2009年11月               

■特有の問題/Monday,30,November,2009

 夜に二つの面会があり、それぞれ複雑な事柄を話し合った。二つの内容はまったく異なっていたが、どちらもこの時期特有の問題といってよい。向かうべき先が鮮明になるほど、そこに真っ直ぐ向かえない弱さが出る。この時期にはありとあらゆる問題が表出する危険をはらんでいる。最悪の場合を想定してみると、表には出ていなくともすでに手の着けられない状態になっていることがあるかもしれない。それが来春以降に発覚するとすれば、責任の所在はどこにあるのだろう。

■オザワ/Sunday,29,November,2009

 ゆっくりと眠った。散歩するゆとりはなかったが、豊かな気分があった。日曜美術館はセバスチャン・サルガドという写真家の特集だった。世界中を旅して、そこの人々や自然に寄り添って撮る写真は息を呑むほど美しかった。被写体とのコミュニケーションが十分であれば、よい写真になる。体感していることだけれど、実践するには努力が要る。この人は信念を持ち、粘り強く取り組んできたのだ。その姿勢が素晴らしい。

 少し早い昼食をいつもの蕎麦屋でとった。いつものようにうまい蕎麦だった。

 そして小澤征爾の指揮する演奏会を聴いたのである。からっとして、気持ちのよいホール。世界のオザワの、なるほどひょうひょうとした感じ。ハイドンもモーツアルトも耳ざわりが良過ぎてときどき気が遠くなりかけたけれども、久しぶりに上質のクラシックを堪能した。いいものに触れた秋の日曜日。

 その後いつものようにひとり帰路を辿る。いつものように気ままなドライブ。しかし、今まで感じたことのなかったさびしさを知った。失うことの恐ろしさを知った。

 

■論理ということ/Saturday,28,November,2009

 午前中はとある学習会に参加した。ひじょうに刺激的な話を聴くことができた。それから、自分自身が学びから長い時間遠ざかっていたことを感じた。ものごとを筋道だてて考えることは大切だ。しかし、そのためには日常から考える訓練をしておかないとならない。考えるというのは、ただ頭の中で考えるということだけではなくて、書いたり話したりすることで初めて身に付くものなのだということを感じた。

 それにしても自分は情緒的人間で、感覚的に快楽が得られさえすれば、筋が通っていようがいまいが意に介さぬところがある。人によってはそういうところがどうにも解せぬらしい。きっと叩かれるところはそういう部分だ。日記をサボっていて思った。書くことは考えることに他ならない。話すことにもいえる。とにかく表現しないことには、どんな考えも構築できないのだ。

 学習会を終えてから、3時過ぎまで仕事を進め、夕方からの会合に参加した。義理で出る会にしては会費が高い。酒は飲まずに出てきた料理をいただいて、途中で退席。クロステラスの前で拾って、話しながらの2時間。きょうは一日学びの日となった。正確に言えば、学びの必要性を痛感した日だった。

 着いてから少しビールを飲んだ。夜は遅かった。そしてまたそこでも学びが要ると感じたのであった。

■学びの欲/Friday,27,November,2009

  土曜日が今みたいに一日休みでなかった時代。午前中は普通に仕事があって、昼には少し外に出て、食事をしながら雑談などができた。午後も遅くまで仕事をしたが、それでも今よりゆとりのある週末が送れていたように思う。今考えると、日曜一日だけでよく休めたものだと不思議だけれど、その時はそうだったのだ。

 今、昼食がゆっくり取れる日はほとんどないし、夜は夜で夕飯を共にしようという空気もない。それよりは早く帰って休みたい。それだけ日々の疲れがきつく感じてしまう。

 若い頃との比較ということはあるだろう。だが、そればかりではあるまい。僕個人が感じているだけでなく、この社会の多くの人たちが感じていることではないか。

 ほんとうはもっと本を読みたいし、映画だって観たい。そして、さらには音楽や詩をつくりたい。それが文化的な生活という意味ではないか。社会全体が憲法に抵触している状態がこの先何年続くのだろう。この学びの欲は、できないことに反比例して深まっていく。

