2010年4月             

■Friday,30,April,2010

●きょうの言葉/19世紀後半、フランスはブルジョア社会が成熟しきり、文化的にも飽和状態でした。革命や帝政の復活などで社会も大きく変動する中、マネやボードレールらは従来の美と醜のコンセプトを覆そうとしたのです。異国へのあこがれや「変わりたい」という願望も感じます。フランス社会、ヨーロッパから抜け出したい、端正な古典主義とは違うものを作りたいと。(姜尚中 政治学者 2010年4月30日付朝日新聞「ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち 巨匠の引力」より)

■Thursday,29,April,2010

●きょうの言葉/メディアとは、単にコンテンツやデータを載せたアーカイブではない。メディアとは、それに接すると流れが導かれ、反応を引き起こすものとしてある。そのとき初めて意味を持つ動的なものとしてある。そして、接するときのタンジブルさ(触れてわかること。手ざわり感がもてること)こそがその実態を示す。残念なことに、私は接点としてのiPadをとてもタンジブルなものに感じた。なぜ残念かといえば、紙の書籍や紙の新聞に、私はずっと特別な手触りと愛着を感じてきたからである。でもそれは私たち旧世代の感傷であろう。これから生まれてくる世代にとって、iPad(あるいはそれに類するもの)は、ハイテクでもなくローテクでもない。アナログでもなくデジタルでもない。彼らにとってそれはタンジブルな第一言語(ネイティブラングエッジ)としてそこにある。ヒトが地球上に出現しておよそ700万年。紙がタンジブルだった数千年は、その中の一瞬として、まもなく確実に終わる。しかし、流れとして、その流れ方としてのメディアは私たちとともにあり続ける。(福岡伸一 青山学院大学教授・分子生物学 2010年4月29日付朝日新聞オピニオン欄「あすを探る」より)

■Wednesday,28,April,2010

●きょうの言葉/フルブライト留学生としてフィラデルフィアへ渡ったのは1959年。フィラデルフィアは非常にいい町でした。郊外には小さなコミュニティーがあって、僕も留学生として市民のミーティングに参加しました。そこでまず驚いたのは、女の人が、男性とまったく平等に、堂々と国際問題などを論じていること。いい意味での「古きよきアメリカ」を代表する地域民主主義を支える力が、そこにあったのです。しかし、その「古きよきアメリカ」の居心地の良さとは何だったのか。フィラデルフィアで生活している限り、人種差別は社会の表面には表れてこない。バージニア州で高速道路のドライブインで食事した時のことです。日本人である僕らは店に受け入れてもらえたのに、後から入ってきた4、5人の黒人が「テークアウトならいいけど、ここではサービスできない」と断られたのです。そこで初めてアメリカの人種差別を垣間見たのでした。(奥平康広 東京大学名誉教授・憲法研究者 2010年4月28日付朝日新聞文化欄「追憶の風景」より) 

■Tuesday,27,April,2010

●きょうの言葉/ICG(国際危機グループ)のような市民社会(シビルソサエティー)こそが(紛争予防で、先進国と途上国がうまく連携する)役割を果たすと思います。市民社会の台頭は、女性の権利や情報革命と並ぶ革命的な影響を国際社会に与えています。スーダンのダルフールの現場では国連職員1人に対しNGOの10人が活動しているのが現状です。紛争予防にも15年間取り組んできたICGもそうした市民社会の活動の一つです。私たちはどこの国の国益も代表せず、国際的な公共益に基づいて活動しています。紛争予防は医療にたとえるとわかりやすい。病気になれば慌てて医者にかかりますが、普段からリスク管理を怠らないのはなかなか難しい。こんなに予防したから何かが起こらなかったと証明するのは難しい。要は世論、特に政策決定者に不断にリスクの重大さを訴えることです。選挙に縛られる政治家もふくめ、正しいことをしたいと思う人間の意思を見くびってはいけません。(ルイーズ・アーバー 国際危機グループ(ICG)理事長 2010年4月27日付朝日新聞オピニオン欄「新世界 国々の興亡5」より)

■Monday,26,April,2010

●きょうの言葉/家族もダメ、隣近所もダメ、労働現場も当てにならない。どっこにも支えになるものがないじゃないですか。これが現状。ここは根本から出直さないとならない。そう思うわけです。まず原因の探求をやることね。なぜ隣近所、家族、職場があてにならなくなったのか。それから、これまでとは違う結びつきは造れるのか。やり直す手だてはあるのかないのか。そういう再点検と再検討だ。その結果を、気持ちのある人が試し、そこから創造していく。要するに、地縁や血縁に替わるもう一つ新しい希望、道しるべだな。それが造れるかどうかだ。資本主義も社会主義も壊れた。その先の現実が、まだ生まれていないから、何とか主義と言うことは出来ない。だから創造なの。これまでにない、全く新しい道を探る。右に行ってみてだめなら左に行く。そうやって、もがきながら、本物の道を自分らで造るしかないじゃない。(むのたけじ ジャーナリスト 2010年4月26日付朝日新聞岩手版 「再思三考 むのたけじ95歳の伝言」より)

■Sunday,25,April,2010

●きょうの言葉/人生には、楽しい出会いもあれば、苦しく悲しい出会いもあります。出会いは、人間の考えと行動に大きな影響を与えます。苦しい出来事に出会ったとき、運命に負けないようにすることがたいせつです。それには、つらい出会いについて書かれた優れた本を読むことです。(佐藤優 作家・元外務省主任分析官 2010年4月25日付朝日新聞「読むぞ!ホップステップジャンプ」より)

●きょうの言葉/私は「先が読める」と思われがちですが、先はまったく見えていないんです、常に。何十手も先のことなど想像できない。「先が見えないから面白いのだ」と、考えるようにしています。自分が置かれた境遇や思い悩んでいること、それらに近い経験は、必ず誰かが本にしています。読めば自分の中のもやもやが解消されスッキリする。そんな価値あるものを逃したら、もったいないでしょう? だから私は毎月30冊くらい本を買ってしまう。そして、途中で読むのをやめても「積ん読」にはしないのです。本を買えば買うほど得をする。このスタンスは、10代のころから変わりません。(羽生善治 プロ棋士 2010年4月25日付朝日新聞「十代、こんな本に出会った」より)

■Saturday,24,April,2010

●きょうの言葉/食生活の欧米化は短命につながる。いちはやく、それに気づき完璧な手を打った最初の日本人は、三井物産の創始者益田孝(鈍翁)ではなかったか。▽益田は佐渡金山の地役人の子。2歳で<重い疱瘡をして>虚弱で「とても長生きは出来まい」といわれた。しかし父の箱館転勤を機に英語を学び、12歳で幕府外国方の通訳になり、江戸のアメリカ公使館に詰めた。<西洋人と同じ物を食ってえらくなりたい>一心で公使館の牛肉を盗んで食べ西洋の味を知った。2年後、ちょんまげ姿の幕府使節団と渡仏。西洋文明に圧倒され<マルセーユに着いて、同じ人間でこうも違うものかと言うてみなが泣いた>。そこで西洋料理を食べると、フランスの令嬢から「(日本人も)やはり口から食べるのね」といわれ傷ついた。▽洋食への目覚めの早かった益田は早くから豚を飼った。ある日、重大な事実に気づく。自分の残飯や甘藷を食わした豚は脂肪だらけ。豆腐かすと魚のあらを食わした豚はそうならない。賢い益田は<人間もやはりこの通りに相違ない、これは第一自分の食物を注意しなければ>と考えた。<日本人の食物は世界中で最も適当の食物であり、また日本人の食物中でも百姓の食する粗食が一番無害で適当なりとの論に帰着>した。▽それから益田は<ご馳走と聞いては強いて辞退>、粗食の弁当を食べた。<働き盛りの若手が宴会に出るのはやむを得まいが、出るならその前に飯を食っておくこと>をすすめた。<三井物産会社なぞでも、長く海外にいて肉食をするので、私よりも若い人が先に死んで行く>(『自叙益田鈍翁伝』)。そう嘆いた彼は粗食と毎日6キロの散歩で90歳まで生きた。(2010年4月24日付朝日新聞土曜版be「磯田道史のこの人、その言葉 益田鈍翁 死ななくてもよい人がご馳走のために死ぬのを見ては黙っていられない」を全文掲載)

