2010年5月               

■心臓の毛/Monday,31,May,2010

 小学生の頃、近所の高校の文化祭で「田中角栄の心臓の毛」というのが展示されているのを見た。そのとき僕は、心臓にも毛が生えているのかとおののき、いったいどうやって田中角栄から心臓の毛をもらったのだろうと不思議に思った。あれから何十年も経ったが、あのときの光景は今でも脳裏に焼き付いている。

●きょうの言葉/ブログそしてツイッターと、書き込みが簡単にできるサービスが現れるに連れて、人々はいともカジュアルに、文字表現の世界に飛び込んでいくようになった。だが、同時に、インターネットは、全世界のだれもがアクセスできる、開かれた場でもある。カジュアルな文字表現の世界が、フォーマルな世界と地続きになって広がっているのだ。今、ぼくたちの目の前には、フォーマルとカジュアルの境目があいまいな文字表現の場が広がっている。情報技術の発展が文字表現の世界にもたらした最大の影響は、「書く」から「打つ」への変化ではなく、表現の場そのものの変質ではないだろうか。現在、考える必要があるのは、フォーマルの論理とカジュアルの論理をいかに使い分けていけばいいのか、ということなのである。(円満字二郎 漢和辞典編集者 2010年5月31日付朝日新聞文化欄より)

■言葉と景色/Sunday,30,May,2010

 朝は8時頃まで寝ていた。テレビは頭に入らなかった。朝から晴天で気分はよかった。仕事という観点でものをみると、面白くないことばかりなのだが、もっと広く言葉という観点でみようとすれば意外と楽しい。

 帰り道で今まで入ったことのなかった道に入る。そこは行き止まりになっており、清水の涌き出し口があった。太陽の織り成すコントラストが目には美しく映る。それを写真で切り取ろうとしたけれど、出来はわからない。帰宅後2時間ほど睡眠。その後自転車で行動。本屋で欲しかった文庫を数冊。

●きょうの言葉/「マルセル・デュシャン」という20世紀初頭の芸術家に衝撃を受けたのは、高3の頃。友人が見せてくれた画集に「泉」という作品と解説が載っていた。大量生産の便器にサインを入れただけの「泉」は、「創ることを否定する芸術もあるのだ」という視点を投げかけた、最初にして最後の作品ではないでしょうか。デュシャンには、今でも、「これまでになかった考え方を提示するのがクリエーターの仕事だ」と教わっている気がします。(佐藤可士和 アートディレクター 2010年5月30日付朝日新聞「十代、こんな本に出会った」より)

■土曜の充実度/Saturday,29,May,2010

 朝には職場に1時間ほど出向き机上整理をした。とはいえいつもは入る仕事がなくて非常に気楽。その後床屋に行き、久しぶりにスッキリする。営業時間は8時半からなのに、8時からの予約にも対応する。特別なことかと思ったら、同じ時間に来ていた人がほかにもいた。昼過ぎには佐高信氏の講演会に行った。時間は短かったが、楽しい話を聞き、サインまでいただいた。これを学ぶきっかけにできるとよい。デパートの地下でロールケーキを買って、2時間ちょっとのドライブ。明るいうちに温泉。そしていつもの寿司コース。中トロがうまかった。

●きょうの言葉/人はある年齢に達すると、自分にもいずれ死が来ることを、はっきり覚悟する必要があります。極端に言えば、そこからはじめて真の人生は始まるのです。この死の覚悟のない人は、駄目な人です。世の7割ぐらいの人は、人生が始まることなく、終了の日を迎えます。私はそういう人を多く見てきました。気の毒にとも思うし、その方がよいとも考えますが、どちらにしても、人としてこの世に生まれてきたことには、一切の救いはありません。(車谷長吉 作家 2010年5月28日付朝日新聞土曜版be 「悩みのるつぼ」より)

■胃検診/Friday,28,May,2010

 7時前、霧雨の中自転車で家を出る。病院の窓口に問診票を出して一旦帰宅。いつもより少しゆっくりして8時半にまた病院へ。読書をして1時間ほど待つ。実によい時間。その後バリウムを飲み検査。昨年は要精密検査だったが、今年は大丈夫だろうと根拠のない自信。また自宅に戻り、パンなどを食べてから今度は車で出勤。まったく気が乗らず、夕方まで低調。しかし、久しぶりの人に会い、少し話をすると気分がよくなった。机上は明日の朝片付けることにして早々に帰宅。今週も終了。

●きょうの言葉/決してぜいたくではないものの、世界中の人があこがれる「スローライフ」を送ってきた国民は、国家が破綻のふちにありながらなお、「緊縮策を撤回しろ」「欧州連合(EU)、国際通貨基金(IMF)は出て行け」と叫び、ストライキやデモを繰り返す。社会不安の影響で観光客は激減し、国内総生産(GDP)の2割を支える観光業は大打撃を受けている。ローマに戻り、イタリア人とギリシャ問題について議論した。彼らは自らを「イタリア人であると同時にヨーロッパ人である」と考えている。だから困っているギリシャを助けるのは当然だし、ギリシャ人の抵抗にも共感するという。だが単一通貨ユーロがもたらした「ヨーロッパ人」というアイデンティティーは、時にもろく、温度差があるのも明らかだ。勤勉な国民性のドイツがギリシャにいら立ち、支援に消極的だったのは、その証左だろう。(南島信也 朝日新聞ローマ支局長 2010年5月28日付朝日新聞記者有論「ギリシャ危機 スローライフ共感と違和感」より)

■過ごし方/Thursday,27,May,2010

 朝からずっと立ちっぱなし。夕方には会議があって、いつものごとく予定を遥かに伸びる。それはしかたのないことである。だが会議は嫌いである。明朝の検診のために20時以降は何も口に入れられないから晩ご飯を食べなくてはというのを口実に19時には退勤。いろいろと立て込んでいたため締め切りが来週に伸びたものがある。それをいつやるかは問題だが、土日はゆっくり休むということとは矛盾させるつもりはない。休みの過ごし方こそが大問題である。

●きょうの言葉/教育はどうか。広田照幸は、高校生の「コドモ化」の原因として、学園紛争以降、公教育からの思想やイデオロギーの追放が進行したあまり、政治参加のスキルや関心そのものも失われたという歴史を指摘している。思想教育が危険であることは明らかだが、なにも信じていない人間になにも論じられないこともまた確かだ。信念をもつがゆえに、それを共有しない他者への理解力と説得力を磨く、そのような当然の態度をこの国の教育はあまりにも軽視してきた。(東浩紀 批評家 2010年5月27日付朝日新聞論壇時評「新しい公共」より)