■感謝/Thursday,26,November,2009

 よかったのは処理しやすい書式を作ったことである。思いのほか時間が少なくて済み、今週はあっという間に終わる。しかし、そう思っていたのも束の間、急な来客と深刻な問題の勃発。できるだけのことはしているけれど、それがあまり効果を発揮しない場合、それも自分の力不足ということになるのだろうか。これまでの師たちの考え方はそういうものであり、僕も取り立てて厳しいとは考えてはいないのだけれど、ときどき理不尽に感じてしまうこともある。

 夜9時を過ぎてタクシーに乗る。運転手さんが、これから飲み会スかと聞くので、仕事が今までかかってしまいましたと言ったら、忙しいのは何よりスよと返された。たしかに。

 従兄弟と叔母との飲み会も何回目になるか。さっきまでとは打って変わり、楽しい酒で夜を過ごし、すっきりと一日を終えることができた。

■楽あれば/Wednesday,25,November,2009

 職場に来てみると、机上には夥しい書類の山が。これも仕方がないことではあるけれど、一気に現実に引き戻される心地がする。おまけに急な変更点もあり、開始までの時間で焦って準備をする。実はもう金曜日の時点で準備が済んでおり、自分が印刷をしていないだけだったことに途中で気づく。

 とりあえずがんばる。必死で適応しようとする。夜中まで業務に励む。それも致し方ない。

■休日/Tuesday,24,November,2009

 日曜日に働いた分の振替をこの日にしたのだった。それできょうも休みなのだ。お蔭で旅の疲れは解消できた。仕事については特に進まなかったが、平日にしかできない用事は片付けることができた。

 夜には重要事項を電話で聞いて、明日提出する書類を仕上げた。

■東京3/Monday,23,November,2009

 朝はヨーグルトを食べたぐらいにして、部屋で今後のことについて話し合いをする。方針は決まっていたから、大筋は考えることはなかったが、細かなところで調整が必要だった。11時頃まで話をして、それからチェックアウトをした。

 東京駅ではコインロッカーをあちこち探したがどこも埋まっており、大丸の11階のカウンターに預けた。そこのレストランで鉄板焼きの昼食。食べ終わってしばらくすると、コーヒーは場所を移してラウンジのようなところで飲んだ。

 列車の時間までは3時間ほど。本屋の妻とは別行動で、僕は深川を目指した。天気がよくて暖かく、散歩日和の勤労感謝の日だった。深川では、松尾芭蕉関係の旧跡を訪ねようとしたのだ。深川江戸資料館はあいにく工事中だった。周辺には深川めしの店が多く、ところどころで幟を目にした。髷のカツラをかぶって佃煮を売るおじさんがいた。少し歩くと、杉山杉風の別荘採荼庵の跡があった。そこから仙台堀川沿いを進むと、セメント発祥の地やら平賀源内電気実験の地やらがあった。そして、隅田川では大勢の人たちが釣り糸を垂らしているのが見えた。芭蕉庵の跡地は今では芭蕉稲荷という神社になっている。お参りをし、川を見下ろせる近くの丘の上に上がり、美しい都会の空を眺めながらしばし休憩する。

 最後は深川の芭蕉記念館に立り寄り、ぐるっと見学。窓口の人に東京駅への戻り方を訪ねると、丁寧に教えてくれた。いい散歩ができた。そしてこれも明日からの仕事に少なからず役立つ学びとなったのである。

 東京駅に戻ると、あんみつを買っている妻と合流。あとは駅の群集をかき分け、新幹線での帰路に就いた。

■東京2/Sunday,22,November,2009

 東京都美術館の博覧会「冷泉家 王朝の和歌守展」をみる。公園口で並んで入場券を購入し、上野駅の中で朝食をとり、さっそく中へ。これをみて初めてこの家の多大な功績を知った。和歌を変わらず守り続けてきた冷泉家があったからこそ、日本の和歌はここまでの文化として位置づけられるまでになったのだ。変わらないことの力、守り続けることの力。それが、結果的には我が国の文化の価値を高めることになったということ。