■Friday,23,April,2010

●きょうの言葉/譲る勇気を持たなくてはならない、と思いはじめている。地球上に何十億の人間が居ようと、思考しているのは常に自分一人で、目線も自分中心だから、どうしても自分の価値観がすべての基準となる。たやすく世界の変化を受け入れることができない。本当はがたがたに壊れている車なのに、問題なく高速道路を疾駆できると思い込んでいるのだ。何百台もの車に追い越されているのに、私自身が気付いていない。しかも私が譲らぬために後ろには渋滞が生じている可能性とてある。団塊世代の、そうした車が多そうな今だからこそ、我々自身が真剣に考えなくてはならない問題だ。後に続いている若い人たちのために。(高橋克彦 作家 2010年4月23日付朝日新聞岩手版「みちのく夢未来」より)

■Thursday,22,April,2010

●きょうの言葉/異なるジャンルを融合させるコラボレーション(共同制作)は、うまくいけば、既成概念にとらわれない新しい価値を生み出す可能性を秘めている。文化的背景の異なるファクターが同じ空間を共有し、ある種の「つながり」を見せる。これはインターネット上のコミュニケーションを連想させる。見ず知らずの人が互いを排除せずに一堂に会しやり取りする。では、そこから何が生まれるのだろうか?多くの人が集う公の場では、言えないことも出てくる。誰かを傷つけるかも知れないからだ。でも、皆が心地よく受け入れられる話題は、強い個性や主張を除去した、ただの情報になりかねない。面白いのは「ここだけの話」だ。そこにははっきりした思想や主張があるからだ。異種交配が新しいものを生むには、より深いつながりを求めて受け手の想像力を喚起する力が必要だ。例えば、「偶然性の音楽」を提唱したジョン・ケージの作品は、それまでの音楽とは何一つつながっていないようでいて、禅の思想やインドネシアのガムラン、植物学など実に多様な世界と通じていた。ケージは、「何を為すか」について確固たる信念=思想を持った行為こそが、真に新しい価値を創出するという良い見本だ。創作において必要な条件とは、それに尽きるかも知れない。(望月京 作曲家・明治学院大学准教授 2010年4月22日付読売新聞文化欄「音楽季評」より) 

■Wednesday,21,April,2010 

●きょうの言葉/一望の限り、何もない焼け野原の広島。そこで私は「モノの声」を聞いたのです。焼けただれたトラックや熱線にゆがんだ自転車、爆風でひっくり返った路面電車が「そこの旅人、我を救いたまえ、我を直したまえ」と声をあげているのでした。それがモノの世界へ入ろうと考えたきっかけでした。戦争は、青春とか恋とか、そういうものもすべて焼き尽くすのです。自分は何者なのか。私は、モノと心を交わすことで地に足をつけました。300軒近い檀家の中には、原爆で一家全員が亡くなったのでしょう、誰も所在が分からない家がかなりありました。若い僧侶となった私も多くの死者を送りました。死者たちが望んでいるのは繁栄であって、悲しみに打ちひしがれることではないと私は考えます。核兵器は、その繁栄を打ち砕く。米国では幼いうちから、原爆が戦争を終わらせたと刷り込まれています。核廃絶を目指すというオバマ大統領の姿勢は、米国の民意ではないはずです。だからこそ私たちが支えねばならない。核不拡散条約(NPT)再検討会議も核軍縮にとどまらず、核廃絶への道を開くべきです。(栄久庵憲司 工業デザイナー 2010年4月21日付朝日新聞「被爆国からのメッセージ5」より)

■感謝の気持ちを忘れてはならない/Tuesday,20,April,2010

 滞りなく引き継ぎ事項が整理できた。飛び込んで来た仕事がいくつかあったが、幸いたいしたことはなかった。直接世話をかける方々や気になる方々にさりげなく挨拶をし、書類を提出し、19時前に退勤した。

 携帯電話を見ると、いくつかの電話とメールが入っているのに気づいた。仕事中は一切見ることがないので、出遅れてしまったかと慌てて歩きながら連絡を取る。特に変化があったわけではなく、担当の方が気を利かせて連絡を入れてくれたのであった。結局のところやはりあすに最終的な判断をするということである。

 荷造りを始める。いつもそうなのだが、だらだらとしてしまう。まるで引っ越しの前のようだ。環境が変わる前夜には、その気分を楽しもうという本能が働くのかもしれない。報道によると事態は急激に好転し、希望の持てる状況になってきた。ネットで出会ったコンサルタントの方からもメールが来ていて、ますます期待が膨らんだ。こんなふうにして周りの人々の協力を得て出かけられるなんて幸せなことだと思う。感謝の気持ちを忘れてはならない。

●きょうの言葉/▽イスラエルという国がしばしば「ユダヤ国家」と呼ばれるように、同国をユダヤ人と結びつけて考える人は多い。20日の建国62周年記念日を迎え、日本の人々は、ユダヤ人がダビデの星と、白、青の国旗の下に結束していると思うかもしれない。実際には建国を祝わないどころか、祝うものなど全くないと考えるユダヤ人もいる。▽超正統派のユダヤ教ラビ(宗教指導者)は、建国の基盤となった世俗的政治イデオロギーであるシオニズムを根源的に拒絶している。いわく「ユダヤ教徒がほかの民族を抑圧することは(神から)禁じられている。イスラエル建国はパレスチナ人に対する征服、抑圧によって実現したのだ」と。▽シオニズムの生成期に、多くのユダヤ人は、反ユダヤ主義者らを利するとしてシオニズムを拒絶した。反ユダヤ主義者がユダヤ人を自国から排除しようとするなかで、シオニストはユダヤ人をイスラエルに集めようとしたからだ。同国は、建国60年以上たったいまも自国をホロコーストからユダヤ人を究極的に守る存在と位置づける。だからこそ、世界中のユダヤ人コミュニティーに、ユダヤ人が唯一安全に暮らせるのはイスラエルしかないという恐怖感を植え付けようとしている。実際には同国はユダヤ人にとって最も危険な場所になっている。▽100人を超す英在住のユダヤ人有力者は、建国60周年の際、英紙ガーディアンにこう寄稿した。「国際法に違反する民族浄化に従事し、ガザ地区の一般市民に途方もない集団的な懲罰を加え、パレスチナ人の人権と国家建設への渇望を拒み続ける国家の建国記念日を祝うことはできない。我々が祝うのは平和な中東においてアラブ、ユダヤ双方の人々が平等に暮らすときだ」▽マハトマ・ガンジーはかつて「暴力によって得られたものは、暴力によってのみ維持される」と洞察した。悲しいことに、イスラエルはまさにこの原則の通りになっている。軍事大国イスラエルによる兵器関連の輸出額は、1人当たり人口比でみれば世界一だろう。同国で影響力を持つ人々が和平に関心を持たないのは至極当然なのだ。▽イスラエル批判を反ユダヤ主義と見なす勢力からの圧力に直面しながら、本来なら伝統的なユダヤ的価値観である平和や公正といった理念をイスラエル、パレスチナ双方にもたらすための手助けを世界の人々に求めるイスラエルの平和団体もある。イスラエル批判は反ユダヤ主義とは異なる。ユダヤ人迫害の歴史的重荷を持たない日本は、罪滅ぼし的な西側諸国とは異なる視点でイスラエルを見ることができるはずだ。(ヤコブ・ラブキン モントリオール大学教授・歴史学 2010年4月20日付朝日新聞「私の視点 イスラエル 建国祝えぬユダヤ人も」を全文掲載)