■建築/Wednesday,26,May,2010

 権威的だと嫌っていた建物に初めて入った。そこは幼い頃住んでいた場所と至近で、窓から以前の住処が在った場所を見ることができた。しかし僕の住んでいた家はもうだいぶ昔に取り壊され、狭い路地裏なので新しい建物もできぬままそこだけぽっかり空いていた。

 その建物は外から見るとごつごつしてまるでロボットのような形相なのだが、内側には広い窓からやわらかな光が降りそそぎ、また木が至る所に施されているため温かみが感じられた。そして人々が集えるちょっとした空間がそこかしこに設けられているのだった。非常に優れた環境といってよい。このような場所で数年間を過ごすことができたら、僕などはそれだけで満足がいきそうな感じだった。なるほど建築なんて外見だけではわからない。内側から見てみなくては。

 

●きょうの言葉/大阪の長尾幹也さんは、朝日歌壇によく職場を詠んだ歌を寄せる。〈リストラに幾人を切り捨てしのち彫像のごと我はひび割る〉。11年前、この一首が目に留まり、話を聞きに訪ねたことがある。営業の部長としての実際の体験だった。▽〈解雇せむ社員四名を決めかねて秋の休日笑うなく過ぐ〉。通告に臨むと、口は渇き、足は震えた。「申し訳ない」「力になれなかった」と繰り返していた。告げられた一人は泣いた。長尾さんも泣いてしまったそうだ。▽昔の取材を思い出しながら、一昨日の教育面の記事を読んだ。内定学生や新入社員に理不尽を言い、上司が罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせて追い詰め、辞めさせる。「新卒切り」とでも言うべき実態が目立っているのだという。▽人間味はかけらもない。初日から怒鳴られたある社員は、3日目から連日反省文を書かされた。9日目に上司が「もうしんどいやろ?」。「頑張れます」と言うと、「給料もらって居座るのか」と退職届を渡したという。こんな会社があるのかと暗然となる。▽多めに採用し、後から適当に切る魂胆としか思えない企業もあると聞く。泣いてクビを切れば心がある、とは言うまい。だが人は今、いよいよ自分たち人間を貶(おとし)めつつあるのではないか。せめて人を「モノ」としないモラルが企業人には欲しい。▽〈切る側より切られん側に移行しぬ社歴三十年まことシンプル〉。11年たった長尾さんの最近の作だ。ほっとして、どこか悟った風が吹いてくる。「新卒切り」に血道を上げる上司たちは、これをどう読むことか。(2010年5月26日付朝日新聞「天声人語」)

■若い人/Tuesday,25,May,2010

 早く帰りたかった。誰かが何かを失くしたというので何人かが部屋中を探しまわっていた。そこを大きな声で挨拶して外に出た。後から薄情かと思ったが、とにかく早く帰りたかったのである。それが午後8時前。

 その後寄ったコンビニエンスストア。勤めてまだ日の浅い店員が弁当の醤油を外さずに温めたので、レンジの中で醤油の袋が破裂してしまい、弁当が醤油まみれになった。店員は慌てて替わりの弁当を探したが、僕の買ったのは最後の一個。残念ながら替わりはない。先輩が出てきて、彼が間違えて汚してしまいましたこちらは無料とさせて下さいという。先輩も若い店員も平身低頭。別にいいですよというがそれで無料が覆るわけもなく。後でこの子は怒られるのだろうかと思うとかわいそうになり、やはり仕事なら当然という気持ちもあり、とにかくあまりいい気分ではなかった。厳しい言い方をすると、サービスの劣化。無料の弁当などうまくもない。

 急激にそれが進んでいるのを、目の当たりにする。寛容な振りをして実は冷たく、かれらを評価する。しかしそのような若者の再生産の一端を担っている存在であることをけして忘れてはならないだろう。

●きょうの言葉/やることはまず、基地をどこに持っていくかではなく、基地はいるかいらないかを考えることです。みんながひとごとのように振る舞い、「日米の安保条約によって我々は守られている」という実感がないということじゃないですか。それは、基地は必要ないということでしょ。ここを国民全体で討議しなきゃいかんでしょ。国民が腹を据えて、憲法9条国家として、基地のない世の中をつくるように動くことが重要なんだ。もし、基地は必要だとなっても、アメリカだけに便宜を図るような偏りはいけない。今、世界の軍事大国で対立する恐れのあるのは中国とロシアとアメリカだ。戦争が起これば、原爆を使う。地球は滅びる。そういう可能性が大きい。そうさせないために、日本はまず、それぞれと等距離外交をしないとならない。基地問題はその第1歩、ととらえて対応しないとならないんだ。そこまでの問題があるのに、政治の場も、主権者である我々も、他人のけんかをおもしろがって見ているだけだ。ここを根底から変えるのが政治なのに、本当に情けないね。(むのたけじ ジャーナリスト 2010年5月25日付朝日新聞岩手版「再思三考 むのたけじ95歳の伝言」より)

■当たり前/Monday,24,May,2010

 「そんなの当たり前じゃないの」といわれて反発したくなるということはないか。僕はある。以前カナダでハレルヤコーラスの練習会に参加した時、配られた楽譜を見て、日本で歌ったものと全く同じだったことに新鮮な驚きを覚えたものだ。言葉ではコミュニケーションが満足にできなかったけれど、歌の世界では境を感じなかった。音楽は世界の言葉っていうけどほんとうだったんだと実感した。そして、楽しく練習に参加することができた。それを後になって誰かに話したときの一言だった。この人に言わなければよかったと思った。

 きょうもそれと似たような気分になることがあった。朝の話だったのでもう忘れてしまったが。本気で感じる感情なんて他人には伝わらない。それを苦労して伝えようとするのもばからしいと感じてしまう感情。また「そんなの当たり前じゃないの」という声が聞こえてくる。うるさい!