 中世の仮名文字を見たところでほとんど読めないし、書の鑑賞能力はないのだが、音声ガイドを利用したことで、和歌の世界を多角的に学ぶことができたことはひじょうによかった。特に、乞巧奠(きっこんでん)という旧暦七月七日の儀式で読まれる歌が聴けたのはおもしろかった。日本語の音韻の移り変わりが、自分がとらえていたように単純なものではなかったのだということがわかった。

 久しぶりに、たっぷり勉強したという気分になった。古典とか歴史とかに対する意識が、いま自分の中でどんどん変化している。そしてほんとうの学びは、ここから始まるのだ。

 上野でイタリアンをたっぷりと食べて青山へ。殺人事件の聞き込みをしている警察官たちがいた。どんな事件だったのかはよくわからなかった。根津美術館に行きたかった。以前立ち寄った時にはまだ改築中だったから、工事が終わったらぜひ行ってみようと思っていた。興味のあるのはその建築だった。ところが、展示物もかなり見応えがあった。庭園にある茶室で茶会が終わった後だったのか、着物を着た年配の女性たちが大勢詰めかけていた。外は小雨が降っていたが、広い庭園は紅葉が見頃で、池にかかったところがちょうどきれいに赤く染まっていた。遊歩道を歩いていると、昨夜の劇場のセットで登場したのとそっくりなお堂の建物があって驚いた。そして笑った。

 銀座をまたぶらつく。妻は財布を求め、迷いながら彷徨う。どうしようかと悩んだところ、急に目の前に電話帳が表れ、近くに店があることを知る。そこでちょっと歩くと目と鼻の先にその店が表れる。十分吟味して商品を選び、しあわせになる。デパートの地下で晩ご飯を買い、地上へ。僕は腕時計を求めて歩く。あわよくばと思っているとそこに突如表れるショールーム。こうして無事買い物は終わった。銀座とはそういうところだったのだね。そして、ちょっと歩くと宿のビル。なんだ宿は銀座と、目と鼻の先だったか。

 部屋でビールと寿司とかまぼこ。きょうは何の日なのか、という話は一切しなかった。しかしこういう一日もある。この日のことはいつまでも忘れたくない。

■東京1/Saturday,21,November,2009

 いつものように早起き。カーテンを開けたら雪が積もっているのがみえた。もう五センチくらいになっている。寒い国からはおさらばして、この三日間は東京に行ってくるのだ。濡れて滑るので、駅まではタクシーを使った。思えばここ一、二ヶ月というもの、この連休を楽しみにして生きてきたようなものだ。

 車内で合流し、会話をしているとすぐに到着した。気持ちのよい小春日和。雪の町に比べたら暑いくらいだった。

 宿に荷物を預けて、カタログハウスの店など眺めつつ、弟たちとの待ち合わせ場所、飯田橋へ。神楽坂の店で懐石料理。古い民家を改造したような建物で、二階の八畳間でゆっくりと過ごした。何となく皆口数が少なかったが、姪っ子が大きな役割を果たしてくれた。デジカメなんかで遊びながら、笑わせてくれた。ビールはわずかだったけれど、料理もおいしく意外と満腹感があった。

 かれらと分かれ、銀座をぶらつく。鳩居堂で小物を買い、デパートで印伝の財布などを見て回り、宿まで迷いながら歩く。地図を見ると、大きく遠回りしていたことがわかる。こういう遠回りは嫌いではない。道を覚えるには迷うに限る。遠回りするほどわかることもある。

 珈琲屋でうまいケーキとコーヒーを味わい、赤坂アクトシアターへ。今回の旅の目的の一つは、中島みゆき「夜会」の鑑賞だった。物語が理解できず、終了後は無数の疑問符が浮かんでいたが、パンフレットも解決には役立たなかった。残念な気がしたが、もっと学びが必要ということなのだろうか。もう遅かったし、疲れていたので、ビールとヨーグルトとポテトチップだけ買って宿に戻った。 