■たいへんな一日となった/Monday,19,April,2010

 週明けのこの日はたいへんな一日となった。たいへんではあったが、最終的には何一つ困ったことはなく、事態は収拾した。大きな勉強になった。これを関わった人間がすべて学びととらえれば、こんなにいい機会はなかった。それにしても、田舎のなんとかとでも呼べばいいか、ある方々の動きに僕は残念な思いがした。もっとほかに力を入れるべきところがあるのではないか。空騒ぎということばがぴったりではないか。叩かれる理由の一端を見た気がした。

 二時間ほど身動きが取れない状態が続いたので、気持ちの上でひじょうに疲れた。早めに退けたので、閉店間際の窓口に飛び込んで状況を聞いた。代案についてもいくつかの情報をもらった。とにかく前日にならなければどうしようもないということだった。帰宅してからは念のためにエスタの登録をした。だが、それ以外は、あまり進まなかった。

●きょうの言葉/ちまたで「僕たち」という詞が増えてきたのは、自己規制が強まって自分を縛っているからだろう。空気なんて読んでたら日本語ロックなんて出来なかった。空気を乱しまくって、自分で切り開いてきた。(これからは)「量より質」という原点に返る。良寛や西行、一休禅師のような「深いじじい」を目指す。敗者の美学にひかれる。ポップスでも純邦楽でもいい、音楽に乗せることを前提に作りたい。商業的には穴に落ちそうだけど……。ポップスも源氏物語もシューベルトもはっぴいえんども、ぼくにとってはすべて同質。すべて松本隆の詞にしてきた。それだけの文体を僕は持っている。(松本隆 作詞家 2010年4月19日付朝日新聞文化欄より)

■「おそば」と呼ぼう/Sunday,18,April,2010

 朝はもう5時前から明るいのだ。窓の外をのぞくと雪が舞っている。いつもの調子で目覚めると、二度寝はできなかった。報道によると状況は変化がない。正直なことを言うときのうあたり僕はかなり動揺していたのだが、これが最後というわけでなし、やり方次第で別の道も取れるのだし、考えようによってじゅうぶん明るく過ごせるのだと教えられた。どう転んでも対応できるような、柔軟な構えができればそれでいい。落ち着こう。

 昼にはまたいつもの蕎麦屋。寒いから温かい蕎麦が食べたかった。あんかけ蕎麦を食べると温まった。ひじょうにうまかった。これも日本で親しまれている食べ物なり。実に可愛く愛らしい。僕らはこれを「おそば」と呼ぼう。

 

●きょうの言葉/寝起きの窓から見渡して、花見は済ませたはずだがと目をこする。季節はずれの冷え込みに戸惑ってはいたが、まさか東京に雪が降るとは思わなかった。41年前に刻んだ「最も遅い雪」の記録に並んだそうだ。▽自然の気まぐれは侮れない。朝から驚かすだけならまだしも、青物の値が跳ね、春物は売れず、くらしや経済にいいことは少ない。天変で地の日常が狂えば、地異は空の秩序をかき乱す。▽アイスランドの火山活動が、ひと噴きで欧州の空を凍らせた。火山灰が1万メートルの上空に漂い、うかつに飛べばエンジンが止まる。20カ国以上の空港が閉鎖され、日欧を結ぶ路線も大混乱だ。1日の欠航が1万6千便と聞いて、どれほどの商機や楽しみが奪われたことかと思う。▽火山灰が長らく空にとどまると、太陽光が遮られ、気温が下がる。18世紀後半には、同じ島国での大噴火が地球規模の飢饉(ききん)を引き起こし、フランス革命の一因にもなったと伝えられる。歴史さえ変える天変地異である。▽SF小説の先駆ジュール・ベルヌの「地底旅行」は、アイスランドの火口から潜っていく。地底世界をさまよった末、地中海の火山島から噴き出される趣向だった。欧州を覆う砂の雲に、天も地もひと続きの地球を実感する。▽暦を裏切る雪が降り、季節に構わず灰が舞う春。「説明しようなんて考えないことですよ。その方がずっと簡単だ!」。『地底旅行』(岩波文庫、朝比奈弘治訳)にある主人公の言だ。切ないが、人知を超えた営みに理屈をつけても仕方ない。いずれ暖は戻り、灰はやむ。(2010年4月18日付朝日新聞「天声人語」)

■「おすし」と呼ぼう/Saturday,17,April,2010

 朝から職場。13時過ぎには終わり、郵便局などに寄りながら帰宅。時折雪が降る寒い日。さまざまなことを片付けようとするけれど集中できず、少し昼寝。夕方から高速道路。少し北からはずっと雪。高速を降りると雪が激しくなり辺りがみるみる白くなる。

 しばらく車の中で待機。20時を過ぎてから温泉。何日か前にニュースで話題になった製品が置かれていた。戻ってから夕食のおすし。スシというのは今や世界語だが、日本人はそれに「お」を付けるのである。愛おしい気持ちが少しずつ増してくる。出会えてよかったと心から思う。僕はこの素晴らしい食べ物を「おすし」と呼ぼう。

●きょうの言葉/「いまの生きがいの一つは間違いなく旅行です」数学の研究や講演活動などの合間に時間をつくり、年に3回くらいは海外へ旅に出る。最近では、タイ、エチオピア、パキスタンなど。これまでに訪れた国は、90カ国を超えた。▽10日間ほどの旅行でも、2カ月くらい前から準備をする。ガイドブックや地図でどこを見ようか考える。出かける国の言葉を覚えたり、語源を探ったりするのも楽しみだ。旅で出会った人の生き方に「自分も」と刺激を受けることもある。帰ると、おみやげ話で友人たちと盛り上がる。▽働くときは働き、休むときは休む。「肌にあう」からと暮らしはじめて20年以上になる日本については、「メリハリが必要だな」と思う。そんな日本人にすすめているのが、時には電話やインターネットにアクセスしないで自分の時間をつくる「オフライン」だ。新聞を読むのを週1回にしてもいい。「国会で鳩山さんが毎日同じ質問をされるのを読んでも、そんなにプラスにならない。主人公は自分。自分に何がいちばん大事か、もっと取捨選択すべきです」▽健康には気を配るが、無理はしない。世界の街角で披露する大道芸の専門は「けがが少ないジャグリング」。夜1時間ほどウオーキングをする。「街を見たり人生を考えたり、学んでいる外国語を独り言のように口に出して復習したりしています」(ピーター・フランクル 数学者 2010年4月17日付朝日新聞be「元気のひみつ」を全文掲載)

