2010年3月               

■最終日/Wednesday,31,March,2010

 緊張感のある年度末最終日だった。午前は書類作りに終始した。とりあえずはここ2年みたことのない資料をつくった。コンピュータの扱いの練習という意味合いも実は大きい。これをどのように提示できるか考えたい。

 昼には外にご飯を食べに行った。この時期は食べ過ぎてしまう。それに荷物を運ぶために通勤で車を使うから運動不足にもなる。年度の変わり目を機に、食と運動の習慣を変えていきたいと思っている。

 午後からにわかにばたばたとし始めて、僕も出張に出たりした。案の定、積み残しの仕事は積み残されることが決定し、必要な機関に行って書類をもらったり、諸機関に電話で連絡をとったりした。確定するところは確定し、未定のところは未定のまま、これもとりあえず落ち着くということになった。

 きょうを最後に職場を去る人たちに別れを告げる。ひとり減りまたひとり減り。寂しさを感じつつも、夜明け前のように希望に包まれた暗闇である。ここまでくるともうすべてのひとの意識は前に向いている。

●きょうの言葉/私がすべてのビジネスパーソンに勧めるのは、「将来独立することを目標において、日々の仕事をする」ということだ。独立を目標にすれば貪欲に物事を習い、吸収していくので、成長が早い。独立か残留か、将来自分の意思で選べるように、自分の限界を絶えず伸ばしていくことが大切なのだ。会社の外でも通用する普遍的な価値を身につけ、組織の枠に左右されない体質になることが求められている。そのためには、まずは「今いる会社」という枠に徹底的にはまってみることだ。理不尽に対する抵抗力や、マニュアルでは教えられない「現場感覚」を磨くことができる。理不尽や逆風に耐える力は、仕事や人生を成功させるため不可欠なのだ。その上で、与えられた条件下で結果を出し続ける工夫をすることだ。「残業をせず、仕事の効率を上げて対処しろ」「すべての仕事にデッドラインを設けよ」「仕事に役立つアイデアを他から徹底的にパクれ」というアドバイスも、結果を出すための具体的なノウハウに他ならない。結果を出し続けるには当然、気力と体力が必要になる。それを養うのに最も大切なのは睡眠だ。私はどんなに忙しくても、8時間睡眠を続けてきた。心身の不調を感じている人には、無理な残業で仕事を片付ける前に、まずは十分な睡眠とスタミナがつく食事を勧めたい。それが生き延びるための野蛮さを取り戻す第一歩だ。(吉越浩一郎 元トリンプ・インターナショナル・ジャパン社長 2010年3月31日付朝日新聞オピニオン欄「私の視点」より)

■新年度へ/Tuesday,30,March,2010

 休む間もなく新しい年度が始まってしまう。何をしたのかわからぬままに19時くらいになる。今夜は買い物をしながら帰った。百円ショップで書類用のプラスティックトレイを買おうと思った。だが、菓子箱で代用できると思ったらばかくさくなって店を出た。もう必要以上にプラスティック製品は増やさない。

 宅配便が届く予定だったが、不在だったから不在連絡票が郵便受けに入っていた。何度も足を運ばせるのは申し訳ない。大きな無駄になってはいないか。

●きょうの言葉/(日本は)ミドルパワーであり続けると考えますが地位は下がるでしょう。国際的な地位が下がれば国内社会に心理的な問題が生じるのが歴史の常で、第2次大戦後の英国がそうでした。日本も向き合わなければなりません。日本は優れた技術を膨大に持っており高齢化社会でどう相対的に活気を保つかの道筋を示すことになるかもしれません。(マシュー・バローズ 米国家情報評議会(NIC)顧問 2010年3月30日付朝日新聞オピニオン欄「新世界 国々の興亡1」より)

■大掃除/Monday,29,March,2010

 職場の配置換えと大掃除の日。午前いっぱいかかって机を入れ替えたり、戸棚の整理などをしたりする。出張などで手薄ではあったが、効率よく進んだ。音頭をとる人が全体を見ていると、できそうもないくらいの大きなパワーが引き出されるものである。

●きょうの言葉/3世代同居というのは、人類始まって間もなくからあったのよ。なぜ長く続いてきたのかというと、役割分担がしっかりしていたから。財産と技術は父から子に伝える。生き方とか知恵とかは祖父から孫へ、というように。家長は、だいたい60歳くらいになると、家督を子供に譲った。譲られた親は忙しく働いている。時間に余裕のできた元家長は、囲炉裏端で孫に語るの。ゆっくりした生活の中で、世の中のことや人間のこと、物の見方を伝えていく。一番大事な知恵をね、自然に伝わるように。有名な童話の多くは、作者が50、60歳代のときに、自分の孫に語って聞かせる遺言状のように書いたものなんだ。(むのだけじ ジャーナリスト 2010年3月29日付朝日新聞「再思三考 むのたけじ95歳の伝言」より)

■ラジオ体操の朝/Sunday,28,March,2010

 寒さで目覚めたにもかかわらず、起きると散歩したくなり、6時半前に家を出た。この朝の気温は氷点下9度を下回っていたそうで、空は青く、かえって清々しく感じた。公園の芝生のあたりに、総勢30人くらいだろうか。人が集まっている。集合というよりも、それぞれ間隔をあけて立っている。やがて、誰かのラジオから、ラジオ体操の音楽が大音量で聞こえてきた。毎朝ここで体操している人がいるのか。僕は少し高台の、梅の花がほころびかけているあたりで、身体を動かした。体操が終わると、皆散り散りに帰っていった。僕は梅の花を撮ろうと思って、あれこれやってみるが、なかなかうまくいかなかった。

 昼になると案の定、少し眠くなった。ラジオも耳に入らない。もちろん活字も目に入らない。それで、しばらく横になって休んだ。

 コンピュータを買った方がよさそうだ。純粋に、仕事専用。僕らの職場では配布されるなどということはなくて、すべて自前で揃えなければならない。1年半くらい前に買った安いパソコンは、値段にしては十分な働きで、ほとんど不満はないのだ。しかし、ただ一点、どうしてもプリンタに信号が届かず、直接印刷できないのがひじょうに不便で効率が悪い。専門家に見てもらうが原因は不明。Windowsも新しくなったことだし、負荷のなるべく少ない環境で仕事ができるといい。というわけで、夕方から車で電気屋に行ってみた。

 店員の話では、日本には四つのメーカーしかないように聞こえる。そしてそのうちの三つはどれも同じだという。いわゆる大手のメーカーは量販店と結託してオリジナルモデルと称した製品を大量に出荷している。万人受けはするのかもしれぬが、物足りなさも感じるだろう。それよりは、通信販売で細かく注文した方がいいかもしれない。仕事を抜きにして考えるならば、Macintosh以外にはあり得ないのだが、そうもいかない事情がある。

●きょうの言葉/「ママ、キシダー」。そういって喜ぶ女性たちに次々と抱きつかれると、「元気そうだね」と滑らかなスワヒリ語で応じた。2006年11月、アフリカ・ケニア西部カカメガで、エイズウイルス(HIV)に感染した現地の主婦たちのグループを案内してもらった時のことだ。▽農家の庭に野生種の野菜や薬草を広げ、干し魚を使って、たんぱく質の豊富な料理のつくり方を教えた。深い学識を背景に、貧しさにあえぐアフリカの人々の生活を改善しようと努めていた。▽栄養学の研究のため、1973年にケニアを初めて訪れた。2年後に現地で宝石鉱山を経営していた岸田信高さん(67)と結婚。研究のかたわら、出身地の岩手県遠野市の伝統を持ち込んだ「かまど」を普及した。煮炊きの効率をよくして、薪拾いを担う女性の負担を軽くし、お湯の利用を広めて疫病を減らす狙いがあった。▽85年には孤児支援を目的としたNGO「少年ケニヤの友」(事務局・北海道小樽市)を設立。奨学金や学用品を送り、貧しい家庭の子供たちを支援した。▽「エイズ孤児を減らしたい」という思いから、HIV感染率が特に高い地域での巡回診療も始めた。アフリカ最大のビクトリア湖に浮かぶ漁業の島に拠点をつくり、近くの小島をボートで巡った。この現場には、当時は一議員だった岡田克也外相も訪れた。▽長年の功績には千嘉代子賞(02年)、社会貢献賞(05年、社会貢献支援財団)、読売国際協力賞(07年)などが贈られた。ビクトリア湖畔の町にあった事務所は質素だった。片隅に置いたベッドで、支援者から届いた明治時代の蚊帳を大切に使っていた。▽「支援する孤児たちと会う時の笑顔が忘れられない」。5年間一緒に働いた風間春樹さんは振り返る。「ケニアの人が幸せになれば、それでいいのよ」が口癖だった。(岸田袈裟《孤児・エイズ患者支援》について 2010年3月28日付朝日新聞「惜別」より。望月洋嗣記者による記事を全文掲載) 

