2010年2月               

■メリハリ/Sunday,28,February,2010

 朝にはオリンピックのスケートをテレビで見た。今大会で動く映像を見たのは初めてだった。ドイツの驚異の追い上げにより、日本は0.02秒差で2位だった。百年前だったら、その差はどうやって測ったのだろう。同着ということで両チーム金メダルとなっただろうか。

 チリで起きた地震の影響で、我が県の沿岸にも大津波警報が出た。そのため、ラジオは一日中津波情報になった。昼前から街をぐるっと散歩。郵便局に行ったり、本屋をはしごしたり、産直で野菜を買ったりした。

 そして午後には読書かと思いきや、やはり眠くなって何もできなかった。

 変わる変わるどんどん変わる。4月からのことを考えても、生活のパタンをどうにかしなければならない。もっともっと休まないといけない。何でもかんでも一生懸命やっていては、ほんとうにやりたいことができなくなってしまう。息を抜くところでちゃんと抜く。そのメリハリをつけられるようにしていこう。

●きょうの言葉/残念ながら日本には、虐待は犯罪だというコンセンサスがない。もちろん、普通の犯罪とは違い、加害者へのケアや支援が必要ですし、警察や検察にはすべてのケースが起訴できるわけでないことは知ってもらいたい。しかし、社会正義に照らしたら、虐待はやはり犯罪ですよ。だから、捜査・証拠保全の力のある警察や検察に最初からかかわってもらい、何が起きたのかをきちんと検証しないといけない。例えば米国では、虐待の通報が入るセンターがあり、対応が必要な場合は福祉、操作、医療の専門家がすぐに集められ、チームで個別ケースにあたる体制を作ります。その中には、子どもから虐待の事実を聴く技術を身につけた司法面接士という専門職がいて、捜査、福祉措置に必要な情報はいっぺんに聴くようにします。子どもの負担を考えれば、虐待の中身を何度も聴くことは許されないのです。これこそがグローバルスタンダードで、目指す姿です。日本はとてもそこまで達していない。国を挙げてこの問題に取り組むという、うえからの体制づくりが必要です。普通は国家プロジェクトとして取り組みます。政治主導で、省庁をまたいだ児童虐待対策チームが個別の事件で動けるような制度を作るべきです。(山田不二子 医師・子どもの虐待防止に取り組む人 2010年2月28日付朝日新聞オピニオン異議あり「児童虐待なぜ国挙げて取り組まない」より)

■不本意な情報/Saturday,27,February,2010

 期せずして仕事の予定が入らなかった土日。朝には2時半頃に起床して、ゆったりした気持ちで新聞を読んだり日記を書いたりした。「期せずして仕事の予定が入らなかった」なんて、土日に仕事が入るなんて考えられない、というのが多くの人々の気持ちだろう。しかし、僕らの業界ではそれが当たり前である。ということを、大きな問題としてとらえたい。疲れやストレスを解消する機会が十分得られぬままにまた次の週を迎える異常な状況が何ヶ月も続くことになる。ウソみたいな話だけれど、僕はこの仕事に就くまで、そういう状況があることを知らなかった。僕の知る例など一つしかなかったが、そこでは日曜に仕事に出る人を見ることなど皆無だったのである。もしかしたら、別の部屋に籠ってカリカリ何かやっていたのかもしれないが。

 朝に昨夜の人から電話あった。まったく不本意な情報を聞かされた。希望は何も生かされなかった。久しぶりに会った車の中でそのことを伝えた。しばらく辛くて顔向けできないような気分だった。

 午後にやろうと思っていた仕事は手つかずで、ラジオを聴いていたら眠くなり、少し昼寝をした。夕方からは温泉に行き、戻ってから蕎麦屋。ビール。

●きょうの言葉/何か新しいことや、やりたいことに見切りをつけるのは、実際にやってみてから考えるべきであり。何もせずに初めから見切りをつけるのは、まさしく、わざわざ100%の確率で失敗する方法を自ら選んでいるのと同じです。また、例えうまくいかなかった場合にも、やらずにうまくいかなかったのと、実際にやってみて、うまくいかなかったのでは、本人の満足度が違います。なぜなら、やらずにうまくいかなかった場合には、後から、ひょっとしたらうまくいったかもしれない、という後悔や言い訳が残ってしまうためです。本当の見切りをつけるのは、実際にチャレンジしてみてからで十分間に合います。(勝間和代 経済評論家・公認会計士 2010年2月27日付朝日新聞be「勝間和代の人生を変えるコトバ  『見切りをつけたことに見返りはない』」より)

■とぼとぼ/Friday,26,February,2010

 今月の勤務もきょうで終わり。昨夜の酒がまだ残っていて朝のうちは酔った感じだった。いつもと同じように一日が終わり、一週間が終わり、一ヶ月が終わった。生暖かい空気の中をとぼとぼ歩いて帰った。今夜あたりは街で飲む人も多いのだろう、車が渋滞していた。途中でコンビニに寄って、弁当を買って帰った。

 何の面白みもない、はっきりいってつまらない、ひじょうに不本意な、情報にもならない情報が入った。21時を過ぎて電話が鳴ったようだったが受話器は取らなかった。番号を見ると知人だったのでこちらからかけたが、今度は向こうが出なかった。きっと新しい情報はないだろう。実際のところどこもたいして信用できない。

●きょうの言葉/2003年に、約32億個のDNA配列からなるヒトゲノムが解読されると、生物学研究の光景は一変した。ヒトゲノム計画の名で、アポロ計画と並ぶ巨額の研究費が生物学に投入されたことで、とくに遺伝研究は、巨大な装置産業の様相を帯びてきた。生物学研究のこのような革新は、また新しい考え方を生み出した。その例が「合成生物学」である。これは、生物を徹頭徹尾、分子機械と見立てて工学的な操作の対象とし、生命の基本原理を明らかにしようとする立場である。注目してよいのは、欧米では、合成生物学の倫理的問題について周到な議論が積み重ねられている点である。01年に炭疽菌事件があったアメリカでは、政府が合成生物学と安全保障に関して報告書をまとめた。一方、遺伝子組み換え食品で大論争を経てきている欧州社会は、合成生物学の潜在的危険性、特許の独占、「神を演じる」ことの問題、科学と民主主義など、議論は拡大しており、30年前のバイオテクノロジー論争と重なる既視感がある。翻って、日本でも合成遺伝子の実験を行っているにもかかわらず、科学と社会の関係や生命観にまでかかわる合成生物学について広く論じようとする知的エネルギーを、この国は欠落させているように見える。まずは、社会に開かれた研究会を立ち上げる必要がある。(米本昌平 東京大学特任教授・科学史 2010年2月26日付朝日新聞文化欄より)

▼詞花集31 過(吉野弘)

■ねじれてねじれてキャ・キュ・キョ♪/Thursday,25,February,2010

 どうにも居心地の悪い感じを引きずりながらも、適応しようとして毎日がんばる。がんばるなんていう言葉は嫌いだし、ほんとうはそれほどがんばってなどいないのだけれど、適応できなければやっていけない。

 きょうは飲み会があった。様々なことを肴にわりと大勢の人の集まる会だった。もしかしたら忘年会より多かったかもしれない。多くの人が人前で話をし、楽しそうな雰囲気の中で時間が流れた。僕も概ね楽しく飲んだ。

 しかし、喉に引っかかる小骨のようにどうにもすっきりしない思いが絶えずあるのも事実。それは今の笑えない状況を反映したものだろう。では、状況が変わればすっきりするかというと、そうでもなさそうだ。

 根本の部分で感じる違和感は、帰国してからというもの大きくはなっても逆はない。仕事の対象への不満は強いにせよ、それは個人への感情ではなく、社会が生み出す現象ととらえるからなのだろう。

 期せずして出会った第二の故郷への郷愁からだけではない。それ以前にも同じような状況はあり、そんな中にも同じような飲み会があり、同じような会話や楽しみもあった。でも、たいしてみえていなかった。

 こんなことを考えるとき、いつも「コンヅクレテル」という方言を思い出す。「こじける(拗ける)」が元だと思う。「ねじれてねじれてキャ・キュ・キョ♪」という歌を思い出す。

 たぶんこの思いから解放されることはないだろう。これを受け入れながら、現実と組み合わせながら、合理化しながら、言ってみれば誤摩化しながら?、適応しようとしてがんばるしかここで生きるすべはない。

 一次会を終えてから、従兄弟と叔母の待ついつもの店に行った。そこからまた飲んだ。この繋がりが大切だという思いを新しくしたり、基本的な感覚を、身近な人と摺り合わせていく責任を感じたりした。