●きょうの言葉/蜂に刺され、蚊に刺され、風雨にさらされ、なお外へ。「信念の野ぐそ」を始めて36年。毎日野外という連続記録は今月で10年になる。▽約40年前、地元・茨城でし尿処理施設建設に反対する運動が起きた。「近所は嫌なんて身勝手」と怒り、処理に大量の水や熱を使うことも知った。「せめて自分のものには責任を持とう」と思い立った。▽庭や裏山で穴を掘って埋め戻し、葉っぱでふく。「小」は草木を枯らすので早々に断念した。街に出る時は排泄のタイミングをずらし、旅先では「候補地」を下調べ。原生林や沢は避け、同じ場所には1年以上しない。場所や頻度を記録し、土に還る時間も追跡調査した。「自然の循環に自らを組み込もう」と説く。▽「世間一般の常識人」である妻直子さん(51)は「思いだけでなく説得力を」と原稿や講演に目を光らせる。「世の中とのバランスをとって批判する彼女がいてこそ」▽原点は、山で見たキノコだ。「動植物の死骸にひっそりと生を受ける。死や腐敗こそが、命を次につないでいると教えてくれた」▽キノコの生き方にほれ込み、写真家に。3千種以上のキノコ、コケ、菌類を撮影し、出した図鑑類は30冊以上。長年の写真家の肩書きを捨て、いまは「糞土師(ふんどし)」を名乗る。▽「口に入れるものには神経質な時代。出す方にもっと目を向けたい」▽選び抜いた葉っぱと小さなシャベルを手に、今日も外へ。(伊沢正名 トイレでせずに10年 2010年5月24日付朝日新聞「ひと」 宮地ゆう記者による)

■養生/Sunday,23,May,2010

 朝には早起きして車で市場に向かったが、駐車場が混んでいたのでそのまま引き返した。そもそも朝市に自家用車でという発想がそぐわないものだと思った。咳がいっそう酷くなり、昼間うとうとしかけた瞬間は決まって咳き込む。きっと普段は無意識に咳を抑えているのだろう。眠りに落ちるとその抑えが効かなくなるので咳が酷くなる。鼻水もたれてきて、少し微熱もあるようだ。これでも日曜日は日曜日。

 いくらやらねばならない仕事があるとはいえ、カバンに持ち帰っているとはいえ、病をおしてまで、休日に仕事をする必要がどこにあろうか。そう開き直って一切何もしないと決め込んだ。やってられるか畜生。

●きょうの言葉/楽しく話しながら食事をする家庭が当たり前になったのは戦後です。戦前の多くの家庭では、食事中の会話は行儀が悪いと禁じられているか、あるいは静かにならよいという程度でした。農家や商家では忙しい仕事の合間に作り置きのおかずで簡単に食事を済ませていて、食べながらのだんらんは日常的なものではなかったでしょう。研究で明治時代の雑誌や教科書を分析しました。家族だんらんの考え方は、明治20年代初頭に欧米から入ってキリスト教思想に基づく近代的な家庭論として広がり、学校教育に取り入れられていった様子がみて取れました。大正期には、家事の合理化や家庭の規律といった視点から強調され、昭和に入ると戦時体制下で家族の和を深める精神的な意義が繰り返されるようになります。時代で理由は違いますが、こうした教育が人々の意識に大きな影響を与えていると言えるでしょう。しかし、国が意義を強調するあまり、人々の間に「食事で家族がそろうのは正しいことだ」と強迫観念が生まれていないでしょうか。人の暮らし方に関係する事柄ですから、強制する性質のものではありません。食卓に家族が集まるという形にこだわるだけでは、コミュニケーションは生まれません。現在、食事の支度は90%を妻である女性が担っています。長時間労働も改善されていません。こんな状況で奨励するだけでは、当事者を追い込むことになると思うのです。だんらんを阻む構造的な問題にも目を向ける必要があると感じます。(表真美 京都女子大学教授・家族関係学 2010年5月23日付朝日新聞生活欄「くらし考」より)

■目/Saturday,22,May,2010

 早朝から夕方まで暑苦しい格好で仕事をした。いろいろな物を見て目が疲れた。面白いこともなくはないが、それらを含めて面白くない。以前思ったことと同じことを思い、同じことをしようとした。何も変わらない。

●きょうの言葉/技術、おもてなし、感謝、勤勉、組織力……。そう語られる「日本人の良さ」は、必ずしも国際比較による客観的な事実を指していない。「良さ」を語る日本人自身が、どう見られたいかを表明しているに過ぎない。(河野一郎 16年東京五輪・パラリンピック招致委員会事務総長 2010年5月22日付朝日新聞「21世紀のサムライ論5 世界に語る『日本」』とは」より)

■咳/Friday,21,May,2010

 一週間の終わりというのはうそで、明日も仕事がある。そうやって自分を騙し騙しやるにもほどがある。咳が酷いと喋るのもつらい。喋るから咳が出るのか。やるべきことはやった。明日に備え早く寝る。

●きょうの言葉/自己増殖をする「人工細菌」を作ることに、米のチームが初めて成功した。DNAをつないで、ゲノム(全遺伝情報)を人工的に作った。生命の設計図であるゲノムが働くことが確認でき、「人工生命」ともいえる成果だ。医薬品づくりなどに役立つ技術と期待される一方で、安全性の確保や悪用防止が課題になる。生命とは何かを問うことにもつながりそうだ。▽作ったのは、人間のゲノム解読に携わったクレイグ・ベンター博士が代表を務める研究所のチーム。遺伝情報にあたる塩基配列が少なく、操作しやすい「マイコプラズマ・マイコイデス」という細菌をモデルにした。 ▽この細菌のゲノムをまねて、ゲノムを構成するDNAの断片を化学合成した。これを大腸菌などの中で1本につなげて、人工ゲノムを作った。この人工ゲノムを、ゲノムを除いた別種の細菌の細胞膜を器にして、移植した。 ▽人工ゲノムは14の遺伝子が欠けていたものの、「人工細菌」は、モデルにした細菌と同じたんぱく質を作り、自己増殖を繰り返すことも確認できたという。▽この成果は、21日付の米科学誌サイエンス電子版で発表される。(2010年5月21日付朝日新聞より)

■喀痰/Thursday,20,May,2010

 咳に加えて黄色い痰が出るようになってきた。少し熱があるようだった。それにしてもだいたい毎年のようにこんな風邪を引く。油断をしているとまた咳き込んで、涙も止まらなくなってしまう。