■スマートに生きる/Saturday,27,March,2010

 早朝には晴天。焼き魚に味噌汁の朝食。そして、職場へ。机や戸棚の整理整頓を行う。一人でやっていたが、後から一人増え二人増え。結局13時頃までやる。ゴミを抱えながら仕事をするというのが、デフォルトとなっているのは無能である証拠だ。無能な者は去れと声がする。もっとスマートに生きられたらいい。

 もっともスマートな状態は自分を亡くすことだ。恐ろしい考えだが、正しい。そしてそれがもっとも美しい。スマートに生きたい。

●きょうの言葉/人間は欲念を捨てることができんようにできておる。自己の欲望を満足させようとすれば、相手を傷つける場合が多い。食欲ひとつ取ってもそうで、生きるために動植物を食らえば相手を死なせ傷つける。では、救いはないのか。相手を傷つけないで、自己の欲望だけを満たしていく手段、方法として、人間が最後に発見したものが芸術である。芸術は相手に関係なしに、自己の欲望だけを空廻りさせて、そこに満足を見いだす。……人間の欲望を芸術が救ってくれるのじゃ。(加藤唐九郎 陶工 2010年3月27日付朝日新聞土曜版be「磯田道史の この人、その言葉」より)

■うたげ/Friday,26,March,2010

 今年度最終のことが重なる。日中は職場を離れて、転勤する方に付き添った。些末なことから逃げたい気持ちもあり、来週からの自分の立場を思うと、きょうくらいそこから遠くに自分の身を置きたかった。食事や移動の途中で、旅のことなどあれこれ話した。同じような感覚で意思疎通できる方が去られるのは残念だ。早めに帰ってきたが、職場には戻らなかった。2時間ほど部屋で過ごし、夕刻からまた外に出た。

 人との別れが多い時期。最後にして最大のうたげが終わる。自分以外の人々のスピーチが、ものすごく素晴らしいと感じて、我が身の不甲斐なさに落ち込んでしまう。なぜそのようにきめ細かな表現でおもしろいことを言えるのか。そのような能力が全くないことに情けなくなる。ばか騒ぎの中にも入れない。まじめな話も通らない。おそらく僕は一般的な苦労というものを知らない。だから多くの人と相容れない。変な苦労はたくさんしているけれど、それは具体的な仕事に生かされることはない。それを見透かされているに違いない。一言でいうと、特異。うたげの時にはいつも同じ。周囲とのズレを感じる夜。

●きょうの言葉/「ロシアでは新たな詩文化の時代が始まっている。昔は文学サロンで行われていたことが、いまは一瞬。その高速回転の磨き合いの中で詩が洗練されていくスピードも速い。」「詩は自分のためだけに書くのではなく、人びとのためにも創造されるもの。読者がいなければ、詩人はしおれて死んでしまう」(ウェブサイト「スチヒー・ル」創設者 ドミトリー・クラフチュク・サイトに登録した男性 2010年3月26日付朝日新聞世界発2010「ロシア詩の時代再来」より)

■サボり/Thursday,25,March,2010

 もう一週間近くも日記を書かずにいた。こんなのは、サボっていたといってよい。言い訳をするなら、時間の取れない日が多かった。正確には、今週もうたげが二晩あった。しかし、うたげのない日には、書く時間も読む時間もなんとかして作れたはずである。それにも関わらずこうなのだから、やはりサボったのである。

 新聞も読まずにいる。だから、言葉など抜き出すことはできない。抜き出せぬままに気が抜けたのか、あるいは気が抜けたために抜き出せぬのか。とにかく無理に取り繕うことも嫌だからしばらく休むことにしようか。

 新しい出会いというのは、出会った時はよくわからない。第一印象がどうだというほどには、相手を観察していないし、する間もなかったし。だけどこれから大きく変わる。不安もあり、期待もあり。 

●きょうの言葉/以前、友人と「何に恐怖を感じるか」という話題で盛り上がったことがある。私は具体的な事柄をあげることができず、その後もずっと”恐怖”について考えていた。今回、やっと一つ見つけた”恐怖”は「継続」。終わりがあるから全力を投じることができ、断ち切ることができるから失敗も恐れずに進める。「継続」に、過去から未来にずっと続いていくというイメージを持っている私に対して、一つ上の世代にあたる作家の吉田修一さんは「前に進んでいくイメージ」を持っているとおっしゃっていた。(束芋 現代美術家 2010年3月25日付朝日新聞文化欄「私の収穫」より

■夢/Wednesday,24,March,2010

 朝方、夢を見た。切ない夢だった。まだ十代の頃のような、戯けた妄想の中を泳ぐような、寂しさの漂う夢だった。実にわかりやすいといえばわかりやすい。寂しさというのは、年とともに薄まったりするものではない。そして、切なさというのも、いくつになっても抱きしめられないことはないのだ。

 素敵な時空を彷徨う僕がみえる。この窓からは一人しか見えないが、もっと視野を広げてみれば、ずっとそばにいるし、距離など関係なくつながっているのがわかる。

 夜にはうたげ。良い店をいくつか紹介していただいた。飲み過ぎたというより、夜が遅かった。

●「グーグルが存在しない世界」に中国が取り残された場合、それがこれからあとの中国における「知的イノベーション」にどれほどのダメージを与えることになるのか、いまの段階で予測することはむずかしい。だが、この「事件」によって中国経済の「クラッシュ」は私が予想しているより前倒しになる可能性が高くなったと私は思っている。創造的才能を「食い物」にするのは共同体にとって長期的にどれほど致命的な不利益をもたらすことになるかについて、中国政府は評価を誤ったと私は思う。世界は情報を「中枢的に占有する」のでもなく、「非中枢的に私有する」のでもなく、「非中枢的に共有する」モデルに移行しつつある。これは私たちがかつて経験したことのない情報の様態である。そして、これが世界標準になること、つまり私たちの思考がこの情報管理モデルに基づいて作動するようなることは「時間の問題」である。(内田樹  神戸女学院大学教授 ウェブサイト「内田樹の研究室 『グーグルのない世界』」より)

■週明け/Tuesday,23,March,2010

 週明けは仕事をしたくなかったが、えいえいと身体を奮い立たせては力を出した。きのう仕事をしなかったので、その分は進めて取り返した。多くの人が休み中に来て働いたのかと思えばそういうわけでもなかったようで、たいして何も変わってはいなかったのが、ありがたかった。皆さん休む時には休んでいる。ワーカホリックとは誰のことだ。それなら休日にもっと遊んでおけばよかった。

●きょうの言葉/「ある程度の抽象概念を母語で表現できて初めて、次の言葉を習得できる。母語の土台がないと考える力が育たず、どっちの言語も中途半端になるのではないか」「顔つきは日本人と同じなのに、日本語が十分使えず、時に行動の仕方がちがう彼らに日本社会は冷たい。この冷たさがまた、日本について学ぶ意欲をそいでいる。」(日系ブラジル人の日本語を指導した滋賀県内の小学校教諭・法政大学大学院宮島喬教授 2010年3月23日付朝日新聞ルポにっぽん「ダブルリミテッド 漂流 日本語も母語も身につかない子どもたち」より)