■やれるだけのことはやっている/Friday,16,April,2010

 長い一週間だった。とはいっても、何に時間を割かれていたかというと何だろう。僕にしかできない仕事などひとつもなかったと、初めは少し寂しく思った。しかし、昨年までのことを考えれば、僕にしかできないと考えることが余計な負担感や圧力につながっていたのではないか。ほんとうは誰か他の人がやっても変わらなかったのに。個性やその人らしさを発揮する場面は、もっと生活全体に無数にちりばめられているはずで、存在していることがまず大前提なのだ。存在しながら、互い違いに休んだり出たり引っ込んだりする。お互い様の関係の中で、大きな物語が流れていく。そんなふうに考えるといいのではないか。やれるだけのことはやっていると偽らず言えることでよしとしよう。

 ところで、人生最大の危機とでもいうべき情報が入った。最初に知ったのは朝のラジオのニュースだった。あまり深刻に考えても仕方ないのだが、少し考えると泣きたくなるほど。いまは事態を見守る以外にない。そして祈らずにはいられない。これまでこんなとき僕は危機をうまく避けて生きてこられた。新型肺炎の時も大停電の時もその渦中にいた。だが過ぎればどうということはなかった。今回もどうにかなるだろう。とは思うけれど、わからない。戦々恐々というのは今みたいな心境のことを言うのだろうか。ほんとうに、あり得ないことが起こるものである。

●きょうの言葉/ここ数年「自己責任」や「KY」という言葉に象徴されるように、集団の動きに逆らう因子は排除する傾向が激しくなっている。ほとんどの駅や公園のベンチに仕切りが入るようになった理由は、ホームレスが横になれないようにするためです。でも、害のないスギ花粉を排除しようとして過剰な免疫反応を起こしてしまう花粉症のように、過剰なセキュリティーは体を壊すんです。去年、テレビの取材でノルウェーに行きました。街には監視カメラなんかないし、警察官もほとんどいない。死刑はもちろん無期懲役もない。ところが、治安の良さは世界でもトップクラス。人口は約480万で、08年の殺人事件による死者は27人です。実は日本も同程度に治安は良いのだけれど、国民の意識はまったく違います。ノルウェーは、セキュリティー強化ではなく寛容化によって、より良い治安を実現した。刑期を終えて出所する受刑者には、政府が住居や職についてフォローするシステムが完備されている。ならば再犯率は下がって当然です。監視カメラにかける費用を、出所者の自力更生や社会復帰支援のために使えば、犯罪はもっと減るはずです。大切なことは監視や排除ではない。「安全・安心」を本当に求めるなら、監視カメラはその機能を果たしません。(森達也 映画監督・作家・明治大学客員教授 2010年4月16日付朝日新聞オピニオン欄「争論 監視カメラ社会」より)

■我が身を振り返らせる出来事だった/Thursday,15,April,2010

 去年最年少だった人の言葉が素晴らしくて驚いた。若々しく張りのある声で、ひとつの言い淀みやいい直しもみとめられず、内容もよく的を射ており、実に堂々としていた。いま僕が同じ立場だったら、あんなふうに話せるだろうかと考えてしまった。経験とか年齢とか関係ない。そこにかける意気込みや願いの強さがそうさせるのだろう。彼にとって、その場だけでなくそれまでの見えないところでの涙ぐましい努力が結実した場面だった。だとすれば、今の自分はいったい何なのか。我が身を振り返らせる出来事だった。

●きょうの言葉/「間」という漢字がある。辞書には日本の芸能で言葉、音、動作の間隔、とある。しかし僕は、絵画、彫刻、工芸、音楽、文学においても、要のファクターであると思う。まさに「間」は日本の芸術であり、文化である。現在絵を描くようになって、更に「間」の大切さを痛感している。余白に何が含まれているかを知らせない、魅力は隠している余白にあり、と常々心に言い聞かせている。標語にも書いて。しかし易しいようで難しい。ついつい、あれもこれも描いてメタボ状態にしてしまう。(わたせせいぞう イラストレーター 2010年4月15日朝日新聞「彩・美・風」より)

■よくわからないけれどおもしろい/Wednesday,14,April,2010

 自分より20歳程も若い男性が一気に増えて、職場の雰囲気が様変わりした。去年は最年少だった人が先輩風を吹かせているのも、どこか微笑ましい。もうすっかり若者の枠からははみ出てしまった自分も、またそれなりの振る舞いを求められているようで、新しい風を起こそうと恥ずかしくない程度にまじめにやっている。四月も半ば。時折わずかな違和感を伴いながら、新鮮な日々を過ごしている。

 それにしても、絶妙のタイミングでそれは設定されていた。まるで仕組まれてでもいるかのように。もし仮に一つの希望が叶っていたら他方の希望は叶わなかったし、その逆でもいけなかった。不思議な偶然と呼べばいいのか、最初からの約束だったのか、よくわからないけれどおもしろい。

●きょうの言葉/私は大学時代に、故郷である秋田県羽後町で「美少女イラストを使った町おこし」を企画し、話題を集めた。私が、町おこしや地域ビジネスで重要だと考えていることは三つある。@埋もれている地域資源を発掘する。A好きなことや興味のあることをやる。B新旧文化を融合させる。この3点を羽後町で実践したのが、一連の企画なのである。6年前、19歳の時に世界遺産である岐阜県の白川郷を訪れ、衝撃を受けた。感動したのではない。「故郷の風景と同じじゃないか」と思ったのである。羽後町には、20年前まで259棟の茅葺き民家があった。ところが、町民は「どこにでもある」と思っていたため、保存が行われず、現在では3分の1に減少した。「うちの地域には何もない」と言う人は多いが、私は「どんな町にも優れた資源がある。それを生かすことを知らないだけだ」と考えるようになった。町おこしは、住んでいる地域を丹念に見ることから始まる。私は、見つけた有用な地域資源を自分の興味と結びつけた。(山内貴範 出版会社社員 2010年4月14日付朝日新聞オピニオン欄「私の視点」より)

■大いなる記憶再生装置が動き出した/Tuesday,13,April,2010

 井上ひさし氏の劇を観たことはない。そして、小説に関してもいくつかの作品を読んだに止まっている。だがこれからいくらでも触れる機会はあるだろう、その気になりさえすれば。どうも井上氏に限って言えば、ほんとうは生きているのではないかという疑念が湧いてくる。これも一つの喜劇であり、アイロニーであり、存在感のただならぬ大きさ故かもしれない。死ぬのは怖いか怖くないかと聞かれれば常人なら怖いと答えるだろうが、この人は怖くなかったのではないか。ただ残り時間の少なさがやりきれなく感じられたことだろう。頭脳には表には出なかったアイディアが後何十年分も詰まっていたに違いない。後は残された僕らがどうするか。このところの自分に突き付けられている課題の締め切りは、彼の死によっていよいよ迫ってきた。大いなる記憶再生装置が動き出したという心持ちになっている。眠かろうが、疲れていようが、甘いことは言っていられないな。