●きょうの言葉/一緒に育った牛の「みいちゃん」に、女の子が話し掛ける。「ごめんね。みいちゃんが肉にならんと、みんなが暮らせんけん」。肉になったみいちゃんを女の子は泣きながら食べる。「おいしかあ」と。▽絵本『いのちをいただく』(西日本新聞社刊)は、熊本県の食肉加工センターで働く男性の体験を基にした物語だ。動物の命を頂いて生きるわたしたちの現実に、向き合わされる。▽大切に育てた命を絶つのは、それがほかの命をつなぎ、生かされるからこそ。次々と感染症に冒され、むざむざ殺して捨てなければならないというのだから、畜産農家の悲憤はどれほどだろう。▽宮崎県内の口蹄(こうてい)疫は、恐ろしい勢いで広がり続ける。早い段階でなぜ抑えられなかったのか。10年前に同県で発生した時の経験を対策に生かせなかったのか。疑問が晴れない。▽処分される牛や豚などが11万8千頭に膨らんだきのうになって、政府は発生地から半径10キロ圏内のすべての牛や豚にワクチンを接種した上で殺処分することを決めた。新たな処分対象は20万5千頭。途方もない数だ。▽予防薬であるはずのワクチンは、処分まで症状を抑えるだけのものだ。健康な命も無駄になろう。やりきれない。命を頂いて生きる身として宮崎の苦しみに心を寄せられるか。今後の対応が問われている。 (2010年5月20日付河北新報「河北春秋」を全文掲載)

■咳/Wednesday,19,May,2010

 これはいかんとマスクをした。黙っているとよいのだが、少し喋ると喉の奥がむず痒くなり咳が止まらなくなってしまう。よくある風邪の諸症状なのだが、これから数日は悩まされると思うと些か憂鬱。

●きょうの言葉/思想が作品に顔を出すなんてまっぴら、と彼は言っていました。でも、彼独特の奇想天外な趣向に彩られた芯には憲法という主題があった。それが初めてはっきり現れたのが1981年のベストセラー「吉里吉里人」でした。あるべき公共社会とは何か。吉里吉里人たちはこの問いを突き詰め、日本がないがしろにした日本国憲法を自分たちの手で選び直す。彼の作品に登場する人間は善良なだけではなく小ずるさも持つ。そうした人間一人ひとりが約束を結んで世の中をつくる。人々が国家をつくり、権力を預ける。しかし勝手なことをさせないように憲法で縛る。それが近代憲法の考えです。と同時に憲法は、国民の意思をも縛るものだと私は考えます。デモクラシーというのは危険でもある。選挙で多数を得た側が「性別による差別は当然」と言ったらどうなるか。いくら国民がこうだと言っても、踏みとどまらねばならない一歩はある。そのためにも憲法はあるのです。政治主導とはつまり、選挙での多数派がすべてを決めて良いという考え方です。そうあってはならぬというのが人類社会の知恵です。(井上ひさしは講演会などで、憲法や平和を守るという意味で「日常を守る」という言葉を使っていたが)それは彼の作品にも現れている。原爆投下後の広島を描いた「父と暮らせば」も「東京裁判三部作」も、ふつうの人間の暮らしが舞台です。ふつうの生活を送る権利がなぜ奪われるのかとよく言っていました。人間のつくった法が永遠であるはずはない。適正な手続きを経れば憲法だって変えられる。しかし、いま改憲を主張している人たちの手で憲法を変えてもらうつもりはないという点で、私と彼は共通していました。何度も指摘しているのですが、「改憲に賛成か反対か」という議論の立て方には間違いがある。我々は暖かなサロンで理想の憲法とは何かを論じあっているのではないのです。厳しい現実の政治にかかわる問題なのです。改憲を主張する人が何を狙っているのかを、きちんと知るべきです。(樋口陽一 憲法学者 2010年5月19日付朝日新聞より)

■喉痛/Tuesday,18,May,2010

 朝から少し喉が痛い。布団の調節がうまくいかなかったらしい。季節の変わり目の風邪か。早朝から資料を作り15時からの出張に間に合わせる。息抜きのつもりが長時間の会議と眠気で体調が悪化した。

●きょうの言葉/私は正規の教員ですが、定時に帰れることはほとんどありません。多くの教員は放課後も委員会や部活動の指導に追われ、生徒が帰った後で、,やっと教材研究や学級・分掌の仕事に取り掛かる状態です。子育てや介護のために定時で帰る教員も、カバンの中は持ち帰りの仕事でいっぱいです。定時に帰る教員に非難の目を向けるのではなく、みんなが定時に帰れる職場の実現を目指したいものです。(箱崎作次 東京都 55歳 2010年5月18日付朝日新聞「職場のホンネ」より)

■気侭/Monday,17,May,2010

 好天に恵まれる平日休み。用事を済ませながら町中の散歩。午後には机に向かう。しかし宿題はできていない。新聞はだいたい片付いた。旅日記には遠く及ばない。2杯目は100円という珈琲屋のことを知る。

●きょうの言葉/選挙権を得て以来、一度も欠かさずに投票所に足を運んできたが、今回の参院選は悩んでいる。民主党の谷亮子さんをはじめ、複数の党がタレントや運動選手といった人材を立候補者に据えた。普天間問題や国の財政赤字が表面化し、アジア諸国からも「日本は大丈夫か」と懸念されている昨今、軽挙に映る各党の意図が理解できない。▽二院制の一翼を担う参院は「良識の府」である。候補に挙がった人たちが「良識の府」にふさわしい人とは思えない。私には「人寄せパンダ」にしか見えない。このような人選からしても、公党の中枢にいる人と国民の感覚に大きなズレが生じている。▽参院不要論も聞くが、反対である。衆院だけとなれば、国家が、衆院を数で制した公党の思いのままにされかねない。参院は定数を減らしても地位を守り、衆院の暴挙を防止する役割を果たすべきだ。そこでは、自ずと人選にも良識が働くべきなのに、国民を愚弄する人選が目立つ。選挙ボイコットという抵抗しかないのか、と悩む日々である。(岩間正春 コンサルタント 2010年5月17日付朝日新聞声の欄「良識の府危うくする候補者選び」を全文掲載)

■薄曇り/Sunday,16,May,2010

 早朝からの仕事。人込みにいるだけでイライラする人は多いだろう。適切な密度というものはある。僕はうるさい声や身勝手な要求にもイライラした。13時に終了は早いか遅いか。帰宅後は夜まで新聞をチェック。