■ボーッとした一日/Monday,22,March,2010

 結局暗くなるまで部屋から一歩も出ずの一日だった。ボーッとすることと、寝ること。寝起きに電話があってとんちんかんな受け答え。ネットでいくつもの予約を取った。これで、行程中の宿はすべて確保できたことになる。電車の移動もできそうだ。

 夜になって少し散歩して、買い物してきた。こういうときに書物を読めばいいのにと思うのだが、できなかった。

●きょうの言葉/時間が過ぎれば気持ちが収まるというものではないんですよ。去年より今年、昨日より今日。無実の罪で捕まったつらさは、毎日少しずつ増していくんです。苦しくて、夜、眠れないことが今でもあるんです。どんな判決をもらっても、私の気持ちが晴れることは一生ないと思うんです。でも、なぜ私が捕まらないといけなかったのか、事件の真相を明らかにしてほしい。冤罪に苦しむ人は私で最期にしてほしいんです。(菅家利和 足利事件冤罪被害者 2010年3月22日付朝日新聞「無罪へ 足利事件再審公判 上」より)

■準備/Sunday,21,March,2010

 ほとんど旅の準備に終始する。インターネットもパソコンも、慣れない機種だとなかなか使いにくかった。昼には温かい蕎麦がうれしいほどの風の冷たさ。夕方明るいうちにと家を出るが、到着は20時頃。結局のところ大河ドラマも2週続けて見ていない。そのうち、もういいかな、となってしまうかもしれない。いくらいいものでも、生活スタイルに合わないことは身に付かない。テレビを見る習慣というのもそのひとつか。

●きょうの言葉/若い時に描いていた夢は、その後の人生のプロセスのなかで、たえず新しい夢へと生まれ変わり、何度も何度もその姿を変えながら、いまもずっと私の心の中を満たしているのです。どういえばいいんでしょう、私は自分の胸の中で温かく呼吸している夢のおかげで、つらいときでも、消耗しているときでも、ぎりぎりのところで自分らしさを保っていけているように思うのです。(森岡正博 哲学者 2010年3月21日付朝日新聞「悩みのレッスン」より)

■難しいこと/Saturday,20,March,2010

 午前中は部屋でゆっくりと日記を書く。昼過ぎから出て北の町へ。夕方1時間くらい新聞を読む。その後、温泉と寿司屋といういつものコース。週末は疲れている。疲れているから、充実した時間の過ごし方ができない。だから、週が明けても仕事に力が入らない。というのは悪循環である。週末に向けて力をためて、もっとも充実した時間を過ごし、週明けの仕事にも精を出す。これが理想。いつもそのつもりで来るのだけれどそうはいかない。最大級に難しいことだ。

●きょうの言葉/私たちの世代は、生きることに悩んだら、読む本が山のようにありました。しかし、若い世代に、考えることを教えられなかった。たとえば、「信じる」ということ一つとっても、どういうことなのか、自我や欲望を捨てて信じることがどれだけ難しいか、考える入り口に立つことから始めないといけないと思うのです。問いを立て続けることが宗教だと思っています。そんなに簡単に門は開いていない。言葉で構築できる世界と、その言葉が届かない世界を、それまでの私たちは峻別してきたんです。ところが言葉でちゃんと世界を構築しなくなると、有限と無限、生と死といった境目がなくなってしまう。境目がなくなることによって、人は超能力や神秘体験に簡単になびいてしまう。強烈な身体体験があると、ひかれていく。仏教は、本来は徹底した論理の世界です。宇宙の果ても時間も言葉で構築する。その先に初めて、言葉の届かない「かなた」を想定するんです。(高村薫 作家 2010年3月20日付朝日新聞オピニオン欄 インタビュー「地下鉄サリン事件15年 何が変わったか」より)

■佳き日/Friday,19,March,2010

 心情的には最も嫌な局面とも言えるが、見方を変えるとどうということはない。なぜならこの日に誰のどんな人生も左右されるものではなくて、自分自身がそれを把握しているから。どうしても一定量の困難が発生し、その都度心理的な負荷がかかるわけではあるが、その負荷も今年は限りなくゼロに近かった。一つの結果を受け止めて、受け入れて、消化して、昇華する。その道程の始まりと考えたら、とても晴れ晴れしい佳き日なんだ。

 この日を境に、ともすると体調を崩したりしがちである。だからそこは気持ちをしっかりと制馭しなければいけない。夜には気分転換に少し車を走らせて、外食したり、本屋で立ち読みをしたり、コンビニに寄って夕刊を買ったりした。目当ての報道にも今年はあまり関心がないけれど念のため。部屋に帰ってからも、しばらく音楽を鳴らして何も考えずにいた。鈴木祥子の曲はいいなあとあらためて思った。

●きょうの言葉/有期雇用が大学に広がっている。私も関西学院大を3月末で雇い止めとなる1人だ。数年で一律に雇い止めとなる有期雇用は私立大では1990年代から始まり、国立大にも04年の法人化以降その波が押し寄せた。8割以上が女性で女性労働の搾取の問題でもある。今では20代・30代の女性・男性が置かれる当たり前の労働環境になってきた。私の雇用は最長4年とされて、障害のある学生の支援を担うコーディネーターとして勤務している。雇用基幹が4年で終了することに疑問を抱いて個人加入できる労働組合に入り、昨年から大学側と計6回に及ぶ団体交渉をしてきた。大学側に継続雇用する意思は全くなく、団交は決裂。このままでは3月末解雇は避けられない。全国で働く障害学生支援コーディネーターのほとんどが3〜5年の有期雇用だ。私たちに有期雇用以外の選択肢は初めから与えられていない。数年ごとに雇い止めで人を入れ替えるのは、反復更新による更新期待権が生じないようにする方法だ。正規職員と比べものにならぬ低賃金で働かされる差別的な待遇を撤廃するためにも、法的な規制と抜本的な制度の組み替えが急務である。人を育てず、働く力を貧困化させる有期雇用のシステムを、次の世代に引き継がないためにも、今私たちは声を上げていかなくてはいけない。(大椿裕子 関西学院大学障害学生支援コーディネーター 2010年3月19日付朝日新聞「私の視点」より)

■感性の乖離/Thursday,18,March,2010

 この時期が煩雑なのは、毎日が決まった流れになっておらず、日によってやるべきことが異なるからだろう。この煩雑さに少し塞ぎ込みたくなる。しかし、そうも言っていられず、とにかくパソコンに向かったり、部屋の片付けにおもむいたり、古い書類の束を取捨選択したりして、結果的に塞ぎ込んでいるようなものだけれど、あまり作業効率はいいとは言えない状況のうちに、すぐ昼になったり、夕方になるのが遅かったりする。

 夜にはまたこの時期特有のうたげがあり、結果的には零時近くまで飲むことになった。この単位での仕事も今月いっぱいで、さまざまな出入りがある。僕は僕で今のすべての人たちと離れて別の部署に入る。しかも未知の領域に踏み出すわけで、その緊張といったらない。皆もそれぞれ大変なのに機転がきいてよくそんなにぽんぽんとおもしろいことが言えるなと心から感心する。素敵な人たちだ。とても感謝している。

 このところ思うのは、どうも感性が多くの人々から乖離しているということだ。その理由はたぶん二つ。一つはテレビを見るか見ないかの違い。もう一つは、言葉との付き合い方の違いだ。流行りのことなどチンプンカンプンだし、お笑い芸人の名前が突然出たってわからない。ある種の価値観に支配されている人々がいる。たとえば郊外の大型モールで買い物することに何のためらいも問題意識もない人と僕との価値観の違いは大きそうだ。前者が多数派で後者は少数派になる。テレビについても然り。僕からすれば、ここは日本かと思うのだが、かれらからすれば、それでも日本人かという感覚かもしれない。というわけでけっこう住みにくい。別にいいけど。