●きょうの言葉/明治から昭和にかけて、人類学や民俗学といった領域を横断しながら、先駆的な仕事をした鳥居龍蔵という人物がいた。かれは82歳で亡くなるまで、生涯をかけて日本と東アジアのつながりを探求し続けた。彼の足跡を俯瞰すると単なる研究者である以上に、好奇心に溢れた探検家であり、優れた旅人だったことがわかる。薄っぺらな美意識にとらわれず、見ることに徹した末に生まれた写真は、だからこそ揺るぎない強度を持って今も観る者を挑発し続ける。レビストロースはもとより、鳥居や民俗学者の宮本常一らが撮影した膨大なフィルムが後世の私たちを惹きつけるのは、記録する者として彼らが世界を徹底的に見つめ、真正面から向き合ってきたからだろう。人はその土地での新しい出会いを率先して引き受けていくことによって、旅行者にありがちな自己陶酔に陥ることなく、世界の核心に触れることができる。(石川直樹 写真家 2010年2月25日付朝日新聞「彩・美・風」より)

▼詞花集30 うそ(谷川俊太郎)

■「最悪」は絶えず更新される/Wednesday,24,February,2010

 きょう日中はほとんど笑顔になれなかった。自然に笑顔になることはもちろん、努めて笑顔を作ることもできなかった。「笑えない」状況とはこのことだ。もう二十年前から同じような感情の起伏を繰り返してきた。それが職業人として当然の心の作用であると無理に信じようとしてきたのかもしれない。だが、もういい加減それはただの言い訳に過ぎなかったのだと、ばっさり切り捨てたい気分でいっぱいである。始まる前から用意されている終わりには、浄化作用がある。僕たちはそこである種精神の初期化とでもいったような転換を図ることができる。気持ちが清々すると同時に、これまでの自分自身が「これでよかったのだ」と無反省に「流してしまう」意識も生まれるようである。人によってはしばしば涙を流すが、その涙の意味はいったい何なのか。あれだけ問題の種を突きつけられながら、どれ一つ満足に解決できた例がない。それにも関わらず流す涙とは。

 さて春からはもっと楽になるだろうなどと楽観的な言葉も聞かれないわけではないのだが、僕はまったくそうは思っていない。おそらく、間違いなく今よりも酷い状況の中で格闘しなくてはならなくなる。今までもそうだったように。

 「最悪」は絶えず更新される。どんどん状態は悪くなる。しかし負けてはいられない。それを凌駕するためにも、個人はもっともっと成長する必要があるのだろう。

●きょうの言葉/自分たちに何が必要か、うすうす気づいていながら、強欲さへの誘惑に負けてしまう、資本主義の帝国のやるせなさ。個人としての自由をある程度制限しても、広い世界観の中で他者とリンクすること、パートナーシップを結ぶことが、新しい幸福感を生む。わがままの放棄は、日本人が考えているより、米国では難しいのです。建国の理念そのものが、利潤追求への勤勉さや、先制を離れた自由の追求と結びついており、私利私欲を制限することは、すぐに「社会主義化だ」「反愛国的だ」という批判を受けることになる。ストレートな反帝国主義的メッセージよりも、「リンクしよう」という、ソフトな自己相対化への道筋の方が、かえって実効性がある、というのがキャメロンの境地なのでしょうね。(鈴木透 慶応義塾大学教授 現代アメリカ論 2010年2月24日付朝日新聞オピニオン耕論「アバターで語るアメリカ」より) 

▼詞花集29 想像力(中桐雅夫)

■自分の思いを言語化すること/Tuesday,23,February,2010

 自分の思いを言語化することがいかに大切か。ということを客観的にとらえることができるかどうか。自意識を適度にもって暮らすこと。それは自意識を持たない動物とはまったく違う生を生きること。人間が人間らしく地球に生きること。

 たとえば、道路を逆走する車の運転手は何を考えているのか。おそらく何も考えていまい。もしかしたら5年前には自転車で右側通行をしていたとしても、その迷惑行為を少しも顧みる機会がなかったかもしれない。つまり、考える習慣のない人間にとっては、自分の行動を客観視することができない。それでは動物のようなものだ。他人を傷つけることに鈍いのと同時に、自分が血を流していてもその痛みにほんとうのところは気づけない。いのちの質の低下。そういう人と人がくっついたからといって、集団は生まれ得ない。ただの群れである。ゴミを食い散らかすカラスやネズミと一緒だ。

●きょうの言葉/年齢や性別を問わず日本人は「私語り」が好きである。ネットにあふれる日記風のブログの山を見ているとそう思わざるを得ない。もっとも私語りの文章が読める(読むに値する)かどうかはまた別である。個人の生活は世の中の出来事とは無関係に流れていくものらしい。少なくとも日記のレベルではね。(斎藤美奈子 文芸批評家 2010年2月23日朝日新聞文芸時評「『私』を語る方法」より)

▼詞花集28 ほら 見て(高崎乃理子)

■質問してと言われても/Monday,22,February,2010

 午後の途中から研修に出かける。あの広大な敷地内に車で進入したのは生まれて初めてだった。許可証がないのに勝手に停めてよいのか心配になったので受付で確認すると、許可証の提示は必要ないという。なあんだ。

 研修会は3時間半にも及んだ。ビデオを見る時間には眠くて仕方なかった。話はひじょうに勉強になったような気がするが、これで質問はときかれても浮かばない。ききたいことが見つからないのは、それほどの理解しかできていないということだろう。これではまだまだ話にならない。

 朝には、自分に寄せられた質問について少し向き合う時間が持てた。やってみて思ったが、こういうことはやっていそうであまりやっていなかった。知りたい、わからないと感じられることは、それでじゅうぶん能動的な営みだったのだ。それに比べて、何がわからないかもわからない自分はいったい何なんだ。

 そして、質問を受ける方もそれに答えることで自分の認識が深まる。その機会が与えられること自体、ありがたいことなのだ。わからないことをわからないと素直に言える感性に、敬意を持って答えていこう。

●きょうの言葉/現代は、パソコンが発達しています。多くの人が、日記まで公開している。そういうところで、自分が最近触れた詩句について語る――というのは、いかにもありそうなことです。一年分を印刷して綴じれば、それがその年の、感性の記録となる。後になって見返せば、当時、どのように言葉と向かい合っていたか、懐かしく思い出すことができる。(北村薫 作家 新潮新書「自分だけの一冊――北村薫のアンソロジー教室」より)

▼詞花集27 人生という教科(大橋政人)

 

■アンソロジーと逆走する車/Sunday,21,February,2010

 4時頃起床してからほとんど一日中パソコンに向かって仕事をしていた。仕事とは言ってもアンソロジーを作るのはなかなかに楽しい。目が疲れるのと時間がかかるのが困るけれど、これまでにありそうでなかった試みは、小さいながらも大きな一歩ととらえよう。

 一晩明けると日本中何もなかったように何の情報も目に入らなくなった。いろいろなところをほじくれば、それはそれでいろいろなことがみつかるだろう。しかし、あえてそんなことをするつもりは毛頭ない。

 昼には叔母たちからの誘いがあって昼食に出た。戻ってからしばらくして電話があり、情報交換と今週末の打ち合わせととりとめのない話をした。誰もわからないことだが、ひょっとするとひょっとするかもしれない。

 夜になり、電気店に行こうと車を走らせていると、逆走している車を発見。こういう人がいるのか。誰も怪我せずよかったけれど、ほんとうに迷惑なことだ。絶対にやめてもらいたい。

●きょうの言葉/日本では、国の裁判対策として研究費を研究者に出し、都合のいい研究が行われてきました。大半の裁判が終わり、政治決着すると、研究費はがばっと削られました。世界では、微量の水銀が胎児や赤ちゃんの脳、神経に悪影響を与えているのではないかと、各国で研究が行われています。でも、水俣病が起きた日本ではほとんど何もやられていない。日本には認定されなかった膨大な人々がいるから、その微量汚染の世界で何が起きているのか研究者が取り組めば、水俣病を経験した日本が世界に貢献できる。政権がかわったんだから、新しい発想で取り組むことを期待しています。(原田正純 医師・熊本学園大学教授 2010年2月21日朝日新聞インタビュー「水俣病は終わるのか」より)

■残念なニュース/Saturday,20,February,2010

 朝から仕事で出かけた。車で移動中の時間は最も安らげるひとときだ。山に近づくと雪が降り出した。町にばかりいると忘れてしまう。雨水を過ぎたとはいえまだまだ冬のさなかなのだ。出先で以前世話になった方と久しぶりに会った。はじめはずいぶんそっくりな人がいるものだと思ったが、よく見ると当のご本人だったので驚いた。13時過ぎには戻った。一気に気持ちが弛緩した。