■連休前夜/Friday,20,November,2009

 我ながら効率よく仕事を済ませたつもり。必要な書類はきのうのうちに作成できたし、来週の準備も万端だ。多くの人は、この連休を仕事に当て込んでいて、三日のうちいつ職場に出ようかというような話をしていた。思えば僕も同じだった。時間を上手に使って遊ぼうという気持ちには至らなかった。でも今はそうではない。遊ぶために生まれてきた。仕事はそのためにある。そして、遊びこそが学びであり、学びのないところに充実した仕事などあり得ない。そういう何もない連休が年に一度くらいしかないこと自体が問題であり、その解決のために、まとまらなくてはいけないだろう。自分たちの時間だ。過ごしたいように過ごそう。

 帰りには本屋に寄って、姪っ子へのプレゼントにピーターラビットの絵本を包んでもらった。

■信じる/Thursday,19,November,2009

 散歩は素晴らしい。朝と夜の気分転換のおかげで、少しは気持ちが落ち着いていられる。とはいっても、みたくないもの、考えたくないものがたくさんあって、向き合っていると吐き気を催すほどである。困難。閉塞感。 それらを考えると、すべてがばからしく、くだらなく感じられてしまう。

 いつからか諦めや見切りの気持ちが出てきて頭の大部分を占めるようになった。その反面、それでも諦めない気持ちがいつも少しはどこかにあって、自分に鞭を打ってはようやく先に進むようなところがあった。

 万人に向ける愛などない。どうしようもないやつに対しての責任範囲も無限ではない。

 信じる者と信じられる者とで、世の中が成り立っている。誰かに信じられていると感じた者がその相手を信じることができたとき、それが信頼関係の始まりだ。人の中で暮らしている以上、人の数だけの信頼関係を築いていかなければならない。

 まずはこちらが無条件に信じることだ。信じる者の存在なくしては何も始まらない。単なる表明ではなく、心の底から信じること。気が遠くなるくらい遠い道のりだけれど。

■水曜日/Wednesday,18,November,2009

 22時就寝4時起床のリズムが戻った。これに慣れるとものごとが順調に進むような気がする。眠い時にムリに起きている必要がないし、朝がゆったり使えるのがいい。朝は夜に比べて集中力や思考力がまったく違う。

 今朝の2時間で、だいたいのことは終わった。あとは少し手直しをしたりすればいい。明日のうちに印刷をして、袋に分けて、しまっておこう。

 ある講演を聴く機会があった。話の内容は、ある人物のアウトラインをなぞるという感じだった。たいそうな経歴の講師の先生。その個性がまったく見出せなかったのが残念だった。その人の活躍が現代の日米関係に影響を与えていると思うかという素晴らしい質問に対して、「思います」としか答えないのにはがっかりした。その先が聴きたいと思ったのは、僕だけではないだろう。

■早い帰宅/Tuesday,17,November,2009

 午後からの出張。出張ということは、終了の時刻が定まっているということであり、早く帰れるということだ。この三時間はかなりの苦痛ではあったが、一生懸命やっただけの報酬もあり、概ね満足である。ただ、来年はもうほかの方に代わっていただきたい。皆でやってみたほうがいいと思う、勉強になるし。

 直帰のつもりがいろいろあって、職場に寄って用を足した。それもすぐに終わったので、かまわず帰った。家で少し電話連絡をした。明日でいいかなとも思ったが、電話してよかったと思った。やるかやらないか、迷った時にはやってみたほうがよい、というのは僕の経験則。とりあえず明日に繋げられる。

 デパートに寄って、土産用の品物を買って、序でに味噌や食パンを調達した。そうして、ゆっくりしてからやらなければならないことにようやく手を付けた。

■自由/Monday,16,November,2009

 今週も気合いを入れて、素敵なスタートを切る。いつもてこずる仕事も何だか進みが早い。いい兆候である。どんどん進むと後が楽になるかというとそうとばかりもいえないが、ずるずる後に回されるよりはずっといい。片付けるべきはパパッとすぐに片付ける、そのための発想と段取りを身につけたい。同じ条件の下で、より効率よく仕事ができたら、それだけ仕事以外の時間も充実させることができるだろう。それはもう、効率の問題ではない。仕事や時間に束縛されたままで生きるか。仕事や時間から心を解き放ち、自由に生きるか。断然後者を取りたいものだ。

