2010年12月
■大晦日/Friday,31,December,2010

 昨夜は日が暮れてからの到着で、駅前の宿に飛び込んで塒を得た。が、非常に快適で部屋は広く、水場の使い勝手もよく、洗濯物もよく乾いたのだった。立地さえ良ければ贔屓にしても良い。宿で落ち着いてから、駅の店でビールを飲んだ。調子に乗ってしまったために、大晦日の今日は逆に身体の調子が悪くて困った。アルコールは御法度と聞いていたし以前苦い経験もしたが、生かせなかった。

 朝まだきから動き出して本州を離れる。列車を二つ乗り継いで降り立った駅。外に出ると昨日にも増して冷たい風。ちょっと離れた私鉄の待合室でとっくりのセーターに着替えて出直す。長い長い階段を登っていく。参道の土産物屋もうどん屋もまだ閉まっている。歩くと息が上がる。汗をかく。しかしそれほどでもない。ここに来たのは二十一の夏のこと。その時つらかった記憶があるのは暑かったからか。本殿の前で地元の子どもたちと撮った写真が実家のどこかにあるはずだ。

 遠くの山は雪で白くなり、伽藍の屋根も霜で白かった。それにしても、ミッフィーちゃんとか資生堂とか昔ながらの神社に似合わぬタイアップ企画が目立つ。神仏習合の時代から人々の信仰を集めてきた場所だが、信仰とは別の論理が優先された結果の選択に相違ない。昔の人が見たらどう思うだろう。

 帰りには店に寄って熱いかけうどんを食べた。店の主人はいい意味でこだわりをもっている人らしく、すべて地元の粉を使っているそうだ。オーストラリアの粉なんて使ってないからと言っていた。名物のしょうゆ豆もご馳走になった。岩手というと、オザワさんの地元だねと言っていた。東北には二年に一度紅葉を見に来るという。秋田の稲庭うどんを絶賛していた。

 私鉄に乗って一時間。フェリーの乗り場に行くと、強風のためにすべて欠航だという。この日一日島を巡るつもりが、すべてできなくなった。時折雪もちらつくような寒さなら、船旅もつらかったろうから、次の機会に取っておくことにする。案内所で二時間で回れる場所を尋ねると、とある公園を紹介された。バスでそこを尋ね、一時間かけて一周した。それにしても寒い。駅まで戻る途中で、昼食にもうどんを食べた。最短距離のバスで本州に戻った。橋のなかった時代にはこんなふうに気軽に行き来ができなかったはずだ。駅の片隅の奥まったところに、懐かしの連絡船うどんの店というのがあった。人々のその頃への郷愁なども、今や薄れてしまっているように思われた。

 バスの休憩時間に電話をかけて、昨夜と同じ系列の宿に予約を取った。駅からも至近で翌日も楽だと思った。宿で少し休んでから外に出た。中華街で定食を食べて年越しということにした。大晦日の夜にはテレビもつけずに風呂に入って早めに就寝した。

■開発とダウンサイジング/Thursday,30,December,2010

 雨の降りそうな朝。電車で移動しながら本を読んだ。新幹線の最大の価値は目的地に早く着くことにある。駅は里帰りの客で朝から混んでいた。急ごうとすると乗車率100%以上の車両に乗ることは目に見えていた。しかしその行列から一歩外れて遅い列車に乗ると、誰もおらず静かでのびのびできるのだった。25分ほど余計に時間がかかるという。それだけゆっくりと静かな中で読書ができる。自分と同じことを考える人はあまりいないのだということにむしろ違和感をもった。しかし僕もぽっかり空いた年末年始をうまく使おうとした結果であって、スピードや効率を優先していることには変わりない。

 大勢とさほど変わらぬリズムの中で生きている。ことさら個性とか自分らしさとかを求めても仕方ない。これまで、唯一無二の個に拘り過ぎていた。自分にしかできないこと、自分以外やらないことばかり意固地になって追求してきたように思う。だが、追求する以前に自分は既にここにいて、その瞬間瞬間に、誰でもない自分の判断によってしか未来は創られることがない。個性的であろうとすることとは本来順序が逆だ。生きたあとにこそ自分らしさが軌跡となって残るのだ。年を取ったのかもしれないが、そんなふうなことを考えた。

 雨が降り出したので予定を変えた。さらに西に足を伸ばして負のモニュメントを訪れた。だが、それ以外の施設は残念なことに休館だった。結果的にそのためだけにかの地を踏んだことになる。二十歳の夏にここに来て、酷いお祭り騒ぎに憤慨した。だがもともとの出来事について感慨を抱くほど知らなかったこともまた事実である。知識があって初めて事の重みがみえる。二十歳の自分には何もみえていなかった。それに比べればこの日、僕は涙が溢れてきそうなほどだった。けれど、まだまだ足りない。

 相当に山の多い土地である。東北も山は多くて白河以北一山百文という言葉もあるが、あれは東北に対する侮蔑表現であって、実際には日本の大部分が山国である。ただ西国は古くから人の行き交いがあったために、為政者は要所に城を築き、山を切り開いては道を作り、人も各所に住み着いた。これだけ山が多いから、どうしても建設を進める必要があった。国はそのため多くの予算を注ぎ込み、工事業者も拡大した。橋を造り、トンネルを造るために、日本の建設技術は大いに発展した。ダムも干拓も、鉄道も空港もその延長線上にある。この小さな島国に一億二千万もの人が住むようになったのも、開発があったおかげだ。豊かな自然に恵まれた国土を削って削って便利で住みよい土地に作り変えてきたのがこれまでの歴史だとすれば、これからは別の歴史を刻むことになるのだろう。いわゆるダウンサイジングである。必要なのはこれまでの価値観からの転換。