●きょうの言葉/井上ひさし氏が昨年秋から肺がん治療中だったことは知っていたが、これほど早く亡くなるとは思わなかった。氏とは個人的にも長いつきあいがあり、強い衝撃を受けている。▽井上氏は放送劇、小説、戯曲、エッセーなどで多面的に活動したが、氏はいつも笑い、あるいは喜劇という方法を使って日本の社会と歴史と人間に正面から向き合う書き手だった。▽こういう社会性の強い作家はたいていシリアス一方の作風になるものだが、井上氏の場合、喜劇という方法論で一貫していたのがユニークだった。「手鎖心中」「吉里吉里人」をはじめとする数々の小説、「藪原検校」「化粧」「頭痛肩こり樋口一葉」「父と暮せば」などの多くの戯曲は、時間の風化に耐えていつまでも残るだろう。▽喜劇とは複眼の思考である。描く対象を喜劇化すると同時に、自分自身をも相対化する。だから深刻な問題を使う場合でも、氏の実現にはいつも笑いの感覚があり、それが私たちをくつろがせた。ただし、氏の笑いの底には不条理な現実に対する黒い怒りが潜んでいたように思われる。▽社会批判性が強い作品を多く書いた点で、井上氏は新劇を継承する劇作家の一人だったと言える。ただし、初期作品に目立った氏の過剰で破天荒な言語遊戯、複雑で奇抜な劇構造などは従来の新劇からは大きく外れていて、むしろ実験的な小劇場演劇に近いものを私は感じていた。▽小説でも戯曲でも氏は一部のエリートのための作品は書かなかった。氏の作品はどれも分かりやすく、面白く、ユーモアがあり、観客を驚かせる趣向を凝らしていた。「表裏源内蛙合戦」「太鼓たたいて笛ふいて」のような優れた音楽劇も多かった。つまり、大衆的娯楽性と豊かな知性の融合。その点で井上氏の作品は、庶民から貴族まであらゆる階層の観客を楽しませたシェークスピア劇の幅広さに通じるところがある。▽三十年前になるが、私は井上氏と一緒にインドネシアを旅したことがある。同行して驚いたのは井上氏の猛烈なメモ魔ぶりだった。飛行場でもホテルでも遺跡でも、氏は目にしたものをすばやく手帳に克明にメモする。ビール瓶のラベルの図柄まであっという間にスケッチしてしまう。世界を丸ごと、細部まで描こうとするかのような氏のほとんど偏執的な情熱に圧倒されたのだった。▽1960年代から晩年まで、井上氏が劇作家として常に第一線であり続けてきたのも特筆に値する。日本の劇作家の多くは若いころに代表作を書いてしまうが、井上氏はまるで元気な活火山のように、70歳代に入ってからも、「ムサシ」「組曲虐殺」のような意欲的な秀作を発表し続けた。▽作家チェーホフの生涯を描いた井上氏の晩年の音楽劇「ロマンス」(2007年初演。集英社刊)に、主人公が語る印象的なせりふがある。人間は「あらかじめその内側に、苦しみをそなえて生まれ落ちる」。だが、笑いは違う。笑いは「ひとが自分の手で自分の外側でつくり出して」いかなければならない。「もともとないものをつくる」のだから「たいへん」なのだ、と。▽私たち観客に生きる歓びを与える笑いをつくり出すための「たいへん」な作業を、井上ひさし氏は最期まで続けたのだ。(扇田昭彦 演劇評論家 2010年4月13日付朝日新聞文化欄「笑いの底 不条理への怒り 井上ひさしさんを悼む」より全文掲載)

■何もせずそのまま寝てしまった/Monday,12,April,2010

 暖かかったきのうまでとは打って変わって、きょうは冬のような寒さだった。このままだと風邪を引いてしまうのではないかというほどだった。寒暖の差の大きさはこの時期の特徴かもしれないが、最近の気象は極端だと感じることが増えているような気がする。

 取り立ててきついと思うようなことはないのだが、まとまった時間が取れないのがもっともきつい。会議などをすべて終えると19時なのだから、それから何かしようとする気にならない。持ち帰ってやろうかと思うのだが、そう思った時点でできないことはきまっている。思った通り、帰ってしばらくすると眠くなって、何もせずそのまま寝てしまった。月曜日の夜なんてだいたいそんなようなものだ。

●きょうの言葉/「日本はあの戦争に決着をつけていない」「過去を軽んじているとやがて未来から軽んじられる」―。9日死去した劇作家の井上ひさしさんは戦争を見詰め、国家と個人の関係を問い続けた。▽太平洋戦争を教訓に「庶民が国家の不始末を引き受け、命であがなうことから抜け出さなくてはいけない」と話していた井上さん。一方で、戦争責任を深く考えることを避けてきたのでは、と国民の側にも疑問を突きつけてきた。2009年の舞台「ムサシ」は、巌流島の決戦後も生き残った佐々木小次郎が宮本武蔵に再戦を挑むという設定。物語を通じ、報復が報復を生む米中枢同時テロ以降の世界情勢に対して憎しみの連鎖を断つ勇気を示すなど、晩年まで戦争の不毛さを訴え続けた。だが深刻な状況を描いても、井上戯曲には笑いが絶えない。空威張りする権力者のこっけいさ、市民のしたたかさが生む明るさ。笑い飛ばさないと生きていけないのが庶民の現実でもある。▽劇場での笑いは作家、俳優、観客をつなぐ接着剤になった。「人が心から笑えるとき、人と人との境がなくなり理解し合える」。演劇に託したのは、井上さんの理想の世界だった。▽「記録せよ、そして記憶せよ」と、折に触れ呼び掛けていた井上さん。過去の事実と向き合い、次の世代に伝えることに生涯をささげた。(9日に亡くなった作家・井上ひさしについて 2010年4月12日付岩手日報夕刊「過去軽んじれば未来ない 戦争見詰め国民に問う」より全文掲載)

■休むことなしには次の週を迎えられない/Sunday,11,April,2010

 朝市で林檎や野菜を買った。その他、コロッケや赤飯を買って朝食にした。朝には生産的なことは何もしなかった。昼も何もしなかった。ラジオを聴いていたら眠くなってきたので昼寝した。デパートに行ってジャケットを買った。夕方少しテレビを見た。集中ができずよくわからない部分が多かった。その後散歩に出た。夢風船という店でカレーを食べ、無印良品を見て、パン屋でパンを買い、本屋で文庫を買って帰った。ある程度まとまった時間があるのは日曜くらいのものだ。しかし、毎週のことながら読書に集中できるわけではない。休むことが最優先事項だ。休むことなしには次の週を迎えられない。

●きょうの言葉/小説を書いているときは、そこに今日的なテーマがあるかどうかというようなことはまず考えません。考えてもよくわからないし。だからこの時代の中で自分の作品がどう読まれているかは、僕の想像を超えた問題になります。それが次の時代となると、ますますわからない。でも人間が基本的に考えることは、時代時代でそんなに変わらないのかもしれない。『海辺のカフカ』に関して記憶しているのは、これまで取り上げなかったようないくつかの人物像を、その中で描くことができたということです。そういう人々に物語の中を自由に歩き回らせることによって、自分の内側にあるいくつかの未知の場所を探索できた。そんな実感があります。そういう個人的な探索が、普遍的な(あるいは同時代的な)探索にうまく有機的に結びついていくことが、僕の理想とする物語のあり方ではないかと感じています。簡単なことではないけれど。(村上春樹 作家 『海辺のカフカ』著者 2010年4月11日付朝日新聞「ゼロ年代の50冊」より)