■日曜日/Sunday,15,November,2009

 きょうも朝は早かった。コーヒーを淹れて、日曜の朝のひとときをゆったりと過ごす。たとえ仕事に出なければならないとしても、土日の気分はやはり違うものである。それは「朝いちばん」のテーマ曲やジングルが、週日とは異なっていることにも表れている。ラジオにばかり耳を傾けるわけではないが、ラジオのある生活、テレビを見ない生活がひじょうにいいリズムを作り出していることはたしかだ。ほとんど唯一見るテレビ番組「サンデーモーニング」も、朝からの仕事では見られない。見られないからといって、どうということもない。

 きょうの仕事ははじめから終わりの時間がみえたから楽だった。その後実家に冬タイヤを取りに行き、スタンドで取り替えてもらい、ワイシャツとネクタイを買って帰った。映画の一つも観たいものだが、そこまでの余裕はない。また、インフルエンザなども嫌だから、わざわざ人ごみの中に行くこともない。

■自由になりたい/Saturday,14,November,2009

 昨夜寝るのが早かった分、今朝は目覚めが早かった。きょうの予定は11時前からだったが、ほぼ通常通りに出勤してその前に残っている仕事を進めた。休日だというのに職場には何人も人が出入りして、自分の仕事を片付けているのだった。それがいつもの土日の姿である。こういう現状は、間違っていると思う。

 欧米ではあり得ない風景ではないか。少なくともカナダではなかった。ないのが普通だったのだ。だから、僕は今のようなあり方にはひじょうに不満をもっている。別の社会を見てきたから言える。比較を通して、現状がいかにおかしいかを体感できる。だから苦しい。

 けれど見ていない人にはわからない。比較のしようがないので、こんなものなのかと従うことができる。これが当たり前と思えば、不満もないし、苦しみも自覚しないだろう。だがそれを自由とよべるかはわからない。

 たとえ苦しくても、不満だらけの日常であっても、みえているのはありがたいことである。善悪ではない。人間は適応力をもち、可塑性に富んだ存在だ。どんなふうにも生きられる。生きたいように生きていい。狭い価値観や常識にとらわれる必要などない。選択肢は無数にあり、どの道を選んでも僕らはゴールに近づけるのだ。視野を拡げるほど自由になれて、いろいろなところを飛び回ることができる。自由になりたい。自由でいたい。結局のところ自由というのは、心のあり方にほかならない。そのために僕らはまだまだ学び続ける。

 予想外の展開があり、終了時刻が遅くなった。朝も早かったため、帰ってくると頭は働かなかった。近所の産直で野菜を仕入れ、パン屋で弁当用の食パンなどを買った。夕食後は知らないうちに眠りに就いていた。

■うまくやろ/Friday,13,November,2009

 あまりに人が欠け、職務に支障を来すほどである。人が足りな過ぎなのか。それとも、やることが多過ぎなのか。ま、そのどちらもだろう。人はこれ以上増やせないのだという。いや、正確に言うと常勤は増やせないのだそうだ。臨時の方は増えているのだが、本務にはまったく関与することができないから、今僕の抱えている問題は解決には至らないのだ。ではやることを減らせるか。もっと効率よく、という視点に立ってみるか。もともと定量化できる類のものではない。効率とは別の次元で組み立てなければならないはずのものである。しかし、上の方にその視点はないようで、常にどこからかいろいろな書類が回ってきて、いつまでにどうしろこうしろとうるさく言ってくる。

 あっという間に金曜日が終わった。あっという間だったが、いろいろ難解な問題がいくつもあった。いくつかは来週に持ち越して、継続して考えなければならない。しかしこの土日は、難しいことは考えないことにする。めんどくさいごたごたに関しては、完全にスイッチを切る。考えなくてもできる仕事をどんどん進めたい。なんだ結局また休みなしかい。