●きょうの言葉/3月下旬。能を通じて親交の深い奈良・興福寺の多川俊映貫首が見舞った時、キーボード操作の音声装置から悲痛な言葉が流れた。▽「水を求むる男なり。苦しい」▽投薬の影響か、口がすぐ渇いてしまう。そのつらさを訴えようにも、キーを押す左の人さし指に力が入らない。ひと文字に数分。短距離走者のような荒い息が止まらない。がんは全身をむしばみ、骨折も引き起こしていた。▽免疫反応を調整する細胞を初めて見つけた国際的な研究者だが、能の創作でも知られた。01年に脳梗塞で倒れ、右半身まひや言語障害が残った。多川貫首は「思索を深める時間を与えられたのだとお考えください」と声をかけた。慰めのはずだったが、「その通り。今、考えることに忙しい」という答えが返ってきた。▽新作能は、原爆がテーマの「原爆忌」「長崎の聖母」、アインシュタインの相対性理論から核の脅威を考える「一石仙人」、沖縄戦の「沖縄残月記」。闘病記や国のリハビリ制限策への反論をまとめた「寡黙なる巨人」を始め、著作が約10冊。07年には「自然科学とリベラルアーツを統合する会」を創設し、亡くなる10日前の集会にも出席していた。▽「障害で行動が制限され、かえって様々なことへの反応が速くなった。倒れてから、多田富雄という人間の大きさを改めて感じた」と多川貫首は言う。▽音声装置とパソコン以外に表現の手段がない。ありったけの思いで言葉を紡いだ。当然、分量が増える。「長崎の聖母」などの演出とシテを務めた清水寛二さんは多田さんとメール交換しながら台本を削った。「怒りで体が震えた、という返信が来ました」▽8月、「長崎の聖母」が5年ぶりに長崎で再演される。「一石仙人」も、多田さんの念願だった米国での公演計画が進みつつあるという。(2010年5月16日付朝日新聞「惜別 免疫学者 多田富雄さん」を全文掲載 小滝ちひろ記者による)

■晴れ/Saturday,15,May,2010

 午前中は空いていた。溜っていた新聞に目を通し、少しずつ打ち込んだ。昼からは仕事だった。かなり気楽に務めを果たした。夕方から実家に戻り、ようやく冬タイヤを交換した。久しぶりに温泉に入ってきた。

 

●きょうの言葉/私たちは最貧国でソーシャルビジネスを起こすことを検討している。貧しい国の人々の自立や起業を支援するような事業だ。なぜ、こうした活動に力を入れるか。企業は「社会の公器」であり、自分たちが収益を上げることだけを考えていたら成り立たないという考えからだ。現代社会において、企業の社会的な影響力はますます強くなっている。それだけの力があれば、社会に役立つことをやらないとその存在を許されない。また、グローバル化していくなかで、相手の国にプラスになる企業でなければ、その国に本当に根付くことはできないのではないかと思う。(柳井正 ファーストリテイリング会長兼社長 2010年5月15日付朝日新聞土曜版be「柳井正の希望を持とう」より)

■週末/Friday,14,May,2010

 出張明けだが当然のごとく普通出勤。多くの方は疲れなど見せず元気そうに働いていた。僕は足が疲れていて何もない床に幾度か躓きそうになった。仕事大好き人間の集まる素敵な職場に実のところ肩身が狭い。

●きょうの言葉/私の好きな言葉は「待て、そして希望せよ」。人間の知恵はこの二つに凝縮される。待てというのは、ただ待つだけではない。辛抱しながら自分を鍛えて相手をよく見て、そして希望をつくる。それが教育。今の世の中はせっかちすぎる。教えすぎて、自分で考えさせることをしない。与えられるばかりでは、受け取る側が喜んで吸収するようなことはありえない。絶えず腹下ししているわけですから。自分から何かをやろうとすれば、与えられる以上に自分で学ぶことができる。文科省が野外活動を推奨するとみんな行く。1泊のために1週間かけて準備して、現地に着くともう翌日帰る準備をする。それで自然体験をさせたことになるのか。フランスではボランティアが子どもたちを連れて最低で30日行く。勉強なんか忘れて、生き生きとして帰ってくる。(奥島孝康 日本高校野球連盟会長 2010年5月14日付朝日新聞「岡田監督対談第9回」より)

■提灯/Thursday,13,May,2010

 バスではプロの名調子を聞いた。日差しは暑かったが日陰は意外と涼しかった。乾燥していて喉が渇いた。本当の旅とは何か。列車の中で自分がしたい旅について考えていた。最後まで帰る場所のない旅。

●きょうの言葉/東京と青森を鉄路が結んだのは明治半ば、一昼夜の道程だった。昭和の初め、東京帝大に入る太宰治は「文士になって女を描きたい」と残し、津軽を後にした。幾多の青い志が同じ路(みち)をたどる▽〈東京へ行きたい/と思いながら/自分の心臓の部分にそっと手をあててみるとその最初の動悸(どうき)なのか/青森駅構内の機関車が一斉に汽笛をならす音なのか/ひどくけたたましい音がする〉。寺山修司の詩「李庚順」の一節だ▽ボクサーに憧(あこが)れた寺山だが、パンチではなく俳句の腕を携えて上京、早大に入った。昭和末には、級友の紙吹雪が舞う青森駅を、日大に入る舞の海秀平さんが発(た)つ。父に「ひと花咲かせてくる」。夜行列車に揺られつつ、土俵への決意を新たにしたはずだ▽東北新幹線が12月に青森市まで延びる。来春から東京―新青森を走る新車両の名が「はやぶさ」と決まった。2年後には国内最速の時速320キロで運転する。上京する若者が闘志を燃やし、覚悟を決める旅も、とうとう3時間5分にまで縮まる▽愛称の公募には、約15万件が寄せられた。首位は、廃止された東北初の特急「はつかり」の襲名。東京―熊本間を昨春まで走った寝台特急と同じ「はやぶさ」は7位だったが、速さを売るなら初雁(はつかり)より隼(はやぶさ)だろうと、JR他社の快諾を得て命名された▽新幹線は青函トンネルを抜け、2015年度には新函館(仮称)に至るという。〈上野発の夜行列車おりた時から/青森駅は雪の中〉。北国が近づくほどに、昭和の名曲「津軽海峡・冬景色」の寂寞(せきばく)がまた遠くなる。 (2010年5月13日付朝日新聞「天声人語」を全文掲載)

■ネズミ/Wednesday,12,May,2010

 午後には日が出て暑くなる。リゾート施設でいつも感じる気味悪さ。虫酸が走るとはこのことか。こんなにも多くの人々がおとぎの世界に浸れるのかが不思議。その片棒を担ぐ我ら。あまりにお気楽過ぎやしないか。