 戻ってから仕事をする気もなく、ラジオを聴いていると暗くなった。二日分の新聞に目を通すが、おもしろい記事がない。ひとつたいへん残念なニュースを目にした。重く苦しい気分にずどーんと突き落とされた。関係ないと言えば関係ない話だが、関係があると言えばそれはそれは大あり。どうしてもテレビを見る気になれなかった理由は、この辺にあったのかもしれない。就寝時までなんだか気分が晴れなかった。

 当然のことながら、休みはゆっくりしつつもお仕事はしっかり努めよう。

●きょうの言葉/空想してアイデアが浮かぶ瞬間が本当に楽しくて、いつも歩いている道でふとした発見があると、発想も豊かになるし、元気になる。目に見えないものが音楽というかたちになったときの幸せ感が、次への意欲につながる。そのサイクルこそが活力の素なのです。(宮川彬良  作曲家 2010年2月20日付朝日新聞be「元気のひみつ」より)

■光陰矢の如し/Friday,19,February,2010

 1週間はほんとうに早い。きょうも何となく1日が終わり、瞬間瞬間の感情などどこにも蓄積されることなく流れていく。ひとつ腹の底のほうに溜っていた思いを、ゆっくりと浮上させて口からばあーっと出してみせた。いわば最後の仕事とでも言えるようなアイデアに具体的に取り組んでみることにした。

 アップル社の新製品の映像をもしも10年前に見たとしたら、腰を抜かしていたかもしれない。日進月歩にもほどがある、という印象。未来というのはこんなふうに具体的に、その道の技術者たちの創造によって形作られていくのだと思った。高校生の頃憧れていたマッキントッシュ。今ではその何万倍も高性能のコンピュータを手に入れて利用している。抱いていた未来の姿など遥か後方に過ぎ去りもう見ることができない。

●きょうの言葉/フランス語に「スープル(souple)」という言葉があります。日本語にすると、「しなやかさ」とか「柔軟な」という意味です。曲げられても折れない若竹のようなイメージの言葉なのですが、このスープルこそ、困難な時代に生きる私達が希望について考えるときのキーワードになる。これがなければ幸福になれないという思い込みを捨てること。自分を不幸だと決めつけず、身のまわりにある小さな幸せに目を向けていくこと。「今、ここ」にとらわれず、場を広げ、人生というロングスパンで自分の置かれている状況を見ようとすること。挫折も幸福になるための用件だと考えること。今の混乱をチャンスと考え、これまで自分たちを縛っていた価値観を見直し、人にも環境にもやさしい生き方を模索していくこと……。そう、スープルな精神こそが幸福の源泉である。しなかやかな生にこそ希望があるのです。(加賀乙彦 小説家・精神科医 集英社新書「不幸な国の幸福論」より)

▼詞花集26 わたしが一番きれいだったとき(茨木のり子)

■漢字は文章のダシ/Thursday,18,February,2010

 漢字はまるで昆布とか煮干しみたいに、文章の中でいいダシになる。漢字のない文章なんて味も素っ気もなくて、ちょっと読んだだけでもう見たくなくなる。じっくりゆっくり読むゆとりがあれば、漢字の国の言葉は味わい深い。文字の違いは料理の違いとよく似ている。忙しい合間にファストフードをかき込むばかりでなくて、たっぷり時間をかけて煮込んだシチューをゆったりとした気持ちで味わいたいものだ。料理は作る人がいるからこそ食べることができるわけで、文章も同じ。僕も日々のバタバタしたジャンキーなものばかりでなく、下ごしらえを惜しまずに安らかな気分の中でじゅうぶんに時間をかけて何かを書いてみたいものだ。それを、僕の好きな人や、まったく知らない人たちに味わってもらえるとしたら、それは大きな喜びだろう。

 真夜中に従兄弟からのメールが入る。月に一度あったこちらへの出張が、4月からなくなるらしい。定期的に開いていた飲み会もいままでのようにはできなくなるかもしれない。仕方ない。僕のほうもどうなるか、今のところはまったくわからない。年度の変わり目は大きな節目。一見残念で不本意な変化も、実は大きな飛躍の可能性を含んでいる。人間万事塞翁が馬。冷静な目でみつめられたらと思う。

●きょうの言葉/中国も日本も朝鮮半島も古代からずっとそれぞれ同じ地域に滞留したうえに、漢字という手段で活発に交流したために、共通の文化エリアを形成した。広大な東アジアで同じ文化圏が連綿と4千年、5千年も一貫して現在に至ったことは世界史的に奇跡の部類に属するのではないか。感じ文化を共有していた結果、明治以降に日本人が西洋文献の翻訳で作った和製漢語が中国、朝鮮でも取り入れられた。漢字ほど西洋の思想や科学知識を自分たちの言葉に置き換えるのに便利だった文字はない。日本人は古代に平仮名、片仮名だけでなく、国字も創作して知恵を養い、西洋語に出会ったとき、いち早く漢語訳を成功させることができた。漢字を通してみれば東アジアがきっと変わってみえる。互恵の関係が浮き上がる。まとまりを取り戻す契機として、加藤周一さんが晩年、特に強調していた「漢字文化圏」の再認識を提唱したい。(王敏 法政大学教授 文化論・日本学 2010年2月18日付朝日新聞「私の視点」より)

▼詞花集25 儀式(石垣りん)

■おじさんでGO!/Wednesday,17,February,2010

 考え方の癖というのか、自分には関係ないと感じることに限って実は関係が深いのではないかと疑うことが多い。つまらないことに限っておもしろいとか、とるに足りないことに限って重要だとか。特に負の感情がわいた時には要注意だ。それは大切なことから目を背けそうになっている徴だからね。できるだけ平衡感覚を保てるといいと思う。

 きょうは帰り道に初めての珈琲屋でコーヒー豆を買い、郵便局で送金し、産直で米やら林檎やらを買って帰った。1時間ほどの散歩で気分転換ができた。残り時間を考えればもうあれこれ考えても仕方ない。自分のできることをやっていくしかない、それもできるだけやわらかく、おだやかに、そして笑顔で。これはもうじつにやさしいおじさんだ。

●きょうの言葉/大使を辞職したライシャワー氏の最大の心残りは、日本の津々浦々にアメリカ人英語講師を送り込む構想が、日本政府に反対されて実現しなかったことだ。大使退官後に著した本でも、彼は、日本人は多分野で高い技能を発揮しているのに、こと外国語習得に限っては驚くほど不得手だとはっきり書いている。日本語の壁の中で暮らしているから、他国民は日本人の考えを聞くことができない。これでは到底、世界の指導的な国にはなれないと。英語以外でライシャワー氏が常々言っていたのは、日本人は自国を特殊な国だと病的なまでに思いこんでいると。日本人はほかの民族に比べて優れてもいない。劣ってもいない。なのに日本はユニークな国だという先入観にとらわれ抜け出せない。だから日本人論を終わりにしてほしいと書き残しました。(ジョージ・パッカード  米日財団理事長 63〜65年ライシャワー駐日大使特別補佐官 2010年2月17日付朝日新聞インタビュー「日米同盟の見方」より)

▼詞花集24 いつも、雨(笹野裕子)

■自分を励ます存在/Tuesday,16,February,2010

 火曜日が終わった。足取りはちょっと重い。仕事に比重がかかって、生活がおざなりになった。新しい情報があった。それは、今のところ新しい情報はない、という情報だった。何もないことも一つの存在といえる。何でもない一日だけど、何もなかったわけではない。日々はむしろそのようなことのほうが多い。何もない日を、胸を張って生きられたらいい。選んだ詩も、目に留まった新聞の言葉も、同じ「大丈夫」。自分自身しか自分を励ます者はいない。といういい方もできるが、自分以外のものはすべて自分を励ましてくれる存在だともいえる。究極の前向き思考。それは幸せへの近道だ。大丈夫、大丈夫。

●きょうの言葉/毎日帰りたくなるような家庭をつくるのは至難の業。でも、子どもはそんなにヤワではない。週に30分でもいい。「この親の子でよかった」と思えるような瞬間があればいい。現実には、求めても光を得られないことがあるかもしれない。それでも「どうせ」と子どもに言わせてはいけない。言えば楽になるけれど、希望を放棄させるということは、最もモラルに反すること。子どもの本がしてきたように、この人に出会えたから自暴自棄にならずに済んだと思わせる一人に、この世につなぎとめる一人になって。(清水真砂子 青山女子短期大学教授 「ゲド戦記」を翻訳した人 2010年2月16日付朝日新聞生活欄より)