●きょうの言葉/電車が止まり、人身事故という放送が入る。声にならないため息とともに、携帯にメールがうちこまれていく。今どの辺りか窓の外を見ようとしても、疲れた顔が並んで反射するだけ。人身事故という放送に驚きと憐れみを示した時代から、苛立ちに舌打ちする時代へ。やがてそのことへの良心の呵責も消え、もはや諦めが覆い、車内には薄い寂しさが漂う。▽吊り広告に目をやれば、「使える人になれ!」とビジネス社会サバイバル術の文字が躍る。自分が「使えない人」だとみなされて、万が一線路に身を投げたとしても、ため息をつかれるだけの存在だということをかみしめる。▽剥がしても剥がしても張りついてくる薄い寂しさのようなものを、私たちは今抱えている気がする。人の価値が下がっている。デフレで物の値段が下がる。物を作り、運び、売る人たちの価値が値切られる。コンピューターや機械でできる仕事なら、速さや確実さ、疲れの知らなさ、ストレスの感じなさに、人は太刀打ちできない。残るのは機械でできない仕事だが、それが「人間らしい」仕事だとは限らない。コールセンターがいい例だろう。勧誘や苦情のやりとりが、匿名性の中で棘を増す。▽もちろん、ネットで価格を比較して良い物を安く買ったり、無料サービスを手に入れたりすることは、消費者の「賢さ」である。電話やメールでの勧誘にのらず詐欺に遭わないためには、そっけなく切ること、返事さえせずスルーする(流してやり過ごす)ことも、子どもたちに教えるべき「知恵」かもしれない。▽けれどもその分、私たちは自分も安く値切られ、スルーされることを予測せざるを得なくなっている。そのことに傷ついたりストレスを感じたりする人は、よくて「敏感」、悪ければ機械に負ける「弱い人」となる。▽効率化の波は、高度な知的作業に携わる人たち、「できて当たり前」と自他共に認める人たちにまで、押し寄せている。「できる人」ほど自分が「使えない人」になることへの不安は強い。優秀な人は「がんばりや」であることが多いが、処理すべき情報や通信料の増加は、がんばる人にほどのしかかる。▽優秀だからこそ「よい人」でありたいと思う人も多いが、人の痛みへの共感は、自分をも傷つけかねない。頭を使い、心を込め、気を配り続けることは、脳神経系の「体力」を激しく消耗する。肉体の過労はわかりやすいが、頭や心の過労は見えにくい。肉体は動きを止めれば休養できるが、頭や心は職場を出てもすぐにスイッチを切れない。▽「がんばれば報われる」ことを疑い、よい人であることをやめたとき、薄い寂しさが襲う。それを剥がそうと、さらに仕事を増やし、頻繁にメールを送り合い、アルコールに頭や心を麻痺させる。自他の痛みに鈍くあれという時代の流れをさらに加速してしまうことに、どこかで気づきながら。▽薄い寂しさは、できたてのかさぶたのように、剥がしても剥がしても、微細な出血の上に、また張りついてくる。いっそのこと、剥がさずにこらえてみれば、いつかボロっと落ちて、血色のよい健康な肌が顔を出すのだろうか。そこに人がただ生きてあることの価値はみえてくるだろうか。(宮地尚子 一橋大学教授・文化精神医学 2010年3月18日付朝日新聞文化欄「人の価値が下がる時代 張りつく薄い寂しさ」より全文掲載)

■セントパトリックスデイ/Wednesday,17,March,2010

 今週は夜がなかったせいで、あるいは朝も遅かったせいで、日記を書く時間が満足にとれなかった。それで土曜日に三日間まとめて書いている。それだけでなくて、新聞もろくに読んでいないから、これから三日間分まとめて読むことにしている。

 きょうは素敵なセントパトリックスデイ。そして僕の誕生日だった。だいたい毎年この時期にはばたばたと煩雑だから、自分にとってもあまりいいことは起こらない。きょうも時間の関係で昼に出ることができず、ちょっと残念な思いがしたが、どうということはない。

 定時で退勤して、それから本屋に寄って、まだ何が必要になるのかはわからないが、必要になりそうな本をたくさん買い込んだ。この時期のこの買い方は無駄なようでいて実はとても大事だと思っている。たとえばこれをネットでやろうとしたって、目的は一つも達成されない。あれこれ思いを巡らしながら、ぱらぱらページをめくりながら、選ぶ過程がすでに学びなのだ。来年度のキーワードは学びだな。僕にとっての、皆にとっての学び。

 ところで、セントパトリックスデイはいい祝日だ。バレンタインなんかよりもずっと愛すべき日だと思う。緑色の物を身に着ける習わしも、夕方からアイリッシュバーで酒盛りする習わしも、なんだか愛おしい。それはトロントで知った風習で、日本では有名ではないけれど、異国で迎えた誕生日の孤独と、街角で見られたお祭りの雰囲気が重なって、僕だけの温かいイメージができあがったのだ。

 従兄弟が来て、またいつものように伯母と三人で飲んだ。来月からはこんなふうにはできないかもしれないけれど、いつものように楽しく過ごすことができたので悪くなかった。それから、一つ年を取ったので、一つ大人になって、迷惑かけないようにやろうと思います。

●きょうの言葉/2月27日、マグニチュード8.8の巨大地震がチリ沿岸で発生した。観測史上10位以内にはいる地震の巨大さや大津波に比べ、死者数が幸いにも少なかったのには、いくつかの理由がある。この地震はそれほど人口が集積していない地域の沖合で起きた。伝統的なれんが造りの家は多数被災し、15階建てマンションの倒壊もあったものの、鉄筋コンクリートの建物全体が崩壊するといった致命的な被害は限定的だった。耐震建築制度が成果を発揮したと評価できる。海岸沿いのコンスティトゥシオン市では、住民が揺れを感じると同時に高台に避難した。避難訓練や学校での防災教育といった日ごろの備えが、多くの命を救った。日本国内では、今回の津波に対する避難は十分とはいえなかった。近い将来起きると予想される日本の東南海・南海地震では、津波が10分程度で到達してしまう地域がある。ハイテクに頼らずとにかく逃げる、という地域社会の防災力については、チリから学ぶべきことがあるようだ。しかし、問題も見つかった。地震観測や津波警報については、わが国に一日の長がある。日本が防災大国であることは、チリでは広く認識されている。技術や体制整備の面での支援は有益であろう。現地では20万戸といわれる仮設住宅の建設をはじめ、本格復興が始まる。こうした復興への過程においても、阪神・淡路大震災の経験にもとづく日本の助言は間違いなく求められている。(石渡幹夫 JICA国際協力機構・国際協力専門員 2010年3月17日付朝日新聞「私の視点」より)

■残された道/Tuesday,16,March,2010

 何もない一日。朝から書類作り中心の机仕事。昼には同僚たちと近くのラーメン屋まで歩く。春らしくなってきたが、まだ少し風が冷たい。こんなひとときもこの時期の風物詩と言っていいだろうか。年中バタバタと忙しいから、こういう時くらいゆっくりと飯を食べるのは悪くない。

 来期のことも少し進んだ。自分の担当というのも聞かされた。希望どおりではなかった。年齢を考えればやむを得ない。そして、再来年のこともふくめると選択の幅は狭くなる。何の懐旧も感傷もない。それぞれがそれぞれの事情を抱え、パズルを組み立てるような思いで取り組んでいる立場もよく理解できる。

 仕事におけるポジションなんて、所詮は個々人の能力や人格とは別のところで決められ、有無を言わさず勤めさせられるものである。ほんとうはそうではないとは思うのだけれど、現実はそのように見通せる人などほとんどいない。やるべきことを淡々とやる。どのような立場だとしても変わらない。それが残された道である。