■土曜日はだいたいいつも仕事だ/Saturday,10,April,2010

 朝から頭痛の一日。平日よりも早く出て、仕事だった。土曜日はだいたいいつも仕事だ。先週のように土日がまるまる休めるのは例外的。きょうは一つの区切りを付ける日。後任と途中で交代し、それから僕は僕で新しいところに赴いた。職場に戻ると工事が行われていた。詳細がよくわからなかったのでやや困った。伝わらなければ伝達とは言わない。大切なことは机上に紙をポンと置いていたって伝わるわけがない。いろいろと困ったことが時々あるが、ひとつひとつ直していこうという機運は、いままででいちばん高まっているように思う。僕も少しは変革の役に立てたらいいのだけれど。

 1時間程度、仕事を進めてから帰宅。昨夜買ったパンをかじって、床屋に向かう。床屋では途中時々眠ってしまい、なんだかあっという間だった。頭を動かそうとしても動かないことが何度かあったみたいだ。失敬。

 夕方には実家経由で温泉に行く。きょうは湯が熱過ぎた。熱過ぎだったから汗が全身から流れた。そしたら頭痛が治った、ような気になった。気分爽快だった。

●きょうの言葉/教育者のローレンス・J・ピーターは、「なぜ、組織には無能な上司が多いのか」をテーマとした画期的な研究を1969年に発表しました。結論をとてもシンプルにまとめると、「人は能力の限界まで出世し、無能レベルに達すると出世が止まるため、大多数の上司は無能な上司なのである」ということになります。無能上司は、自分の存在意義を示そうとして、部下の仕事の批判やあら探しが増えるため、部下が疲弊してしまいます。私も、あら探し型か提案型かで、無能上司とそうでない上司を見分ける方法を学んできました。(勝間和代 経済評論家・公認会計士 2010年4月10日付朝日新聞土曜版be「勝間和代の 人生を変える『法則』 大多数の上司は無能である――ピーターの法則」より)

■通院を理由にして早く帰ろう/Friday,9,April,2010

 長い一週間だった。昨夜までも遅かったし。それで、歯医者の予約を入れて、それを口実に帰ることにした。半年に一度の定期検診で、2回くらいはそれができる。口の中もすっきりするし、デパートも開いている時間に帰れるので気分転換にもなる。歯医者が終わると残りは10分程度だったが、地下でパンや総菜を買うには十分だった。これからもときどき通院を理由にして早く帰ろう。

 夜には久しぶりにテレビを見た。パリの町並みが映っており、楽しかった。楽しかったが、こんなに遅くまで起きていることはないから眠かった。

 先日朝市に行った日に、日本を脱出してなどと書いたが、現に日本の店にも豊かな心の通い合いはある。フランスにはフランスのよいところ。日本には日本のよいところがある。日本のよいところに目隠しをして、無い物ねだりのような言い方をするのはどうかなと思った。いま生きる国にしっかり立ち、互いのよさを学び合えたら、今よりもっと豊かになれるに違いない。

●きょうの言葉/小泉政権の問題は「改革」の掛け声が空回りして、次の時代の新システムを設計し損ねた点にあったと私は考える。私が民主党政権に望むのは、第一に「もはや戦後には戻れない」という認識を再提示すること、第二に数十年単位で社会を支える「幸福のパッケージ」の再設計を行うことである。たとえばそれは「共に非正規雇用の夫婦が、子どもを2人以上育てられる」状態をひとつのモデルにした、再分配や地域社会の再設計である。このラインにセーフティーネットを張り、雇用の流動化それ自体はライフスタイルの多様化に即してむしろ進めるくらいでいいと個人的には考える。「失われた10年」を生きた一人として、現実から目をそむけることのない実現可能な希望として、そんな未来を提案したい。(宇野常寛 批評家 2010年4月9日付朝日新聞文化欄「『昭和妻』ゲームの行方は」より)

■表現しなければ死んでしまう/Thursday,8,April,2010

 年を取ったからか、あるいはそのせいにしてはいけないのかもしれないけれど、とにかく自分で自分をコントロールしにくく変わってきているのはたしかだ。一昨日あれだけ反省したはずなのに、同じようなことを繰り返してしまった。また喋り過ぎた。

 重い自己嫌悪に陥って、周囲に顔向けできないような気分でいっぱいだった。しかし、周囲の意識はそこにはないようだったし、皆優しかったので少し掬われた。内容としてはある程度の役割を果たせたようだった。

 だが問題は、自制がきかなくなっている自分の状態にある。この変化をどのように受け止めるかによっては、ただの馬鹿者に向かって一直線という道も辿りかねない。けっこう大きな岐路に立っていると考えよう。

 普段は喋らない。いや尤も仕事の中心は喋りであることには違いないが、いわゆる雑談には加わらず黙って聞くのみである。心の中には言葉の原料が充満しているが、それらは形のないドロドロである。糸を吐き出す蚕のように身体から出た瞬間に形をもつ言葉になる。表現しなければ僕は死んでしまう。だから毎日書く。それと同じ理由で、僕はこの仕事をしているのかもしれない。

 

●きょうの言葉/若い女性にとって、尊敬できるメンター(助言者)を持つことは重要ですが、なんにも有名人である必要はありません。私が農村や漁村で出会った女性たちのように、学べる相手はどこにだっている。大事なのは、教えてくれるのを待つのではなく、目と耳と心を開いて自分から飛び込むこと。いまの日本は内向きで保守的になっていると言われますが、特に若い世代には、自分の安全地帯から踏み出して人と交わってほしい。誰にどれだけ時間を割くか計算して、早足で日常を過ごしがちな現代。でも、時々立ち止まって、年上の人の話を聞くことを勧めます。若いうちは、その意味が十分に分からないかもしれなけど、託された知識や知恵は、後の人生で自分を助けてくれる。日本で「伝承」の現場を歩いた経験から、私自身が学んだことです。(あん・まくどなるど 国連大学高等研究所 いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット所長 2010年4月8日付朝日新聞リレーおぴにおん「ニッポンの女性たちへ3」より)

■出会いについて考える比率が高い/Wednesday,7,April,2010

 出会いの季節だから、出会いについて考える比率が高い。でも、些末なあるいは実質的な作業が多くて、十分な時間考えることができない。もっと出会いを言祝いだり、ゆっくり挨拶を交わしたりすることに時間を使うことができたら、そして、体裁だけを整えるような、労力だけを消費させるようなことが取り除いていけたら、どんなに素敵だろう。

 出会いの意味はまだわからない。けれど、出会ったことのありがたさがじわじわと感じられてくる。経過をなぞるように思い出すと不思議な思いにひたることができる。何人の上にも奇跡の雨は降り注ぐ。たとえ会うことのできない日にも、積み重なる愛しい時間がある。これから訪れる時間をもっといいものにしたい。希望をもち続けたい。

●きょうの言葉/不吉なことを言う前に希望をこそ語るべきなのだろう。とりわけ悲観論が多い日本の未来についても、世界のありようについても、責務のつもりでせいいっぱい希望を強調する。客観の枠をしっかりと固めた上で、しかし最後にはそれをひっくり返してでもわがままな主観の方を押し立てる。十年後の幸福な自分を想像しよう。そうやって絶対に無になるはずがない未来へ向けて自分を鼓舞しよう。たぶんそれが生きるということだ。(池澤夏樹 作家 2010年4月7日付朝日新聞「終わりと始まり」より)