▼詞花集23 大丈夫(関洋子)

■自由な時間が失われた国/Monday,15,February,2010

 2月は早い。気がつくともう真ん中を通り越していた。残り2週間。あっという間に過ぎ去る時間は愉快なくらいである。きょうは午前中こそ立ちっぱなしだったが、午後はまるまる机に向かって静かに仕事を進めることができた。きょうみたいな日がのんびりできるのでいちばん好きだ。そして、17時を過ぎるとすぐに退勤することができた。毎日この時間がいい。

 川沿いに出て少し遠回りしながら帰る。早いから夕食だって作る余裕がある。昨日買っておいた豚肉と根菜類を入れて豚汁を作った。牛蒡を食べると繊維質のためか体調が良くなる。ひと鍋作ると明日の朝まで食べられる。

 夕食を食べて、新聞を読んで、愛や詩について考える。オリンピックの行われている世界とは別の空間を生きているような気になる。明日以降の詩を決めなければならないからと理由をつけて、夜の本屋に出かけた。なにしろ17時に仕事が終わったものだから。毎日この時間だったらどんなにかいいだろう。しかしここはニッポンだ。ここがニッポンだからという理由でそれは困難なのである、困ったことに。

 本屋では詩関係のものだけでなくたくさん買い込んだ。これが食事前だと本なんかどうでもよくて、一階のスーパーマーケットでたくさんの食材を買い込んでしまうところである。空腹が満たされることによって、脳が今度は知的充足を求め始めたのであろう。もちろん本を買ったからといって知的に満たされるわけがない。まるで食材を買ったからといって腹が満たされるわけでないのと同じように。

 モノを買うという行為は目的のための手段のはずである。ところが買うこと自体が目的化してしまい、消費することだけにカタルシスを感じるという症状が表れる場合がある。食べ物や本ばかりではない。僕の場合は音楽や映画のソフトを買ってしまうことがある。人によっては、服飾とか靴とかアクセサリーとかに出たりもする。たくさん買っても使わずにそれらを押し入れの奥にしまっていたりするのもその表れだろう。

 食べ物の場合は当てはまらないかもしれないが、買うことで満足してしまうのは、使って楽しむ時間が足りないからではないだろうか。もしもっと時間があれば、余計なものを買わずに、一つ一つを少しずつ楽しむことができるかもしれない。

 商売の国ニッポンは、モノの売り買いの営みの中で物質的には豊かになったが、その分自由になる時間が失われてしまったといえるのではないだろうか。現に今宵はもう数冊買ってきたアンソロジーを前にしてもう眠くて何もやる気がしない。明日の朝にやることにして今夜はもう寝よう。

●きょうの言葉/自分を不幸だと感じているとき、私達は幸福が手の届かない遥か遠いところにあるように考えがちです。しかし、不幸と幸福とのあいだに物理的な距離など存在しない。そこに横たわっているのは、本人次第でゼロにも一億光年にも変わりうる心理的な距離なのです。長い目で物事を見、考える癖をつけると、心の免疫力は確実にアップします。日本人の平均寿命まで生きるとして、人生八十年から八十五年。人生という長い時間の一部として、自分を主人公にした長編小説でも書いているようなつもりで「今、ここ」を眺めてみる。そうすればどっぷりとつかっていた苦しみを、ちょっと引いて見られるようになります。(加賀乙彦 小説家・精神科医 集英社新書「不幸な国の幸福論」より)

▼詞花集22 素直な疑問符(吉野弘)

■オリンピックは西洋の祭典/Sunday,14,February,2010 

 じゅうぶんな睡眠をとり、じゅうぶんな朝食をとり、テレビを少し見て、家を出た。川沿いの道を通りながら、近くの旅行会社に旅の相談に行った。あれこれ調べてもらって、手配までお願いした。これからさらに具体化までの道のりがある。ほんとうに行くことになるのか、夜になってまた実感がもてなくなった。

 家に戻る途中で着物屋に入った。着物屋には着物ばかりではなく、さまざまな小物もあるのだと初めて知った。着物が売れない時代ではあるが、着物以外を売るアイディアがもっとあってもよさそうだ。大きな通りを少し歩くと、老舗の電気店の閉店セールが行われているのが目に入った。殿様商売という言葉が当てはまるかどうかはわからないが、昔から変わらないというのは不利なのだと思った。商売においてのみならず、時代の変化に対応できない者は去るしか道はないのだろう。

 巷間ではオリンピックの話題に花が咲いているようであるが、また始まったか、いつも同じだなと、どちらかというとあまりおもしろくない印象を受けている。メダルメダルと騒がれるのも嫌だし、期間中はトップニュースがオリンピックになってしまうのも嫌だ。しかも、ほとんど日本の選手しか扱われない。

 トリノオリンピックの時にはカナダにいた。放送権の都合とかいって、日本人選手なんてほとんど静止画像でしか見ることができなかったのを思い出す。かろうじて見ることができたのは米国の放送局で放送されていた荒川静香選手だけだった。どの国も自国の選手中心に放送するのは当然にしても、向いているのは一般視聴者のほうではない。つまりは、放送権というのは視聴者が見たい映像を視聴者に向けて放送する権利ではなく、大企業同士の巨額の金によって取引される利権のことなのだ。異国の地で暮らす人々は何かと心細いから、祖国の選手の活躍を見て励みにしたいと思う人が多いのである。しかし、そんな願いを持つ在外邦人たちの多くがないがしろにされている現実がある。そんなことを知ると、テレビを積極的に見たいなどとは思わなくなる。

 開会式の映像を見ているとたしかに素晴らしいとは思う。しかし同時にいくら世界何十カ国が参加しているといっても所詮オリンピックは西洋の祭典だというふうにしか見えない。入場行進も、選手宣誓も、聖火台への点火も、西洋文化の枠組みを少しもはみ出ていない。いや、はみ出ようにも、そもそもの発端が西洋文明発祥の地ギリシャなのだから変えようがないかもしれないが。ましてや競技種目自体多くが西洋生まれで、それ以外の土地で発祥した競技は申し訳程度しか採用されない。だいたいスポーツという概念がもともと西洋のものだものな。特にも、「冬のオリンピック」などという枠組み自体、温帯の地域中心の偏った発想ではないか。この違和感はなんだろう、そんなことを考える僕がおかしいのだろうか。

 バスの時間が14時50分だというので、昼の混んだ時間を避けて蕎麦屋で昼食を食べてすぐにバスに乗車するつもりだった。ところが、正確には14時10分発ということがわかり、もう蕎麦屋などには寄っていられないということになった。それで、昼食も朝食と同様、家でのコーヒーとパンになった。これは僕にとっては不本意だったがそれを嘆いても始まらない。時間についてはあらかじめ確認していたいものである。

 そのパンを食べているときの食事マナー違反を指摘されおもしろくなかった。何度も同じことを言われ続けているのだがどうも直せない。悪いとは思いつつ、何度も同じことを長々と言われると腹が立ってくる。単純に、一言での注意、という手法を身につけることで指導の幅が広がると思われる。それは意外と効果的なので試す価値はある。

●きょうの言葉/人生の中間点で、後半の生き方を考え、それに向けて新たな能力を身につける機会が得られれば、高齢でも社会貢献が可能になる。それによって健康を保ち、ゆるやかであっても人生の最晩年まで上昇し続ける展望が見えてくる。形式的な能力開発訓練とは異なる、実効ある社会人教育の制度を整備することによって、多くの個人が充実した人生を送れるようになるうえ、現在30代から40代に集中している就労の負荷が軽減する。経済活力の増大、出生率の向上にも効果が期待できるだろう。また、老後のために貯蓄に回しているお金を、楽しみのために使う人が増え、消費の拡大にもつながる。(五十嵐健 早稲田大学理工学術院総合研究所客員教授 2010年2月14日付朝日新聞「私の視点」より)

■何より大切なもの/Saturday,13,February,2010

 昨夜遅くに妻がバスでやってきた。その後は車で近くの温泉まで風呂に入りに行った。家の浴室は冬場寒いので嫌われるのだ。週日の仕事が大変で疲れもたまっていたのだろう。ビールを飲んで、話もたいしてしないままに就寝した。金曜日の夜ともなれば、もう眠くて仕方がないという状況は理解できる。ましてやそれから2時間半かけて暖房が満足に効かないバスで来たのだ。