●きょうの言葉/現代的なスタイルを見せつつ、日本のよき伝統へ回帰した作品が増えてきたと感じている。私は北米に日本映画の魅力を伝えた最初の人間だ。伝道師みたいなものだ。世界中のすぐれた映画をそろえるのが私の役割。これ、と思う作品があったらすぐに映画祭事務局に電話をかけて指示をする。即断即決。豊臣秀吉のようにね。モントリオールには、日本映画と向き合ってきた長い伝統がある。日本映画に長年親しんできた観客がたくさんいるんですよ。(セルジュ・ロジーク モントリオール世界映画祭・総合ディレクター 2010年3月16日付朝日新聞文化欄より)

■うたげの翌日/Monday,15,March,2010

 昨夜の帰宅は23時頃だった。ビールばかり飲んで、確かに使い物にはならなかったが、酒量のわりには目覚めがすっきりした。朝にはのんびりと過ごし、11時頃から動き出して、金融機関を回ったり、役場に行ったりして用事を済ませた。とある場所で先輩とばったり会った。境遇については特に何も話さなかった。立ち話ですることでもないと思ったし、いずれまたゆっくり会う機会に話せればいいと思ったから。

 産直で林檎やら野菜やらを調達した。少し遅い昼はうどんを食べた。車の運転中もけっこう眠くて、帰宅してから19時頃まで眠った。クリーニングを急ぎで出していたのに、取りに行けなかった。店は閉店したのでこれは明日。灯油缶も空になった。昨日いただいた大きな花束を飾る花瓶がなかった。それで、また外に買いに行った。花束は昨日だった。ありがたかった。しばらくはきれいに飾れそうだ。

 集中力が湧かないので、新聞もろくに目を通すことができないまま重なっている。朝には早起きして読むことに時間を割こう。来週の休みを楽しみに一週間がんばろう。

●きょうの言葉/働き方を選ぶのはみなさん一人ひとり。幸せになりたかったり会社を変えたかったりすれば、自分というブランドを持ち、主張し行動してほしい。「周りはこうだから」と主張も行動もできないのなら、その程度の願望なんです。やれば結果がついてくるが、やらなければ何も変わりません。(佐々木常夫 東レ経営研究所代表取締役社長 2010年3月15日付朝日新聞 シンポジウム「女性の元気が日本を変える」より)

■うたげ前に/Sunday,14,March,2010

 以前履いていた靴が緩くなっていた。まさかと思うほどガポガポで歩くことができないほどだった。それで慌てて紙を詰めて対応したのだが、それが爪先を擦るために痛くて歩くのが困難だった。事前に確かめていれば防げたものを、こういうことをやってしまうのはほんとうに情けない。

 革がこんなに急に伸びてしまうこともあるのだろうか。それほど痩せたわけでもないが、以前かなり異常な状態だった時には、おそらく足が慢性的にむくみっぱなしだったのだろう。その頃に比べると、たしかに少しはよくなった。でもまだまだだ。だが、きょうから年度末の飲み会シーズンが始まる。

 午前中はのんびりと過ごした。数日前にもらっていたメッセージに初めて気がついた。実にうれしい内容だった。昨日すべてが済んでから、4月の休暇の件を話した。権利だから当然だという話をいただいた。旅行社に散歩がてら行って航空券の引換券を受け取ってきた。

 きょうはこれから出かける。帰ってきた時にはもう使い物にならないだろう。明日も休みではあるが、あまり無理をせずに早めに帰ってきたいものだ。

●きょうの言葉/音楽であろうが何であろうが、指導者には人間を形成する使命がある。生徒は、演奏家としてではなく、まず人間として育てたい。勝つこと、優勝することは、芸術家の人生においてはじつに小さなこと。練習へのモチベーションが人一倍高い彼女(10代半ばでコンクールに出場したリサ・バティアシビリ)の持ち味を、コンクールが伸ばしてくれると思った。でも、誰にでもあてはまるわけではない。モーツァルトやベートーベンの時代には、演奏家が事前に創造のプロセスにかかわっていた。今は意識して作曲家との間の壁をなくしていかなければいけない。演奏家として生きるプレッシャーに、誰しも耐えきれなくなることがある。彼らが素に戻れる場所、安らげる場所をつくるのも私の仕事。(アナ・チュマチェンコ バイオリン演奏家 2010年3月14日付朝日新聞文化欄より) 

■いつもとまったく/Saturday,13,March,2010

 いつもとまったく同じトーンでその日を送った。ひとつの大きな感慨には違いないが、いわゆるこれまでの感動とは、僕自身のとらえ方が確実に違っていた。もちろんきょう以降のことについては僕の責任の範疇にはない。しかし、世の中のおとなが、社会全体が、若い人々や年を取った人々の生き方に無責任でない社会を作っていくという責任を、果たさなければならないわけで、僕もそのうちの一人である自覚を失ってはならないと思う。

 なぜか北米のテレビ番組のはじめに表示される格付けの記号を思い出した。子どもを守るという視点のみを言っているのではない。自分が年を取った時に社会にどう扱われたいかという自分自身の問題を、目を背けずに考えていこうという主張である。

 花のないこの日は初めてだった。甘い香りに包まれた佳き日などもう遠くに去った。これまでのような支援は得られない。四面楚歌の状況からどう抜け出すか。簡単には答えが出せそうにない。

●きょうの言葉/バンクーバー冬季五輪が開催されている間は、テレビの実況放送にくぎ付けになっていた人も多かったでしょう。私もスポーツ番組が好きですから、会議の間でも結果が気になることもありました。最新のデジタル放送の美しい画面は、こうした番組の臨場感を盛り上げ、テレビを見る楽しみをより味わわせてくれます。▽さて、今回はテレビ番組のことについて申し上げます。▽私は、NHKも民放各局も、一般に日本のテレビは単調で幼稚な印象を受けるのです。まず、娯楽番組が多すぎるのではないでしょうか。年配向けに演歌、若い少年少女向けには似たような歌謡番組ばかり。もちろん娯楽番組は必要ですが、日本人の固有の文化である歌舞伎も文楽も能も、もっとバランスよく企画すべきだと思います。▽また、討論番組では司会者を無視した討議がされているようで気になることがあります。気に入らない意見があると、司会者の指示を無視して反論しようとする幼稚な発言者が多いのです。これは例えば欧米の討論番組では見られない光景です。▽さらに、日本では深刻でスキャンダラスな事件にばかり振り回されているように思います。見るに忍びない事件・事故の現場からの放映や、姿を隠そうとする容疑者の映像を延々と流す必要はあるのでしょうか。私が出張先で見る欧米のテレビでは、もっと楽しく心温まる雰囲気の番組も多く作られている印象があります。これはテレビだけでなく新聞にもいえることですが。▽帰宅が夜になる勤め人のために、夜間に刺激的な報道番組も必要なのでしょう。広告収入に結びつく視聴率を手っ取り早く取りたいという放送局側の言い訳もあるのでしょう。けれども、もっと成熟した大人のための、落ち着いた音楽や美術、演劇、文学、歴史についての質の高い番組も制作・放送しようという努力を、各局は怠らないでほしいと思います。(日野原重明 聖路加国際病院理事長 2010年3月13日付朝日新聞土曜版be 「98歳・私の証 あるがまゝ行く」より全文掲載)

▼詞花集41 倚りかからず(茨木のり子)

■前夜/Friday,12,March,2010

 いよいよ前夜となった。2年間、頭の中の多くを占めていた案件が一応の収束を迎える。ひじょうに不本意なことばかりだった。経験が生かせる場面はなかった。考えようによっては、これまでの積み重ねがあったからこそ、この程度で収まったといえるのかもしれない。しかし、ここ数年で僕のこの仕事に対する魅力は半減してしまった。個人の勉強不足はもちろん否めない。それと同時に、社会が抱える問題としてとらえる視点が社会全体に不足しているという気がしてならない。できることはやってきた。そして、未来での可能性の発露を期待して一つの記念品を制作した。種を撒くことができなかったとしても、撒けるだけの種はあった。その種を、かれらに託すことになる。かれらがそれを地に植えるか、捨ててしまうか、わからないけれど。