■相互評価の文化を築きたい/Tuesday,6,April,2010

 緊張感は昨日より強くなり、体力的な疲れを感じる一日だった。心配だった担当の仕事も無事終了し、帰りには郵便局に寄ってすべての発送を終えた。気持ちがすっきりした。身体は疲れたが、気持ちはまったくストレスを感じない。仕事の範囲も内容も、昨年度に比べれば幅が広いのだが、精神的な疲れはない。この立場に立ってみて、自分の精神状態にややほっとしている。

 人前でいろいろなことを話した。長いだけ長くてまとまりのない話だった。この歳になると、いくら話をしても誰もいいともよくないないとも言ってくれなくなる。つまり、できて当たり前であり、できなければ相手にされない。自分に対する評価がみえにくくなってくるもののようである。だからこそ、自分を厳しくみつめる必要がある。ともすると予め自分を貶めることで他人からの評価の担保を取ろうなどとけちなことを考えてしまうが、それは甘ちゃんということになる。なんだかみみっちいな。年齢とか立場とか関係なく言い合えるような、素敵な相互評価の文化を築けないものだろうか。

 

●きょうの言葉/現代社会では科学の目を抜きに物事を語れない。これからは社会変化がもっと激しくなり、未来を予想する力がないと生きていけない。科学とは自然を眺め、そこにある不思議なことや法則に気づいて、理由を考えること。好奇心は科学そのものだ。物事を表面的に知るのではなく、基本的なことからきちんと学べば応用がきく。その意味で、基礎科学の方がいろんな物事に使える能力を潜在的にもっている。みなさんは自分が想像しているより豊か。「自分はこうなんだ」と決めつけず、いろんなことを試してほしい。可能性を自分で狭くしないでほしい。(益川敏英 京都産業大学益川塾教授 2010年4月6日付朝日新聞「15歳 未来の天才へ」より)

■何をしたか思い出すのに時間がかかった/Monday,5,April,2010

 何をしたか思い出すのに時間がかかった。というのは、次々と新たなことが積み重なり、下層にあるものが取り出しにくくなっているのだ。ちょっと息を抜いてみると、少しずつ思い出されてくる。

 この日はまださまざまな準備の比率が高いとはいえ、新年度の緊張感が一気に襲ってきた。昼には注文していた弁当を食べた。今後は専らこれになるだろう。自然食品だけを使った野菜中心の弁当は、これまでの食パンの昼食よりもずっと健康的だ。昨日はそのための箸と箸袋を買ってきた。

 翌日の準備がだいたい終わってから、昨年度の仕事で残していたものに取りかかる。幸いにも発送準備まではすぐにととのったのだが、そこからが長かった。これだけ夥しい文書を送るのに、しかもそれが特別でも何でもないことなのに、お金の出所がはっきりしない。それで、上による解決を待つべく、発送すべき文書を一晩寝かせ、明日郵便局に持ち込むことにした。

 

●きょうの言葉/西欧では、人生の中でのいろいろな節目のできごとの飾りとして、花を生かしています。その際に、花をもの(body)として使います。それに対して、私が日本と(挿花家の)栗崎(昇)さんから教わったのは、花のこころ(soul)と取り組んでいくということです。あるがままの花を生かして何ができるのかを考えることを教わりました。日本人は、使っている素材や、あるものを大切にする。素材の素晴らしさを見極めています。日本と出会ったことで、それまでの自分に比べて、はるかに視野が広くなりました。私は西洋と東洋、二つの世界のカクテルになったと言えるでしょうか。それまで自分が知っていたのとまったく異なる文化について知ることができました。(ダニエル・オスト フラワーアーティスト 2010年4月5日付朝日新聞GLOBE ”The Author"「著者の窓辺 ダニエル・オストの花 in 京都」より)

■朝市で豊かさについて考える/Sunday,4,April,2010 

 ほんとうは昨日、朝市に行ってみようと思っていた。だが、財布に一万円札しか入っていなかったので、これはそぐわないと思い、見合わせた。百円玉で取引したいという、これは自分自身の拘泥に過ぎないのかもしれないけれど。きょうは財布も硬貨で膨らんで、市場での買い物にはあつらえ向きだ。晴天のもと、朝市で野菜やご飯のおかずを調達した。あちこちで飛び交う挨拶や何気ない会話に元気をもらいながら、市場の楽しさを久しぶりに満喫した。

 人を介してしか物を購入できないというのは、見方によっては不便な仕組みだ。しかし、物の売り買いは、ただ売れればいいのか、ただ買えればいいのか。よく言われることだけれど、いわゆるコンビニやスーパーマーケットでは人と言葉を交わすことなしに物が手に入る。最近では日本でもセルフのレジができて、言葉だけでなく手や目のやり取りさえ要らない。たしかに便利で煩わしさはないが、人々が求めているのは安さや便利さだけなのだろうか。

 物とお金の流れとともに、清々しい心のやり取りがあったら、それはとても素敵だと思う。現に僕はきょう、いい気分になって帰宅し、いつにも増しておいしい朝食をとることができたのだ。一人暮らしのお年寄りだって、ゆっくり市場を散歩してきたらそれだけで一日元気に過ごせるかもしれない。そんなやり取りのできることが真の豊かさではないかと思う。

 しばしこの日本を脱出して、そんな豊かさにあふれた国を訪れてみたい。たとえばフランスはそんなイメージの国である。というわけで、今度ちょっくらちょいと行ってくることにしよう。

 

●きょうの言葉/国の豊かさと科学技術の格差は時を経るにつれて広がる。これが世界史の大まかなパターンだ。東アジアをみると、日本とシンガポールは裕福だが、カンボジアとモンゴルは貧しい。アフリカや南米も同様だ。タンザニアの人々は南アフリカの人々と同様に、エクアドル人もアルゼンチン人と同じくらい懸命に働いているのに、だ。なぜか。▽人はこれをIQのせいにしがちだが、豊かさとIQが相関するという証拠はない。貧富の差を人種的な優劣として見るのは、間違っているだけでなく悲惨な偏見を育む処方箋となる。ことに日本とわが米国で顕著な問題だ。70年前、自らが人種的に優勢だという間違った認識のために、多くの国民が死ぬ過ちを犯した。▽かつて欧米はオリエントから、日本は中国から農業、金属、文字を獲得していた。世界の不平等の解明は、ここ数百年ではなく、紀元前3千年の歴史にまでさかのぼらなければなし得ないのだ。『銃・病原菌・鉄』は、近代へ至る人類の発展について書かれている。この本で冒頭の問いの答えを出しているわけではない。しかし、これを探求することが歴史と社会科学で最も魅惑的なプロジェクトだとはいえるだろう。日本の読者にも魅惑的だと思ってほしい。(ジャレド・ダイヤモンド 進化生物学者 『銃・病原菌・鉄』著者 2010年4月4日付朝日新聞「ゼロ年代の50冊」より)

■すべての言葉は遺言である/Saturday,3,April,2010

 昨日の朝のこと。左顎が痛かった。そのうち目がチカチカしてきて、モニタの見過ぎかなと思っていたら、それが激しくなってきて、これは何かの前兆かと思った。もういつそんなことがあってもおかしくない年だ。で、しばらくしたらチカチカがウソのように消えた。何だったのか。いつどうなっても、という覚悟を決める。すべての言葉は遺言である。