●きょうの言葉/県の行政委員会の委員が少ない勤務日数で高額の報酬を支給されているとして、市民オンブズマンいわて(井上博夫会長)は11日、県監査委員に住民監査請求した。▽同オンブズが問題としているのは、県の行政委員会のうち、教育委、選挙管理委、人事委、労働委、収用委、海区漁業調整委、内水面漁場管理委の7委員会。これらの委員会では、条例に基づき月額で報酬を支給している。▽同オンブズは2008年度の各委員の勤務実態を情報公開請求などで調べ、1日当たりの報酬額を公表した。労働委員会(15人)では、委員の勤務日数は年間7〜29日で、報酬は年間で94万6200円〜215万4600円が支給されたという。中には年間11日の勤務で172万1400円(1日あたり15万6491円)を支給された例もあったという。▽内水面漁場管理委では、年間1回の会議出席で21万3750円の報酬を支給された委員もいたという。▽各行政委員会は、弁護士や学識経験者のほか、労組代表(労働委)、漁協組合長(海区漁業調整委)らが委員を務めている。▽同オンブズは「地方自治法では、原則として勤務日数に応じて支給すると定めている」として、月額での報酬を定めている県の条例が違法であると主張、日額で支払うよう求めている。(2010年5月12日付アサヒコム 「県の7行政委員会 報酬高額で監査請求」を全文掲載

●きょうの言葉/開かれた行政を求める岩手の会(代表・井上博夫岩手大教授)は11日、県が非常勤の行政委員に勤務日数に関係なく月額で報酬を支払うのは、日額制を基本とする地方自治法に違反しているとして、県監査委に住民監査請求を行った。井上代表は「勤務実態にそぐわず、社会常識から見て高額過ぎる」と指摘している。▽請求書によると、教育・選挙管理・人事・労働・収用・海区漁業調整・内水面漁場管理の7委員会の委員について、勤務日数に応じた報酬支給に変えるよう県に勧告することを求めた。▽同会によると、7委員会の委員は月18万9000〜2万5000円を支給されている。活動は年10回に満たない委員も多いという。08年度の報酬額と勤務時間を基に試算した時給は、労働委員で17万8692〜8万2992円になるという。▽同法では、勤務実態が常勤職員とほとんど変わらない場合や、勤務実態の把握が難しい際、月額や年額での支給を認めている。同会は「勤務日数が0でも報酬を受けている委員もいる。勤務量の把握も困難ではない」と主張する。常勤に近い勤務実態がある監査委、公安委員会は、請求対象から除いた。▽全国市民オンブズマン連絡会議(名古屋市中区)によると、神奈川、熊本県などで日額制に改正する動きがある。また、滋賀県の弁護士が支出差し止めを求め同県を訴えた行政訴訟で、大阪高裁が4月27日、「月額制は法の趣旨に反して違法」とする1審判決を支持し、県の控訴を棄却した。同県は上告した。(2010年5月12日付毎日.jp 「非常勤委員:報酬支給は日給で 住民団体が県監査委に、県への勧告求める」を全文掲載 山口圭一記者による)

●きょうの言葉/「市民オンブズマンいわて」は11日、教育委員会など、県の行政委員の報酬について、月給ではなく、勤務日数で支給するよう求める住民監査請求をした。任期中に全く委員会に出席せず報酬を得ていた例もあり、同会は「社会通念上許されない」としている。▽同会は、教育、選管、人事、労働、収用、海区漁業調整、内水面漁場管理の計7委員について、月額での報酬支給が、「勤務日数に応じて支給する」と定めている「地方自治法に違反し無効」と指摘している。委員会によって違うが、開催頻度は年数回〜月1、2回で、1日当たりの報酬額は最高21万3750円、最低でも3万1667円だった。▽井上会長は「会議は数時間程度で、時給に換算しても高額。すぐにでも是正すべきだ」と強調する。▽県人事課は「委員の仕事は当日だけでなく、それまでの準備時間も考慮している。監査委員からの指摘を待ち対応したい」と話した。(2010年5月12日付読売オンライン「県の行政委員報酬監査請求『勤務日数ベースで支給を』」を全文掲載)

■太陽/Tuesday,11,May,2010

 2泊3日の出張。あまりの緊張感のなさ。かといって手放しで楽しめるほど無責任でもない。ケベコワたちの演技の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。しかし、疲れのためか肝心のところで何度か気を失った。

●きょうの言葉/元年越し派遣村村長で反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さん(41)が4月下旬、母校の私立武蔵高校(東京都練馬区)の文化祭に招かれ、講演をした。在校生や保護者ら約450人を前に、自身の活動を語った。▽「派遣切り」にあった人々やホームレスは、「怒り」の感情を失い、むしろ自分を責めてしまうという。その経験から湯浅さんは、日本を、個人に無限の努力を強いる「がんばり地獄」と表現した。▽「競争主義の社会は、横に人がいない社会。生き残るために上の人から自分を否定され、自分は下の人を否定する。これは生きづらい。そこをもう一回、『仲間のいる社会』につむぎ直していかないといけない」▽ユニセフの調査で「さびしい」と感じている子どもの割合が日本は際立って高いことをあげ、「子どもがこんな気持ちでは、もうこの社会はもたない。自分一人が生き残ることよりも、こういう社会を変えていくことの方が成功する確率は高いし、楽しい」と訴えた。会場の高校生から「反対が多くても運動を続けてこられたのはどうして?」と聞かれ、二つ理由をあげた。▽「一つは面白いから。自分たちで道をつくっていくやりがいがあった。もう一つは怒り。せっかく生まれてきたのに、人間がこんな目にあっていいのか、という怒りです。いろんな相談を受けながら、日々怒りが更新されているので、枯渇することはありません」(湯浅誠 反貧困ネットワーク事務局長 2010年5月11日付朝日新聞文化欄 「『がんばり地獄』生きづらい」を全文掲載 樋口大二記者による)

■五月/Monday,10,May,2010

 月曜日。外海で波に揺られるような感じ。昼から軽い出張。帰宅してから冬服の整理。3週間もサイトをそのままにしていた。美しかった日々が新たな時にどんどん埋もれていく。また少しずつ更新していきます。

 