●きょうの言葉/安保反対闘争とか大学紛争とか、あれだけエネルギーがあった人々が70年代に入るとまったくエネルギーがなくなる。あっという間に変わるんです。戦前と同じように、風が吹けば風になびいてしまう国民の習性と頑固な政治が合わさって、日本という国をねじ曲げてしまった。変わらなければこの国は終わりかもしれません。今、人間が生きるに値する街や国に変えるべき時期なのは明らかでしょう。私たち一人一人がこの社会をより良く変えようとする意思をもち続けられるかが問われているんです。そのためにも戦中から戦後の東京や世界で日本人がどう生き抜いてきたかを知ってほしい。どんな人にも自分のやりたい希望があり、どんな時代であってもそれを辛抱強く育てるだけの力は持っているんです。(加賀乙彦 作家・精神科医 2010年3月12日付朝日新聞オピニオン欄 インタビュー「2010年 東京 そして私」より)

▼詞花集40 自分の感受性くらい(茨木のり子)

■叱ってくれる人/Thursday,11,March,2010

 この年になると、いや、何歳になってもそうかもしれないが、叱ってくれる人の存在というのはありがたいものである。誰からも何も言われなかったら、自分で気づくしかない。自分で自分の至らない部分に気づけるのだったら、何も困ることはない。それができないから、いろいろと問題が生じるのだ。

 しかし、いつからかそういう人はいなくなって、自分が誰かを叱る立場に立つ。すでに知らぬ間にそんなことをしているのかもしれない。あるいは、叱れるだけのものをもたずにここまできたのかもしれない。

●きょうの言葉/考えてみれば、1500年前に和紙を漉く手法が編み出された時には、その技術は革新的だったはずだ。その革新的な技術が長い年月、人の役に立ち、変化しながらも、現代では「伝統」と呼ばれている。そうであるならば、「伝統」と「革新」は対極にあるものではなく、「革新」が長年育まれた結果が「伝統」である。新しく開発した技術を50年後100年後も人の役に立つように進化させていくことが大切なのだと考えた。今、私は、美の探求には革新的な挑戦がいかに大切なことかと実感している。固定概念から抜け出した技術や表現方法を模索し、不可能に挑んでこそ、伝統は未来に広がるのだと思う。時代を超えて人の心に響き、時代の要望を満たす和紙作りに挑戦したい。(堀木エリ子 和紙クリエーター 2010年3月11日付朝日新聞「彩・美・風」より)

▼詞花集39 僕はまるでちがって(黒田三郎)

■仕事と学び/Wednesday,10,March,2010

 目覚めると積雪があった。寒い一日で、雪は降り続いた。春はまだ遠い。

 ここにきて、本来の仕事らしい仕事をした。これまでほとんどこういうことをする機会がなかったから、内心なんとなく浮き足立った感じがつきまとっていた。しかし、おそらくたいした問題はなかっただろう。場数の問題で、慣れればそれが当たり前になる。たしかに負担は大きい。学ばなければ準備にも時間がかかるが、やらないでいるといつまでもできない。こういうことは何年ぶりだろう。逃げてきたわけではなくて、機会がなかっただけ。もっと頻繁に誰もがそうする機会を与えられるような仕組みを構築できたら、互いの学びにつながるだろうと思う。

●きょうの言葉/2月28日に本県にとっては初めての大津波警報が発表された。三陸沿岸は、明治三陸大津波、昭和三陸地震津波、そして今回と同様の遠地地震によるチリ地震津波と近い過去に3度にわたって津波に夜大被害を被っている。これらの記録は伝承され、50年前のチリ地震津波の体験者は数多くいる。「避難のみが生命を守る」との教訓は、沿岸地域では継承されているはずだ。しかし、避難の指示が出された沿岸12市町村の3満1391世帯、8万2291人のうち、指定避難場所に避難した方は7千人、8.5%にとどまった。避難しなかった理由の大半は住居の位置からして安全と判断した、マスコミの報道から津波は小さいと判断したという、独断的な判断に基づくもので、危機意識の風化が懸念され続けてきたのも事実である。地震発生直後に短時間で津波が到達するとされている宮城県沖地震は、明日発生するかもしれない。津波災害の多くは近地の地震によるもので、速やかに避難することが生命を守るのに不可欠だ。「津波てんでんこ」の言い伝えを忘れてはならない。(齋藤徳美 岩手大学副学長 2010年3月10日付岩手日報夕刊 日報論壇「避難のみが生命を守る」より)

▼詞花集38 挨拶の下手な人に(阪田寛夫)

■今朝は/Tuesday,9,March,2010

 今朝はやや早起きした。雲はあったが、周囲の山々は稜線がくっきりと浮かんで見えた。凍てつく空気の中で立つ数十分が、実はさわやかで凛と緊張の張りつめる、一日の中で最もきれいな時だった。その後は4時間もだらだらとしたいらいらとした時間となり、僕も心身ともに疲れた。今週は毎日疲れそうである。 

●きょうの言葉/社会への門戸を閉ざされ、言いしれぬ不安と焦りを覚えている学生は多いと思う。「こんなにも拒否される自分は人間としてどこか欠陥があるのではないか」と自信を失った若者の悲痛な声を聞いたことがある。効率やコストばかりを先行させ、若者に働く場を与えない。これでは若者が生気を失い、社会が衰退していくのも必然である。人を大切にしない組織に永続性はない、と私は思っている。企業もその例外ではない。経営学者のピーター・ドラッカーは「労働力はコストではなく資源である」と言い、武田信玄は「人は城、人は石垣、人は堀」と言った。若い社員をじっくり育て、実り豊かな自社の資源とすることが出来ないものか。将来を担う若者の巣立ちを拒む社会にやりきれない思いである。(坂本信二 会社員 2010年3月9日付朝日新聞「声」より)

■嫌いな月/Monday,8,March,2010

 3月の流れ方は尋常でない。しかし、この一週間は長く感じるだろう。僕はこういう節目のごちゃごちゃした感じが嫌いだ。多くの人がこの時期情に流されがちになることも嫌いだ。終わりとはいえ、先週までと何も変わりはない。特別な手当が出るわけでないし、休暇がじゅうぶん取れるわけでもない。日常の中で、われわれがやるべきことを淡々とこなすほかない。どうもこの月は、吐き気が出そうなほど嫌いだ。

●きょうの言葉/西欧では、多ければ多いほどよい。日本は、少なければ少ないほど豊かだ。我々はギリシャ時代から対称性を好むが、日本では非対称性が好まれる。完全の中に美を求める西欧と、日本のわび、さび。やっとコインの両面がわかった気がする。むき出しになった地面には何層もの地層がある。人間自身にも多くの層、異なった才能が含まれている。医者と外交官と詩人の共通点、それは人を救いたいと思う気持ちだ。「環」(Circle)という詩に「わたしはただ 鼓動を刻む心臓」と書いたが、最も大切なのはヒューマニティー(人間性)。ほかのものはその後に来る。魅力的な人間でなければ、いい医者にも詩人にも、外交官にもなれないだろう。(ドラゴ・シュタンブク 詩人・外交官 駐日クロアチア大使 2010年3月8日付朝日新聞Globe”The Author"より)

▼詞花集37 今日からはじまる(高丸もと子)

■日常生活/Sunday,7,March,2010

 ゆっくり睡眠をとった。目覚めはすっきりとし、暗がりの中で横になったまま話をした。朝のテレビを少し見てから、買い物のために車を出した。戻ると昼。パスタを茹でて、ちょっと豊かな昼食にする。コーヒーを飲んでいるともう時間である。何と束の間の「日常生活」だろう。