 朝のうちは晴天だったが、いつの間にか降ったり止んだり。午前中は仕事用パソコンの整備に費やした。調べたらたいした容量も使ってはいなかった。それで安心して新しいソフトをインストールした。

 久しぶりに友だちから電話が来た。昼に飯を食うことになった。車で迎えに来た。新しくできたというラーメン屋に少しの時間並んだ。いつものごとく終始聞き役だ。ここ半年くらいに起きた出来事が語られ、僕の彼周辺にまつわる知識が更新された。お祝いを受け取った。ありがたくいただいた。

 互いに経年変化というものは隠せないが、その変化も何ということもない。人はこうやって年を取って、しまいには死ぬんだ。意外と短かったな、ああ悔しいな、ちょっともったいなかったな、どういう状況でそうなっても、そんなふうにきっと思うのだろう。どれほど楽しみがたくさんあっても、どれも中途半端に終わらざるを得ない。仕方ないとはいえ、このまま息絶えたら惜しい。やはり、すべての言葉は遺言なのである。

●きょうの言葉/新社会人の皆さん、おめでとう。未曾有の経済不況の下で、就職が確定した君たちはとても幸運です。▽とはいっても、第1志望の企業ではなかったために、とりあえずの就職と割り切っている人もいることでしょう。▽しかし、どんな状況の中にあっても、若い君たちが持つべき心構えとして、私が大きな影響を受けたウィリアム・オスラー博士(1849〜1919)の、当時の若者への提言を伝えたいと思います。▽オスラー博士は将来を見据えながらも、今日に全力投球することをモットーにして医学の研究、教育、患者の診察に従事しました。彼が迷いの中にある時に読んだ英国の歴史思想家、カーライルの書の一節は、その後の彼の生きる指針となりました。▽我々の大切な任務は、遠くにあるぼんやりとしたものを見ることではない。はっきりと、手近にあるものを実行することである▽オスラー博士は、5世紀のインドの劇作家、カーリダーサの次の言葉も胸にとどめていたといいます。▽夜明けの勧告に耳を傾けよう! 今日という日に目を向けよう! これこそ生命、生命の中のいのちなのだ。その短い行程の中には、あなたの存在の真理と現実とがすべて含まれる。(『黎明への挨拶』から抜粋)▽口ずさむ人の心を、何と挑発させる言葉でしょうか。▽オスラー博士は、教育者として臨床医として一流の地位を得てからも、哲学者ゲーテの「ある人の今持っている最も優れたものは、先人に負っている」という言葉を、自分に言い聞かせていたそうです。▽たとえどんなに不本意なスタートラインに立っていたとしても、空虚な気持ちに包まれることなく、与えられた今日という一日を大切に生きて下さい。▽「君たちの努力で地位を勝ち取ることはできる。しかし、すべては自分の能力で、と思うのは誤りだ」。偉大な先達の言葉に深い感銘を受けて生きてきた私自身からは、この言葉をはなむけとして贈ります。(日野原重明 聖路加国際病院理事長 2010年4月3日付朝日新聞土曜版be「98歳・私の証 あるがまゝ行く 新社会人の君たちへ」より全文掲載)

■あり得ないことは起こる/Friday,2,April,2010

 二日目は会議が長かった。その合間に電話連絡をしたりしたがものはみつからない。もう一度皆で集まって一から探してみるが出ない。全部で何時間かけたかわからない。もう諦めかけたところでそれが出てきた。あればよし。持っていた方を責めるつもりはない。だが、4月1日から突きつけられた無理難題は、まるで禅問答のようであった。あり得ないことが起こる。あり得ないことは起こる。あり得ないことも起こる。どれもあてはまる。それらを肝に銘じてやりなさいという神様の啓示と受けとろう。今回解決にまで至ったのは皆の協力の賜物であろう。

 職場のうたげ1がある。あらためてすごい集団だと感心する。いつも感じる場違いな感覚。存在してごめんね。という思いがどこかにいつもある。何故だろう。要は、自信のなさが何事につけても邪魔をして浮き足立った感じになるのだろう。きょうの会議の中で、これまで聞いたことのないほど明快な言葉を聞けたのはありがたかった。少しは自信をもって取り組むことができるかな。これからの話だけれど。

●きょうの言葉/「中国の多くの若者は天安門事件のことなど知りませんよ。なぜ、中国でごく一部の人しか関心のないことを大きく報道するのですか」。最近、中国政府関係者にそう言われた。その通り。多くの中国の若者は天安門事件のことを知らない。なぜならば、知るすべがほとんどないからだ。もちろんネットでは検索できない。先週末に明らかになった冷凍ギョーザ事件の容疑者拘束も、中国では多くの人が知らない。報道が制限されているからだ。中国政府は「民のための執政には、広範な民衆の考えを知る必要がある。ネットはその重要なチャンネルだ」(胡錦濤国家主席)としながら、不都合な情報を市民に与えるつもりはないということのようだ。都合の悪いことは何も知らせず、政府が世論をつくる社会は、確かに安定しているのかもしれない。しかし、グーグルが掲げた「自由」に比べて、それは固く息苦しい。世界第2の経済規模になろうとする中国が求めるのは「安定」だけなのか。そこに大国が目指す理想を感じることはできない。(古谷浩一 朝日新聞中国総局記者 2010年4月2日付朝日新聞「記者有論 グーグル撤退 『安定』に消された『自由』」より)

      

■人には恵まれる/Thursday,1,April,2010

 きょうから新年度。新しい人たちも一緒になって、新鮮な気持ちで始まった。誰もが張り切って、きらきらと輝きを放っていた。緊張感もあるが、職場が変わった人たちに比べれば余裕のある年度始めだった。

 肩書きが変わり、さっそくこれまでにはなかった業務が入ってきた。煩雑な仕事だから、机上の整理は不可欠だ。机の上の状態=頭の中の状態というのは事実で、これを継続しないことには何事もうまくはいかないだろう。 

 ひじょうに困ったこととひじょうにうれしかったこととがあった。困ったことはあるべきものがなくなったこと。ないわけのないものがない。仰けから躓く。前任の方とも連絡が取れず、解決は明日以降のこととなる。

 うれしかったのは、コンピュータの問題が解決されたこと。新任の方に見ていただいたら、いとも簡単に明快に、もつれた糸を解きほぐすように直してくださった。心強い味方がまた増えた。

 人には恵まれる、というのが信条。どこに行っても、出会う人には恵まれるものである。それは偶然ではなく、心のあり方に起因する必然的なものであり、人は自分の力を発揮すれば、必ず周囲の人に恵まれるのである。

 

●きょうの言葉/この国では、煩わしさに対する「耐力」が低下し続けているのではないか。こう指摘するのは、騒音ジャーナリストを名乗る橋本典久・八戸工大大学院教授だ。「近所づきあいも子どもも煩わしい。できるだけ遠ざけたいという人が増えている」古来、日本人は木と紙の家に住んできた。戦後になって団地が生まれ、郊外のニュータウンやワンルームマンションへ。煩わしさから逃げ続け、たどり着いたのは、人間関係を断ち切る繭のような住まいだった。児童虐待を見過ごす一方、隣人が発するささいなノイズに心を毛羽立たせる。共通するのは壁の向こう側にいる生身の人間への、想像力の欠如だろう。(真鍋弘樹 朝日新聞論説委員 2010年4月1日付朝日新聞「記者有論 虐待と生活音 隣人への想像力があれば…」より)


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