 小さな港町で降り、しばらく歩く。幸い雨は上がったが、風が強くて、皆寒い寒いと言っている。この冬一番の寒気らしい。古いアーケードの商店街を通り過ぎ、ロープウェーの駅に着く。小高い山の頂まで3分。そこから島々を見下ろしながら、坂を降りる。景勝地というより、生活感があるところがいい。ドラマも映画も観たことはないが、土地の魅力を発信することが後世の人々の利益に繋がるのであれば、それは賢いことだろう。翻って自分の故郷を思うと、その辺が非常に下手糞だ。

 飯も食わずに歩いたので腹は減り、身体が冷えきった。駅のそばのラーメン屋で遅い昼食を取った。電車で15分程行き、さらにバスで30分のところにある漁師町を訪ねた。江戸時代を思わせる狭い路地は情緒があって、来た甲斐があったと思った。こういう昔ながらの土地を潰して道路を整備し橋を架ける計画があった。推進派と反対派がありそれぞれの理由があって、今でも運動が続いている。観光の立場からすれば守るのが当たり前だが、もっと便利にという希望を居住者がもつのも当然だ。単に利益だけではない事情も絡んでいるのだろう。ただ選択は慎重であるべきだ。釜石の橋上市場は安全を理由に取り壊された。その結果町の魅力まで失うこととなった。盛岡の桜山界隈も開発を進めようとする一派があるが、開発のあとにつまらなく変貌したこの町の姿を想像するに難くない。もしも古い頭の首長が旗を振れば、時代遅れの町が出来上がる。それを選ぶかどうかは住民の選択に依る。

■お礼参り/Wednesday,29,December,2010

 大厄が明けるお礼参りという大義名分をもって西へ。初詣を前に閑散とした境内を歩く。感謝を捧げ、清々しい思いで歩く。ひょっとすると死ぬんじゃないかと思っていたが生き残った。これからは手を合わせる時は、自分のことでなく世の中のことを。神社も寺も教会も、境界なく同じことを祈ろう。
 スペイン語を話す家族の写真を撮ってあげた。手袋をなくしたというどこかのお父さんの手袋が落ちているのを見つけて渡してあげた。いくつもの国宝を見た。隣国からたくさんの人々が来て、住み着いている。そこかしこに普通に暮している人々がいる。何処にいても当たり前のことだけれど、慌ただしい日常の中では忘れてしまう。まるで蟻の穴のような路地が交わる商店街は年末の買い物客で賑わっていた。外国語と方言が飛び交う狭い道を自転車で行こうとするお年寄り達がいた。こうして知らない町を歩いていると、ああそうだったと思い出すのだ。

■終了/Tuesday,28,December,2010

 仕事仕事の2010年も今日で仕事納め。年内にやるべきことはなんとか終えた。後は新年4日以降のことになる。年末年始は何も考えずに過ごしたい。17時前に職場を出る。帰宅して掃除して、ひと風呂浴びて駅に向かい、列車に飛び乗った。

 宿でテレビを見ながら横になる。小沢征爾とイチローのインタビュー。小澤は病気を乗り越えて別の次元に進んだ。そろわなくてもいいという価値観。イチローも然り。ただ周囲の期待に応えるだけではつまらない。なるほど。就寝。

■大雪/Monday,27,December,2010

 朝早く職場に着くと、皆で雪かきをしていた。それに加わって1時間やると汗だくで具合悪くなった。幸い汗が冷えて風邪をひくということはなかったが、別なほうの痛みが激しくなった。昨日はそれほどでもなかったのだが、きょうは今までで最悪の痛み具合だった。痛むといらいらする。語気も少々荒くなった。帰ると20時を過ぎていた。それから旅の支度をちょこちょこやって就寝。

■後厄の終わりに/Sunday,26,December,2010

 今年最後の日曜日。朝の積雪は四十センチを越えていた。七時過ぎに雪かきをしたが、それ以降は一歩も外に出なかった。関口宏の番組は年末らしく特別編成で、それを見ていたら昼になった。日本を憂う話。何を失ったのか、何が足りないのか。支え合いがなくなったという結論は何十年も前から言われていることではなかったか。人という字を使って学校時代に教わったこと。それは今でも同様に教えられているものと思っていた。支え合いのないインディヴィジュアリズムなど考えたことはないけれど。

 きょうは仕事のことを考えず、旅の目的地についての情報を集める日にした。それにつけても体調が悪く、ごろ寝しながらというのはどうにも情けなかった。平日は痛みも紛れるのだが、その分何もない休日には痛みが前景化してしまう。午後には寝たり起きたりの状態になった。

 夜にはドラマを観た。続編は一年後だそうだ。足掛け三年のドラマというが、それだけ時間を開けるのにはどんな意味があるのだろうか。わずか一年とはいえ、一年前とは国に関しても自分のことについても状況が違ってみえる。おそらく一年後もまた違っているだろう。変化の中で本質を見極めよということか。

 三年前に旅した場所に行く。厄払いに行ったのでそのお礼参りというのが大きな目的となる。この三年というもの、状況には最大級の変化が続いた。仕事では厄年らしくなかなかないことばかり経験させていただいているし、身体も厄年らしく不調を来したりもしている。それでも大過なく過ごすことができた。さまざまなことに感謝しなければならない。というわけで、後厄の終わりに再びお参りしてこようというのである。

■あるべき未来の姿はもうずっと前にできている/Saturday,25,December,2010

 一日中雪が降って寒かった。前の晩遅くまで準備したので、きょうは始まって終わればそれで終わりだった。体調を除けば順調で、それ以前に何の懸念も差し挟む余地のないことだった。