 でもかなり要領よくやっているつもりではある。この仕事、そうしないとすぐに鬱になるから。きょうある人から、あなたの所はストレスフルなポジションだと言われた。その通りだと思う。なぜかいつもこうなんだよね。でも病気になるのはごめんだよ。だからうまくやろ、うまくやろ。

 今夜はふらふらっと近所の蕎麦屋に行って、うまい蕎麦を食った。ご苦労さんということだ。電話が鳴って、またかけるからというので切った。日米首脳の会見があったが耳に入らなかった。そのうち眠くなって布団に入ってしまった。再び電話が鳴ったかどうか、定かではない。

 

■失望と希望/Thursday,12,November,2009

 話を聴く姿勢のなっていない人は何もできない。それはどこで訓練されればよいことなのだろう。学校ではもう手遅れ。幼稚園でさえ遅過ぎる。三つ子の魂百までとはよく言ったもの。

 動物みたいな人たちがうようよと群れをなしているのを見ると気味が悪い。そして、この人たちには何の罪もないのである。次から次へとばかな事実が発覚する。頭の内は高速で回転している。知識も溢れている。それにもかかわらず、外の事柄を自分のこととして取り入れ、活かすという発想を持ち合わせていない。どこに問題があるのか。とにかく、素直に聴けない人は話にならない。

 絶望的な気持ちになることにも慣れてしまい、こちらも感情を介さないで仕事を進めるようになった。もう十年以上もこういう状況下にいると、自分自身の成長が滞ってしまうことを心配してしまう。こういうことを望んで今の職に就いたのではなかった。

 だが失望もあれば希望もある。夕方には内容の濃い会話を通して、この職にある喜びを感じることができた。まだ捨てたものではないと思った。

■意味のないこと/Wednesday,11,November,2009

 意味の感じられないイベントがあった。それなりに一生懸命準備したのだが、寝る間も惜しんで回らぬ頭で考えて工夫したのではあったが、「成果は」と問われたら、「終了したことが最大の成果だ」ということになるだろう。終わればよしの仕事なんてあまりに虚しい。この労力は何だったのか。次に繋がらぬのならやめてしまえ。そう思うのなら、その意見を表明するのはこちらだ。それを忘れてはならないけれど、決定権のある人たちが続けると言えばそれで終わり。このままではモチベーションが下がりっぱなし。責任者には、そこのところの自覚を持っていただきたいものである。

 公的資金を要求しながら高額のボーナスはそのままという、どこかの国の社長ではないけれど、似たようなことが至る所にありそうである。

 僕もずいぶん高飛車な書き方をしているな。最近の言葉で言えば、上から目線ということだろうか。だが、上から目線でものを見ることがほんとうに必要なのは、長の付く人たちではなく、名もなき一般庶民の方ではないだろうか。

■ばかなイノシシ/Tuesday,10,November,2009

 今年は新型インフルエンザのために大幅な予定変更が余儀なくされる前代未聞の事態に陥っている。しかし、見方を変えると、この病気によって我々に潜む病理が浮き彫りになったともいえる。文化の日のイベントへの対応がその顕著な例だと思うのだが、一度誰かが始めたことを「止めましょう」と言うのは難しいのだということがよくわかった。偉い立場の人でさえ、そういうことは言いたくはないのだということがよくわかった。自分の立場はしっかと守ろうとするが、全体をよく変えようという考えまでには至らないのだということがよくわかった。

 「始めましょう」「やってみましょう」が溢れていた時代の気分を想像してみる。さぞかし気分がよかっただろう。余計なことは考えなくても、猪突猛進、進んでいけばなんとかなった時代。しかし、もう十年以上も昔に、イノシシは壁にぶつかった。ぶつかっても、騙し騙し前に進ませられてきたかわいそうなイノシシ。その潰れた顔を僕らはさんざん見せられてきた。真っ直ぐしか進もうとしない、ばかな世代のイノシシ。