●きょうの言葉/私の高校で4月に定年退職された教頭先生の退任式がありました。教頭先生はあいさつの中で「定年後は近くの公立福祉施設で働きますから、また皆さんに会えるかもしれません」と話されました。▽しかし、私は、堂々と話す先生の笑顔に驚きました。なぜなら、日本は長引く景気の低迷で、高校生や大学生が卒業後の就職先がなかなか決まらず、焦り苦しんでいるというニュースをよく目にするからです。▽定年退職後の公務員の方々は、半ば当然のように第二の職場をあっせんしてもらっていると聞きます。若者たちが明日の仕事が見つからずに右往左往しているのに、どういうわけなのでしょうか。しかも、退職後の仕事は、軽い業務内容の割に賃金はそこそこ高いらしいのです。私には税金の無駄に思えます。▽こうした慣習はやめてほしい。本当に働きたくても働く場のない多くの若者のことを考え、定年後の人たちは潔く身を引いていただきたいと思うのです。(中沢華子 高校生 2010年5月10日付朝日新聞声欄「教頭先生の定年再就職に疑問」を全文掲載)

■眠り/Sunday,9,May,2010

 一日眠くて部屋にいた。朝に少しテレビを見たが頭に入らなかった。疲れが残っていたのか。何もせずに過ごした。一日だけでは疲れは取れない。後になって、大相撲夏場所の初日だったことを知る。夏場所だ。

 

●きょうの言葉/危機を察知し、無意識のうちにそれを回避する能力は生物の生存本能のうちもっとも有用なものだが、その生理学的・解剖学的な仕組みはわかっていない。でも、それを高めるための訓練システムがどういうものかはわかっている。センサーの感度を鋭敏に保つ方法は経験的には一つしかない。
それは「不快な情報にはできるだけ触れない」ことである。不快な情報は不快であるから、私たちはその入力を遮断するか、(うるさい音楽に対してするように)「ヴォリュームを絞る」ようにする。つまりセンサーの感度を意図的に下げるのである。それによって、外界からの不快な入力は「カット」される。けれども、それは同時に危機シグナルに対するセンサーも「オフ」になるということである。「不快な」シグナルといっしょに「危険な」シグナルもカットされてしまう。『おしゃれ泥棒』でピーター・オトゥールがやったように、繰り返しアラームが誤作動すると、警備員はアラームそのものを切ってしまう。泥棒はそれからゆっくり仕事にとりかかる。
ここから導かれる実践的教訓は「アラームがじゃんじゃん鳴るような環境には身を置かない」ということである。「不快な入力」が多い環境にいると、人間は鈍感になる。鈍感になる以外に選択肢がないのだからしかたがない。けれども、それによって危機対応能力は劇的に劣化する。子どもは、できるだけ快適な感覚入力だけしかない、低刺激環境で育てる方がいい、というのは私の経験則である。たしかにそうやって育てると「ぼや〜っとした」子どもにはなるだろうけれど、危機回避能力は身に着く。そういう人は無意識のうちに「もっともリスクの少ない道」を過たず選択するので、人々はしだいに「この人についてゆけば安心」ということを学習する。戦場におけるもっとも信頼される指揮官は「銃弾が当たらない人」である。その人のあとにぴったりついてゆけば、弾も飛んでこないし、地雷も踏まないし、道に迷って敵軍のど真ん中に出ることもない。そういうことが経験的に知られている将校のあとに、兵士たちはかたまってついてゆくようになる。その一挙手一投足を注視するようになる。それがその語の本当の意味での「リーダーシップ」であると私は思う。古来、伝説的な勲功を誇る軍指令官が「ぼんやりした容貌」の人であったと言われるのはゆえなきことではあるまい。現代の「エリート教育」と言われるものはそのほとんどが(すべてが)「不快なストレスが加圧されたときに、それに対して鈍感になれる力」を涵養するプログラムである。しかし、「ストレス耐性の強い個体」は多くの場合、危機センサーが不調である。そのような人間はタフな心身の能力を活用して死活的危機をひとりだけ生き延びることはできても、あとに従ってくる人たちを生き延びさせることはできない。人を従えて進む人間に必要なのは「危機に遭遇しないですむ道を選ぶ」力である。そのような能力の少なくともベースの部分は低刺激環境においてしか育むことができないと私は思う。でも、当今の「リーダーシップ論」において、そのようなことを語る人はいない。(内田樹 神戸女学院大学教授「内田樹の研究室 越君とリーダーシップについて話す」より)

■仕事日/Saturday,8,May,2010

 通常業務に輪をかけて忙しく働いたつもり。いくら大型連休があったとはいえ土曜日は土曜日だ。働く日ではない。などというのは通らない、この国では。しかも飲み会。鍵を持たずに家を出て心配をかけた。

 

●きょうの言葉/普天間問題の根本にあるのは、米国が日本に基地を置いていることのほんとうの意味について私たちが思考停止に陥っているということだ。米国は日本に基地を置いている理由の一つは日本が米の軍事的属国だということを私たち日本人に思い知らせるためであり、もう一つは、中国、北朝鮮という「仮想敵国」との間に「適度な」緊張関係を維持することによって、米の西太平洋におけるプレザンスを保つためである。米軍基地はすでにあるものであり、これからもあり続けるものだと私たちはみな思い込んでいるが、米国は90年代にフィリピンのクラーク空軍基地とスービック海軍基地から撤退した。2008年には韓国内の基地を三分の一に縮小し、ソウル近郊の龍山基地を返還することに合意した。いずれも両国民からの強い抗議を承けたものである。米国防総省は沖縄の海兵隊基地については、県外移転も問題外であるほどに軍事的重要性があると言い、日本のメディアはそれを鵜呑みにしている。だが、その言い分とアメリカが海東アジア最大の軍事拠点と北朝鮮と国境を接する国の基地を縮小しているという事実のあいだにどういう整合性があるのか。とりあえず私たちにわかるのは、日本国民は韓国国民やフィリピン国民よりもアメリカに「侮られている」ということである。普天間基地問題では、基地の国外撤退を視野に収める鳩山首相に対してメディアは激しいバッシングを浴びせている。米国を怒らせることを彼らは病的に怖れているようだ。だが、いったい彼らはどこの国益を配慮しているのか。先日会った英国人のジャーナリストは不思議がっていた。日本人は対米関係について考えるとき、決して対等なパートナーとして思考することができない。この「属国民の呪い」から私たちはいつ解き放たれるのか。(内田樹 神戸女学院大学教授「内田樹の研究室 基地問題再論」より)

■出張と会議/Friday,7,May,2010

 13時から出張。16時から場所を移して会議に参加。その後職場に戻り会議。終わると20時。ノンストップ。それから駅で拾ってぴょんぴょん舎でチヂミと冷麺。ボーッとして運転中もふわふわ夢の中という感じ。

 