 昼からはまた場所を変えて、寒い中の仕事に行った。以前の同僚と少し情報交換をしながら、不可解なことをまた知らされた。この年末年始に誰が好き好んで仕事でがんじがらめにするような仕組みを作るのだろう。東北地方の一県庁所在地。その中心がこれほどまでに田舎くさい因習の残る土地だったとは。他所の職場の話とはいえ身につまされる思いがした。

 夕方また職場に戻り、年明け早々必要になる煩わしい仕事をいくつか片付けた。帰宅する時には20数センチの積雪があり、雪かきが必要なほどになっていた。

 映画に行くほど元気でもなかった。でも何か観たくなってiTunesで「イヴの時間」というSFアニメを観た。アンドロイドと人間の共存する世界を描いていた。わりと新しい映画だが、テーマは大昔からあったものだと思った。あるべき未来の姿はもうずっと前にできている。ただ真っ直ぐにみようとしていなかっただけ。古い頭が邪魔をして本気で取り組んでいないだけ。

■ぶれずに生きることの難しさ/Friday,24,December,2010

 昨夜は些か鬱状態で、書いたものをみるとばかに偏屈になっていて。だいたい不在はわかっているのに、わざとがましく言い立てるなど卑怯であって。コトバの怖さであり、自由なようでいてコトバに自由を奪われているわけで。ほんとうのコトバは人を縛らず、自分をけして裏切らず。でもだからこそ恐れずに、コトバをコトバの川に注ぐのを止めてはならないのであって。

 今夜は些か躁に変わり、夜からひとりになるとおもしろくて笑いたくなった。多くがダイナミックに変わる日々。午前の会議では、誠に面白いといっては失礼だけど、人の考えはなかなか変わらないものだというのをまざまざと見せつけられた。

 制度の変化が周知されるには、たいていの場合時間がかかる。それは説得と納得という当世風の過程というより、老化と忘却がもたらす穏やかな動きだ。世代交代と言ってもいい。旧態然とした価値観を駆逐するのは、真っ当な理論にも相手を打ち負かす攻撃にもあらず。ある程度まとまった時間のみである。特にある方々の発言に僕は驚き、耳を疑った。いくら誰かが説明を試みても、染み付いた考えはこびりついて剥げ落ちることはないのだった。何かに囚われた亡者。コトバの亡霊というのはほんとうにいるのだと思った。まるで昨日の自分を笑うように、それをみていて可笑しかった。

 古い人間ですからという言葉は、決して言いたくないと思った。古きよき事柄を尊重することと、新しい価値を受け入れ柔らかく変わることは矛盾しない。すべてを受け入れているようにみえて、実は都合のよいところだけを利用するような頭のかたい人間にはなりたくない。

 それにしてもあるべき姿がダイナミックに置き換わっていく。この変化の波に揺られながら、ぶれずに生きることの難しさ。全力で前に進む時もあれば、思い切り舵を切らねばならぬこともある。帆を畳むときもあれば、碇を下ろす時もある。そんな中で一本何を貫き通すか。

コトバ以外に僕の生きる理由は何もない/Thursday,23,December,2010

 午前4時には目が覚めて、風呂にゆっくりつかっては二度寝した。朝食を食べてすぐに職場に戻り、働いた。バスを使わなかったのは、飲めない事情があったことと朝の時間がもったいなかったことが理由だ。12時前には帰宅して、家で休んでいた。体調は相変わらず一進一退で、せっかく風呂に入っても、痛みが和らぐのはその時だけだった。家でもパソコンを開けて、少し仕事を進めた。

 この一年を振り返ってみると、旅をした半月間を除いては何もなかった。ただ仕事をしていただけの日々。こういう時間を生活とは呼べないだろう。機械となんら変わりない。ワーキングマシンとしては休みなく故障もせずに動き続けてきたけれど、でもそれが何だったのかと問うと、何も言えない。

 時間のみならず、失われたものは大きい。せめてもと送った花束でさえ、悲しいことに届かない。まるで電波の途絶えた人工衛星のように、居所はおろか無事かどうかさえ確かめることができない。これを時代のせいにしてしまってはいけないだろうか。時代のせいとするのがいちばん楽だ。

 僕には何の力もない。コトバ以外に僕の生きる理由は何もないのである。

 

■救いの手を伸べてきたか/Wednesday,22,December,2010

 オフサイトミーティングの大切さは理解しているつもりだが、身体を休めたり気分転換を図ったりすることもそれ以上に大切だと思う。例えば、酒に恐ろしく強いとか、夜寝なくても大丈夫とか、超人的な人も中にはいるけれど、誰もがそうはなれないのだから。やることが膨れ上がっているにもかかわらず、人や時間は限られている。これでは他のことにじっくり取り組む意欲など失ってしまう。宴席だってめんどくさいという感覚に陥るのも当然だろう。話せ話せというよりまずは、誰もが心身の縛りを解き放てる環境をつくり出そうとすることが肝心だ。

 かつてとは状況が違うことを、特に年長者は知っておかねばならない。教えたり、教えられたりというのは、ゆとりの中でこそ行うことができる行為である。普段はそれが十分できる状態ではない。とにかく時間に追われているから、疲れて身体を壊してしまう。これでは若い人たちが気の毒だ。年忘れの宴には二十代が体調を崩して軒並み欠席。バイタリティのなさを嘆けばその通りなのだけれど、普段からかれらに救いの手を伸べてきたかどうか、反省も必要かと思う。