 もしも本気で国が変わろうとしているのなら、望みはもてる。頭のかたい我々のイノシシも、少しは進む方角を変えるかもしれない。

■忙しい空気/Monday,9,November,2009

 忙しい空気が充満して息苦しい感じがする。じめじめした天気の所為かもしれない。立冬は過ぎたが、先週のような寒さはない。今週はとにかく毎日何か特別なイベントが組まれており、日々日程が異なる。一年中そのようなものなのだが、いつ日常というものを体感できるのだろう。すべて我々が作ってきたものであるが、我々はこういう日々を意図してやってきたのだろうか。

 ゆったりと、コーヒーの香り漂う部屋で寛ぐ朝と夜。本を読んだり、会話をしたり、文章を書いたりする日常は、かれらに訪れるのだろうか。がちゃがちゃしたテレビと、ゲームと、コンピュータの奴隷となって、冷たい部屋に閉じこもる毎日。出来合いの冷めた食事に冷たい言葉。愛情の代わりに買い与えられた玩具で慰められるだけ。温かい交わりなどもてずに大人になる人々。いや、死ぬまで大人になれない人々。

 

■日曜の仕事/Sunday,8,November,2009

 気楽な気持ちで出勤。仕事にもいろいろあるけれど、今日のようなことは何の負担感もなくらくちんである。とはいえ、本音を言えば、我々が関与する必要のないことだと思う。この件だけでなく、斡旋や営業に属する業務は我々のジョブディスクリプションにはないはずである。それらを含めてこの何十年で膨れ上がった仕事量を、さすがにもう減らしていかなければ立ち行かなくなってきている。それは職務の本質に目を向けることに他ならないのであるが、肝心の現場にその自覚がなさ過ぎである。

 「まじめでやる気のある」先輩方から教わってきたことは多い。それらが自分をつくっている。しかし、まじめに邁進してきた先輩たちに欠けていた視点があったのではないかと、懐疑的になってみる。ただ従順で盲目的なのは、まじめとは言わない。真に必要なのは批判的精神ではないのか。

 帰宅は12時過ぎだったが、ラジオも耳に入らない。それはそうだろう。焼きそばを作って食べ、ちょっとの間と横になるとそのまま17時過ぎまで寝入ってしまった。冬タイヤを取りに行こうとか、新しいワイシャツを買おうとか思っていたことは後回し。

 横浜はどうかという提案。春にちょっとだけ行ったときに、天気がよくていい風が吹いていたのでいい所だと思った。海風に当たりながら庭園を散歩するのもいいなと思う。

■値千金の45分/Saturday,7,November,2009

 6時半に出勤。その後1時間半かけて移動。出発前、ある大人のあまりにエゴイスティックな言動に唖然とする。道中は怒りと呆れとで表情もおかしくなっていたに違いない。最近ではよくあることと言えばよくあることなのだが、これほど露骨にやられると、いったい何、と言いたくなる。あのー、おとな、ですよね?

 僕自身も成熟にはほど遠いとは思うけれど、それでも同世代として恥ずかしいと感じてしまう。こういう場面は確実に増えている。年々やりにくくなってくるのも当然である。

 戻ると14時半を過ぎていた。上司の一人が心配して声をかけてくれた。三連休の前まではこういう調子で土日がつぶれるだろう。だがそれも我慢するしかない。きょうはまだ15時前。早い方だ。

 夕方には二週間ぶりに再会。バスの発つ時刻まで車の中で話す。どこか店で話すには半端な時間。帯に短したすきに長し。コンビニの駐車場で、買ってくれた缶コーヒーをすすりながらのひととき。わずかな時間だったけれど、顔をみられて、話ができてよかった。おかげで朝のことも週の疲れも全部吹き飛んだ。

■伝わること/Friday,6,November,2009

 一つ解決したと思うとまた新たな問題が持ち上がる。いつもこんな調子で、くるくると落ち着かない。こんな日常の中では、話す言葉もまとまらなかったり、内容がなかったり、面白みに欠けてしまったりする。聞かされている方もこれではたまらないだろう。だがきょうは、どうしたことかすうっと鎮まる瞬間があった。

