ。

 途中の町で工芸を見たり菓子を買ったりする。以前よりもきれいになった商店街には温かみが感じられた。中心には素敵なレストランもできていた。何より少しだけ言葉を交わしたおじさんやおばさんたちに素朴さを感じて嬉しかった。来たくもなかった町だけれど、時間が経つとまた感じ方が異なってくる。この町からさらに北上し、いつもの温泉といつもの寿司屋というコースを辿る。しかし疲れてその後は何もせずに眠った。

■ゴールデンウィーク/Saturday,2,May,2009

 朝から仕事。11時過ぎまで仕事をしてから、耳鼻科に行った。連休直前だからか待合室はひじょうに混んでおり、30分以上立ったまま待った。書棚にあったドカベン中学編に夢中になった。テレビでは、休日の真っ昼間に放送してほしくないくらい下らないバラエティ番組が垂れ流され、若い母親と子供たちがいっしょになって笑って見ていた。こういうのに染まった子供が健全な大人になるとは思えない。もっといえば、幸せな人生を歩めるとも思えない。ほんとうにたいへんな時代。

 投薬治療の効果が現れ、症状は確実に改善されている。連休中も薬を飲み続けることになる。このごろ顔がやけに火照ると思ったら、それは薬の副作用らしい。この耳の症状は僕の持病としてこれからも末永く付き合っていかなければならないかもしれないと覚悟する。と同時に、何かのきっかけでぴたりと止まるかもしれないとも期待する。

 買い物して帰宅すると14時を過ぎている。ラジオも頭に入らないので少し昼寝をした。夕方のニュースでは高速道路の渋滞が報じられていた。混雑が予想されるのにも関わらず多くの人々は好き好んで渋滞に飛び込み、新型インフルエンザの流行にも関わらず、旅好きはマスクを付けながら海外に遊びに出かける。

 リスクを背負ってまで楽しもうという姿勢も素晴らしいが、リスクを回避しながらというのもまたよし。明日も昼まで仕事だが、その後のことは楽しみ。今回は高速道路を使わずに移動しつつ、身近なところに美しさをみつける休みにしたい。

■メーデー/Friday,1,May,2009

 一昨日はのんびりとした一日を過ごし、きのうは途中数時間休んだ。きょうはフル稼働ではあったがあまり疲れることなく週を終えることができた。精神的にも背筋をしゃきっと伸ばしながらも、安心して過ごせた気がする。

 中国では労働節という休日だそうだ。他にも休日の国は多いだろう。日本での実現可能性はどれくらいなものか。いつもこの日には「もしもメーデーが休日なら…」という話をするが、聞く方はあまりピンとこないらしい。いつもあまりに忙しくて時間が足りない状況であれば、休みが欲しいということになるだろうが、かれらにはそれほどでもないのだろう。

 16連休のところもあるという。未曾有の経済危機のこのご時世。お金がなければ楽しめないという声も聞く。しかし発想の転換をすればこれはチャンス。時間がそれほどあったら結構楽しめるのに、正直羨ましいと書いたら反発を招くだろうか。

 実際、一日二日の休みでは、身体を休ませることはできても、自分がしたいことをするところまでいかないうちに仕事に戻らなくてはならない。西洋諸国のようにバケーションやロングウィークエンドを大いに楽しめる社会の到来を強く待ち望む。この不景気をきっかけに一歩でも近づいてほしいと思うのだが甘いか。

 


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