●きょうの言葉/中流家庭に向け、ザックリとした夢を一手に売っていたデパートは、今や顧客の求めている商品が見えにくくなり、困惑の中にある。でも、売り上げが絶えず右肩上がりでなくてはダメというのはバブル時代のあしき後遺症だと思います。たとえ売り上げが伸びなくても利益を出す方法はあるし、利益が増えなくても企業が存続する道は探せる。まず、顧客一人一人の欲求や幸せのありかを考えてみる。商売の基本は「客が望むものは何か」だと思います。新たなデパートの姿に期待したいですね。(真保裕一 「デパートへ行こう!」を書いた作家 2010年5月7日付朝日新聞オピニオン欄「リレーおぴにおん 私のデパート再生計画3」より)

■復帰/Thursday,6,May,2010

 2週間以上も空けていたのは初めてだ。復帰の一日は体力的にもそうだが、何かと気を遣って疲れた。どうでしたと聞かれていったいどう答えればいいのか。とにかくお蔭さまとしかいいようがない。

 

●きょうの言葉/様々なソーシャルビジネスの中でも貧困対策として最も注目されるのがマイクロファイナンスだ。貧困に苦しむ人々のための小額無担保融資などの金融のことだが、バングラデシュのムハマド・ユヌス・グラミン銀行総裁が2006年にノーベル平和賞を受賞して、一躍有名になった。いまや先進国を含む130カ国以上の国々で貧困削減に効果を発揮している。私的利益の最大化を目指す消費者金融とは異なるビジネスモデルで、私的利益と社会的利益の両立を追求する。マイクロファイナンスは、まさに「新しい公共」の具現化である。人間を私的利益最大化という一元的な原理に基づいて行動する存在と仮定するのではなく、私的利益以外にも「人々や社会によいことをしたいという欲求」を持つ多次元的な存在ととらえ、ビジネスの論理を再構築すること。それは、個人には幸福を、企業には本業に組み込んだCSR(企業の社会的責任)を、そして、社会には秩序と繁栄をいかにすれば得られるのかを問い直すことである。(菅正広 北海道大学研究員 2010年5月1日付朝日新聞文化欄より)

■連休最終日/Wednesday,5,May,2010

 晴れが続いていたので、布団を干したり、洗濯をしたり、掃除をしたり。午前中は少し仕事に出た。子どもみたいな大人を見る。大人というより、どうしようもなく子どもである。ため息とともに連休が終わる。

  

●きょうの言葉/岩手県一関市の菅野美江子さん(57)は約20年前、「1日1時間以内」のルールを守らずに目が充血するまでゲームをやり続けた当時小学生の息子の目の前で、ゲーム機を家の前のコンクリートにたたきつけて壊した。息子は一晩中大泣きしたが、翌日からはボールを持って外へ遊びに行く生活に戻った。「断固とした親の態度が必要。子どもに負けてはいけない」(2010年5月5日付朝日新聞生活欄「ゲームの約束事 悩ましい わが家はこうしてます」より)

■花見日和/Tuesday,4,May,2010

 7時半。久しぶりの職場。机の上の書類を整理。意外と少なくてほっとする。11時には退けて、助走からの再スタートという感じ。午後には母と叔母と三人で春霞の雫石の裏道辺りをドライブ。夜は大むらで酒と食事。

 

●きょうの言葉/国立博物館や国立美術館の多くが、博物館法の中核として機能していないのも問題だ。これは、我が国の博物館行政全体を貫く骨格があいまいということだ。これらは、いずれも入館料を徴収している。博物館法では、博物館の入場料は原則無料と規定されているにも関わらずだ。英米のように国立は無料が望まれる。国が率先して法律を骨向きにしてどうするのか。欧米などでは、博物館のクオリティーは民間の博物館境界がコントロールしている。大学の養成講座では現在、「学芸員」というゼネラリストを育成しているが、欧米では、博物館教育の専門家と言った専門分化した形での育成を行うのが一般的。(矢島國雄 明治大学教授・博物館学 2010年5月4日付朝日新聞文化欄より)

■/Monday,3,May,2010

 

●きょうの言葉/アフリカ大陸の各地には金やダイヤモンドのほか、車や電化製品に欠かせない金属などの天然資源がたくさんあります。南アフリカはその中でも、ダイヤモンドや金の生産で世界的に知られています。天然資源の生産によって南アフリカの経済は発展しています。国全体の経済活動の大きさを表す国内総生産(GDP)は、アフリカで断トツの1位で、世界でも29位です。しかし、アパルトヘイトが終わったのに、黒人の多くは今も貧しいままです。仕事のない人の割合は20%以上にもなります。強盗や殺人事件が多く、世界で一番危険な国ともいわれています。アフリカ全体はもっと深刻です。とくにサハラ砂漠より南に住む約7億8千万人の半分以上が1日1ドル(約93円)未満で暮らし、子どもの6人に1人は5歳までに死んでしまいます。生活をよくするための対策が強く求められています。(2010年5月3日付朝日新聞「ののちゃんの自由研究 南アフリカってどんな国?」より)

■/Sunday,2,May,2010

 

●きょうの言葉/どんなに危険な場所であっても、子どもは自分の意志で行ってしまう。親には止めようがない。あの時、生きて帰ってきていても、きっとまた出かけて行ったでしょう。本人が信念を持って行動したこと何だから、親が悔やんではいけない。泰造の魂は、いまも向こうで撮影し続けている気がします。世の中の批判もわかります。でも、そういう人がいるから、真実が伝えられる。泰造だって、戦場に行き、倒れていく人や子どもたちを目の当たりにして、戦争を憎むようになっていきました。戦争とはこういうもんだということを、世の中に示したくなったんだと思います。泰造と同じ道を選ぶ人には、勇気を持って当たってほしい。ただし、決して命を無駄にすることはないように。(一ノ瀬信子 フォトジャーナリスト故・一ノ瀬泰造の母親 2010年5月2日付朝日新聞 be study「天才の育て方」より)

■/Saturday,1,May,2010

 

●きょうの言葉/私の人生観の基本は、健康であればそれ以上のことは何も望まないということです。私は鼻で呼吸ができず、生まれつきの身体障碍者なので、役所の人に手当受給の申請書を提出するように、と言うていただいたとこもありますが、それは私よりも、もっと重傷の人に差し上げて下さい、と言うて帰って来ました。(車谷長吉 作家 2010年5月1日付朝日新聞土曜版be 「悩みのるつぼ」より)