■すべてが初めての物語/Tuesday,21,December,2010

 皆既月食は見られなかった。今年も終わりに近づいているが、大きな節目という気がしない。周囲の人々が皆そのように言うところをみると、自分だけの特別な事情ではなさそうだ。ここに来てから、という言い方をする人もいる。僕などは時代のせいにしたがる傾向がある。年代によってということもあろう。いずれ経験上の何かとの比較でしかものを言えない。しかも、同じことは二度と経験することがない。すべてが初めての物語なのである。そもそも年の節目より年度の節目のほうが大きな意味を持つ生活だ。休みにはせめてゆっくり好きなことをして気分転換を図りたいものだ。

■闘いの日々/Monday,20,December,2010

 体調が悪い状態はずっと続いていて、痛みは押し寄せたり引いたり波がある。薬を使っており、以前なら二週間くらいで快方に向かったのだけれど、今回は症状がずいぶん重い。それだけ疲れが溜っているということだろう。緊張感のある毎日。朝から始まる張りつめたやり取りは全身の筋肉を硬直させる。それまで穏やかだったことも一瞬にして忘れさせられるほど急激に痛みが襲ってくるのだ。そしてこの痛みを我慢しながら半日を過ごす。昼過ぎになると幾分和らぐ。この繰り返し。

 父も同じような性質だったのだろうと思うことがある。父の場合は若くして身体を壊し、それが大病を招いたのである。ま、気をつけよう。でも、この痛みさえなければあと5倍のプレッシャーにでも耐えられると思ってるんだけどね。なんて、負け惜しみか。かの国での経験のありがたみをしみじみかみしめている。あのときはこんなものではなかったから。

■そぞろ神のものにつきて/Sunday,19,December,2010

 早朝から仕事に取り組み、11時にはやるべきことを終えた。日曜の夜に焦って仕事をすることが何度か続いた反省を生かすことができた。素晴らしい日曜の朝。外は爽やかに晴れ、ドライブ日和。しかし体調が悪く、昼は2時間ほど横になってはいろいろ読んで過ごした。旅に出たくなる気持ちがむくむくと膨らんでくる。そぞろ神のものにつきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず。松尾芭蕉といっしょだ。ひょー。午後になって車を走らせる。産直で買い物、そして本屋で時刻表やガイドブックを購入。旅のことを考えるともう魂がふわふわしてしかたなくなる。

■血も涙もない人間のまま/Saturday,18,December,2010

 土曜日の朝くらい少しはゆっくりしたい。ということで、9時過ぎまでゆっくりしてから仕事へ。ほとんど誰も来ておらず、気楽に仕事を進めることができた。終わると17時。どれだけ自分は仕事が遅いのか。という疑問を多くの人がもつことだろう。でもそんなものは無視して、できるだけのことをできるだけの歩幅でやっていくことにする。新しい仕事のためには、古い仕事をすべて消化する必要がある。全部食べ切って自分のものにする。そうしてからすべてを構築し直さないと、あとあと亡霊に悩まされることになる。で、最も真価が問われるのは、自分がこの場を去ったときだ。その意味では僕は既に現場と完全に決別している。心ここにあらず、というのとは違うか。情で仕事は成せぬ。すべて理詰めで流れをつくる。血も涙もない人間のまま、あと三か月を過ごす。

 この年末年始には誰ひとりとして我が家族に会う機会はなさそうだ。いまどきの夫婦というか親子というか。なんだか寂しい思いがした。ひとりで過ごすか。年の節目を共に過ごすことが常識だなどという感覚はもうはやらないか。自分も含めてそれなりに時流に乗った生き方をしているのかもしれない。

■雪の朝の遅刻について/Friday,17,December,2010

 金曜日が終わった。ただそれだけなのに気持ちがほっとする。明日もまた平日と変わらぬ勤務になりそうだけれど、そんなことは関係なく緊張感がほどよく和らぐ。そうするとすぐに眠くなって、せっかくの夜が短くなってしまうのだが。

 今朝は雪で車が渋滞した。そのまま出たら遅刻するのが目に見えていたので、早めに歩いて出かけた。案の定遅刻する人が相次いで、打ち合わせの時には半分も来ていなかった。高校時代、バス通学の生徒たちが雪で遅れた時、担任の先生がその生徒たちを厳しく叱責したことがあった。雪が降ることは予報でわかっていたわけだし、対策を講じることができたはずだ。なぜいつもより早いバスに乗らなかったのか。遅れたことをバスのせいにして許されるなどと思うな。何かあると拳骨が飛んでくるので恐れていた先生だが、話していることにはまさにその通りだと納得した。この季節、こんな朝が必ずある。そのたび思い出すことだ。

 職場では上司が、雪の時は遅れてもいいから、ゆっくり安全に来ればいいからと言う。もちろん焦って事故を招いたりしたら困るので、それを伝えるのは管理職として当然だろう。しかし、僕はあの担任の先生の話したことのほうが筋が通っているような気がする。遅刻は未然に防げよ。回避できないのは自分の責任だよ。たしかに生活環境の変化もあり、一概に筋を通せない状況はあるけれども。

 例えば我が子を学校に送る親の車が雪で遅れたら、その遅刻は許されるのか。それは時間に間に合うように送ることができなかった親の責任だから、指導は免れるのか。こういう日だから大目に見ればいいのか。受験なら特別措置の対象にでもなるのか。そもそもそんなことには目くじらを立てず、お互いに許し合える社会なのか。……かたいこと言ってるかな。