 それは、かれらが求めている証拠であり、自分が求められている証拠でもある。僕が求めていることは、それほど難しいことではない。求めているものを提示できたときには、受け入れられる。どちらが受け身なのだろう。どちらが主体なのだろう。何だかわからない。とにかくきっと、伝えたいことは伝わるのだ、お互いに。

■松井秀喜選手/Thursday,5,November,2009

 幸い懸案事項は日中に済ませることができ、夕方から車で配達に出た。雨が降ってすでに暗い道だったが、トンネルのお蔭で予想以上に早く戻ることができた。その車内で聞いたラジオで松井選手の活躍を知った。ハンドルを握りながら、涙が滲んできたよ。大リーグチャンピオンを決めた試合で3安打。日本人初のMVP獲得。渡米7年にして実現した悲願だった。ほんとうによかった。

■相変わらず寒い日/Wednesday,4,November,2009

 昨日の寒さのためか、体調の悪い人が多かった。インフルエンザも相変わらずずるずると尾を引いている状況。きっと不安定なまま年度末に向かうのだろう。とにかく望まない方向に行くと考えておいた方がいいと思う。

 運がいい人悪い人の区別というのがある。普段の行いの悪い人は、運も遠ざかってしまう。ただ、そういう人に限って悪いことを人の所為にするから、悪循環に陥ってしまう。自分の人生なのだから、自分で決めた通りに生きていけばいい。人の所為にするのは、自分を生きていない証拠だ。そんな自明のことすら、伝わらないのである。

■お寒い文化/Tuesday,3,November,2009

 頭の中に疑問符が渦巻く文化の日。もう二十年以上前から行われているとある地区行事がある。文化の日とはいえ、外を走るのである。スポーツも文化だからいいのか。

 きょうはずいぶんと寒い日で、雪も降った。昨年と同様に、川沿いを歩いて目的地に向かった。地域のためとはいえ、すべてが強制的である。なぜこんなことをしなければならないのか理解できなかった。なぜ続けようという発想から脱却できないのだろうか。誰がいったいこんなことをしたいと本気で思っているのだろうか。

 僕は一つの答えをみた。それは政治に絡んだことだった。住民の善意や時間や財が、そこに知らぬ間に集中して投入されるのである。子どもたちの純粋な気持ちを利用して、何の疑問ももたない住民の心を操って、多大な人々の権利を蹂躙して。そういう汚いまねは許せないし、もの言える立場のかの人が何も言わずにいることも許せない。だがこれがアジアなのだと思った。

 終わると即職場に戻り、平日と同様の時間まで仕事をした。ここにいる間は、文化の日には何の予定も入れることができない。これはたいへんな権利侵害だよ。疑問にもたないとしたらそれ自体罪だよ。 

 それにつけても全権を委ねられている立場にある人の不甲斐なさよ。もっと大胆に関わってほしい。

■外に出る/Monday,2,November,2009

 集中して取り組んだ。一生懸命であった。飛び石連休の中日。朝は少し早く出て、公園を散歩しながら通勤した。こんなに近い場所なのに、ゆっくり歩くことなどほとんどない。ゆとりある生活をしたいと思っているのであれば、自ら生活の中にゆとりを生み出さなければ何も変わらない。それには、外に出ることだ。

 夜には某団体の新人歓迎会があった。この手の会には義理堅く参加する。飲み会にもいろいろあって、出なくてよいものと出たくないものとがある。出なくてよいものは極力避け、出たくないものも無理して出ない。しかし、中には出る必要のあるものもあると思っている。今夜のは、そのひとつだった。

■仕事の日曜日/Sunday,1,November,2009

 仕事の一日。平日よりも早くに家を出る。できるだけ早く終わりにしたかった。そこで作戦を立てて臨んだのだったが、相手は相手でそれを覆す提案をこちらに持ちかけてきた。どう考えても、やらないわけにはいかないのであった。断れば全体が成立しなくなるほど、責任が伴うことだった。

 帰宅したのは16時。それから音楽を聴きながら書類整理をした。母と叔母から誘いの電話があり、夕食をごちそうになる。ついでに必要な書類に押印してもらった。帰宅してからは寝るだけだった。


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