 きょうの午前中の研修に参加するためだった。僕は部屋でパソコンのテレビをつけ、オリンピックの番組を見ながら日記を書いた。カナダの先住民が前面に出た開会式は見応えがあった。それと、国歌オーカナダの斉唱も素晴らしかった。どこかの国とは違って、どのような編曲にもたえられる自由度の大きな旋律だと思った。それはまるでどの民族にも寛容な、包容力のある国柄を象徴しているかのようだった。

 昼過ぎから高速道路で南の町まで行く。さまざまな可能性を勘案して、住環境中心に下調べをすることにしていたのだ。着いてから昼食をとり、いくつかの店を回って話を聞き、いくつかの場所について実際に見学させてもらった。そうすると17時近くになった。どれも一長一短はある。まだ何も決まっていないので、何も決められないということもある。本来生活とは楽しいものである。その楽しみをどう作り出すかを考えることもまた楽しみで夢のあることである。しかし、いざ決定してから行動に移せるだけの期間が短くて大変そうだ。

 高速道路を降り、とある焼肉屋で夕食をとる。ビビンバと石焼ビビンバがあったのだが、ビビンバのほうを注文した。僕はどちらもそれほどの差がないと思っていたのだが実は大違いであり、石焼ビビンバのほうがずっとおいしいのだそうである。ということを食べてから聞いた。写真付きのメニューも見たはずだったが。今度はメニューをもっとしかと見て確認してから注文しよう。

 その後はとある温泉郷に行ったが、日帰り入浴の時間を過ぎているところが多かった。それであれこれ逡巡して最後にようやく辿り着いた温泉旅館には、大きな団体が入っていた。宴会場から非常識ともとれる異様な叫び声などが聞こえてきて落ち着かなかった。それで、普段は1時間くらいかけるところを30分もしないうちに出てきてしまった。値段も安くお湯も悪くなかったが、あの団体がいたのは残念だった。

 そこから家までは夜道ということもありあっという間だった。部屋に入り、さあこれからビールという段になって、洗面用具を風呂場に忘れてきたことに気づいた。それで旅館に電話をし、さっき来た道をまた逆に戻り、宿まで車を走らせ、また家に帰ってきた。所要時間は約1時間。それでも食事が早かったのでまだ21時半過ぎだった。よかった、夜はまだまだこれからだと思っていたが、ビールを飲んだらもう眠気を催したので早くも就寝となる。ひとりの日には一切飲まないが、こういう夜にはビールを飲む癖がついた。これはあまりよろしくないことではないか。次は控えたいと思う。

 食事も睡眠もビールも温泉もとってもとっても大事なことである。南の町までの往復も、温泉までの2度の往復もどうということはないし、それで体力やエネルギーを使い果たすなどということはない。むしろこの日のために力を蓄えてきた者にとっては、それを放出する機会こそが何より大切で、それがないことがどれだけ生きる力を削ぐかということである。しかし、週日の疲れが週末に出る人にとっては睡眠こそが何より肝要なのである。この相違には愕然とする。

●きょうの言葉/ネット配信で、読書人口が2倍、3倍に増えるかもしれない。大出版社の本も中小企業の本も、有名作家も無名作家も、ネット上なら同列に扱われる。ネットのような開かれた世界で、不特定多数による共同読書みたいなことも始まる。いろんな本に対して、いろんな人がいろんな意見を戦わせる場が自由につくられ、読書が活性化していき、創作意欲もどんどん増えていくんじゃないでしょうか。読書の可能性を広げる面があることを、『電子化=損』と考える人にも理解してもらうことも必要でしょう。(長尾真 国立国会図書館長 2010年2月13日付朝日新聞インタビュー「日本文化のデジタル化」より)

■危機こそ好機/Friday,12,February,2010

 今週前半に起きたいくつかの件の事後処理と、来週前半に必要な書類の準備を行った一日。この土日には仕事に出る必要がないので、その分しっかりと区切りを付けようという気持ちが強かった。この業界では土日二日間まるまる休めることはひじょうに稀である。休日にまで仕事をしなければならないこと(しかも休日出勤は基本的に無給)が当たり前のこの業界では、ずいぶん前から多忙化解消が大きな課題となっている。大変な状況があるのは感じているにもかかわらず、これまではお互いに騙し騙しやってきた。しかし、このごろではそれが立ち行かなくなってきた。休んで気分一新する時間を取れない僕らの仲間たちのなかには、身体的精神的に追い込まれて障害が発生する例が後を絶たない。ただでさえ仕事量が増加しているのに人員は増えない。そこに欠勤が重なると他の人にも負担がかかる。こうして職場全体が疲弊していく。

 主な原因ははっきりしているのである! だがそこに本気でメスを入れようとする者はいない。現場では苦労してきた人たちも、偉くなった途端に忘れてしまうらしい。管理職は無理せず休めと言うけれど、元気な人は休もうにも休めない。何十年経ってもまったく改善されておらず、今後改善される見込みもない。実に絶望的な状況。それでも社会は僕らにがんばれと言い続ける。

 そうはいっても、僕らだって人間だ。できることはがんばるが、できないことまでがんばろうとは思わない。限界を拡げようといつも考えているが、限界に潰されるようなことからは回避することも忘れない。クライアントの願いに応えようと努力するけれど、理不尽な要請には断固として従わない。ときには、はいと笑顔で返事して後ろで舌を出すこともある。そうやって、強かに生きていこうとしなければ続けられない。こんな状況にも喜びはあるし、励まし合える人がいるし、変わるチャンスはどこかにある。危機こそ好機。まったくもって捨てたものではないのである。

●きょうの言葉/マクドナルドに来たとき、既存店売上高が7年連続マイナスでどん底。アップルの社長になったときも経営は厳しい状況だった。そういうときは失うものが何もない。成功しかない。当時よく社員にいったのは、何もしないで失敗したら敗北者だが、何かやって失敗しても敗北者ではないと。だからチャレンジしろと。部下を評価するときの態度で社員の行動が変わる。100個売ろうと企画したとき、普通は110個の方をほめるけど、私は90個の方。そうしないと、本当は100個売れるのに90個しか売れないようなコンサバな企画しか出さなくなる。チャレンジしてここまでしか売れなかったという姿勢の方を評価しないと、誰もチャレンジしなくなる。あと10個をどうやって売るかという議論のほうがよほどいい。評価の仕方、ほめ方ひとつで会社の文化は全部変わる。(原田泳幸 日本マクドナルド代表取締役会長兼社長兼CEO 2010年2月12日付朝日新聞「岡田監督対談第5回」より)

▼詞花集21 人を愛する資格はね(おぞねとしこ)

■10年間のご愛顧ありがとうございました/Thursday,11,February,2010

 一日中家で仕事の文書を作成していた。途中で昼ご飯を食べにと思い外に出たが、木曜だからか祝日だからか休みの店が多かった。それで、近所をぐるっと一周してデパートの地下で弁当を買って帰ってきた。

 夕方から雪が降り出して、町がみるみる白くなった。三時間おきに鳴る温風ヒーターの音をきょうは4回くらい聞いた。文書が完成したのは19時を回っていた。ずいぶんのんびりしていた。

 自分のための休日が聞いて呆れる。しかしこれもいたしかたない。これでもきょうは、いつもは行かざるを得ない職場に行かずに済んだのだ。そして自宅で仕事の遅れを取り返したのだからよしとしようではないか。

 ところで、なんでも10年続ければモノになるというのは誰のことばだったか。きょうでこのサイトを公開してからまる10年だ。いったいモノになるってどういうことだろう。少しは文章が上達したろうか。果たして僕の表現の力は向上したのか甚だ疑問だ。仕事のことを言えば、もはや10年の2倍と少しの時間が過ぎたが、自分ではまったく進歩が感じられない。むしろ年々後退していくように感じられてしまうほどなのだ。「ど根性ガエル」の町田先生は「教師生活25年…」と言って泣いていたが、とてもそんなベテランの域の足下にも及ばない。

 ヒーターがまたピーピー鳴った。今度は灯油切れだった。給油しようと思ったらタンクが空だったので、車の雪を払ってスタンドに買いに行った。序でに電気屋やスーパーマーケットで少し買い物をしてきた。

 町田先生の「教師生活25年」の後にはどんなことばが続いたのだったか。「お前たちのような情けない生徒を受け持ったのは初めてだ!!」というようなところか。たしかにそういう思いを毎日しているな。