■人をばかにした仕事/Thursday,16,December,2010

 朝からなぜか金曜日のような気がしていた。通常業務は半分に減り、午後からは特別なシフトとなった。昨年までとは別の角度から、様々なことをみていた。頭を使ったり、口を使ったり、身体を使ったり、機械を使ったり。気を遣ったり。気を遣うことが最も苦労なのかもしれないが、それぞれのポジションでそれぞれの苦労があることは言うまでもない。以前奢りがあったのは確かだし、今それがなくなったかどうかもわからない。でも、みる角度は広がったという気がする。過去の経験が生かされていることは日々実感している。体調が万全でないことが悔やまれる。

 本日締め切りの調査が手元に届いたのが昨日。実に人をばかにしているのだが、この自治体ではよくあることだと、春に他の町から来た同僚が話していた。そちらの仕事がお粗末であるために、こちらが二度手間を取らされたり、必要以上に急かされたりして苦労が絶えない。調査とはいえたいして項目もなかったので、ファックスや電話でも集計できそうなのだが、今回の担当者はあくまでエクセルシートをメールに添付して送れというのである。すべてパソコン上で処理したいというそちら様のご意向らしい。環境の違いが頭にないのだ。自分のコンピュータがネットに繋がっていない環境でそれはあまりに手間なのだが、全く理解も配慮もあったものではない。とにかくそんなことが多過ぎる。元の文書は先月の24日には来ていたようだ。それが現場に届くのに3週間を要しているというのはどういうことか。どんな言い訳も通るレベルではない。あなた辞めろと言いたい。全体的に解散してほしい。転勤以来感じていた田舎臭さの正体はここら辺にあると思い至った。このままでは未来はない。返答のメールに皮肉を書いたが、おそらく何も感じないだろう。添付書類をサクサクと処理するだけなのだろう。

 

■月の真ん中にて/Wednesday,15,December,2010

 鞄の取っ手が壊れた。朝、職場の下足箱の蓋に鞄の取っ手が引っかかっていたのに気づかぬまま鞄の本体を引っ張ったら取っ手が抜けてしまった。大事に使っていたのに。残念。修理に出そう。

 急に寒さが本格的になって、きょうは日中でも氷が張っていた。風も冷たく、体感温度も相当下がっていたに違いない。干していたタオルもガチガチに凍っていた。いよいよ冬の到来。

 然る方から、格付けがBからAに上がったという電話があった。優先して取りはからって下さるという話だが、昨年のこともあり、たいして当てにはしていない。なんぼのもんよ、という感じ。

 19時前に職場を出たのは何週間ぶりか。従弟が来たので叔母と三人で食事した。お盆以来だった。未だに調子が悪いので、大して飲まずにその分食べた。楽しかったが、とても眠かった。

 帰り道で空を見上げると、星空がのぞいていた。しばらく見ていたが、流星を見ることはできなかった。ただ見上げる時間が短かったのだろう。本気で見たかったら時間をかけなければ。

■一生なんてあっという間/Tuesday,14,December,2010

 十二月十四日といへば赤穂浪士の討ち入り、という感覚はもう古いのだな。若者で知っている人はごく少数だろう。江戸時代などどんどん遠ざかっていることを実感する。八日には太平洋戦争開戦を知らせる当時の新聞を読んだ。69年前の出来事である。驚いたのは、同じ日でジョンレノンが亡くなってからもう30年経つということだ。戦後の歴史の真ん中辺りになってしまった。自分も戦後の半分を生きてきたことになる。これが長いか短いかといえば、30年とか60年とか、けして長い時間とはいえない。ほんとうにちっぽけな存在。人の一生なんてあっという間なんだと思った。

■みてくれている人もいる/Monday,13,December,2010

 昨夜遅くまでいろいろ準備して、万全の体制で臨んだつもりだった。しかし、朝になると別の角度から様々な懸案が飛び込んできて、それらの対応に追われるうちに夕方になった。時間に追われる場面があり、時間を潰す場面があり、時間を捌く場面がある。不均衡な流れの中に生きている。そこで些末だったり割と大きかったり間違いが見え隠れする。そのたび修正しながら冷や汗をかく。その中でも温かいのは周囲の声であり、動きであり。慌ただしい毎日だけど、みてくれている人もいる。

■体調頗る悪し/Sunday,12,December,2010

 朝から体調頗る悪く、痛みも全く引かぬので、横になってはうんうん唸っていた。溜った新聞を片っ端から見て、関心のあるところだけ読んでは捨てた。昼を過ぎても良くならないので、寝たり起きたりを繰り返し、気がつくと17時になっていた。

 それから仕事に取りかかる。きょうやっていないと明日から困る。途中灯油を買いに出たけれど、それ以外はずっと職場から持ち帰ってきた自分のパソコンとにらめっこしていた。プリントアウトし、資料を調え終わると零時を過ぎていた。

 体調さえ良ければもっと別の日曜日があったはずだ。しかしそれも叶わなかった。また明日から一週間。せめて体調が戻ってくれれば、割と楽に過ごせるはずなのだけれど。

■痛い/Saturday,11,December,2010

 心から学びたい人には学ぶ機会が用意されている。そうでない人はいくら機会が目の前に訪れても見向きもしない。目を開かせることに終始するより、既に志向をもつ人々に対して内容を提供できたらどんなに素晴らしいだろう。そんなことを思ったら虚しくなった。

 午前中は某説明会に参加して、学びについて考えさせられた。自分がこれから関わるとしたらどんな関わり方がよいのだろう。逃避ではなく、自分の適性や指向性について最近少し考えている。