 ひとりになってから、旅と日常について考える。それから、友情と愛情について。今は旅の途中なのか、それともこれが暮らすということか。できればすべてが旅ならいいという気持ちと、まっとうな日常を歩みたいということと。ひとつということと、ふたつということ。身軽さと、問題の重さと。全部一度に抱きしめる。

 夕方から床屋に行く。きょうは客が少ないという。休日前だからかどうか、スタッフたちを交えてずいぶん明るく話が弾んだ。僕は明日は仕事だけど何も感じない。そこにはいつもどおりの日常があるだけだ。

●きょうの言葉/仏教伝来から現代まで、女性と仏教は深く結びついている。仏教が日本へ伝わった6世紀、最初に出家したのは、善信尼という女性だった。当初、わが国には尼寺だけが存在したと考えられる。善信尼は朝鮮半島の百済に渡って受戒し、帰国後、仏教を広めた。(西山 厚 奈良国立博物館学芸部長 2010年3月7日付朝日新聞「平城遷都1300年 祈りの回廊フォーラム〜秘宝・秘仏特別開帳〜」より)

■短い夜/Saturday,6,March,2010

 朝、職場で3時間ちょっと仕事をした。帰宅して、昼食をとってから、ラジオもろくに聞かずに、日記を書いた。ここ数日の新聞に目を通すのだが、記事が頭に入らない。本を読もうとするがこれも入らない。朝は比較的ゆっくり目覚めたので、午後に寝てしまうことはなかったが、へんな疲れが残っているのはわかった。

 これはやり場のない怒りか。いずれにせよ上に思いやりやきめ細やかな采配など、期待するだけばかをみるということだ。この国を包んでいる黒いもののひとつがみえたような気がした。

 夕方、研修を終えた頃に車で拾って、先週行ったのと同じ温泉、そして蕎麦屋のコースをたどる。週末は互いに疲れがたまっている。ある程度長い時間眠らなければならない。横になればもうあっという間に寝入ってしまい、夜なんか短い。

●きょうの言葉/この世で一番パワフルなのは、すぐれたアイデアです。いいアイデアが社会的起業家の手を通じて、社会を変える力に転化する。それが社会的起業です。食べ物がない人々が魚を必要としているとき、慈善事業は魚を与えるだけです。でも、社会的起業は人々に魚の捕り方を教え、漁業のあり方を変えるところまで目指すのです。おもしろいのは、日本ではみんなが、自分たちには創造性や自発性が足りないと言っていることです。つまりは、そちらへ向かいたいという国民的合意はできているわけです。そもそも創造性なしで、日本が成し遂げてきたようなことができるでしょうか。日本人の得意技といわれる協働は、創造性の敵ではなくパートナーなんです。これまでの世界の教育は、既成の知識やルールを覚えさせることでした。でも、こんなに変化が速くなった世界では、ルールを覚えたころには現実が変わっている。そんな事態に対応するには、共感力やチームワークを習得して他人を動かし、改革のアイデアを実行に移す能力が必要です。いま始めれば、10年後には日本企業はそうした人材を手に入れることができる。立ち遅れれば、国際競争はできません。(ビル・ドレイトン アショカ創設者 2010年3月6日付朝日新聞土曜版be「フロント・ランナー」より)

■嫌いな月/Friday,5,March,2010

 3月への思いがにわかに浮上する。最も嫌いな月の嫌いな所以はそのこと。仕事が好きとかそうでないとか言う前に、一日の半分は働いているわけで、せっかく世のため人のために働いて、その上お金まで貰うのだから、どうせならより快適に、より楽により楽しくできればいい。お互いがそう願うから協働が生まれる。これまでの協働の枠組みが解体し、再編される時節というのは、精神的に疲れるのである。金曜日の夜。多くの人たちの目先は、すでに次のことに移りだした。

 僕は食堂で夕飯を食べてから、なかなか家に足が向かわずに、ホームセンターなんかを物色しながら、心の中のもやもやをどうにか解消しようとしていた。家に着き、風呂に入るとすぐ眠くなった。ほんとうは違うことをしようと目論んでいたが無理だった。「アバター」の映画など言わずもがなであった。どうも「アバター」という名前は「あばたもえくぼ」を連想してしまって嫌である。でも3Dというのは見てみたい。

 布団の中、携帯電話を握ったまま眠りに落ちたり目を覚ましたり。やっとメールを送信したのが23時過ぎ。

●きょうの言葉/生徒が抱える問題は様々だ。不登校やひきこもりになる生徒の多くは周囲とコミュニケーションがとれず、集団への不適応を起こしている。一度他人との交わりから離れてしまうと、再び集団に戻るきっかけがつかめなくなる。対策の一つとして、在学中に一定期間、地域社会などで実際に仕事を体験する職場実習を単位認定し「学ぶこと」と「よりよく生きること」を統合した教育実践を重視したい。加えて、国や地域社会には若者が「いつでもやり直しがきく」ような支援体制の仕組みづくりをお願いしたい。それには、就労前の支援体制を整えることが急務だ。とくに「日常生活の立て直し」と「人間関係の回復」を図る必要がある。宿泊施設で共同生活をしながら「楽しく食べる」「よく眠る」「早起きをする」など生活のリズムを回復させ、チームプレーのスポーツを楽しみながら健康づくりを進める。サークル活動や地域活動、ボランティア活動など生活範囲を広げ、仲間の存在の大切さを学ぶ。そうした環境づくりが、若者たちの自立への第一歩となるだろう。ひきこもりの長期化や集団・職場などへの不適応は、社会的な損失と受け止めなければならない。(平野孝光 私立高校理事長 2010年3月5日付朝日新聞「私の視点」より)

▼詞花集36 わたしはまだ(三島慶子)

■南米のカレー?/Thursday,4,March,2010

 もしこの時期に涙を流すなら、悔し涙以外にあり得ない。この2年というもの、仕事上の感激とか感動とかいうものとはまったく無縁に過ごした。日常の延長としての普段よりもいい状態や楽しい状態はもちろんあった。しかし、それがすぐに素敵な肯定感につながるかと言えばそうではなかった。

 たぶん僕らが遭遇してきた困難は、個別の問題に依るものではなく、社会という暗雲の下にあまねく広がっている苦難だろう。そしてその苦難は今後さらに拡大こそすれ、縮小などもはや考えることができない。それほど、何か黒いものが我々の日常に巣食っている。

 今はまだバカな冗談を言っているこの人たちも早晩苦しみの中に放り込まれるに違いない。そこで泳ぐ術、世界をつかむ術を、僕は伝えたかったのだけれど、まずは僕自身が溺れないようにするのに必死だった。残念だけれど、苦悩を打破する状況なんてかれらには訪れない、ひとかけらの仁でも自らの手で育てられなければ。

 何だかスパイシーなカレーが食べたくなって、久しぶりのカレー屋に寄る。南米にカレーがあるのか知らないが、その店の構えもかかる音楽も置かれている雑誌類も皆南米を連想させた。カリブのカレーを食べて酷い胃痛に悩まされたことはあったが、ここのカレーはそういうことはなくて安心だ。束の間の至福の時であった。