 もちろん何かを成そうと思ったら短い時間ではできない。しかし、長くやっていればそれだけで自然といいものができるかというとそんなことはけしてない。町田先生は漫画の登場人物だから、いつも泣きながら嘆いていればそれでいい。白髪のいいおやじが涙ながらに騒ぎ立てる。とにかく彼は毎週あれを言うためだけに現れ、そしてぱっといなくなる、実に単純な深みのないキャラだ。それに引き換え現実の途方もない複雑さよ。日々己を新たにし、絶えず成長が求められ、しかも常に若々しくあらねばならぬ。

 町田先生のことを考えていたらなんだか可笑しくなった。仕事ばかりの休日も、今度の土日を充実させるためと思えば気分は楽しい。昨日の怒りなどどこへやら去った、拳はまだ痛むけれど。

 こんなふうにしてきょうも生きていられるなんて、ほんとうに感謝しなければならない。

 何はともあれ、これまで10年間のご愛顧ありがとうございました。明日からもできる範囲で書いていきますので、皆様今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

●きょうの言葉/自分がどう思うかより、他人が読んでどう感じるかを意識してごらん。使いなれたことばの裏には、違うことばが隠れている。そこから詩が生まれるかもしれない。当たり前と思っていることのなかにも感動すべきことがたくさんある。自分の住む世界に、常に驚きを感じて生きていれば、ことばは自然とついてくるよ。(谷川俊太郎 詩人 2010年2月11日付朝日新聞「オーサー・ビジット」より)

■激しい怒りもやがて消え、きょうもめばえる感謝の心/Wednesday,10,February,2010

 最近の2年間でもっとも激しい怒りを覚えた。近くの椅子を思い切り蹴飛ばし、目の前に積み上げられた机の、脚のところを力任せに殴った。言葉も見つからないほど激高し、涙もこぼれそうなくらいだった。いま右の拳が赤く腫れている。キーを打つ時に少し痛む。失敗した。ほんとうにどうしようもない。

 きょうはまた別の方から、よく耐えられるね、よく休まないでいられるねと言われた。そんなふうにいわれるのも情けないが。何日か前に書いたように、仕事だと思えばまだまだ我慢がきくし、休むなんてことは考えなくても、家に帰れば気持ちを切り替えることは簡単だ。

 それ以外にも方々でさまざまなことが発生し、皆の帰りが遅くなった。僕も余計な電話をいくつもかけなくてはならなくなり、見込んでいた時間にはとても帰れなかった。明日は休み。休日前にはだいたいこういうことになる。本意ではないが、家に仕事を持ってきた。明日中にどうしても終わらせねばならないことがあるので。

 ところで、明日はサイト開設からまる10年の、自分にとって記念すべき日だ。しかもなぜか日本中が祝日なのだ。そこで、特別企画というわけでもないが、サイトマップへのリンクを付けることにしよう、期間限定で。たまに付けるくらいがちょうどよい。

 仕事に関しては苦労する星の下に生まれたらしいが、サイトを始めてからの10年間には、いままでにはなかったいいこともたくさんあった。例えば、素晴らしい国に住むことができたとか、素晴らしい人に巡り会うことができたとか。それらは心から感謝すべき事実なのである。

●きょうの言葉/30、40歳のころを思い出すと、ほんとうにそういう恥ずかしいことをしてたなって顔赤くなる。そのぐらい若いときはうんと疑問を持たないとダメだ。はてな、はてなと。人の言うことをそのまま「んだな」と簡単に受け止めないで。経験がないんだから「そういうけどおかしくねか」とか「こういう見方もあるのじゃないか」とか。そういう疑問を発する能力が判断力を磨いていくわけだ。あらゆることは疑ってかかればいいの。疑っておかしければとことん突き詰めていけばいい。真理・真実は他人からはもらえない。自分で歩きながら見つけたものだけがその人にとっての真実であり、真理。紙に書かれた物なんて、すべて参考材料よ。(むのたけじ ジャーナリスト 2010年2月10日付朝日新聞「再思三考 むのたけじ95歳の伝言」より)

▼詞花集20 約束(高階杞一)

■サイト運営の悩みとおもしろさ/Tuesday,9,February,2010

 きのうに引き続き面倒なことが多々あった。長い会議があった。今週はなんだか長く感じる。まだ火曜? という感じである。しかし、本来やるべきことは遅々として進まず、少々焦りを感じてきた。会議ではワードとエクセルの話が出た。ワードから離れてエクセルに移行するのはどうやら時代の要請らしい。

 さて、僕にとって2月11日は自分のサイトを立ち上げた記念日であり、それ以上でもそれ以下の日でもない。国がどういう所以で国民の祝日と定めているかに関係なく、僕は僕のための祝日としてこの日を過ごすことにしている。その記念日に向けてというわけではないが、この一月ほどネット関係の新たな試みに心を傾けることとなった。きのうは、日記の題名のためだろうか。急激にアクセス数が増えた。わざわざ来てくださった方々にはほんとうに感謝します。よろしかったらまたいらしてください。

 せっかく発表しているので多くの人に読んでほしい気持ちはもちろんある。だが、あまり多くなるとある種のリスクも当然増える。もちろん個人情報への配慮はできるかぎり施しているし、(どうでもいいことが多いにしても)公共性に反することは書いていないと自負している。それに、サイトの運営によってその意識を少しずつ強くしてきたともいえる。それならもっとアクセス増をめざしてもいいのではないかと、今は考えているところである。これまでのように2、3人の固定客しかいない店に果たして存続の意味があるのか?

 心配なのは、過去の記述の中に配慮のない部分があるかもしれないという点である。この10年の過程で、状況も変わっているし、意識も変わっている。自分の中の基準がブレていることは想像に難くない。だから、堂々と公開することに対しては躊躇してしまうのである。

 おそらくサイトを運営する人たちの多くが、同じようなことを考えるのではないだろうか。それを実践しながら体験できることもなかなかおもしろいと思うのである。

●きょうの言葉/いま建築デザインは何でもありになっていますが、造る土地の文化と対峙していかなければならない。場所の歴史や施主の意向、それに大事なのは社会の無意識の願望のようなものをどう生かすか。まず空間を考えて、その中にどう入っていくかを考える。内側から外側に広がっていく思考形式です。非常に感じたのは、背後にある思想やスタイルと同時に、物質としての建築の強さ。やはり建築は最後は物質に帰ると思いました。(槇文彦 建築家 2010年2月9日付朝日新聞文化欄「ことば」より) 

▼詞花集19 表札(石垣りん)

■サイトをブログにしない理由/Monday,8,February,2010

 寒さが和らぎ、朝のうちは穏やかだった。懸案だったことも早々に解決して、順調な一週間のスタートが切れたと思っていた。ところが、昼前にストーブが故障してしまい、騒ぎになった。部屋は煙だらけで異臭がいつまでも消えなかった。そして修理には時間がかかる模様。明日からどうするんだ。ほんとうに頭にくるというか、頭が痛くなるというか。こんなようなことは日常茶飯事ではあるけれど。

 ところでツイッターはまだよくわからない。誰かが寄せたコメントにどうやって返信すればいいのか。こうやってそれぞれつぶやきあっているだけで、何か生産的なことがあるのだろうか。と、良さを実感するまでには至らず。たぶんコミュニケーションこそがツイッターの真髄なのだろうから、ぜひともそれを感じたいものだ。

 僕がこのサイトをブログ形式にしないのは、書いたことを種に知らない人とコミュニケーションすることを想定していないからである。書きっぱなしといえばその通りだが、ねらっているのは僕自身の考える訓練で、書くことによって次に進もう、自分を新しく成長させていこうという気持ちなのである。広く人々の目に触れる環境に身を置くことで緊張感が生まれる。そこに自分の文章を晒すことで思考が磨かれていく。そしてその思考を実生活上で行動に反映させていけたら素敵だ。そんなことをめざして続けている。思うようにならない現実問題と格闘しながら日々を生きているのである。その上ネットでもああだこうだ言われたら、ここまで続けてはこられなかっただろう。だから僕は書いたことについて見ず知らずの人の意見を聞くつもりはないし、批判など寄せられてもどうしようもない。そもそもブログやツイッターとは動機が別だという気がしている。11日でサイト開始からまる10年になる。この間いろいろなことが実現できたのは偶然ではないと思う。

 ツイッターの話に戻るが、まだまだ実験を重ねる必要があることと、サイトと併用すればもっと有効に使えそうだということを感じている。ひとつ、オノ・ヨーコさんがフォローしてくれていたのには驚いた。有名人の方々のところには夥しいコメントが寄せられるのだろう。それらをいちいち読むわけにもいかないだろう。しかし、有名であるがゆえ影響力も強いわけで、発信源としての意義は大きいかもしれない。現にフォローされたというだけで一般市民の心はこんなにもときめいてしまうのである。当然のことながら、オノ・ヨーコさんの言葉は英語である。英語の勉強のつもりで辞書片手に読もう。