 終了するともう正午で、そのまま仕事場に行って少し片付けをしたり、同僚と情報交換したりしていると一時間が経った。その後は、コーヒー豆を買い、パンを買い、クリーニング屋に行き、薬局で薬を買い、ガソリンスタンドで給油をし、ラーメン屋で昼食を取り、運送会社で荷物を受け取り、産直で野菜と林檎を買って帰った。この一週間の中で最ものびのびできた二時間だった。

 昨日一旦治まった症状がきょうは悪化して、日中はずっと痛みが激しかった。それで、帰宅してから少し横になったが、あまり楽にはならなかった。思い立って、温泉に行った。温まると痛みは嘘のように和らいだ。しかし、風呂から上がって帰ると、また痛くなった。

 2004年の夏を思い出す。メキシコからグアテマラまでは空路。グアテマラからベリーズへは陸路での国境越えだった。この旅の間、ずっと症状に悩まされることになった。ベリーズではひたすらUSの学校用のお下がりのクッションの悪いバスで酷い思いをした。再び入国したメキシコでは、豪華なバスに揺られて少しはましだった。休みに入る直前はいつも慌ただしく、身体を休めること無しに旅に出るから、旅の途中で身体に不調を来すのだ。それにしても痛い。まだ終わっちゃいないが、楽しかったのは旅に出ていた半月ばかりで、それ以外は最悪の一年だったな。集中できない、きょうはもう寝よ。

■まだまだなのである/Friday,10,December,2010

 週末はあっという間に来る。そしてあっという間に明ける。仕事以外のことについて書きたいが、仕事以外していないのでたいしたことが書けない。今朝は今週初めて徒歩で仕事に出かけた。

 手当や賞与についての話題を聞くが、そんな話にはあまり加わりたくない。不満も要求もあるけれど、あんなふうに喋り合っても何も変わらない。そして今では様々な立場の人々が出入りしているから、配慮というものも必要だ。明細書など人前で見ることはしない。

 発送する文書の締め切りを前にして、人知れず焦る気持ちを抑えながら笑顔でいることはつらい。こういう状況を回避するために、告知し請求するのだけれど、結果的にぎりぎりのところでやらなければならなくなってしまう。誠にもって不本意だが、なかなか伝わらないのは同じ立場に立ったことがないからだ。どう伝えるかは研究課題だが、一方で、じゃあやってみりゃいいじゃんという気分もフッと過ったりするのである。こういうところ、まだまだなのである。申し訳ない。

 きょうも午後に一つ会議があって、どうしようもない状況を打破するのに一肌脱いだ。というか、かなり出過ぎたマネをした。黙っていたらいつまでも終わらなかっただろうから。時間のムダ。そして夜にも会議が。目を瞑っていると夢を見た。

 忘年会の季節か。夜の通りには酔って大声で叫ぶ社会人達が目立った。忘年会には忘年会のシフトというものがあり、酔って叫ぶのはそれに従った行動なのだろうか。何だか条件反射の実験動物を連想した。くだらない大人にはなりたくない、と佐野元春は歌った。いや、つまらないだった。いずれ気持ちはその頃と変わりない。

 最近は夜にもよく夢を見る。女神が怒っていたり笑っていたり泣いていたりする。冬来たりなば春遠からじという言葉がバックグラウンドで鳴り響いている。

 

■せめていつでも笑顔で/Thursday,9,December,2010

 痛みは峠を越えたようだ。まだ午前中はかなり苦しいのだが、昼食後からはすっかり楽になる。昨日の会議を終えたので、気分も少しだけ楽になった。いつもはほとんど自由時間がないが、きょうは午前に2時間あって、いろいろと進めることができた。作った文書もすみずみチェックを受けて、背景についても話を聞いた。これから来週に間に合うように修正していくことになる。それにしてもこれらの文書がここ数年ノーチェックで勝手に行われていたことは驚愕に値する。それを整備して来年度に引き継ぐ。かの地での経験が役立つかもしれない。

 それにしてもやることが次から次へと出てくるものである。秒単位でめいっぱい効率的に動いているうえに他とのコミュニケーションが入るとどうしても立ち行かなくなる。これでは本末転倒だ。「ゆとり」というと昨今否定的なイメージをもたれているけれど、いちばん大切なのはこのゆとりではなかろうか。ゆとりのないところに軋轢が生まれ、誤りも生じやすくなる。他に目が行き届かなくなるから、チェック機能も果たせなくなる。これでいい仕事などできようか。

 せめていつでも笑顔でいたい。普段はゆっくりゆったり構えており、いざというときは即座に反応したい。愚痴や痛みなど噫にも出さず、願いや不満には鋭敏に気づき、言葉ではなく行動で応えたい。

■忙しいとはいわない/Wednesday,8,December,2010

 長い長い会議に続いて、また別の長い長い会議があった。合わせて6時間くらい。意見に混じって、不満や批判も飛び交った。無理もなかった。あれだけ多くの人員は要らない気がするし、もともとの日程から前倒しで会議の後での会議で、皆疲れていて眠いし。進行については率直にいってうまくいかなかった。結局は担当の至らなさが露呈したということか。謙虚に反省したい。この一年間で自分がやるべきことは、やるべきことをまとめることだという自覚をはっきりもった。

 一年間一緒にいたからわかるとか、見ていたからわかるとか、そんなことはない。今ではそれは去る者の勝手な言い訳にしか思えない。だいたい担当の視点でみなければ、やるべきことなどみえない。大丈夫だからと言われたけれど、大丈夫なんてことは全くなかった。担当が変わる時には、後任に文書ではっきり引き継ぐこと。それは当然のことだが、ここ数年は行われておらず、文書もまとまっておらず、正直言って杜撰な状況があった。使いたい時に使えないから、新たに作るしかない。まさか自分が後任とは思ってもみなかったから油断していた。落ち度だった。