●きょうの言葉/先月、8年間勤めた和歌山県のへき地診療所長をやめた。診療所のみが「点」として孤軍奮闘するのではなく、行政や介護、福祉と一体となって住民の健康管理を向上させる「面の医療」を目指したが、かなえられず現場を離れることになった。/私は長く大学病院で消化器外科医として過ごした。末期のがん患者も多かった。もう治らないとわかった時、多くの患者は「家で死にたい」と切に願う。ある患者に「病院は嫌だ、家で死にたい」と懇願され、勤務終了後や休日に不定期で患者の家に通い始めた。家庭に入ることによって患者のこともよくわかった。/活動は徐々に広がっていった。看護士、栄養士や薬剤師もチームに加わった。すべてボランティアでの在宅医療の始まりであった。/こうした経験をへて2002年、診療所に赴任した。この地をへき地医療のモデル地区としたい、在宅医療をもっと広めたいとの理想からだった。だが、着任して甘い考えは吹っ飛んだ。医師1人がカバーする住民は約700人。独居老人や高齢夫婦のみの所帯が6割以上を占め、介抱する人もいない状況にみな黙って耐えている。医療を支えるべき体制は皆無に近かった。/お年寄りは病そのもので倒れるのではない。栄養障害が主要な原因であることが多い。老いて衰え炊事する体力がなくなり、栄養バランスの乱れかや栄養不足から、体力低下に拍車がかかる。私は家内と共に、南紀の海で釣った魚ですしを作り、月に何度か高齢夫婦や独居老人宅に配った。良質なたんぱく質をとってもらうためだった。生活状況もよく把握できた。しかし、夫婦の無償の配食サービスに同調者は出なかった。/医師のみでやれることには限界がある。そこで歴代の町長に次のようなことを提案した。▽複数の診療所を統合し医師2人の常勤体制とし、効率化を図る。医師の派遣は地域の基幹病院からの定期的派遣体制にし、連携を円滑にする▽町のデイケアセンターに老人宅への食事の配達機能をもたせ、栄養改善を図る。▽医療、介護、福祉が情報を共有し、課題に取り組む。これが実現されれば住民の健康と安心感はかなり向上するはずだ。/この提案を契機に町に懇談会ができ、私も委員に加わった。だが、町の理解は薄く、結局、意見の集約もできないままに終わった。/でも無駄ではなかったと思えることもある。がん末期のお年寄りを自宅でみとった。死に至るわずかな時を家族と過ごし、静かな最期を迎えた。在宅医療の神髄がここにある。最近ある住民が声をかけてくれた。「先生はおやじをみとってくれた。それに感動した息子はいま医学部一回生」。将来地域医療に見をささげるという。医者冥利に尽きる。/お年寄りが安心できる町にするため、住民はもっと声をあげてほしい。地域医療を守るのは住民であり、医師ではないのだから。(平松義文 元診療所所長 2010年3月4日付朝日新聞「私の視点」より全文掲載)

▼詞花集35 からだと心のいのち(日野原重明)

■もう一つのアンソロジー/Wednesday,3,March,2010

 吉野弘が続くのは、つまりは僕が好きだから。個人的趣味の以外にはない。そろそろこのアンソロジーにも終わりの時期が近づいてきた。さまざま欲が出てきて、詩だけでなく、詩だけである必要もなく、毎日抜き出すこの記事たちも、一つのアンソロジーであろうと考えるようになる。完全なる自己満足。

 たとえば、一枚の紙切れが紙飛行機になって窓から飛ばされるのと同様に、一枚のディスクがフリスビーよろしく空に舞うことも十分に予想しながら。鮭の稚魚たちの母なる川に戻ってくる確率のように微小たろうと、やってみる価値はある。あとは、そう、眠らない身体が欲しい。

 夕方お茶を飲みながら、もう13年も前から知っている仕事仲間と少しじっくり話をした。誰がどう評価しようが、あんなことではどう考えても僕は倒れるわけがなかった。それから、今回の采配についてはひじょうに不本意であり、とうてい納得のいくものではない旨を初めて表明した。正当な怒りだと思う。

●きょうの言葉/4月から実施予定の高校無償化について、朝鮮学校を対象外とすべきだという意見が政府内から出ていますが、本当にそれでよいのでしょうか。外国籍の子どもを含めて学ぶ権利を保障することは、民主党が目指す教育政策の基本でもあったと思います。しかし、朝鮮学校だけを除外することは、民主党の教育政策だけでなく、教育を受ける権利を保障する国際人権A規約の理念にもはずれるのではないでしょうか。朝鮮学校も無償化の対象とし、多文化が共生する社会をともに作っていくことを考えるべきです。拉致問題に絡めて朝鮮学校を除外し、子どもたちの学習環境まで差別するのは、筋違いではないでしょうか。(文光喜 愛知朝鮮学園理事長 2010年3月3日付朝日新聞「私の視点」より)

▼詞花集34 I was born(吉野弘)

■散歩気分/Tuesday,2,March,2010

 昨夜は早めに退散して、その分きょうは残るつもりだった。会議の後にまた会議。来週までの大まかな見通しが立ち、皆もすっきりした模様。やるべきことの一つが終了。そしてまた他にやるべきことが。

 夜の道をてくてくと歩く。歩きながらのメールというのを初めてやってみた。遅かったから、返事はなかった。散歩気分。毎日散歩していると思えば、ひじょうに気持ちがよい。それほど眠くはなかった。

 部屋の中に見慣れぬ腕時計を発見した。物陰とはいえ、三日も気がつかなかったのが不思議だった。 

●きょうの言葉/閉会式が終わり、バンクーバーの観光名所にもなっていた海辺の聖火台の炎も消えた。「素晴らしく、とてもフレンドリーな大会」。国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長は総括した。街も人も歓迎ムードに満ちていた。2001年の米同時多発テロ以降、セキュリティーチェックがこれほど緩く、ストレスの少ない大会は記憶がない。聖火は「友好」のシンボルだった。聖火を見るために開放された展望台は長蛇の列ができ、記念撮影をする市民で終日にぎわった。2年前、世界中で大混乱した北京五輪の聖火リレーで傷ついたイメージは理想の形に戻った。移民が多い他民族国家の一体感が最高潮に達したのは最終日、カナダが金メダルに輝いた男子アイスホッケーの会場だ。試合の合間にスクリーンに映し出されたのは、カナダ代表の赤いユニホームを着た多様な人種の熱狂する顔だった。カナダが積み上げた金メダルは14個で1位に躍り出た。5年計画で100億円規模を強化に投入し、「大会の成功に開催国の活躍は欠かせない」という重責に応えた。(2010年3月2日付朝日新聞記事「聖火のもと 多民族国家一体」より 稲垣康介記者)

▼詞花集33 仕事(吉野弘)

■いよいよ弥生/Monday,1,March,2010

 いよいよ弥生。最も嫌いな月。写真を替えようと思ったら、2月にはたった2枚しか写していなかったことに気づいた。それがこの一枚。朝焼けの雲を撮影したもの。しかし、汚いシミみたいなものが写っているようにみえる。レンズが汚れていたためだろうか。よくわからない。

 弥生に入ったとたん、雪が積もった。帰りには車が白くなって、払うのに時間を食った。クリーニングの閉店時間に滑り込み、スーパーマーケットで夕食用に弁当を買った。キャベツを使って味噌汁を作った。

●きょうの言葉/正規雇用と年功賃金が崩れ、就職すらままならないのにどうやって返すのか。それを若者のモラル低下のように言うのは、恵まれた経済成長時代に奨学金を返した古い世代の誤った考えだ。今の公的奨学金制度はまさに親子ローンで、貧しさが相続されるだけ。「奨学金」の名に値しない。社会のための大学という合意が戦後に消え、高等教育は自己投資で受益者負担が原則との考えが進んだ。子の教育は親の責任という家族主義が進学熱を高めたが、この日本的な親負担主義は限界に来ている。すべて公費で賄うのは無理でも、日本はあまりに公私の費用バランスが悪い。高校無償化もいいが、大学の学費との落差が大きすぎることの方が問題だ。奨学金制度をいじるだけでは教育の機会均等実現は無理。結局、限られた資源の全体配分をどう変えるかの政策論の問題だ。そのためには、社会として大学に何を求め、どう支えるかの本質的議論が必要。(矢野眞和 昭和女子大学教授・教育経済学 2010年3月1日付朝日新聞教育欄より)

▼詞花集32 動詞「ぶつかる」(吉野弘)


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