●きょうの言葉/集団の和を重んじ、見られる自分を強く意識する社会にあっては、相手の視線や言葉の裏に隠された感情まで読み取って心配りのできる人が、高く評価されてきました。その繊細な感性ゆえに、日本独自の文化や芸術を生み出すことができたわけですが、一方で、人目を気にしすぎたり、主体性や自主性が育ちにくいという問題も生じてしまった。(加賀乙彦 小説家・精神科医 集英社新書「不幸な国の幸福論」より) 

▼詞花集18 いま始まる新しいいま(川崎洋)

■テレビデイと初めてのツイッター/Sunday,7,Febryary,2010

 8時に目覚めた。少々寝過ぎた。その分疲れも取れたろう。洗濯をし、部屋を片付けた。掃除機はかけなかった。新聞などの紙類を整理した。テレビを見ないといいながら、日曜日の朝には仕事がなければ関口宏の番組を見る。ラジオや新聞やネットでは伝わらない一週間というものがある。週刊こどもニュースではないけれど、「世の中まとめて一週間」のパックを吸収する必要はある。平日の少々のぼせた夜の脳みそではとうていつかみきれない日々の出来事の細かな断片を、一掬いにして目の前に見る機会をもちたい。それは新聞のまとめ読みでも構わないわけだが、1、2時間のテレビ番組を視聴するのが実は最も手っ取り早い。というわけで、この「サンデーモーニング」が、目下のところ民放で唯一視聴する番組ということになる。

 きょうは朝飯も昼飯も食べなかった。ラジオを聴きながら、コーヒーを飲んだり昨日もらってきたおちゃもちを食べたりしつつパソコンをいじって、気がつくと15時を回っていた。それから車を出して、産直などを回ってきた。駐車場に停めた車を後ろから見たら、後部の鉄板が10センチくらいへこんでいるのを発見した。思えば昨夜、車を後ろ向きで停める際に壁にがつんとぶつけてしまったのだった。その時はたいしたことはあるまいと呑気に考えていたが、意外と大きく変形したその箇所を見たら気持ちが少々落ち込んだ。だがやってしまったものは仕方ない。

 散歩に行こうかとも思ったが、寒いのでやめにした。そして、20時からは「龍馬伝」を見た。福山雅治がどういう人間かはよく知らないがいい演技をする。岩崎弥太郎役の香川照之ももっと見たい。そして何より演出の大友啓史氏は素晴らしい仕事をされていて大いに励まされる。実にカッチョいいよね。おもしろいので今後も続けて見ることになるだろう。というわけで、この大河ドラマが目下のところNHKで唯一視聴する番組ということになる。昨日は人々にテレビを見ない生活を勧めておきながら、なんだきょうはテレビを3時間も見ているではないか。このいい加減さよ。日曜日はテレビデイということで許しを請いたい。ごめんちゃい。

 ところで、ツイッターを始めました。宇宙飛行士の野口さんや松尾堂のキッチュのつぶやきなども出て来るようになった。僕のつぶやきも野口さんや松尾さんが読んでくれているのだろうか。実名で登録して意匠はこちらと共通性を持たせましたが、まだよくわからないのでこちらとの関連づけは当面しないことにします。

●きょうの言葉/高度経済成長の途中で、日本では年齢を超えた子供同士の縦の関係が消えた。彼らは学年に押し込められ、塾に縛られ、学力だけで評価されるようになった。他者とのつきあいのトレーニングを経ないまま思春期に追い込まれる子供たちは、どうやって社会性を得るのだろう? 生きた友だちの代わりに彼らが得たのはアイドルであり、漫画やゲームのキャラクターだ。そちらの世界では事象はきわめて単純な原理で運営され、人間はいくつかの明快な要素に還元されている。わかりやすいが人間以前。血液型、星座、前世、幼児体験のトラウマ……人間を単純化して説明するものはすべてキャラである。そして、すべての元にある闘争と探求の原理。この二つは生物全般において大事なものではあるが、しかしそれが全部ではなかったはずだ。迷いや成熟など、思春期に大事な原理は失われてしまった。早い話が愛がない。キャラの世界は無時間である。彼らは進化しても成長はしない。キャラを引用しての自己説明の習慣を捨ててみよう。ぼくってこんな人……から脱却しよう。(池澤夏樹 作家 2010年2月7日付朝日新聞文化欄「終わりと始まり」より)

■お勧め。テレビを見ない生活/Saturday,6,February,2010

 朝の時間で日記を書いた。新聞から引っかかった言葉を抜き出すという試みは思っていた以上におもしろい。自分自身に取り込んでいく感覚が、ただ読んで終わるよりは確かに得られるようでうれしい。間接的であるにせよ、こんなにもたくさんの人々の存在が自分を支えてくれているのだと感慨深い。そして、その後に自分のことを書こうとすると、自分はほんにちっぽけな存在で毎日の生活も単純なことの繰り返しに過ぎないことがよくわかる。そんなことにたいして時間もかける必要などないからちょちょいと書ける。「きょうの言葉」を書き抜いた時点で7〜8割終了という感じだ。

 詞花集については、ずいぶん安易な動機で始めた。3月の区切りまで、週日は毎日一編の詩を探して紹介していくことにしている。僕の実感や願いに結びつくような詩が40数編あればよい。これまでも同じようなことを別の場所でやってきた。だから、ストックはたくさんあるし、わけないことと高をくくっていたのである。ところが、これはそんなに簡単ではないぞと今になって焦っている。

 たしかに数を挙げるだけならどうということはない。自分の本だけでなく、図書館だって利用できる。好きな詩だっていくつもあるから、ページをぱらぱらとめくればすぐに見つかるさ。しかし、今になって自分の「ストック」の頼りなさに向き合っている。対象を限らず万人向けに見繕うのとは違い、今回はある世代、ある状況下の人々に限定した言葉の花束を贈ろうというのである。そうすると、どのアンソロジーでも似たようなものばかりなので数が少ない。しかも、その日その時の実感や願いを詩を通して伝えようとするとどれもしっくり来ない。つまり、もうありきたりの既成品では間に合わないということだ。

 ではどうするか。もっといい店を開拓するか、自分で作るかしかない。要するに、学べということだ。

 遅めの朝食をたっぷりとって、11時前に仕事に出かけた。きょうも寒くて日中も氷点下5度の予想だった。あまりに寒いので、走り回って汗をかいた。帰ると15時を回っていた。ボーッとしてぼやき川柳アワーを聞いていると外が暗くなった。氷点下8度の雪中車を走らせて実家に行く。温泉と冷麺のコースを辿り、22時過ぎに帰宅した。

 ちょっとの息抜きも必要だ。仕事もたまっているし、遊びもしたい。何より学ぶための時間がとにかく欲しい。だが、それらを全部叶えようとしてもできるわけがない。自分だけではない。誰もがそうなのだ。だとしたら時間を作り出すより他に道はない。嘆かわしい現実ではあるけれど、それも見方によっては楽しみにできそうな気がする。現に、これでもこのごろはなかなか楽しい。たぶん、テレビを見ない生活が確立している成果であろう。お勧めである。

●きょうの言葉/都会育ちで、地方に根ざす技術や美にあこがれてもいました。建築の際は、その土地の故事来歴や地形を大事にすべきです。僕は設計の前は建築予定地を歩き回って、その土地の『地霊』を感じ、その声に耳を澄ませる。ここにこの木が植わっているんだったら、建物の高さはこれぐらいだなとか、あの素材は使ってはいけないなとか。建物が環境になじむよう、『地霊』が色々と教えてくれる。そもそも日本の土地は木造中心だった。木造建築のスケールの小ささや地面との近さ、触感の柔らかさなどが、環境になじんでいた。周囲に対するやさしさが日本の街作りの良さだったのに、20世紀に見失われた。大都市も地方も自らの置かれた現実にもっと開き直ったらいい。土地の個性を生かすことです。日本の繊細さを生かし、日本人にしかできない、自然に寄り添う渋い道を行くべきでしょう。(隈研吾 建築家 2010年2月6日付朝日新聞インタビュー「土地に根ざす建築」より)