 文句を言っても始まらぬ。皆の協力を得てやっていく。今のような状況を忙しいとはいわない。

 帰ると一通の封書が届いていた。免許が更新された。これであとしばらくは続けることができる。

 

■少しずつ自炊生活/Tuesday,7,December,2010

 午前中は具合が悪かった。何より痛くて叶わん。座っても立っても楽になるということがない。何年かに一度、こういう症状が出るのだ。声を出しているときには冷や汗をかいた。ところが、昼食を食べると徐々に痛みが和らいできて、落ち着いて仕事ができるようになった。朝に焦って作った文書が間違いだらけだったことに気づいて驚いた。体調がおかしいと初歩的な誤りにも気づかないのだ。恐ろし。

 今月に入ってからは何か一日一品作るようにしている。きのうときょうは野菜スープを作った。コンソメスープの素を以前もらっていたのを思い出し、いつもの味噌汁の代わりにそれを使った。そして、フランスの塩を少し入れて味付けした。薄味でやさしい味がする。なかなかおいしかった。味噌汁だとご飯がつきものということになるが、スープだとご飯でもパンでもいい。その分朝の支度も気楽だ。時間があって気が向いたらご飯を炊けばいいし、嫌ならトーストにすればいい。少しずつでも自炊生活を取り戻さないとたいへんなことになる。

 

■シアワセとシワヨセ/Monday,6,December,2010

 いろいろな人がいるのはいい。多様であることが暮しに広がりと深みをもたらす。仕事場でもそれは同じだ。人には恵まれる。いろいろな人がいるからこそ学ぶことができる。それは間違いない。僕がつかんだほとんど唯一の真実といってもいい。しかし、きょうのように人員自体が少なかったりすると、残る者がてんやわんやの状態に陥ってしまう。体調も悪かったし、午前中いっぱい立ちっぱなしでいたら具合悪くなった。多様であるとシアワセになるが、人が少ないとシワヨセがくる。

 考えてみれば平成一桁の頃から同じ規模のところで働いている。小さな職場の記憶も薄れてしまった。どちらが良いか悪いかは置いておいて、とにかく均衡のとれた働き方がしたい。今朝まではやる気十分で臨んだのであるが、午後になるともうおもしろくもない気持ちになった。一日の中でこんなにも感情の起伏が激しいなんて、しかもそれがおさまらず、こんなふうに文字にしてしまうなんて。

 2年くらい長期で休みたい。あるいは、休みに入ってそのままどこかに飛んでいきたい。

 

■人には恵まれる/Sunday,5,December,2010

 きのうは仕事環境のことを書いた。流れるタイムラインの中で、それほどの吟味もせず書き連ねていくのもたまにはいいと思った。しかし140字ちょうどの段落が繋がると却って不均衡にみえる。言葉の重みがそれぞれ異なるのだろう。

 最悪と書いたけれど、人的環境については文句がない。立派な方もたくさんいて、成長途上の若者も多く、まだよくわからない人たちもいるけれど、仕事仲間に関しては言うことはない。どんな職場に行っても、自分の気持ち一つで人には恵まれるものである。

 

■連続ツイート 最悪の仕事環境/Saturday,4,December,2010
 パソコンがなければ仕事にならないのにそれぞれ自前で用意。しかも、ネットに繋げることができない。パソコン同士のやりとりはすべてフロッピー。しかもホストコンピュータにはウイルスがうようよ。こんなだったら働く気が失せる。何を隠そうそれは僕の職場の環境。早くなんとかして。

 パソコン支給が見送られた理由は、「維持費がかかるから」 冗談じゃない。未だに取引先とのデータのやり取りにフロッピーを使っている事業所なんてどこにある。全然笑えない。けれど陰では思い切り笑われているはず。これがどれだけ我々の士気を下げているか。早く気づいてほしい。

 今朝の地方紙には、同業者の不祥事の嫌なニュースが載っていた。あまりにくだらなくてがっかりくる。メディアが取り上げねばならないのは何なのか。ゴシップにばかり終始するのでなく、社会変革のポリシーを掲げて、我々の恐ろしく貧弱なパソコン環境について大々的に報じてほしい。

 多忙でなく多忙感、という言葉を数年前にきいたけれど、多忙感=多忙ということではないのか。何が多忙感をもたらしているのか、どこも分析を真っ向からしていない。組合でさえ、肝心のところはぼかしている体たらくである。時間外勤務が避けられないシステムにメスを入れるべきだ。

 以前は職場の先輩と後輩で、教え教えられる時間が普通にあった。上司に文書を持っていけば赤ペンで真っ赤になって却ってきた。それを直して持っていくとまた真っ赤になった。そういうやり取りを通して育てられたものだが、今の職場にはそんなやり取りの時間すらない。上司も部下も。

 就職して即戦力になる若者なんていない。仕事の現場で、仕事をしながら仕事を覚えるのが当たり前。そこには必ず指導者がいて、一から十まで指導があったのだ。しかし、今の若い人は放置される。文書一つをチェックするチェック機能が働いていない。それだけ上司にも時間がないのだ。

 上司に部下の面倒を見る時間がなければ、部下は当然育たない。育たず放置され、勝手なことをして、それが批判や不祥事を招く、メディアもそれを取り上げて、社会的な不祥事として拡散するという悪循環。すべては職場内のやり取りで本来解決できること。それができない状況が問題だ。

 パソコン環境の話から職場の若者の教育の話まで飛んでしまった。時間が奪われている。話す時間すら十分に取れないくらいにやることが多くなり過ぎている。それらをやる環境が整わないために機能不全に陥っている。問題が拡大してから発覚する例が後を絶たなくなった。堂々巡りだな。

 僕の職場だけでなく、多くの職場が似たような状況に陥っているのかもしれない。社会というのは事業所の集合体だからね。不景気の原因もそこにあるといえないか。どんな社会をつくりたいか。僕はもっとゆとりある仕事や生活を望む。こんなにあくせく働かなくても済む世の中を望むよ。

 仕事が終わって、コンビニに寄って、たいしてうまくもないのに高い弁当買って食って、何にもしないで寝て終わり。コンビニの店員さんもいれば、弁当作っている人たちもいる。皆が夜遅くまで、互いのために働いている。互いにもう少しゆとりをもてれば、皆少しずつ楽になれるのかな。

 効率化の名の下に大切なものを失ってきた。それは人と人とが繋がり関わり合う時間のゆとりではないか。低成長に入った現在だからこそ、効率でなく人間どうしの繋がりを求める社会にシフトしていきたい。お金の多さが幸せを決めるなんてのが幻想だったことははっきりしたんだから。

 ほどほどの生活の中で、お互いが話したり、教え合ったりしながら改善を試みていく職場。ゆったりと家族や自分に向き合える家庭。そんなのができるといいな。連続ツイート支離滅裂、竜頭蛇尾になりました。茂木さんに倣ってやってみたけど難しかった。まずは脳内の整理が必要かな。

■時代の飛沫となって消える/Friday,3,December,2010

 大量の情報が漏れ出ているようだが、本来公開すべき情報は隠していること自体が異常なわけだ。ウィキリークスのようなものが出てきたことでおおやけというものについて議論が起こればいい。茂木健一郎氏のブログを読んでそう思った。

 職場でも、毎年今頃になると情報の公開について同じ議論が起こる。一定の線は一時的に決めるにせよ、どこでどのように確認すればいいことなのか、その道筋は不透明なままである。きょうは各人のもつ情報網に圧倒された。瞬時にして電波が駆け巡り、全貌がみるみる明らかになった。その様子をみていて感心し、可笑しくなり、少し呆気にとられた。黙っていても自動的に情報が集まるのだから便利なものだ。自ら情報を集めるのでなく情報を集める人々が周囲にいるのがいいと実感した。

 昭和の終わり頃から、これからは情報の時代だというのは聞いていたが、ほんとうにそうなった。だが、情報の時代になったにもかかわらず、未だにはっきりしないことだらけ。ルールが構築される前に、情報が勝手に飛び交うようになった。

 ところで、これからは環境の時代だともいわれて久しい。確かにと思わせる変化が身のまわりにもあり、それらは毎日のように積み重なっている。情報や環境、さらに国際化とか福祉とか、元をたどれば一つという気がする。これらにはっきりとした流れのあるのがわかる。表面的なものではなく、物事の根っこからひっくり返るような大きなうねりだ。そして変化は意外と速い。速さに各所のシステムが追い付いていないのかもしれない。職場も、一国の政治も、遅れたところはもう世界の潮流から置いていかれ、時代の飛沫となって消えるのだろう。

■穴があったら出たい/Thursday,2,December,2010

 雨が降る前に出かけ、雨が降った後に帰ってきた。明日からもまた天気が悪くなりそうだ。今月はできるだけ車を使わないと言ったが、雨の時は面倒だ。できるだけというのは、できないときの口実だ。言ってしまえば、どうでもいいことになる。面倒だが、明日も傘をさして出かけるか。

 新聞にはまた人をばかにした記事が掲載されていた。これでは満足にNIEなんてできない。メディアを真に受けない大人になること。メディアの意図を見破る力をつけること。それこそが育てるべき視点。ずいぶん前に子どもたちを柵の中の羊にたとえた人がいた。その柵を壊して外に出るような子どもにしなければだめだ。その前に嵐が吹いて、柵なんか吹っ飛ばされるかもしれないけれど。

 何も決まらない国会。呆れてものも言えない感じ。傀儡なのかしらないけれど、国の顔があまりのアホ面なので、他国からばかにされ、つけこまれてばかりではないか。その顔はわざと、なのか。本格的にばからしくなってきた。ほんとうに恥ずかしい。恥ずかしくて、穴があったら入りたい。もとい、穴があったら出たい。

■師走でも走らない/Wednesday,1,December,2010

 写真は先月訪れた海岸にて撮った朝日。空と海の比率などをその場で指導してくれた人がいた。わずか10日ばかり前のことだが、ずいぶん経ったような気がする。そのくせ一日はあっという間。一単位時間にやらねばならないことが多過ぎて、感覚が不均衡に陥っている。こんなことを続けていると、生命活動に支障を来すに違いない。人の生理に反する生き方をいのちは黙って許さないだろう。

 月の古称のうち、師走だけはよく使われる。字の印象が忙しない年末の気分と一致しているからか。大昔から年末は慌ただしく過ぎるものだったのだろう。アメ横の映像などを見るにつけ、忙しいことを人々は好むのだと感じる。さすが商売の国だ。商売繁盛は古今いいことには違いない。

 不景気の今なら市場も閑散としているかというとそんなことはないだろう。忙しくなりたい気持ちが人々の中にある。自動車だってなんだか運転の荒い人が増えるのである。多忙を喜ぶ人々がいる。

 こういう文化の中にいて反吐が出そう。この頃朝に吐き気を催すことが多くなった。今月は、なるべく車を使わずに過ごそうと思う。ゆっくり歩く。じっくり考える。ゆったり過ごす。でも、しっかり動く。師走の文字に踊らない。僕は師走でも走らない。