■やさしい嘘――Depuis qu'Otar est parti…/Friday,5,February,2010

 昨日からきょうにかけて様々な電話があった。それに目の前でもあまりにばかなことばかり起きるので、喜んだり悲しんだり、落ち込んだり憤ったりと精神的にせわしかった。感情が誰かに弄ばれてでもいるかのように、くるくると変化するから大いに疲れた。そんな中、逃げずによくやってきたねという言葉をかけてくれた方がいて、それはそれでありがたく受け止めたのであった。確かに逃げることはなかったし、最後まで逃げることはないだろう。だがそれは自分の資質ではなく、業務遂行に対する義務感と職業人としての責任に他ならない。誰が何をどう評価しようが仕事としてすべきことは決まっており、それを日々こなすのみである。

 感情の起伏のちょっとした合間に、わずかにほっと息つくこともある。充実した日もたまにはある。だがそれで、この仕事に就いてよかったなどと感動するほど、もう僕は素直ではなくなっている。

 この職にあることの利点は、ほんの少しだけこの国の未来の姿が垣間見えるということだろうか。でも僕の目に映る未来は混沌としており、ひじょうに暗澹たるものがある。そして、年々その度合いは色濃くなってゆく。

 逃げるというと聞こえは悪いが、そんな暗い将来からの回避を考えることは大切だと思う。見方を変えれば僕は困難から逃げてばかりだといえるかもしれない。しかし、もっとも抵抗のない位置で困難に立ち向かえるならば、それがいちばん楽ではないか、まるで風見鶏のように。生き方としてひとつの理想だろう。

 帰宅してから、「やさしい嘘」という邦題がついた映画を観た。フランスとベルギーの合作だが、内容はグルジアの家族の物語だった。主人公エカおばあちゃんの孫娘エダが最後に取った行動、強かで勇敢な意志をみた。

●きょうの言葉/ハワード・ジンはいわゆる歴史家ではなかった。彼は歴史についての考え方を変えた人だった。第2次大戦は米国にとって、ファシズムを打ち倒す「よい戦争」だった。だが、膨大な軍事費を使い、破壊力を増す一方の戦争技術は、どんな戦争目的も雲散霧消させてしまう。「もはや私達は『正義の戦争』を起こすことがおそらく不可能であるような人間の歴史の時点に達したのではないか」と彼は考えた。そうである以上、われわれは知恵を振り絞って、戦争や暴力以外の方法で紛争や対立を解決することを考えなければならない。政府が「正義」や「名誉」や「国益」を振りかざし、教育や福祉や医療の予算を削って強大な軍事国家をめざそうとするときは、その背後にある権力者や特権階層のたくらみを暴き、反対しなければならない――。彼の「民衆のアメリカ史」は米国の独立革命や奴隷廃止やニューディール政策を、冒険家や歴代大統領の偉業としてではなく、普通の人々がこうむった虐殺や追放、先駆的な努力や戦いの「動き」として描ききった。ここには、普通の人間が歴史を作る、人が動けば歴史は変わる、という確信がある。彼のその信念は、現代の米国のアフガン・イラク戦争批判まで揺らぐことはなかった。(吉岡忍 作家 2010年2月5日付朝日新聞文化欄「ハワード・ジン氏を悼む」より)

▼詞花集17 便所掃除(濱口國雄)

■立春は” the first day of spring "/Thursday,4,February,2010

 暦の上では今日から春だが、やはり名のみである。「早春賦」の「春は名のみ」の後が思い出せなかった。しかも、歌詞のみならず旋律もまったく浮かばなかった。要するに僕はこの歌自体をよく知らないのだろう。ちなみに、「ナノミ」が「名のみ」だとわかったのはずいぶん最近のことだ。

 それにしても寒い朝だった。最低気温は今季最低らしい。こういう朝に外で30分も立っていなければならなかった。前回こうして立った日も今季最低の朝だった。ただこういう気温の下がった日はきれいに晴れ上がり、かえって爽やかな散歩日和だったりする。寒いのは確かにたいへんだが、寒い中でしか味わえない美しさがあるというのもほんとうであり、それは素敵なことである。寒くない土地の人にはわからないかもしれないが。

●きょうの言葉/インドネシアとの経済連携協定(EPA)にもとづき、日本語研修を終えたインドネシア人介護士候補者の第1陣が日本各地の高齢者介護施設に着任してから1年が過ぎた。インドネシア人は日本人以上に、他人の言動の背後にある気持ちや意図を察する文化を持つ。候補者たちを見ていると、日本語の未熟さを、認知症のお年寄りの身ぶりや表情などの非言語的なメッセージをつかむことで補い、良いケアを提供できていると思う。(北村育子 日本福祉大学教授 2010年2月4日付朝日新聞「私の視点」より)

▼詞花集16 春の問題(辻征夫)

■節分と" the day before the biginning of spring "/Wednesday,3,February,2010 

 朝目覚めて携帯電話の画面を見たら、長い英文らしきものが出ていた。節分の英訳らしいが、英語にするとなんとも味気ない言葉になってしまうものだと感じた。春の始まりの前の日。それはそうだろうけれど。

 ところで、節分と言えば、「恵方巻」という海苔巻寿司が、コンビニの店頭でうるさいくらいに宣伝されていた。僕の地方にはそのようなものを食べる習慣はない。それが何年か前に突然出てきて、今ではあたかも伝統食のような顔をして売られているのである。不思議で、少し気味悪い現象だと感じている。食べる気持ちにまったくなれないのだが、どれどれ買ってみるかという人が増えれば、業界の思惑が当たったことになる。それが何年か続けばもうこれは立派な伝統、ということになってしまうのか。もしそうなったら不愉快だなと、思ってしまうのである。

●きょうの言葉/人と人が結び合うために必要なことは「自主じりつ」。自ら立つのと、自ら律する。自分で自分をコントロールして、自分の手で鎖を解きほどかなくちゃ。そのために、問題があったらとことん考える。これが難しい。考える時間を、テレビなどで紛らわしてしまう。もしくは、ある程度まで考えると分かったフリをする。そういうことを繰り返してきた。そこを断ち切らないと。(むのたけじ ジャーナリスト 2010年2月3日付朝日新聞「再思三考 むのたけじ95歳の伝言」より)

▼詞花集15 ほんのすこしの言葉で(丸山薫)

■保健指導と光の春/Tuesday,2,February,2010 

 きのうは保健指導というのを受けるために午後少し職場を抜けて出かけた。40分程度の相談で、これから半年の目標や実行できそうな事柄を確認した。月初めということもあり、よい節目にしたい。

 今月の写真は1月31日に撮影したものだ。おっ!と思った時にシャッターを切るのだが、何度やっても満足いかない時もあれば、一回で気が済む時もある。この写真の場合は、高速道路に乗る手前で気になったので、一旦戻って一枚だけ撮影した。何となく光の春らしいと思って採用した。

●今日の言葉/人と比べなくてもいい。歌手を辞めなくてもいいんだ。できることから始めていけばやり直せる。そう思ったら肩の力が抜けました。体は老いていっても気持ちは永遠の”ヤングマン”でいたい。そのためには好奇心を持ち続けることが大切。そのことも病気になって気づいた。だから少しだけ病気に感謝しているんです。(西城秀樹 歌手 脳梗塞を克服した人 2010年2月2日付朝日新聞「特集 健康を考える」より)

▼詞花集14 苦しみの日々 哀しみの日々(茨木のり子)

■言語生活とテレビを見ない生活/Monday,1,February,2010

 人の言葉を自分に取り込むことはおもしろい。新聞に目を通すことすらままならない日々、読書などなおさらである。それでも続ける価値はある。朝日を取っているので、これまでと同様に朝日新聞からの引用ばかりになりそうだが、構わずしばらくやってみよう。

 時間の使い方が鍵になる。テレビを見る時間がほとんどなくなったのがいい。どうしても見たいものは見るにしても、週に2時間ほどである。これまで何度も「実験」してきているが、このごろでは積極的にテレビに背を向ける生活を、声を大にして宣伝している。耳を傾けてくれるのはこんな単純なフレーズである。「テレビを見ないことの利点は、テレビを見る時間を他の時間に充てることができるという点です」

●きょうの言葉/環境問題は単に野生動物の絶滅や汚染というだけの問題ではありません。たとえば、原油流出の事故はタンカー会社の責任だけではなく、それを使っている私たちすべての問題であり、人間の生き方の問題でもあるのです。私の17年間は、人間の精神と自然環境がどのように影響し合うのかを自ら体験した「巡礼の旅」だったと言えます。(ジョン・フランシス 「プラネットウォーカー」著者 環境活動家 17年間黙って歩いた人 2010年2月1日付朝日新聞GLOBE「著者の周辺」より)

▼詞花集13 種子について――「時」の海を泳ぐ稚魚のようにすらりとした柿の種(吉野弘)


Since 2000,2,11 Copyright(C) 2000-2010 Yu,All Rights Reserved.